ラムヤートオーナー 2006年、旧洞爺村に移住。2008年、ラムヤートをオープン。売上の上限を決め、週2日営業で慎ましく暮らし、生きるに迷走する世の中に静かに力強く働き方改革を提言。自己完結する生き方、人生の残り時間の使い方、地域への感謝の返し方をテーマに日々を暮らす。夢は「何をしなくても、しても良い時間を多く持つこと」。それをモットーに子ども達が毎日楽しく暮らせる地域を目指す。
facebook : Masuki Konno
Key Words:
洞爺湖, ラムヤート, ルヴァン, toita, たまたま舎,
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しゃけのかわ
北海道旧洞爺村地区の中高生5人組バンド。2022年結成。バンド結成後まもなく、ライヴ経験がほぼないながらもYouTubeでのPV再生回数が公開後1週間で2000回を突破。限界集落といわれる田舎の町でも、自分たちの楽しみやカッコいいと思うことが全国に伝わるような音楽活動を目指す。2023年8月1日に札幌でのライブが決定。詳細は、しゃけのかわ、インスタグラムアカウントにて。
Instagram: shake.no.kawa
Key Words:
MONGOLE800, 坂本龍一, チリー ゴンザレス(Chilly Gonzales), KING GNU, YONA YONA WEEKENDERS, 湖人祭り
[江良]
はい今回は、洞爺湖町のパン屋のラムヤートさんの、今日は定休日なんですけれども、そちらにdrop aroundのお二人をお呼びしています。青山吏枝さんと青山剛士さんのお二人です。今日はどうぞよろしくお願いします。
[青山吏枝+青山剛士]
よろしくお願いします。
[江良]
drop aroundさんは、北海道洞爺湖でオリジナルプロダクト、紙の道具と、ワークウェア、働く服を製造販売されているデザイナーユニットっていうご紹介であってるでしょうか?
[青山吏枝]
あっています!
[江良]
ありがとうございます。あの、今日、drop aroundの製品とか、装丁されている本とかね、持ってきていただいたんですけども。聴いていている方はウェブサイトで こちら写真で見ていただければと思いますけれども、結構こう、付箋とか、これ僕も買わせていただいたんですけれども、領収書とかこういう事務的な用品とか、
[青山吏枝]
そうですね事務用品だったり伝票類とかですね。
[江良]
あと箱とか。これはあれですよ、今の石鹸の箱があるんですけども、これはその石鹸屋さんがこの箱を
[青山吏枝]
中身を、そうですね、中の石鹸を作っていただいて、自分たちのプロダクトをパッケージにも利用してっていう商品ですね。
[江良]
これはでもお二人がデザインされたんですか?
Key Words:
からすみ, 原川慎一郎, 「Strawberry Fields Forever: Take 4」the Beatles, Bach, Stevie Wonder, 「Part time lover」, 「Superstition」, Vaundy, SIA, ビョーク, 「初恋」, たかはしよしこ, 「ブルーロック」,「僕のヒーローアカデミア」, 「SPY×FAMILY」, 「ジョジョの奇妙な冒険」, 岸辺露伴, ドラゴンボール, 「分解の哲学」藤原辰史, 「人間は料理をする」マイケル ポラン, 中沢新一, 「カイエソバージュ」中沢新一, 「地球の論点 - 現実的な環境主義者のマニュフェスト」スチュアート ブランド, オフグリッドハウス, antlercrafts, 小野寺望, 志賀理江子
[中馬]
すごい。
[江良]
同じ年に、RIBA、これはロイヤル インステュート オブ ブリティッシュ アーキテクツ(Royal Institute of British Architects)、英国内建築学修士プロジェクトの優秀賞を受賞。その後タイに移住されて、2004年から2008年にKMUTT、これはなんて言うんでしたっけ。
[オオニシ]
キングモンクッド工科大学(King Mongkut’s University of Technology Thonburi)の略ですね。
[江良]
はい。の建築学科で教鞭をとられていました。2008年から10年までそちらでアーキテクチャル エクスペリメンタル ラボのディレクターを務められて、2010年にエネルギーをデザインする会社、エナジミート、エネルギーミート?
[オオニシ]
エナジーミート(ENERGY MEET)。
[江良]
エナジーミート、ごめんなさい。エナジーミート(ENERGY MEET)を蘆田
[オオニシ]
蘆田暢人と呼びます。
[江良]
蘆田さんと共に立ち上げられました。それで3.11以降国内でもエネルギーが重要な社会課題となりエネルギーデザイン領域の確立のための活動を続けられています。慶應義塾大学環境情報学部准教授を2014年から20年まで務められて、現在昭和女子大学の環境デザイン学科の准教授を務められています。国際間産学連携プロジェクト創出プログラムEDN (Energy Design Network)をKMUTTの教員メンバーと立ち上げ共同ディレクターも務められています。
[オオニシ]
長かったですね。ありがとうございます。丁寧に。
[江良]
いやいやいや、ということで今三軒茶屋にある昭和女子大学のオオニシ先生、オオニシさんの研究室にお邪魔しています。なんかあれですよね、ちょっと研究室というより、ちょっとピンクのネオンのイナズママークとか
[中馬]
青いイナズマとか
[オオニシ]
そうそうそう。
[中馬]
あとなんかトリプルエックス(XXX)。
[オオニシ]
トリプルエックス(XXX)はちょっとやばいですよね。笑
[江良]
でもやっぱり、元、今プロフィールもご紹介しましたけど、もともとは武蔵美ということでデザインから入られてるんですよね?
[オオニシ]
僕の思考回路は割と受験を振り返ると、絵をトレーニングしてデッサンをトレーニングして大学に入ったっていう記憶ですので、色々と本を読んでとか、なんかそういうそっち方面の知的な探求で大学に進学したわけじゃないっていう辺りが多分今の僕を。
[江良]
いや、でもさっきちょっとスクラップブックみたいなもの拝見しましたけど、すごい当たり前だけど、
[中馬]
絵が
[江良]
絵がうまい。
[中馬]
うまい。
[江良]
もし写真撮ってよろしければ
[オオニシ]
もちろんです
[江良]
一瞬、後で写真撮って、ウェブで見ていただきたいと思うんですけど、そもそも大阪で生まれてそっちの絵のほう、というかデザインのほうに進まれたのは、そもそも絵がお好きっていう結構シンプルな、そこで何か小さい頃にそっちに行くきっかけとか、もしくはこういうデザイナーとか画家が好きだったとか、大学に行く前の時のエピソードを教えてもらってもいいですか?
[中馬]
それはすごい興味がありますね。
[オオニシ]
すごいな、こっから行ったらもう何時間かかんねん 笑
[オオニシ]
いやでもここの話、僕も好きなんで。
[江良]
そうですか、ちょうどよかった。
[オオニシ]
僕が進学した高校がプチ進学校というか、もうちょっと頑張れば関西でいう私立のいいところに行けるみたいな進学校だったんですよ。でも僕は残念ながら高校2年生ぐらいからスケボー始めて、成績もどんどん落ちて、進学をほぼ諦めつつあるそういう感じの高校生だったんですけど、美術の成績がよかったんですよね。僕本人は絵が好きっていうだけなんですけれども、あまり美術の成績がいいっていう自覚もなく楽しんで高校生活を過ごしてたんですけど、スケボーで骨折してスケートもできないし進学も諦めたっぽいしどうしようかなって思って松葉杖をつきながら廊下を歩いてるときに、美術の先生が後ろから、おいって、大西ちょっとこい、とかって言って美術研究室みたいなところに連れてってもらって、大西は美術の成績がいいし、デザインっていう職業につきたいんであれば美術大学っていう進路の選択もあるんだよっていうのをそこで教えてもらって。
[江良]
へえ
[オオニシ]
そうなんですよ。本気だったら放課後にデッサンを教えてあげるから、美術大学目指すんだったらこっちに来い、とかって声がけしてくれた先生がいるんですよ。
[中馬]
ドラマのような。
[オオニシ]
そうなんですよ。
[江良]
唐突にというか、脈略もなく。でもやっぱりオオニシさんの絵を見ていいなと思っていたし、やっぱりスケボーやって、成績落ちやがってるなとか、しかも骨折して。
[オオニシ]
いろんなネガティブなオーラが背中から出てたんだと思いますよ。清田雄司さんっていう版画家の方で、高校の外でも活躍されている方なので、もし検索したりすれば出てくるかもしれないんですけども、大英博物館にも作品が2,3点収蔵されているくらいすごい方だったんですよ。
[中馬]
かなりご高名な。
[オオニシ]
はいそうなんですよね。でも高校生の年齢ではそこまでわからないんで、ちょっと運命的な出会いをしたじいさんぐらいの、ことでしか感じてなかったんですけど、そこで一浪したんですが、清田先生の下で絵のトレーニングを受けて、憧れていた東京の美術大学で、武蔵野美術大学に入学することができたっていうのが、大学までの経緯ですね。
[江良]
なるほど。
[中馬]
まだ、1行目ですね。笑
[江良]
じゃ、次、次いくんですけど、やっぱりそっからこう、イギリスに建築を学びに行かれるわけですね。そのデザインと建築、これ最終的にこのエネルギーデザインってところに、オオニシさんのたどり着くところの、旅をみんなで一緒にシェアしていきたいんですけど。次のこの、建築っていうのはどういう。
[オオニシ]
はい。これ、進学した学部学科が、工芸工業デザイン学科っていう学科なんですね。今でも武蔵美で存在してる学科なんですけども、これ、この工芸も工業も両方学べるという意味では非常に学べるレンジが広い、楽しい学科だったんですよ。
[中馬]
たしかにそうか。両方、手仕事と。なるほど。
[オオニシ]
はい、そうなんです。工芸は割と、作家性が高いというか、例えば木工だったりとか金属加工だったりとか、様々な素材に触れて、染色もありましたし、陶芸もありましたし、だからもう本当に作家性の高い領域ですよね。そういったところもありつつ、工業デザインっていうのはインテリアデザインとプロダクトデザイン、がありますんで、やはりその企業に就職するだったりとか、クライアントありきの仕事だったりとか、そういったなんかものと、それと、作家性の高いもの、みたいなものが両方、最初の1年生から2年生の2年間のプログラムで全ての体験をまず、できるんですよ。
[中馬]
全部やるんですか?
[オオニシ]
はい
[中馬]
そうなんですね
[オオニシ]
はい
[江良]
すごいですね。
[オオニシ]
そこで自分の最初から興味を持っていたものと適性みたいなことを比べながら、3年生から専攻にわかれていくっていう、そういう流れなんですよね。で、僕は、空間のデザインに興味を持ったので、最終的にはインテリアデザインのコース、に参加して、そこで卒業するんですけど、インテリアデザインコースだと、やはりデザインの対象が空間なんですが、やっぱり内装空間というかインテリア空間になりますよね。で、そこでやっぱり外もやりたいってすぐなりますよね。そういう経緯もあって、イギリスに建築留学っていう流れになるんですけれども、はい。
[江良]
イギリスでは何年間ぐらい勉強されたんですか?
[オオニシ]
在学していたのは合計で4年間ですけれども、前後合わせて7年ぐらいイギリスに住んでましたね。
[江良]
へえ
[中馬]
ここではどんなことを。
[オオニシ]
はい。AAスクールはユニークな学校なんですけども、これカレッジでもユニバーシティでもなく、アソシエーションという名前が入っている通り、建築の、学校というよりかは、学校の創設のきっかけなんですけれども、建築を学びたい学生たちが集まってお金を出し合って、自分たちで先生を選んで、僕たちに建築を教えろ、っていうふうな形でスタートしたのがこのスクールの始まりなんですね。学校の始まりで、を考えるとちょっとユニークじゃないですか?学校って大体、先生どもが作って学生どもを招き入れるというか、呼び込むみたいな形なんですけども、学生たちから作ったっていうのがやっぱこのアーキテクチャルアソシエーションのやっぱ面白いところ、AAスクールの面白いところなんですけども。そういった形なので、生徒も先生のことを批評し、クビにすることもできる、ますし、もちろん先生も優秀ではないというか、努力をしない学生をキックアウトすることもできるっていう、ものすごい厳しいジャッジを最終的には行えるシステムを持っている学校なんですよね。はい入学はめちゃめちゃ簡単なんですけど、あの進級と卒業が難しい。
[江良]
難しい。
[オオニシ]
そういったところですね。
[江良]
でもね、その中であの、さっきもあれしましたけど、コンペティションの賞を取られたりとか、されてますけど、ここでこう、このあとね、タイに移られていくわけですけども、どういうような、このときはこう、建築を学んでいく中で興味だったりとか、そもそもどんなプロジェクトで、優秀賞を獲られたかとか、どういうようなこう、イギリスにいた若きオオニシさんは、フォーカスがおありになったんですか。
[オオニシ]
そうですよね。僕が建築を勉強したくなった理由も、どちらかというとやっぱり工芸工業デザイン学科っていう、比較的身体スケールというか、インテリアスケールというか、あまり大きな高層ビルを設計したいとか、でっかい図書館やってみたいとか、何かそういう思いで建築を見つめたことは実はなくて、割と小さなスケールなんですよね。だから建築、AAスクールに進学しても、僕はあまり、だから大きなスケールのものは選ばずにやってきたんですよね。で、最後、賞を取ったきっかけになったプロジェクトは、その当時トルコで大きな地震があってトルコもやっぱりね、あの地震の多い国ですよね。
[江良]
そうですね。
[オオニシ]
10年おきぐらいにやっぱりドカーンと揺れてるんですけれども、僕が卒業する1年前のタイミングでトルコで地震があって、ロンドンからクラスのメンバーと一緒にその震災地被災地の視察を行って、僕は最終的に、空気で膨らむ補強構造材のようなバルーンのようなものを半壊した建物の中に、封入して、半壊した建物ってやっぱちょっと、何て言うか、処分が難しいんですよね。全壊してしまうと、潰してしまえばいいんですけれども、半壊したものっていうのは入居できないですし、取り壊しにコストがかかりますし、誰もそんなことをしたがらないですし、そういったものをどうやって延命させるかっていうプロジェクトなんですけれども、そういった半壊した建物の中に崩壊しないように空気バルーンをたくさん封入し、その後そのバルーンの上から建物ごとをまた新たにコンクリートを流し込んで、
[中馬]
補強していくってことですか?
[オオニシ]
そうです。
[オオニシ]
コンクリートが固まれば、中が何かその、丸い球体で囲まれた洞窟空間のようになるんですけれども、そういった形で半壊した建物を少し延命させて使っていきましょう、というプロジェクトをやったんですね。
[江良]
なるほど。
[オオニシ]
はい。だからま、建築って言ってもね、ビルディングに興味があまりないって言いましたように、そういったなんかこう緊急時にどういうふうに建築家としてアクションが取れるんだろうというのを考えて、たどり着いたプロジェクトなんですよね。
[江良]
なんか普通ね、元々でもねデザインとか建築とかもね、結構何か綺麗なものを作って、その意匠をみんなにね見て、何か綺麗さを共有したりとかね、やっぱりこうそういう方向のね方も多いなかでいうと、でもこうねその時点でも、結構ソーシャルなことですよね、それでやっぱりこう、どういうふうにその緊急時に役に立つかみたいな、そういうのはもう結構一番そのイギリスにいたときからそういうようなものが生まれてきたのか、結構生まれもってなのかとか、そういうのっていかがなんですか?
[オオニシ]
そうですね。でもやはり影響は、どなたかからの影響は受けてるんですけれども、坂茂さんという建築家の方が、もう紙のパイプで緊急時のシェルターを既に作られていて、僕もイギリスに学生で住んでいる頃に、坂さんの展示があるということで、紙のパイプのお家を組み立てるボランティア学生としてギャラリーまで建設作業しにお手伝いに行ったことがあるんですけれども、やはりそういう体験を通して何か坂さんのようなビッグネームの方でも、こういった被災地に対して的確な素材を使って決してフォトジェニックじゃない建築物でも世界から注目されているみたいなアプローチにすごい感銘を受けて、ていうのはありますね。
[江良]
なるほど。いや、でも本当に、素敵な。
[中馬]
素敵です。
[江良]
なんか今にもこう、通じてるものがあるような気もしますけれども。それで、
[オオニシ]
はい。
[江良]
タイに今度ね、
[オオニシ]
はいそうですね。
[江良]
移ってくる、そこで多分いろんなものをまた見てくる、そもそもなぜまたタイに移動されたんですか。
[オオニシ]
タイに移住したきっかけはそんなに熱い思いがあったわけでもなく、これもまた運命ですよね、どちらかというと。
[オオニシ]
ロンドンで建築の勉強を終え、1年間、向こうでフリーランスで活動していたんですけれどもそろそろビザも切れるし、どうしようか日本に帰っても日本の建築界もやはり充実してるじゃないですか。やはり日本の建築界は学部、大学院を卒業して、そして大きなアトリエに入って、有名な方のアトリエに入って修行するっていう王道の、ルートがありつつ、僕はもうそこを最初から踏み外してるというか、そもそもそこに入っていないので、どんなふうにね、建築家として日本に帰ってきてキャリアを積めるのかっていうことに、ちょっと不安を感じていまして、AAスクール時代の友達に日本に帰りたくないんだけど、なんか僕の手伝えるプロジェクトがあったら呼んでくれっていうのをいろんな友達にメールしたら、タイの友達が、うちにあるよって言ってくれたので、これは何かのご縁かなと思って、決して志高いわけじゃないんですけれども、タイの友達、親友で、僕よりも1年先に卒業して自国に帰られて、やはりタイで留学するクラスの方なので、帰国するとやはりいろんな家族の方から、セカンドハウスの設計だったりとか、いろんな大学での教鞭のお仕事だったりとか、そういう形ですぐに建築界で活躍始めてる友達だったんですけど、そのお友達を頼りに6ヶ月の約束でタイに移住しました。
[江良]
はい
[中馬]
6ヶ月だったんですね。
[江良]
それはもう、いわゆるフリーで、ま、もしくは彼の事務所で、いわゆる設計のお仕事をされてたんですね
[オオニシ]
はい。
[江良]
それがこう、あれよあれよとこう、え何年ぐらいいらっしゃったんですか、2010年だか2011年だか、
[オオニシ]
2001年
[江良]
なるほど。
[オオニシ]
タイに移住したのが2001年ですね。911ですよね。911のタイミングでイギリスでワールドトレードセンターが崩壊するのを見て、その建築を勉強してる我々からしてみると、割と象徴的な出来事ですよね。見事に上から綺麗にフラットになってしまうんですけども。そういうものと建築に憧れてきた何か思いみたいなものの断絶みたいなのもありながらも、イギリスというかヨーロッパでの建築との向き合う時間というのは、そろそろお開きかなっていうタイミングと、それとタイという、僕はタイ料理が日本に住んでる頃から大好きだったんで、なんかこの料理は好きでも、やっぱりカルチャーとしては未知の国ですよね。だからちょっと一つ挑戦してみようかなっていう思いと、もあってタイに移住したんですけれども、6ヶ月の約束ですよね。だからもうそもそも、6ヶ月たったら、イギリスに帰ってくるつもりで。
[中馬]
またイギリスに、そのあと戻る予定だったんですね。
[オオニシ]
そうです。
[オオニシ]
だから住んでたところも、6ヶ月分の家賃は無駄になりますけれども、でも引き払わずにそのままの状態でタイに行ったんですが、ご存知のようにあの6ヶ月過ぎても帰る様子もなく、6ヶ月以上経ったタイミングで、そのタイ人の友達から「タクどうするんや?」と。笑
[オオニシ]
僕はもうずっと彼の実家に居候してたんで、笑 朝起きると、なんていうんですか、お手伝いさんが朝食を作ってくれていて、
[中馬]
最高ですね。
[江良]
パラサイト系ですね。
[オオニシ]
そうなんすよ。でもまぁ「タクどうする?」とやんわりと、そろそろお前も動けっていう話になったんで、本格的に動こうと思い始めたんですけれども、その時も既にキングモンクット工科大学の先生と知り合いになっていて、ちょうどインターナショナルのコースなので、英語で教えられるんで、うちの大学で教えませんかっていうオファーをいただきはじめて、少しワークショップを行ったりとか、勉強会を行ったりとかっていう形で緩く関係を続けながら、というのがまぁあっての、2004年からの専任で着任するっていう流れになりますね。
--- 学校のチャイムが鳴る ---
[江良]
なるほど。あら。
[オオニシ]
ちょっと停めましょうか。
[江良]
どうかちょっと味がある。
[中馬]
いいですね。何なんですか?
[オオニシ]
これは6限目のスタートのチャイムですね。
[江良]
まだやるんだ。
[オオニシ]
はい、でも6限授業なかなか無いんで。
[江良]
しかもなんか、
[中馬]
パイプオルガン的な音も流れたりして、6時10分ですね。
[江良]
なんか、キリスト系の学校ではない?
[オオニシ]
ではないんですけれども、でもあの休み時間になると、チャペルの鐘の音が鳴ったりとか。
[江良]
チャペルあるんですか?
[オオニシ]
無いんですけれども、それを模したベルが屋外にあって、それが時々なってたりとか。
[江良]
なるほど、やっぱり女子大だけあって何かこうね
[オオニシ]
優雅な。
[中馬]
終わる音のような気もしますけど。
[オオニシ]
これ一度起立して、礼する感じなんじゃないすか。
[江良]
はい。はい、でもタイね、そういう意味で言うと13年?
[江良]
13年ですね。
[中馬]
6ヶ月の予定が。
[オオニシ]
そうですね。
[江良]
ここであのね2010年から、そのエネルギーをデザインする、エナジーミートを作られていくわけなんですけど。そこにこう、どういうふうな、多分タイでいろんなこう、またね、出会いというか運命がおありになったんだと思うんですけど、そろそろこのエネルギーにどう繋がってきたかという方向に。
[中馬]
建築からね、エネルギーに。
[オオニシ]
そうですよね。はい。キングモンクット工科大学で自分のゼミのようなものを持ちながら、パッケージ、建築のパッケージ化っていうことをうたいながら、いかに小さく折りたたんだものを現場に持っていって展開するか、みたいなことをずっとやっていたんですけれども、それは全然関係ないです。そういった大学で、まデザインを教える仕事を続けているうちに、タイの大学ってやはりまだまだ日本の大学と違って、進学できる人、つまり熱意があり、経済的にゆとりがありっていう人たちがやっぱり大学に来ているんですよね。その社会構造を見てみますと、やはり貧困地域のエリアもたくさん残されていて、インフラが整ってないところもたくさんあって、進学したくてもできない子供たちがたくさんいる社会なんですよね。そういったところで災害があったりとか、もしくはインフラが整っていないので、そのエネルギーを普及させるための活動だったりとかっていう、そういった社会貢献プロジェクトみたいなものを積極的に大学は取り組んでるんですよね。それはおそらく、もう彼らは自分たちのミッションだというふうに思っていると思うんですよ。
[江良]
なるほど。
[オオニシ]
はい、日本の大学で生活していて、社会貢献プロジェクトが頻繁にそこらじゅうであるっていう風景ってあんまり見ないと思うんですけれども。
[中馬]
そうですね。
[オオニシ]
はい、タイの大学ではやっぱりそういう点では頻繁に見る機会があったんですよね。洪水になると、例えば北部の方で洪水が始まるとかなると、もう大学の正門の横に白テントがぽんとできて、そこでボランティアの学生がテーブル出して、水と衣類をここで受け付けるんで、皆さんここに持ってきてください、みたいな活動をすぐに行ったりとか、そういったものを頻繁に見ていると、その社会課題と、それとまぁアカデミックなフィールドとの関わり方、そして僕で言うとデザインとの関わり方、みたいなのをぼんやりと考える時間ってのがありました。
[江良]
なるほど。ちょっとそれは国民性なんですかね?そのなんていうの。
[オオニシ]
そうですよね。90何%ね、仏教徒なんですけれども、タンブンっていう言葉がありまして、お布施っていう意味なんですけれども、お坊さんが、歩いてると、タンブン、お布施をしますし、路上でホームレスがね、お金をくださいっていうと、そこでもやっぱりタンブン、お布施っていう気持ちで、お金をポンと出すんですよね、タイの方々は。だからそういう意味では自分が恵まれた立場にいて、で困ってる人がいたら、タンブンするっていう習慣は非常に強くありますよね。
[江良]
なんかね、そういうね、北部で洪水があるから、すぐに動こうみたいので、自発的に起きるってのは素晴らしいカルチャーですよね。
[オオニシ]
ですよね。
[江良]
うん、なるほど。でその中で、こうエネルギーみたいな方向に向かっていくんですか?
[オオニシ]
そうですね、なんか、このデザインかっこええやろう!って言ってた自分から、少しずつ何かこう、なんていうのかな、距離が出来始めるというか、自分の中で分離が始まるというか。そういった何かこう、ボランティア活動とかを間近で見ていて、何か自分が運んでるラップトップの中に、3Dモデルがあってそれがレンダリングされてかっこいい都市の背景と合成されて、なんかかっこいい画を作ることが、ちょっとずつ馬鹿らしくなってくるのと、それとあの何かやはり、一品ものをデザインしてひたすらそれを繰り返していくっていうものではなく、何かシステムそのものを、アイディアそのものっていうんですかね。システムそのものアイディアそのものを構築するための、何か創作活動というか、そういったものにしていくには、何がいいんだろうっていうテーマ探しみたいなものもやっている中でのエネルギーじゃないかなっていうふうに思い始めたのがあの2010年頃ですね。
[江良]
うん。ね、あの、今回オオニシさんから、「エネルギー アトラス」っていう。これはプロジェクトですね。
[オオニシ]
はい。
[江良]
について、あのこれWebでもみなさん見れるんで、ぜひkurkku alternativeのWebサイトからリンクで見てもらいたいですけど。
[オオニシ]
嬉しいです。
[江良]
これはいつ頃の、このまとめられたものなんですか?
[オオニシ]
これはですね、2014年の慶応大学環境情報学部に着任したタイミング以降からスタートしたものなんですが、エネルギーデザイン、エネルギーデザインって言ってても、学生たちもよくわからないですし、当然僕も明確に説明できない、でも何かエネルギーっていうところに非常に高いポテンシャルを感じるんだっていうことで始めたラボなんですけれども。手探り状態の時期ですよね。2017年頃に、1人の学生がエネルギーの歴史をちょっと調べてみるわっていうので、調べてきたのがきっかけ、なんですよね。だからその学生は非常に何かこう、頑張って、1人でたくさんの事例を探してきて、その宇宙の始まりから、今日の人類が繁栄している当時2017年までのエネルギーに関するトピックを網羅的に調べてきて、そこで最初にわかったのが、どうやらエネルギーデザインって言っても、ソーラーパネルとかウィンドタービンとかっていうものだけが、電気を生むものだけがエネルギーデザインじゃなさそうだっていうことを探り当てた、のがその学生ですね。
[江良]
なるほど、なるほど。やっぱりね、この何ていうか本というか、そのプロジェクトがブローシャー的に何ページあるんですか?
[中馬]
多分すごいページ数あるんですよね。
[江良]
何百ページか、あるんですけれども、ええと、まあねやっぱいろんなエネルギーおっしゃった、エネルギーの歴史が、昔からいろんな実例がね出てきているんですけれども。
[オオニシ]
事例集をまず、たくさん、事例をたくさんリサーチして、たくさんのリサーチが、やがて面的に見えてくるんじゃないかなっていう意味で人海戦術的に。
[中馬]
もう事例だけをとにかくずっとピックアップし続けて。
[オオニシ]
そうですね、はい。
[江良]
僕たちはね、エネルギーっていうとやっぱ基本的にはまず、電気のことだと思いますよね。あとはやっぱり、都市でいうと都市ガス?
[中馬]
ガス、あと車?
[江良]
ガソリンね。
[オオニシ]
そうですね。
[江良]
何かそういうものでこう、何か暖めたり、明るくしたり、物をこう移動させる、動力っていうようなものを、エネルギーというふうに、ま思ってるんですけども、今ねオオニシさんおっしゃったことからすると、何かそれ以外の、いろんなものが、エネルギーだみたいなことで言うと、ここだとね、なんかいろいろコミュニケーションとかね、いろんなものがこうエネルギーの事例として出てくるんですけど。このオオニシさんはこう、そもそも今エネルギーってものは、どういうようなこう定義というか、何かどういうものとして捉えてらっしゃるんですか?
[オオニシ]
難しい質問ですね。笑 そんなの答えられるかい!って。笑 そうですよね。もうほんっとに何か言語化できるといいんですけれども。
[江良]
触りでもいいので。笑
[オオニシ]
エネルギー革命で言うと、なんか最初は火、その次は木炭、石炭とか、その次はオイル、ガス、で原子力。みたいな、なんか四つ五つぐらいがエネルギー革命なのかなっていうふうに捉えてたんですけれども、面白い本に、2017年頃出会いまして、それがこの「エネルギーの征服、成熟と喪失の文明史」っていう、本なんですよね。これも古い本でもう70年代の本。
[江良]
これあれですね、エネルギーアトラスの最初の方に、載ってたやつですよね。
[中馬]
載ってましたね。
[オオニシ]
そうなんですよね。
[オオニシ]
この本との出会いというか、この文化人類学に基づいた本なんですけれども、このアンドレヴァニャックさんがまとめた、エネルギー革命の分割の仕方が非常にユニークで、非常に示唆に富んでいた、ということで、このエネルギーの歴史を、この彼の作った、エネルギー革命の回数ですよね。なんかここにまとめてあるんですけれども、一つ目はやっぱり火ではなくて、道具の利用っていうものが、エネルギー革命だったんではないかっていうことを言われていて、まぁそうですよね。
[中馬]
石の斧みたいなやつですか?
[オオニシ]
はい、何かその木の棒一つにしても、例えばその、土の根っこをこう掘るときに、指で掘れないものを、てこの原理で掘るだったりとか、そういったこともやっぱりエネルギーですし、
[江良]
そうですよね。
[オオニシ]
はい、つまり何か身体だけで実現できないものを、身体以上のものを道具などを使って達成するっていうことは、もう既にエネルギーデザインなのである、というようなことをこの本では書かれていて、ちょっと一番びっくりしたのは、この表紙にもあるんですけども、これ奴隷がね、大きな石を引いてるイラストが書かれてるんですよね。
[中馬]
確かにそれよく見るとそうですね。
[オオニシ]
奴隷もエネルギーデザインだって言えちゃう時代だったんですよ笑。
[江良]
おっしゃる通りですね。
[オオニシ]
今こんなことまぁ堂々と言うのはちょっと難しいかもしれないんですけれども。つまり権力を持っている人が、自分1人で達成できない仕事を達成するためには、やはりこういった社会システムが必要なんだ。それを作って実現した、っていうのは、やはりエネルギーデザインした、してたんだっていう話があるのに、ちょっと衝撃を受けてというか、確かにちょっとポジティブなショッキングとネガティブなショッキングが同時に起こるじゃないですか、これがこの本の面白さだと思うんですけど、そこでちょっと彼の考えをまとめてみようということで、一つ目のエネルギー革命は道具、二つ目は火の獲得、三つ目が農耕、牧畜の始まり。四つ目が火の産業利用なんですよね。だから、この火の獲得、二つ目のこれは、なんか肉やいたりとか、
[中馬]
調理か。調理ですね。
[オオニシ]
ですよね。それだけではなく、やはり高熱で銅を溶かすだったりとか、鉱物をそこから抽出するだったりとかっていうのは、やっぱり産業利用になるので、分けなければならないであったりとか、それと火薬ですよね。これも、読んでるとやっぱり戦争の話しか出てこないんですけれども、でもやはり戦争の構造、火薬の構造で、都市が変わり、国家が変わってきたっていうことを考えると、やはり火薬もエネルギーデザインの一つなんじゃないかな。そして我々がよく知る、石炭、蒸気、オイル、ガス、電気。そして原子力。そして今、我々はこの再生可能エネルギーに近いもの。そして今後おそらく情報などに展開していくんじゃないかなっていうふうな仮説のもと、ここにどれだけの事例をプロットできるかっていうのを集め始めたのが、「エネルギー アトラス」の第一歩目ですね。
[江良]
なるほど。いやでも確かに、なんかもう、このエネルギーの征服の、この(表紙の絵は)何なんですかね、どこなんですか、これ?
[オオニシ]
これね、どこなんですかね?
[中馬]
エジプト?
[江良]
イメージとしては、ピラミッドのなんかね、石をみんなで運ばせてる、大きな石の移動エネルギーに奴隷がなってるってことですよね。そう考えると、本当に、あ、アッシリアですね。アッシリア。いやでもそう考えると、本当に、なんですか
[中馬]
いろんな解釈が
[江良]
そうですね。あの聞いといてなんですけど、エネルギーって何ですかって、すごい難しい質問ですよね。なんかこう、多岐に渡りすぎちゃって。
[オオニシ]
そうですよね。一言では言い切れないんですけれども、でも、循環、なんですよね。何か一つの形から、次の形に変わるときに、そのエネルギーを抽出しやすくなるということを考えると、やはり循環のデザインみたいなのがエネルギーをデザインしていく一つの考え方というか視点になってくるのかなと。
[江良]
その、一つの形から、一つの何かにこう抽出、ごめんなさい抽出しやすくなるっていうのは、ごめんなさい、もう少し僕の頭に理解しやすく、もうちょっと
[オオニシ]
そう、そうですよ。僕もなんかよくわからないから、抽象化して逃げ切ろうかなと思っただけで。笑
[江良]
多分今すごいな、なんかこう、核心的なところに、お、みたいなかんじだったんで、もうちょっとこういってみると
[オオニシ]
はい。
[江良]
エネルギーと循環っていうのが、どう結びついてるんですか。オオニシさんの頭の中では。
[オオニシ]
いやこれもね、どう言語化しようかな。うん。
[江良]
だいぶ、あれでいいですよ。こう、なんていうの。
[オオニシ]
やんわりぼんやりですか笑。
[江良]
イメージな感じとか。
[オオニシ]
ちょっとその、エネルギーそのものの前に、あの、環境デザインっていう言葉があるじゃないすか。環境デザイン、という言葉は、とっても大切だと思うんですけれども、それもやっぱり難しいテーマだなというふうにずっと思っていて、で、手を出しあぐねていたというか、だからまぁエネルギーデザインというものに出会う前からも、やはり当然ね、環境デザインというものも、耳に入ってきますし、興味も持っていたんですけれども、環境デザイン。というのは。
[江良]
うん。でもさっき言ってた、例えばそのイギリスでやられてた、その半壊のね、トルコのところでこう何て言うの、
[オオニシ]
バルーンを打ち込んで
[江良]
社会課題、なんていうのかな、そういう地震みたいなことが起きた地域で、なんかそういうね、環境問題解決していくみたいなことでいうと、やっぱりオオニシさんのこれまでやってきた中でいうと、だいぶもうなんか、そっち側にはもう、足はだいぶ突っ込んできてる、ねいわゆる何か生態系云々とかそういうデザインもあるでしょうけど。多分こうね。だいぶ家の形、造形物を作るというよりも、何かもうそこにある環境、なんかいろんな意味での、そこにある状況を、何かデザインするみたいのは、なんかね、すごい、そういう方向に何かこうね来られてた気は、何か話うかがっているるとしましたけどね。
[オオニシ]
ありがとうございます、何かヒントになりました。笑
[オオニシ]
あのミッション達成、っていうものの評価軸が、僕のデザインの中で非常に大きいんですよね。で、だからトルコの地震のプロジェクトもそうですし、タイの大学が取り組んでいた、その社会貢献のプロジェクトっていうのも、やっぱりミッション達成の、非常に大きな目的を持っていて、それの達成を、達成にリーチしたときに、向こうの方からも感謝され、我々の方でも、達成感を共有しながら、また先に進んでいくっていう、なんかミッション達成ってやっぱり非常に大きな、何か僕のモチベーションになってるんですよね。で、それ以外のもの、定性、デザインって非常に定性的で美しいでしょ、とかっていう部分もたくさんありますし、そこら辺がちょっとインチキくさいというか、ってそうなんすよ。環境デザインっていうと、ミッション達成感があんまりないというか、インチキくさいというか。エネルギーデザインっていう言葉で何か考えると、ミッション達成感が非常に明確になってくるっていうのはありますよね。だからまぁ、CO2を例えば削減していきましょうというお話も、何か環境のアプローチで、ぼんやりとした価値観を、ぼんやりとあの何て言うんすかね、飾り付けて、ぼんやりとプレゼンテーションするよりも、CO2の削減を考えて、エネルギーをこういうふうに、使おうとか、デザインしましょうっていう方が、ミッション達成がわかりやすいというか、なんか思考しやすいんですよね。だから環境デザインに、勢いよく足を踏み込めなかったんだけれども、エネルギーデザインって割とドライな対象物になったときに、何か飛び込んでいく勇気ができたっていうのがありますね。
[中馬]
割と定量的に見るっていうか、なんかその、さっきおっしゃってましたけど、デザインが結構そう定性的なところがあってみたいな、割と曖昧でみたいな、ちょっとお話があったとおもうんですけど、わりとこう、もっとこう、それをすることで定量的にこう、何かこうしっかりと物を見ることができるみたいな、何かそういうエネルギーを使うことによって、そういうふうな方向に行けるんじゃないかっていう、そういう
[オオニシ]
そうですよね。あの自分が実現できてるかどうかっていうのはさておき、そういう視点でプロジェクトの判断を決定していくっていうのは非常に憧れますよね。でも、こんなこと言ってますけど、ぶっちゃけて言うとデッサンをして大学に入った人間なんで、もう定性的な概念に振り回されまくってるんですよ。そもそもどうやったって最後かっこよくしてしまいがちですし、そんな中で戒めのために、やはり、やはり定量的に、例えば最軽量にしないと駄目だったりとか、このサイズに収めないと駄目だとかっていうものの方が、なんか僕としても最後悩まずに、答えを出せるっていう意味では、ミッション性の高い、何かそういったプロジェクトに挑んでるときの方が気持ちがいいですね。
[江良]
でもあれだね、例えばそのミッションがでも、もうミッションっていろいろね、もちろんいわゆる普通のねプライベートの株式会社でもミッションってあるし、ミッションってなんていうの、例えば、もうこれ1時間以内に残さず全部食べなさい、みたいなね、そういうのもね、ミッションですよね。
[オオニシ]
そうですね。
[江良]
つまり、いろんなね、自分の欲望を叶えるためとか、なんかね、好きな人に振り向いてもらうためとか、いろんなミッションの立て方ってありますけど。もうオオニシさんがミッションというときって、もう既に何かそれって、非常にソーシャルな中のソーシャルな公共的な利益だったり、なんかもうそういうことに結構限られてるような、今の話の流れだと思ったんですけど。それは何かこう、実際にオオニシさんとしてはそういう何かこう、社会的な課題を、社会的に誰かを、他の人を救えるような、ミッションみたいな、何かそういう枕詞もなんか自然にそうなってらっしゃる?
[オオニシ]
そうですね。ずっと大学で教えてる背景とかバックグラウンドありますんで、だからアカデミックな、視点から見えてくる社会課題みたいなのは、やはりそういうソーシャルなものが多いっていうのが、現状ですよね。
[江良]
社会課題みたいなものがやっぱり、何かその軸でミッションが、それはオオニシさんがこれは自分の中で納得して取り組めるミッションだみたいな、そういう選択をされてるんですよね。
[オオニシ]
そうですね。それと、エナジーミートっていう会社の理念でもあるんですけれども、ミーティングのミートなんですよね。だからいろんな人と一緒に出会ってやっていくっていうのが大前提だと思ってつけた名前なんですけども。そういう意味では、そのミッションっていうものも、僕1人が何かこう見つけてきてやるって決めるというよりかは、様々な関係の中で、こういうのがまたあるんだけれども、どう?とかっていう形で伝播して繋がっているっていう形ですよね。
[江良]
はい。そういうね、その素敵ですよね。何かこう今まで学ばれたデザインとか建築とかも含めて、何かね、こう周りのみんなが、解決したいことに役立っていくっていうのは、何かお仕事楽しそうですよね。
[オオニシ]
そうですね。何かプロジェクト終わって、若いメンバーとか見てると、幸せそうなんで良かったなと思います。笑
[江良]
うん、そうですね。でも本当になんか、インフォ、違う違う、あの「エネルギー アトラス」ね、非常にぜひ見ていただきたいけど、すごい絵が綺麗だしね。
[オオニシ]
ありがとうございます。
[江良]
グラフィカルですし。あと僕、最初にオオニシさんのこと、あのね、あの紹介してくださった方がいらっしゃって、その方経由で何かこう検索とかすると、すごいエネルギーの何かこうインフォグラフィックスみたいなね、何かそういうようなことも、すごいわかりやすく。
[オオニシ]
ありがとうございます。
[江良]
この今これ、エナジーデザインハブの、ですけれども、ね、すごいエネルギーがどこから来て、左にエネルギーのソース、どっからエネルギー作って、右側に何に使われてるかみたいなね。やっぱエネルギー、これ電気ってことですけども、やっぱりこうね、僕たちのレベルだとこう、すごいエネルギーって見えないものですから、やっぱりその、わかんないですよね。なんかスイッチポンってつければ、ポンって明かりつくし。まあね、そういうような世界だから、どういうふうにね、どっから来て、どうなってて、どこで使われてるかとか、僕たちが考える何か情報って、こういうふうにまとまってると、すごいよくわかるから、これぜひ見てもらいたいですけど。
[中馬]
すごく素敵に可視化されていて、本当にわかりやすい。
[オオニシ]
あの情報を伝えるっていうのも、我々デザインをやっている人間のミッションでもありますよね。なのでインフォグラフィックスは学生たちとも一緒に、こだわってやっているところですね。ちなみに今見られていたそれは、既にこの右上の、このLawrence Livermore National Laboratory っていうところが作った資料なので、これはスライドとして僕が使ったものなんですけれども、こういった見える化によって、いろんな人がエネルギーの大切さとか、難しさみたいなのに気づいて、取り組めるきっかけだったりとか、何かディスカッションするきっかけになればっていう意味で、やはりこう情報デザイン、可視化するデザインっていうのは有力なのではないかなと。いうふうに思っていますので、この「エネルギー アトラス」のこのプロジェクトも、やはりビジュアルにはこだわってやってるって感じですね。
[江良]
そうですね。これあの、アプリというか、なんていうの、つまりその、いろんな今までのあのエネルギー上の、人間の歴史の中、地球の歴史の中で起きたことをプロットされたものがあって、それがこう何だ、ちょっと口で説明するの難しいから、URLで見てもらえばいいですけど、時間を追うことに、そのものが流れてくる、ちょっとこれ説明が難しい。
[中馬]
難しいんですよ。本当に説明するの難しい。
[オオニシ]
ですよね。そうなんですよね。
[江良]
単純に、触ってくださいという感じなんですけど。
[江良]
ちなみにこれって、あの質問していいですか?
[オオニシ]
はいもちろんです。
[江良]
Technology, Society, Environmentっていう三つのキーワードで、その事象というか、これを分類されていて、それぞれの色が違ったりするんですけど。この分類って、何でこの三つの分類になられたんですか?
[オオニシ]
はい。いろいろ事例を調べて、それが群れになってくるというか、群になってくるんですけど、やはり学問の黎明期というのは、分類学から始まるじゃないですか。タクソノミー(Taxonomy)と呼ばれるものなんですけど、その分類をしっかりとすれば、その学問のツリーが成立し、そこに人が参加しやすくなるという意味では、このたくさん集まった事例をやはり綺麗に分類したいっていう思いが出てきて、このテクノロジーとエンバイロメントとソサエティと三つの分類に最終的には集約したんですが、これもでもあれですよね、調べているうちに、そうではない4分類にした方がいいだったりとか、違うワードでの3分類の方がいいんじゃないかっていうことは議論されていくことだと思うんですけれども。今のところ我々の調べた事例は、この三つのカテゴリーに収められていますね。
[江良]
なるほど。なんかたまにあの、すごい、ポッドキャストでやるのはあれなんだけど、なんか点々の円みたいなのが、ウワーッと。
[中馬]
出てくるんですよね、どんどん遡っていくとこう、出てきますよね。
[オオニシ]
出てきます。
[江良]
これ、なん、なんですか?
[オオニシ]
これは先ほど紹介しました、エネルギー革命の節目、
[江良]
ああ、なるほど、そういうことですね。
[オオニシ]
なんですけれども、はい。それもエネルギー革命もね、千何百何十何年って、ピタッとそのエネルギー革命がスタートしたっていうわけでもないので、ちょっとこう波打ってるというか、ふわふわしているという感じですよね。ま、この「エネルギー アトラス」の一番の特徴は、エネルギーの歴史をまとめるときに年表を作るんですけれども、その左から右に1本線で年表時系列に並べるってのが従来型の年表だと思うんですが、これは古い時代を中心に置き、そして一番最新の時代を一番外周に置く円形の年表にしているんですよね。だから、時間の経過が、水面の波紋が広がるように時間が経過していくっていう、そういうメタファーになってるんですけれども。その時間の経過と、外周に向かってどんどんどんどん近代化されていって、エネルギーに関わるトピックがどんどん増えてくるんですけれども、そういった姿が現れたときに、何かちょっと破壊的な感じなのか、爆発の途中のような破壊的な絵になるのか、もしくは未来の予測が、比較的、物理的にしやすくなる、だったりとかそういった、表像が現れてくるんじゃないかな、みたいなそういう予感というか、仮説のもと、円形の年表にしたっていうのが、ここの大きなアレンジが効いてるところだと思います。
[江良]
なるほど。いやでもこれ、今これね、聞いてちょっと触ってみていただいてる方も今いらっしゃると思いますけど、どんな、どんなふうに遊んでもらえるといいんですかね?
[オオニシ]
そうですよね。一番右、ごめんなさい、一番下にある、0から2021っていうのが、これが年表ですので、これでドラッグしていただいて、その表示範囲を限定することができます。
[江良]
どの年から、どの年ということですね。外周がとにかく新しいということですね。
[オオニシ]
そうですね。はい。それで、でもね、一応0年ってエネルギーの歴史でいうと、割と後半。
[江良]
いわゆる、西暦BCですよね。
[オオニシ]
そうですね西暦0年、
[中馬]
1202年より前に行くとこのフワーッって出てくるこの、
[江良]
これがだから、エネルギー革命の、これが火薬でしたっけ?1200年は?
[オオニシ]
1200年は、
[江良]
あれ火でしたっけ、火の産業利用?どっちだ。
[オオニシ]
火薬ですね。はい。
[江良]
いやあ、これは単純に綺麗ですし、なんかこう、ちょっとね、こういうちょっと宇宙的っていうの?神様的視点でね。こう、こういういろんなエネルギーの、ちなみにプロットがそれぞれね、プロットすると、どういうトピックなのかというのが、出てくるんですけど。
[中馬]
ちゃんと出てきてますね、そこに。
[江良]
何かそういうのを見ながら、ちょっと宇宙的視点で、こう、エネルギーとは何かという、専門家のオオニシさんでも、ちょっとこう言語化に迷うような、ま、非常に根源的な何かね、我々やっぱりエネルギーがないと生きていけない、と言われているし、でもね、どれぐらいエネルギーあればいいの?とか、なんていうのかなやっぱりエネルギーで本当にこう、僕たちが生きてる中で、どういうバランスが本当に最適なのかっていうことは、そのエネルギー源のことも含めてですけど。本当にあの、ね、具体的に僕たちが考えていくのって大事なんだけど、すごいやっぱり、あの、いろんなま僕たちが、環境問題のほうが専門、学術的に専門じゃないけど、取り組んでいる期間が長いわけですけども、やっぱりエネルギーの問題、ってやっぱり一番難しいよねって、僕たちのみんなで話してるときも出てくるんで、そういう意味だとね、あのこういう視点をちょっと変えて見てみると、気づきがいろいろあるし、本当にグラフィカルに綺麗なんで、気持ちいい。
[オオニシ]
ありがとうございます。
[中馬]
やっぱ何かエネルギーがその、なんていうんですかね、示している意味っていうか、割とそれがすごい本当に多岐にわたっているんだけども、実は割とその移動してるというか、何か線で繋がってたりするような感じっていうのが、なんかこの「エネルギー アトラス」を僕も昨日拝見していて、それがすごいなんか、見える化されていて、すごい面白いとかちょっと思ってたんですけど、そういう理解で合ってるんですか、これは。
[オオニシ]
はい、ありがとうございます。まさにその、今は分布、点が分布している羅針盤のようなものなんですけれども。将来的には例えばキーワードを検索すればそこで関連しているものが星座のように繋がっていく、それの情報をたどっていくと、一つ面白い知的なツアーができるだったりとか、何かそういったものも考えてますんで、まさに今、中馬さんがおっしゃった通りに、ちょっと展開していこうかなって思ってるところなんですよね。
[中馬]
ずっと見てられるなと思って、昨日見てたので。
[江良]
いや、本当にね、いやエネルギーって本当抽象度が高いというか、実態がないから、さっきおっしゃったような。
[オオニシ]
そうですよね。
[江良]
確かに環境ってのは、もっとさらに、こうねぼんやりと、なんだ、ま環境って全てなんでね、明るさから臭いが、その五感の全ての情報から、まあね本当に幅広すぎて、そん中でエネルギーて絞ってたとしてもさらにね、非常に広いんで、
[オオニシ]
でも面白いのが、そのエネルギー全般の話をしてると割と漠然としてるんですけど、「エネルギー アトラス」に行って、一つのトピックをクリックすると、割とリアルな蒸気機関が出てきたりとか、なんか圧力鍋が出てきたりとか、そこが、なんかこう、情報に触れた人が割とリアルに、何か体験できるというか、なんか面白いって思いながら、かつ引きで見るとなんかぼんやりとした姿で、捉えどころがないなんかっていうのが、なんかこの、「エネルギー アトラス」のもしかしたら面白いところなのかなと。
[江良]
それはすごい思いました。やっぱ具体的だから実感できますよね。僕たちがね。なんかこう、この今、中馬くんが出してる、Gaining the ability to communicate, 伝達力の獲得、これは、
[オオニシ]
そうですよね。これもいろいろ議論あるんですよ。学生たちが事例をたくさん見つけてきて、これを「エネルギー アトラス」の中に入れるか入れないか問題、みたいなものがあって、そこでの議論も、僕がトップダウン的に選ぶなんてことはなくて、毎年毎年、学生たちがそういった事例を調べてきて、学生たち同士でディスカッションしながら、こういった事例の中に入れていくかっていうお話ですよね。
[江良]
うん、でも確かに何かを伝えていくっていうことで、何か起きるというかね、何か起きるんであれば、確かにさっきの、アッシリアで石を運んで、なにかお墓か何だか作るぐらいなことと、エネルギーは確実にね、エネルギーの定義は広げて考えることは、全然できますよね。
[オオニシ]
うん、そうですよね。
[中馬]
なにかを達成するために。
[江良]
本当に、これ何個ぐらいの事例が今のところプロットされているんですか?
[オオニシ]
ここで、綺麗にビジュアル化されている事例としては、300、300って幅広いですよね。
[江良]
いやでも全然、全然200、300で、
[オオニシ]
200、300ページぐらいですよね。
[江良]
このアトラスのアプリ上だと、も、200、300ぐらいですか?
[オオニシ]
このアプリ上ですと、えっと125事例が出てますね。でもこれももう少し前のものなんです。
[オオニシ]
これが、何ページかあるんです。
[オオニシ]
アトラスのこれ、こっちの方ですよね。点がたくさんついてるやつですよね。これは2000事例くらい、人海戦術的に。
[江良]
これは、ビジュアル化、それぞれの蒸気機関車の写真はないんだけども、事例としては2000プロットされているということですよね。
[オオニシ]
そうですね。
[江良]
これ一つ一つ、多分見ると、僕たちなんか、あの手触り感持ってわかるから、本当に何か、何が、何が必要で何が適切なの、みたいなことは、もしこの2,000個全部これが頭ん中にギュッとインストールされたら、結構なんかすごいことが言えるようになるような気が。
[中馬]
これがすごいでかいタッチパネルになってて、ピッてやって、バッとでてきて、ヒュッヒュッヒュッみたいなことができるようになって。ずっといけますね。
[オオニシ]
最高じゃないですか。
[江良]
あれだね、国立科学博物館とかにインストールできそうなやつですね。お金集めてきたらどうですか、中馬さん。
[中馬]
いや、ちょっとね、僕自身がこれを体験したいやつですね。
[オオニシ]
実現したいですね。トピックの数としては人海戦術的にはもう割と限界に来ていて、まあね2000から3000、4000に増やしても苦労ばかりが目立つだけなんで、このアイディア、概念みたいなものを、これからたくさんの方と共有して、この情報のアップデートの数を増やしていって、面的にしていこうっていうお話もありますし、分類分けの精度をもっと上げていきましょう、というお話もありますし、そういった「エネルギー アトラス」のシステムそのものを、皆さんと今後一緒に考えていければいいなという意味では、クオリティ、ベータ版で、えいやって作ったものなんですけれども、ひろがっていけばいいなって期待してるプロジェクトですね。
[江良]
はい、ありがとうございます。じゃ、皆さんぜひ、見ていただいて、エネルギーとは何か、みんなで一緒に考えるような機会とかもね、何かあるといいですよね。
[中馬]
そういう機会はぜひちょっと、何かあるといいですね。
[江良]
うん。でもやっぱりその最後に、お時間もたくさんいただきましたけど、最後戻りますけれども、やっぱりその、結局そのエネルギーデザインっていうところが、循環になっていくっていう。そこの部分を僕たちね、そういう意味だと循環型の、これは、暮らしのレベルですけどね、いろんな意味で、また循環というのも非常に何かね、その気持ちの、愛情がね、夫婦の中で循環するとか、そういうこうちょっとスピリチュアルな形而上学的なこともあるし、循環って言葉も非常に何かこう曖昧ではあるんですけども。オオニシさんが今思ってらっしゃるその循環って、あの、なんだ、どういう、さっきのねエネルギーがこう作られて、出てって、物理的にこう繋がってるんだみたいな、なんかそんなようなことで頭に浮かばれてるのか、何が何と循環されてるようなイメージを持たれてるんすか。
[オオニシ]
そうですよね。あの、ごめんなさい、形而上学的な話はできないんですけど。笑
[オオニシ]
最近取り組んだプロジェクトで、農業をテーマにしたプロジェクト(F.A.R.M : Future Agricultural Rights for Mankind)があったんですね。農業を我々エナジーミート、エネルギーをデザインするという文脈で、農業というものがちゃんとトピックになるんではないかっていう議論をしまして、これは立派なエネルギーデザインだっていうことで農業をテーマに取り組んだプロジェクトがあったんですが、よく考えますと、農業もやはり水と、そして太陽光合成そして窒素だったり、酵素だったりとか、リンだったりとかっていうものを循環させて、作物を太らせ、そこから我々は、食し、カロリーを獲得し、栄養素を獲得し、活動するっていう、農業を大型化するっていうものも循環のデザインですし、自給自足で生活するという農業も循環のデザインですし、規模が違えど、スケールは違えど、やはり自分たちのリソース、限られた土地の中で設備をどれぐらい入れるかっていうスペックもあわせて、循環のデザインなんですよね。そういう意味では、農業がエネルギーデザイン、になるっていうことを確信できたのも、やはりこのエネルギーそのものが、やっぱり循環のデザインであるっていうことをずっと信じてやってきている背景がありますんで、我々としては胸を張って、エネルギーデザイナーなんだけれども、農業のプロジェクトに取り組みましたっていうことは、最近取り組んだ事例としてはありますんで。
[江良]
僕もあの、六本木ヒルズで、あれ、違う、ミッドタウンだ、ミッドタウンにね、拝見に行きましたけど、すごい、子供たちがね、アクアポニックスとかもねやられてて、魚だとか、お母さんとかが、レタス、これで食べれるんだよとか、すごいピースフルな場所で、すごい良かったですけど、でも、僕が言うのもなんですけども、いやでもね、農業ってやっぱ食べるものを、食べるものはもちろん人間のエネルギーなんで、農業のデザインされるのは、もうね、全然エネルギーデザイン以外のものでも、なにものでもないと思いますけれどもね。
[オオニシ]
行っていただいてありがたいです。
[江良]
我々の生きるエネルギーを作られてる、作るわけですから。
[オオニシ]
そうですね、その展示作品の中でも、水耕栽培であれば肥液を希釈させた水を循環させたりとかっていう、割とフィジカルな循環もありながらの展示だったので、
[中馬]
いろんなエネルギー九つぐらいのユニットがあってということですよね。
[オオニシ]
そうです。
[江良]
これもこれで1時間ぐらい話せちゃいそうなんですよ。
[中馬]
ちょっとこれすごいんですよ。
[オオニシ]
これまた次回ゆっくり話しましょうか。
[江良]
でも本当にあれですね、多分その、僕が勝手に、あれもするのは、やっぱりオオニシさんが、多分ね、必ず何かこうミッションがね、あって、そこにあって、そこに対して具体的に、何かちゃんとそこを、課題を解決するような、そういうようなやっぱりデザインに、ずっと取り組まれてきたから、多分そういう循環みたいなことで一つね、農業にしろ、エネルギーにしろ、置いてった方が、何かミッションが立てやすいんじゃないかなっていうのは、すごい思いましたけどね。
[オオニシ]
そうですね。判断基準がやはり割と明確になるというか。いやもしかしたら、自己中心的に何か納得するエクスキューズなのかもしれないんですけど、でも少なくとも一緒に立ち上げた蘆田暢人と2人で話し合って、これはもうエネルギーデザインの文脈に入っているからやろうっていうお話とかっていうのは、やっぱプロジェクトごとにちゃんと話して、やっているんで、そういう意味では、意識の中ではエネルギーデザインっていうのは言語化できながらやってきているつもりなんですけど。でもやはりこう振り返って、一体それって何なんですかって言われると、一言ではやっぱり言語化できないっていうのが何かまた、難しいところで面白いところでもあるのかなっていう感じですよね。
[江良]
まぁでもね、その分あの、こういうデザインのねインフォグラフィックスの才能をね生かされて、だからこそ生きてくる分野かもしれないですね。
[オオニシ]
はいそうですね。
[江良]
はい、ちょっと話は尽きず、あのね、本当は今、今日ここであのね、コオロギの
[中馬]
いろいろ、いろいろな、もう魅力的な
[江良]
培養器とかも、いろんなものありますが、まず今日は、まず1回目ということで、またぜひお話をうかがえればと思います。
[オオニシ]
はい。
[江良]
じゃ今日は、オオニシタクヤさんにお話をうかがわせていただきました。ありがとうございました。
[オオニシ]
ありがとうございました。
[中馬]
alt-Tokyo Podcast、本日はパーマカルチャーデザイナーとして活躍されている四井真治さんのご自宅にお伺いしています。四井さんに循環のこと、それから日々の暮らしのことなどを、実際に拝見させていただきながら、お話をおうかがいさせていただきたいというふうに思っています。本日は、聞き手は、kurkku alternativeの中馬と江良で、お聞きします。はい、それではよろしくお願いします。
[江良]
四井さん、今日はどうぞよろしくお願いします。じゃあ僕から簡単にまず四井さんのプロフィールをご紹介させていただければと思います。四井真治さんは、信州大学農学部農林学科にて農学研究科修士課程を修了後、緑化会社にて営業研究職に従事。その後長野での農業経営、有機肥料会社勤務を経て、2001年に独立。土壌管理コンサルタントパーマカルチャーデザインを主業務としたソイルデザインを立ち上げ、愛知万博のガーデンのデザインや、長崎県五島列島での限界集落再生プロジェクト等に関わられました。いろいろな企業の技術顧問やNPO法人でのパーマカルチャー講師を務めながら、2007年に山梨県北杜市へ移住。八ヶ岳南麓の雑木林にあった1軒家を開墾、増改築し、人が暮らすことで、その場の自然環境生態系がより豊かになるパーマカルチャーデザインを自ら実践されています。日本文化の継承を取り入れた暮らしの仕組みを提案するパーマカルチャーとして国内外で活躍。今は山形県の東北芸術工科大学での非常勤講師もされています。
[江良]
はい、どうぞよろしくお願いします。
[四井]
よろしくお願いします。
[江良]
四井さん。
[四井]
はい。
[江良]
四井さんとお会いしてね、僕はKURKKU FIELDSでね、特に、何年ぐらいですか?
[四井]
何年ですかね。だから、
[江良]
5年、そんないかない?
[四井]
だって、(中村)好文さんに紹介してもらったのが2014、ですかね?
[江良]
じゃあ8年?8年ぐらいですね。
[四井]
はい、長いですね。意外に。
[江良]
KURKKU FIELDSでは、いわゆる「循環」の仕組みと言ってますけども、いろいろ水がどう循環していくかとか、あとは農業とかね、あとコンポストバックをね、一緒に開発させていただいたりとか、いろいろご一緒させていただいたんですけども。では、まずはですね、今日、四井さんのことをもしかしたらご存知ない方も聞いてらっしゃるかもしれませんので、まず四井さんの人となりをですね、ちょっと掘り下げてみる、そういうところから始めさせていただきたいと思うんですけど、大丈夫ですか。
[四井]
大丈夫です。
[江良]
じゃですね、まずいろいろとパーマカルチャーのこととかですね、聞いていきたいことはあるんですけども、一番最初、まず四井さんの好きなことを聞いてみようというですね、
[四井]
好きなことですか?
[江良]
えっと、趣味とか。何か普段、当然いろいろなことされてると思うんですけど、普段こういうことをしてるときの自分が好きだとか、何かこう、仕事だけでなく、何かこういうことが僕好きなんだ、みたいな、なんかそういう、人となりのところからスタートしてみたいんですけれども、何かございますでしょうか?
[四井]
あぁ多分、僕にとって何が好きなのかって聞かれて、ちょっとね、困る質問ではあるけど、でもやっぱり好きなことって、暮らしだと思うんですよね。やっぱ暮らしてるっていうことが、すごく僕の中心にあって
[江良]
うん。
[四井]
その中でいろんな作業が生まれたり、いろんな収穫があったり、そういうのっていろんな楽しみがあるじゃないですか。だから、例えば昔はアウトドアとかね、あと釣りとか、あとバイク乗ったりとか、そういう趣味があったけど
[江良]
うん。
[四井]
でも、僕がやっぱり仕事をしたり、これまで暮らしを組み立ててきたりとかいうしていくと、何かそれらって実は暮らしの一部分っていうことに気がついたんですよ。
[四井]
だから、結局そのアウトドアで薪を拾ってきて、焚き火をするとか、ご飯調理するとか、あとバイクを乗るとか、修理するとか、そういうのって、例えば今だったら、農機具を修理したりとか、いろんな機械修理したりとか
[江良]
うん。
[四井]
あと、園芸やってたけど、園芸も、農作物、食べ物を作ることに繋がってたりとか、結局それらの周囲に行って全部こう繋がっていくと一つの暮らしになったんですね。うん。そういうのをまた回していくことがまた楽しいし、それをまた家族と一緒に組み立てたりとか、家族と一緒に何かそういうのを作っていったりとか、生き物の世話をしたりとか、いろんなことをやる中にたくさんの楽しみがあるから。だからそうやって聞かれると暮らし全体がそうなんじゃないかなというふうに僕は思うんですよ。
[江良]
それですね暮らしの中にもう全部含まれて、何かいろいろ楽しいことだといろいろ課題とかね、いろいろ出てくるから、何かその一つ一つを何か向き合って、これは直そうとか、これじゃ今日はなんか作っていこうとか、やっぱその日々が、豊かになっていく、多分ご実感が今四井さんにあるから、そういう日々のなんかね、日々の暮らしのところが、週末になったらオートバイいじろうとか、そういうんじゃなくて、結構日々の何か生活の豊かさみたいなところに、こう楽しさが、行ってるんでしょうね。
[四井]
ありますよ。週末だったらバイクいじろうというのもあるけど、でもやっぱりメインはこう全体の暮らしがあって、むしろそのそういう、暮らしにあんまり直結しないことは、枝葉としてあるみたいな感じですよね。
[江良]
でもそういうのはやっぱりすごい素敵ですよね。まあ、本来そうだったはずですよね、元々はね。
[中馬]
でも何か、何かその仕事で使う農機具の色をカスタマイズされたりされてるじゃないですか?あれとか見ると本当に直結してるなとかっていうのをすごい感じるんですよね。
[四井]
暮らしの中で、楽しみを作るみたいな
[江良]
遊んでる
[四井]
そうです。
[江良]
いろいろね、その楽しみは、先ほど四井さんの家の環境をですね、ちょっとツアーしていただいて、それは皆さんには、このポッドキャストの四井さんの話をうかがった後に、ちょっとまとめてぜひ特別に聞いていただきたいんですけども、部分部分にね、四井さんの遊び心とか、ていうかこれ遊びですよね?というところも含めて、見えてたんで。はい、そこら辺も聞いていただけると、よく伝わっていただくと思うんですけども、今日はですね、さらに四井さんの人物像を掘り下げてみるということで、ちょっと生い立ちみたいなところからですね、多分その今パーマカルチャーデザイナーというのが、基本的なね四井さんの肩書きでらっしゃるんだけれども、
[四井]
職業にしてますね。
[江良]
そうですね、そこに至るまで、ちょっとどういう道筋を辿られたかっていうのもちょっと聞きたいんですけど、その前に、ちょっと今日来るとき、中馬くんとも話したんですけど、パーマカルチャーって、まだまだ日本でも、パーマカルチャーってって何っていうふうに思う人は多いですよね、多分ね?
[中馬]
そうですね、おそらく概念的にそれを思い浮かべる方っていうのはいっぱいいらっしゃるのかもしれないけど、なんかそれ実際どういうことなのか?みたいなところはそこまで掘り下げて理解されてる方っていうのがどれぐらいいらっしゃるのかなっていうのはちょっと来るときに話していたので、ちょっと最初にまず大前提として、パーマカルチャーって何?っていうところを最初にちょっとおうかがいしてもいいですか?
[四井]
でも一般的には、自然の仕組みにならって、暮らしを持続可能にするためのデザインだと思うんですよね。それをオーストラリアのあのビル モリソンという人が、当時ね、1970年代なんですけど、ちょうどあのほら、ヒッピーの時代じゃないですか。
[四井]
ベトナム戦争があったりとか、あと環境問題はすごく問題視されてたりとか、あとそうすると社会問題とか出てきてるから、やっぱりそれに対してこう反発する人が出てきたりとか、疑問を持ったりとかするときはやっぱりヒッピーみたいなムーブメントが起こったりとか、あと当時だと科学者の関係では、沈黙の春みたいな、レイチェル カーソンのような人たちが出てきたりとか、割とそのときに出てきた社会問題が噴出しているようなときで、じゃあどうしようかっていうときに、具体的な方法として、パーマカルチャーっていう考え方が出てきたんだと思うんすよね。それは最初は本当に持続可能な農業ということで、ビル モリソンの研究室の大学院生が、持続可能農業ってことで、修士論文を書いて、それを、これはいいじゃないかって話になって、それでその大学院生のデビッド ホルムグレンとビル モリソンが一緒に体系化していったということが、パーマカルチャーですよね。パーマネント・アグリカルチャーっていうことから生まれてるんですけど、彼は多分その持続可能農業ってことを突き詰めていくと、やっぱり農業だけじゃなくて、社会にこう視野が広がっていって、持続可能な文化とかコミュニティとか、そういうのを考えるようになって、今はもっと総合的な、農業だけじゃなくて、総合的なことを考える、デザイン体系になっているんですよね。その中に何が語られてるかっていうと、10とか13のね、原則が語られてるんすよ。だから、自然を読み解くと、この10のルールが考えられると。そのルールに従って暮らしをデザインすると、持続可能なデザインができますよっていうふうにデザイン体系を作ったっていうのがパーマカルチャーなんですよね。
[江良]
なるほど。すごいわかりやすかったですね。でもそこにどう、たどり着いていくかみたいなところで言うと、まず一番、あれすると、四井さんはそもそも、どちらのご出身なんですか?
[四井]
福岡県北九州です。
[江良]
いわゆる、街場なんですか?それとも結構、周りが田んぼだったか、とかで言うと、どういう家庭環境で育たれたんですか?
[四井]
うちはね元々はね、あの北九州って言うと工業都市じゃないすか。だから、そういう町なんだけど、でもやっぱり当時はまだね、開発されてないところがたくさんあって、そこを開発して新興住宅地が点々とこうできてるような時代だったんですよ。だから東京とかで言うとね、多摩ニュータウンみたいなん感じですよね。そういうのができたんだけど、その中一角の本当に隅の隅に、うちの両親は僕は小学1年生の時に、土地を手に入れて、家を建てたんですよ。そこが森に接するとこだったんですよね。だから本当、森、広大な森の中にこの新興住宅地ができて、その端っこの本当に森に接するところに、うちの暮らしが始まったんですね。僕は小学1年のときに。
[江良]
やっぱり、お父様とお母様もどちらかっていうとそういう自然とか、パーマカルチャー、その時言葉がどこまであったかわかんないですけど、やっぱり子供に、四井さんにそういう何か森とかそういう、自然を感じてほしい、みたいなそういう教育方針がおありになったんですかね?
[四井]
うーん、あったんじゃないですかね?(笑)ま、だけど、うちの両親は、とはいえね、サラリーマンだったんですよ。しかも、お役人、元役人だったんでね、労働省のね。労働省管轄の産業医科大学ってのがあるんですけど、その大学病院の職員になることで、転勤しなくていいように、僕が子供のね、育つ家庭で転勤しなくていいように、労働省退官して、準公務員みたいな形で、その、北九州市にある、大学病院に移ったんですよ。なので、僕はそこに定住することができたんですよね。だけど親父はそうやってお役人だったけど、元々は漁師町で育ってるし、あと母は農家の農家育ちなんで、やっぱりそういう暮らしを知ってたんですよね。だからそういう暮らしとか豊かさ知ってたから、もう何か、そう、自然に近いところに住むということを考えてくれたんだろうし。あと、当時住み始めたときもね、もういきなり何か木とか果樹とか植え始めたんですよ。当時ね、まだ日本の古い風習とか残ってて、あの果樹植えるとね、実が落ちることが何か首が落ちるみたいにイメージされて、縁起が悪いとかいって植えることあんまりなかったですよね。
[江良]
そうなんですか。
[四井]
だけど、それでも俺は植えるんだみたいなふうに親父が教えてくれて、育ったような感じですよね。当時から堆肥も作っていたし、あと僕は生き物が好きだったから、森に行くと池があって、僕の部屋から大きな池が見えていたんですけども、そこに同級生と遊びいったりとか、あと飼い犬とそこに遊びに行ったりとかして、そうすると魚とってきたり、ザリガニとってきたり、いろいろするんですけど、それを飼うための水槽を用意したり、あとアヒルを飼うにあたってプールを作ってくれたりとか、鶏小屋を作ってくれたとか、親父がしてくれてたんですよ。だから何かそういうふうな育て方されてたから、まぁ影響を受けたし、今もね実家帰ると、今皆がパーマカルチャー仲間はみんな、フォレストガーデンって言うんですけど、まさにねフォレストガーデンになっているんですよ。まだねフォレストガーデンみたいな概念ね、日本にもなかったし、世界もなかったはずなのに、当時僕らがね、子供ながらに親がこう作ってくれた庭は今、フォレストガーデンなっているんですよね。
[江良]
すごいやっぱり、やっぱりDNAみたいなものが、あるのかもしれないですね。もしかしたら。
[四井]
だけど高校生のときはね、もうなんか親父がやっぱりそれ園芸的なことやってることが、何か格好悪いなとか思ってたんですよ。
[江良]
すいません、園芸っていうのはいわゆるこう家庭菜園とかとか?
[四井]
あと盆栽いじったりとかね。
[江良]
それは何か、バイクの方がかっこいいぜとか?
[四井]
とか何か他のお父さんとか見ると、ほら、かっこいいスポーツやってたりとか、
[江良]
テニスでなんだとか
[四井]
かっこいい車乗ってたりとか。
[四井]
何かこうシティー感覚あふれる事やってるわけですよ。
[江良]
なるほど。
[四井]
片やうちの両親って言うと、何か趣味の園芸みたいなの定期購読されてて、なんかこう地味じゃないですか。
[江良]
そうかもしれない。
[四井]
うんいや、なんかかっこ悪いなとか思ってたんだけど、気がつくと、何かね、僕も何か趣味の園芸みて、盆栽ってこう宇宙だなとか 笑
[中馬]
今、四井さんの息子たちが同じように思ってるかもしれないですね。
[四井]
うちの子供たちは、どうだろうな、なんかパソコンゲームとかそっちのほう行っちゃってるかもしれないすけど、でもね、当時はそう思ってましたね。
[江良]
繋がってますね。でも、四井さん、農学部に入られたってことは、もうある意味、もう高校生とかそこら辺ぐらいから、こっちの方というか、なんかそういう方にもう既に興味が向いてたんですか?
[四井]
なんかそうですね、そのね、森に面したところに住んでたんですけど、やっぱりね開発がどんどん進んでいっちゃって、僕のね中学校もね、校歌に「緑濃き木々を渡りて」みたいな歌詞が書いてあるのに、中学校に通う場所が段々、木が切られていって、そんな状況じゃなくなってきたんですよ。で、あるときなんかこう、学園都市ができるみたいな話になって、どんどんどんどん切られていって、家の庭にも来てたタヌキも来なくなっちゃったりとか、そんで、あともう一つは、当時ね、ちょうどね、長良川河口堰をねどうしようかとか、諫早湾の堰をどうしようとか、結構いろんな環境問題が言われてたし、あと、筑紫哲也さんがね、わりとニュース番組で環境問題を取り上げてらっしゃってて、
[江良]
やってらっしゃいましたよね。
[四井]
ニュース番組の枠の中でね、かなり時間長く、スペシャル番組とか組んでくれたから、もう当時から環境問題とか関心あったんですよ。
[江良]
なるほどね。それで環境問題とか、そういったもののイメージあって、農学部を志したという感じなんですね?
[四井]
そうです。やっぱり何とかして、しようというのもあったし、あとは、本当はあの、木こりだろうと思ったんですよね。林業からアクセスすると環境問題とかもこう、関われるんじゃないかなとかいうのもあって
[江良]
何かそれは、そういうふうに思うきっかけが何かあったんですか?
[四井]
いや、あのそう、きっかけは、まぁ、テレビの深夜だったんですけど。笑
[四井]
そうですね、九州ローカルしかやってないかもしれないけど、「高杉」っていうね、あれなんだろう。林業の会社なんかよくわかんないですけど、林業やってる人が木から木へと移り渡って、
[江良]
かっこいいですね
[四井]
なんか間伐するんですよ。枝打ちするんですよ。で逆さになってね、ズルズルずるっと、降りたいとか、
[江良]
結構本当の間伐のそういうの
[四井]
んでなにか、高杉〜高杉〜〜高杉〜みたいな感じで(笑)、昔のなんかこぶしの聞いた歌がBGMに流れるような中で、職人さんたちがこう木から木へと移り、ズリ下がるみたいな、すげえみたいな感じで
[中馬]
それは何のCMなんですか?
[四井]
林業か、住友林業みたいな感じだと思うんですよね。
[四井]
それ見て、こういう仕事やったらすごくいいよなあ、山でこんな仕事して食っていけるんだったらいいよなっていうところもあったんですよ。それじゃ、どこでその林学学べるのかなっていうことを探してたら、信州大学の森林化学科ってのを見つけたんです。
[江良]
なるほど。
[中馬]
なるほどね。
[四井]
っていう当時の、高校生、四井真治が
[中馬]
すごい、なんというか、そこから林業、林業というか森林の方に入っていくってことですか?
[四井]
入っていくんですよ。それがだけど、行ってみると、もう助成金漬けだし 笑
[江良]
笑 大学ですぐ、入ってすぐわかるもんですか?助成金漬けって。
[四井]
嫌でも、そういうことを教えてるじゃないですか、どうやって産業がどうやってこうね、林業の歴史とか学ぶわけじゃないですか。
[江良]
そういうことですね。
[四井]
で関税撤廃されたときから、もう日本の中部山間地域の産業はほとんど林業だったけど、それが全部外材に置き換わってみたいなね、とこから始まってって、ああ本当こんなね、もう情けないことなんだっていうのと、やっぱり今成り立たないんだったら、じゃあどうしようかっていうときに、元々僕はやっぱり何か価値観を変えることで環境とか意識持つっていうことが起こらないと、問題だけ考えても、社会問題解決できないなって思ってたんですよ。それどうしようかあったときにやっぱこう人々のライフスタイルを変えないと、価値観が生まれないなと思ってて
[江良]
うん。
[四井]
それで、家を、住む場所を住空間を変えたら、ライフスタイル変わってそれでいろんなことを考えて価値観が生まれてくるんじゃないかなっていうことから、宮大工になろうとしたんですよ。
[江良]
えー、それは大学生のとき?
[四井]
大学卒業するとき。というのが、うち林学科なんでやっぱりその木材構造論とかいろいろ、あと木材理学とか、あと測量とか、結構学べるし、資格も取れるんですよね。そういうのも学べるから、学んだから、そういう匠のね、門叩くのもいいかなと思って。叩きに行ったんですよね。それは、やっぱり日本の僕ら今こうやって椅子で座って暮らしてるってのもあるし、あと実家が洋風のコンクリートの建物なんですけど、なぜか和室が一室あるんですよ。それどこに行ってもそうなんすよね、友達の家行っても、洋風の家なのにになんで和室があるんだろうで聞いてみたら、うちもそうだけど、使ってないんですよね。なんで僕ら日本人なのに洋服着てるし、和室があるのに使わないんだろうというところが始まって、じゃあ、その日本の文化っていうことはやっぱりある程度取り戻して、例えば、明治大正の頃っては和と洋がうまく融合してたじゃないですか。
[江良]
うん。
[四井]
ああいうのも取り入れたり、そういうライフスタイルがあると、例えばかまどを使ったりとか、何かオルタナティブな価値観に変わっていくんじゃないかなというところから、そういう住まい作りができたらいいなということから、宮大工目指したんですよ。
[江良]
でも、でも?
[四井]
でも、門叩きに行ったら、もうそこの棟梁がね、いろいろと、すごいあれですよ、その長野県ではもう本当に大々的にやってる、宮大工のあの工務店だったんですけど、叩きに行ったらね、いろんなとこ見せてくれたんですよ。現場を。そしたらなんか、割とね、オートメーション化が進んでたりとか
[江良]
もう分業がいろいろ
[四井]
うん。
[四井]
僕は木彫りが元々好きでね、やってたんで、そこいかせるのかなと思ったら、それは外注に出すんだよ、みたいな感じで、笑
[江良]
もう既に高度成長の
[四井]
はい。
[四井]
だから、なんかもう、人が作るものって限界があるんだな、経済みたいなものに限界あったりとか、あとなんかいろんな、やっぱり限界があるんだなと感じて、そこでやっぱり限界とかそういうものではなく、自然を相手にした方がいいんじゃないかなっていうことで、それで緑化工学、砂漠の緑化とかそういうことを学ぼうっていうことで大学院に進学したんですよ。
[江良]
なるほど。大学院はそういう、いわゆる緑化工学っていうのは砂漠を緑にしたりとか?
[四井]
あと道路をね作るときに、のり面ができるじゃないすか。斜面ができるんですけど、そこを緑化したりとか。あと僕が大学院のとき研究していたのはダムのね湖岸を緑化することを研究してたんですけど、ダムなんて水位が変動が激しいじゃないすか。そこを水に浸かっても、植物が生えたり、あるいは下がって乾燥しても生えれるような状況を、恒常的にどういうふうにやったら作れるのかとか、そんなことをね、研究したりしてたんですよ。
[江良]
へぇ、いやいやいや、そういう、ま、ちょっとそこも掘り出すとなんかね、それで1時間終わりそうですね。
[四井]
終わっちゃいますね。そうそう。
[中馬]
そこから、先に四井さんがそういう経験を踏まえて、パーマカルチャーに、という概念というか思考とかどんなふうに接点を持つようになっていく感じなんですかね?
[四井]
だからやっぱり、そのも元々はね、あの進学する前は、暮らしっていうのを考えて住まいっていうことを考えていたから、そういうのを考えたし、あと、緑化ということ進んでいくと、やっぱ自然の仕組みを本当に理解しないと、森作りとか、またそれに伴う、土作りとか、そういうのを考えるとすごく難しいんですよね。だから、やっぱり学ばなくちゃいけなくて、そうすると、暮らしと自然工学的なことを掛け合わせると、もうイコール、パーマカルチャーんですよ。で、ある時、そのときの彼女がね、その時付き合ってた女の子が、こんな面白い本があるよっつって、見つけて持ってきてくれたのがパーマカルチャーの本だったんですよ。
[中馬]
へえ。もうすごい、なんか。なんでしょう、それ。笑
[四井]
あの緑の、農文教というところが出てますけど、ここにあるかなあ?あるんですよ。それはそれで、僕の記憶の中では終わってたんですけど、その後大学院も卒業して、教授の推薦で就職して、あの芝公園にある緑化会社に勤めたんですよ。でも週末はね、あ、最初の1年は営業もやってたんですけど、2年目から研究職入って、ウィークデーは御殿場にある研究所に缶詰状態で、週末は東京に帰ってくるみたいな暮らし、してたんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
もうそんな暮らししてたんだけど、ちょうど小泉内閣になったときに、道路特定財源って公共事業に対する予算がね、あの半減されたんですよ。だから仕上げである緑化工事っていうのに対してもう、そう大打撃を受けて、もう緑化業界も建設業界も半分ぐらい潰れるんじゃないかっていう時代が来たんですよね。でも僕は、小泉内閣、小泉総理大臣嫌いじゃなかったんですよね。だけど、そういう時代になったし、じゃあどうしようかって思ったときに、あの老後にやろうと思ってた有機農業のコンサルティングを、もう若くして始めてもいいんじゃないかなと思ったんですよね。それでその会社を辞めて、大学のお膝元である長野に戻ったんですよ。そうこうしてたら、地元に残ってた親友がね、「四井、大学帰ってきたんなら、いろいろ地元の知り合いを紹介してあげるよ」って、いってくれて、紹介してくれたのが、その有機農業のコンサルティングやってる人だったんですよ。行ってみたら、研究職してるみたい話したら、してたって話したら、じゃあ土壌分析のアルバイトしたらみたいな話になって、農業の傍らそのアルバイトしながらこうやってたんですよね。そしたら社長となんか意気投合して就職しないかって話になって、就職したときにその会社のね本棚にパーマカルチャーの本が置いてあったんですよ。
[江良]
もうここで、またまた。これは彼女が何年ぶりかに。
[四井]
これは好きな本なんですよみたいな話したら、それ私が訳したのよみたいな話を、社長の奥さんが言い出して
[江良]
そうなんですか。なんか新しいなそれも。
[四井]
これこの写真載ってる、女性は、ヨシコさんだったんですか?みたいな。
[江良]
社長の奥様。
[四井]
この横にいるのは、桜子ちゃんなんだって、当時小学5年生だったんですけど、娘さんがちゃんと載ってて、ビル モリソンと載ってて。
[四井]
へえというような話しになって、その後安曇野でパーマカルチャーのワークショップやってるっていう話を、ヨシコさんが情報持ってきて、一緒に行かないかということから行ってみたら、ちょうどそれが2003年ぐらいですね。やってたんですよ。言ってみると、あの土壌の講師やってくれないかっていう話になって、関わるようになったんですよね。でそこをやってた主催してたのが、NPOのビーグッドカフェっていう環境の
[江良]
シキタ純さん
[四井]
シキタ純さんですね。がやってたところで、僕もね、講師なんてそんな当時ほとんどやったことなかったから、ま、家ではね、家庭菜園教室とかやってたんですけど、本当にたくさんの人がいる中で、こう緊張しながら、やりながら、悪いところはシキタさんに指摘を受けながら育ててもらって。であるとき、2005年ですね、だから、その2年後に愛知万博があるっていう話になって。愛知万博でね、レストランやるよっていう話をシキタさんが持ってきて、それがどういうレストランなのかっていうと、そのパーマカルチャーをやるレストランをやるんだってシキタさんが言い出したんですよ。四井さんも関わってくれない?って話になって、そんときはね、ミミズコンポストを僕は大学院ときに、緑化工学やりながら、傍らミミズコンポストの研究やってたんですよ。研究室で自炊してたから、そこへ出る生ゴミを材料にミミズコンポストの研究やってて。だから当時、既に設計してたものもあったし、そのノウハウを生かして、あの土壌コンサルティングと、ミミズコンポストのことで関わってくれないかっていうこと関わったんですよ。
[江良]
なるほど。
[四井]
そしたら、そのパーマカルチャーセンタージャパンが、デザインしてたデザインがあったんだけど、鳥インフルエンザが当時流行っちゃって、その設計の中にね、鶏を飼うって設計があったんですよ。それが全部駄目なって、もう計画が全部消えちゃったんですよ。
[江良]
あら
[四井]
で、もうどうしようっていうときに、打ち合わせの行きがけにね、バスの行きがけに、高速バスの中で、もう仕方ないから、スケッチ書いたんですよ、こういう仕組みで、こうやって。そしたら、その会議のときに、それが通っちゃった。笑
[江良]
もうそれでいこうと
[四井]
おまけに、バイオジオフィルターも設計入ってたけど、当時担当してた外国人、お父さんがNASAのね技術者で、割とね、環境関係で雑誌に記事載ってるような、ダグラス パワーっていう、アメリカ人がいたんですけど、家ではデロリアンを電気自動車に改造したりとか、あと体天ぷら油で燃料を作れるんですけど、あのBDF(バイオディーゼル燃料)っていうそれで飛ばす飛行機、飛行艇を作ってたりとか、変な外国人がいないですけど、そいつがねドタキャン、そいつっていったら失礼だけど、その人が、ドタキャンしちゃったんですよ。それで、四井さん、土の専門家だったら、バイオジオフィルター作れるよね?みたいな話になって。笑
[四井]
そこから始まり、ほんで僕が全体デザインしなきゃいけなくなり、もう、そう、パーマカルチャージャパン代表も当時アメリカに出張してたんで、
[江良]
うん、誰もいない
[四井]
誰もいない状態になって、パーマカルチャーセンタージャパンのスタッフも、もうそんな状態だったら俺できない、下りるみたいに言い出して、いやちょっと待ってください、僕がセンターの職員としても残るから、カガネさん残ってくださいよ、というところから、なんとか引き止め、デザインもちゃんとし、で関わってくれる人たちに、その設計図と、必要なものリストと、あとスケジュールを渡して、ちゃんとプロジェクトが動くように調整に入ったんですよ。
[四井]
で、僕はやらざるを得なくなりっていうふうになって、だけど、やってみたら大成功で、当時、万博って最初本当にお客さん来なくて、大変だったじゃないですか。
[江良]
なんかね、大変でしたよね。
[四井]
でもだんだん途中からじわじわと上がってきて、最終的には倍ぐらい、ね、予想の倍ぐらい来たじゃないですか。だからねそこのレストランもオーガニックレストラン、ナチュラルフードカフェ&オーガニックガーデンって言うんですけど、そこはね、そこがどういう場所かというと、そこで出る生ゴミも、排水もここの家と同じように、うん、全部その併設してる庭で全部循環する仕組みにしていたんです。麦畑もあったし水田もあったし、あとバイオジオフィルター全部、水が循環するようしてますし、名古屋なので赤味噌、有名じゃないですか。赤味噌を作るカクキューという、醸造の会社があるんですけど、そこからもう人の大きさよりも大きい醸造樽を借りてきて雨水タンクにしたりとか、あと風車で水をくみ上げてそこに溜めて、夏の渇水期の推定に使ったり、もう本当にすごい、当時、そんなことやってる人いなかったんですけど、それを実現させて、おまけにレストランで半年の開催だと、けど1億5000万ぐらい売り上げたんですよ。本当に、大成功で。したら富士急さんの子会社の人がそれを移築してくれないかって話を持ってきて。もう、もうそれはちょっと、半年しか持たない設計だし、だったらもう一から作った方がいいですよって話をしたんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
したら、山中湖に8,000坪の土地と5億円用意してくれたんですよ。
[江良]
すごいじゃないですか。
[四井]
それで僕がプロのデザイナーとして手がけたのがそこが初めての仕事だったんです。
[江良]
へえ。ちなみにその富士急さんの土地はまだあるんですか。
[四井]
あります。PICA山中湖ビレッジっていうんですけど、でもね、当時やっぱ早くて、もうまだ環境っていうものがまだね、丁度だって2005年っていうと、アル ゴアが不都合な真実を、世界的にプレゼンした年なんですよ。だからまだ早いですね。
[江良]
だいぶ早いですね。
[四井]
温暖化とかそういうのがこう、完全にみんな信じられてない頃だったから、大変だったんですよね。でもあのプレゼン以降、やっぱりこう、みんなエコエコ言い出して、いろいろ変わっていったんだけど、その前まではね、もう環境活動なんかしてると、お前はグリーンピースかみたいな、今で言うあのシーシェパードみたいな、過激な団体だったじゃないすか。
[江良]
うん。そうでしたね。
[四井]
だから変人扱いされたんですけど、それからだんだんあの僕も居心地が良くなり、仕事もできるようになり、今に至るみたいな感じですよね。
[江良]
うん。そもそもやっぱり家も含めて、ご生家も含めて、そういうもうバックグラウンドがあって、そういう仕事を探されてる中で、ただそのパーマカルチャーとの出会いは結構偶然で、そういうツールというかね、メソッドとしては、それからかじったら、何かそういうパーマカルチャー的なやつとか、そういうビーグッドカフェからのシキタさんの話とかも含めて、何かそういうことが、今後どんどん出会って、四井さんがパーマカルチャーデザイナーとして、出来上がっていくみたいな、なんかそんな感じですよね。
[中馬]
やってたことが、こう言語化されて、そうなっていったのかな
[江良]
なんだかどんどん出会っていくみたいなね
[四井]
ビーグッドカフェ出会う前もね、そうやってパーマカルチャーの本、知ってたから、東京から長野に帰ったときは、もう既にパーマカルチャーから古民家でやってたんですよ。そこでの失敗とか成功体験を、その万博で生かしたりしたんですけど、でもやっぱりなんかこう、願えば叶うみたいな感じで、
[江良]
すごいね
[四井]
いろんなことが進んでたんですよね。
[江良]
ちょっと四井さんの人となりの最後の質問なんですけど、四井さんはどういうものを目指されてるか、またどういうものを、どういう状態になっていくと成功てっていうなものなのか。そういうことって、何かこういう状態を成功として目指されているっていうのは、目標?四井さん個人として、だいぶでかい話ですけど、もうこうなってると、四井さんの社会をこう変えていく、変革みたいなこと言うと、こうなっていきたいんだみたいのは、どういうこう想いがあるんでしょうか。
[四井]
それはね、万博がね、ちょうど成功した年に、エコビレッジ国際会議っていうのをビーグッドカフェがね、やろうとしたんですよ。でももう僕もやっぱその成功があったから、もう当時、そのビートカフェの理事になってたんですけど、理事ながらね、そんなもんやめちまえって言ってたんですよ。
[江良]
何でですか。
[四井]
日本でエコビレッジみたいな考え方を持ってきてもうまくいかないよと思ったんですよね。というのがやっぱり、今日も道具小屋のところとかで話しましたけど、やっぱりね、なんか、生活技術をみんな持ってないんですよ。そんな中で自分がその持続可能な暮らし、してない。だけど憧れとして海外にそのエコビレッジの暮らしがある。例えば、ニュージーランドのねレインボーバレーファームみたいな暮らしとか、インドにもあるし、オーストラリアもあるしねクリスタルウォータースとか。そういうところのいろんなこう海外事例を知ってるんだけど、みんなそれをイメージして、持ち寄っても、それぞれ状況も違うし、あとそれぞれもう、それを実現できる力も持ってないし、あとみんなが何よりも、やっぱり都会暮らしてるから、自分はそういうことできないけど、誰かがそのスペシャルな技術を持ってて、そういう人たちがこうより集まると、何か持続可能な、いろんなことが芳醇できるような状況を作れるんじゃないかと思って。それが何かエコビレッジのイメージになっちゃってたんですよね。
[江良]
うん。
[四井]
でもそういうのって自然の仕組みから考えると、欠員が出たら、機能しなくなるんですよね。でも、自然の仕組みがそうでなくて、やっぱり個々が自立してるものが集まって、例えば僕らの体も、例えばこういう皮膚の一部がこう取れても、また修復するじゃないですか、何かあったらその皮膚の細胞一つ一つはある程度自立してるからですよね。
[江良]
うん。
[四井]
だからそれと同じようなコミュニティデザインになってないと、僕はその取り入れても、特に日本では生活技術をそれぞれが持ってないから、無理だろうということで、そんなのやめちまえと言っていたんですよね。
[江良]
なるほどね。
[四井]
だから要するに僕は今何を言いたかったかというと、やっぱり、集まるにしても、個々がやっぱある程度自立したものになっていて、そういう人たちの集まりで、そのコミュニティができて、やっとそのコミュニティっていうものができていくし、それはそのコミュニティの仕組みも、その自然に沿った仕組みになることによって、持続可能になるんじゃないかっていう、こういうプロセスがあると思うんですよね。
[江良]
なるほど。
[四井]
あとやっぱりそのできない人が集まっても対等になれないと思うんですよ。例えば僕はやっぱり古い集落住んでたんで、古い集落に若い人が入っていくと、どこの馬の骨が来たんだって、もうみんな同じ言葉で言うんですよね。そうするとやっぱり、それはもうある程度見下してるじゃないですか。でも僕はやっぱり集落で認められるようなったのは、例えば、その畑仕事ができるようなったとか、あるいは集落の誰かに仕事を持ってこれるようになったりとか、何かこう、ある程度自立して、あいつ頑張ってるなとか、あいつこんなこともできるようになったなとか、へえって、認められる状態になる、だから要するに対等になれてないと、人って一緒に何かできないわけですよ。あるいは一緒に何かやろうっていう動機が、自然発生的に起こらないですよね。だから、それぞれがその生活技術持ってて、それぞれがそれぞれの場所で成り立ってる状況を作らないと、コミュニティっていうのは、自然発生的にコミュニティという仕組みに繋がっていかないんだろうなっていうことが僕の頭にあるんですよね。
[江良]
でも結構それは各自それぞれに対しての要求は、結構レベルを要求するっていう感じになりますよね。その生活に対するスキルというか考え方もそうだし。それぞれが自立した自己で、もしくはその家族であるみたいな。そういうのっていうのは結構、そこまでに行くのに、何かちょっと時間がかかりそうな気がしますよね。
[四井]
うん。なんで、元々だったら、そのね今日も話しましたけど、、先祖代々生活技術ってのは伝わっているから、誰もがこうできるようなってるし、あと時間かけて暮らしっていう課題があったら時間かけてそれが、こなしていくと、本当はね、誰でもできるんですよ。僕がやっぱりやってきて一番実感したのは、ああこれ四井さんができるんじゃないのとか言われるけど、でも実は僕、感じることは、これ実は誰でもできることだなと思ったんですよね。ただそれは、長い時間と積み重ねる、そのきっかけがないだけであって、みんなにそれがあれば誰でもできるはずなんですよ。
[江良]
なるほど。
[中馬]
なるほど。
[中馬]
何かその、例えばこう、経済価値を最大化していくみたいなことが、一般的にも割と大多数の人がそういうことを感じながら日々生活をしているみたいなところも、一方であるような気もするんですけど、その概念とか観念に関してって、どんなふうにお考えですか。
[四井]
そもそもね、経済というものの定義がおかしいんだと思うんですよ。経済イコールお金になっちゃってるでしょ。でも、僕はやっぱり、大学でも学んでたんですけど、環境システム、環境サービスとかも、実はお金に換金すると、ものすごい金額なんですよね。例えば空気が吸えるとか、水が綺麗だとか、あと森林で木材を生産できるとか、そこに水源涵養機能とか、土に水が蓄える機能とか、いろんな機能があって、その環境があるんだけど、それをお金に換算すると、どれぐらい金額になるんだろうみたいな学問が当時始まってたりとか、してたんですね。
[四井]
でもそういうふうに考えていくと、僕らは今お金っていうものの尺度だけで、そのお金でしか、換金できないようなものでしか、経済活動を考えてないじゃないですか。でも実は僕らが例えば、何か物を作るときだって、実はその裏には、この空間があったりとか、あとそれの材料を作る環境があったりとか、その土台を作るための、エネルギーを作るためのね、石油や自然エネルギーみたいのもあるわけじゃないですか。
[四井]
でもやっぱりそれらがちゃんと、本来だったらコストとしてね、積み上げられていないといけないですよね。あともう一つは昔の先祖様が作った技術もあるわけでしょ。僕ら今200万から500万ぐらいの金額で車乗ってるけど、実はあの今の車になるまでって、例えばトヨタがね、自動車会社なんて、今に至るまでの投資なんて、もう500万円じゃ払えないような金額が積み重なって、車って形になってるけど、同じように農業の技術だって、あらゆる産業の技術も、本当はその昔から積み重なってることからきてるから、それをお金に換金したらものすごいことになると思うんですよ。
[四井]
だから逆に言うとお金に換金できないような価値が、実は身の回りたくさんあって、その上で経済があるから、だから、本当はその経済っていうものを考えるときには、その部分も考えたうえで、経済活動を考えなくちゃいけないと思うんですよ。そうすると例えば今日、土作りの話とかしたけど、実は土ができるっていうことにも、バックグラウンドがたくさんあって、それを尊重した上で経済活動がある。あとその土が出来にはどうしたらいいんだろうと考えると、それにはもう天文学的な数の生き物が関わって地球の仕組みが動いてる上で、土ができてるし水もあるんだけど、そうやって考えていくとね、生き物の暮らしが土作ってるんだったら、生き物が環境作ってるわけじゃないですか。あと持続可能性作ってるじゃないですか。だったら人間も同じなんですよ。人間もそこに存在することによってモノやエネルギーが集まるでしょ。でも、今の人間がなんでそれ問題を起こしてるかっていうと、その自分たちが生活する活動するうえで集まったものを全部使い切れないから、ゴミとしてでてきているんですよ。循環させることが、自然のうえで循環させることができないから、ゴミとして現れてるけど、でもそれもエネルギーとか、また他の素材とかで使えるように、社会の仕組みをデザインすることができれば、もっとその先を行けて、今日話したように、それらが資源にもなるし、それらが土にもなるっていうふうにすれば、僕らが暮らすだけでね、他の生き物がどんどん増えるような、環境も豊かにし、物も生産でき、お金も回るような社会をデザインすることができると思うんですよ。だから今最大化、経済の最大化って言葉がありましたけど、僕はそれが経済の、本当の意味での経済の最大化だと思うんですよね。どうですかね。
[江良]
いやでもね本当に、そういう経済の捉え方っていうのは何か多分、古くから、多分それこそ70年代から60年代ぐらいから、あったんでしょうけど、やっぱり今何かそのモメンタムは極めて弱くて、
[中馬]
ただ
[江良]
最近なんかのSDGsとか、サステナビリティとか、何かそういう言葉で少しずつ、また盛り返しつつあるとは思いますけれども、ただSDGsもんね、サステナブルディベロップメントゴールでしたっけ、やっぱ開発ありきというか、お金を回していく上で、どうそこにサステナビリティの要素を入れていくかっていうね、ことだから、多分四井さんほど、人間が暮らしていくことで命が増えていく、そういうことこそが本質的な経済なんじゃないかみたいなのは、やっぱだいぶラディカルなね、主張になるんだと思うんですけど。
[江良]
やっぱりでも、その経済価値を最大化してこうってことだと、何がやっぱり問題になってくるんですかね?
[四井]
やっぱりね、あのお金を尺度に物事を考えるからだと思うんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
例えばね、今日ね、古いものの話をしましたけど、昔のね、モーターとか、デザインが違うんすよ。もうケースが流線型を帯びてたりとか、何かプライドがそこに、物作りのプライドが現れてるんですけど、最近の各社のモーターみるとただの円筒形なんですよね。会社のプレート、もうちゃんと金属の刻印の入ったものとかが昔、ちゃんと貼られていて、もう本当美しいんですよ。でも今はシール、貼ってあって、ちゃんと機能すればいいでしょうって、いうふうなことになっちゃって、機能さえすればいいでしょうってなっちゃってんすよね。だから、なんかこう、こう、人の心とか、あとその初めに、こういうものを作りたいものありきで、想いでものを作られてるっていうより、現在はなんか初めにコストがあって、その中で物を作ろうっていう、もう全然プロセスが違ってきちゃってると思うんですよ。そういうところもやっぱりさっき言った、想いなのか、経済なのかっていうところもあるし、あと自然という解釈で考えていくと、例えば僕はもう長年からのお付き合いのある樽職人さんがいるんですけど、もう10年ぐらいね、もう愚痴の言い合いですよ。何でこういう樽職人、樽作りみたいなことが文化財として認定されないんだっつって、いろいろやってきたんだけど、ある時、一昨年かな、彼はね、矢島親方は、無形文化財に指定されたんですよ。
[江良]
おお。
[四井]
一番最初に連絡取りたかったんだっつって、僕にそれを報告してくれて、今も後継者を育ててるんですけど、だからやっぱりそういうのも、例えば矢島親方が樽作るにしても、その樽丸っていうね吉野杉から作るその材料をね、作る職人さんがいなくなったりとか、あるいはそのいい日輪を作る吉野杉のね林業家の方がいなくなったりとか、やっぱりこう全体が、実はこの森から繋がる人間のエコシステムが樽っていうものを作ることに対して怒ってたんですよね。
[江良]
うん。
[四井]
吉野杉のあの樽の仕事も、なんか僕らイメージするとすごく小さなね、家や小屋で、なんか本当に、何か細くやってるような感じがするけど実は灘のお酒の産地の樽職人だから、もう200年続く代々の、それはそれは大きなお家の、あの樽職人さんなんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
だから、そういうのはねやっぱり、そんな大きな、もう家に茶室があるような樽職人さんが何で成り立ったのかっていうと、やっぱり巨大なそのお酒を作るっていう、あのエコシステムがあって、それが田んぼや山間に繋がってて、それぞれに職人さんが繋がっていて、僕ら樽職人さん酒職人さん、そして僕ら消費者っていうふうに繋がってたから、それがうまく回って、かつお金も回ってたんですよね。
[四井]
だから何かそれっていうのは、もう多分コストだけで考えると今みたいに樽はね、なんかこう、酒パックみたいになったりとか、何あるいは、さっきのね、ああいう酒樽あるけど、ああいうのもなんかFPRで作られたよね、樹脂で作られたもので作られたりとか、何かコストを下げることで、もう自然と繋がりがなくなってたりとか、あとものすごい年月かかって、組み立てられてきた伝統技術っていうのが途絶えちゃったりとか、そういうことが起こってるから、それがね、コスト抑えられたけど、経済の最大化なのかっていうとそうではないじゃないですか。
[四井]
だから、多分その価値観のこう持ち方だと思うんですよ。それがお金だけで考えていくとそうなっちゃうけど、過去の僕らの蓄積してきたものとか、本当の意味での持続可能性、僕は命って持続可能、持続する仕組みだというふうに感じてるんですけど、その延長線上に僕らの暮らしがあったり、今言ったような樽の作りがあったり、文化があるのにそういうのを無視してお金だけで考えていくと、やっぱりそれは経済の最大化にはなるかもしれないけど、切り口としては、貨幣で考えるとそうだけど、でも実際僕らに残るもの、あるいは生み出したものは最大化されてるのかっていうと、僕はむしろ最小化されてるんじゃないかなと思うんですよね。
[四井]
なるほど。それが結果持続可能性でなくなって、環境問題になってるんだと思うんですよ。
[江良]
もう今日ね四井さんが皆聞いていただいてる方に、どういうことを伝えたいかっていうのは、もうだいぶ話し入ってると思うけど、なんで、その何かその、有効なこう、なんていうんですかね、結構じゃぁ今まであったエコシステムが、いわゆる本当、資本主義とかグローバリゼーションの中で、コストベースでもっと分断されて、コストプライオリティでいくと、まぁ壊れちゃうとかね、分断されちゃうわけですよね。エコシステムからね。それで続かなくなっていくっていうのは、ま、これ日本もそうだし、世界各国で起きているような現象なんだと思うんですけど、でもこれを止めるアプローチみたいなのって、何か具体的にありうるのかっていうのは、四井さん普段どういうふうにお考えになってます?
[四井]
僕はねぇ、それはもう農的な暮らしの人を、いかに増やすかだと思うんですよね。
[江良]
農的な暮らし
[四井]
例えば、この前ね島原のね、あの有名な、菌ちゃん先生ってご存じですか?畑でこう菌を雑草とか生ゴミを埋めて、菌を増やした野菜を作るということで、もう今全国的に有名になってる農業家さんがいるんですけど、その方とお話してるときに、菌ちゃん先生はやっぱり農業としてこう一生懸命頑張ってこられたんですよ。役所でね、すごい、いい位についてたけど、やっぱりそれでも農業という世界に入って、農業やってきた、有機農業やってきたんだけど、でも僕はやっぱりそれをやろうとしたんだけど、片や僕はね、それをやろうとしたんだけど、でも僕がやっぱり有機農業のコンサルティングやってたって話さっきしてましたけど、やっぱり行くとこ行くとこね、すごく皆さん農業として頑張られてんだけど、やっぱり世の中が経済いかに回そうかっていうところに行き過ぎてしまっていて。
[四井]
農家さんの野菜はすごくいい育ちしてるんだけど、暮らしを見ると、なんかもう玄関にはもう、その農業の箱が置いてあったり、何か片付けられないゴミが散乱してたり、もう足の踏み場もないような感じになってて、これをもう大変ですねって話をして、いやもう、農繁期はもう大変で、暮らしも何もないんだよみたいな話見てて、これは僕はやっぱりその、農業でなくて、その、農的な暮らしぐらいにとどめておかないと、本当の意味で暮らしできないなあと思ったんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
そういう話を、あの菌ちゃん先生、吉田さんにね話したら、ああなるほどみたいな話になって、この前うちにも、あの見学来られたんですけど、でも本当それ盲点だと思うんですよ。だから、生業にするとやっぱり、今の経済お金に左右されて本来大切なものをなかなか維持することができなくなっちゃうけど、どっかでね、やっぱりお金に関わらない、例えばその、女性の社会進出なんて今言うけど、子育てとか、日常の洗濯の家事を、そのお金に換金したら、ものすごい金額になるっていう話題よくあるじゃないですか。
[江良]
そうですね。
[四井]
でも今、換金されないから成り立ってるわけじゃないですか。同じように女性がいる以外にも、家事って実はね、重たいものを持ったりとかいうところから始まり、例えば今日お見せしたようなあの作業声でやるような作業とか、木を切ったり竹を切ったりとか、庭をお片づけたりとか、いろんなこう仕事が、男性がやるべき仕事があるわけじゃないですか。もう体力的にちょっと女性では難しかったりとか、なんかそういうのをやるのも、家事なわけですよね。だけどなんか今サラリーマン社会になると、お金稼ぐのは男性で、家で家事やる人がいて、みたいな、なんか変なおかしいな、ジェンダーの話とかいろんなことになっていて、だけど本来だったら僕らは持続可能な仕組みで考えると、持続の最小単位って、今日もお話しましたけど、その家族であり、その子孫を残すことだし、その子供を産むっていうの子供の育てるっていうことが、本来だったら社会の中心にあるから、女性がいることが中心にあるわけじゃないですか、だから、女性の社会進出なんていう必要もないし、女性を支えるために社会があるって考えなくちゃいけないのに、何かおかしいな構造になってるわけじゃないですか。そういうのも含めて、やっぱり経済というもので暮らし考えていくと、何かそれをやらなくて誰かに物を買うことで、誰かがやってくれることを買うみたいな。誰かがやってくれることを買うことで、時間を買うみたいな感覚もあるし。結果それ何が残るのかってモノは手に入ったり、時間は短縮できるけど、でもその人の能力はどうなのかというと、それを作る能力とか、それを考える能力とか、暮らしを考えるってことだから、なんかどんどん視野が狭くなっていっちゃうと思うんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
でもね、もし暮らしというものがあって、かつ自分のスペシャリティなこう仕事があってっていうふうに考えるライフスタイルだったら、多分、他の人に払う対価もちゃんと考えて、モノを買うだろうし、だから要するにデフレみたいなこと起こらないだろうし、あと、いろんな人たちに采配するから時間の使い方も変わってくるだろうし、だからなんかその時間の使い方ね、暮らしに使う時間、お金を稼ぐための仕事で使う時間、の割合も変わってきて、その中でのその中での対価、だから例えばそれが8時間労働が5時間労働になっちゃったとしたら、それでもそのお金で成り立つような、日当になったりとかするわけじゃないですか。
[江良]
うん。
[四井]
だからもう本当これって、根深く、人々のライフスタイル、経済活動、全部連動してるから、なかなかそれを戻すのは難しいんだけど、でもやっぱり農的な暮らしをするっていうことで、本来だったら日本も戦時中までは50%ぐらいは農業人口がいたわけですよ。
[江良]
うん、そうですね。
[四井]
何か職業してる人も50%以外のところで、自分たちの食べ物作ったりとかしてたから、だから本当は農的に関わっていた人はたくさんいたんですよね。
[江良]
そうですね。
[四井]
だから人間のコミュニティって、本当はそういうコミュニティの割合があったし、バランスがあり、全体がエコシステムできてたんだけど、それをいかに取り戻すのかっていう考えていくと、やっぱり農的な暮らし、だから、農業ではなくて、農的な暮らし、をしてる人を増やすことだなっていうふうに思う。
[江良]
それはその、今ね八ヶ岳の山麓に僕たち来て、四井さんはもう農的な暮らし100%なのか、わかんない95%なのか、四井さんの達成度は何かまだまだ先が長いのかもしれないですけど、僕たち今日みんな東京から車でお邪魔してるけども、都市の中とかね、なんかそういう中でも、なにか一部、取り入れていけるようなこともあるんですかね?どうなんでしょう?
[四井]
いや実はね、それもね日経さんと実験したりとかしてたんですけど、マンション借りてね。でもやっぱり一見、一つのマンションの部屋とか、あと屋上菜園とか使っても、やっぱり一家庭では難しいなっていう結論だったんですよね。
[江良]
それはどういうとこが難しいんですか?例えば何が達成できないんですか?
[四井]
量的なものですよね。例えば出てくる生ゴミで堆肥を作って、その堆肥を例えばベランダ菜園で、こう使おうとするじゃないですか。使い切れないですよね、まず。
[江良]
それはそうでしょうね。
[四井]
フルに使ってもそれで作った野菜ができたとしても、その野菜で自分たちの暮らしに必要なもの全部まかなえるかっていうと、本当に一部しか賄えそうですよね。
[江良]
うん。
[四井]
じゃ、何してたんだろうって話になるし、あとそれをやったとして、それがまあ、ある程度形になって、定着したとしても、じゃそれをね、次の世代の人がやるのかっていうと、なかなか難しいだろうなと思ったんですよ。
[江良]
なるほど。
[四井]
それはその次の人が興味持つのかっていうこともあるし、あともう一つはその住んでたマンションが30年たって建て替えとか、いろんなことが起こるし、その時代も変わっていくじゃないですか。だから、やっぱり難しいなと思ったんですよね。でもね、マンションっていう単位でやれば、もう可能じゃないかなと思ったんですよね。
[江良]
うん。ある程度ね。
[江良]
ちなみに、すごい鶏、騒いでますけど、大丈夫ですか?笑
[四井]
いや大丈夫なんですけど、たまにこういうことあるんですよ。
[江良]
何をしてるんですか?一応聞いておくと。
[中馬]
何か攻めてきてるんですか?
[四井]
なんかね、急に合唱し始めるんですよね。
[江良]
大丈夫ですか。
[四井]
大丈夫ですよ。
[江良]
でも確かに、ある程度の農的生活っていうときに、やっぱり個人個人が何かそういう、農業っていうの?農業とは言わないのか、その野菜を作るとか、ゴミをコンポストにして何か畑を戻す、その食の、特に食に関してね、そういう循環のサイクルの中に参加していくとか、何かそういうことからでも、可能性があるんですかね。
[四井]
そうですね。やっぱりそれをさっき言ったように、僕らがマンションを借りて実験したっていうことを、と同じようなことを感じるといいと思うんですよ。何かっていうと、まず循環そのものがどういう概念なのかっていうのはやっぱり堆肥、出てきた生ごみから堆肥にしたりとか。
[江良]
うん。
[四井]
それでどうやって土を作るのかとか、で作った堆肥から作った土から野菜が育ったりとか、っていう一連の流れができますよね。あとそれに対して、量的に使い切れなかったなとか、あとその出来た野菜でこれぐらいしか賄えないんだっての感じるわけじゃないですか。
[江良]
そうですね。
[四井]
そしたらじゃあ、自分がこの街で住むっていうことは、どういう可能性があるのかとか、無いのかということがわかってきて、そこから多分ねいろんなアイディアが生まれてくると思うんですよ。
[四井]
例えば、堆肥がはききれなかったら、農家さんに使ってもらうとか、あと公園の花壇に撒いちゃうとか。あるいは、僕がさっき言いたかったのは、マンションって一部屋じゃなくて、もう全戸だと300世帯とかいるわけじゃないですか。
[江良]
そうですね。
[四井]
それをマンション規約で、もうそのエコビレッジ的な規約にしちゃうんですよ。それの中に例えば有機農家さんと10件ぐらい契約しちゃって。そのCSAといって、コミュニティサポーテッドアグリカルチャーという考え方なんですけど、先にこう投資してあげて、農家に投資してあげて、農家さんに農作物を供給してもらうみたいなことを、マンション単位でやる。例えば、農家さんが野菜持ってくるじゃないすか。空荷便で持って帰るのも環境的にも良くないから、じゃあ何を載せるかっていうと、マンションのバックヤードで堆肥マシーンがこうあって、300戸から出る生ゴミが、そこで堆肥化される仕組みがあるんですけど。それを農家さんに維持管理してもらって、帰りの便にはその堆肥を積んで帰ってもらうっていうふうにすると、東京にあるマンションだけど、ちゃんと近郊の農家さんと繋がっていて、物質やお金が行き来するようになるんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
且つ畑をやりたいという人はベランダでやるのかというと、やってもいいんですけど、もちろんそういうことだったらね、ベランダに雨水タンク設けたりとか、ちゃんとそれまとまったプランターをねデザインしてあげてもいいんだけど、でもやっぱり、さっき言ったように代々続くかどうかわからない。どうしたらいいのかって、やっぱプロの農家さんとこう繋ぐ関係ができて、かつ、週末はね、自分のベランダで菜園するんじゃなくて、その農家さんに援農しに行けばいいんですよ。そうすれば、本当にもう、人も、お金も、資源も、ちゃんと循環する仕組みを構築することができると思うんですよね。だからそういうふうなことを例えば個人でマンション単位でできなければ、多分似たような仕組みを、近郊の農家さんの顔も見える取引を作ったりとか、あるいはそういうNPOの活動に参加してみたりとか、いろんなことを通して自分たちで出る生ゴミをちゃんと循環させたりとか、循環しなくても何かちゃんと農的な暮らしができるように組み立てていくっていうことは、僕は可能だと思いますよ。
[江良]
うん。何か農的な暮らしができると、個人の何かやっぱり意識とか、こういうことが考えなきゃいけないんだとか、こういうことが難しいんだとか、いろんなことの気づきがあるから、さっきから四井さんが言ってるような、本当にお金と、本当の経済の意味合いとかそういうことに対して、より考え方がシフトしていく可能性があるし、そこまでシフトしてきた個々人がいろいろ出てくると、そういう最初おっしゃった、エコビレッジとか、そういうところでの、この暮らしの何かこう、技術とか考え方を持ってる人たちが増えてく何かステップになってくるんじゃないか。
[江良]
とかそんなようなことは、でもどうですか中馬さん。聞いてみて。リアリティ、なんかね、多分一般的には、ちょっと遠いというのかな、でもなんかあれですよ、四井さん話してて、なんかもう全然理解されてないなあ、とかいうふうに思うときとかも、あったりしませんか?
[四井]
そういうね場所もありますよ。あるけど、大体僕が話しするところは、そういう人たちが集まってくれるんで、いいんですけど。
[江良]
でもやっぱこれは何かこう、こう、これは実はなんていうの、実は、僕たち結構いろいろ話すけれども、なんていうの、例えば初対面の人には、こういうことはやっぱ最初ははなさないようにしているとか、
[四井]
話していないですよね。
[江良]
そういうこととかは結構おありになりますか?
[四井]
あります。
[江良]
これはあんまり、最初から会った人に話すと、こいつは宇宙人かと思われるからやめておくとか。
[四井]
それは今日話した通り、2005年以前の僕の状況ですよね。
[江良]
なるほど。
[四井]
昔はもう環境活動、環境意識ある人はもう変人扱いだったから、同じことなんですよ。なんか、かなりそれに対してはもう配慮あるんだけど、今のそういう時代知らない人たちはむしろ環境がネタになるから、それで話もするし、仕事も得る人もいるだろうし、SDGsをネタにね、行政も動いているわけじゃないですか。
[江良]
でもやっぱりね、お金の話はね、多分でもどこかでいくと例えば企業とかね、企業とかとやろうとしていく場合にはねやっぱいろいろぶつかっていくと思いますけど、逆にじゃあ今ねちょっとね個人として取れるアクションをいくつかこうおうかがいしましたけど、企業とか、行政とかね、何かもっとこう、四井さんのその想いを受けて、もっとこういうアクションをしていけるんじゃないかっていうのは、さっきのね、マンションみたいなのはね、マンションデベロッパーみたいな人たちに、四井さんと一緒に、農的生活ができるとか、あとねそうすると電気とかね、いろんな意味でオフセットしてたりとかもできると思いますけども、何かそういうアイディアとかも結構いろいろお持ちだったりします?
[四井]
そうですね今日もねうちの家の仕組みを説明するときに話しましたけど、その命、生命っていうのは物質エネルギーを集める。それに対して、その死っていうのは拡散することなんですよ。例えば僕がこう死んだら、腐ってあるいはいろんな生き物に食べられて、持ち去られて拡散するじゃないですか。それで生と死って説明つくなって、僕の中では持論があるんですけど、生と死の繋がりが生と死、生と死っていうふうに繋がっていくとやがて一つの輪になることによって自然は循環という仕組みが出てきてるんですよ。だからやっぱり、生き物がいかにその空間にたくさんいるのかっていうことによって物質エネルギーが集まり、例えばその生態として、僕1人がこういると、例えば炭素とかだと16%が炭素なんですよね。だから16%を蓄えられた状態として生きてる状態でいるわけですよ。だからタンクですよね。同じようにやっぱり集め蓄えっていう状態が、いかにその社会に起こるのか。あるいは会社に起こるのか、っていうことをデザインした方がいいと思うんですよ。例えば日本は1億2000万人以上人口がいるわけなんですけど、その1億2000万人の人たちが暮らすことが同時に、物質やエネルギーを集め、蓄え、循環するっていう仕組みにしたら、もっとね暮らしはね、豊かなると思うんですよ、お金も同じような仕組みなっていればそうなるんですよね。だから僕は東北芸術工科大学のあの、非常勤でコミュニティデザイン学科で教鞭をとっているんですけど、そこではコミュニティデザインを学生たちがするわけなんですよね。いろんなところで、いろんな集落の限界集落のコミュニティデザインをやってるんですけど、それが生きてるデザインなのか、死んでるデザインなのかっていうことを、まず判定させるんですよ。
[江良]
それは、現状の何かコミュニティの在り方?
[四井]
もあるし、あともう彼らは既に、コミュニティデザインしてるところが、
[江良]
あ、いま取り組んでいるプロジェクトね
[四井]
はい。それが判定してみると、人や物やお金や資源が結果的に拡散していったらそれは死を意味してるんだよって、逆にお金もね、資源たちが、集まり、蓄えて、循環してる仕組みになったら、生きてるデザインになってるんだよって、いうふうに判断するんですよね。そうすると死んでるデザインだったら、いかに生きてるデザイン変えたらいいのかというふうに考えればいいだけの話なんですよね。そういうふうなことを教えてるんですけど、だから要するに、もう会社も社会も、だから例えば北杜市だったら市っていう行政単位で、そういう仕組みにすればいいし、具体的にどういうふうにするかってのは、例えば人が住んでれば、今日さっきも話あったけど、ゴミが出るって話したでしょ?ゴミが利用しきれてないからゴミになってるだけであって、例えばプラスチック今問題なってるけど、小泉環境大臣のときにプラスチックは燃料にしてはいけないみたいな話なっちゃったけど、再生エネルギーにならないって話だけど、実は僕はプラスチックは燃料にしたほうがいいと思うんですよ。そうするとわざわざ新しい、新たに掘ってきた石油を使わなくていい状態になるから、相対相殺すると半分になるわけじゃないですか、使う量がね。だから僕は処理する代金もかからないし、燃料を得られるんだったら燃料にした方がいいと思うんですよね。そういうふうに考えると、人が住んで、ゴミが集まり、プラスチックが集まるんだったら、それを発電に使い、行政がそれを発電に使って、売電して、その市の歳入にすれば、今、少子高齢化でどんどん歳入が減ってるんだったら、人が住むことで自動的に集まるものを資源化することによって、歳入にすれば行政が成り立つじゃないですか。
[四井]
そういうふうなことで考えていくとゴミ以外にもいろんなことが考えられるようになると思うんですよ。
[江良]
そうですね。
[四井]
そこに市民がいることによって、じゃそれが、暮らすだけで何が起こるんだろうかって考えていくと、万単位で人がいれば、必ず大きな動きを作れると思うんですよね。デザインできると思うんですよ。そういうふうに考えていくようにしていけば、今の環境問題は、僕が提案するようなパーマカルチャーで解決できると思うんですよね。
[江良]
例えば本当に人が集まるゴミが出てくる、ゴミだけじゃないけど、でもゴミは資源になっている、どう資源にしていくと、その固有の地域にとって効率がいいのか、ねそこをやっぱりちゃんとデザインしていければっていうことですよね。でもそれは本当そうですよね。
[四井]
なんでやらないんだろうと思うんですけど、今までの歴史がそうしてるんでしょうけどね。あと、しがらみとか、既得権益とかあるんだろうけど、やっぱりもう今、変えないと、でも変えると逆に加速的にね、環境良くなると思うんですよね。
[江良]
うん。そうですね。あとはでももう結構自然に近いところに住んでる人みたいなのって、よくこういう地域ほど、なんかね前に中馬くんも言っていたけど、あの資源分別しないとか、あんまり意識があんまり高くないのではっていう疑惑があったりするんすけど。
[四井]
ありますね。でもたとえば四国のね、あそこ何だっけ、上勝町ね。
[江良]
あれはまたすごいね。
[四井]
あと大分にもあれを上回る、自治体があるんですよね。
[江良]
そうなんですか。
[四井]
もうあれ以上にこ分別してすごいんだけど、ただメディアにこう出にくくなってて、目立たないとこもあるんですけど、でもやっぱり目立たないとこほど、何かこういい仕組みがあったりとか、あと子育てしやすかったりとか、なんか今でいう理想的な暮らしができるような、仕組みがあればね、多分人も増えていくだろうし、あと教育もそうですよね。なんかそういうふうなことを、むしろやったほうがいいし、あとさっき言ったように少子高齢化でもう歳入困るんだったら、やっぱり、むしろそのね、それを逆手にとって、もう仕組みを変えていくとか。あるいは困るんだったら自然に集まるものをいかに資源にしていくのかというふうに考えていかなくちゃいけないから、むしろそういうふうに考えなくちゃいけないんじゃないすかね。
[江良]
うん。もう自然に近かったら、本当に農的生活とかすごいやりやすいですよね。それこそ兼業農家みたいなことを、そんなにハードル高くないですかね?最初始めようみたいなのは?誰か地域に先輩みたいなものもいるし、
[四井]
あとね農地を借りることが、結構難しかったりとかもあるんですよね。
[江良]
でもそういうことこそ、自治体とかがね、サポートしたりとかしてもいいかもしれないですね。耕作放棄地、めちゃくちゃいっぱいあるわけですからね。
[四井]
うちの場合はね、あの市がいい仕組みがあって、いろんな自治体で違うんですけど、あのね農業振興公社ってのがあって、そこがね空いてる農地を斡旋する仕組みを作っているんですよ。そこに頼んだら、僕が半分農業でもあったんですよ、実は千里(注:四井さんの奥様)がクッキー作ってて、そのクッキーの小麦をね、自分ところで作って売りますよっていう事業計画があったんで、それを提出したら簡単に農地が借りられて、農業者として認められたっていうところがあったから、だけどやっぱそういう仕組みないと、なかなかその計画があっても農地借りられないし。
[中馬]
そうですね、確かに何か就農支援とかっていうのは結構ありますけど、基本的にはガッツリ、農家にならないといけないみたいな。
[四井]
そう、基本はね、農地を借りることできないってなってるんですけど、でもね、そこに住んで、地元のおじさんとかおばさんたちとこう人間関係できると、そういうのなくても借りられる。笑 だから今もうね、借りてもらわないと困る状態になってるから
[江良]
高齢化がね、ひどいですからね。
[四井]
だから農水も、今ねちょっと今、法律を変えようとしてて、あの借りられやすくなる状況は段々できつつあるんですよね。
[中馬]
なるほど。
[中馬]
でもさっきちょっと話戻りますけど、その都市で生活している人がアプローチとして、家族としてそれをやるってなかなか難しいという話だったと思うんですけど、でもやっぱり、面でこうある程度みんなでやればできるっていうのは、割とメッセージとしてはやっぱりあるよなと。
[四井]
ありますよ。最近だとね、さっきのようなマンションで農家さんと契約してというのは僕は農家、農地付きマンションじゃなくて、農地付きマンションならぬ、農家付きマンションって呼んでるんですけどでも、それを持ってたら、つい最近なんかニュースでね、どっかのデベロッパがマンションの中でいろんなクラブが発生してて、その中に農業やりますっていうことが、農業委員会みたいなのを立ち上げて、それをバックアップする形でディベロッパーが持ってる土地を提供するみたいなことを始めたりとかしてるんですよ。だからなんか段々そういうふうに変わってきてるんじゃないかなっていうのは感じますよね。
[江良]
そういうモメンタムというかね、なんかそういう流れはできつつありますね。だからまあね、どれぐらいの時間でね、到達すればいいのか、四井さんの思っているような世界にね。そこにもう、それを加速させていく四井さんの最近のご活動を、ちょっと最後に、ぜひおうかがいしたいんですけれども。
[四井]
最近面白いのは、ちょっと教育分野に入っていくようになったんですよ。ついこの間もエディブルスクールヤードジャパンで愛和小学校でね、堀口博子さん、代表に誘っていただいて、あの先生やったこともあるんですけど、今度の試みは、軽井沢のね、風越学園に関わることになって、そこで何やってるのかというと、風越もあの総教育方針としてはいいんですけど、やっぱり何か子供たちベースでいろんなプロジェクトが進んでって、あのすごくいい仕組みなんだけど、でもやっぱりそれは実用なのかどうなのかっていうと、なかなかその実用レベルまで教えてる先生も限界があるし、ある程度成功体験できてるけどなかなか実用に落とせていない。あと、せっかく都会から、ああやっていい教育を受けさせたいということで、軽井沢来てるんだけど、やっぱりそこに農的な暮らしがなかったりとかするんですよね。僕はやっぱりそもそも教育なのかっていうことを考えていったときに、あ、そんな話していいんですか?
[江良]
大丈夫です、もちろん。なんか四井さんがみんなに知っていただきたいことということなんで。
[四井]
ちょっとここでも肝なんで。
[江良]
ぜひぜひ。
[四井]
そもそも教育は何かっていうとね、本当は暮らしベースだったんだと思うんですよ。だって学校が無い前も、もう教育あったわけだから。
[江良]
そうですね。
[四井]
だからと暮らしの中で子供たちに手伝ってもらって、その中で大人と子供のやりとりがあったり、大人から、子供に技術の伝達があったり、で、その技術の伝達以外に人としてのコミュニケーションとか教育があったわけじゃないすか。
[江良]
そうですね。
[四井]
だけど、やっぱり昔は識字率が低くて、教育やっぱりそんなに行き届いてなかったから読書算数みたいなことを、どの親も教えられるかっていうとなかなか難しかったと思うんですよ。だからやっぱり当時の親が教えられないような事柄は、その寺子屋から始まって、何か学校みたいな制度ができて、それで日頃の学びに、補完する形で学校があったんだと思うんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
だけど、なんかだんだんこう、世の中のライフスタイルが変わっていって、元々暮らしがあったところから、サラリーマン社会になって、暮らしがないじゃないですか。マンションなんか住んでたら土地もないし。何かこう暮らしの課題をって言ったら、何かお風呂洗うとか、食器片付けるとか、それくらいしかないじゃないですか。
[江良]
うん。
[四井]
親も何かその、「お父さんすごい」っていう場面って、なかなかできないと思うんすよ。
[江良]
なかなかないでしょうね。
[四井]
おーい樹が倒れるぞーって、バーンと倒してみて、子供たちはすげえと思うような場面、絶対起こらないじゃないですか。だからやっぱりそうすると、教育する場がないしネタもない。ってなると、どこにそれを求めるかっていうと、なんか学校に求めちゃったりしてるわけですよ。それで何か総合教育とかいうのが起こったりとか、ゆとり教育みたいなのが起こったり、実はそれがうまくいかなくなっちゃって、脱ゆとりみたいな話になってみたいな、もう教育が右往左往してるんですよね。
[江良]
そうですね。
[四井]
じゃあどう解決しようかっていったら、その解決する根本問題が解決できてないんですよ。何なのかっていったらやっぱ暮らしがベースになってるっていうことにあの人たちは気がついていないんですよ。というふうに考えていったりとか、あとね、やっぱ僕らがねやっぱり選挙で投票するときとかも、やっぱり誰かの何、どういうふうにやりますみたいないうの、なんて言うんでしたっけ
[江良]
公約、マニフェスト?
[四井]
公約とかマニフェストをこう掲げるんだけど、それをじゃあ暮らしと照らし合わせて考えれば僕は多分正しいことが出ると思うんですよ。その人にとって、あの人に入れようみたいな。でもやっぱり暮らしがないから、あやふやになると思うんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
だからやっぱり給料もらえる会社がどこに関わって何にどう関わってるのかとか、友達が一生懸命応援してるから、入れてみようか、なんて曖昧な理由で多分投票すると思うんですよね。だから、みんなやっぱり暮らしがベースで、本来だったら教育もあり、何かいろんな、政治的な判断もありって、あるはずなのに、暮らしがないもんだから、全てこう曖昧になっているんですよ。だから、やっぱり僕はあの風越学園でやるべきことは何かっていうと、暮らしを教育のベースにするべきだなっていうふうに思うんですよね。
[四井]
だから、遠藤綾さんっていう東北の方でパーマカルチャー取り入れた幼稚園をやって、先進的な事例を持ってる方がおられるんすけど、今その方が中心になってやってて、僕を誘ってくれてパートナーとして入ってるんですけど、彼女の話来たきにまずその話をしたんですよね。
[江良]
なるほどね。
[四井]
何するのかっていうと、もう風越学園を畑にしようとしたんですよ。だから、先生もそうだし、親御さんたちもそうだし、みんなの暮らしのプラットフォームをもう風越学園にしちゃう。
[江良]
なるほど。
[四井]
それはなにかっていうと畑にしちゃうんですよ。そこに畑を、自分の農作物を得るために、学園内に畑を作り、維持しっていう中で、親も先生もそれを体験するわけじゃないですか。そしたら、多分その価値観は、そういう農的なものになり、教育に対しても、農的なことから、題材から教えるように、自然に仕組みができていくと。そういう中で今こう一生懸命作ろうとしていて。
[江良]
なるほど、それは大改革ですね。
[四井]
そうですね。
[江良]
面白いですね。全寮制でいらっしゃいますか?
[四井]
そうではないですね。通いですね。
[江良]
通いでいらっしゃるんですね。でもそうやってね、なんかその先生から親御さんからもちろん生徒さんもね含めてそういう農適生活コミュニティができて、それが何年か経っていくと、本当にそういう暮らしを基盤にした、何かね、教育のあり方が変わっていく可能性が大きくありますね。
[四井]
ありますね。実は今言った話は、僕とあと綾さんたちとの、学園の中の一部の話なんですけど、今でもね例えば東京農大とかが、あの小学校始めたりとかしてるじゃないですか。
[江良]
そうですね。
[四井]
それが今の私立中学の中で、一番の競争率高いんですよ。
[江良]
僕もそれ聞きました。
[中馬]
世田谷でしたっけ?うんすごいっていう。
[四井]
午前中農業やって、午後授業なんだっけ?それにすごい殺到してるから。だから割とね、皆ねなんかそういう意識はあるんだと思うんですよね。
[江良]
そうね。だいぶ、多分その2005年とかに比べると、だいぶ顕在化はしてますよね。
[四井]
今ねウクライナで戦争起こって、いろんな物資が入ってこなくなって、コロナの影響もあって、やっぱりね、インフレとか起こっちゃってるけど、やっぱ物が本当にこう手に入らなくなるんじゃないかとか。あとやっぱりそうすると自分で何かしなくちゃいけないんじゃないかっていう、価値感も生まれてきてると思うんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
だから、コロナ禍の時は、コロナ禍真っ最中のときは、北杜市はね、移住者で殺到したんですよ。
[江良]
そうですか。
[四井]
だから今ね、物件無いです。うちの問い合わせもね、やっぱりそういう農的な暮らしたいっていう相談はかなり増えたんですよね。
[江良]
でもそうでしょうね。僕もあの四井さんの近くで農的な暮らしできたら(笑)
[中馬]
今日言ってましたね。
[江良]
それは、いいですね。ちょっと、いやすぐに東京からね、引っ越せないにしろ、何か四井さんの近くで、二拠点から始めてとかね。子供が大学卒業するぐらいまでとか、でもそんなふうに思う人いっぱいいると思いますけどね。四井さんそういうのはやらないんですか?
[四井]
実は僕はもう、今日も話した通りエコビレッジみたいなことが、ちょっとやっぱ違うなと思ったんですけどだから、とにかくここではもう2007年からずっとその家族4人でいかに持続可能な暮らしをね、組み立てられるかってこだわってきたから、何かこう他の人とつるんでっていうことはまずなかったんですよ。
[江良]
うん。
[四井]
でもパーマカルチャーの人たちは割とワークショップって称して集まって、結構大変な作業とか共同作業するんですけど、でもそれやるとねやっぱり本当の意味で持続可能にならないなと思って、僕はここまでこれたんですよ。
[四井]
そしたらね、なんかね、自然とそういう人がまた増えてきたし、例えばここら辺でいうと、オーガニックレストランのDILLってあんですけど、山戸ユカさんたちと、こう何かやろうかとか、話を始まったりとか、何か自然発生的に横の繋がりが、だんだん点と点が繋がったり、線が面になる雰囲気がこうできてきてるんですよね。
[江良]
何か四井さんの言う、ある程度自立した何か、ポイントというかね、方々が、集まると、何かまた新しく、起きるのかもしれないですね。
[四井]
それはねもう自然がそうなってるんですよ。
[江良]
自然の仕組みが。
[四井]
うん。持続可能なるために何かの様子何かの様子は必ずこうポジティブフィードバックの自己組織化っていうのが起こるんで、だから自然にコミュニティって本当はできていくんですよね。だからそれはもう粛々と暮らしをして、持続可能な暮らしをして、待ってればそうなるんじゃないかなと思いますね。
[江良]
なるほど。はい。いやいや、もう四井さん、今日はもうちょっと時間を予定した時間を超過してまでありがとうございます。
[四井]
ごめんなさいね、あとの予定があるでしょうに。
[江良]
いや全然全然。本当に。どうですか中馬さん
[中馬]
いやいや、でも何かあれですね、特に最後の四井さんのお話のところで風越学園のお話ありましたけど、その農的な暮らしっていうのが、何なんだろうみたいのは、それが素晴らしいということは、割とずいぶん前からこれなんか頭の中では結構理解したんですけど、そのベースにやっぱ、その暮らすっていう、ことがあるっていうのを、ちょっと改めて今日お話を聞いて気づかされた部分があって、なんかこう、すごい腑に落ちました。なんかその、どういう、あ、こういうことだったんだみたいなのはすごい府に落ちましたね。
[四井]
今のね、現代の暮らしも、暮らしですもんね。その違いが、やっぱりこう明確にしないと、僕は今日話したことって、結構難しいと思うんですよ。だけど僕も今日ね、やっぱり農的な暮らしって、わざわざ農的ってつけたけど、実は暮らしって農的なものなんですよね。だから難しいですよね。そこらへんの境がね。
[中馬]
だけどすごい気づきが多い、本当時間でした。
[江良]
四井さん、引き続きいろいろね、定期的にお話いろいろ教えていただきたいと思います。ぜひこれからもよろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました。
[中馬]
ありがとうございました。
[四井]
パーマカルチャーデザイナーの四井真治さんでした。