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kurkku alternativeは、都市生活者が自然や地域、生産者や隣人とのより良い関係性について一緒に学び、生活を循環型、コミュニティ型にシフトしていくために取り組める、オルタナティブな仕組みを提案していきます。
1973年京都市生まれ。一橋大学経済学部卒業。日本電気株式会社、Starbucks Coffee Japanを経て、2004年に友人らとともに初めてのカフェ「Futsalcafe KEL」を立ち上げる。2013年に株式会社WATを設立し、地域に根ざしたカフェ「Café & Hall ours(大崎)」、コーヒーロースター「Coffee Wrights(蔵前、表参道)」、パン、アイス、焼き菓子等を製造する「Marked(本所・渋谷)」、京都市京セラ美術館内カフェ「ENFUSE」、図書館併設カフェ「Ampere」などをさまざまなアプローチからカフェを開発し、現在23店舗を運営している。その一方でBlue Bottle CoffeeやDandelion Chocolateなどアメリカ西海岸の食クラフトブランドの日本上陸に関わる。2016年には株式会社MITOSAYAにも取締役として参画。
Key Words:
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エピソードを読む:
[江良]
本日のalt-Tokyoは株式会社WAT CEOの石渡康嗣さんをお迎えしてお送りしたいと思います。石渡さん。どうぞよろしくお願いします。
[石渡]
はい、よろしくお願いします。
[江良]
石渡さん、非常に日々お世話になっている大先輩でございますけども、まず石渡さんのことも知らない方もいらっしゃるんで、プロフィールの方ですね、ここからまず紹介させてください。1973年京都市生まれ、一橋大学経済学部卒業、日本電気株式会社、スターバックスコーヒージャパンを経て2004年に友人らとともに初めてのカフェ「Futsalcafe KEL」を立ち上げる。2013年に株式会社WATを設立し、地域に根差したカフェ「Café &Hall ours」を立ち上げられます。その後コーヒーロースターの「Coffee Wrights」、あとはパン、アイス、焼き菓子等を製造する「Marked」と京都市の京セラ美術館内のカフェ「ENFUSE」、図書館併設のカフェ「Ampere」など様々なアプローチからカフェを開発し現在23店舗を運営されています。その一方でBlue Bottle CoffeeやDandelion Chocolateなど、アメリカ西海岸の食クラフトブランドの日本上陸に関わられています。2016年には株式会社MITOSAYAにも取締役として参画されています。というプロフィールでございますけども。
[石渡]
間違いございません。
[江良]
石渡さんとは毎年スキーにご一緒させていただいたりとか、色々たまにご食事にご一緒させてもらったりとか色々近しいんですけども。でも、あまりプロフィールとかですねお仕事のことをじっくり聞かせていただいたことがないかもしれません。
[石渡]
そうね、車の中に乗っていきなり自分のプロフィールを語りましょうと、なんだこいつは、みたいな。
[江良]
なのでちょっとこのプロフィールを深掘りさせてもらえればと思うんですけど、まず大学出られて、日本電気っていうことはNECさんですね。NECでいわゆる田町のNECのビルに。
[石渡]
ロケットビルに勤めてました。
[江良]
何年くらい勤めてらっしゃったの?
[石渡]
丸4年勤め上げました。
[江良]
で、ここからカフェ路線に行かれるわけなんですけども、なんでこう。結構だいぶ業界が違ってるじゃないですか。
[石渡]
ぶっちゃけ何も考えてなかったですよね。就職、大学の時も本当に行き当たりばったりで、視界が狭いというか、目線が低いというか、目の前のことには集中するけど、先のことあんまり考えないというタイプだったので、就職活動もなんとなく、やや不本意な感じで進みながら、NECに入社させていただいたはいいものの、なかなかうまく噛み合わずに。噛み合わないなりに何だったら向いてるのかなあ、みたいなことを考えてた時に、食べるの好きだし、食なんじゃないかなと思って。で、いきなりゴールにたどり着くというよりは、少しでも肌触り感のある方向にシフトしていこうと思って、NECというとどうしてもむちゃくちゃ大きい会社なので、歯車といっても歯車にすらなりきれてない状態だと。
[江良]
NECも結構僕は元々シスコシステムズですから、NECさんのパートナーである意味近しいというか、僕も結構IT業界がついていけなくてドロップアウトした組でその先輩だったんですけど、NECではどっち系だったんですか?
[石渡]
海外事業計画部っていう、NECの海外の例えばODAとかで日本の資金があり、その資金をもとに当時の発展途上国とかに通信機器とか、インフラを作りに行く部隊の、それこそ受注一件何十億みたいな世界の営業の方々が何百人といらっしゃって、その部門の取りまとめ役みたいな。
[江良]
本社で取りまとめて。
[石渡]
営業の方々はタンザニアだとかロシアだとか同期もみんな営業部にみんな配属された瞬間勉強行ってこいって言って結構きついところに飛ばされて、帰ってきて楽しかったみたいなことを言ってる横で、僕はまだLotus 1-2-3とか、Excelにもなり得てない時代に、どこどこの部門が受注が何億だ、みたいな。
[江良]
管理をしてたんですね。
[石渡]
それを経営陣にお届けするような役割を4年間やっておりました。
[江良]
中枢ではあるけど、僕もうシスコ(シスコシステムズ)の時そうでしたけど案件が大きければ大きいほど、何になってんのかよくわかんないみたいなのってありませんでした?
[石渡]
そう。海底ケーブル100億円みたいなのがあって、100億すげーなって言っても、もちろん海底ケーブル見たことがなくて、見たことがないものをどうやって工事するんだとか、現場感覚が全く伝わってこない部門なので、営業の方がどんなに大変な思いをして取ってこられたかって全然わかんなくて。
そのくせ、ヒアリングとかいって「取れたんですか?」みたいなすごく失礼な「おまえ取れたんじゃない?取れたんじゃねえだろ!」みたいなこと言われたりとかしてて、これはこの場ではなかなか自分というのはフィットしてこないなっていうのがあり。
[江良]
それでさっきちょっと手触り感みたいなことをおっしゃってたと思うんですけど、それは仕事とか、これが何に繋がってるのかみたいなことが実感できるような方向っていうことで、手触りってなりますか?
[石渡]
そうですね。明確に今のキャリアを勿論見れていたわけじゃないけれども、純粋に自分の好きなものに立ち返るぐらいの。何が好きかなって。まあじゃあやっぱ酒が好きだなって話になり、当時から酒場とかには人がモンテローザグループのビルでウェーイとかってやってるところで、四ツ谷とかにあるような渋い酒場に行ったりとかするのが結構好きだったので、そっちだよなってちょっと思ってた自分がいて、って感じですかね
[江良]
本当に我々界隈では、どっかこういうTPOでこの場所でいいお店がないかっていう時にイッシーさんに聞くと、松竹梅と3案ぐらい必ず出してこられるぐらい、どの場所なら、で、こういう用途ならこのお店みたいな。
[石渡]
ありますね。
[江良]
じゃあその時代からも培われて。
[石渡]
そう、まだ当時インターネットでなんかあまり情報とか載ってない時代で、「ぐるなび」とかがようやく出てきた時代ですね。
[江良]
でもなんかこう、ちなみにちょっとずれますけども話、その当時からこのお店っていいお店だなっていろいろあると思うんですけども、イッシーさん的にいくつかアンテナがあるとすると、どういうお店がいいと思ってましたか?
[石渡]
今となってはもうそのアンテナみたいなものも、ずっとアップデートを繰り返して、やっぱり今は今なりのアンテナがあるなと思うんですけど、今考えてみると当時から、やっぱりこう、もちろん味は大事で、味だけどその情緒がちゃんとあるかどうかみたいなのがすごく大事にしていて、例えば本当に美味しい日本酒が大手チェーンのお店で同じ美味しい日本酒が出されても美味しいと感じないだろう、っていう自分は当時から感じるところがあったので、このお店でこの酒が出てくるから美味しいみたいなと思ってる自分みたいな、そこはなんかアンテナの結構重要な要素だったかな。
[江良]
なるほど、でもやっぱりそのイッシーさんから紹介されたら、何かしらの筋というか芯が、みたいなものが。何か趣とかね、必ず。
[石渡]
そこは大事にしているところですね。
[江良]
じゃあ正直そんなに明確なビジョンがあったわけでもない、もう少し海底テーブルとかはちょっとわからないもので、あと何か現場と経営のつなぎとかいうことでもなく、もう少し手にさわれるような、実感が持てるようなものということで、そこはまず飲食だろうということで、スターバックスに行かれるっていうのは、まずここで何かを学んでみようみたいな話だったんですか。
[石渡]
紆余曲折あって、NECを辞めました。その2002年に辞めたんですけど、2002年って皆さん覚えてるかどうかは分かんないんですけど、ワールドカップだったんですよね。日本が本当にサッカーに湧いていた時代に、ちょうどそのときに友人から誘われて、NEC辞めた後に誘われて、「辞めたんだったらちょっと俺の仕事、今から立ち上げようと思っているんだっていう仕事があるから一緒にやらない?」って言って誘われました。それが友人っていうのがフットサルで会った友人でワールドカップが盛り上がると同時にフットサルが98年ぐらいからうわーっと盛り上がってきて、東京にもいくつかフットサルコートができていった時代で、僕らもNECの時の友達とチームを組んでフットサルを毎週やってました。その時に知り合った友人がいて、彼もソニーにいたんですけども、ソニー辞めて「フットサルの事業やろうと思うから一緒にやらない?」って言われて、それは肌触り感がめっちゃあるかなと思って、ちょうどNEC退職することになったので、じゃあやろうか、っていうのが27歳とか28歳とかそれぐらいだったんですけど。やってたことはというと、サッカー見てて楽しいんで、ずっとサッカーしか見てない1ヶ月とか、起業したはいいけど1ヶ月何もしてないなって、売上も全然立つ気配もないし、これはちょっと無理だなって思って、それで一回結構フットサルコートとか興味はあるけれども、このままだと俺ら共倒れになるから一回ちょっとサラリーマンやってくるわ、というので採用されたのがスターバックスの数字系のエクセルをぐるぐる回して予算とかを立てるような部門に採用されて、っていうのがその2002年で起こったことというのは、そんな感じでしたね。
[江良]
なるほど、じゃあなんとなく飲食の方向でフットサルのフットサル場みたいな?
[石渡]
彼のビジョンはフットサルコートの横にカフェがある、みたいな。
[江良]
KELっていうのがそれなんですね。じゃあそこがいまいち商売としてはやっぱり続いて行きづらいということで、じゃあ商売を含めて、飲食っていうのはある程度あったから、その経営みたいなことを、まあ学んでみようみたいな。
[石渡]
そう、明確にスターバックスのここを学びたいんだっていうことはなかったけれども、まあ飲食のイロハについて教えてもらえるだろうっていうニュアンスがあったので、門戸を叩いたっていう感じですかね。
[江良]
まだまだそういう意味だとイッシーさんの下積みというか経験をされているときで、そこからこう今WATは2013年だから、そういう意味で言うとそこからまた10年くらい経つわけですよね。そこってこう、どういう立ち上がっていくというかイッシーさんが今のポジションというか自分の力で立っていく、自分のカフェを持っていくというところまでは、どういうような道のりだったんですか?
[石渡]
2004年に初めてのカフェができた、東陽町にできたんですけど、それはフットサルコート併設のカフェで、当時としては結構話題になっていたんですよね。自分はその中でもカフェ担当になったので、基本的には何年かずっと現場にいて、店長業務みたいなものを務めていました。ただ話題にはなっていたけれども、採算という意味で言うとやっぱりどうやっても難しいみたいなのがあって、あの手この手やってたりとか、当時いろんな企画を打ったりとかパーティーやったりとか、いろんな勉強とかして刃を研いでいるような感じだったけれども、それに対して収益性はと言われるとそんなに高くなかったんですよね。なので現場の一通りの感覚だったりとか、飲食にとって必要なスキルみたいなことはその何年かで学ばせていただいて、その後に企画面白い、全体のフットサルカフェというコンセプト面白いから出してみないかっていう、2号店出さない?っていうオファーをいただいて、それから現場を一回離れて開発してみるっていうのも、もう一回味わってみたと。1号店作った時は何もわからないまま人から教わるままそうですよねって言って作ったけれども、今度は自分で作ってみるっていう体験をしてみたりとか、あと沖縄で居抜きで譲渡のカフェがあるからそれやってみない?っていうお誘い受けて、それ100万円だったらちょっとやってみたいかもっていうのに行ってみて、いろんなことを経験したりとか。なので現場を離れてちょっと引いた目で店舗を運営してみるっていうのを勉強し始めたのが確か2006年、2007年、2008年みたいなそんな時代だったのかなっていうところですかね。で、そこからいよいよフットサルカフェの方がなかなかみんな頑張ってるけれども、うまくみんなが十分な収入を得るみたいなところがやや難しいっていうことが5年ぐらい経って改めて反省して、その時に我々としてはちょっと大きなプロジェクト、豊洲にららぽーとの前に結構大きい敷地があり、そこに400坪ぐらいのカフェを作るからそこやってみないっていうオファーをいただいたんですよね。400坪のカフェって今から考えても結構ありえなくて。それはさすがに僕らではちょっと平らげきれないから、とある方にちょっと教えを乞いに「この400坪のオファーがあるんですけど、どういうふうに平らげればいいんですか」みたいな、「じゃあ一緒にやろう」って言っていただいて、なのでそこで元々のフットサルカフェ経営をやっていた会社からちょっとさらにまた半歩抜け出て、その恩師と一緒になってとりあえず豊洲のカフェをやるという機会を得たのが2010年。そこでなんとなく店舗開発っていう引いた目から、さらにビジネスとして400坪をどうやって活用していくかみたいなことを学び、そうするとそれぐらいの大きさになると街への影響みたいなものすごく大きかったりするので、ちょっとより俯瞰してみていくみたいな。
[江良]
400坪って何席ぐらいあるんですか?
[石渡]
最終的には建物を120坪に収めて、あとは全部庭にしたんですよね。なので100席はあったかなっていうのと、そこで初めてバーベキューっていうコンテンツに打ち立てて、当時まだバーベキューコンテンツってそんなに広まってなかったんですけど、豊洲でバーベキューっていうコンテンツをやった結果、ものすごく近隣住人および働いている方から人気が出て、そこは結構バーベキューのあるカフェとして人気が出たっていうことになるんですよね。そう。なので、店一個を作るという経験から、もうちょっと引いた目でいろいろ見させていただくような機会を経て、かつ何店舗がプロデュースみたいな業務をやったりとか何店舗を複数の店舗を運営するという経験を経て、逆に言うともう今となっては一切現場で役に立たない男にはなってて、計画しかできない形になっているんですけど、まあ、礎はその大体2013年の自分が改めて起業する前に築かれていたなということですね。
[江良]
ちなみに差し支えなければちなみにフットボールカフェって構造的に難しかったみたいなことがあったんですか?カフェのイロハからするとカフェ計画開発者、今となってはビジネス的な目で見ると、なんかちょっと設定に無理があったみたいなことがあったんですかね?
[石渡]
まずはターゲット設定というか、マーケットがちょっと違ったと思うのはフットサル当時やってる人っていうのはおしゃれなカフェとか別にいらないっていうのがあって。
[江良]
まあ確かにそうですね。
[石渡]
当時から、でも文化的な人たちも夜中蹴りに来てくれたりとか例えばBlue Noteの人たちがライブ終わった後に来てくれたりとかジャジスポ(Jazzy Sport)の人たちが結構遊びに来てくれたりとか夜中来てる人たちはめっちゃ楽しいなここみたいな感じで味わってくれるけど、日中来る人たちはみんな、そう、今でも忘れられない屈辱的なことがあって、お店に入ってきて「すいません」こっちは「いらっしゃいませ」っていうわけですよ、「電話帳貸してもらえますか」って「電話帳ですか?どうぞ」言って、なんかファミレスとか調べ始めるんですよ。当時はこういうのであんまり調べるとかもまた電話帳で調べるみたいな。いやあのうちらは飲食店として皆さんをお待ちしているのに、皆さんやっぱニーズはファミレスだなって。僕らも、フットサル終わった後にファミレスに行ってやんややんや喋るのがむちゃくちゃ好きでカフェを作ったのに、やっぱりファミレスだったんだな、それはそうだよなと思う。
[江良]
確かに。なるほど。
[石渡]
そこは難しかったりとか、細かい話で言うとフットサルやっててみんな欲しいのは水なんですよね。水だし、休憩場所だし、ドロドロになっていても涼しく入れる場所が、そこはワンオーダー取らないと入っちゃダメな綺麗なカフェがあったとて、それをお客さんに響かんわなっていうのがあって。実に今から考えるとすごく独り善がりなことをやってたなと思いつつ、まあそれはそれで僕らの経験にもなったし、やりたいことの一つでもあったので、しょうがなかったなっていう。
[江良]
ありがとうございます。じゃあそこで豊洲で400平米100席のところを経て、ようやくそこからWATが始まるんですね。WATの始まりっていうのはどういう感じだったんですか?
[石渡]
前のそのお世話になった方の会社は、一区切りしたのでちょっと改めて独立をさせてくださいっていう話をし、なぜならもともと独立していた身なので、どう考えてもタイプ的にはアントレプレナーでないとやってけないっていう自分はそのとき芽生えていたので、なかなか人と一緒に自分のビジョンが思い描けずにいるということはなかなか苦痛でもあったので、そろそろいいんですかねって言って。
[江良]
豊洲の件も一段落させて。
[石渡]
豊洲の件も一段落し、いろいろ一段落し。
[江良]
じゃあもうそこからまず自分でやりたいってことがまず最初にあって。
[石渡]
そう。けれども特に別にその時にやっぱりビジョンも何もなくて、とりあえずまだまだ肌触り感のあることをやっていきたいなっていうのと、当時やっぱりラッキーだったのはBlue Bottle Coffeeというプロジェクトをその前の会社で担当させていただいていて、ただ自分が辞めてしまうとブルーボトルやる人いなくなっちゃうので、元ボスが「お前辞めるんだったらブルーボトル持って出ていいからな」っていう非常にありがたいことを言っていただいたので、それだったらぜひみたいな。
[江良]
助かりますよね。
[石渡]
断る理由があまりなかったので、ブルーボトルが生業とまで言わないんですけど、一つ仕事として安定感があるものが目先ではあるなっていうのと、その他にもなんとなくちょこちょこと、辞めるんだったら何か一緒に仕事しましょうよ、って言っていただけるような方がいたので、それを当てにして退職に踏み切って自分で立ち上げたのがWATという会社でしたと。
[江良]
WATってWATですけど意味がおありになるんですか?
[石渡]
これはですね、諸説あるんですけど、一応いろいろな言葉を掛け合わさってるんですけれども、石渡のWATですよね。
[江良]
あ、わーた。
[石渡]
はい、そこ一番真ん中を取ったという。あとはワッとするみたいなとか。
[江良]
なるほど。
[石渡]
いろいろな諸説あるんですけど石渡のWATですね。
[江良]
でもそこでブルーボトルやられながら、やっぱりそういう場づくりみたいな、カフェ作り、場づくりみたいなところに心は手触りを求めて向いていったんですか?
[石渡]
うん、皆さんは多分そうだと思うんですけども、独立していきなりライフワークだけでやっていくっていうのはちょっと多分無理だと思うんですよね。かといって、ライスワークだけやっていくという踏ん切りもちょっとできなくて、であればライフワークもライスワークも一緒ぐらいのやつをやっていくのがちょうどいいよね、みたいな塩梅のところって、やっぱりカフェをやっていくことだったりとか、ブルーボトルもやっぱりその範疇だったし、自分が楽しく、かつお金にもなるところってこの道しかないよね、みたいなのがそこだったぐらいの感じですね。
[江良]
そこはもう、なんだ、これをやろうというよりも、自分の心に聞いてみたところで、いろいろ他の可能性にもこうやってきたところ、そこが残ったというか、ここなんじゃないかと。いろいろやってみたりとかしたけれども。そこはでも、何でなんですかね、石渡さんにとってそういうカフェ、バーみたいなところにワッとするというかそこに修練していく。なんかね、色々それこそ、もう少しビジネスっぽいこともそういう経験もいっぱいおありになるし。
[石渡]
多分ね、ストレスにむっちゃ敏感なんですよね。
[江良]
ストレスに敏感。どういう?
[石渡]
結構すぐ身体に出ちゃう。蕁麻疹とか、頭が痛くなるとか、心臓がドキドキするとか、嫌なことに対して身体のアラームがむちゃくちゃ敏感っていうのがあって。で、確かNECの時も結構身体のアラームが鳴ってたタイミングがあって、そろそろかなみたいなとか、人生の節目節目で必ず体が悪くなるっていう。あと、交通事故に遭うっていうのがあって、NECやめる時もバイクでちょっと通勤してたんですけど、あんまり言っちゃダメなんですけど、バイクで通勤してたら青山一丁目の交差点で車が突っ込んできたとか。そうなんです。
[江良]
そういう身体的なアラームみたいなのが石渡さんをそこに連れて行ったみたいなことが言えなくもない?
[石渡]
もうちょっと平たく言うと楽なほうでしか生きていけないと思うので、そんな無理して仕事することねえわな、っていうのだけは今も脈々とその思いだけは。8時以降は絶対仕事しないとか、それ以上やると身体のアラームが鳴っちゃうので、ってとこですかね。なもんで、自分にとって居場所というか、気楽というかそういうものってどういう時だろうなって考えたら、多分コーヒーを飲んでる時だったりとか、夜お酒飲んでる時とかに、リラックスするモードに入るの結構早くて、やっぱりそういう時間が大事だよねって思ってる自分がいて、その時間好きだからそれ仕事にしましょうみたいなのは、自分の中で理にかなってるところかなっていう。
[江良]
なるほど、そういう中で最初はWATで、最初にWATとしての場を持ったのはどこが最初だったんですか?
[石渡]
最初、一番最初は。ちょっと前後関係が定かではないんですけれども、当時ReBITAという会社さんが、みなとみらいで「BUKATSUDO」という結構早めにできたコワーキング施設があり、そこの中でカフェをやりたいんだっていうお話を受けて、そこのカフェの運営をやっていたのが確か創業してから一番早いプロジェクトだったかなと思います。その後、CAFE&HALL oursというのを2015年に作るんですけれども。
[江良]
大崎?
[石渡]
大崎。その間にちょこちょこいくつか作っていて、oursというのはその時で一つの集大成みたいな感じはあったかなと思います。
[江良]
これもでも、枕詞「地域に根差した」という言葉がついてきて、ここら辺あたりから、さっきも最初に申し上げた時、会って最初に話した時も、イッシーさんってコミュニティとかカフェを生業にされている方なんだけれども、カフェを作っているというよりも、コミュニティとか、地域とか、街とか、そういうところのことをやっている。やっていることはカフェなんだけれども、カフェがそこに繋がっているみたいなところが、すごい大切にやっていらっしゃるみたいなところが一番イメージ強いですよね。それがどこら辺からなんでそうなっていったか、さっきの豊洲のときも、400坪あると、街に影響があるみたいなことをおっしゃっていたから、そこら辺から何か始まっているのかなと思いましたけれども。
[石渡]
そうですね、逆のことを考えると、自分の住んでいる駅に一軒のカフェもない状態を思い浮かべると、じゃあどこであなたと会うんですか、みたいなことがあり、誰かと人を話すみたいなきっかけが生まれないと、その街に帰属意識みたいなものもないし、住んでいてあんまり楽しくなかったりとか、その街に住んでいって楽しくないということは、一定期間そこの街に過ごしていることを考えると、その期間があんまり幸せではないみたいなこととか、いろいろ影響が出てくるなと思うんですよね。そう考えると、我々にとって一番キーワードになるのは、人間関係をどこで作るんだっていうのがある今はSNSで作れることがあるかもしれないですけれども、当時はやっぱり街にみんなが集まれる場所があって、まともだったりとか、そういった方が気軽に集まれる場所があるからこそ、その街に住んでよかったなとか、助けになった、サポートされたみたいな感覚が生まれるんじゃないかなって感じ。それがかっこよく言うとコミュニティという言葉の一つ、一要素だったりするのかなと思うんですよね。別にコミュニティを作るっていうところから始めちゃうと、言葉が先行しちゃうんですけど、要は僕らは飲食っていう活動を通して、みんながとにかく集まってくれるきっかけを作ることによって、あとはみんな勝手にやってくださいと。それは多分その状態のことをコミュニティというのであり、それを僕らはコミュニティを作るんだ、みたいなことをあんまり言ってなくて、ただ例えばBtoBでデベロッパーさんから「コミュニティを作るようなカフェをやってほしいんですよね」って言われたらそうっすよね、コミュニティですよね、みたいな感じで言うことはあるんですけど、僕ら自身がお客様に向かって「ここはコミュニティを作るカフェですから」みたいなことは一度も言ったことがないっていうような感じですかね。
[江良]
でもそのカフェとして、場としてというんですかね、場としてそこを意識していると意識してないとでは空間からメニューとか全然違いますよね。
[石渡]
なのでスタッフまでには。スタッフの中にはコミュニティビルダーって呼ばれる役割の子たちが何人かいるんですけど、あなたたちのミッションはコーヒーを出すことあるかもしれないけれども、そこではなくて、お客様同士が例えば人間関係を構築していくようなさまざまなアクションをやったりとか、それをディベロッパーの方にこういう活動が行われていて、街の一部として機能していますということをちゃんとレポーティングするみたいなことを、役割としてくれている、スタッフたちが何人かいたりとか、そこはコミュニティという言葉は社内用語としてまでは、ちゃんと使っているっていう感じですね。
[江良]
そういう、接客というかお客さんがどういうふうにこの場所を使ってほしいかということが、社員までは意識して機会があればと促していったりとか、してらっしゃるんですね。それってもう自然に、なんて言うんですか、カフェも色々あるから、もうちょっと趣味性に走るとか、色々あると思うんですけど、そういうみんなが出会う場っていう場にしたいということですね。
[石渡]
そうですね。
[江良]
それは何かきっかけがあったんですか?
[石渡]
そこは、世の中たくさんあるよねっていう中に、やっぱり意匠性に優れたすごくオシャレなカフェとかがやっぱり世の中たくさんあると思うんですよね。そこは逆に言うとこれはちょっと商い発想なんですけど、側面もあるんですけど、そのオシャレなカフェの分野は、みんなやりたがるから、そこはわざわざ自分たちがやる必要ないよねっていうのが、まずちょっとオシャレカフェだけを目指すっていうのがちょっと我々の選択肢ではなくて、やっぱり老若男女の方が、いかに気軽にこの街にはこのカフェがあるよね、と言って、気取らずに来てくれることができるか、みたいなことを考えたときに、当然なんですけどあそこに行けばあのスタッフがいるから、自分も行きやすいみたいなことがあるというわけで、そうなってくると、やっぱりスタッフとお客様との人間関係みたいなものをやっていった方が、我々にとっては、ビジネスを構築しやすいんだろうなっていう思いはもちろん当初あった。みんなオシャレなだけで、ツンと澄ましたお店が多かったりしたりとか、また、チェーン店だけだったので、我々がやっていこうと思うと、そこは今空いているところだから、やれるよねっていう感覚はあったのかなと。
[江良]
なるほどリアリティというか、実際に、世の中的にも求められてるということですね、その走りの走りみたいなところだったような気がしますけどね。でも逆に今は、コミュニティ界隈というか。コミュニティ、コミュニティ。猫も杓子もコミュニティ。コミュニティ作ってくださいみたいな依頼を言われても多分それこそいろんなディベロッパーさんからあったりする、この風潮みたいなことに、先駆者として何か思われていることとかあります?
[石渡]
いやなんか普及してというか、そこはもう、全くウェルカムな状況というか、それこそ最初も思い描いていた通り、街の方々が安心していけるお店を作れれば、その状況が生まれればOKなので、まずその状況を、全部我々がやっていなければいけないというのは、全然思っていなくて、みんながその状況を作ってくれれば、社会はそっちの方がインパクトが出るので、そのプレイヤーが我々だけでなければいけないという発想は、あんまりない。
[江良]
自然な、自分が気持ちいいというか、心地いい場っていうのが、世の中に広がっていくっていうような感覚で見ていらっしゃるということですね。
[石渡]
逆に、今我々がもともとやってた30坪、40坪、50坪みたいなカフェを、例えば都心でやっぱりコミュニティを作るカフェをやってくださいって言われても、もう当時とはこの経済条件が全く違うことになっているので、やっぱり今都心でカフェをやろうと思うと、いかに裁量権のあるディベロッパーの方がやったとて、1階のむちゃくちゃいいところを経済性のないカフェを作るっていうのはもうちょっと無理になってきているんですよね。だから今、社会問題的には、なんかこう街にあるのはスタバか、タリーズか、上島珈琲か、ドトールか、みたいなちゃんとしたブランドがなされていて、ちゃんとした収益性がもう出せば、必ず出る、収益が出るというような店舗しかない状況で、どちらかと言うと、我々みたいなインディーなところが出したとて、やっぱりスタバさんほどの経済性は確保できないので、我々としては、我々のやっているサービスは、都心の路面においては、もう無理だなっていう感じがあるんです。そのコミュニティが何だっていうことを盾にとってやってはきたけれども、そこはもう自分たちの仕事じゃないよね、っていう感覚は今あるかなって。
[江良]
それは逆にもう都市の中でそういうコミュニティみたいなことを謳って、まあ、そういう場作りをしていくということ自体が、もうやっぱり今の、この特に地価というか、経済性的に考えると、もう難しい。都市にコミュニティは場として、合わない。
[石渡]
必要ともされてない感じがあったりとか。特になんかね、言ってもそうやっても、かろうじて渋谷でお店をやってたりする。渋谷の中で地道にMarked渋谷店があるんですけど、やっぱりその渋谷を代表する、ディベロッパーの方々とお話をしていても、当然彼らも渋谷についてはものすごくいろんな思いをかけてやってらっしゃっているので、当然社是としてたくさんのビルを建てていくということは、彼らの会社としてはしょうがないことであり、かつ、それによって失われている文化みたいなことも、当然は理解していて、そういうの残念だけれども、けれども、都市というのはこういうふうに成長していくものだから、しょうがないよね、みたいな。みんな分かった上でじゃあどうするか、みたいなところに、フェーズは移ってるなっていう感じはするんですけどね。
[江良]
それどうするんですか?まあ、必ずしもビルをどんどん建てることが悪いとは思わないですけど、上にどんどん箱を積んでいって、そこに入れる逆にコンテンツが、建築費だ地代だみたいなことでコミュニティみたいなことから、あまりそこにコンセプトに振りれきれない、収益性みたいなものの担保のもとで、だから、スタバとドトールさんなんだかんだ、みたいな、分かりやすいところにしか行けないとなると、どういう工夫の余地が、ディベロッパーさんに、テナント側として、あり得そうなんですか?
[石渡]
デベロッパーさんっていうのは、やっぱり、その街において、一番の力がある人たちなので、その方々が今、自分たちがやっているメインの業務に対して、そうじゃないやり方を求めるのであれば、僕らはいくらでもサポートします、って言うのはあるんですよね。僕らはメインのところはどうしても入れないとなるので、懐古主義なのかオルタナなのかちょっと分からないですけど、そうじゃないものを求めるのであれば、いくらでも我々はコンテンツを考えましょう、っていうのはあるんですけど、そうじゃないって言われる、もう我々はメインストリームだけで行くんだ、って言われるのであれば、それは僕らは僕らでやっぱりやれることっていうのは、周縁にたくさんあると思うので、僕らは周縁で、頑張って、新しいことを、作っていくしかないかな、っていう。
[江良]
周縁っていうと、どういう。例えば、Markedが池尻のHOME/WORK VILLAGE、元IIDの場所に新しくできた、HOME/WORK VILLAGEに、わりかし大きな40、50席ぐらいありますよね?
[石渡]
あれも77坪。
[江良]
77坪のある素敵なカフェがあって、そのHOME/WORK VILLAGEの中で録音させてもらって、これは渋谷から見ると、周縁ですよね。まだ廃校利用で目黒区でしたっけ?
[石渡]
ここは世田谷区ですね。
[江良]
世田谷区の施設で、みたいなそういうこともあって、ここではそういうことができる、みたいな。都心のターミナルみたいなところというよりも、一つ住宅地の中とか、もう少し郊外とか、そういうところに移っていくということで、そういうチャレンジし得る場所が。
[石渡]
そうですね、実際ここが出来上がって、いろんなお店が入って、土日とかかなりもうお客さん来ていただいている状況を見ると、ここにこういうカフェがあるのは必然ですよねって思われるんですけれども、4年前にここを内見させていただいたときは、何にもないただの校舎なわけです。もともとはIIDはあったとはいえ。この4年前の絵を思い浮かべて、今のこの絵を2025年のこの現況を、ちゃんと想像できたかって言われると、全然そんなことはなかったし、けれども、渋谷に対しての、ちょっと我々の居場所の無さみたいなのは感じていて、であれば徐々に滲み出していこうっていう感覚は、当時まだ池尻っていうのは、ちょっとまだ何にもないみたいな感じだったんですけど、三茶だったらアリだなーみたいなこととか。そうですね、幡ヶ谷とか、あっちのほうだったらありだなーみたいなとか、東京においてはそういう風に、輪がちょっと外に行くみたいな感じだったりとか、もちろん東京じゃなくてっていう発想もやっぱりあって、東京以外の地方みたいなものは、常になんか面白いことがあるんじゃないかなっていうのを感じてますね。
[江良]
やはり余白というかね、何か遊べる範囲を経済的に作りやすいっていうことなんですかね。
[石渡]
そう、余白がないとね、そんなに器用な方じゃないので「はい、じゃあこういう業態やりましょう」って言って、その業態が1ミリも外さず、正解だってことはほとんどありえなくて、大体仮説が、最初の仮説が当たるのは3割ぐらいだと思ってやっているので、その後の余白がないとその仮説がダメだった時の、その次の仮説回収ができなかったりするので、やっぱそこは特に今回のMarked池尻は、余白ということはかなり意識して、本来であれば70席ぐらい必要だったんですけど、いきなり70席椅子を買っちゃうと身動きが取れない店になっちゃうので、まずは50席ぐらいにしてみよう、っていうような余白を作ったりとか、店内もいまだにちょっとゆとりは持った感じにはしてますね。
[江良]
なるほど。ちなみにこれ今日収録してるのは9月25日なんですけど、10月25日に一緒にイベントをMarked池尻でやらせていただくことになってまして、Grow Organic Gatheringっていうタイトルで、僕がやってるオーガニックコットンのプロジェクトと一緒にですね、Markedと共同でやらせていただくと。Podcastの、これも前の回に出てもらっていますが、原川慎一郎さん来ていただいて、一緒に僕たちインドに行ってるんですよね。
[石渡]
素敵。
[江良]
なぜか、一回雲仙で、一緒に収録させてもらったときに、僕がその自分のオーガニックコットンプロジェクトに話したらちょっと行ってみたいなとか、あれもちょっと、すごいぼんやりした始まり方だったんですけど
[石渡]
フッ軽な人なんだ。
[江良]
ちょっと今行ってみたいみたいな感じで、彼も自分でお店やってるから12月なので、結構お店忙しい時期なので。
[石渡]
本当だ
[江良]
なんかもう、ちょっと行っちゃおうかな、っていうことで行ったんですよね。でも行って、イッシーさんにも何度かお話させてもらったんですけど、やっぱりインドの人たちって貧しくて、保険とか、生活保護とかない分、その分みんなで助け合って、一緒にコラボレーションしてやっていこうよっていう文化が、これは貧しい方も、実は結構ある程度リッチな方で、召使いが何人もいてみたいな方も、自分はその召使いとかそういう方に執事の方に支えてもらえないと生きていけないから、なんかそういうのが、これは、原川くんがジャイプールっていう街で泊まったホテルのオーナーさんから聞いた話。おしなべてこう、最後デリーの空港で、集まって話したときに、みんなで助け合ってるみたいなことっていうのが、今僕たちに欠けてることだし、コミュニティって言うけれども、本当にコミュニティとして僕たちがインドからオーガニックの綿をこの人たちが買ってくれるってのはいいんだけども、僕たちが本当に気づいていくところって、そういうところなんじゃないかと。じゃあそれ東京でどうやって、なかなか洋服並べても伝えづらいから、どうやって伝えようか、みたいなときに、場所探してて、やっぱりそういう街と一緒に場作りしてるとか、そういうコミュニティみたいなことで、そういうスピリットみたいなところがある人たちと、一緒にやらせてもらえるといいよなと。
[石渡]
ありがとうございます。
[江良]
ということで、今度一緒にやらせていただけることになったんですけども、ユニフォームもちょっと、その綿を使ってもらえるみたいなのですけども。
[石渡]
そのためにユニフォームの枠を空けてた笑。
[江良]
もう余白が。
[石渡]
創業して12年になるんですけど、ユニフォームは空けて待ってましたよ笑。
[江良]
でもなんかそういうこう、どうですか? せっかくなのでちょっと僕のGrow Organic にどう思われますか?
[石渡]
インドの方々の人間関係の結びつき方というのは、本当にもう歴史、何千年という歴史があって、その歴史の流れでそういう風にならざるを得なかったというところに、オーガニックさを感じるというか、誰かが何かをルールとして制定したから人間関係があるということではなく、共生、ありとあらゆるくらいの人たちが共生している感じというが非常にうらやましいというか、新しいというか、すごいいいなと思いつつ、僕らの思っていることも日本、特に都心というのが色々人間関係も分断されてきていて、画面越しに文句ばかり言い合うような感じになってきていて、これを一発で解決しようなんてこれぽっちも思わないけれども、身の回りの人たちだけはせめてそういう感覚を共感していれる人たちに、身を固めたいというのがあり、それが例えば会社の文化として、WATという会社は、そういうことを大事にしている会社だから、この考え方に共感できない人は残念ながら多分居場所がなくなっていくから、やめていくのはしょうがないよねって。10年経って今、スタッフ数がなんとなく300人くらいいて、なんとなくいい人たちばっかりっていう、うちの会社はそこは結構誇らしいところで。でも別にそういう風にしようと思ってやっていたわけじゃないけど、自然と穏やかな人たちが集まっているなというのは、これは会社を大きくしていく意味が結構あるな、と思っていて、別に今300だけれども、その濃さというのはあまり変わっていなくて、いい人というのは、ちゃんといい人のまま座っているとか、入りたての人たちが、まだまだちょっとしたら薄いかもしれないけれども、3年経てばなんとなく、この会社の考えていることを理解してくれて残ってくれているみたいなことがあったりするので、そこはもう会社として、ここまで来てしまったので、そして社会の要請に応じて、会社を成長させていくということに関しては自分はコミットしていて、さっきちょっと江良さんにもお伝えしたんですけど、オーガニックグロースっていうニヤミスな言葉を社是として使っているんですけど、そこは会社を大きくしていくぞ!とは言わないけれども、必要に応じて大きくなる分には厭いませんというぐらいの、態度でいいんじゃないかな、という感じがしていて。
[江良]
そういう感じだから、多分、イッシーさんの方針とか考え方に、そういうのが影響されて、何か波及してそういう人たちが集まってきているんだよね、多分結果的に。
[石渡]
発信力はあんまりない会社だったね、同じで多分、オーガニックグロースっていったところでウェブで挙げてても、変な会社だなって思われる。
[江良]
確かに、ここ目指すぞ!みたいなマッチョじゃないからね、そうだーみたいなついて来いとかそういうことじゃない。自然に僕たちらしくやればいいんじゃないっていう。
[石渡]
言葉で言うと恥ずかしいからさ、なんとなく背中見て学んだよみたいな。
[江良]
いいですね。企業としてとか、集団として、コミュニティとして、自然に良くなっていくみたいのって結局、言葉とかスローガンとかというよりも僕たちの言葉以外の何か、共有される、何ていうの、そういうものが共有されていかないと。
[石渡]
そうですね。
[江良]
場を作っていくっていうことはそういうことですよね。
[石渡]
やっぱり何か言語化してあげて、こっちだよっていうふうに、言ってあげた方が、最初の重い車輪があった方が回りやすいみたいなけれども、ある程度行けばそれぞれの独自の解釈でもいいし、なんとなく北極星としてはこっちにあるからあとは、もう、みんな自由に行っていいんじゃない?みたいな。
[江良]
だいぶ自由ですね。
[石渡]
だいぶ自由。けれども、会社として守っていることはこっちだから、そこだけは理解してねっていう。
[江良]
多分イッシーさん最初おっしゃってたように、自分が嫌なことって身体に出ちゃうぐらい嫌だから、あんまりそういうことをこっちだ、みたいなことで他人もそういう風に思って働いてもらうことを、いいことだと思ってないし、多分それが、場にとってもあんまりいい影響を及ばさないみたいなそういうことで言うと、自分が嫌なことを他人に言わないとか、そういうことから、そうなっているのかもしれない。
[石渡]
本当にその通りだと思いますね。
[江良]
本当になかなか。だいぶそういう意味で、ウェブを見ると、オーガニックグロースもそうですけど、カフェというよりも街づくりみたいなことも書いてらっしゃったから、そういう公共的なことに対して、さっきはあんまりコミュニティ作りますと自分たちからは言ってないとおっしゃってたけども、そういう公共的な役割みたいなものを果たしていきたいとか、お客さんに対してというか、会社として石渡さんとしても何かそういう思いってあるんですか?
[石渡]
公共空間ぐらいのサイズになってくると、また別のミッションが働いてきて、例えば美術館の中で、カフェとかやらせていただいているんですけど、その美術館の中のカフェの空間とか、立地とかって唯一無二なんですよね。例えば美術館に来て、展示を見に来て、頭を使っちゃって、ほっと一息着きたいわっていうところに、変なカフェとかがあったりすると、その美術館で得た体験みたいなのを、台無しになっちゃうんで、ちゃんとしててほしいっていうのがあるんですよね、ちゃんとしたサービスをやる事業者さんにカフェをやってほしいなっていうのがあり、今までの、例えばこの10年前ぐらいとかって、美術館の中のカフェって、あんまり良いカフェってなかったなあとか、図書館とかも売店とかしかないな、みたいな。かろうじてスターバックスさんがやられる図書館の中に作られて、ちょっと風穴を開けていただいたみたいなのがあったりとか。その点においては唯一無二のこの場所でしょうもないことをやられるぐらいだったら俺がやるわみたいな。で、ちゃんとしたことをやるから俺にやらせてくださいっていう、ちょっと変な使命感みたいなのがあったりするかなっていう。おかげさまで美術館とか図書館方向のお仕事というのは、引き続きいろいろいただいたりとかして。そうですね、なんかちょっとうまくいかなかったプロジェクトとか1個あったんですけど、国立公園の中で飲食活動、宿泊活動みたいなのをやれるか、みたいな話があって、その時にやっぱりこの国立公園の中でやれるっていうのは、本当唯一無二だなと。これ100年先まで残る建物とそのコンテンツを打ち立てたら、これはちょっと気持ちいいなっていうのがあり、その時はなんかそっか自分のやってる仕事というのは、そういう機会にも恵まれるので、そういうものできれば僕も100個200個作るわけではないので、せいぜいあと10個くらいだったりするのでやるんであれば、唯一無二のプロジェクトやりたいなっていうのはあるなっていう感じなんですね。
[江良]
本当に誰か他人のためにすごい肩肘張って、誰か人のためみたいなことというよりも、結構やっぱり公共空間の中でもちゃんとしたものがあるべきだとか、全然イッシーさんも無理してないというか、自分のご自身の等身大の何か感覚みたいなものがあって、そこが気持ちいいと思う場所が、そういうみんなとの場とか、公共空間に対してイッシーさんの役割を果たせることとか、そういうことと自然に結果的につながってるみたいな感じで、そういうところが、イッシーさんの作る場作りの魅力なのかもしれないですね
[石渡]
緊張感を持って店に入ってこられることが一番嫌だなと思っていて、実はあまりレストランとか行かないんですよ。レストランすごく美味しいんですけど。
[江良]
確かに、あんまりそういうイメージが。
[石渡]
話に夢中になれなくて、せっかく誰かと話すためにレストランに行ってるのに、ナイフフォークをきれいに扱うことに集中しなければならないって、ちょっとやっぱり自分に合わないなって。呼ばれれば行くし、美味しいなっていう一通りの振る舞いはできるものの、自分からそういう場を取りにはいかないなっていう感じがあり、なのでそこはやっぱりうちのカフェに入ってきてもらうには、やっぱりとことんリラックスした状態で来てほしくて、そのためには、何回も行き慣れてもらうっていう感覚って大事。どうしても一番最初はこのお店どうやって使うんだろう?メニューって何があるんだろう?とかっていうところから、ちょっと身構える瞬間があり、そこで一回良い体験をしてもらえれば二回目っていうのも使い方わかっているので、そのときは鎧を脱いで来てもらえる時からが、何かこう、うちらとの人間関係の付き合い方が始まるのかなっていう感じがありますよね。
[江良]
ありがとうございます。じゃあこのalt-Tokyoっていう番組でいつもお決まりの質問をさせていただいてて、基本的には都市で聞いている人っていうことを前提にしてて、まあ地域で聞いていただいている方もいっぱいいらっしゃるんで、そこはどちらでもいいんですけど、今聞いていらっしゃる方が何かこう取り入れて次の日とか、今日から、明日から、なんかこう気軽に取り組めるような自分の生活をちょっと変える、豊かにできるアクションのヒントみたいなものをゲストの方にお伺いしてるんです。ちょっといきなりで恐縮なんですけれども、石渡さんの方で何か思いつくことがあったらぜひ教えてください。
[石渡]
我々の社是が3つあるんですけど。
[江良]
社是。
[石渡]
社是。バリューって言ったりもするかもしれないんですけど、社是の一つはさっき言ったオーガニックグロースっていう言葉だったりもするんですけど一番最初に話す言葉がありまして、「スモール・イズ・ビューティフル」っていうことを言ってるんです。直訳すると小さいことは美しい、みたいな、小さいことが大事であるとか、そういう意味だと思うんですけど、色々な解釈を加えていくと大は小を兼ねないだったりとか、個性が大事とか、僕らパンとかを焼いてたりとかコーヒーも焼いてたりするんですけど、職人の仕事というのは本当に細かいことを積み重ねであり、そこの小さいことを無視しては、職人仕事みたいなことはできなかったりとか、もしくは我々がお取引しているような野菜の生産者さんとか、色んなものを作っていらっしゃる方がどんな思いで作っているのかみたいなことを、俺らもやっててしんどいでしょうと、相手の方々も何だかんだむちゃくちゃ積み重ねてその事業でやられているわけで、それを思ったら、物を捨てるとかって絶対あり得ないよねみたいなこととか、いろんなことがスモール・イズ・ビューティフルという言葉には詰まっているのでそこは結構多用しているところなんですよね。そこの中でもう一個深掘りというか一皮めくっていくと、そこの先にはやっぱり「思いやり」という言葉があるんじゃないかなと思っていて、自分から相手を思いやらない限りは、相手から思いやりを与えてもらおうなんて、甘い話であり、まずは自分が相手の状況がどういうことになっているのかみたいなことを一回ちょっとこう引いてみたというか一呼吸を置いてみて、考えてみた上でコミュニケーションを取ってみると、いろんなことが見えてくるから、思いやりという言葉を一回頭のどこかに置いておいてコミュニケーションした方が楽しいというのをスモール・イズ・ビューティフルという言葉の説明を社員に説明するときに思いやりという言葉を使っているかなという。
[江良]
スモール・イズ・ビューティフルというすごい素敵な言葉ですけど、それを説明していくと思いやりの話になるの確かに、確かに、今ね、お伺いすると確かにという納得、落ちるけど、でもそれは結構イッシーさんがこれまで色々接客とかなんかしている中で、何かこう自然にそれこそオーガニカリーに会得した感覚なんですか?
[石渡]
我々も最初のお店から全てのことがうまくいっていたわけではなく、今でも全然うまくいってないんですけど、スタッフのタイプとかがやっぱりなんだろうな、お客様に向かってなんか横柄な態度をとっていて、この横柄な態度を「こら!横柄な態度をとるな」というのは簡単なんだけど「そんじゃどうすればいいんですか」という言われたときに、やっぱりちょっと言葉として足りないなと思って、やっぱりどんどんそこから因数分解をして、なんで彼を横柄に扱うんだろう、それはやっぱりいい接客とか味わってないからだなとか、いい接客ってなんだろうなとかって、どんどんどんどん行っていった最小分子みたいなものが人と人とのこの思いのやりとりみたいなことがあってそこは日本語的に思いやりという実に便利な言葉があったなという感じですかね。
[江良]
いやいや本当に。ちょっと前の回ですが、坂口修一郎さんも自分の玉ねぎの皮を剥いてって最後そこに残ったものが。
[石渡]
綺麗に言うな、さすがやな。
[江良]
いやいや、でもイッシーさんもだいぶ綺麗だと思うんですけどね、同じようにやっぱり因数分解して本当に掘り下げていった中に、そういう言葉とそういう仕事の悩みの中で出会われるという、そういう貴重な言葉をシェアしていただいたと思います。ありがとうございます。
[石渡]
ありがとうございます。
[江良]
ではですね、だいぶ長くお話させていただいて本当にありがとうございました。最後に告知系をですね、ちょっとやりたいと思っています。まず1つ目は、先ほどもちょっと途中で触れましたけど、10月25日にMarked池尻で10時から17時の間でですね「Grow Organic Gathering at Marked池尻」という形で、イッシーさん仕事でガッツリ一緒にやらせてもらうのは初めてですね。
[石渡]
確かに。
[江良]
色々とありましたけど、一緒にやらせていただいてありがとうございます。
[石渡]
こちらこそ、ありがとうございます。
[江良]
さっきも出てきた原川慎一郎くん、そのシェフの彼が来て、インドで色々インスパイアされたものを1つ、ワンプレートに。
[石渡]
素晴らしい。
[江良]
スペシャルに、この日限定のものを作ってくれたり、あとは、僕がその綿を持ってきたTシャツを持ってくるので、2名の刺繍のですね、クリエイターが、アーティストが来ていただくので、最後に綿をインドから運んできて最後にお客様、来ていただいた皆さんが刺繍のクリエイターと一緒に相談しながら、最後に自分だけのTシャツを作って持って帰るとかですね、そんなようなこととか、あとそこは、Marked刺繍とかもできるという。
[石渡]
素晴らしい。
[江良]
MarkedのワンポイントのTシャツとかも可愛いと思いますので、是非皆さん他にも色々ありますので、遊びに来ていただきたいと思います。ホームページからURL見れます。あともう一つですね、石渡さんはCAN-PANYっていうですね、なんだ、何でしょう、CAN-PANY?
[石渡]
CAN-PANYを説明するとですね、僕が江口さんという方と一緒にやっているMITOSAYAという会社がありまして、MITOSAYAの会社自体は、千葉県の大多喜町でありとあらゆる植物から、エッセンスをいただいてお酒だったり、茶になったりお茶だったり、そういう様々なプロダクトに、変換するような事業をやっているんですけれども、それとは別でMITOSAYA社が都市型のボトリング事業をやっていて、何かというと例えば皆さんが普通にコンビニとか自販機で買う缶ジュースというのは1ロットが何十万本みたいな話なんですよね。何十万本がほぼ一日くらいでサクッと出来上がるような世界の商品なんですけれども、もちろん我々はその便利さを享受しながら都市に生きているというのを理解しながらも、この時代やはりいろんな方々がいろんなことを作りたいという、クリエイティブな思いがあり、缶の世界だけは何十万本という壁に阻まれて、クラフトな飲み物というのは今までなかったんですよね。であれば、我々が一回ちょっと風穴を開けてみようということで、数百本単位からあなたの思いの詰まった缶ドリンクが作れますよ、というのを事業としてやっているのが、清澄白河のCAN-PANYという会社をやっています。
[江良]
工場があるんですよね。
[石渡]
60坪ぐらいの工場を借りて、缶で上をこうやって巻き締めるんですけど、それの機械が一台あって、それで1日何百本みたいな作っていたりする工場をやっていますね。
[江良]
最近はもうCoffee Wrightsの缶もできたりね。
[石渡]
それがですねWATの仕事としてCoffee Wrightsというコーヒーのブランドをやっているんですけれども、同じく缶コーヒーの世界というのは、缶の腐食の問題だったりとか、殺菌の問題とかいろいろあって缶コーヒーというのは、むちゃくちゃ甘いあの缶コーヒーか、無糖とはいえ、コーヒーの風味が全くなくなってしまっている、殺菌がかなり効いたようなコーヒーしか世の中に出回っていないというのは、それはそれでやっぱりこの今の流通の中では必然だと思うんですよね。けれども僕らがやっているような小さいロースターがやっている浅煎りだったり、ちょっとフルーティーなコーヒーとはちょっと相入れない世界だなと思っていて、けれども缶というのは非常に優れた保存容器というか、人間の発明としてもかなり長く使われている保存容器だなと思うので、そこはやっぱりちょっと一回使わせてほしい。僕らの焼いているようなコーヒーであっても、缶という文明の利益を使わせてぜひ流通させてほしいというのがまずあり、今を付き合いしている製缶会社さんといろいろ共同開発して、缶って基本的には冷蔵しなくて流通していいんですよね。なので、何度も40度とかになっても基本的には、常温で流通できるものですけど、僕らのやっているコーヒーの缶、スペシャルティーコーヒー缶という風に言っているんですけれども、基本的には要冷蔵かつ低温殺菌をしているので、一定の殺菌をしているんですけども、やっぱりちょっと熱を入れちゃうと、かなりすぐに悪くなっちゃうので、基本的には要冷蔵で低温殺菌のものとして生鮮食品のようなコーヒー缶を、つい最近作ることに成功しまして、今ちょうどやっているSCAJというアジア最大のコーヒーの祭典といわれている、スペシャルティーコーヒーの祭典といわれているところに出展させていただいて、それはやっぱり日本初の商品なので、かつSCAJというのはコーヒーロースターさん、日本全国からコーヒーロースターさんめちゃくちゃ集まるタイミングなので、ぜひ皆さんにもそれを味わってもらって、皆さんのコーヒードリンクをぜひ作ってみませんか、みたいないいお披露目のきっかけだったんじゃないかな
[江良]
結構評判もあったんじゃないですか?
[石渡]
おかげさまで、まずは、品質についてはいろいろコーヒーロースターさんが言いたいことがたくさんあると思うんですけど、まずはそういう門戸が開けたというか今まで缶ドリンクというのは、コーヒーの世界には開けてなかったけれども、ようやくこういうことができるようになったのか、ではちょっと検討してみたいです、と、声はたくさんいただいて、そのプロトタイプになるのを我々のCoffee Wrightsというコーヒーロースターでまずは作ってみたけれども、それはもう本当プロトタイプなので、品質的にはまだまだ切磋琢磨する余地もあり、それはもう、市場全体その他のロースターさんも含めて、みんなでこの要冷蔵の低温殺菌のコーヒー缶の世界を一緒になって広げていけるといいなという感じがしていて。
[江良]
なるほど。じゃあこれを聞いているコーヒーロースターさんだったり。
[石渡]
いいですね。
[江良]
ご興味ある方はぜひ石渡さんの会社のインスタのアドレスとか置いておきますのでぜひ、ご連絡していただきたいですし、あとあれですよね、アルコールじゃなければ色々可能性はあるんですよね。
[石渡]
そうですねノンアルコールを中心にして作っているので、今はメインは炭酸をつけることによって、その味のバランスだったり製品としてのバランスを取り入れているものがメインなんですけれども。
[江良]
なんとかソーダみたいな。
[石渡]
そうですね。
[江良]
いろいろ森の香りをつけたりとか。山椒ソーダとかいろいろありそうですね。
[石渡]
そうですね。おかげさまで今本当にバックオーダーを抱えるぐらいにその工場としては稼働していて、本当に世の中皆さん自分のドリンクを作りたかったんだなみたいな。
[江良]
そうですね。それぐらいのロットで缶が作れるっていうのは聞いたことないですもんね。ぜひまたホームページからですね、CAN-PANYのホームページもありますので、ぜひチェックしていただきたいと思います。じゃあ今日は長く時間、お忙しいところをわざわざお時間いただきまして、ありがとうございました。今日のalt-Tokyoゲストは、株式会社WAT CEOの石渡康嗣さんでした。どうもありがとうございました。
[石渡]
はい、ありがとうございました。
インドコットン生産者からプレオーガニックコットンを購入し、オーガニック移行を支援するプログラム。商品購入代金の一部を移行支援活動に寄付し、生産者、消費者と共にオーガニックの畑を育て広げていきます。
alt-Tokyoは、都市生活と循環にまつわる課題を学びながら、一緒に取り組めるオルタナティブな仕組みを作るプロジェクトです。ポッドキャスト配信中。
宮城県石巻市を舞台としたアート、音楽、食の総合芸術祭。被災地が前に進むエネルギーを生み出すため、地域の魅力や人々とアーティストとの交流から作品を作り、地域と都市の交流を生み出すことを目的としています。
東日本大震災の津波により稲作等が困難になった農地で被災した農家が綿(コットン)を栽培、紡績から商品化・販売を参加各社が共同で展開することで地域支援を行うプロジェクトです。
千葉県木更津市にある農と食とアートをテーマにした、これからの人や社会の豊かさを提案する「サステナブルファーム&パーク」。株式会社KURKKUが企画・運営しています。
株式会社 kurkku alternative
代表取締役 江良 慶介
hello@kurkku-alt.jp
江良慶介
慶應義塾大学環境情報学部卒業。1999年よりシスコシステムズ合同会社など外資系IT企業に5年間勤務の後、バックパッカーを経て、2005年にKURKKUへ入社。2007年より、インドで農薬被害に苦しむコットン農家のオーガニック農法への移行を支援する「プレオーガニックコットンプログラム」を伊藤忠商事と共同で立ち上げ、年間約1,500農家の支援を実施。2011年、グッドデザイン賞サステナブルデザイン賞(経済産業大臣賞)受賞。また、3.11以降、津波により稲作ができなくなった農地にコットンを植え、雇用創出と地域再生を目指す「東北コットンプロジェクト」を発足させ、プロジェクトの事務局代表を務める。2012年3月より、ap bankにて復興支援事業を担当。2016年よりアーティストの力で地域の内側からの復興をうながす「Reborn-Art Festival」を立ち上げ、制作委員、副事務局長を務める。2020年より株式会社KURKKU、並びに株式会社KURKKU FIELDS代表取締役社長。2022年、株式会社kurkku alternativeを立ち上げ独立。
instagram : @keisukeera