Road to Noto

「Road to Noto」は2025年10月より、金沢21世紀美術館におけるSIDE CORE個展「Living road, Living space」の一環として行われる、能登半島珠洲市に関係するプログラムです。内容は「ガイドプログラム」と「チャリティープログラム」によって構成され、どちらも能登半島珠洲市への「道」を作り出すことを目的としています。ここでいう「道」とは、特定の目的を持つ道ではなく、参加者それぞれの観点で能登半島を知ること、訪れること、関わることを意味します

「ガイドプログラム」はSIDE COREが制作したガイドブックに沿って珠洲市内を訪れるという内容です。また期間中にはSIDE COREやゲストアーティスト達、能登半島を拠点に活動するアーティスト達の作品展示やイベントが開催。アーティスト達それぞれの視点から能登半島を紹介する内容になっています。

「チャリティープログラム」は、SIDE COREやゲストアーティスト達がデザインしたアーティストグッズを販売します。また、チャリティープロダクトの一部は能登半島由来の素材を用いて制作されます。プロダクトは主に金沢21世紀美術館で販売され、またこのkurkku alternativewebサイトでも販売されています。

この商品販売による利益(販売額から製品原価、販売経費を引いた額)は全て「Road to Noto」の制作、運営費用として使われます。例えば珠洲市にツアーの際に見ていただく作品を作ること、珠洲市への旅のしおりを作るなど、ガイドツアーの実施にかかる経費に全額が使われます。

またノート、画用木炭、墨染Tシャツ、塩、ノートは、能登の素材を作って商品化をしています。

このグッズを通して、みなさんも能登のことを知ったり、応援したり、あなたなりの関わりをしていただくきっかけになればと思っています。

 

SIDE CORE / 金沢21世紀美術館 / kurkku alternative

  • 製品ラベル: 完売
Road to Noto 墨染めTシャツ by 細野晃太郎
  • 製品ラベル: 完売
Road to Noto 墨染めTシャツ by ESPO
  • 製品ラベル: 完売
Road to Noto 墨染めTシャツ by SIDE CORE

podcast

#028 : SIDE CORE : アートコレクティブ : Road to Noto、それぞれの能登半島との関わりをつくる

SIDE CORE

2012年より活動を開始、東京都を拠点に活動。メンバーは高須咲恵、松下徹、西広太志。映像ディレクターは播本和宜。個人がいかに都市や公共空間のなかでメッセージを発するかという問いのもと、ストリートカルチャーの思想や歴史などを参照し制作する。ときに他ジャンルの表現者を交えたプロジェクトとして、都市の死角や隙間となる場所で多彩な作品を展開。近年の展覧会に「SIDE CORE展|コンクリート・プラネット」(2024年、ワタリウム美術館+屋外、東京)、「百年後芸術祭」(2024年、千葉、木更津市/山武市)、「第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」」(2024年、横浜市)、「山梨国際芸術祭八ヶ岳アート・エコロジー2023」(2023年、山 梨)、「BAYSIDE STAND」(2023年、BLOCK HOUSE、東 京)、「奥 2023」(2023年、石川、珠 市)、「rode work ver. undercity」(CCBTアート・インキュベーション・プログラム)(2023年、目黒観測井横空地)、「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(2022年、森美術館、東京)、「Reborn-Art Festival」(2022年、2019年、2017年、宮城、石巻市)、「水の波紋展2021」(2021年、ワタリウム美術館、東京)

instagram : SIDE CORE @side_core_tokyo

                    Tohru Matsuhita @tohry417

                    DIEGO @diego7a14

                    Sakie Jango @side_core_tokyo

Key Words: 

金沢21世紀美術館, Living road, Living space, Road to Noto, Reborn-Art Festival, 能登半島地震, 細野 晃太朗, 珠洲市, 奥能登国際芸術祭, アートフロントギャラリー, 越後妻有 大地の芸術祭, のと里山海道, 高木遊, Everything is a Museum, 公費解体, 焼杉, 経済同友会, ap bank, 小林武史, 水口木工, ワタリウム美術館, 関口 正洋, 坂口彩夏, 大谷地区, スズ・シアター・ミュージアム, 仮( )-karikakko-, 新谷 健太, 楓 大海, 海浜あみだ湯, NHKドキュメント72時間, 飯田地区, 富山湾, ラポルトすず, スティーブン・ESPO・パワーズ, 森田貴宏, グラフィティ, スラリー状, 伊研, 奥能登塩田村, 揚げ浜式塩田, スズトウシャドウ印刷, 見附島, Newhattan, プレオーガニックコットン, 風見鶏(Blowin‘ In The Wind), ラポルトすず, スズレコードセンター, のと里山空港, サポートスズ, 松田荘, すずなり食堂, 麺屋讃岐のんち, やぶ椿, ろばた焼あさ井, イタリアンカフェこだま, 狼煙, いかなてて, PRESEN TATION, ESŐ(エシュー)

エピソードを読む:

[江良]

本日のalt-TokyoはゲストにSIDE COREのお二人をお招きしています。松下徹さんと西広太志さんです。どうぞよろしくお願いします。


[松下] [西広]

よろしくお願いします。


[江良]

じゃあ今日はですね、金沢21世紀美術館で10月から始まる展覧会の「Living road, Living space」

[松下]

はい。


[江良]

という展覧会が3月まであるんですけれども、その中でと言っていいんですかね、「ROAD TO NOTO」というプロジェクトがあって、それを今SIDE COREと一緒にですね、やらせてもらっているんだけども、今日はその話をですね、いろんな皆さんにお伝えしたいなと思って、このポッドキャストを収録させてもらうことになりました。で、普段はSIDE COREって何とか、プロフィールみたいなものをご紹介するんですけども、以前にね、あれは2022年ですね。石巻の河口の作品のところで、このメンバーで録ったので。


[西広]

あの時も2人でしたね。


[江良]

あの時も2人でしたね。


[松下]

Reborn-Art Festivalですね。


[江良]

はい。で、SIDE COREもう一人、ジャンゴっていうですね、高須 咲恵さんっていう方と、あと映像で、ハリーっていうね。


[松下]

播本和宜です。


はい。4人いらっしゃるんだけども、あの時もね、この3人でお話させてもらったんで、人となりとか、どういうアーティストかっていうのは、そちらのものを聞いていただいて、そして、今日はちょっとRoad to Notoについて話できればと思います。


[松下]

はい。


[江良]

よろしくお願いします。


[松下] [西広]

よろしくお願いします。


[江良]

じゃあ、僕にとっては最初、2年前の1月、1月1日に能登地震が発生するんですけども、比較的、あって多分1月起きてすぐぐらい、正月明けぐらいに、松下徹くんが、まあ、トーリーくんなんですけども。

トーリーから電話もらったのが、なんかこの話の一番初めだったんだけども、まずそこから、なんで僕のとこ電話してくれたのかみたいなところから、ちょっと思い起こしてみると、どういう気持ちだったんだろうか。




[松下]

当時、地震が起きて、こういうことに関して、最初にすごい情報収集したり、何かそのこう、アクションを起こす計画とかをするっていうのは、やっぱり身の回りだと、江良さんがすごいそういうことに対するスピード感が速かったり、そういうスピードが速い人と繋がってるんで、何かできることを考えたりっていうのもあるし。まあでも最初は何できるか分かんないわけじゃないですか。


[江良]

うん。


[松下]

それでこう、江良さんどう考えてるかなとか、そういうことを本当ただ不安に駆られて連絡してみたっていう。


[江良]

でもそういう意味だと、もともと能登との繋がりがあったっていうことなのかね。


[松下]

そうですね。2018年に細野 晃太朗っていう友人がいて、で、彼が能登で2、3ヶ月滞在して、まあ何かいろいろやってたんですけど、音楽でイベントをやったりとか、あと何か映像を撮ったりとか。それで能登半島の珠洲市、まあ今回僕たちのそのRoad to Notoのプログラムも主に珠洲市で開催されるんですが。もう本当、能登半島の一番ね、突端の地域ですよね。


[江良]

うん。


[松下]

で、それに遊びに行って、晃太朗がしばらくいて、で、まあすごい楽しくて、良かったねって話をしてて。で、その後に、なんか結構能登半島すごい良いとこだったなってイメージがあって。で、2023年の8月からスタートする奥能登国際芸術祭って言って


[江良]

うん。


[松下]

珠洲市で芸術祭をアートフロント(ギャラリー)って、越後妻有大地の芸術祭とかやってらっしゃるアートフロントの方で主催が。県とか市とかと共催してるんですよね。


[江良]

うん。


[松下]

で、これが多分2017年に1回目、2021年に2回目、2023年の3回目に僕たちが招聘されて参加したっていう感じですね。


[江良]

うん。


[松下]

で、まあそれ参加したのもあって、で、搬出がその2023年の11月とかかな、12月?


[西広]

11月だったんですよ。


[松下]

そうだね。11月にあって、疲れた、もうしばらく能登半島行かないなと思って帰って。で、お正月、家族でご飯食べてたら地震のあって、あーってなって。


[江良]

うん。じゃあもうほんと撤収して帰ってきたら、

もう、すぐ地震が起きたみたいな感じだった。


[松下]

そうですね。しかも2023年の5月の時点で、もう1回その震度5ぐらいの地震があったんですよ。うん。で、もう街の中では結構、例えば瓦が落ちたとか、建物が倒壊まで行かないけど、結構危険な状態まで行くってことがあって。で、まあなんか、嫌な予感がする感じではあって、その時も、もうそのことがあった後に、それ芸術祭、開催できるかどうかみたいな、市と芸術祭の運営委員会の方で協議するぐらいの感じだったんですけど。まあもう大丈夫だろうみたいな感じで、開催した矢先だったんで。

[江良]

うん。


[松下]

で、まあ、あわわわ、どうしようと。


[江良]

うんうん。


[松下]

なんか、お雑煮とかすすってた。

珠洲市のライブカメラで、なんかすっごい煙上がってるみたいな。


[江良]

うん。

 

[松下]

そう。で、最初なんかこう、支援とか行った方がいいんじゃないかとか思って。


[江良]

うん。


[松下]

まあ、こっちも混乱するわけですよね。僕とジャンゴは一緒にいてDIEGOに電話してどうするみたいな。ハリー連れて映像とか撮ってく、毛布とか持ってくか、とか。でも当時もうすぐ早い時点で市長とか知事とかのレベルだと思うんですけど、メディアに対して、能登半島って道がすごい到達するまでの道がそんなに広くないっていうか。一本じゃないんですけど、のと里山海道って高速道路があって国道が何ルートか通ってるんですけど、それが被害があったりするんで緊急車両中心だし、人がたくさん行ってもそもそも泊まれる宿とか少ない地域なんで。結構大きい町なんですけれどね。なんで珠洲市へ行くのは、とりあえずやめよう。ってなった時に、いろいろ情報を集めたり、周りの人たちと連携して何かできること探そうって言った時に、まず「江良さん」みたいな。

[江良]

そうだよね。僕の方もその時、何か具体的に動いてたわけじゃなくて、電話いただいたけども、じゃあこうしようよ!みたいなことを具体的なアクションとして何か提示できたわけじゃなかったんだけども。でも、確かにあのタイミングで、なかなか緊急的に行って人の力で何かしよう!みたいなそういう風潮ではその時はなかったというかね。それが後から振り返るとそれで良かったのかどうかって、ちょっと思う時はあるんですけども、そういう事だったと思うんですよね。

ちなみにでもやっぱり二人は本当にReborn-Art Festivalっていう復興に向けたアートイベントの、僕からすると同志みたいなところがあるから、だから僕的には今回二人の何か、役に立つことがあるなら、何かやれるといいなというお返しじゃないけど、お互いそういったことをシェアしていくっていうところが何か意味あるな、と思ってたんだけども。ちなみにやっぱり石巻っていうところでだいぶ長い間滞在してもらったじゃない?2016年から2017年の復興フェーズで、あの時はだから、あのね、石巻市も最初やっぱりアートというよりも、最初は土木とか堤防作ったり、道路作ったり、家作ったりって、その後にアートっていうものが必要じゃないかっていうことになっていって、2016年から、まあ震災から5年経ってそういうイベントをやっていくってことになったんだけども。なんかそういう石巻でこう、過ごしてたというか、何かああいうことに関わってもらった、みたいなことは、やっぱりなんか今回、何かこう自分のそういう考え方とかアクションとかに、なんかやっぱ影響してるところってあるんですか?

 

[松下]

そうですね。東日本大震災っていうのは、自分たちの、自分たちがそれを経験したのが20代の中盤くらいかな。そうですね。


[西広]

2016年。


[松下]

2016年、一番最初に行って、そうだね、本当まだ30代でもなってない、20代の時だったんで。あの時ってやっぱ東日本大震災に対して、いろんな方法でみんなこう関わってくっていうのは、すごいこう社会で一般的なことだったっていうか、ボランティアに行きますとか、炊き出しに行った人も多いし、東北はやっぱりその交通の便もいいし、地域も広くて人口も多いから、いろんな面で支援が必要だったし、いろんな人たちがそこに支援に行くってことが起こった。

で、Reborn-Art Festivalは特に大きかったのは、復興支援を題材にした芸術祭って、多分そのアーティスト個人で作品を作ったりする例みたいなのあったんですけど、まあRebornぐらいしか、多分他にもあったんでしょうけど、まあ、すごい自分たちがかかわるレベルとか、まあ割と広く知られるレベルとしてはRebornぐらいしかなくて。だから僕は他のプロジェクトでも、石巻じゃないんですけど、福島に行ったりとかいろいろ関わってきてて、でもやっぱりこう、なんていうんだろうな、どういう風に震災について語っていくかとか、それは当事者じゃない自分たちとしてどういう風に語るかとか、あとまあ街の人たちとどういう風にコミュニケーションを取れるかって、やっぱりすごい難しくて。

でもRebornの場合、なんだろう、コミュニケーションを取ればいいっていう話じゃないんだけど、やっぱりその街との連携がやっぱすごい上手くいっていた。それはやっぱコミュニケーションの時間をかけてたし、まあもちろん何やったって人間と人間なんでその軋轢があったりとかコミュニケーションがうまくいかない部分ってのがあるけど、でもやっぱこう街と協力するみたいなことやっぱすごく上手くいってたんで、こういうことやっぱできるんだっていうのは、それを実感としてやっぱ大きかったんで。なんかやっぱりこう、まあすごい自分たちの中では若い頃に体験した東日本大震災があって、それの復興にReborn-Art Festivalを通して関わってたって大きい経験だったんですよね。


[江良]

アートとそういう街の人たちとちゃんとコミュニケーション取れてるとか、もともとそういう意味だと都市というか東京の中でいろいろそういう隙間を見つけていったり、その中でオルタナティブなものをアーティストとしてのいろいろ表現として色々やってこられた中でいうと、どちらかというと、都市の中でオルタナティブを見つけていくっていうのと反面で、そういう被災した人たちとかね、被災した地域の中で、そういう街の中でのコミュニケーション。それはすごいもう本当になんていうの王道というかさ、すごい本当に真正面から彼らのことを向き合って受け止めていくみたいなことって、アーティストとしてっていう意味で、アーティストとして、なんかそれはSIDE COREとしてはアーティストとしては、何でそれが大事に思えてるというか、そこがすごい今回のRoad to Notoのことでも芯になんかすごいあるなと思ってるんだけども。


[松下]

そうですね。Reborn-Art Festivalはそういう街とのコミュニケーションみたいなものは、すごい円滑になされて、街と協力していろんな形のプロジェクトができていったわけなんですけれど、でも僕たち個人としては、必ずしも例えば、すごいその街の人たちとコミュニケーションを取ることによって何か作れるってわけじゃなくて、自分たちの視点で見たものとかからしか作品にはできないよね。だからこう、だから一つの芸術家が街おこしみたいなこと街と人との連携みたいなことだけを例えばテーマに掲げてたら、僕たち多分それには入りづらかったと思うんですよ。でも、それぞれの人なりのその復興とか、街の状況にその自分なりの視点で関わっていくことができるような芸術祭だったんで、それだったら自分たちもこういう方法でできるな、みたいなね。全然なんか俺たちもなんかすごいReborn入って、街の人たちの色々を手伝って話してみたいなやり方じゃなかったんでね。


[西広]

結構意識してたんですね。そのすごくなんか距離を意識してて。なんかねやっぱ、あくまで僕たち外から行ってて、なんて言うんですか?何かしてあげられることって、しかもアートで何かするって絶対求められてないじゃないですか。だからやっぱこう、何かそういうのできないから、あんまりやっぱコミュニケーション取りすぎて期待させてもできないから、何も。何もできないってわけじゃないんだけど、だからやっぱり、そんなに深くコミュニケーションと取ることしなかったけど、もちろん自然にね、会って話す人とかいるけど、そこはすごい意識してたと思うし、今回もやっぱその経験をもとに、なんとなく意識してる部分はあると思うから。どういう風にコミュニケーション取ったらいいなとか。


[松下]

多分、ある程度与えられてる正しいやり方みたいなものがあらゆるものに存在していて、例えばどういう風にその状況を見るかって言ったら、ジャーナリズムとか社会学みたいなものがある程度、そういう状況を見た時にどういう風にそれと向き合うべきか、みたいなことを、やっぱ人にガイドしてるんですよね。アートでそういう地域に関わっていく、もしくはそういう何か地震があったりとか何かあった場所に関わっていく時は、こういう手つきで関わるべきなんじゃないかみたいな、やっぱいろんなガイダンスっていうか、ガイド、やっぱあり方のみたいなのが社会的に、概念というのかな、なんか与えられるんですよね。でももちろんそれについてこう知識を持ちながら、いろいろそれについて検討して勉強しながらですけどでも、最終的にやっぱ自分たちの関わり方しかできないわけですよ。ある意味、Rebornの中ではすごいなんだろうな、コミュニケーションがものすごいあって、街の人たちに寄り添ってアート作品を作るみたいな形じゃない、でも何かその街の人たちと一緒に何か感動できることは、もちろん探す気持ちでやって、それがすごい認められたっていうのは、なんて言うんですか、認められたっていうか「それやっていいですよ」って言ってもらったのがすごい大きかった。だから自分たちなりの関わり方でいいんだなみたいな。


[西広]

最終的に作品作らないと僕らアーティストで関わるわけだから、もちろん自分たちも「やりたい」ってなって、最高!っていう作品作らないといけないから、その時にやっぱ、傷つけたりはもちろんしたくないね、ってのが多分みんな共有で絶対あって。なんかだけど、やっぱちょっと裏切ってしまうこととかってあるじゃないですか、でもそれでもやっぱだからやらない、っていうのはやっぱできないんで。そういうのを探りながらやっぱりやってるような気がしますね。


でもなんか人数いるから、なんかお互いにあの時のあれちょっと言い過ぎかもとか、なんかもうちょっと聞いた方がいいかもとか、なんかこうそういうコミュニケーション自然に存在してて、お互いに見てるから。割とこう、そういうのって自然に、なんて言うの、言葉にできないけど、なんか自然にできてる気がする。そういう人との関わり方を、こうして喋ってるのもなんかトーリーさんは僕を見て江良さんとこうやって喋ってるよねっていうのとか見てるし、また別の人とジャンゴさん話を見てて、どうだったとかって聞いてる時もあるし、そういうのが多分、石巻の時に経験したこととか。


[江良]

体を通ったことが、なんかまたやってるんだと思うんですけど。

じゃあその24年の1月に、一回僕、トーリーと電話で話して、その後実際に能登に入るきっかけというか、どこで入ったの?


[松下]

えっとそれはまあなんか行きたいなー、、、みたいな、でもいつになったらいけんだろう?みたいな感じだった時に、その年の多分3月とかに、江良さん電話した時に、同時に何人かその状況に対してその地域にいる人たちに連絡してて、そのうちの一人が、金沢21世紀美術館の今回の僕たちの個展の担当キュレーターである高木遊くんで、高木くんは僕たちがその奥能登芸術祭2023年に展示した時に来てくれて「なんかSIDE COREはちょっと作品丸いんじゃないですか?」とか言ってくれて「なんだー!」とか思ってたんですけど、でもやっぱ高木くん、美術館にいてやっぱすぐ連絡して、そしたらまあなんかやっぱりとりあえず大丈夫ですと、でも金沢は生活は問題ないですって言って、でもなんかこれちょっと僕、これをきっかけに何かアクションを何かこう起こしたいと思うんで、それなんかまた決まったら連絡させてくださいって言って、それが1月で、3月ぐらいに彼が実際に連絡してきてくれて。美術館とは関係なく自主企画で「Everything is a Museum」っていう金沢にあるいろんなアーティストや、そういうこう何だろう、人、ディレクターがやってる、インディペンデントスペースをつなぐイベントをやりたい、そこにSIDE COREは能登に行った経験があるから、「現地で作品を作って、何かしら参加してくれないか」って言われたんですよ。「じゃあ行くか」ってなって、それで4月とか5月に行ったんですよね。その時はもう本当にその珠洲の方までたどり着くことはできなくて。


[江良]

それはなぜ?


[松下]

時間的な問題もあったんですけど、もう本当にまだその時道が結構難しかったんですよ。


[江良]

そもそもね。


[松下]

あとは、どこまで自分たちが、入っていっていいかっていうのも、すごいわからなくて。でも自力で割とその行ける輪島市の方まで行って、new landっていう作品を制作して、今回で展覧会にも出展するし、重要な作品なんですけど。その制作をきっかけに、高木くんの展示に、高木くんと一緒に行った。1回下見行って撮影してみたいなことがあって。それが発災後、一番最初でしたね。


[西広]

一番最初はリサーチだけで行って泊まらなかったんですね。

2回目の撮影の時、泊まりましたっけ?


[松下]

泊まってないよ。毎回だから宿とかわからないから、日帰りだったんだよ、その頃は。


[西広]

よく覚えてるのが、最初リサーチ始めてその震災後、発災後に行った時、やっぱり写真撮れなかったんですね。これを撮っておかないといけなかったんですけど。やっぱりいつもみたいに気軽にパシャンみたいな感じは、ここ撮らないほうがいいかもみたいな。


[江良]

どういう気持ちで、どういうふうに見られるかっていうことが、だし、その写真をどう使うかみたいなことに関しては、どうしても、当然センシティブになるべきなんだけども、そういう逡巡みたいなものはちょっと持つよね。


[松下]

そうですね、本当に今珠洲市に行ったら公費解体がだいぶすんで、街にいろいろ空き地が増えて、なんか、歯抜けになっちゃったなって感じだけど、その時は、まだ本当に壊れた建物とかが公費解体を待ってる状態だったんで、もう本当その街の風景が一変してしまって、橋が落ちて、家が倒れて、道でまだみんな片付けしてるみたいな状態だったんで。だからそのnew landって作品はそういう場所で制作した作品じゃなくて、自分たちが外側のものとして入ってた時、何を見れるかみたいなことを。ジャーナリスティックな視点で「街の状況はこんなになってます」みたいなことを見せるような作品ではない作品っていう感じになってますね。


[江良]

それで、Everything is Museumで行ってそこからまた、どうやってここにつながってくるの?レジデンスのプログラムがあるの?


[松下]

そうです。金沢21世紀美術館のレジデンシーのアーティストになってくれって高木くんに言われて、でも、能登について何かやってくれってオーダーじゃなかったんですけど、まあでも色々考えていくと結局、あの能登半島、まあ珠洲市と多く通うことになるんで。


[西広]

確か最初なんかあれじゃなかったっけ。なんかもうSIDE CORE展覧会をプレゼンしてるから、それを通るかどうか分からないけど、試しにこうレジデンスやって下さいと、言われたんですよね。


[江良]

リサーチ兼ねて。


[西広]

そう。それで、そのレジデンスの成果発表は何してもいいから、その間にもし展覧会、個展が決まれば、それにもうそのまま使ってもいいし。なんかその前段階として何かやってみませんか?っていうので、っていう話があったんですよね。


[江良]

でも、その色々考えた結果、能登に向かってくんだけども。それは色々考えたわけじゃん。能登に向かう必然性っていうのは、どういうところだったんだろう?


[松下]

いや、なんか、それ本当そうで。でも結局理論的に考えていくと、いろんな可能性について考えても、金沢に行く自分たちがいて、能登半島行かないのおかしいっていうか、っていうのはあるし。


[江良]

前もその話あったよね。結局、触らずにはいられないみたいなことをその時トーリーは言ってたけども、なんかそういう、こうね、自分たちが能登と関わりがあって、あれだけの風景を見た中で、金沢で何も知らない顔して、なんか普通に展示だけするみたいなのが、なんかどうも、それちょっと無理だよね。みたいな。


[松下]

無理ですよね。


[江良]

なんかそんな感じなんだよね。


[松下]

そうですね、で、何だかこう、さりげなく能登は関係ないことできないかと、思ったりしたよね。


[西広]

いや結構覚えてるのは、展示が決まりそうって感じだったから、決まったら何するみたいな話してて、やっぱ能登の話しなきゃね、みたいな話で。

能登行かなきゃね、みたいな、ボランティア行こうとか結構話してて、どうする?どこまで扱う?みたいな話してたけど、その時にやっぱこう、ボランティアとか行ったりして、色々見てきたいよねっていう話をすごいしたような気がします。


[松下]

そうね。


[西広]

俺はあんまり、割とこう、僕、そういうの、え?みたいな、え、っていうのは行きたくないとかじゃなくて、行くならちゃんと関わらないといけないな、っていう考えがあったんですけど、でもその前年ぐらいに結構考えを改めて。改めたっていうか。


[江良]

何かあったの?


[西広]

はい。意識が、意識というか、なるほどと思うことがあって、なんかそれは、それもすごいみんなで話してて、デモに行くか行かないかみたいなとか、そういうのを発言するかみたいな。で、それにアクションするかとか、何かに対して。戦争反対とかにアクションするかとか。そういう時に、もちろんトーリーさんはすごいやろうとして、やりましょうって感じでやるんだけど、僕は、一回だけやるっていうのすごく、なんかやだなと思ってて、一回やるとたぶん、いっぱいやらなきゃいけないと。それってでも、ストリート的、カルチャー的視点なんですよね、考えというか。


[松下]

当事者視点ですからね。


[西広]

それがよくない。ストリートの考えの、僕の個人的な意見でいうと、ストリートの価値観として、良くない考え、要は。でも本当は、一回関わるだけでもすごく良くて、一回に何かが変わるかもしれないし、それ誰かが見て変わるかもしれないじゃないですか、だからそういうのをすごい考えてて、良くなかった考えだなと思って。だからそういうデモだったりも、行くべき、行きたらいきたいなとか、それにアクションしようっていう考えが、すごい賛同してたんで。だからやっぱ、ボランティアとかも、行ってみなきゃなと思ってたんですよ。行きたいなと思ってたから、結構だから、「行きましょう」みたいな話したら、「そう思うんだ」みたいなこと、言われたような気がする。


[松下]

本当?そうだっけ?


[西広]

なんかそういう。


[江良]

今までのDIEGOと違う、NEW DIEGOだったのかもしれないね。


[松下]

いや、でもそうですね。それに対して批判的なわけじゃなくて、やっぱり、一つのサブジェクトを取り組んだら続ける、みたいな美的価値観みたいなものは存在しているし、そうじゃないと、こう何だろう、強度が出ないみたいなのあるけど、でもやっぱり、なんかあんまり例えば自分が何か行動する時に、自分がやらない理由に繋がっていくような、なんかそのリーズニングみたいなものは、しない方がいいだろうなみたいなのが、とりあえずやってみてダメだったらダメなこともあるし、みたいな。


[西広]

もちろん続けることはすごいことで、そうなんだけど、やっぱり一回やるっていうのもすごいこと。


[江良]

そこら辺で、僕のところに電話をもう一回もらったんだっけ?


[西広]

多分そうじゃないですか?


[江良]

そうだよね。なんか最初ちょっといまいち、なんかよく覚えてないんだけども、でもトーリーか、また電話かってきたんだよね。


[松下]

何回も電話してね。いや、でもそんなに電話してるわけじゃないね。


[江良]

俺からするとさ、トーリーの最初にすぐ1月に電話が来て、で、その時ぐらいにまた電話がかってきて、何の相談だったの?

なんか、やっぱりそのRebornでそういう、どうやって被災地の行政とか、やり取りするかとか、なんかそういうようなところから、ちょっとこう、どういう風に進めたらいいか、みたいなことで。


[松下]

思い出した、僕。


[江良]

思い出した?なんだっけ。


[松下]

はい。いやもう最初にそのじゃあどういう視点でアーティストとして、その珠洲に入っていくとき、ある程度目的みたいなのを決めなくちゃいけないわけじゃないですか。何を見るか。まあ、別に最終的に横道にそれるもんなんですけど、やっぱり公費解体される、もうやっぱり木造建築のその、廃棄物、震災廃棄物がその一箇所に集められている。それに何らかの方向でアクセスできないかっていうのは、そのリサーチの何か最初の入り口だったんですよ。


[江良]

そうだそうだ。


[松下]

だってやっぱり、すごい能登半島で僕たちがこう、記憶残ってるって、永遠に焼杉の、杉の表面を焼いた、あの建築がたくさんあってそれが壊れてその木どこ行くんだ、みたいな。で、だからそれ江良さんに聞いたんですよ。

江良さん何か、そういうこう、市とか、なんかそのこう、なんか進んでます?江良さんの方、みたいな。そしたらもう江良さんたちは、結構そのRebornとかあとkurkkuとしてですかね、もう結構現地にその視察とか入ってて、で、その行政の方とかと喋ったりしたんですよね、もうその時。


[江良]

そうだね、たまたまその時経済同友会の視察っていうのがあって、それに、えっと、ap bank小林武史さんと一緒に、あの、同行して見に行くっていうツアーが、ちょうどその時あったんだよね。

で、あともう一つ、ちょうどその時、僕、福井県の人たちとその福井のその繊維の循環産業イベントみたいなことをやる時の、福井に行ってた時に、たまたま、その水口木工さんっていうね、木材、木材屋さんなんだけど、最近それをいわゆる木炭化するプロジェクトみたいなことを進めてる、水口木工さんっていうのに、たまたまイベントで出会うみたいなことが、確かそうだ、2つあって、結構だからそういうトーリから電話もらった時に、そのことで相談の時に、本当そこにちょうど僕も前後して、それを珠洲向かってくんだけども、珠洲に向かっていく、その経済同友会のイベントがあって。

で、そこで珠洲市長と珠洲副市長と、あとそこにアートフロントの関口さんと、みたいなことがあって、そういう話がすぐできたし、あれそういえば木と最初木炭見た時に、あ、これなんかトーリのあれで、てなって、その木のね、出口としてその、公費解体の木材の出口として、この話使えるかもって、結構すぐにパンフレットをね、トーリに送ったみたいのが確かそこだけなんかギュッと、なんかすごい同時的に起きた、確かそうだったね。


[松下]

あ!そうだ、それもあるし、ちょっと面白いのがあって。要するに、その前、2回江良さんとの仕事をしくったんすよ。


[江良]

なんだっけ?


[松下]

えっと、これ言わない方がいいじゃない?具体的なやつ、名前。


[西広]

あ、そうなんすか。


[松下]

じゃあピーにしましょう。


[江良]

ピーでね。


[松下]

江良さんとの仕事2回しくったんですよ。そう、だからそれが、まあうまくいかなかったんですよね。


[江良]

某時計案件と、某イベント案件でね、あ、そうだそうだそうだそうだそうだ!


[松下]

で、江良さんが話もらってて、いろいろプレゼンしたりとか、もしくは、その最終的に話し合ってて、ちょっと僕たちじゃない方がいいな、みたいなのがあって。でもね、それで逆でもあって、江良さんから声かけられてたっていうのはあるけど、もうやっぱりそのRebornの後ぐらいから、江良さん何かお願いできないかみたいな、やっぱアーティスト個人でこうできないことを、江良さんに何か手伝ってもらえるチャンスないかなみたいなずっとこう話してたんですよね。


[西広]

うん、そうそう。


[松下]

で、それはまさに、色々こう仕事がうまく2回ぐらいうまくいかなくて、江良さんとの仕事。


[江良]

うんうん。


[松下]

これチャンスだと思って、だから江良さん覚えてない、一番最初にした時は江良さんから誘われるんじゃないか、今回僕らから誘います、って話をしたんですよ。


[江良]

うんうんうんうん。


[松下]

覚えてます?それ。


[江良]

覚えてる。


[松下]

本当っすか?笑


[江良]

ちょっと覚えてないかも。笑


[西広]

確かにでもそういう話はあったから、

ちょこちょこあってたですよね。


[江良]

そういう話をしてたっていうのは覚えてるわ。なんかその電話の時に言われたかどうかを確かには覚えてないんだけど。でもそれは、でも俺的には、でもなんか嬉しかったけどね、なんかこう俺的には今回、なんかちょっと返せるっていうとあれなんだけど。石巻のことはだいぶやっぱり、SIDE COREいないと、立ち上がってなかったと言っても、あのね、やっぱりあのメンバー本当にいなかったら、立ち上げられなかったから。その中で何か、僕たちの僕の方でも、何かこうね、SIDE COREの何かにまた、手伝えることあるっていうのは、すごい、すごい意味があることなんだよね。


[松下]

ちなみに、そうですね。Rebornの時は、僕とDIEGOはなんかその駒使いみたいな感じで、ジャンゴはね、すごいフェスティバル側にいろいろ入って、いろいろね。笑


[江良]

そんな見方だ。笑


[松下]

まあ、いや、でもジャンゴはやっぱね、Rebornのそもそも立ち上げの部分で頑張っていた。


[江良]

そうね、(和多利)恵津子さんというかね、ワタリウムとの関係性では、すごい最初、本当に頑張ってくれてたよね。ちょっとじゃあ、珠洲の話というか、Road to Notoの話に戻すと、そこら辺で、だからあれはどのぐらいだ?2024年のまあ秋だよね。


[松下]

いや、夏ぐらいから話し始めた。


[江良]

夏ぐらいから話し始めたんだよね。それで、じゃあ一回、能登行こう、みたいなことで、で、それでDIEGOとジャンゴと僕とで、一回珠洲に行くんだよね。


[西広]

いや、違います。

あれ、そのどっちだっけ?ボランティア行ったのと、どっちが先だっけ?


[江良]

ボランティアに行ってそれで泊まって、で、その珠洲市役所で待ち合わせしたんじゃないの?


[松下]

そうですそうですね、で、その時だから10月ですね最初に行ったのは。


[西広]

あの、土砂災害があった後だった。


[松下]

そうだね。


[西広]

10月に行ったんですよ。

その時に僕とジャンゴさんが一緒に最初にボランティアに行くんで、江良さんに紹介してほしいっていう、受入先を紹介してほしいって言って、紹介してもらった関口さんの方に。


[江良]

そうだね。アートフロント関口さんに、その、えっと、大谷地区だよね。

大谷地区はえっと、(スズ・)シアター・ミュージアムってね、アートフロント的なそういう施設がある場所で、能登半島の外浦っていうんですか?に、とにかく10月、9月?


[西広]

10月だったと思います。


[松下]

9月25日かな。

発災後に土砂崩れというのかな。


[江良]

土砂崩れ。


[松下]

土砂崩れがあってすごい。で、その外浦、日本海側の珠洲市の、輪島市をまたぐ地域で、すごい小さい集落がたくさんあるんですけど、すごい大規模な被害があって、そこの復旧のその、ボランティアに、その10月、まだ結構間もない頃に行ったんだよね。DIEGOと。


[江良]

でも、その当時も、本当に目も目も当てられない、本当にひどい。なかなかこう、地震のことを、やっぱり地震もすごい大変なんだけど、この土砂崩れも、本当にひどいですよね。本当に広範囲にわたって、土砂があって、もう本当に集落ごと、土で土砂で埋め尽くされるみたいな、ちょっと口で言うのも難しいようなところだったよね。


[西広]

すごかったですね。うん、でもなんか、すごいところに行くんだって思ってたから、すごい緊張してましたね。いや、なんていうんですかね、自分たちでリサーチに行くっていうのとはちょっと違うじゃないですか。


[江良]

そうだね。


[西広]

現地の人と関わって、何かやるっていう。しかも、その、受け入れ先の人っていうのは、すごい人なわけじゃないですか。何かを、そこのためにやるリーダーみたいな人だから、すごい緊張してて、それで、ジャンゴさんとしっかり挨拶して、大きい声で話をしないとねとか、それとか、なんか迷惑かけちゃいけないから、前もって何か食べ物とか買っていって。要はお昼ご飯ない、ぐー、そんなのダメだよね、みたいな。あいつらなんか、お腹空いてるから、渡さなきゃ、みたいなのはだめだから、買っていこうとか、いろいろ準備して行ったら、その時に、初めて受け入れ先で会ったのが、その坂口さんっていう、ボランティアリーダー、今もしてるんだけど、その人に会って、その人はすごい良くしてくれて、なんかこう、すごい良い思い出になったっていう。


[江良]

坂口さんっていうのは元々あれ、東京?


[西広] 

千葉です。


[江良]

千葉か。千葉で坂口さんは、どのタイミングで?


[西広]

あ、えっと、元々土砂崩れの前に。震災のボランティアとして来てて、それ、たまたま何か、連れてこられた外浦のほうの人と、すごい交流ができて、で移住しようってなったんだけど、その準備をするのに、その土砂崩れの前に、千葉に帰ったら、土砂崩れがあって、その後に移住したんです。


[江良]

すごいよね。


[西広]

そう、だから、その話は後で聞いたけど、やっぱりすごい人ですよね。でもその坂口さんからしたら、それも後で聞いたんだけど、ずっと僕たちに言うんですけど、いろんな人に僕たちのことを紹介するときに、「すぐ土砂崩れの後に来てくれた方々です」って紹介されるんですよね。たまたま、行こうと思ってて行って、ちょっと遅いんじゃないかぐらいの雰囲気だったんですけど、やっぱすごい早く来てくれた方々ですって、紹介されるんですよね。

そんな風に思ってんだ、と。


[江良]

あの時、地震とか言うとみんなやばい、どうしよう、だけど、土砂崩れっていうのが、あそこまでの被害だみたいなのって、少なくとも僕は、僕行ったのだってもっと全然後なんだけど、こんなひどいんだ、みたいなのってあんまり想像ができてなかったぐらい。だから多分地震よりも話題に、まあ話題にはなってたけども、こちらの危機感みたいのはちょっと薄かったなって思わせるぐらい、本当にひどい土砂崩れだったですよね。

[西広]

やっぱりなんか、震災から時間経ってるじゃないですか。半年ぐらい、半年以上経ってるじゃないですか、1月1日にあって、みんな片付けるフェーズがちょっと終わってって、大事なものは納屋にしまって、次どうしようかみたいな立て直していこうとした時に、土砂崩れがあったから、とどめをかけに来たみたいな状態だったって、すごい言ってましたね。


[江良]

でも、その実際10月に最初行った時は、坂口さんによくしてもらったっていうのはあれにしても、すごい緊張して行って、何をこう思った?


[西広]

それは、家屋の中に土砂が流れ込んできてるんで、それを家の床下とかにも、いろんなところにも入ってる土を、土砂を、外に出すっていう。


[松下]

泥かきですね。


[江良]

行く前と行った後で、どういう変化というか、どういう風に、こうだったんだみたいな。


[西広]

これ正しいかわからないけど、その日しかも雨が降ってて、それで、余震とかもあったんですよ前日に。ボランティアの人少なかったんですけど、気持ち的には、僕はやっぱり、一生懸命やんなきゃと思ってて。普段はアーティストとして、一生懸命やってるけど、やっぱこう社会の中の一部になってる感じはしないっていうか、フラフラしてるから、好きなことやってるから、泥かきをしたりとかしてると、社会の中に、やってるなって感じがすごい、いいか悪いかわかんないけど。あとまあやっぱ、なんていうんですか、大変な思い出にならなかったんですね、坂口さんとか周りの一緒にいる人たちはすごいいい人たちで、大変とかっていうよりは、すごいよくしてもらって楽しかったって言ったら、すごい言い方悪いけど、よかったんですね、経験としては僕は。だから、また行こうみたいな感じで、また行きたいなと思ってたから。大変だったけど、また行こうっていう気持ちで帰ってきたような気がします。


[松下]

僕も、その後DIEGOが行こうって言って、その年の間にもう一回行って、床下に入っていって、床下の砂利についてる土を、ペリペリ剥がしていくのを永遠にやるっていう。


[西広]

あの時はより思ったですね、匍匐前進で入っていって、この状態でトーリさんとおしゃべりする。


[松下]

砂利についてる石をペリペリ剥がしてくんですよ。いや、でも、やっぱそこまで要するにかき出せないから一辺にあって、砂利を取っちゃわけにいかないし。でもその家ぐらいほんとその集落の一つの区域の中では、もうそこしか復旧しないような状態で、その土砂崩れの地点から最も遠くて。その時に坂口さんに、もうちょっとその集落の奥に連れて行ってもらったんですけども、本当に立派なお家が建て並んで、お店もあったようなところの、本当屋根まで全部土砂に埋まってて。


[江良]

街ごと土砂に埋まってるっていう表現だよね、多分ね。


[松下]

本当だから、やっぱびっくりしたっていうか。


[西広]

最初に僕らが行ったところの家の人も、一緒に僕らとやったんですけど、その人とかってやっぱり、もうすごい、パワーがある人というか、そこまでしてでも、家をまた使おうとしてるわけじゃないですか。しかもボランティアに来てください、その泥かきしてくださいって行政に言っても、いつ来るか分かんないんですね。いつ来るか分かんないことをお願いして、待ってて、やっと来て、その人にやってもらって、一緒にやって、それでまたそこからまた綺麗にしていこうっていう気持ちある人だから、相当すごい家主さんなんですね。大体はもう、ほったらかしにするか、やっぱりどうしようもできないというか。


[江良]

萎えるよね、地震で何ヶ月かけていよいよ復興だって思ったら、また土で家が埋まって、もう一回、またその後、復旧をしなきゃいけないっていうのは、普通に考えると萎えるよね。


[西広]

でもそんな簡単に引っ越せるわけでも、引っ越せるって何ていうんですか、やっぱり離れていくっていうのは、離れればいいじゃんってわけではないじゃないですか、やっぱり。


[江良]

そうだね。そうか、で、その時はRoad to Notoにつながっていく前の、レジデンスの作品として、その公費解体した家の木材を、炭化してくってっていうようなことをしてくんだけども、そこら辺の話もちょっと簡単にしてもらえます?

[松下]

そうですね。手短にすると、江良さんの協力あって、木材が公式にもらうことができて、その泥かきの時に、土砂崩れの土がどんどん濾されていって、家の軒下に入る頃に、縁の下に入る頃には、粘土みたいになってるんですよね。それを何か坂口さんが、これを陶芸家の人は使えるんじゃないか、使おうとか、使えるんじゃないかって言ってたから、SIDE COREさんもどうですかっていってもらって。それを使って、その木で焼こうとか、っていう話になって。でも結局でも、そこで作品作っても、金沢で展示しても、しょうがないわけですよ。しょうがなくはないんですけど。それを使って能登の関わっていって、得ていった素材とかで、何か作るっていうのもあるけど、でも一番重要だったのは、もちろん大谷はその状態だったんですけど、能登であともう一人会った人で、その前から知り合ってる人とかもいたんですけど、すごい重要だったのが、やっぱり、「仮( )-karikakko-」っていうアートユニットの、新谷さんたちだったんですよね。楓くんと新谷さんだったんですよ。その二人は、海浜あみだ湯っていう、銭湯をやっていて、2023年ぐらいから継承してて、銭湯を運営してたら


[西広]

もっと前からじゃない?


[松下]

昨日ちょうど話したんだけど、2017年に移住してきて、最初にゲストハウス作って、だんだんその町の中に入っていって。で二人が銭湯を事業継承しない?みたいな話が、2023年ぐらいから本格的になっていって、事業継承に向かって走っていったら、発災があって。でも彼らはすごいそこで機転が効いて、井戸水を使って、発災で壊れた建物を使って、お湯を焚いて、お風呂に、結構早いうちに、インフラが復旧してない時にオープンしたんですよ。で、街の人たちにそれをタダで入れるようにしていて、すごい多くの人が発災後の状況で助けられて、っていう感じがあって、だから街の中の本当に一つのコミュニティっていうか、に入っているんですね、彼らは。それはある意味、そういうことをアートの活動としてやっていて、復旧から復興の計画立てたり、教育に携わったりとかしてて。


[江良]

すごいプロジェクトというかね、すごいよね。


[松下]

そう、しかもその、僕らみたいな人たちの受け入れ先、ボランティアの紹介とか、街にいる子どもたちと関わっていくこととかを、継続してやってて、これがすごいと。メディアとかにもよく出てるんで彼らは。NHKの72時間とかにもその、あみだ湯出てるし、これをアーティストとしてやってるってすごいと思って。だから逆に言っちゃうと、自分たちが何かしたいって気持ちもあるけど、ある意味、彼らの活動を人に紹介したりとか、あとそうですね、彼らと話してて、そろそろ例えば外浦の方は難しいけど、飯田、街の方、日本海側じゃない、富山湾側の方は復旧がある程度、目処がついてきているから、そろそろ外から人が来てほしいとか、いろんな人に会って喋りたいですね、アート関係の人全然来ないんですよ、みたいな。っていう風にだから人に来てほしいみたいな話は結構聞いたんですよ。じゃあ、そのビジティングツアー、ビジティングプログラム。ツアーっていうのは、やっぱりすごい観光に根ざしてるから、そういうのは本当に訪問していろんな僕たちがこう得たつながりをいろんな人と、シェアしてくる、訪問プログラムをやろうってなったんですよ。それで、江良さんに改めて、江良さんこれやりませんか?っていう。


[西広]

でも、外浦の坂口さんも何回かボランティア行ったりとかして話してて、1年目は、もうその時僕話してた時はもう2年目に突入してたから、やっぱり1年目はみんな生きてるので必死で、再生していこうみたいな感じでがむしゃらに生きてるって感じだったけど、周りは何よりも見えてないけど頑張って生きてるみたいな感じで、2年目になると、なんか最近ようやく外の花がきれいって思えるようになった、みたいな話を話したみたいなことを言ってて、楽しいことをみんな求めてるんですよみたいな。そろそろ、楽しいことしたいと思ってるって話を聞いて、それだったらなんかいいなと思って、今トーリーさんが話した話とか、ビジティングとかやって、その外浦に連れてくるのも、あと坂口さんにガイドとして関わってもらうとか、そういうのはいいかなと思いましたよね。


[松下]

いや思った。


[西広]

なんかそういうのやっていいんだと思って。そういうの聞けないうちにやるとなんか誰かが傷つくじゃないですか、もちろんね全員に聞いたわけじゃないから、傷ついてる人いるかもしれないけど、でもやっぱり、そのコミュニティに近い人に、そういう話を聞くっていうのは。坂口さんって外から来てる人だけど、歩いてると、いろんな人に会って、こんにちは、こんにちはってずっと話してるような人なんで、そういう人からその話が聞けて、じゃあ大丈夫だな、って感じはしてたんですよね。


[松下]

うん、そうだね。それが何か作品ですっていうよりは、でもやっぱり、その江良さんと他のプロジェクトの計画とかしてた時、やっぱそうだったんですけど、なんだろうな、そんな社会貢献的な善意があるわけじゃないけど、でも何かこうやる時に、なんか自分たちのその成果になることを自分たちは必ず目的にしなくて、どうなるかわからんけど、こういうものが必要だったら、それやってみるかっていうのが、基本的な考え方としてあるんですよ。

それだと食えないし、困るから、困るんですけど、でもまあ、なんかそれってこう例えばこれは利他ですとか、他人のための利益のためにやってますとかっていうわけでもないんですけど、とりあえず自分たちはこうなったから、こういうことをしてみるかみたいな。


[江良]

うんうん。


[松下]

だからまあ、本当、ビジティングプログラムは、そういう他の人たちのための機会になったらいいなと思って、やったっていう感じですね。


[江良]

うんうん。


[松下]

他の人たちっていうのは、能登にいる人たちっていうよりは能登半島、だから奥能登国際芸術祭やってたりとか、行ったことあるけど、発災後いつ行っていいかわかんないなっていう人に、今回今行きませんか?とか、あと地元も他につながりがあって行けてない人とかもそうだし、興味ある人行きませんか?っていう会でしたよね。


[江良]

そうですよね、あれが何月だっけ?


[西広]

3月末ですね。


[江良]

そうね。そういういろんな地元の人たちの話を、地元で活動してる皆さんの話を聞くにつれ、やっぱりこう、人を、どういう形であれ、呼んで、そこで新しく何かそこで、つながりだったり、何か新しいことだったり、どういう形かでのやっぱりつながりを作っていこうっていう、それがいわゆる、あのツアーもRoad to Notoツアー?


[松下]

いやいやいや。


[江良]

あれは違うね。


[松下]

「SIDE COREと一緒に能登に行く」みたいな。

[西広]

今思えばRoad to Notoですね。


[江良]

そうね日本語版みたいなね。

そこのしおりのしおりもすごいね素敵だったけどね、バスの旅のしおりもね、あれもちょっとwebで画像とか見せたいですけども、それが今のRoad to Notoに変異していったっていうことですよね。


[松下]

そうですね。だからまあ、言ってしまえば、美術館で展覧会がやる今でも、いろいろその美術館の中でも、能登半島に関係するものみたいのはあるんですが、ビジティングプログラムは継続したいなっていうので、ただ継続してもつまらないから、アップデートしたりとか、あとお金がそのこう例えば、その美術館の方で、すごいこう、そこまでまかなえるほどの潤沢な予算があるわけじゃないから、そこで自分たちでマネタイズしなくちゃいけないというところで、チャリティープログラムみたいなことを計画して。でも単純にチャリティーだと面白くないから、それも作品的に面白くなくちゃいけないとかっていうので、それで今日の今日まで江良さんと僕らとあと21世紀美術館の高木くんと、いろんな工夫したグッズを永遠に作っているって感じですよね。作品とは別に。


[江良]

そうですね。今も作品も制作も”宴もたけなわ”にも関わらず、入稿も”宴もたけなわ”だから、みんな無理してると思うけど、だからあれですよね、美術館、展覧会が10月から3月ある最中で、毎月これはアーティストと一緒に、能登のアーティストの見える風景みたいなところをシェアと能登半島でしていく、いろんな人に来てもらいたいということと、あとプラスで作品も作ったりしてるわけですよね。


[松下]

そうですね。今のところ自分たちの作品、2023年の奥能登国際芸術祭で展示した作品を僕たちが展示した場所に置きたかったんですけど、その土砂崩れがあったりとか、


通れないんですよね


わかんない、通れるかもしれないですけど、そこが見えるような場所、それがその風力原動機、風力発電所の式地内で僕たちは前に展示して、意図的にそういう作品。でもそれが見える場所で町の飯田港っていう飯田町の港の「ラポルトすず」という場所に僕たちの作品を再展示したり、あと今回やっぱすごい今のところ大きいのはESPO。今回、金沢21世紀美術館「Living road, Living space」の展示には僕たち以外のゲストアーティストがいて、スティーブン・ESPO・パワーズと森田貴宏さんと、あとさっき言った2018年僕たちが(珠洲に)行くきっかけになった細野晃太朗が参加してて、そのESPOは壁画をね描いてくれるって言って、壁画を描いてそれがすごい今、いろいろコミュニケーションになっていて、あと、あみだ湯の仮( )-karikakko-の2人にも作品を作ってもらうことになってて、多分うまくいくんじゃないかと。本当はね、最初の時点ではこれ計画の話だから、ここでは言っていいかなと思うけど、21世紀美術館の本展示にやっぱり彼ら出てほしいなみたいな風に計画してたんですよ。でもやっぱり、その復旧の、声かけた時はやっぱ最中だし、本当彼らっていろんな人たちの受け入れとか相談役みたいなのしてるから、作品のプラン出して作品作ってみたいなところにやっぱりすぐに向かっていけないんですよね。そう、まあ忙しいわけじゃないですか。


[江良]

そうだよね。目の前にいろんなことがあるんですよね。


[松下]

そう、だからそれは断念して、だからでも、その珠洲の中でまあいろいろコミュニケーション話してた結果、こんなことやりたいみたいな話を出してくれて、じゃあこの機会にそれをちょっとその実験してみましょうっていう感じでね。


[西広]

なんかやっぱ喋ってると、あみだ湯のしんけんくんとかは、やっぱあみだ湯が作品だから、あみだ湯に見に来て欲しいっていうのは、強かったんですね。それだったらやっぱり、21世紀美術館でやるより、あみだ湯に僕たちが連れていって、そこで見る作品があるのが一番いいんじゃないって話で、それでどういうことをやりたいですか?っていうのを一緒に話していったって感じですね。それを実現するためにどうやってやろうっていうのを話して。


[江良]

うん。いや、でも本当にね、SIDE COREにとっては本当に、21世紀美術館で個展っていうのもだいぶ大きな話じゃないですか。ね、このワタリウムで個展やって、21世紀美術館、次、みたいな最初聞いたとき、本当にいい意味で驚いたけども、やっぱね、そこに集中してやります、っていう方が自然な気もするんだけどもね、アーティストとしては。でも、そういう珠洲とのそういうビジティングプログラムをその会期中もやる。でさらに現地で作品も作る、しかも、その作品も自分たちのね、以前のその風見鶏の作品をラポルトに置くだけじゃなくて、そういう仮( )-karikakko-と一緒にあみだ湯でその作品作るとか、ESPOの壁のね、壁画の作品もやって、で、しかもその費用が制作費が美術館の費用だけじゃ賄えないから、今回こういうね、あのチャリティーグッズ、


[松下]

江良さんに助けてもらってね。


[江良]

俺はなんだその、ちょっと進行してるだけだからさ、あれなんだけど、まあちょっとあえて質問するけども、やらなくていいと言えば誰もやらなくて文句言う人はいないわけで、なんでそれやってんのかな?みたいなことはちょっと、ぜひみんなとシェアしたいなと思ってるところなんだけども。

まあね、さっきからトーリーくんがいろいろ言ってるけども、なんかやってみようかなーみたいな感じとかね。説明しきれないかもしれないんだけど、どう思う?


[松下]

DIEGOどう思う?


[西広]

なんか僕たち多分出会ってる時点で、例えばトーリーさんもいろんな人の手伝いしたりとか、ジャンゴさんもそうだけど、そもそもキュレーションしてるってことは誰かの展示を作ることじゃないですか。僕もなんかまあ外国人が来たらなんかお世話したりとか、別に自分のこともあるけど、他の人のことをやってて。で、そういうのがまあ自然にこう、興味があるからと思うんですよね。いろんな人に会ったりとか、なんかその場所にいるのとか、行ってみたら行って話したりとか、変わるじゃないですか、やっぱりその考えが。そういうのに興味があって、で、やっぱりさっきやらなくていいことって言ったじゃないですか。なんかこう忙しくなると本当にキャリアが上がっていったりとか、忙しくなってくと、本当にやらなくていいことやらなくすることがすごく簡単になってくるというか。もう全部排除してって作品だけ作っていけばいいんですけど、でも、やっぱり逆で、やらなくていいことをどれだけこうやり続けるかの方が多分良くて、作家としてやってくには多分。なんか僕は結構もう無駄なことを、別にその今回の作品とかも限らず、やらなくていいことをやりたいなって常にやっぱ。


[江良]

それはそのシンプルに言うとインプットが多いみたいな。


[西広]

今回もすごい思ったんですけど、これはストリートカルチャー的視点なんですけど、さっきから何回も言ってるけど、やっぱりいることってすごい重要なんですよその現場にいることって。あの時あそこにいたっていうのは、その時しかないじゃないですか。だから、それめちゃくちゃ重要で。それって結構なんかよくストリートのこととかよく語られるんですけど、クラブカルチャーとかもそうだと思う、音楽とかもそうだと思うけど、あのイベント行ってたんだ、みたいな。すごいあるんですよね。あれ見てたんだとか、それだけでこう一瞬にして信頼を得るみたいな。やっぱりそういう瞬間ってすごいあるんですよね。僕らなんかやっぱさっきも言ったように人数がいるから、それが誰かで補えたりとか、例えばトーリーさんだけが行ってて、この話は共有されてるとか。でもそれはやっぱりSIDE COREっていうチームだから、SIDE COREあそこにいたっていうのって別に僕はいいと思うんですね。

で、やっぱそこにいることっていうのはすごい。そういう瞬間、まあ坂口さんに会ったとか坂口さんってその役者だったり、その人に偶然会ったとかって、偶然とかってやっぱりそのタイミングでいないと起きないじゃないですか。で、行かなくすることはやっぱ簡単なんですよね、一番。やらなくてやらないのも簡単だし。でもやっぱ僕だったら例えば夜ぐらいグラフィティ書きに行くとかでも、今日疲れたから行かなくていいやっていうのは別に、忙しくなれば。でもやっぱ無理して行かないとな、みたいな。行ったらなんかあるわけですよ。そう、いるってことがすごい重要なんですよね。やっぱ常日頃からそれをすごい思ってる、で、やっぱり忙しくなってできないなって思ってるけど、やっぱ無駄なこととか、やらなくていいなって思ってるようなことから、アイデアとか学びみたいなのがすごいあるんですね。


[江良]

でもそうね、出会いが増えるというかね、なんか入ってくる。


[松下]

うん、そうね。


[江良]

どう、トーリは?


[松下]

なんか僕もそういう考えもあるけどちょっと違うところもあって21美で僕たちで展示だったら、能登半島を介してみたいなのもあるけど、やっぱり、理論的な話もやっぱあるんですよ。その、それが、なんつうんだろう、意味があることなのかみたいな。


[江良]

意味があることっていうのは。


[松下]

要するに、その、なんか、例えば、大きい国家主導の祝祭があったとして、それ今やる必要ある?とかも、理論的に考えることができるわけじゃないですか。その、予算とか人員とか、他に使った方が効率いいんじゃない?みたいな話もあるし。それはやっぱり一緒で、自分たちが美術館でやる意味があるのとか、あと、そもそも、なんか、俺たち美術館で展示やる必要ある?とか。あと、まあ、俺たち、能登半島に行って、なんか行く必要あるか?とかも、やっぱあるじゃないですか。まあ、でも結局ね、進む方向に進むしかないから、でもその中でなるべく自己批判性とか、客観的に考えて、何をなくしていけないのかな、みたいなことを考えると、そうすると、やっぱり自分の利益だけの話はなくなるから。でもやっぱり、理論的に考えて、そうだから、素直にそれするかーみたいな、大変だし、言っちゃえば、損だけど、みたいな。やっぱり自己批判性の話とか、理論的に考えてそれがどうあるべきか、みたいな。でも、わかんないです。でも、結局、自分で理論的に考えているべき、ってことだから、まあ、今回やってることは、理論的に間違っている可能性もあるんですけど、でも少なくとも自分の中で、これはこうだからこれはこうで、みたいなことを考えながら、やっぱりやっていくしかなくて。なんかまあ自分だけの話じゃないじゃないですか、やっぱりね、社会って。当たり前だけど。


[江良]

でもアーティストとしてはその、さっきもちょっと話戻っちゃうかもしれないけど、自分のここっていう、この表現みたいなものに、集中するっていうことも選択肢なんだけど、やっぱそこで理論的に自己批判、批評していく中で、やっぱりこうその社会とかなんか自分の繋がってるものみたいなものが優先されるっていうのは、なんでなんだろう?


[松下]

そうですね、なんでかな?なんででしょうね。でも難しいですよ。だから結構僕たち、ちょっと答えになっているかわかんないですけど、よく自分たちに来た話を、他のこの人の方が向いてると思うんですけど、言っちゃうときあるよね。


[西広]

でもまあ今回の展覧会の始まりも、すごい話してたんですね。正月に、確か新年にね、年末か、去年の年末にもう決まってたから確か。何する?みたいな話をしてて、やっぱその時ってワタリウム美術館の個展の後だったから、なんかこう反省みたいなのをしつつ、なんかもう、その作品出して、このままやってもつまんねえな、みたいなのになってたんですよね。なんかもう見えちゃうみたいな、見えちゃってるみたいな、向かう先が見えてるみたいな。だからこのまま個展するのどうなの?みたいな話はしてたよね。なんかグループ展、全然僕らが出ない、グループ展するのかとか。


[江良]

うんうん


[西広]

もっとなんか個展をするって考えだけじゃない考えをいっぱいしてた。


[江良]

ある意味ね、ワタリウム美術館のやつもねすごいやっぱりね、当然力作というかね、気合入ってたと思うから、それがあって、じゃあ次の展開みたいなものはもちろんね、こうあり方っていうのは考え、それこそ理論的に考えるところだよね、多分。


[松下]

そうですね、まあでもやっぱり高木くんってもう一人主役いて。


[江良]

そうだね、高木くんはでかいよね。


[松下]

でもまあ高木くんはやっぱSIDE COREの作品を出しながら、キュレーションもしてくださいみたいな感じだったから、そのゲストアーティストを踏み出したし、自分たちが作品出さないって判断は、彼の判断だったもとはやっぱないなとか。でもやっぱりその高木くんとそのつながってプロジェクト一緒にやることになったのは、やっぱその2018年に晃太朗と一緒に能登に行ったからだし。だから高木くんともやっぱ能登半島で再会してて、連絡して高木くんと一緒にやるんだったら、まあやっぱ、能登に関係することだろうとなるし。で、そうなるとやっぱその最初能登半島に行ったきっかけだったのは晃太朗は呼ぶかとか、あとやっぱそのRebornの記憶から、森田貴宏さんとやっぱ一緒にやってすごい良かったんで、もう一回森田さんに何か協力をできないか聞くとか。あと今ちょうど日本でその活動し始めた、すごい自分たちが影響を受けてるESPOっていうアーティストが東京で活動し始めて、何かその東京以外の場所で何かやりたいって言ってるらしいぞ、みたいな話もあったから、じゃあESPOに声かけてみようかとか、まあ状況でこう決めてったっていう感じだよね。



[西広]

なんか自然にそうですよね。


[江良]

やっぱりそういう自分の繋がりというかさ、なんかこう蓄積してるものみたいなものを、やっぱりすごいそこから何か新しいものを生み出そうとしてるみたいなのもあるよね。それこそ、能登も最初の「能登半島に行くツアー」の時もなんか最初どういう人呼ぶかみたいなこと話してて、で、なんかこんな人どう?みたいなこと言ってたけども、なんかそれ打ち合わせ終わって次の日ぐらいに、確かにDIEGOからやっぱり「自分たちの知ってる人を呼ぼうよ」みたいな話が出てきたよね。それはやっぱり、何て言うんだろう、なんかそういう不特定多数でなんかね影響力のある人みたいなことを呼ぶわけでもなくて、やっぱ自分たちがこの人こういう人だから、こういう意味合いで連れてきたい、っていうことをまず最初ってこともあるから、ちゃんとはっきり自分たちで認識してというか、ちゃんとそこを分かって呼んでったほうが、最初はいいプロトタイプのね、今から言うと、プロトタイプツアーなんだけど、プロトタイプツアーになっていくよねっていうようなことで、俺それすごい、本当その通りだなとその時思ったし。


[西広]

そういう話してましたよね、プロトタイプになる、展覧会が始まってもやっていくから、そういう風にしましょう、みたいな話をしたけど。


[松下]

そう、それこそ自己批判。自分たちも批判してくれるような人とか、あとその江良さんの関係から、アート業界だけじゃなくて、やっぱり自分たちがちょっとこう苦手な人とかが、苦手っていうのは普段からつながりあるわけじゃない、企業、会社をやっている方とか。あと年代もすごいその10代から20代の若い人から60代とかもっと上までとか。なんかこう、友達呼んでワイワイ、知り合いなんだけど、友達呼んでワイワイっていうより、やっぱりちょっとある程度緊張感がある人を多く呼んだよね。



[江良]

うんうん。そういう意味だと、そういう繋がりというのかな。ちょっと言葉が安くなるとあれだけども、なんかそういう自分たちがこういう繋がってる中の中で、何?


[松下]

繋がりっていうよりは、なんか多分事の次第みたいな、なんかこうなったからこうなって、こうなって、こうなってきます、みたいな。


[江良]

なんかそこに必然性というか、なんかちゃんとなんでこうなのかみたいな、こう一歩一歩みたいなのは、すご今回結構近くでね、こういうツアーの制作とか、グッズの制作もそうだけども、やらせてもらったけども、やっぱりその自己批判性みたいなものに基づく一歩一歩みたいなのが、どのプロセスにもあったかもしれないね。


[松下]

うーん、そうですね。自己批判、そうっすね。多分、偶然、偶然起きたことが…


[西広]

話し続けてるからコロコロ変わるんですよね。


[松下]

そうそうそう。それはあるね。


[西広]

話し続けてる、本当だから、そういう迷惑かけてると思いますね、多分。


[松下]

高木くんも本当今回もう、ひーってなってて、俺たちがあれ?これなんかこうしていいんだったっけ?みたいな。


[西広]

僕らがずっと話してアップデートされてたのが、共有されないまま僕らはこう進んでってたりとかするから。


[江良]

でもまぁ、それはもうでも本当SIDE COREの、このコレクティブのすごさだよね。ずーっと話してるっていうさ。いやこれ前のpodcastでも何か触れたかもしれないけど、いや、なんていうの、音楽のバンドとかでもさ、ずーっと話してずっとこの10年以上やっていけるグループっていうか、あんまりいないからね、やっぱね。そこちゃんとこう、やれる、そういうキャラクターだったり、そのケミストリーみたいなもののすごさは、いやそれ絶対あると思いますね。


[松下]

うん、そうですね。うん。笑


[江良]

まあいいや。笑


[松下]

いいですか?笑


[江良]

いやいや、なんかコメントありますか?


[松下]

ないです。いやいや、頑張ります。でもやっぱりね、まあそうですね、頑張ります。はいじゃあ次の。


[江良]

すいません、じゃあ、今回はそのチャリティーグッズをね、結構作ってて、通販でも、当然美術館でも買えるし、あと通販で買っていただいて、で、その売り上げは、今言ったESPOとか、仮( )-karikakko-とか、あとはSIDE COREの風見鶏の作品を、また再設置するとか、そういう


[松下]

バス借りたりね。


[江良]

バス借り代とか含めた、そのRoad to Notoの、僕たちの資金として、そのプロジェクト資金として、SIDE CORE並びに僕は一銭も取らずに、全て利益を


[松下]

すいません。いいんですか?


[西広]

え、チャリティーになるんだよね。


[江良]

チャリティーだよね。それ全額チャリティーするっていう


[松下]

あ、そうそう、そうですね。もちろん。


[江良]

だからまあ、利益分というか、その原価とか、必要経費はまあ、引かせていただくんだけども、利益分は全部、能登のためのプロジェクトに、資金に使わせていただくというものなんですよね。ちょっと、あの、いろんなアイテムを作ろうとしてるんですけど、ちょっと、DIEGOさん、あのー。


[松下]

広報部長!


[西広]

いやいやいや、もう、僕じゃないけど、まあ江良さん。



[江良]

そうだね。で、Tシャツを作る。ちょっとTシャツ遅れるんだけども、そのさっき言った、能登の木材を炭化したものをですね、それをスラリー状、すりつぶして、墨染めのTシャツっていうのを作って。あ、ちなみにスラリー終わったらしいよ。


[松下]

あ、終わったんですね。


[江良]

だから、ちょっと思ったよりも早くできそうなんだけども。


[松下]

うれしい。


[江良]

そういった、墨で染めた、各皆さんの、DIEGOとか、トーリーとか、あと、晃太朗くんの、プリントが入った、墨染めTシャツとか、あとは、木を炭化させて、なんていうの?木炭鉛筆?


[松下]

えっとね、描画用木炭ですね。要するに、こう、デッサンとかで使う木炭ですね。

[江良]

うんうん。


[松下]

これを、伊研さんって日本国内で唯一、その、描画用木炭を生成してる会社さんがあって、そこが協力してくださることになって、何か神社の跡かな、の、公費解体した建物の材料を炭化するっていう作業をしてくださってて、これは普通に欅なんですけど、絵を描くものとして、使えるものを販売します。


[江良]

うんうん。とか、あとは、えっと、塩?

じゃあ、塩はDIEGOさん。


[西広]

塩は奥能登塩田村っていうところの塩を、塩のパッケージを今回の展覧会用に変更させてもらって、それを販売すると。

[松下]

そう、能登半島は揚げ浜式塩田っていう、特別な昔は日本全国で行われたらしいんですけど、明治以前は。行われてる塩の畑を使った塩の生成方法があって、それを伝統的に残してるんですよね。

坂口さんがね、しかもそこで働いてて、そこの塩を分けていただいて、僕たちが買って、そこに許可を得てパッケージングして、21世紀美術館の方で販売すると。あと21世紀美術館と、東京、もしかするとネットで販売するっていうのをやる。


[江良]

うんうん。そうだね。


[松下]

あと、バズったやつの話もね。


[西広]

ノートですね。


[江良]

もう、やっぱ、そうしないといけないですね。

ROAD TO NOTOノート。ですね。


[松下]

ROAD TO NOTOノート。これDIEGO話すか。

[西広]

いやいやいや、トーリーさん話してください。


[江良]

高木くんがね、最初。


[松下]

功労者ですね。


[江良]

スズトウシャドウさんっていう、珠洲で、ちょうど廃業になっちゃう、まあ、印刷工場だよね、があって。で、そこに高木くんが行って、なんか色々紙が余ってるみたいなね、話があって、それを教えてくれたんだよね。色んな色の紙があって、で本当にその廃業される直前で、これでじゃあノート作ったらいいんじゃないかっていうね、まあ、その紙が、無駄に捨てられることになっちゃうから。じゃあ、それノート作って、でトーリーがね素敵なね、あの、ドローイング書いてくれて。で、それで、まず、えっと、もう、だから、廃業しちゃうから、10月のね、あの、会期に合わせて納品じゃなくて、もう2ヶ月前ぐらいに納品されたんだよね。で、ミュージアムショップの方から、もう、早めに売り出していいですか?っていうから、まあ、じゃあ展覧会の告知もなるから、どうぞって言ってたら、なんか、その、Xでバズっちゃってね。で、えっと、全部で1000冊。作ったんだったんだっけ?

それでもうミュージアムショップで売る分は、まあ、それほとんどなんだけど、全部売れちゃったっていう。


[松下]

むしろ、残さないといけないっていう。


[江良]

そう。で、ちょっとだけ僕たちがね、100か200ぐらい。持ってて、それは、えっと、オンラインショップで売っていくことになるので。


[松下]

そうです。東京のイベントとかでもちょっと出せたら、うれしいです。


[江良]

そうですね。はい。なんで、そういったまあ本当にタイミングで、本当パンパンパンパンって感じで。2週間ぐらいで作った感じのグッズだよね。


[西広]

体感、そんな感じですかね。


[江良]

うん。でも、その分、なんかそういうライブ感というか、いろんな、何か。

 

[松下]

そうですね。あ、わかった。なんか、やっぱ偶然と即興性を利用することをずっとする、みたいな感じですよね。偶然起きたこととか、偶然経験したことをどれだけそこに即興的にそれを使えるかみたいなのは。


[西広]

これはやっぱ経験がないとですよね。。自分たち言うのもちょっと嫌だけど。経験が物を言ってる気がしますよね。だって偶然が来ても、こう、即興はできないじゃないですか。


[江良]

そう。だからね、そういう意味だと、さっきのストリート的な、そこにいるってことがまず大事だし、そこにいたときに来たものを、うまくこう。


[西広]

そう。バントするくらいに。打つ感じではなくて。


[江良]

バントするみたいに、コンコンって。


[松下]

そう、結局でも、このノートはもちろんすごい売れた、嬉しいけど、でもやっぱ、スズトウシャドウさんが、すごいその同人誌の、いろんなコミケとか同人誌の出力、プリントを多くやってる会社さんとして大手だったんで、やっぱ、僕たちに対してSIDE CORE面白いとかじゃなくて、そこのやっぱりほぼ最後のプロダクトとなるそれを、みんなすごい祝福するために、それをやったんですよ。


[江良]

そうなんだよね。うんうん。

 

[松下]

コーンってなった感じで。走ったのは一塁にいる打者みたいな。俺たちはアウトみたいな。


[江良]

でもその意味だと、本当に、Road to Notoのノートのプロダクトにね、まあ、みんなふさわしいんだけども、すごい嬉しい話でしたよね。


[松下]

そうそう。しかもね、ご家族の方、スズトウシャドウさんのご家族の方が、僕たちの芸術祭の時のすごい最初の下見に担当してくださった方がご家族で、この間も僕たちの、風見鶏とか、ESPOの壁画やってる時に来てくれたりとかして。すごいやっぱね、そういう、本当、あれがここで帰ってきて、みたいな、伏線を永遠に回収していくみたいな。


[西広]

そうですね。不思議なものですね。そういうのがあると、本当、繋がってるなあと思うな。そういうのって、こう、見えないじゃないですか。でも、ああ繋がってたんだなっていうような、こう、しみじみに思ってます。


[松下]

なんか、ちょっと、スピっちゃうよね。


[西広]

だから、スピっちゃったらダメだなっていうのは、もう、あるから。そう。なるほどなって。


[江良]

でも、まあ、感じちゃうものはね。まあ、感じるのは別にいいんじゃないですか。


[松下]

そうですね。


[西広]

あ、そのスピっちゃってる感じを、いいように言いたいというか、冗談で言いたいという感じです。


[江良]

そうだね、そうだね。偶然とスピっちゃっていうのも、なんかね親戚みたいなもんだから、まあまあまあ、いいや、それはまた。で、そこらへんが能登に関係する素材がノートに関係するね、あと、あれか、ダンボールの置物みたいなものを、今回DIEGOのイラストで見附島くんっていう、見附島っていうのは 珠洲の名所というかスポットであるランドマークの島で今回でちょっとまあちょっと崩れちゃって地震でね。その見附島を模した見附島くんてイラストがあって、でダンボールで置物を作ってるんだけど、そのダンボール組み立て型の作品なんだけど、封筒がスズトウシャドウに残っていた封筒に入ってたりもしますけど。まあそこら辺が、素材が能登関連のもので。あとトートバッグもね3色で可愛いし、帽子もね、Newhattanさんに、協力していただいて、まあ、B品のね、帽子もらってそこに、SIDE COREオリジナルネームをつけて、出す。まあ、これはちょっと、遅れそうなんだけどもね。

[西広]

帽子は今ちょっと、ちょっとまだ、全然、追いついてないです。

最初は、塩と、Tシャツは木炭Tシャツじゃない白いTシャツ、でも(プレ)オーガニックコットンで。


[江良]

これが、トーリーと、DIEGOと、あと、晃太朗くんのプリントで、出てくるってこと。

[西広]

てぬぐいもちょっと遅れてるか。


[江良]

てぬぐいもね、ちょっとね、すごい、黒と、緑のやつで。

[松下]

遅れる話しかしてない。笑


[西広]

いや、でも、最初にはこれだけあるって、トートバッグと、塩と、Tシャツと、あと、もう一個のがノートですね。


[江良]

炭、間に合うの?


[西広]

箱、やらないとなと思いながら、東京に出ちゃうからそれまで託さないとなっていう。ちょっと考えてますね。


[江良]

キーホルダーもちょっと遅れるんだけど。あとダンボールチャームは間に合いそう。あとステッカーも間に合うよね。


[西広]

これやばいっすね。ちょっと安井さんにこれ。


[松下]

今、これ収録してる場合じゃないんじゃない?笑


[西広]

すごいいいよ、いい感じですよ。収録してる場合じゃない笑。収録中なんですから。


[江良]

もうねこれぐらいみんなね、制作と並行してやってるので、皆さん是非応援していただければと思いますので、よろしくお願いしたいと思うし、あとは本当に3月まで会期あるんで、当然金沢21世紀美術館「Living road, Living space」見に来てもらいたいのと同時に、Road to Notoのアーティストツアーが、順次21世紀美術館のホームページで確認できると思うので、それに行っていただきたいし、もし日付合わなくとも、珠洲にね、能登の珠洲市で、例えばそういう、レコードセンターっていうようなちょっとこうインフォメーションになるようなところがあるし、その風見鶏のSIDE COREの作品も見れるし、ESPOの作品も見れるし、あとは本当シアターミュージアムとかね、もともとその奥能登国際芸術祭でやってる作品が徐々に見れたり施設が開いたりし始めてる。ちょっと冬の間、閉まるかもしれないという情報もあったんで、ちょっといろいろ、ホームページで見ていただければと思いますけど。とにかく行ってもらえるといいよね。


[松下]

そうですね、じゃあ簡単な、最後、ガイドをしておきます


[江良]

ぜひ。


[松下]

じゃあ能登半島に行く人、まず最初に東京から行く場合は能登里山空港まで飛行機で行ってレンタカーする方法もあります。それ以外の場合は、金沢まで行ってレンタカーする方法もあるんですけど、片道金沢から2時間半はかかるんですよ、珠洲市まで。能登里山空港からは1時間ぐらいかな、珠洲市まで。行ったらスズレコードセンターって奥能登国際芸術祭関連のサポートすずがやっている、発災後の街の記録を集めていくセンターがあるんで、そこに一応行っていただけたりとか、あとさっき言った海浜あみだ湯も普通に定休日あるんですけど入れますし、コンビニとかは夕方6時から7時か、6時半までやってるんで一応そういう、後、公衆トイレとかも今復旧してます。

でも宿が少ないんで、松田荘とかいくつかあるよね、珠洲にね。他にあるかな?まあ、松田荘とか調べてみてください、あるんで。でも数は少ないしあと結構作業の方が結構多く泊まってるんで、先に予約してください。あと行ってほしいのは、何でも行ったらいいんですけど、例えばご飯食べるところっていったら、街のすずなりっていう街の人たちがやってる新しい食堂があって、そこいろんな能登でもともとご飯作ってた人たちいろんなところでお店やった人たちが結構協力してメニュー作ったりとかしてたり。


[西広]

のんち。


[松下]

うどん屋、のんち美味しい、あと夜は、やぶ椿のそばが美味しいとか。あさ井は居酒屋だけどなんていうんだろう、ろばた焼あさ井。予約しないと結構入れないんで、お店あってもやっぱり人がね、やっぱ人口、お店が少ないんで。まあ他にもピザとかパンとか。


[西広]

こだま。


[松下]

こだま、ピザのこだまとかいろいろあったりするんで、調べて行ってみてください。今、行くことはできます。でもやっぱりなんかすごい気をつけてほしいのは崩れてる建物に入ったりとか、まあ入っちゃいけない場所に入ったりとか、そういうのをあんまりしてほしくないなと思って。で、飯田からずっとまっすぐ行って狼煙(のろし)に行くと、いかなててって場所がある。狼煙って地域があって、いかなててってカレー屋さん兼レコード屋さんは、僕たちのプログラムに色々参加してくれてるんで、道の駅もあるんで、そこもトイレあります。でもその辺からもうコンビニがなくて。で、ぐるっと外浦に回って行くと、その大谷地区っていう場所に入ってきて、もうこの辺はもう商店とかなくなっちゃうんで、そっちの方はご飯買っといてほしいんですけど。で、その新道路っていって、復興のために土砂崩れしている地域があって道が通れなくなってるんですけど、海が隆起したんでその上に道路を作って通れるようにして、輪島まで抜けられるんですよ。Googleマップに出ないことはあるんですけど。


[西広]

バツになってますね。


[松下]

バツになってます。でも一応その通ることはできて、ただ天候が悪かったりするときはよく通行止めになったりするんで、気をつけてほしいなっていう感じです。だからとりあえず、あと珠洲にはガソリンスタンドもありますし、そこ宿泊できるかどうかとか、あとコンビニは6時半までしか開いてないとかって、いう、あとトイレも行く場所がどんどんその外浦に向かっていく中で、減っていくってことを踏まえた上で、気をつけて行ってもらえたらなっていうお得情報でした。


[西広]

PRESEN TATIONのことは?


[松下]

そうだ、あと音楽のイベントを21世紀美術館でいろいろやってて、21世紀美術館のその。


[西広]

地下シアター。


[松下]

地下シアターを使って、あの音楽のイベントをやってたり、あと17日のオープニングのときも。


[西広]

地下シアターじゃないけどESŐ(エシュー)っていうクラブでイベントがあったりとか、まあそうですね、随時イベントがあるってことですね。


[松下]

そうですねウェブサイト。こういうの聞いたことある。


[江良]

是非チェックしていただいて、まあ、あの、今言ってもらったお店とかはウェブサイトにも電話番号とかなんかリストで載せておこうと思うので。

あとあれだよね、ちょっとなんか、そういう3月の時のガイドの何だろう、

しおりとかホームページから見れたり、ダウンロードとかできたら。


[松下]

いやー、アップデートして、これ聞いてくれてる人はすごいいいけど、全員に配っちゃって、みんな適当に行っちゃえばいいってもんでもないから、どういうふうにそれを配布していくかみたいなことは。それこそ申し込みフォームした人に渡すとか、ちょっと工夫しようかなと思ってるけど。今、これを聞いてたら、行ってみたいなと思ってる人は、一応行ける。


[西広]

でも結構計画的に行った方が確かにいいですね。ガソリンとかもやっぱ前もって結構調べて分かんなかったらね。トーリーさんに連絡してください笑。


[松下]

そうそう。のと里山空港からのレンタカーも必ずしもあるわけじゃないから、金沢からやっぱ行くのがいいけど、2時間半かかるとなると向こうで、やっぱり一泊するのか。金沢に


[江良]

でもやっぱりあれなんじゃないですか、やっぱり金沢21世紀美術館で展示を見て、一泊してそれで行くのがやっぱりそれが一番いいんじゃないですか?


[西広]

次の日早起きしてね。それで日帰りで帰るのがいいですね。


[江良]

日帰りで帰るのがね、一番僕はおすすめです。なので、Road to Noto、これを聞いていただいている人、それぞれの能登に、どういう道をかけるのかっていうのは、まあそれまあ道というか関係性、つながりみたいなことは、本当に人それぞれの心地いいというかね、チョイスでと思うんだけども、何かしらねやっぱり、能登、本当人も少ないし、まだまだやっぱ人の関わりが必要だということが、やっぱりSIDE COREが現地に入ってリサーチする中で、やっぱね、みんながすごい感じたことなので、どういう形かでね。まあ、もしかしたらグッズを買って応援してくれるっていうことでもいいし、あとやっぱ実際は行ってもらう機会を作ってもらえて、何かしら交流をね、してもらえるといいなと思うので、ぜひ皆さん、この3月前の中で、スケジュールでちょっと考えてもらえるといいなと思っています。はい。


[松下]

じゃあ仕事に戻りましょうか。笑


[江良]

はい。

じゃあ、本日はSODE COREの松下徹さんと西広太志さんにRoad to Notoのお話を伺いました。どうもありがとうございました。


[松下] [西広]

ありがとうございました。

 


SIDE CORE
2012年より活動開始。メンバーは高須咲恵、松下徹、西広太志。ストリートカルチャーの視点から公共空間を舞台にしたプロジェクトを展開。路上でのアクションを通して、風景の見え方・在り方を変化させることを目的としている。野外での立体作品や壁画プロジェクトなど様々なメディアを用いた作品を発表。主な展覧会に「水の波紋」(2021、ワタリウム美術館、東京)、「under pressure」(2021、国際芸術センター青森、青森)、「Alternative Kyoto」(2021、京都)などがある。Reborn-Art Festival 2017、2019に参加。六本木クロッシング2022展:往来オーライ! 2022.12.1(木)~ 2023.3.26(日)(森美術館、東京)
Instagram : side_core_tokyo


Key Words: 


エピソードを読む:
[江良]
はい。今日はSIDE COREのトーリーくんとDIEGOくんにちょっとお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いします。

[トーリー、DIEGO]
よろしくお願いします。

[江良]
今僕たち石巻のここはなんていう?北上川の河口って言えばいいんですか?

[トーリー]
そこは北上川の河口で旧南浜という石巻からそうですね沿岸の浜辺のところに来てますね。はい。

[江良]
ちょっと波の音とか聞こえているかもしれないんですけれども。ここは今回SIDE COREがReborn Art Festival 2021-22後期で、「タワリング・バカンシー」という作品をインスタレーションで作ってもらったんですけども、その中心的な場所の一つに僕たち今3人で座ってます。えーと、お2人との出会いは2017年でしたね。はい、SIDE COREは2017年と2019年と今回と3回連続で参加している作家は、SIDE COREだけ?

[トーリー]
僕らと有馬かおるさん。

[江良]
ああ、有馬さんですね。はい。という、Rebornを語る上で、欠かせないアーティストのお2人で、あとなんだ、東京とかでもね、なんかたまにお会いさせてもらったりとかして、個人的にも仲良くさせてもらっているアーティストなんですけども、今回のRebornはどうでした?トーリーくん。

[トーリー]
今回やっぱり、ねDIEGO、全体的にすごい面白い作家と面白い作品が多かったよね。

[DIEGO]
はい。そうですねコンパクトにって言ってたけど、コンパクトに面白かったです。

[トーリー]
そうっすね。なんか今年のRebornは、2022年のRebornは、2021年のRebornとセットで一つみたいな感じで、コンパクトになるっていってたんですけど、例の如くコンパクトにはならず。

[江良]



[DIEGO]
でも普段よりは、、、半島もあるけど。

[トーリー]
そうだね。

[江良]
うん、お客さんにとっては回りやすかったりもしたし、あとね、もちろん2人もそうだけども、有馬さんもそうですけど、さわさんとかね1回目から引き続いて出てきている人たちとか、何かそういう人たちもいっぱいいらっしゃって、場所の探し方とか、石巻との関わり方とか、少しこう、一歩また、深くなのか、うまくなったのかちょっとわかんないですけど、面白い、本当いい意味でみんながいい感じで、競い合って、競い合ってるのかちょっとわかんないけども。本当、いい展示が多かったですよね。

[トーリー]
多分、2017年のReborn Art Festivalが始まった頃は、僕たちが今いる、南浜ってまだ震災復興の工事の途中でほとんど荒地みたいな状態だったし、もっと言うと少し瓦礫も残ってたりして、まだ震災の後、後っていう感じがしてたんだけど、今年になって、震災復興祈念公園ができて、もう全然違う雰囲気の場所になってて、多分他のアーティストの作品とか見ても、結構その、震災を直接的に扱ってる作家の作品みたいなの減って、また違うフェーズに入ってきた感じはありますよね。

[江良]
そうですね。なかなかでも本当に、今ここ来ると、ここであれだけの津波があって、まあこの南浜ってね、結構な方がお亡くなりになられたんですけれども、その面影みたいなものは、ちょっと普通に来たらなかなか見つけるのは難しいですよね。唯一あの、門脇小学校が震災遺構として残ってるっていうのはありますけども。そういった意味ではどう変わってくる、どう変わってきたんですかね?なんか直接的な、何かやっぱ17年は直接的にやっぱそこに触らざるを得なかったっていう感じはありましたけどね。

[トーリー]
そうですよね。社会的な問題として、その復興が終わったって思われちゃうのが問題なわけで。例えばオリンピックのときに福島の帰還困難区域の双葉町の駅前をすごい更地にして、無理やりそこだけ入れるようにして、復興が進んでますみたいなポーズを見せたりしたけど、実際にはまだ除染も進んでるし、中間貯蔵の問題とかもずっと山積みで。まだ、わかんないってなってて。

[江良]
そうだね。

[トーリー]
石巻も一緒だと思うんですよね。一旦復興が、ある建築、都市開発的な形では終わってるけど、でもやっぱ、人の気持ち、そこに暮らす人の気持ちとかもあったりするから、終わってるかっていうのは謎っていうかね。

[江良]
そうですね。終わるものでもないしっていうかね、なんかやっぱ常に生活とかね、人生は皆さん続いてってるから、僕たちもそこに、何かね、本当でも、Rebornもね、最初ね、10年やったらひと区切りとかいうことを言ってもう震災から10年経ってますけど、何かこう区切りとか、何か終わるってすごい難しいですよね。なんかそんな簡単に何か終わるってことってやっぱりね、なんか始まったものは、そんな簡単に終わらないですよね。

[トーリー]
そうですね。僕らも2016年に、一番最初は、Rebornのキュレーションやってるワタリウム美術館の和多利さんご姉弟に誘われて、アーティストのアシスタントで入ったんですよ。

[江良]
うん。

[トーリー]
2016年は、プレといって、芸術祭ではなくて、音楽祭がメインで、来年芸術祭やりますよっていうのをやるイベントで、そのときに海外の作家何人か来てて、僕たちアシスタントで入ったんですよね。そうね、結構こう継続的に来てるところが重要で、やっぱその街の変化を見てるし、段々そのコミュニティ上の見えなかったものが見えてきたりとかして、だから1回の展示で正直終われないみたいなところあって、継続的に何かこう作品作ったりとか、その場所をずっと訪れ続けることによって、なんだろう、そういうことを経験することによって、作品がどんどん作れていく、もしくは進化することができるみたいな、感じですね。

[江良]
はい。そんなでも、今回3回目の、あの、作品、1回目は、1回目は、どこだ、あそこだ、ワンパークですよね。ONE PARKの、っていう、あれは何なんだ、元々は。

[トーリー]
えっと、津波で、2017年のときの作品は、津波で被災した、冷凍倉庫を地元のスケーターたちがセルフリノベーションしてスケートパークを作ったっていう場所で展示したんですよ。で、そこでは、結構その防潮堤ができ始めた時期で、その防潮堤を一緒に展示をしたスケーターが、スケートボードしてる、するっていう経験から、防潮堤もしくは震災復興を、ストリートアートの視点でみるみたいな、そういう作品をやったんですよね。

[DIEGO]
ここでスケートしたっすね。

[トーリー]
そうだね。まさにこの、今いる南浜の防潮堤でスケートして、でも、ここはその時はなくて、今僕らが座ってるのは南浜の防潮堤の一番えっと東側になるのかな。こっち側できてもっと西側の方でやってました。

[江良]
うん、まだだから、これができてなかったということですね。

[トーリー]
そうです、そうです。

[江良]
それで、2019年は、あれは桃浦っていう、牡鹿半島の中の一つの浜のところで、防潮堤を、あれはなんだ、乗り越えるというか、防潮堤自体を作品とこう一緒にしちゃってね。

[トーリー]
そうっすね。パビリオンみたいなものを作って、防潮堤をまたいで、防潮堤を越えていく建築みたいなものを作って。その中にこう、壁画、壁に関するアートの美術館みたいなことをテーマにして。一つパビリオンみたいなものを作って展示しましたね。

[江良]
うん。

[江良]
じゃあちょっと、防潮堤の上が、ちょっと風の音があるんで、今ちょっとあの車の中に、近くの車の中に移動してきましたけれども、ちょっと今回の作品についておうかがいして、させてもらってもいいですか。

[トーリー]
はい。



[江良]
「タワリング・バカンシー」、空虚をたちあげる、日本語で言うとですね。はい。これはでも本当に、すごい評判が良かったね。なんかね。すごいね、いろんな人が今回の中でも、SIDE COREは良かったっていう、いろいろいいのがあったけど、だけどSIDE COREよかったって、いうふうに上げてくれる人がすごい多かったような、気がしますけれども。でもなんか、あれだよねDIEGOとかもいるから、どちらかっていうとなんか、僕はね、そのさっき言ってもらったように、前回は壁画の作品だったりとか、それすごいビジュアルなものをイメージしていたところ、今回やっぱり、音を中心としたインスタレーションだから、いい意味で、あれ?みたいな感じはあったんですけれども。

[江良]
ちょっと昨日終わった、Reborn Art Festivalの最終日に、ちょっと会場の、音の様子だけ、ちょっと録音したものもあるんで、ちょっとだけこれリスナーの皆さんに、雰囲気を聞いてもらって、その後、2人からコメントもらいたいと思います。

-------- 作品の一部の録音--------

[江良]
はい、ちょっとね今簡単に、音を聞いてもらったんですけども。これはどういう作品か、簡単に教えてもらってもいいですか。

[トーリー]
過去の2017年、2019年と、防潮堤をストリートアートの視点見るみたいなことをやっていて、まさっき壁画っていう話もしましたけど。その場所に対して、介入する意識みたいなもので多分作品を作っていて、介入するっていうのは、その風景の中に自分たちが入っていく、行動を起こすとか、そっから作品を作るみたいなアイディアだったんですけど、何かそういう視覚的に見えるとか、行動で表せられるとか、そういうことより、長くやってきて、その場所で感じることとか、見つけることとか、もうちょっと作品をそのことと関係させて見せるっていうよりも、作品を見ることを通じて、よりその、見てる鑑賞者たちが自分たちでその場所を感じたりとか、発見できたりするような感じに作品をしたいなって、こうなってったんですよね。だから抽象度を上げて。ただ場所を楽しめるような作品にしようという感じになってきましたね。

[江良]
でもそういう意味だとここは、あの、皆さんもね、作品がないときに来ることって、めったにないかもしれないですけど、釣りの人とかが来るみたいですけどね。あの、どんなここはでも、こんな発見したのっていうか。



[DIEGO]
ああ、そうっすね。元々はやっぱり2017年からきてて、まず僕個人だと、2017年に手伝ってもらっていたアメリカ人のダニエルミラーっていう子がいて、ダニエルミラーが、ダニーって言うんですけど、ダニーが、手伝ってくれた最終日に、僕たちをお礼がしたいからって言ってここに呼び出されたんです、その浜辺に。で、綺麗なところがあるって言って。で、それでそこで、お稲荷さんとチャイをご馳走してくれたんですね。そこで、この場所を知ってたんですよ。それで今回も確か、あの場所行ってみようみたいな感じだったんですよね。

[トーリー]
うん。

[江良]
場所というか、リサーチして。

[DIEGO]
そもそもその、復興祈念公園でやって欲しいって言われて、その辺見てて、ちょっと退屈になっちゃったんで、海の方へ行ってみようみたいな感じで。

[江良]
なるほど。

[DIEGO]
それでダニーがご馳走してくれたあそこ行ってみよう、みたいな感じで来たら、結構、前と行き方全然違ったよね、なんか。

[トーリー]
そうだね、道が変わったね。

[DIEGO]
それで、来てみたら、本当何もなくなってて、なんか何でもない場所みたいになってて、面白いねってなったんですよね。確か。で防潮堤も出来上がってて、何て言うのかな、変に面白い場所になってて、それはすごい良くて、ここもいいねってなったんですよね。

[江良]
でもあれですよね、本当にあの僕が勝手に作品というか、このインスタレーションの一つのハイライトと思ってるのは、やっぱりこう、最初一つのこう、仮設、仮設の工事現場っていいのですか?が、あって、その中にこういろいろな、音の色、音も含めたね、いろんな場所の記憶みたいな形で、音の蓄積があって、そっから出ると防潮堤があるんですね。防潮堤を上がって、本当防潮堤の上に行くと、いきなりやっぱり波の音が聞こえるじゃないですか。何かこれだけ、何て言うの、場所で、この防潮堤を越えるとこの波がみたいなこととかの、この場所の特殊性とか、何か本当に、発見という、さっきトーリーくんが言ってくれたように、何か見た人が、多分ここ鑑賞者が本当に、その場所に関与して気づいて、発見できるものが、すごくクリアに波の音っていうのがあって、本当に面白いなっていうか。本当に場所を探したことも作品の一部みたいなことが、解説のやつにもありましたけど。やっぱりでも、音でやっていこうみたいのは、あそこを上がるだけで音みたいなものがすごい変わるじゃないですか、この場所。そういうところから、やっぱ音をピックアップしていこう、みたいな話になったんですか?

[トーリー]
そうっすね。どっちかっていうと、最初に音のビジョンみたいのがあって、場所を探していくことみたいのが、場所を探してくる、その場所を探した場所で、何か表現を展開してくみたいな、そういうストリートアートの考え方、表現の考え方みたいなのがあって、たとえば普通だとキャンバスに絵を描いて、おく、飾る壁を探すじゃないすか。この場所に絵を描いたら、面白い大丈夫だろうみたいな、"場所"から発想していくみたいな、ストリートアートの一つの考えかたで。そうなったときに、場所っていうもの自体に、例えば壁に絵を描くとかっていう方法もあるけど、やっぱりもっとこう、その場所を生かしていく作品の作り方みたいのをいろいろこう模索していて、絵だけじゃなくて、立体とか、考えたりとかしてた中で、やっぱ音っていうのは、場所の体験にすごく強く結びついてるんですよね。例えばそうDIEGOだったら、まぁ地下鉄に入ってたときに、地下鉄のその風がふわってきて、電車がぐわってくる音がすごいとか。なんか、場所を視覚的にだけに見るより、場所を音で体験するみたいのがあって、だから今回は音だろうなっていうのは結構最初から思ってて、

[江良]
なるほど。

[DIEGO]
でもやっぱ、そういう何か誰かにも質問されたんですけど、多分、音の人に関わる機会が最近多かったっていうのもあるしね。コムアイちゃんとか新美さんとか出てきてさ、そういう、周りにそういう関わる人が多いのデカいですよね。

[トーリー]
そうっすね。簡単に言うと、ミュージシャンの人。ミュージシャンで、そういう、まぁライブをやるとかっていうだけじゃなくて、アーティスティックに音を作品にする可能性があるし、してる人みたいになって、そういう人たちの、表現の可能性みたいなものを自分たちも結構興味を持ったところがあって。そう、音の作品ってのは2018年に1回作っていて、それでそっから今回この場所はこういう音かなっていうのはあって。でも、逆説的にその音の作品を作るってなったときに、この場所の音をどんどんこう意識するんですよね。そうすると自分たちもやっぱり発見できるから、やっぱ防潮堤まで足を伸ばした方がいいってなったら、作品を防潮堤にかかる道につけたりとか、そういうこう、音を中心に展開してたって感じですね。

[DIEGO]
実際、あれじゃないすか。ここに来たときは普通にやっぱ、防潮堤登って波の音を聞いてたって感じだけど、ここにスピーカーを置いて鳴らして、登ってたときにやっぱこう、波の音がすごいクリアに聞こえたっすね。
※防潮堤の手前に作品群があり、作品を抜けると防潮堤に登れる階段へつづいている。

[トーリー]
そうだね。

[DIEGO]
それで良かった、すごい良くなったなと思ったすね。



[江良]
なるほどね。うん。でも本当にね、芸術祭でね、こういう地方都市でやるわけだからお客さんとしてもね、やっぱりこの場所というか、石巻ならではのモノならをやっぱりそれは気づきたいし、感じたいですよね。でもそういった意味でいうと、こういう場所を、発見できる、そもそもね、発見できるっていうのもすごい、なんだSIDE COREが本当にそういう場所のハンティングというか、というかこの土地とやっぱりすごい長く、広く、やっぱり関わってた、なんかその蓄積みたい、なんかものが、多分経験のアーカイブみたいなものが、何かすごい活きてましたよね。それでその、よくよく考えてみると、この旧北上川でいろんなものが、なんだ、歴史的にも、物理的にも、滞留したり堆積したり、なんだかんだみたいな、本当にこの川の河口の、本当に先端というかね。川の本当の河口のところなんで、なんかね、そういう八大龍王の石碑が、八大龍王でしたっけ、あれ違うか。

[トーリー]
えっとね、石碑ちょっと全部わかってないんですけど、一番真ん中にあるのは、恩賜燈、石巻港水難者供養塔、

[江良]
水難事故が多くてその海難救助隊の活動をたたえた、新規でできた、もの。皇室からの新規で建てられた恩賜燈。

[DIEGO]
はい。恩賜燈はやっぱり、恩賜燈とそこにある石碑は、津波でやっぱり流されちゃったものを、こう移設してきたんですよ。もっと本当は海側にあって、防潮堤がない頃も、もっと本当に海岸スレスレの場所にあって。ちなみにその場所もこう、恩賜公園って名前があったんですけど、その公園は今、その防潮堤の奥のなんていうんだろう、河川敷っていうか、その水に浸水する地帯に入ってるみたいな感じなんすよね。公園は実質的になくなっちゃって。この場所はその恩賜公園なのかっていうと、この場所は何か名前がなくて、もう本当釣り人が駐車する場所、場所の持ってる名前が失われてしまったりとか、防潮堤ができてくる中で、なんか計画的じゃなくて生まれてきた場所みたいな特性があるんで、それがやっぱ面白いなっていう、はい。

[江良]
なるほどね。いやでも本当に、すごい、何か新しい、また世界を見せてくれたと、すごい思ってます。また、次回も、またね構想が既にあるとかいろいろあるから、また何かここね、アップデートしていけるとすごいいなと思うんですけれども。じゃ、ちょっと話題を本題というか、ま、こういう感じで僕たちがいろいろね一緒にやらせてもらってきてますけども、このあのポッドキャストはあの、alt-Tokyoて言うタイトルでやってて、オルタナティブな東京のことを考えていこうと、いうことで、僕はご存知と思うけど、どちらかっていうと、どう、社会が循環していけるかとか、今でいうサステナビリティとかエコロジーとか環境問題とか、そういうようなところで、もう少し都市がもっとシフトしていかなきゃいけないみたい、みたいなことを、いろいろなあのパーマカルチャーの人とか、エネルギーどうなんだとか、そういうことをいろんな人と話で考えていこうっていう、そういう番組なんですけども、えっとSIDE COREもね、ストリートアートってさっきありましたけれども、東京を舞台にずっと活動されてて、そういう環境とかねそういうところとはまた全然違う観点で、街とかをどうこう良くしていけるかとか、良くしていけるかっていう視点自体もどうなのかもちょっとわかんないんですけど、alternativeな東京、alternativeな都市っていうと、いろいろそれに対して、まつわる表現とかリサーチをいっぱいされてきたと思うんで、ちょっとそこら辺を、例えばオルタナティブな都市、オルタナティブ東京っていうと、このRebornでの活動も含めて、どんなふうに何か、ぱっと思うこととかがあれば、ちょっとトーリー君、教えてもらいたいんですけども。

[トーリー]
そうですね。Rebornとの繋がりでっていうところで話してもいいと思うんですけど、やっぱりこう、場所をどういうふうに自由に、体験したりとか、その場所を自分たちの、その自分たちに思い入れのある場所にできるかみたいなところが、多分僕たちの表現の中ですごい重要になっていて

[江良]
うん。

[トーリー]
その考えは、あの最初何度か出てきましたけど、やっぱそのストリートカルチャー、グラフィティだったり、そういうところから、すごく来てるんですよね。

[トーリー]
多分都市っていうものをついて考えたときに、近年はやっぱそういう、オリンピックをきっかけとした、ジェントリフィケーションなんか、すごい大きくほんと大々的に進んできたみたいなことがあったと思うんですけど、やっぱりどんどん、そういうグレーゾーンを排除していくっていうか、制度設計の中でその場所を作ってくんで、ノイズみたいなものが、都市からどんどんなくなってくるんすよね。



[江良]
うん。

[トーリー]
だから僕たちの作品っていうのは、多分、都市のなかにおける、ノイズとか、その余白みたいな場所を、自分たちが体験する空間に変える、みたいな感じですね。

[江良]
うん。そうですよね、でもそれは本当に、いやなんかこう、極端なこと言うと、なんかこうSIDE COREの表現を通じて、そういうノイズとか、余白みたいなものを、何か具体的にこう形づくっていこうよ、みたいな、何かそういうところまで発想は行くんですか?それとも、まずはこういう余白ノイズみたいなものをみんなで気づいていこう、気がついていこうよ、とか、何かそういう意味で言うと、なんかこうSIDE COREっていうコレクティブとしては何かこう目標みたいなものはあるんですか?

[トーリー]
いやでも、まずやっぱり行動してみようみたいなところが重要だと思ってて、例えば作品を通して、街の中で作品を作ってみるとか。あと、そうっすね。ま、こういう日常的に、こういうこと、行動を起こしてみるみたいな。行動がまずあるんですよね。それっていうのは、多分その、ストリートアートとか、まさにグラフィティっていうところから来てるのは、やっぱりこう、街の中にでて常にその街を体験して、その自分の痕跡を残すみたいなことをずっとやってるわけですよね。そうだから、何かグラフィック、グラフィティの語源ってグラフィートって言って、イタリア語で、ラテン語で引っかくっていう意味らしいんですよね。壁を引っ掻くみたいな。ポンペイとかに行くと壁にこうたくさん落書きがあるんだけど、引っかき傷で書いてあったりするんですよ。だから正に痕跡って言うか、傷跡をそこに残していく、個人、個人が公共空間の中でそういうこう、対話、何か体験した功績を残してくるみたいな。そうだから、ただ壁を見ておもしろいねっていうだけだったやっぱり駄目で、そこにこう、傷を残していくみたいな、ことが多分作品を作ることになるんですかね?

[DIEGO]
いやいや、どうすかね。そうすると、目標というか、やってることは多分、あれです、オルタナティブな活動を続けていこうと思うやっぱこう。

[江良]
それは、オルタナティブな活動ができる

[DIEGO]
意識して、なんて言うのかな、活動していくうえで何かこう、社会に、社会というか、飲み込まれそうなっていくですね。普通になっていくというか、普通っていったら変ですけど、自分たちの活動が理解されてきてしまうんですよね。ノイズだったものが、ノイズが理解されてくるじゃないですか、どんどん。ノイズだったのに。ノイズが面白いとなったら、どんどん普通の、みんな味方になってたら、それってもう一般社会に乗っかってということになるんで、それだとノイズがどんどん無くなってくんで、新しいことをずっと作り続けて、それを作り続けていかないと多分いけないですね。そういう活動続けるのが、多分すごい重要。

[トーリー]
そう、だから結構、いろんな都市にあるアクティビティと違うのは、やっぱり、まさにすごい重要な点で、その自分たちの声みたいなのが、公共化されたりとか、あと、その制度に組み込まれたとかすると、もうそれはそれじゃなくなってしまうみたいな側面があって。壁に傷を残すというのは、ある意味壁を傷つけることなんですよね。やっぱその、グラフィティとかってね、例えばグラフィティを違法じゃないエリアを作ってグラフィティやってもしょうがないみたいな議論があって、その例えばアーティストは街の壁に絵を描いてたアーティストが美術館の壁に書くようになったらえらいかっつたら、別にそれは偉くないし、表現の本質が変わってしまうからですよね。もちろんそれやっちゃいけないとかって話じゃないですけど、でも全くそのものしかやらなくなったらやっぱそれはグラフィティじゃなくなってしまうっていうか。そう。だから、何だろう、アウトサイダーであることが重要と思わないですけど、常に何かその都市の中で、余白の部分をやっぱ追求していく、発見してく、みたいな作業をこう、し続けること自体が目的みたいな。

[江良]
でも、その余白の部分なりノイズの部分なりに、気がついて、それを表現する、それはいいねってなったら、それがみんながその、真似するなりして、それはもう既にその余白やノイズじゃなく、何か組み込まれていく、体制というか街にね。でも、それ自体はすごいいいことですよね。

[DIEGO]
そうそう

[江良]
つまり、それが作品の何ていうか、活動の目的で、ただ、その中で何か安住して、僕はこの余白埋める会の家元ですから、皆さん何か税金も含めてこれ著作権料ですから、云々かんぬん、じゃなくて、どんどんその街の中の新しい、それがみんなでもうね、余白でもなくなった、皆でみんなでこっちがいいっていうことであれば、またみんなでね、またやってもらって

[DIEGO]
だから僕たちも何か、それが普通だったからポイッと投げるとはしなくて、また新しい何か面白いことを探して、みたいな。別に何かそうっすね。アウトサイダーになりたいとか、悪くなきゃ駄目とか、何か犯罪最高!とか、そういうわけじゃなくて。

[江良]
犯罪最高!は結構、危ないですからね。

[DIEGO]
そうそうわけじゃなくて、やっぱり。

[トーリー]
特にやっぱり、僕とかは、僕とあとジャンゴがSIDE COREまぁやってるメンバーですけど、ジャンゴともう1人いるんですけど、僕たちは結構美大を出てたりとかするんで、割とそのストリートアートっていうものに対するその対外的な興味から、割と研究の視点みたいなところを含めて入ってる部分がやっぱあるんですけど、DIEGO君の場合は、もうDIEGOさん、DIEGO先生の場合は、やっぱりどっちかっていうとそういうこう、美術大学とか出たっていうよりやっぱりストリートアートの視点からこう入ってたんですよね。

[江良]
うん、そうですね。

[トーリー]
本当にその路上で活動を始めたっていうか。元々やっぱそれとこれって相容れないものだったんだけど、やっぱり今そういうストリートアートがすごい社会的に普及していきたいとかする中で、それを逸脱させたいとか、それを現代アートの視点で、別の視点から考えたりとかっていうときに視点が合致して、一緒にやることができたっていうか、やることになったっていうか。10年前だったら結構難しかったなと思うけど。

[江良]
なるほどね。

[トーリー]
そうそう、そういうことがあったとかするんで。やっぱり、そのストリートアート自身もその今年開発の中で戦略的にこう使われたり、マーケット中で主力の製品だったりするんで、常にそれを新しい視点で捉え直すとか、提案してくみたいなことを試す、プロジェクトではやり続けるのかなと思いますね。

[江良]
そうね。もうちょっとその、余白とか、ノイズみたいなことで言うと、なんか、なんだいろいろ窮屈になって、自由に遊んだりとかできないとか、なんかそういうのっていうのはあると思うんですけど、なんか自分たちがこういうノイズはこう見つけるのが得意だとか、こういうノイズがやっぱり普段すごい気になっちゃうとか、こういう余白がとか何かそういうのってあるんですか。

[トーリー]
何かある。

[DIEGO]
例えば。

[江良]
なんだろ、僕の場合は、だから結構こう例えば何か物質的なんか無駄にゴミが多いとか、何かそういう環境とかってそういうような、視点で見つけて、そういうのが気になっちゃう。どうしても。何かエネルギーってこれなんかすごい無駄だよねとか、物質的に循環してないよねみたいなところでの、何かこう、僕はそういう意味だとノイズというか、課題みたいなものを気にしちゃうんですけど

[DIEGO]
答えとしてあってるわかんないけど、ずっとあって、やっぱこう東京例えば、東京、日本とか。描くところがないとか、グラフィティ描くとこないとか、そういうとこ、たとえば渋谷とか再開発が進んで、どんどんつまらなくなってくる、街がつまんなくなってくるっていうんですけど、でも結局視点とかあれば、全然変わらないですね、あんまり。例えば綺麗にしたところに、何かちょっと変な隙間があるなとか。なんか結局視点さえ持ってれば、こう面白くなって、ノイズは探せるから、なんかこう、、ちょっと何が言いたいかよくわかんなくなってきちゃった。。

[トーリー]
いやいや、そうだよね。

[江良]
視点っていうのはあれだよね。基本的には、DIEGOくんの場合は、DIEGO先生の場合は、やっぱりグラフィティだから、 描く場所

[DIEGO]
いやー、でもそれとか、こういう何でもない場所というか、やっぱり、自分しか知らない、例えば東京だったら自分しか知らないだろうとか、誰にも言わなかったら 僕はここで倒れたら誰も気づかないような場所とか。本当に自分しかいない瞬間 みたいな。あんなに街に人がいて、ガヤガヤするけど、誰もいないし誰も僕がここにいる事は気づいてないみたいな。でも俺は誰が見えてるみたいな。そういう場所っていっぱいあるんすよ東京に。そういう場所っていうのは、結局いくら街がこう変わっていっても、絶対無くならないし、そういう視点さえ、そういう何か、どうやってあそこに行けるかとか、どうやって、どういうふうに、どこが面白いとか、視点だけあれば、何か別に再開発とか、場所とかじゃなくて。逆に僕が怖いのは、自由になってるほうが怖くて、グラフィティが許されたりとか、もう全部いいよみたいな。そうなったら、その方が怖いです。

[江良]
それはどういう意味で怖いの?

[DIEGO]
厳しいと、やりたくなるじゃないですか。

[江良]
制約みたいなものがあると

[DIEGO]
駄目って言ったりとか、入っていいよって言われたら入りたくないというか。はいっちゃ駄目だよっていろいろ言われてて、でもあそこ入りたいなってなったときにどうやって入るかなって。それを自分の視点で考えて、いけるけど。やっぱ自由すぎるよりは。それやっぱ海外にグラフィティ描きにいったときに、なんかどこで描いててもいいし、見て、見られても、何もいわれないし、警察に言われても、なんかスプレー缶返したらOKみたいな。それでなんか全然楽しくないなと思って。

[トーリー、江良]


[DIEGO]
でもそうなんですよ、でもそうだと思うんすよね・・・

[トーリー]
いや、そうだよね、それがやっぱり、カウンターカルチャーのやっぱり思想っていうところで。何だろう、何かこう、自由にされてしまっても困るみたいところがあって。やっぱり飼い慣らさられない。イコール、やっぱり飼い主がいないみたいな。そういうところがやっぱ面白いっすよね。

[DIEGO]
でも自由になったからやんないってわけじゃないですよ

[トーリー]
その都度、その都度、制度っていうのが絶対存在して、その中にいろいろ起こってくるんで。例えばその場所の話で言うと、なんか無意識的な空間みたいなものが、例えば新しく再開発ででっかい綺麗なビルが立ちました。でもそのビルの、右の一番下の方に、10cm角の穴がポコッと空いてて、へこんでるだけとかあったら、あれってなるじゃないすか。これ何に使うんだろうみたいな。そうそう、そういうものって常に生まれてしまうっていうか。宮下公園ができましたってなったときに、何かその歩道橋があって、昔の歩道橋に無理やり新しい歩道橋をくっつけてるから全然それがうまくいって、溶接がなんかこうぐにょって曲がってて、何か間に綿みたいなものが詰めてあったりとかして、過去と未来がうまく伝わってないみたいのがあったりして。やっぱり何か人間が作るものっていうか、都市とか、建築って、その建築が設計しきれないとか、みたいな部分が発生するんですよね。そういうところをやっぱ見つけたりとかすると面白いっていうか。東京に関して言うと、元々やっぱそれによって構成された街だったみたいなところがあって、ていうのはやっぱり関東大震災から東京大空襲で都市が破壊されて、そっから本当にバラックから立ち上がってきた都市なんで、今でもそういう構造とか、感性とかが残されていて、だからすごい海外の人とかって、海外のアーティスト、特にDIEGOは海外のグラフィティとか、ストリートアーティストの人とDIEGOが繋がってて、みんなその、勝手に遊びに来るんですよね。コロナ渦でだいぶ少なくなったんですけど、やっぱそういうときに東京は面白いって思ってもらえるのは、そういうところだったりとかするので。

[江良]
それはつぎはぎというか、何かパッチワークみたいな感じのところですかね。まあ、そうですね。地震とか、戦争とかもね、都度都度、江戸のときは火事とかも含めてね、作り変えながらこう、きているような場所ではあるんでしょうね。東京は。

[トーリー]
僕たちの活動は多分、特殊、具体的な生産性の話っていうよりも、やっぱどういう状況になっても、なんだろう、遊ぶ話とか。グラフィティの面白いところでもあるんだけど、ま、一言で言い切れないけど、やっぱ資本とか権力とか、抜きにしたところで、何か別に落書きするとか、じゃ、さっき言ったビルの穴に、自分の作った人形を置いてみるとか、別にやってもいい言い訳じゃないですか。なんかそういう、個人的な行為とか、都市と人間と個人、個人的なその都市の体験みたいなものは、やっぱり究極的には、面白いなと思います。

[江良]
でもなんかその、強くなんていうの、主張してるっていうわけでもないのかな?そういうアーティストもちろんいると思うけども、SIDE COREとしてはやっぱ、遊ぶ、遊ぼうよというか、何か自由でいようよとか、何か主張ではある気がするけども、

[DIEGO]
提案型。

[江良]
提案型

[DIEGO]
これどうですか?面白くない?ぐらいなんですよ。

[トーリー]
遊びやっぱね、結局その、見えないアイテムかもしれないけど、人とのこう関係っつうか、関係するんで、やっぱ自分だけやればいいってもんじゃないよね。

[江良]
そうですね。

[DIEGO]
やっぱ自分達、多分3人ある程度共通してるのは、何か何て言うのかな、やばい人みたいな感じ、あんまりこう、(やばい)感じじゃないというか。

[江良]
そうね。それはあの、このリスナーにどれぐらい伝わるかわかんないけど、すごいそう思いますね、なんかね、SIDE COREはね。

[トーリー]
俺たちは、そうだね、あんまりこう目的意識ないっていうか、あんまり権力主義でもないし

[DIEGO]
本来アーティストは、僕も常々思ってるんすけど、別に誰が作ったとかもなくて、すごい共通してるのはもう本当に、面白い作品とか、面白い活動ができて、それが別に、誰にも知られなくても、続いていけば極端な話いいんですよ。別にそれがずっと続いてって、スタジオがあって制作できて、何か自分たちで展示できて、ま、たまに呼んでくれるのかわかんないけど、要は継続されて、それがずっと続いていけば別に本来、みんな問題ないんです。でも何かが歪んでしまって、有名にならなきゃいけないとか、たくさんお金を得ないといけないとかになってきてるから、それは僕すごい、それでいいんだなって、すごい常に思います。

[トーリー]
そうそう、まぁ実際にはね、結構やっぱりでもその経済とか資本の力ってめちゃくちゃ強いから、簡単に一概にはいえないというか、やっぱりその何か行動していたらそれに関係して、それとの関係性を築いて、いつのまにか自分はこんなことになってしまったということは多いと思うし、自分たちもやっぱ常にそれに晒されてるけど、根本的にはそういうこう、何か価値が見出されたりとか、そういう資本とか、権力に還元できないものでも、些細な行為だけど、めっちゃおもろいみたいなことに対して、おお、あれいいな、みたいなことをいい続けたり、それを提示したりとかしていけることができたらいいな。

[江良]
でもやっぱりその、ささやかな、多分そういう提案って、だからある意味すごい強い、SIDE COREすごい強く主張したりとか、あと排他的でも全然ないし、何かこう、でもささやかに、これいいよねって提案は、でもやっぱできるだけ多くの人にこう共有されていく、みたいな欲はあるんですか?

[トーリー]
そうですね。グラフィティの凄かったところって、世界中に落書きはあったけど、それをグラフィティと名付けて、名前を描きましょうとか、文字はこういう形でやりましょう、こういうところを使いましょう、みたいな提案が、今アメリカのニューヨークのほんと10代の子供たちが、60年代後半から70年代に始めて、それが世界中に、例えば、なんだ、アフリカ行っても、なんだったっけ、どこの国に行っても、グラフィティ的なものってあるんですよね。それってやっぱすごい、面白いことで、でも別にそれでお金を稼げる人ってのは、ほとんどいないわけで、でもそれだけで世界中に、ばあっと世界中の都市に、グラフィティが広まったみたいなところがあって。一つ面白い行為が、都市の在り方とか、社会、社会の中でそういうこう、視覚的に一つの面白い人が、出現するみたいな特別さから、自分たちの先は常にそれを目指してるわけじゃないけど、そういうふうに広がっていくみたいな夢はずっと持ってるよね。

[DIEGO]
そうっすね。まぁでも、ちゃんと伝わってほしいなと、すごくそう思ってて。何か自分たちの作品をわかってもらうために、その見る人たちに降りていくことは、ちょっと違うじゃないすか。わかりやすくするとか。やっぱそれじゃなくて、だから割と在廊したりとか、ちゃんと説明したりとか、説明する機会をすごい増やすというか、その人たちは分かってくれたら面白いってなったら次も来てくれて、実際にRebornとか17年に来て、そういう話をしたことによって19年に来て、もっと面白いってなって、なんか見る人のこう、知識度が上がったりとかして、逆にもう、くみ取ってくれるまでになっている人とかも、自分たちはこういう活動っていうの、わかっていて、SIDE COREはこういう活動だよねっていうのが、そういう人が増えていくことが、多分ポジティブな感じですね。

[江良]
そうですね。でもやっぱりその、何だ、まぁ一般的にですけど、そういうまあサラリーマン、サラリーマンとかやってってとか、ずっとそういう資本との論理の中で頑張ってらっしゃる人もいっぱいいる中で言うと、そんな簡単に、SIDE COREの、今の余白の話とか、ね、続けていけることが、とか、その話ってやっぱり、ある意味すごいアンチテーゼといえばアンチテーゼなんだと思うんですよね、こう都市で。多分100人、この年代で僕たち30代、40代で、こう生きてる人たちの中で、そういう生き方を、選んで、ま、資本と全く関わってないわけだね、なんかこうあの渋谷のあのでかいビルの屋上でエキシビジョンとかもやったりとかしてるから、もちろんねそういう感じで繋がっている場所はあるけれども、単純にそれをキープしてやれてるアーティストだったり、コレクティブだったり、どれだけいるんだっていうと、あんまいらっしゃらないと思うから、そういう意味で言うと、なんか、あの、よりこうその文脈とかは、何か広くこう伝わっていくと、何かこう自分たちの、その生活のまぁじゃあね、それを捉え直してその人たちがみんなそういうふうにやれるかっていうとやれないとは思うけど、なんかヒントにはなるのは間違いないと思いますけどね。

[トーリー]
基本的には別に、やって、参加してくれたら嬉しいけど、それを通して想像力を広げ、お互いに広げあうみたいなことができたらいいと思ってて、僕たちも例えばすごいディベロッパーだったり、行政だったり、そういうものは一概に、あいつは駄目で、ストリートはリアルだぜってタイプでもやっぱなくて、その形式主義が一番まずいと思ってて、例えばじゃ美術館でさっきグラフィティが描かれちゃいけないって話したじゃないすか。それってグラフィティが美術館にある、イコール、グラフィティの良さが失われている、 これは本質じゃない。みたいな結構議論があって。それも凄い形式的なんすよね。それ自体がテンプレート化してるっていうか。それが間違ってて。じゃそのときに何ができるかとかっていうのも重要だし。そういうディベロッパーの人とかとすごい喧嘩になったり、しちゃうこととか、喧嘩というか、まぁすごい嫌な関係になったこととかもあるけど、でも逆にすごい面白い提案が飛んできたりとかすることもあって、一緒に何かできたこと、することもあったりするんですよね。

[DIEGO]
あと話してね、そう知らない情報を教えてもらったりとか。話さなかったらわかんなかったことがいっぱいあるんで。そういう、結構なだから割とオープン、クローズ、オープンでもないか。オープンと言おうとしたけど、オープンじゃないかと思ったけど。

[トーリー]
個人と対話をするって感じですね。

[DIEGO]
興味があること、誰と話すとかじゃなくて、興味があることだったら、聞いてみたりすること多いですね。

[トーリー]
大きい分母で、人を集団として切ったりとかして、それとは関わりませんとか、そういう感じじゃないって感じです。

[トーリー]
別にサラリーマンだろうが、同じ共感するめっちゃ共感する人もいるかもしれないし、逆に言うとアーティストだけど、全然共感できない人もいるし笑

[江良]
全然スタイル違うみたいなね、それはあるよね。

[トーリー]
1人1人は人なんでね、やっぱね。

[DIEGO]
本当そうっすね。

[トーリー]
それがでもオルタナティブかなみたいな、

[DIEGO]
落とそうとしてますね。

[トーリー]
いやいや、そろそろ落ちてかないと。笑

[江良]
でもそういう意味だとね、なかなかこう傍目から見ると、どんどんこうね、SIDE COREの何て言うの、プレゼンスが上がってきてるような感じもするんだけども、何かこれからのこうSIDE COREの目指していくとことか、まあと、なんかね今回”音”みたいなことでやったけども、もっとこういうことをチャレンジしていきたいとか、その余白とか、こうね、ノイズとかひずみとかそういうものを表現として、やってみたいとか、こんな人とコラボしてみたら面白いのかもとか、今自分たちがこう表現しようと思ってるとこで、逆になんか、足りないものとか、何かすいません、ちょっと、これワーっと今言っちゃいましたけど、何かこう将来とか思ってることあります?

[トーリー]
多分基本的には、続けていく、例えばでもそういうこう、大人になっていくし、そういうふうに、アーティストとしての、権力が与えられたりとかすると思うんですけど 笑、やっぱりそういう、例えばそういう自分たちの視点をでもやっぱり無くさないようにするとか、常にそういう同じ行動をとっていけるってのが重要なんで。インデペンデントの活動とか、表現、たとえば、展覧会呼ばれるから出るだけじゃないような制作とか、自分たちに引き寄せた制作みたいなのできないといけないと思うし。どんどん、若い人とかで、すごい面白い人が出てきてて、TOKYO ZOMBIEとか、僕たちが結構去年ぐらいからコラボレーションさせてもらってるアートチームとかみんな10代で、もう中学生から、最初は小学生とかだったんですけど、うん自分たちでこう、何でもできるんですよ、アートも作れてグラフィティもやって音楽もやって、議論をして、政治活動も参加して、その組織の中で、組織っていうか、自分たちのコミュニティがやっぱ健全なものであろうということをすごいディスカッションしたりする。みんな外国籍の子だったりするんですけど、そういう人が出てきてて、一緒に動いて、彼らから学ぶことって言うか、学ぶっていうかなんかこう驚きを毎回貰うみたいなね。そう、だから、新しい人と出会うみたいな、ことは重要だよね。新しい価値観を持った。

[DIEGO]
でも若ければいいわけじゃないすけど、若い人は、僕はすごい好きですね。なんか最近気付いたのは、気づいたら、自分歳取ってて、若い子10代の子とかと僕が遊んでて、昔自分こういうことしてもらったな、みたいなことを凄い思うんですよね。やっぱ、こう洋服屋に行って凄い教えてもらってる人が、大体自分ぐらいの歳だったみたいな。で自分は10代でみたいな。こうそういうのを思うとこう、してあげたいなと思ったり、そのときと違うのは、彼らは情報とか、自分、個人個人がメディアになってて、発信力が全然ちがって、可能なことがすごい増えてて、若い子の。でも自分は経験してきていろいろ失敗してきて、これしない方がいいよとか思ったりするけど、でもそれもちょっと言いすぎるとあれだなとか、結局そういうふうに自分が若いときによくしてもらったんで、若い人をすごいよくしたりとか、若い人とやることについて僕はすごい興味あるすね。やっぱ未来はあるし、さっきトーリーさんが言ったように、もう全然理解できないことがいっぱいあって、でもそれは面白いっすね。理解できないことの方が面白いというか。

[トーリー]
そうですね。成長する子、成長したら成長したなりの責任とか、あとそこになったらできることとかがあって、自分の都合を全部考えていくと、例えば何かこう自分が結構目立ってるのに、人に、あのその目立った人の悪口はあるじゃないすか。それで怒っちゃうとかっていうのもやっぱおかしいなと思ってて、言われてもしょうがない部分もあったりとか。わかんない。この話は正しくないかもしれないけど、下の世代の人たちと関わる。でも同時にこう、自分がされて嫌だと思うことはしないようにしなくちゃいけないし、とか。自分の立場をわきまえて、気をつけなくちゃ、気をつけて関わらなくちゃいけない部分てやっぱあって。そういうこう自分が誰、どういう立場であるかとかを考えつつ、その人たちの迷惑にならないように、お互いこう刺激し合えるように、若い世代の人たちと関わるみたいなことは、もう続けたいなとは、思いますね。

[江良]
それはあれなんですかね。ある程度、SIDE COREの目に、例えばその、若い子たちで、グラフィティとかストリートとか、多分そういうSIDE COREの、そういうこうノイズみたいなものの感覚を、例えばエキシビジョンで見て、ああこのなんか面白いとか、思った子たちがいたら、なんかどういうふうにしたらSIDE COREチームと、こう関われるようになっていけるんですかね。

[トーリー]
でもやっぱり、権利、権力を持つ、例えば、歳を取っている男性である、権力を持っているって、構図は変えられないけど、でもすぐ権力を行使する仕事の立場じゃないんで。だから出会ったらいいなっていう。

[DIEGO]
あとはあれっすね。面白いって言って、SIDE COREとやりたいっていうよりは、やっぱ自分でやってほしい、自分でやって、僕たちが面白いねってなったほうが、一番スムーズですね。その人たちは、自分達で、TOKYO ZOMBIEはまさにそうなんですね。そういう僕たちの展覧会とか来たりしてたし、それで自分たちでやり出したんだよね。

[トーリー]
そうそう、でも別にずっと一緒で、最初からもう、こう若い子で才能ある、みたいな感じじゃ無くて、ジトーっと見てて、なんか面白くなってきたみたいな。僕らよりも先に注目して一緒にコラボレーションしたアーティストとかいるんで、第一人者じゃないですけど、すごい長く付き会えてるなと思ってね。年に1回なんとなく、目標じゃないけど、毎年、新しく次世代の人、1人ぐらい出会いたいよね、みたいな話は軽くはしている。数字で目標にしちゃいけないけど。

[江良]
でもじゃ、あれですよね。ある程度、自分たちが、もうそれ面白いとか、こういうことをいいなと思った人たちはまずやっぱ自分たちが一番最初の話に戻るけど、自分たちでまず動いてみるみたいなことがよくて、でもそれがやっぱりこうちゃんと続けていければ、なんかこう繋がっていくみたいな。なんかそういう、でもそういうことですよね。そりゃそうですよね。いやでも本当に若い子たち。未来ですからね、若い子たちがね。

[トーリー]
若くなくても、結構20代後半とか30歳とかでも、人に知られてなかったりとか、

[DIEGO]
それも何か言い方あれですよ、人に知られてなかったらみたいのは。だからやっぱこう。。

[江良]
嫌でもまあ機会がなくてね。

[DIEGO]
そうですね、

[トーリー]
そうだから、僕たちの活動っていうのは、その人たちをフィーチャーするとかじゃなくて、やっぱり全然本当そうじゃなくて、左にあったものを右に置くみたいなみたいな笑

[DIEGO]
ここに置いてもいいよねみたいな。

[トーリー]
そうそう見え方を変えること自体がやっぱ

[DIEGO]
作品はそうっすね。作品はまさにそうなんです。自分たちは作ってる作品はまさにそういうことです。

[江良]
それは本当にキュレーションってことですよね。でもね、そう言う意味では。

[トーリー]
そうですね。キュレーションだけど、別にキュレーションすることによって、大きい意味を与えようとかしてなくて、周りにやっぱ託してみるみたいなね。

[江良]
違うコンテクストをこう、がっと上部にハイコンテクストでつけるんじゃなくて、単純にこう右から見るんじゃなくて、左で見るみたいな。

[トーリー]
でもそれをするだけで、すごくおもしろいものとかっていうのが、まぁ多分めちゃくちゃ、例えば人に知られてなかったりとか、ちゃんと理解されてないものでたくさんあるんですよ。だからまだ、東京をその、オルタナティブな視点で見た東京ってのは、面白い可能性が、表現においての面白い可能性みたいなのってすごいあると思いますね。

[江良]
本当に、誰かがね、でもそれを指摘というかね、自分だとわかんないときも多々ありますからね。自分だけだと見えなくなるときだね。

[トーリー]
多分、都市、でもいい、都市だったら、とくに東京都市だったら、本当にその、自分の今聞いてる家の半径100m以内に絶対面白いものあるんすよ。そうでも、それに気づくのは難しいってね。

[江良]
でもそれはそうだよね。なんかじゃあ締めに、半径100m以内の何かこう、余白とか面白いものを見つけるっていうのは、こんなふうにしてみるといいんじゃないないですか?ワンポイントアドバイスコーナーっていうのをやってもいいですか?じゃあ、 DIEGOさん。

[DIEGO]
僕はあります。あのいつも通ってる道があったとしたら、知らない道を通って帰ることをしまくるというか、その周りの地図ができてくるんですよね。そしたら、大体何か変なものがあったりとかして、その地図ができて、マップができてくる。ここに何がある、ここに何があるとかすると。長く通ってる場所は無理だとしても、でも新しく引っ越した家があって、その時に一つのルートがあったとしたら、ルートを変えて帰ってみるとかしてたら、すごい面白くなることが多いですね。それは、僕が、スタジオに行きだしたころかな。自分達がスタジオに行き出したときに、自転車で行ってるときに、毎日同じ道を通っていたらつまんないから、いつもいろんな道で行ったんすね。それすごいあって、そこ面白いとか、あれ面白いとか。それは多分、ま、でもそれも視点が重要かもしれないけど、でもまよく目をこらしながら歩いてもらうとか。

[江良]
渋谷のなんだっけ、Skyでしたっけ、あそこで何かやってたときに、地図作ってましたね。あれおもしろかったですよね。

[トーリー]
渋谷のスクランブルスクエアの展覧会で、まず渋谷の地図っていうのを作って、でも渋谷に実際表には見えない、地下にある、その渋谷の暗渠になっている、渋谷川、宇多川とその隠田川があって、川が渋谷の街を流れて、渋谷川って川になるんですけど、それが全部暗渠になってて、そこ沿いに、暗渠沿いに歩いていくと、いろんな渋谷をストリートアートの視点でして見る、面白いものみたいなのを紹介されるガイドマップみたいなものを作って。であとやっぱり、その結構、まぁ調べてみる読んでみるみたいな結構基本だと思っていて、例えば石碑とかあったりとかしても読まないと思うし、例えば何か道にそういうこう、ガスとかなんか、道の道路の基準だろうなみたいな、例えば絶対敷石なんだろうこう、石の敷石みたいなとこあったりして、それは何なのかやっぱり調べないとじゃないですか。例えば配電盤、道路に配電盤がありますよね。でもあれが何のための配電盤かとか、みんなわかんないですよ。やっぱそういう、目の前に当たり前に見えてるものを調べる、読んでみる、聞いてみる、みたいなことは結構、まずやるべき作業ですかね。

[江良]
それはすごい思いますね。やっぱり都市の人はね、便利すぎて電気ならやっぱりスイッチポチだし、電気代なんか、引き落としされて、毎月とかね、なんかいろいろな中で、でもやっぱり、誰かがね、この街を作ってきたし、街のインフラを誰かが供給していたりとかするけども、そこに対してまぁ常に興味を持ってる必要はないかもしれないけど、何も知らな過ぎるというのはね。本当に何か、危ない形で何かに寄りかかっちゃってるような気はすごいしますよね。だからそういうのは地方くると、特にそう思いますよね。なんかこういう地方の、石巻の人に地方っていったら怒られるかもしれないけども、牡鹿半島とかね、そういう自然の中に行くと、東京では蛇口ひねるものがね、ないから、どういうふうにそれを手に入れるかみたいなことが、すごい対比されて感じられますよね。東京だといかに僕たちがサボってる、サボってるかっつったら怒られちゃうかもしれんけどね。

[DIEGO]
東京だと変化していくから、けど石巻とか、例えばあそこに置いたペットボトルは、次来た時もある可能性があると凄い思うけど笑

[江良]
目の前の車止めのところに水のペットボトルがポンと置いてあるんだけども、確かに1年後あっても不思議はないかもしれない。

[DIEGO]
それはそれで何か、また面白いっていうか。変わってく面白さと、変わらない面白さがあって。僕はそういうのは好きですね。だからなんか試しに、なんかポンとおいて帰ったりとか、で次来て、「あったあった」って、何が楽しいのかわかんないすけど。

[江良]
でも、なんか土地、土地が、場所が自分にとって意味を持つということだし、

[DIEGO]
あと誰も来てないんだなとか、なんか法律がゆるいんだなじゃないけど、

[江良]
それこそね、自分だけの場所というかね、そういうことですよね。それは確かに、本当に、何でもそうですよね、やっぱり、東京とかでも変わりすぎてとか。顔も物語も何も見えなかったら、また楽しくないですからね。

[DIEGO]
どっちも、どっちもいいっていうのがあんまよくないけど、どっちも面白いっちゃ、面白いですよね。

[トーリー]
そうだね、ある意味アート、アートの展覧会に呼んでもらえるようになって、いろんなそれまでいけなかった、地方というか地域みたいみたいなとこに行けるようになったらよかったね。

[DIEGO]
そういう考え方を持ち続けるのはいいと思った。それぐらいというか。

[江良]
はい。じゃ、すいません長い間。今日ね、撤収、終了の次の日でね、撤収の業者さんとかいらっしゃってるのに、ちょっとお邪魔しちゃって。ありがとうございました、お2人とも。

[トーリー、DIEGO]
ありがとうございます。

[江良]
またね、新しい作品を楽しみに、新しい展覧会も楽しみに待ってますんで。はい。

[トーリー、DIEGO]
江良さんも何か、呼んでください、僕たちね。遊びに行くんで。面白いのあったら。美味しいご飯とかあったら呼んでください笑。

[江良]
そうですね、普通にまた東京でも会いましょう。

[トーリー、DIEGO]
お願いします。

[江良]
はい、今日はどうもありがとうございました。SIDE COREからトーリーくんとDIEGOくんでした。どうもありがとうございました。

[トーリー、DIEGO]
失礼しますー。


SIDE COREですが、リボーンアートフェスティバルの展示は終了してしまいましたが、現在恵比寿のナディッフアパートにて個展「under pressure note」を11/20まで行っています。昨年に青森のACACで開催された、「under pressure」の記録集刊行記念展となります。「under pressure」はこの時代における循環をテーマに、青函トンネルなど東北の土木を題材とした展覧会でした。僕も青森の展示は見に行けなかったので、ぜひ見に行こうと思ってます。
また12/1から六本木の森美術館で行われる「六本木クロッシング」への参加も決まっています。森美術館のwebサイトにはリボーンアート・フェスティバル2017で作った作品の写真が出てます。

写真: 齋藤太一
著作権: Reborn-Art Festival