#003: 取り組んできたプロジェクトと、これからのalt-Tokyoとは



江良慶介
慶應義塾大学環境情報学部卒業。1999年よりシスコシステムズ合同会社など外資系IT企業に5年間勤務の後、バックパッカーを経て、2005年にKURKKUへ入社。2007年より、インドで農薬被害に苦しむコットン農家のオーガニック農法への移行を支援する「プレオーガニックコットンプログラム」を伊藤忠商事と共同で立ち上げ、年間約1,500農家の支援を実施。2011年、グッドデザイン賞サステナブルデザイン賞(経済産業大臣賞)受賞。また、3.11以降、津波により稲作ができなくなった農地にコットンを植え、雇用創出と地域再生を目指す「東北コットンプロジェクト」を発足させ、プロジェクトの事務局代表を務める。2012年3月より、ap bankにて復興支援事業を担当。2016年よりアーティストの力で地域の内側からの復興をうながす「Reborn-Art Festival」を立ち上げ、制作委員、副事務局長を務める。2020年より株式会社KURKKU、並びに株式会社KURKKU FIELDS代表取締役社長。2022年、株式会社kurkku alternativeを立ち上げ独立。
Twitter : @era_keisuke

中馬剛仁
2002年明治大学経営学部卒。フリーターを経て2005年株式会社アーバンリサーチ入社。主に新規ブランドの立ち上げや既存ブランドのリブランディングを担当。2007年 urban research doorsのリブランディングプロジェクトにて、栃木県益子町「starnet」との協業プロジェクトを担当。2008~11年にかけて、野外イベントででたペットボトルを循環させ、Tシャツに生まれ変わらせる「JOIN THE LOOP」プロジェクトの企画、インドのコットン農家支援「プレオーガニックコットンプログラム」や震災復興支援「東北コットンプロジェクト」など社外連携プロジェクトを多数担当。2013年より、作り手とユーザーを直接繋ぐことを目的とした野外フェスティバル「TINY GARDEN FESTIVAL」を開催、実行委員長を努める。2019年長野県茅野市蓼科湖畔に複合型宿泊施設「TINY GARDEN 蓼科」をオープン。同時に湖をテーマにしたブランド「EKAL」の立ち上げ及び全体のディレクションを担当。
Twitter:@chuman1979


Key Words: 
アーバンリサーチ, アーバンリサーチドアーズ, 馬場浩史, スターネット, 南風食堂, 三原さん, TINY GARDEN, KURKKUFIELDS, 烏龍舎, トランジショナルコットン, 移行期間綿, 近藤健一, 大正紡績, Tabio, 越智会長, Reborn-Art Festival, Cava缶



エピソードを読む:

[江良]
なるほど。いやいやいや。までもね、そんななかで、

[中馬]
そんななかで、江良さんと、僕の出会いはプレオーガニックコットンなんですよ。

[江良]
何か最初にどこであったか俺本当いまいち覚えてないんだけど、

[中馬]
いや、プレオーガニックコットンですよ

[江良]
まあそりゃそうだろうけどね。なんかあんまり、多分あれだよね。それこそ新山さんとかと一緒にお会いしたんだよね。

[中馬]
おそらく多分そうだと思います。

[江良]
新山さんっていうのはアーバンリサーチのディレクターをされてて、最初にプレオーガニックコットンでアーバンリサーチと一緒にやらせていただくときに、やっていただいた、ま、兄貴ですね

[中馬]
兄貴ですね。いやそんなね、プレオーガニックコットンなんですよこれ。これ一体どういう、何かその、あれなんすよ、途中から参加してるんで、このプレオーガニックコットンってそもそもどういう経緯で始まったのかよくわかってなくて、なんかその辺のご説明とかも。

[江良]
あのー、最初に、えっときっかけは、そのkurkku最初何だろう、さっきも言ったようにレストランを開けて、カフェ開けて、本屋ってて、雑貨屋を開けて、云々かんぬんで、管理の、僕なんか、別にどこ所属というより全体の管理みたいな感じだったんですけど、最初儲かってなかったわけですよ。

[中馬]
えーとkurkku全体が?

[江良]
kurkku 全体が。

[中馬]
なるほど。

[江良]
それで、小林さんがいろいろ考えられて、で、その当時、kurkkuの親会社が烏龍舎っていう音楽のプロダクションだったんですけどそこにMr.Childrenが所属されてて、いわゆるコンサートグッズっていうね、いわゆるTシャツとかタオルとか、そのコンサート会場で売るんだけども、それを環境対応したらどうなんだろうかと、それをkurkkuが担当するってのはどうなんだろうかということを、おっしゃる、そういうことを考えられて、それをやろうかと、いうことで、いろいろあって僕がその担当になっていくんですよ。それで、いろいろ何だろう、Tシャツをどう環境対応するのかって、リサイクルコットンとか落ち綿とかね、何かとポリエステルのまだその当時、再生ポリエステルなかったけども、竹とかなんかいろいろあったんだけど、やっぱ王道は、これは僕の感覚的なものも含めてなんですけど、オーガニックコットンなんじゃないかと思って、オーガニックコットンを使って、その、いわゆるそのコンサートグッズを2007年のホームツアーっていうのがあるんだけど、そこをオーガニックコットンでやることになるんですよ。で、ま、話はそこから始まって、いろいろあるんだけどもそのときは最初中国のオーガニックコットンをま、安いし、近いから、手に入りやすくて、あの輸送とかね、そういうことがあって中国のことやったんだけど、一つ問題なのはオーガニックコットンって何がそのいいのかっていうか、何がそのみんなにとっていいことなのかっていうのが結構わかりにくいっていう問題があって

[中馬]
性能の違いはないですもんね

[江良]
性能の違いはもちろんなくて、ただ生産地で農薬を使ってるか使ってないかって、ま、これだけっていえば、これだけなんです。てことはやっぱり生産地で何が良くなったかっていうことをちゃんと伝えないと、よくわかんないんじゃないかと。俺もよくわかんないしと。ということで、生産の現場に遡っていくっていうことをやるんですよね。最初中国で僕、大連で糸をひいてたんで、大連にいって、こうでこうでこうなんですか、みたいな、なるほどなるほどって、ちゃんとその工場が変なそのオーガニック以外の綿を混ぜることなく、ちゃんと管理してオーガニックの糸作れますと、なるほどなるほどと。ちょっとその、ね、いわゆる農薬を撒いてないっていう生産現場を見せて欲しいっていう話をしたら、これはちょっとあの、あんまり放送できないのかもしれないんだけど、その元々はその中国のオーガニックって、ゴビ砂漠っていうところでオーガニックを育ててんだけども、それってあの中国の人民軍がその、いわゆる日本で昔の屯田兵みたいな感じで、いわゆるウイグルの自治区を管理する人民軍が、人民軍のその、いろいろ資金を得るために、砂漠に種まいて、コットンを育ててるっていう話が、その少なくとも大連の紡績の糸を作る工場で聞いて、これ以上遡れないっていう話になって、

[中馬]
アンタッチャブル

[江良]
そう、でしかも何かね、これが放送しづらいのはやっぱりずっとそれが何か、ウイグルのね今いろいろね、今ウイグルの綿てね、もう全世界的にウイグルの綿を使ってる使ってない問題ってやっぱあるじゃない

[中馬]
新疆綿

[江良]
新疆綿って言われてるやつなんだけども、やっぱその新疆綿のオーガニックの話なんで、これをなんかねミスチルが使ってるなんて、ちょっと、もうまずいと。逆にまずいと。オーガニックだろうが何だろうが。ということが、やっぱ僕その時は2007年なんだけど、それはまずいとなって、それでじゃあって言って近くを探していくとやっぱインドにたどり着くのね。あとはやっぱこう、結構トルコとかいろいろあるんですけど、アメリカとかね。ただアメリカは結構デカい農家で、大規模でバーンとやる感じなんだけども、インドは本当に貧しい人たちが、野菜とか果物とか作っても、道路の状況が悪くて、街に届くまでに腐っちゃうみたいな人たちが、綿を育ててるんですよ。だから綿か、腐らない大豆か唐辛子か、この三つの作物を輪作してるようなところで、だから農家も一軒一軒、結構貧しいんですよ。

[中馬]
その輪作っていうのは要はこう交互にやる

[江良]
そうね、この年は大豆でも、大豆をずっとやっていくと大豆に必要な栄養素を土が吸っちゃうから、大豆、育なくなるし、土地が痩せちゃうんです。なんかこの年は大豆、この年は唐辛子、今年は綿、そうやってこう回してるんですよね。そういうことで、土から栄養の偏りをならしていって土地がこう、持続可能な感じで、農業できるようにするテクニックなんだけれども、とにかく、インドはそのとき、4エーカー、1人当たりの1農家当たり、4エーカーくらいが平均だっていうね、それすごいちっちゃい単位なんで、そこから糸、綿を買ってくと、僕たちできるだけ多くの農家と関われることができるっていうことがわかったので、それでインドに行ってみようと。こっからオーガニックコットン買ってこようという話になって、2007年にインドに行くんだよね。その時その、一緒に行くのは伊藤忠商事なんだけども、その2007年、本当ミスチルのHOMEツアーとap bank fesのTシャツとタオルを全部その伊藤忠経由でオーガニックコットンにしたんだけども、そしたら日本のオーガニックコットンの全流通量の3分の1が(アーモンドが喉に)日本のオーガニックコットンの流通量の3分の1が、僕を通ってるっていうことになったのよ。やっぱそれぐらい当時やっぱり、少なかったんですね。

[江良]
今見るとねもうどこでもオーガニック2007年ってまだそれぐらいの状況だったし、やっぱねミスチルが100万人規模でコンサート動員して何十万枚ってTシャツ作るっていうその規模もあって、結局なんか、気がついたらそういう伊藤忠商事みたいな日本でね何本の指かの商社が、「何か商売を」みたいな感じで来てくれたのね。それで一緒にインド行ってっていうことになって、伊藤忠、インドにもいろいろ合弁の企業とかがあって、どんどん遡っていって、インドの農家に付きあたるわけですね。そこで本当に、もう話は長いんだけども、結局そのオーガニックコットンはわかりにくくて、本当によく、オーガニックコットン使うことで何か良くなってんのかっていうことを取材しに行ったわけですよ。で、行くと、でもその本当に、良くなるんだろうなってことはよくわかって。何かっていうと、農薬がダーッて撒いてるのねインドで。本当に普通の散布機みたいので、しかも本当、農薬の何ていうのか、瓶みたいのがあって、ドクロマークがついてて、「ポイズン」って書いてあるような瓶があるんですよ。これがみんなの識字率というか文字もあんまり読めないような人もいるわけで、そういうわかりやすいことをしてるような、あとまぁ結構ちょっと強いんだよね。日本の農薬とかよりも。まぁ撒いているのはいいんだけど、いいとしてよ、結構撒いてる畑の隣に井戸があって、その井戸の水を汲んで、水を子供たちが飲んでて、なんかたまにお腹が痛いとか言ってるのよ。これは、当たり前だけど、農薬撒いて、その隣の井戸飲んでたら農薬飲んでるのとほぼイコールで、なんていうのちょっと考えようよっていう話なんだけど、もう、でもまあね、そういう識字率とかそういう中でそういうリテラシーみたいなこともあるのかもしれないけども、やっぱみんな本当に、本当そんなことしてるんだよね。それで、なんかオーガニックは本当意味あるんだと思って。本当にみんなでも、オーガニックなんでやらないの?みたいなことを聞くと、やっぱりその、農薬を使うこととその農薬を使うと、ちゃんと収穫量が取れる種があることと、あとそこに対してローン、まあ融資だよね、これ年利が50%ぐらいらしいんだけど、この三つがセットでボーンとやっぱ農家に売りに来るんだって。しかも年に50%なんてものすごいリスクだからもう。

[中馬]
返せないですよね。

[江良]
獲れれば返せるんだって。

[中馬]
あ、そうなんだ。

[江良]
穫れないとただ天候不順で穫れないと、もうアウトで夜逃げみたいなこととか、僕全然そのリアルな話聞いてないで本当かどうかだけど、記事であるのは、自殺とかね、そういう話が社会問題になってるっていうのが結構記事で報道されてて。だから、いや本当やめりゃいいじゃんっていう話を言うと、いやでもやっぱりこう、農家としては年収10万円とか20万円ぐらいな日本円でいうと、そのぐらいの世界でやっぱ農薬を使わないとなると年収が例えば10万円の人が、何か20-30%減る、年収10万円の人が7万円とか8万円になるらしいのね。

[中馬]
下がっちゃうわけですね。

[江良]
単純に収穫量が落ちるから。だから、まぁ売り上げを落としたくないっていうようなことをみんな言うんですよ。だから僕たちは、でもまぁだったら20-30%高く買ってあげるから収穫量落ちても、単価をちょっと高く買ってあげるから、そうすれば年収10万円で変わらないじゃないって言って、だから、日本で買う人見つけるから、それであの、

[中馬]
高い価格で綿を買うから

[江良]
高い価格で綿を買うから、無農薬でやってみたらどうなのと。またさらによくよく考えると、その金利とかそういう問題がなくなるから、あと農薬買うとかね。だからそういうコストも減るんで、結果としては儲かんだよね。なんか、その売り上げが云々というよりコストがなくなってからリスクが減るんで、農家にとっては絶対悪い話じゃないんで、そういうことやろうよっていうことを、現地で言い出したんですね。それがそのプレオーガニックコットンの始まりで。

[中馬]
それはオーガニックになるまでの間の話。

[江良]
オーガニックになるまでに、3年間無農薬で育てないと、国際的なルールでオーガニック認証が取れないですね。オーガニックは市場がマーケットがあるんで、普通にオーガニック、普通に今インドとか行くとね、なんか本当にドナドナみたいな感じで牛の、牛なんだけど、牛の荷台があってそこに綿を積んで取れた綿をマーケットに持ってくんだけど、やっぱオーガニックと、ノンオーガニックっていう二つの括りしかない。でもその1年目、2年目3年目の無農薬でやったものは、オーガニックじゃないんですよね。これ、これは何でもない。一応そのトランジションナルコットンという、移行期間綿というような言いかたをされるんだけど、この移行期間綿はなんですかね、経済的にあのマーケットがなかったんですね。最近ちょっとオーガニックいろいろあって、

[中馬]
そうですね。良く聞くようになりましたね。

[江良]
最近こうね、いろいろパタゴニアとかもやり出してくるようにはなったんだけど、2007年、8年とかも全然なくて、だからそこを、ちゃんと移行期間綿をオーガニック同等にちゃんと扱って、日本で売り先を作ってあげるっていう、それでまだ、スイッチングコストがあるんでね、やっぱりそのいわゆる農薬を使う農業から農業を使わない農業にスイッチするコストを担保してあげるような、そういうようなプログラムにしようと、いうのがプレオーガニックコットンの始まりで、インド行って、こういうことなんだっていうようなことがわかったから、それを日本で伝えて、そこに協力してもらえるアパレルの人を見つけていこうと。というのが、そのオーガニックコットンになる前の移行期間綿のコットンということで、あのプレーオーガニックコットン、っていうようなっていう名前にして、2008年に、始めたんだよね。

[中馬]
今までずっと続いていますよね?

[江良]
そうね。もういろいろ何か、そうですね、いろいろ

[中馬]
いろいろありながら

[江良]
国連のプログラムになったり、なんだかんだとかありつつ、今でもやっぱりオーガニックの何ていうかな、需要に対して、まだなんとか供給を増やしていかなきゃいけない、まだステージは、結局今でもオーガニックコットンて、何%なんだ、1%とかそんなもんですよね、全コットンを100%だとすればオーガニックは1%とかそれぐらいなんで、結局のところは、まだまだオーガニック必要だし、あと最近やっぱりどうしてもCO2のね、気候変動の問題が出てきてるから、やっぱりその肥料って全部化石燃料から作ってるので、そういう意味でもやっぱCO2の問題とか、もちろん地球環境とか健康とか、いろんな意味も含めて、まだまだオーガニックというか、そのね、オーガニックじゃないいわゆる肥料化学肥料を使ったりとか、あと結構殺虫剤の問題が結構あるんですけど、そういったものを使ってる何か問題はまだまだ続いている状況ですね。

[中馬]
これはでも江良さんずっとこの本当に2007年から今に至るまでだから、15年、ですよね?

[江良]
2008年から、14年ぐらいね、

[中馬]
その間、今何かどういうことやってきたかっていう話を全部聞いて、いるんですけど、1番その14年の間に嬉しかったことってなんですか?プレオーガニックコットンにおいて。

[江良]
プレオーガニックコットンに関して嬉しかったこと?

[中馬]
やった結果

[江良]
ま、でも、いくつかあるけれど、最初のほうは何だろう。それで生活がどう変わっていったかってみたいなことを、そのインドのね、生産者の生活がどう変わったのかってことを自分でこうアセスしに行ってたんですよね。なんかそういう中でやっぱり、ある意味、仮説だよね、ある程度ちょっと高く買い取ってあげると、やっぱり生活が良くなっていくんじゃないか、健康が良くなっていくんじゃないかっていう仮説があったんだけども、やっぱり最初2年目3年目とかは、現地に行ってそれを確認していたときは、やっぱりでも一番でも言われたのがやっぱその、さっきいっていたローン?借金をして、種子と肥料を買い取ってくっていうシステムからの解放っていうのが、すごい良かったって、みんな言ってて、考えりゃわかるだろうってのはあるんですけど、そうだよね、皆よかったよね、っていう話がみんな言ってくれてたんで、それは良かったなと思いましたね。あとはあの、何だろう、例えばね、アーバンリサーチと、あれどこでやってたんだっけ?大阪のどっかで何かトークショーやったけども、

[中馬]
南船場です

[江良]
南船場だっけ、アーバンリサーチと、あのときはユナイテッドアローズのグリーンレーベルとトークショーやったりとか、何かこう一緒に販売イベントやったりとか、2007年当時から、でもそういう環境問題とかを、こう考えていこうというふうに考えているアパレルの人も、みんなじゃないけどね、一部やっぱりいて、そういう人たちが何か一緒にやろうよって言ってもらって、そうしてくると、結局、同じそういう何か課題に対して、何かもうアパレルのね競合だからなんだからとか、そういうことも気にせずに何かもっと一緒にメッセージをこの問題を解決するためにメッセージを一緒に出していこうよっていうふうに、何かそういうやっぱり熱い人たちが何か集まってきて、垣根越えてみんなでこう活動していくみたいな。何かそういうコミュニティができていったっていうのは、それは何か嬉しかったっていうのもあるし、なんか楽しかったですね。それが、結局そういうね、震災が起きたときにすぐにみんなでじゃ東北の支援してこうということで東北コットンプロジェクトってなってくんだけど、やっぱりそういう何だろう。何かそういうことをやり始めたことで、日本側の何か特にアパレル側で、そういうことを関心持って一緒にやってこうっていう、何か人たちと会えたっていうのは、今でもね、そう、みんなと一緒にやってるし、多分中馬くんとかもそういう流れで今一緒にここで話してるんだと思うから。

[中馬]
でも、本当にそこはおっしゃる通りで、やっぱり競合する部分なんですけどね、普段競合するんですけど、やっぱりちゃんと協調する場所はしっかり協調するっていうことが、割とそのあたり、から何かこう、多分それ以前は無かったなって正直思うのでそれは何かやっててすごいやっぱり僕も江良さんと同じ気持ちですね。面白かったし、何かエネルギーというかパワーが大きくなるんで

[江良]
そうね

[中馬]
達成するまでの道のりが非常にこう、なんでしょうね、短くなるっていうか。

[江良]
うん。そこら辺ぐらいからだよね、なんかをブランドとかそういう縦割りというよりも

[中馬]
そうですね

[江良]
繋がっていろいろ

[中馬]
課題を解決していくみ

[江良]
一緒にやっていこうねっていうような、そういう流れができてきたよね。

[中馬]
それは本当そうですね。そうで、そうだから、このプレオーガニックコットンから、東北コットンプロジェクトに、江良さんからお話ありましたけれども、繋がっていくんですけど、

[江良]
はい。

[中馬]
これのきっかけは、もう、きっかけはね、

[江良]
きっかけはまあもうね、311の東日本大震災が起きて、でも本当に、どれぐらいあったかな、もう1週間も経たないぐらいに、それこそアーバンリサーチは新山さんから連絡あって、何かやれることないのかと。つまり何かこうね、なんかみんなでこう、その時インドは、まぁまずはプレオーガニックコットンはインドなんだけど、インドのコットン農家のために、みんなでやれることを皆で考えていこう、みたいなコミュニティができてたから、このコミュニティでどうなんか、このねもうね、目も当てられないようなね、最初本当ショッキングな状態だったから、何かできることないか考えていかないと、いきたいよね?っていうことが、やっぱアーバンリサーチとか、ユナイテッドアローズとか、Leeとかね、いろいろ出てきて、それでなんか、考えようってことなってくるわけですよね。最初はなんか、避難所にいるおばさんとか、おばあちゃんとかね、なんか手仕事してもらおうかとか、何かいくつかこうアイディアを出してたんだけども、何かこう、いまいち無理があったというか、なんだろうな、何が無理だったんだろう?なんかこう、続いていかないようなことを、とかね、ちょっとこっちの企画が企画倒れになるんじゃないかとか、

[中馬]
そうですねやっぱ結構無理してね、なんかね

[江良]
無理してやってもらってもとか、本当に裁縫とか好きな人がいるのかとか、今このタイミングで裁縫喜ぶのか、やっててとか、何かいろいろあったんだけども、それで、5月に、もうなったんだよね、で5月10日がそのコットンの510でコットンの日っていうことで、Leeの細川さんが毎年いろいろイベントをやられてて、そこで大正紡績にいた近藤さんが、近藤健一さんが、僕どちらかっていうと、近藤さん、大正紡績さんってね、オーガニックコットンでね、とても有名な先人、日本の多分第一人者的な感じで近藤さんやられてたから、どちらかというと伊藤忠と組んでプレオーガニックみたいな感じで、ちょっと新しい切り口でやってる僕とかだと、どちらかというとコンペティターになるんだよね。でも、それまではそうだったんだけれども、近藤さんが、でもそのときに、この前ね今年初めに亡くなられたTabioの越智会長と電話で話して、その東北のね、沿岸の津波で塩害になった地域に、綿を植えてくっていうプロジェクトをやったらいいと。それはその元々今、岡山の綿布とかユニフォームの産地の児島とかは元々は干拓地で、埋め立てた後にやっぱり稲は育たなかったと。それはやっぱ、綿を植えると育ったから、それは今、結果としては、綿布の産地になってると。だからそれをそういう話を越智さんが聞かれて、近藤さんに、これやろうやと、日本のために、みたいなことで電話をしてきたんだと。本当のね、近藤さん聞いたら怒るかもしれないけど、近藤さんっていつもすごいお話が長いから(笑)

[中馬]
ですよね。何度か。

[江良]
近藤さんとのミーティングの後は、2時間か3時間か、後の打ち合わせを入れないようにしてたんだけど 笑

[中馬]


[江良]
そのときの近藤さんのスピーチは、いや本当に、僕は本当にこれをやりたいと思う、みたいなこと本当30秒ぐらいで、みんな一緒にやろうよっていうね。近藤さんの呼びかけがセミナーであって

[中馬]
すばらしいですよね。

[江良]
ああ、僕もね本当これを聞いて、これだと。絶対いいと。つまりその、農家さんが今、米を育てられないと。米を育てられないんだけど綿なら育つと。そうすると農家さんに収入が出てくるわけだから、これは本当にあの、綿っていうのはみんな使ってるから、誰しも使ってるから、これみんな使えるよねと言って、みんなで支援できると思って、これすごいいと思って、そのスピーチ終わって近藤さんのところに行って是非やらしてくれと、一緒にやらしてくれと。もうその、その場にでも、多分、もちろんLeeもいたし、アーバンリサーチもいたし、中馬がいたんだっけ?

[中馬]
僕もいましたよね

[江良]
だよね。UAもいたのかな?ちょっと覚えてないんだけど、でももうそこらへんで、これだこれだ、みたいな感じになって、で、次の日打ち合わせしたんだよね、うちの原宿の会社みんなに来てもらって。

[中馬]
やりましたね。

[江良]
もうこれだと。それで、Leeの細川さんが、でも、農家を探さなきゃいけないよね、ということで、全農のね、ユニフォーム作った実績から全農に問い合わせていって、全農から農家探してもらって、5月10日にそのやろうって話になったけども、5月末にはもう種植えをしてたんだよね。

[中馬]
行きましたね。行きました。それは。

[江良]
農家さんに会いに行って、話をでも実際聞いてみたら、やっぱね、どちらかというと収入云々とか僕たちは思ってたんだけど、結局やっぱりまだ避難所にいられて、毎日なんかそんな何もやることも無くて、配られてるこうご飯っていうかね、そう食べてると。やっぱりすごいね、もうもちろん家とかも、いろいろもう流されたり、なんか被害があったりなんかいろいろある中で、何か少しでもみんなが一緒にやろうって言ってくれて、なんか本当その気持ちみたいなことなんだよね。で、その気持ちを、受けて、何か少しでもじゃ自分も何かこう次に向かって動けるというかね。だから本当そういうことが、嬉しいんだっていう話をもらって、まぁね、また僕たちもなんかね、なんかこう、稲を作れない間に綿でお金を、とか言っちゃってたけど、そういうことじゃなくてやっぱり何かそういう繋がりみたいなものが、なんか当時絆みたいな言葉も流行ってましたが、本当に何かそういう

[中馬]
でも実際そうですよね。そうでしたよね。

[江良]
5月の末から種まきを始めてくんですよね。それが最初13社ぐらいで始まって、多いときはね、90社ぐらいまで、いきましたよね。

[中馬]
すごい、凄かったですからね。バスもね、出たりして。

[江良]
バス出してね。

[中馬]
皆で行きましたよね。覚えてます。で、1年目はあんまり取れなかったっていう。

[江良]
全然取れなかった 笑

[中馬]
すごいよく覚えてます

[江良]
綿ってやっぱりこう、積算温度って言うんだけど、ある程度、温かくないと育たないんですよね、東北寒いね、みたいな 笑。寒いみたいな。

[中馬]
そうですね。

[江良]
ちょっと蒔いた時期も遅かったんだけど。

[中馬]
ちょっと遅かったんですよね。

[江良]
今はあのもう4月ぐらいに、いわゆるポットで、苗作って、発芽した苗を、ゴールデンウィーク明けぐらいに畑に定植するっていうことなんで

[中馬]
進化してますよね。

[江良]
いやだからそれは本当に農家さんが、頑張ったっていうとあれですけど、東北だとどういうふうに栽培すると綿花が育つのかっていうのを、やっぱ科学的に、ものすごい研究されたんですよ。まぁ6年ぐらいかかったと思うのよ。本当にね綿花が白くなるまで。綿花畑みたいなことになるまで。結構大変だったんだよね。だから、本当はなんというの最初はその言ったように塩害を、あの塩害の最中に、綿で農業収入を農家さんにあげてもらおうって話だったんだけど、でも塩害はもう2年ぐらい経つと、クリアになってるんです。

[中馬]
落ち着いて

[江良]
そもそもの動機から言うと、まぁやめようかっていう話はもちろんあって、ただやっぱり結局んところ、何ていうのかな、なんかやっぱり農家さんも、やっぱりあれだけのネガティブな震災っていうねネガティブがあった中で、その中でただ僕たち出会えたことが、ポジティブなんだ、っていうことなんだよね。結局僕たちは最初お金、農業収入を、塩害でね稲ができない間にお金を農業収入得てもらおうと思ってやってたんだけども、結果、でも2年3年で実はもう塩害はクリアになってるから、そこで止めても全然良かった。良かったというか、最初の僕たちが思っていた趣旨からすると、そこでもう目標は達成してるんだけど、ただ農家さんとしては、そういう震災が起きたときに、助けに行ったって僕たちが言う言葉ではないけれども、僕たちがこう一緒にやろうって言ってくれたことが嬉しかったとか、でまぁ、本来ならばね、絶対関わりようがなかったメンバーだよね、その宮城の米農家さんと、アーバンリサーチととかね。何か一緒に何かやるってやっぱちょっと、なんかそれがやっぱ、何か震災っていうあれだけのことがあったけども、唯一なのかな?何個かあったうちの、いいことなんだよね。

[中馬]
うん。

[江良]
だからそこに農家さんはやっぱり価値を持ってくれてるから、僕たちも何だろう、あのなんかね、1回そういう繋がりとか拘りとかができた中で、本当に何かこれから、もう復興みたいなフェーズはもう終わったんだけど、やっぱこれからいろいろできることをもっと考えていきたいっていうふうに、今思ってますけどね。

[中馬]
それがでもやっぱり、達成できたこと、になるんですかね。達成できたこと。成果。

[江良]
何か達成したというよりも、もうなんか、もう繋がりというかね、何かそこで関わって一緒に何か、一緒に綿を作って日本でまぁ一番の最大級のね、綿畑をね今現実的にやってるんで、その辺のこう面白さとか、良さを何か繋げていけるといいのかなと、いうふうに思いますね。

[中馬]
でも何か、僕も最初にお話、本当震災の直後にそういう話があって、塩害からの要するに綿が道管太いからとか、そういう話でしたよね?

[江良]
そう綿のこう水を吸う管が、稲よりも太いから、塩が塩の結晶が詰まっても、まだ水が通る。稲はもう塩が詰まったらもう水をあげられないぐらい細いんだよね。

[中馬]
なんかそれが、結局その土壌から塩を抜いていくっていう効果もあるんじゃないかとか、多分何かいろんなお話が多分いろいろあったと思うんですけど。何かそこから、こう少しずつ少しずつ、改良されていって、綿が普通にたくさん取れるようになってるって今の現状っていうのは、いやすごいよなと正直思うので。

[江良]
日本はやっぱり、まぁでも、この話は行くと結構な長くいくよ 笑

[中馬]
北限はそれまで北関東だったっていう話は何か聞いてました

[江良]
そう本当に北限が引き上がったっていうのはありますね

[中馬]
その流れでもう一つ、Reborn-Art。

[江良]
Reborn-Art、はい。

[中馬]
これも、震災関連のってことに

[江良]
なりますよね。

[江良]
Reborn-Artは、何だろう、これap bankがやってる、主催、あの石巻市と、石巻市というのはその、Reborn-Art Festival実行委員会っていうのがあって、そことap bankとでやってる、総合祭、芸術祭なんですけどね。うん。これも、元々は僕が東北コットンで、頻繁に東北に行っていることから、ap bankもその、東北の復興支援をやろうということになって、最初結構石巻で、テント、キャンプサイトを作って、そこで泥かきとか、あの炊き出しとかそういうのをap bank最初やってたんだけども、そういう緊急的なフェーズが終わって、じゃあ次どういうことをしていくのかっていうときに、たまたま僕がそう、東北に頻繁に通ってたから、じゃあそのAPバンクの復興支援活動も担当することになって、まぁそれでいろいろやってくんですよね。その中でいろいろこうなんだ、その時は右腕プロジェクトっていって被災地でいろいろこう、新しく、まぁ元通りに被災地を戻すのは難しいから、何か新しいことをして、何か新しい地域にエネルギーを作っていこうっていうようなことをやってる人たちに、例えば人手がいないから、地域は本当に助けに行きますみたいな、若い人を中心にプロジェクトのリーダーの右腕になる人、半年分ぐらい人件費を補助して、送っていくとか、あとはあの専門家を送っていくとか、何かよくあのね、鯖缶っていうなんかちょっと

[中馬]
はい

[江良]
青と黄色とかなんかちょっとおしゃれな感じの

[中馬]
ありますね

[江良]
美味しいんだけど、あれとか、実はap bankでデザインを提供したんですよ。

[中馬]
そうなんですね。

[江良]
そうなんですよ。あれはだからその、専門家、デザイナーを地域の岩手の、そういう復興やろうっていう人と、そのデザイナーとマッチングさせたっていうやつで、そういうのとか、何かシェフを派遣したりとか、何かお茶っこカフェを立ち上げたいけど、みたいなことで、でも何かこう、カフェの趣旨とか、どう立てればいいかわかんないっていうかそういう飲食の専門家送ったりとか、

[中馬]
なるほど。

[江良]
なんかいずれにしろ最初のボランティアを全国から集めて送るみたいなところから、何か一貫してやっぱりこう何か東北に対して何か手を差し伸べたいっていう人を現地とマッチングさせていくということを、ap bankは最初からやってきてて、それでまぁ、ap bankのapってアーティストパワーとオルタナティブパワーという二つの意味があるんだけど、その、そもそもの、その何かアーティストパワーのアーティストの力をあの被災地にいよいよ投入していこう、みたいなところが最初始まりで、元々はその新潟の十日町の大地の芸術祭ってのが2000年からやってて、まぁ北川フラムさんっていう方がずっとやられてる。それは本当に過疎がテーマで、人間はやっぱ自然の中に、その内包されてるんだと。つまりその自然側の中に人間があって、その主従というか主客というか。だからそういう過疎になっていく本当に限界集落みたいなところに、アーティストが行って。でもだから、やっぱり限界集落みたいなところだからこそ、やっぱり東京とかそういう都市では、なかなかない自然とか何か元々昔からある文化とか、人の営みとかそれこそ農業とかやっぱいろいろ何かそういうものが残っていて、あとなんか時間の流れ方とかね。やっぱ都会はやっぱりいろんな、きちっとしたシステムの中で動いていかなきゃいけないけど、やっぱり地域っていうのはそういうことないから。そういう中でそれ様々だけど、アーティストみたいな、ある程度感性が、アンテナが高いような人たちが行って、そこでやっぱり何か面白いものを見つける。それは元々そこにあるものなんだけど、その元々その地域にある面白い何か資源というか魅力を、アーティストが見つけてそれを作品にしていくっていうことを、その大地の芸術祭はやられてて、しかもそんなに人がいないから、作品をみんなで作品を作るときも、なんか集落の人たちとみんなで作ったりとかして、なんかご飯食べさせてあげたりとかね。

[中馬]
うん。

[江良]
だから僕たちは、僕もある方に誘われて、大地の芸術祭に行くんだけども、それはなんか芸術祭だから、フェスティバルに行くっていうだから、何かアートを楽しみに行くと思って行くわけなんだよね。でも実はアートを楽しむんじゃなくて、その作品を通じてその集落とか、その作品を一緒に作ってきた何かこう、その村のおじいちゃんとかおばあちゃんとかの生活と交流することとか。結局は東京に戻ってきても、何かこう印象に残ってるのは、その作品の何かこうアート性とか芸術性もちろんあるんだけど、どちらかっていうと、その地域のおばちゃんが出してくれた何かお漬物と、何かそのトークがやけに1時間も話されて長かったけども、ざらっと何かこう残っているみたいな。やっぱ何かその作品を通じて地域と何か交流したことが、やっぱ東京の美術館じゃないことだから、それで何か、何かその地域との関わりを、何か継続的にとか、また行きたいなとか、何かふと思い出すとか、何かそういうことがあって。それでこれを小林武史さんが、やっぱこれを復興に、このフォーマットっていうとちょっとあれなんだけども、この形を復興にも活かせるんじゃないかと。つまり被災地は本当に過疎って意味だと、その今までも過疎だったけども、その津波でさらに人が都市部に移ってたから、さらに過疎のもう時計の針が10年ぐらいキューッとこう過疎のその時計をもう早回しにしたような感じなったから、でもただ、そこで特に漁業の方とか、そこの自然を活かしたりとか、その場所で自分たちの故郷で暮らしていきたいって人たちはいっぱいいて。でもやっぱね、片や小学校とかどんどんなくなっていったりとか。そういう中で、やっぱ新しい人の交流とか、新しい地域が前に進んでいくエネルギーを作っていくためにも、それでこうアーティストを各浜とかにね、派遣して、そこにあるアーティストだからこそ発見できる、逆にそのね、自然との繋がりとか、その浜のなんか営みから在る魅力を作品にして、お客さんが仙台とか東京からその作品を見に行く。でもまぁその作品というのは、その地域の何か面白いものってやっていくっていう交流を生み出せるんじゃないかっていうことで、まぁそれ2017年かな、石巻っていうところと、石巻の先の牡鹿半島っていう、本当震源から一番近い陸地なんだと思うんですけど、そこでアートと、あと食と音楽と、の芸術祭を。元々ap bankってフェスをね、音楽フェスを3日間ぐらいボーンっとやってたんだけども、やっぱりどうしても3日間ボーンって、なんかこうなんてこの花火がポンって打ち上げ花火で終わるみたいなことになるから、本当に50日間ぐらい、そのそれこそ大地の芸術祭のフォーマットを僕たちこう教えてもらって、あの石巻でやっていくことに、なってるんですね。

[中馬]
うん。でもなんか、確かにその作品を見に行く、何かだけっていうよりかはなんかその、作品があるから行くんだけど、何かそのエリアの何かこう営みみたいなものとか、何かそれに触れていくみたいなところで作品を超えて何かちょっと拡張性があるみたいな、そういうことなんですよねきっとね。

[江良]
作品が何かその地域を、逆にそういう作品だと、すごい見に行って面白いね

[中馬]
確かに何か得るものは、すごいありますよねこれ

[江良]
なんか自分の本当に作家の頭の中の世界だけがぽんとあっても、自然の中でそういうがぽんとあっても、なかなか成り立たないというか、やっぱり人の心まで動かせない。

[中馬]
まぁそうですよね。

[江良]
やっぱそこにこう作家の体とか、何かその時間とかね。そういったものをちゃんと通過してきて、なんか出てきてるものの方が、やっぱその背景の自然とかいろんなものと相まって。あとそもそもホワイトキューブのね部屋の中の作品じゃないから。何かそういうやっぱダイナミズムみたいなものがないと、なかなかこう成り立たない感じなんですよね。

[中馬]
実際その、Reborn-Art、2017年からスタートして、ここがやっぱり一番なんか、なんですかね、何でしょう、得られるものがあったかとか、何かそういうことなのか・・

[江良]
個人的に?

[中馬]
まぁそうですね。やったことによってみたいな。

[江良]
僕が?

[中馬]
そうですね。

[中馬]
ありますか?

[江良]
でもやっぱり、一番、今でも思っているけど、何だろう、本当にこう東北コットンとかもそうだし、もしかしたらインドとかもそうかもしれないんだけど、僕は本当にずっと東京で生まれて育ってきたから、本当にそういう、過疎みたいなところに自分で身を置いて、そういう人たちと仕事をしたりとか、コミュニケーションしたりとか、そういう人たちが何を大事にしているかとか、まぁ皆さん大体そういう意味だと、猟師さんとか、漁師さんっつっても海の漁師もいるし、山の猟師もいるんだけど、なんかそういう、いわゆる本当に生産者なんだよね。だからそういう本当に自然から食べ物を得て、それをそれで生業にしている人たちとか、東京いるとまぁ、全然触れることが無いよね。

[中馬]
うん。

[江良]
だからやっぱり東京でちゃんとお金を稼いで、そのお金を元に、食べ物と交換していく、みたいなね。何かそういう都市では当たり前のことが、やっぱり地域のそういう地方に出ていったり、そういう浜の中、自然の中とかで暮らしてる人たちと、こう接してみると、何かまた全然違うリズムとか、時間の感覚とか、もう全然違うんだよね。だから、それは本当に、何だろう。まぁ僕たちが、本当にまぁ例えば牡蠣の漁師さんとか結構多いんだけど

[中馬]
うん。

[江良]
はい、お金出して、はいスーパーで牡蠣だけ買ってきて、食べる。みたいな、ことなんだけど、でも実際そうやってる、獲ってる人たちとかは、何かまた全然違う世界で、やってんだなあっていうのは、ちょっとわかりにくい?

[中馬]
全然わかるんですよ。そういう気づきってことですよね?そういうことの気づきがあって。

[江良]
なんだろう、僕たちの何か足場っていうか、結局その福島の原発のこととかもそうだけども、僕たちの生活、何か食べるものって全部地方とか海外とかそういう生産地から送られてきて、僕たちはそれをお金があって出して交換して食べてるでしょ?もうそこを作ってる人たちっていうのは、ま、僕達を支えている人たちですよね、僕たちの生活を。僕たちの生活を支えている人たちのことは、何も知らないんだなとか、何も知らないで生きていけるんだなとか、来れたんだなとか、何か思ったのは、そういうことですかね。

[中馬]
それは、分かったほうが、いいですか?

[江良]
それは、分からなければ駄目なんじゃないかなとは思いますよね。だって、何でしょうねわかったほうが楽しいと思いますけどね。結局、何かをお金っていうね道具が駄目とかそういうことはないんだけど

[中馬]
ええ。

[江良]
でもやっぱりこの人が作ってて、なんかこうね送ってくれて食べるとか、そういうことのほうが楽しいし、なんか安心だし、なんかより体験というかね、食べることに対しての、その体験の質が、もう圧倒的にあがると思うね。

[中馬]
それはあれですか、何かそういう経験とか今江良さんがお話されてることっていうのは、このタイトルにもなっているこのalt-Tokyoともやっぱりちょっと関係が。

[江良]
やっぱそういうこう地方の体験がなければ、このね今、このタイトルalt-Tokyoっていうのにしてるけども、これやっぱり、東京、altというのはオルタナティブの略なわけなんだけども、もう、今の東京を、もう少し、もっとこう、違う東京の暮らしかたとか、もっとこうなっていけばいいっていうことをみんなで考えていったり、調べていったりいろんな人の話を聞いていきたい、っていうことなんだけれども、やっぱり東京に暮らし、東京でずっと、そういう地方のね、人たちと接することがなければ、そういうふうには思わなかったと思いますよね。だって、まぁ東京便利だし、何だろう、お金さえ稼げればって、ちょっとこうね、枕詞がつくけれど、お金さえ持ってれば、基本的に何でもできるでしょう?お金があれば何でも交換できる。でも、やっぱり、こう、何かその東京が、まぁなんだろう、明治維新以降なのかな?徳川幕府以降なのかな、なんかやっぱ東京が江戸が首都で、なんかこう、お金みたいなものとかが集まってるから、なんか地方から米が送られてきたりとか、なんかねいろいろこうね集まってきて。それで今で言うとね、本当電気とかも地方でね、原発とかで作って東京に送られてきたりしてるわけでしょう。でもその分なんかね、地方がなんかね、こうちゃんとバランスが取れてるかっていうと、今地方もね誰でも知ってるように、地方は衰退とか人口はどんどん減っていって、何か小学校がなくなったりとか、何か電車が廃線になったりとか、今までね、こう今までこうあったものが、どんどん人が、どんどんいなくなって、いろんなものが維持できなくなっていく

[中馬]
はい

[江良]
でもそれって、東京にやっぱねこう傾向として、やっぱ集まってきたわけでしょう?だから、それで、東京の人たちは、なんかそれで、何かそういうことですら他人事なわけだよね?

[中馬]
そうですね、わからないですもんね

[江良]
分からないから他人事なわけだよね。でも本当それで、大丈夫なのか?とかね。どんどん地方に人がいなくなって、みんな何か仕事が云々とかで、東京集まってきたとして、で東京、何も、お金以外何も作れないから、

[中馬]
うん

[江良]
なんだ、原材料とかあればもちろん、飲食で何か、作ってとかできるけども、何か食べ物工場とかも、そもそもあんまないし、そもそも、農業とかないしね。何もプロダクティブじゃないから。やっぱちゃんと物はどうで、どこでどう作られてとか、作ってる人はどういう思いでやってるとか、どういう問題があってっていうことと、東京とはやっぱ切り離せないと思うんだよね。

[中馬]
うん。

[江良]
またやっぱりずっとね、僕はそのkurkkuとかap bankで環境問題っていうのやってきたから、やっぱり都市の環境問題ってのはやっぱすごい思いますよね。やっぱりこうよく言われるこう、大量生産して何かこうバーっとこう、お店に在庫が積まれて、それを欲しい人はこう買っていって大量消費みたいなことになるんだけど、それもねなんか、売れる商品は売れるけど、売れない商品は在庫の山になって、また捨てられるとか

[中馬]
そうですね。

[江良]
なんか今日も、この収録しているマンションの粗大ゴミ売り場にスノーボードと笑。

[中馬]
なんか捨てちゃうんだ、みたいなやつありましたよね 笑。

[江良]
こんなもん捨てられるんだ、みたいなね。みんな引っ越したら捨ててく。みたいなことを。でもやっぱりね、お金のお金がねあればね、別に引っ越し代とかで、持ってったり、スペースとかやっぱ、全部やっぱお金のことに換算されてって、無駄になっていくわけなんで、そういうこう、便利さみたいなものと、お金で便利さを買っていくみたいなことって、やっぱりどう考えても、環境というか、地球の、地球の環境はやっぱねやっぱ悪くしていくから、それをただやっぱりね、粗大ゴミとかいうシステムもあるわけで、その粗大ゴミみたいなシステムで何かこう、ね、処理できちゃうから、なんかいいんじゃないのってみんな思っちゃうんだけど、でも結局、地球がこう、なんていう環境的に処理できるキャパシティは決まってるわけで、CO2もそうだし、もういろんなものがもう決まっているわけだから、やっぱりこう、都市で、何でも捨てるから、何でも捨てりゃいいんだとか、何でも買えるから買ってくりゃいいんだみたいな。ま、そういうような考え方にどうしてもみんな分かんないからなっちゃってるところが、多分一番良くないとこなんじゃないかなというふうに、思うようになってきたんだよね。

[中馬]
うん。

[江良]
そういう地方とか、そういう自然とか、というところになっていくと。

[中馬]
うん。

[江良]
やっぱどうしてもやっぱりこう、何事もまぁその環境だと、よく循環っていう言葉を使うけども、循環というのはやっぱり基本的にこう何かを食べて、何かを例えばゴミとして捨てたりとかしても、それは土に返って、またそれが栄養になって何か野菜なったりとか、植物ができてまたCO2が云々とかね。そういうようなやっぱ循環がない限り、やっぱサステナブルっていう持続可能じゃないってことになるんだけど、やっぱり都市の僕たちがやってるライフスタイルっていうのは、やっぱどこにもその循環の知恵が組み込まれてないから、やっぱそれをもっとどんどん組み込んでいかないと、僕たちの子供の世代とかは、孫の世代とかね。

[中馬]
うん。

[江良]
やっぱそこにベターな世界をやっぱどうやっても残せないと、思うわけですよね。なんでそのalt-Tokyoっていうのは、オルタナティブな、僕たちがどういうふうなライフスタイルをどうやって生きていくといいのかとか、じゃ、課題はね、本当みんないろいろ、こういうの課題だよねと思うと思うけど、本当にどういうのが課題で、本当にこう何が問題点なんだろう、とかね、そういうのをもっと分析してったほうがいいし、そこに対してどういうアプローチができるのかとかも、もうもっと勉強してった方がいいし、僕たちの、今ここで生きている僕たちが、どう本当に生きていけばいいかっていうのを探していくための、なんかこう、みんなで考えていくような、そういうような場所になるといいんだろうと、そう思ってalt-Tokyoっていう名前をつけてるんですけど。

[中馬]
素敵です。

[江良]
笑 ありがとう。

[中馬]
でもあのやっぱ都市だから、あの、いろんな課題が凝縮して見えるっていうことも、わりとあるのかなとか思うんですけど。ゴミの問題もそうですし、環境にしても、フードロスとかにしても、そうですまぁ、恵方巻きとかね、毎年えらいことになるじゃないですか。

[江良]
さすがに大分なくなってると思うけどね

[中馬]
そうですね 笑

[江良]
どうなんだろう?僕たちこう、某コンビニさんと一緒にあのコラボで、kurkkuのときにコンビニやってたことがあるんだけど、とんでもないからねあれね笑。なんか、1ヶ月前ぐらいから営業入ってくんだよね。

[中馬]
そうなんですか

[江良]
いやもう恵方巻お願いしますって言って

[中馬]
すごい

[江良]
江良さんお願いします、とか、小林さん5本ぐらいお願いしますとか。でも結局その恵方巻を各コンビニで競争して、1本わかんない1,000円だか1,500円だかちょっと覚えてないけど、作るじゃない?

[中馬]
ええ。

[江良]
でもそれって、もう、その1年前から、競争に勝つために、何かこう、今年の恵方巻きは、なんかカニを入れて、とか、バイヤーが買い付けんのよ。

[中馬]
もうじゃ買っちゃった、そうか材料買っちゃってるんですよね?もうね?

[江良]
材料も一年前に買ってるのよ。だからもう今年は、1年前から来年の恵方巻きは、もう100万本を売るぞって決まってんのよ。もう仕入れちゃってるから。それが各お店にじゃあね、僕たちのこのお店で1,500本売れみたいなことに、もう割り当てになるわけよ。1,500本かあって言って、店で売るけども売れないから、自分でも10本買って、何かね、

[中馬]
配ったりとか

[江良]
みんな、いや、でも配ったらもう損失になるから、もうとにかく

[中馬]
売るんですか?

[江良]
売るんだけど、そんな簡単に売れないわけよね。別に。そうですね、

[中馬]
そんなにいっぱいいらないですよね

[中馬]
大きいし

[江良]
各家庭1本でもちろん十分だからさ。そうやって、1,500本と言われたけど、1,000本しか売れませんでしたっていうと、500本フードロスになるんだよね?

[中馬]
してるわけですよね?

[江良]
それで有名なさ、こういう恵方巻きがゴミになっている写真がでてくるんだよね。

[中馬]
あの映像はショッキングですよね、本当に

[江良]
結局なんだろうね、やっぱりそれはでも本当に、企業側というかね、作り手側の問題ですよね、やっぱりこう不必要なものを作るってやつだよね。洋服とかねもちろんね。

[中馬]
多いですよね。

[江良]
多いよね、やっぱり仕込まないと、やっぱり在庫積まないと、売り上げになんないんだけど、まあ、そんな簡単にね?

[中馬]
そうですね。やっぱり、当然たくさん作った方が、一つ当たりのコストは下がってとか、いろんな経済的な理由とかもあるんですけれども、多分恵方巻とかも一緒でしょうけどね

[江良]
構造としては、はい。

[中馬]
結局、ある程度それをロスを見込んで作っていくみたいな構造になっていくんでしょうけど。そういうのはやっぱりこの都市、東京にいるから見える景色だったりもするところもあると思うんで。

[江良]
だからまぁ本当に僕なんかはたまたまそういう地方とかね、たまたまそういう環境の仕事してたから、やっぱ環境というとやっぱその生産地をね、生産の上流に遡っていくような経験が結構できたから、消費地である東京から何かこう、そういうことを見るんだけど、やっぱりみんなそれは僕の子供とかも含めてね、みんな見る機会がないから、分かんないんだろうと思うんだよね。なんかお前らもっと考えなきゃ駄目だよっていう気もしないというか。わかんないよねっていう。だってもうみんなそういうね、競争社会の中で、みんな頑張って生きてるわけだから、わかんないと思うね。だからそういうのはただもうちょっとこう、みんな・・ただねやっぱコロナになってとか、何かほらねウクライナとかで何か食べ物の安全保障とか、なんかみんな何かそういうこと、とかね、あとやっぱりこれだけサステナビリティってことが、あの言葉になってたから、なってきたから、みんなやっぱりこう、ちょっとなんか、違うかもねとか、

[中馬]
うん。

[江良]
なんかやっぱりこう、今のね仕組みが、もうね戦後何十年かこうやって硬直化してきてるようなところが、ちょっとまずいかもとか、みんな思ってるところはあると思うんで。

[中馬]
はい。

[江良]
そこら辺をあの、もう少し次回からは

[中馬]
そうですね

[江良]
ちょっと細かくというか、一つ一つちょっと見ていけるといいですよね。

[中馬]
はい。なので、次回からの進め方としては、いろんな課題に取り組んでいる方へのインタビューなんかもそうですね。

[江良]
まずは、いろんな、例えば、今言ったようにやっぱね、地方と都市の問題とか、そういうフードロスとかもそうだし、まあねCO2、気候変動みたいなことも、

[中馬]
うん。

[江良]
あると思いますけども、もう本当に、極端なことを言うとね、その地方が衰退して、みんな東京に、東京が相対的に、東京もねもう当然高齢化だから、人口減ってきますけど、相対的に東京の人口増えてくっていう、っていうけど、なんでみんな、東京に来なくてもいいんじゃない?とかね。

[中馬]
そうですね

[江良]
やっぱりコロナでほら、ワーケーションとか二拠点とかね、移住とかそういうことも出てきたから

[中馬]
生活の選択肢は増えてきましたからね

[江良]
何かこういうライフスタイルのほうが暮らしがね、ベターなんじゃないとか、そういうこともあると思うんですけど。いずれにしろ何かちょっと次回は、何かこういう課題とか問題とかがあるよねっていうのも、

[中馬]
ちょっとね、

[江良]
話していけると。いいんじゃないでしょうか?

[中馬]
はい。ありがとうございます。じゃ、今日は、このあたりで。結構、お話しましたけど。

[江良]
そうですねはい。

[中馬]
今日は、第1回目ということで江良さんの過去の経歴から

[江良]
中馬の過去の経歴から、

[中馬]
今までやってきたプロジェクトと今進めているプロジェクトについてお話をさせていただき、alt-Tokyoのご説明をさせていただきました。ありがとうございました。

[江良]
皆さんありがとうございました。

[中馬]
さよなら

[江良]
さよなら