#008: SIDE CORE: アーティストコレクティブ: 都市への視点




SIDE CORE
2012年より活動開始。メンバーは高須咲恵、松下徹、西広太志。ストリートカルチャーの視点から公共空間を舞台にしたプロジェクトを展開。路上でのアクションを通して、風景の見え方・在り方を変化させることを目的としている。野外での立体作品や壁画プロジェクトなど様々なメディアを用いた作品を発表。主な展覧会に「水の波紋」(2021、ワタリウム美術館、東京)、「under pressure」(2021、国際芸術センター青森、青森)、「Alternative Kyoto」(2021、京都)などがある。Reborn-Art Festival 2017、2019に参加。六本木クロッシング2022展:往来オーライ! 2022.12.1(木)~ 2023.3.26(日)(森美術館、東京)
Instagram : side_core_tokyo


Key Words: 


エピソードを読む:
[江良]
はい。今日はSIDE COREのトーリーくんとDIEGOくんにちょっとお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いします。

[トーリー、DIEGO]
よろしくお願いします。

[江良]
今僕たち石巻のここはなんていう?北上川の河口って言えばいいんですか?

[トーリー]
そこは北上川の河口で旧南浜という石巻からそうですね沿岸の浜辺のところに来てますね。はい。

[江良]
ちょっと波の音とか聞こえているかもしれないんですけれども。ここは今回SIDE COREがReborn Art Festival 2021-22後期で、「タワリング・バカンシー」という作品をインスタレーションで作ってもらったんですけども、その中心的な場所の一つに僕たち今3人で座ってます。えーと、お2人との出会いは2017年でしたね。はい、SIDE COREは2017年と2019年と今回と3回連続で参加している作家は、SIDE COREだけ?

[トーリー]
僕らと有馬かおるさん。

[江良]
ああ、有馬さんですね。はい。という、Rebornを語る上で、欠かせないアーティストのお2人で、あとなんだ、東京とかでもね、なんかたまにお会いさせてもらったりとかして、個人的にも仲良くさせてもらっているアーティストなんですけども、今回のRebornはどうでした?トーリーくん。

[トーリー]
今回やっぱり、ねDIEGO、全体的にすごい面白い作家と面白い作品が多かったよね。

[DIEGO]
はい。そうですねコンパクトにって言ってたけど、コンパクトに面白かったです。

[トーリー]
そうっすね。なんか今年のRebornは、2022年のRebornは、2021年のRebornとセットで一つみたいな感じで、コンパクトになるっていってたんですけど、例の如くコンパクトにはならず。

[江良]



[DIEGO]
でも普段よりは、、、半島もあるけど。

[トーリー]
そうだね。

[江良]
うん、お客さんにとっては回りやすかったりもしたし、あとね、もちろん2人もそうだけども、有馬さんもそうですけど、さわさんとかね1回目から引き続いて出てきている人たちとか、何かそういう人たちもいっぱいいらっしゃって、場所の探し方とか、石巻との関わり方とか、少しこう、一歩また、深くなのか、うまくなったのかちょっとわかんないですけど、面白い、本当いい意味でみんながいい感じで、競い合って、競い合ってるのかちょっとわかんないけども。本当、いい展示が多かったですよね。

[トーリー]
多分、2017年のReborn Art Festivalが始まった頃は、僕たちが今いる、南浜ってまだ震災復興の工事の途中でほとんど荒地みたいな状態だったし、もっと言うと少し瓦礫も残ってたりして、まだ震災の後、後っていう感じがしてたんだけど、今年になって、震災復興祈念公園ができて、もう全然違う雰囲気の場所になってて、多分他のアーティストの作品とか見ても、結構その、震災を直接的に扱ってる作家の作品みたいなの減って、また違うフェーズに入ってきた感じはありますよね。

[江良]
そうですね。なかなかでも本当に、今ここ来ると、ここであれだけの津波があって、まあこの南浜ってね、結構な方がお亡くなりになられたんですけれども、その面影みたいなものは、ちょっと普通に来たらなかなか見つけるのは難しいですよね。唯一あの、門脇小学校が震災遺構として残ってるっていうのはありますけども。そういった意味ではどう変わってくる、どう変わってきたんですかね?なんか直接的な、何かやっぱ17年は直接的にやっぱそこに触らざるを得なかったっていう感じはありましたけどね。

[トーリー]
そうですよね。社会的な問題として、その復興が終わったって思われちゃうのが問題なわけで。例えばオリンピックのときに福島の帰還困難区域の双葉町の駅前をすごい更地にして、無理やりそこだけ入れるようにして、復興が進んでますみたいなポーズを見せたりしたけど、実際にはまだ除染も進んでるし、中間貯蔵の問題とかもずっと山積みで。まだ、わかんないってなってて。

[江良]
そうだね。

[トーリー]
石巻も一緒だと思うんですよね。一旦復興が、ある建築、都市開発的な形では終わってるけど、でもやっぱ、人の気持ち、そこに暮らす人の気持ちとかもあったりするから、終わってるかっていうのは謎っていうかね。

[江良]
そうですね。終わるものでもないしっていうかね、なんかやっぱ常に生活とかね、人生は皆さん続いてってるから、僕たちもそこに、何かね、本当でも、Rebornもね、最初ね、10年やったらひと区切りとかいうことを言ってもう震災から10年経ってますけど、何かこう区切りとか、何か終わるってすごい難しいですよね。なんかそんな簡単に何か終わるってことってやっぱりね、なんか始まったものは、そんな簡単に終わらないですよね。

[トーリー]
そうですね。僕らも2016年に、一番最初は、Rebornのキュレーションやってるワタリウム美術館の和多利さんご姉弟に誘われて、アーティストのアシスタントで入ったんですよ。

[江良]
うん。

[トーリー]
2016年は、プレといって、芸術祭ではなくて、音楽祭がメインで、来年芸術祭やりますよっていうのをやるイベントで、そのときに海外の作家何人か来てて、僕たちアシスタントで入ったんですよね。そうね、結構こう継続的に来てるところが重要で、やっぱその街の変化を見てるし、段々そのコミュニティ上の見えなかったものが見えてきたりとかして、だから1回の展示で正直終われないみたいなところあって、継続的に何かこう作品作ったりとか、その場所をずっと訪れ続けることによって、なんだろう、そういうことを経験することによって、作品がどんどん作れていく、もしくは進化することができるみたいな、感じですね。

[江良]
はい。そんなでも、今回3回目の、あの、作品、1回目は、1回目は、どこだ、あそこだ、ワンパークですよね。ONE PARKの、っていう、あれは何なんだ、元々は。

[トーリー]
えっと、津波で、2017年のときの作品は、津波で被災した、冷凍倉庫を地元のスケーターたちがセルフリノベーションしてスケートパークを作ったっていう場所で展示したんですよ。で、そこでは、結構その防潮堤ができ始めた時期で、その防潮堤を一緒に展示をしたスケーターが、スケートボードしてる、するっていう経験から、防潮堤もしくは震災復興を、ストリートアートの視点でみるみたいな、そういう作品をやったんですよね。

[DIEGO]
ここでスケートしたっすね。

[トーリー]
そうだね。まさにこの、今いる南浜の防潮堤でスケートして、でも、ここはその時はなくて、今僕らが座ってるのは南浜の防潮堤の一番えっと東側になるのかな。こっち側できてもっと西側の方でやってました。

[江良]
うん、まだだから、これができてなかったということですね。

[トーリー]
そうです、そうです。

[江良]
それで、2019年は、あれは桃浦っていう、牡鹿半島の中の一つの浜のところで、防潮堤を、あれはなんだ、乗り越えるというか、防潮堤自体を作品とこう一緒にしちゃってね。

[トーリー]
そうっすね。パビリオンみたいなものを作って、防潮堤をまたいで、防潮堤を越えていく建築みたいなものを作って。その中にこう、壁画、壁に関するアートの美術館みたいなことをテーマにして。一つパビリオンみたいなものを作って展示しましたね。

[江良]
うん。

[江良]
じゃあちょっと、防潮堤の上が、ちょっと風の音があるんで、今ちょっとあの車の中に、近くの車の中に移動してきましたけれども、ちょっと今回の作品についておうかがいして、させてもらってもいいですか。

[トーリー]
はい。



[江良]
「タワリング・バカンシー」、空虚をたちあげる、日本語で言うとですね。はい。これはでも本当に、すごい評判が良かったね。なんかね。すごいね、いろんな人が今回の中でも、SIDE COREは良かったっていう、いろいろいいのがあったけど、だけどSIDE COREよかったって、いうふうに上げてくれる人がすごい多かったような、気がしますけれども。でもなんか、あれだよねDIEGOとかもいるから、どちらかっていうとなんか、僕はね、そのさっき言ってもらったように、前回は壁画の作品だったりとか、それすごいビジュアルなものをイメージしていたところ、今回やっぱり、音を中心としたインスタレーションだから、いい意味で、あれ?みたいな感じはあったんですけれども。

[江良]
ちょっと昨日終わった、Reborn Art Festivalの最終日に、ちょっと会場の、音の様子だけ、ちょっと録音したものもあるんで、ちょっとだけこれリスナーの皆さんに、雰囲気を聞いてもらって、その後、2人からコメントもらいたいと思います。

-------- 作品の一部の録音--------

[江良]
はい、ちょっとね今簡単に、音を聞いてもらったんですけども。これはどういう作品か、簡単に教えてもらってもいいですか。

[トーリー]
過去の2017年、2019年と、防潮堤をストリートアートの視点見るみたいなことをやっていて、まさっき壁画っていう話もしましたけど。その場所に対して、介入する意識みたいなもので多分作品を作っていて、介入するっていうのは、その風景の中に自分たちが入っていく、行動を起こすとか、そっから作品を作るみたいなアイディアだったんですけど、何かそういう視覚的に見えるとか、行動で表せられるとか、そういうことより、長くやってきて、その場所で感じることとか、見つけることとか、もうちょっと作品をそのことと関係させて見せるっていうよりも、作品を見ることを通じて、よりその、見てる鑑賞者たちが自分たちでその場所を感じたりとか、発見できたりするような感じに作品をしたいなって、こうなってったんですよね。だから抽象度を上げて。ただ場所を楽しめるような作品にしようという感じになってきましたね。

[江良]
でもそういう意味だとここは、あの、皆さんもね、作品がないときに来ることって、めったにないかもしれないですけど、釣りの人とかが来るみたいですけどね。あの、どんなここはでも、こんな発見したのっていうか。



[DIEGO]
ああ、そうっすね。元々はやっぱり2017年からきてて、まず僕個人だと、2017年に手伝ってもらっていたアメリカ人のダニエルミラーっていう子がいて、ダニエルミラーが、ダニーって言うんですけど、ダニーが、手伝ってくれた最終日に、僕たちをお礼がしたいからって言ってここに呼び出されたんです、その浜辺に。で、綺麗なところがあるって言って。で、それでそこで、お稲荷さんとチャイをご馳走してくれたんですね。そこで、この場所を知ってたんですよ。それで今回も確か、あの場所行ってみようみたいな感じだったんですよね。

[トーリー]
うん。

[江良]
場所というか、リサーチして。

[DIEGO]
そもそもその、復興祈念公園でやって欲しいって言われて、その辺見てて、ちょっと退屈になっちゃったんで、海の方へ行ってみようみたいな感じで。

[江良]
なるほど。

[DIEGO]
それでダニーがご馳走してくれたあそこ行ってみよう、みたいな感じで来たら、結構、前と行き方全然違ったよね、なんか。

[トーリー]
そうだね、道が変わったね。

[DIEGO]
それで、来てみたら、本当何もなくなってて、なんか何でもない場所みたいになってて、面白いねってなったんですよね。確か。で防潮堤も出来上がってて、何て言うのかな、変に面白い場所になってて、それはすごい良くて、ここもいいねってなったんですよね。

[江良]
でもあれですよね、本当にあの僕が勝手に作品というか、このインスタレーションの一つのハイライトと思ってるのは、やっぱりこう、最初一つのこう、仮設、仮設の工事現場っていいのですか?が、あって、その中にこういろいろな、音の色、音も含めたね、いろんな場所の記憶みたいな形で、音の蓄積があって、そっから出ると防潮堤があるんですね。防潮堤を上がって、本当防潮堤の上に行くと、いきなりやっぱり波の音が聞こえるじゃないですか。何かこれだけ、何て言うの、場所で、この防潮堤を越えるとこの波がみたいなこととかの、この場所の特殊性とか、何か本当に、発見という、さっきトーリーくんが言ってくれたように、何か見た人が、多分ここ鑑賞者が本当に、その場所に関与して気づいて、発見できるものが、すごくクリアに波の音っていうのがあって、本当に面白いなっていうか。本当に場所を探したことも作品の一部みたいなことが、解説のやつにもありましたけど。やっぱりでも、音でやっていこうみたいのは、あそこを上がるだけで音みたいなものがすごい変わるじゃないですか、この場所。そういうところから、やっぱ音をピックアップしていこう、みたいな話になったんですか?

[トーリー]
そうっすね。どっちかっていうと、最初に音のビジョンみたいのがあって、場所を探していくことみたいのが、場所を探してくる、その場所を探した場所で、何か表現を展開してくみたいな、そういうストリートアートの考え方、表現の考え方みたいなのがあって、たとえば普通だとキャンバスに絵を描いて、おく、飾る壁を探すじゃないすか。この場所に絵を描いたら、面白い大丈夫だろうみたいな、"場所"から発想していくみたいな、ストリートアートの一つの考えかたで。そうなったときに、場所っていうもの自体に、例えば壁に絵を描くとかっていう方法もあるけど、やっぱりもっとこう、その場所を生かしていく作品の作り方みたいのをいろいろこう模索していて、絵だけじゃなくて、立体とか、考えたりとかしてた中で、やっぱ音っていうのは、場所の体験にすごく強く結びついてるんですよね。例えばそうDIEGOだったら、まぁ地下鉄に入ってたときに、地下鉄のその風がふわってきて、電車がぐわってくる音がすごいとか。なんか、場所を視覚的にだけに見るより、場所を音で体験するみたいのがあって、だから今回は音だろうなっていうのは結構最初から思ってて、

[江良]
なるほど。

[DIEGO]
でもやっぱ、そういう何か誰かにも質問されたんですけど、多分、音の人に関わる機会が最近多かったっていうのもあるしね。コムアイちゃんとか新美さんとか出てきてさ、そういう、周りにそういう関わる人が多いのデカいですよね。

[トーリー]
そうっすね。簡単に言うと、ミュージシャンの人。ミュージシャンで、そういう、まぁライブをやるとかっていうだけじゃなくて、アーティスティックに音を作品にする可能性があるし、してる人みたいになって、そういう人たちの、表現の可能性みたいなものを自分たちも結構興味を持ったところがあって。そう、音の作品ってのは2018年に1回作っていて、それでそっから今回この場所はこういう音かなっていうのはあって。でも、逆説的にその音の作品を作るってなったときに、この場所の音をどんどんこう意識するんですよね。そうすると自分たちもやっぱり発見できるから、やっぱ防潮堤まで足を伸ばした方がいいってなったら、作品を防潮堤にかかる道につけたりとか、そういうこう、音を中心に展開してたって感じですね。

[DIEGO]
実際、あれじゃないすか。ここに来たときは普通にやっぱ、防潮堤登って波の音を聞いてたって感じだけど、ここにスピーカーを置いて鳴らして、登ってたときにやっぱこう、波の音がすごいクリアに聞こえたっすね。
※防潮堤の手前に作品群があり、作品を抜けると防潮堤に登れる階段へつづいている。

[トーリー]
そうだね。

[DIEGO]
それで良かった、すごい良くなったなと思ったすね。



[江良]
なるほどね。うん。でも本当にね、芸術祭でね、こういう地方都市でやるわけだからお客さんとしてもね、やっぱりこの場所というか、石巻ならではのモノならをやっぱりそれは気づきたいし、感じたいですよね。でもそういった意味でいうと、こういう場所を、発見できる、そもそもね、発見できるっていうのもすごい、なんだSIDE COREが本当にそういう場所のハンティングというか、というかこの土地とやっぱりすごい長く、広く、やっぱり関わってた、なんかその蓄積みたい、なんかものが、多分経験のアーカイブみたいなものが、何かすごい活きてましたよね。それでその、よくよく考えてみると、この旧北上川でいろんなものが、なんだ、歴史的にも、物理的にも、滞留したり堆積したり、なんだかんだみたいな、本当にこの川の河口の、本当に先端というかね。川の本当の河口のところなんで、なんかね、そういう八大龍王の石碑が、八大龍王でしたっけ、あれ違うか。

[トーリー]
えっとね、石碑ちょっと全部わかってないんですけど、一番真ん中にあるのは、恩賜燈、石巻港水難者供養塔、

[江良]
水難事故が多くてその海難救助隊の活動をたたえた、新規でできた、もの。皇室からの新規で建てられた恩賜燈。

[DIEGO]
はい。恩賜燈はやっぱり、恩賜燈とそこにある石碑は、津波でやっぱり流されちゃったものを、こう移設してきたんですよ。もっと本当は海側にあって、防潮堤がない頃も、もっと本当に海岸スレスレの場所にあって。ちなみにその場所もこう、恩賜公園って名前があったんですけど、その公園は今、その防潮堤の奥のなんていうんだろう、河川敷っていうか、その水に浸水する地帯に入ってるみたいな感じなんすよね。公園は実質的になくなっちゃって。この場所はその恩賜公園なのかっていうと、この場所は何か名前がなくて、もう本当釣り人が駐車する場所、場所の持ってる名前が失われてしまったりとか、防潮堤ができてくる中で、なんか計画的じゃなくて生まれてきた場所みたいな特性があるんで、それがやっぱ面白いなっていう、はい。

[江良]
なるほどね。いやでも本当に、すごい、何か新しい、また世界を見せてくれたと、すごい思ってます。また、次回も、またね構想が既にあるとかいろいろあるから、また何かここね、アップデートしていけるとすごいいなと思うんですけれども。じゃ、ちょっと話題を本題というか、ま、こういう感じで僕たちがいろいろね一緒にやらせてもらってきてますけども、このあのポッドキャストはあの、alt-Tokyoて言うタイトルでやってて、オルタナティブな東京のことを考えていこうと、いうことで、僕はご存知と思うけど、どちらかっていうと、どう、社会が循環していけるかとか、今でいうサステナビリティとかエコロジーとか環境問題とか、そういうようなところで、もう少し都市がもっとシフトしていかなきゃいけないみたい、みたいなことを、いろいろなあのパーマカルチャーの人とか、エネルギーどうなんだとか、そういうことをいろんな人と話で考えていこうっていう、そういう番組なんですけども、えっとSIDE COREもね、ストリートアートってさっきありましたけれども、東京を舞台にずっと活動されてて、そういう環境とかねそういうところとはまた全然違う観点で、街とかをどうこう良くしていけるかとか、良くしていけるかっていう視点自体もどうなのかもちょっとわかんないんですけど、alternativeな東京、alternativeな都市っていうと、いろいろそれに対して、まつわる表現とかリサーチをいっぱいされてきたと思うんで、ちょっとそこら辺を、例えばオルタナティブな都市、オルタナティブ東京っていうと、このRebornでの活動も含めて、どんなふうに何か、ぱっと思うこととかがあれば、ちょっとトーリー君、教えてもらいたいんですけども。

[トーリー]
そうですね。Rebornとの繋がりでっていうところで話してもいいと思うんですけど、やっぱりこう、場所をどういうふうに自由に、体験したりとか、その場所を自分たちの、その自分たちに思い入れのある場所にできるかみたいなところが、多分僕たちの表現の中ですごい重要になっていて

[江良]
うん。

[トーリー]
その考えは、あの最初何度か出てきましたけど、やっぱそのストリートカルチャー、グラフィティだったり、そういうところから、すごく来てるんですよね。

[トーリー]
多分都市っていうものをついて考えたときに、近年はやっぱそういう、オリンピックをきっかけとした、ジェントリフィケーションなんか、すごい大きくほんと大々的に進んできたみたいなことがあったと思うんですけど、やっぱりどんどん、そういうグレーゾーンを排除していくっていうか、制度設計の中でその場所を作ってくんで、ノイズみたいなものが、都市からどんどんなくなってくるんすよね。



[江良]
うん。

[トーリー]
だから僕たちの作品っていうのは、多分、都市のなかにおける、ノイズとか、その余白みたいな場所を、自分たちが体験する空間に変える、みたいな感じですね。

[江良]
うん。そうですよね、でもそれは本当に、いやなんかこう、極端なこと言うと、なんかこうSIDE COREの表現を通じて、そういうノイズとか、余白みたいなものを、何か具体的にこう形づくっていこうよ、みたいな、何かそういうところまで発想は行くんですか?それとも、まずはこういう余白ノイズみたいなものをみんなで気づいていこう、気がついていこうよ、とか、何かそういう意味で言うと、なんかこうSIDE COREっていうコレクティブとしては何かこう目標みたいなものはあるんですか?

[トーリー]
いやでも、まずやっぱり行動してみようみたいなところが重要だと思ってて、例えば作品を通して、街の中で作品を作ってみるとか。あと、そうっすね。ま、こういう日常的に、こういうこと、行動を起こしてみるみたいな。行動がまずあるんですよね。それっていうのは、多分その、ストリートアートとか、まさにグラフィティっていうところから来てるのは、やっぱりこう、街の中にでて常にその街を体験して、その自分の痕跡を残すみたいなことをずっとやってるわけですよね。そうだから、何かグラフィック、グラフィティの語源ってグラフィートって言って、イタリア語で、ラテン語で引っかくっていう意味らしいんですよね。壁を引っ掻くみたいな。ポンペイとかに行くと壁にこうたくさん落書きがあるんだけど、引っかき傷で書いてあったりするんですよ。だから正に痕跡って言うか、傷跡をそこに残していく、個人、個人が公共空間の中でそういうこう、対話、何か体験した功績を残してくるみたいな。そうだから、ただ壁を見ておもしろいねっていうだけだったやっぱり駄目で、そこにこう、傷を残していくみたいな、ことが多分作品を作ることになるんですかね?

[DIEGO]
いやいや、どうすかね。そうすると、目標というか、やってることは多分、あれです、オルタナティブな活動を続けていこうと思うやっぱこう。

[江良]
それは、オルタナティブな活動ができる

[DIEGO]
意識して、なんて言うのかな、活動していくうえで何かこう、社会に、社会というか、飲み込まれそうなっていくですね。普通になっていくというか、普通っていったら変ですけど、自分たちの活動が理解されてきてしまうんですよね。ノイズだったものが、ノイズが理解されてくるじゃないですか、どんどん。ノイズだったのに。ノイズが面白いとなったら、どんどん普通の、みんな味方になってたら、それってもう一般社会に乗っかってということになるんで、それだとノイズがどんどん無くなってくんで、新しいことをずっと作り続けて、それを作り続けていかないと多分いけないですね。そういう活動続けるのが、多分すごい重要。

[トーリー]
そう、だから結構、いろんな都市にあるアクティビティと違うのは、やっぱり、まさにすごい重要な点で、その自分たちの声みたいなのが、公共化されたりとか、あと、その制度に組み込まれたとかすると、もうそれはそれじゃなくなってしまうみたいな側面があって。壁に傷を残すというのは、ある意味壁を傷つけることなんですよね。やっぱその、グラフィティとかってね、例えばグラフィティを違法じゃないエリアを作ってグラフィティやってもしょうがないみたいな議論があって、その例えばアーティストは街の壁に絵を描いてたアーティストが美術館の壁に書くようになったらえらいかっつたら、別にそれは偉くないし、表現の本質が変わってしまうからですよね。もちろんそれやっちゃいけないとかって話じゃないですけど、でも全くそのものしかやらなくなったらやっぱそれはグラフィティじゃなくなってしまうっていうか。そう。だから、何だろう、アウトサイダーであることが重要と思わないですけど、常に何かその都市の中で、余白の部分をやっぱ追求していく、発見してく、みたいな作業をこう、し続けること自体が目的みたいな。

[江良]
でも、その余白の部分なりノイズの部分なりに、気がついて、それを表現する、それはいいねってなったら、それがみんながその、真似するなりして、それはもう既にその余白やノイズじゃなく、何か組み込まれていく、体制というか街にね。でも、それ自体はすごいいいことですよね。

[DIEGO]
そうそう

[江良]
つまり、それが作品の何ていうか、活動の目的で、ただ、その中で何か安住して、僕はこの余白埋める会の家元ですから、皆さん何か税金も含めてこれ著作権料ですから、云々かんぬん、じゃなくて、どんどんその街の中の新しい、それがみんなでもうね、余白でもなくなった、皆でみんなでこっちがいいっていうことであれば、またみんなでね、またやってもらって

[DIEGO]
だから僕たちも何か、それが普通だったからポイッと投げるとはしなくて、また新しい何か面白いことを探して、みたいな。別に何かそうっすね。アウトサイダーになりたいとか、悪くなきゃ駄目とか、何か犯罪最高!とか、そういうわけじゃなくて。

[江良]
犯罪最高!は結構、危ないですからね。

[DIEGO]
そうそうわけじゃなくて、やっぱり。

[トーリー]
特にやっぱり、僕とかは、僕とあとジャンゴがSIDE COREまぁやってるメンバーですけど、ジャンゴともう1人いるんですけど、僕たちは結構美大を出てたりとかするんで、割とそのストリートアートっていうものに対するその対外的な興味から、割と研究の視点みたいなところを含めて入ってる部分がやっぱあるんですけど、DIEGO君の場合は、もうDIEGOさん、DIEGO先生の場合は、やっぱりどっちかっていうとそういうこう、美術大学とか出たっていうよりやっぱりストリートアートの視点からこう入ってたんですよね。

[江良]
うん、そうですね。

[トーリー]
本当にその路上で活動を始めたっていうか。元々やっぱそれとこれって相容れないものだったんだけど、やっぱり今そういうストリートアートがすごい社会的に普及していきたいとかする中で、それを逸脱させたいとか、それを現代アートの視点で、別の視点から考えたりとかっていうときに視点が合致して、一緒にやることができたっていうか、やることになったっていうか。10年前だったら結構難しかったなと思うけど。

[江良]
なるほどね。

[トーリー]
そうそう、そういうことがあったとかするんで。やっぱり、そのストリートアート自身もその今年開発の中で戦略的にこう使われたり、マーケット中で主力の製品だったりするんで、常にそれを新しい視点で捉え直すとか、提案してくみたいなことを試す、プロジェクトではやり続けるのかなと思いますね。

[江良]
そうね。もうちょっとその、余白とか、ノイズみたいなことで言うと、なんか、なんだいろいろ窮屈になって、自由に遊んだりとかできないとか、なんかそういうのっていうのはあると思うんですけど、なんか自分たちがこういうノイズはこう見つけるのが得意だとか、こういうノイズがやっぱり普段すごい気になっちゃうとか、こういう余白がとか何かそういうのってあるんですか。

[トーリー]
何かある。

[DIEGO]
例えば。

[江良]
なんだろ、僕の場合は、だから結構こう例えば何か物質的なんか無駄にゴミが多いとか、何かそういう環境とかってそういうような、視点で見つけて、そういうのが気になっちゃう。どうしても。何かエネルギーってこれなんかすごい無駄だよねとか、物質的に循環してないよねみたいなところでの、何かこう、僕はそういう意味だとノイズというか、課題みたいなものを気にしちゃうんですけど

[DIEGO]
答えとしてあってるわかんないけど、ずっとあって、やっぱこう東京例えば、東京、日本とか。描くところがないとか、グラフィティ描くとこないとか、そういうとこ、たとえば渋谷とか再開発が進んで、どんどんつまらなくなってくる、街がつまんなくなってくるっていうんですけど、でも結局視点とかあれば、全然変わらないですね、あんまり。例えば綺麗にしたところに、何かちょっと変な隙間があるなとか。なんか結局視点さえ持ってれば、こう面白くなって、ノイズは探せるから、なんかこう、、ちょっと何が言いたいかよくわかんなくなってきちゃった。。

[トーリー]
いやいや、そうだよね。

[江良]
視点っていうのはあれだよね。基本的には、DIEGOくんの場合は、DIEGO先生の場合は、やっぱりグラフィティだから、 描く場所

[DIEGO]
いやー、でもそれとか、こういう何でもない場所というか、やっぱり、自分しか知らない、例えば東京だったら自分しか知らないだろうとか、誰にも言わなかったら 僕はここで倒れたら誰も気づかないような場所とか。本当に自分しかいない瞬間 みたいな。あんなに街に人がいて、ガヤガヤするけど、誰もいないし誰も僕がここにいる事は気づいてないみたいな。でも俺は誰が見えてるみたいな。そういう場所っていっぱいあるんすよ東京に。そういう場所っていうのは、結局いくら街がこう変わっていっても、絶対無くならないし、そういう視点さえ、そういう何か、どうやってあそこに行けるかとか、どうやって、どういうふうに、どこが面白いとか、視点だけあれば、何か別に再開発とか、場所とかじゃなくて。逆に僕が怖いのは、自由になってるほうが怖くて、グラフィティが許されたりとか、もう全部いいよみたいな。そうなったら、その方が怖いです。

[江良]
それはどういう意味で怖いの?

[DIEGO]
厳しいと、やりたくなるじゃないですか。

[江良]
制約みたいなものがあると

[DIEGO]
駄目って言ったりとか、入っていいよって言われたら入りたくないというか。はいっちゃ駄目だよっていろいろ言われてて、でもあそこ入りたいなってなったときにどうやって入るかなって。それを自分の視点で考えて、いけるけど。やっぱ自由すぎるよりは。それやっぱ海外にグラフィティ描きにいったときに、なんかどこで描いててもいいし、見て、見られても、何もいわれないし、警察に言われても、なんかスプレー缶返したらOKみたいな。それでなんか全然楽しくないなと思って。

[トーリー、江良]


[DIEGO]
でもそうなんですよ、でもそうだと思うんすよね・・・

[トーリー]
いや、そうだよね、それがやっぱり、カウンターカルチャーのやっぱり思想っていうところで。何だろう、何かこう、自由にされてしまっても困るみたいところがあって。やっぱり飼い慣らさられない。イコール、やっぱり飼い主がいないみたいな。そういうところがやっぱ面白いっすよね。

[DIEGO]
でも自由になったからやんないってわけじゃないですよ

[トーリー]
その都度、その都度、制度っていうのが絶対存在して、その中にいろいろ起こってくるんで。例えばその場所の話で言うと、なんか無意識的な空間みたいなものが、例えば新しく再開発ででっかい綺麗なビルが立ちました。でもそのビルの、右の一番下の方に、10cm角の穴がポコッと空いてて、へこんでるだけとかあったら、あれってなるじゃないすか。これ何に使うんだろうみたいな。そうそう、そういうものって常に生まれてしまうっていうか。宮下公園ができましたってなったときに、何かその歩道橋があって、昔の歩道橋に無理やり新しい歩道橋をくっつけてるから全然それがうまくいって、溶接がなんかこうぐにょって曲がってて、何か間に綿みたいなものが詰めてあったりとかして、過去と未来がうまく伝わってないみたいのがあったりして。やっぱり何か人間が作るものっていうか、都市とか、建築って、その建築が設計しきれないとか、みたいな部分が発生するんですよね。そういうところをやっぱ見つけたりとかすると面白いっていうか。東京に関して言うと、元々やっぱそれによって構成された街だったみたいなところがあって、ていうのはやっぱり関東大震災から東京大空襲で都市が破壊されて、そっから本当にバラックから立ち上がってきた都市なんで、今でもそういう構造とか、感性とかが残されていて、だからすごい海外の人とかって、海外のアーティスト、特にDIEGOは海外のグラフィティとか、ストリートアーティストの人とDIEGOが繋がってて、みんなその、勝手に遊びに来るんですよね。コロナ渦でだいぶ少なくなったんですけど、やっぱそういうときに東京は面白いって思ってもらえるのは、そういうところだったりとかするので。

[江良]
それはつぎはぎというか、何かパッチワークみたいな感じのところですかね。まあ、そうですね。地震とか、戦争とかもね、都度都度、江戸のときは火事とかも含めてね、作り変えながらこう、きているような場所ではあるんでしょうね。東京は。

[トーリー]
僕たちの活動は多分、特殊、具体的な生産性の話っていうよりも、やっぱどういう状況になっても、なんだろう、遊ぶ話とか。グラフィティの面白いところでもあるんだけど、ま、一言で言い切れないけど、やっぱ資本とか権力とか、抜きにしたところで、何か別に落書きするとか、じゃ、さっき言ったビルの穴に、自分の作った人形を置いてみるとか、別にやってもいい言い訳じゃないですか。なんかそういう、個人的な行為とか、都市と人間と個人、個人的なその都市の体験みたいなものは、やっぱり究極的には、面白いなと思います。

[江良]
でもなんかその、強くなんていうの、主張してるっていうわけでもないのかな?そういうアーティストもちろんいると思うけども、SIDE COREとしてはやっぱ、遊ぶ、遊ぼうよというか、何か自由でいようよとか、何か主張ではある気がするけども、

[DIEGO]
提案型。

[江良]
提案型

[DIEGO]
これどうですか?面白くない?ぐらいなんですよ。

[トーリー]
遊びやっぱね、結局その、見えないアイテムかもしれないけど、人とのこう関係っつうか、関係するんで、やっぱ自分だけやればいいってもんじゃないよね。

[江良]
そうですね。

[DIEGO]
やっぱ自分達、多分3人ある程度共通してるのは、何か何て言うのかな、やばい人みたいな感じ、あんまりこう、(やばい)感じじゃないというか。

[江良]
そうね。それはあの、このリスナーにどれぐらい伝わるかわかんないけど、すごいそう思いますね、なんかね、SIDE COREはね。

[トーリー]
俺たちは、そうだね、あんまりこう目的意識ないっていうか、あんまり権力主義でもないし

[DIEGO]
本来アーティストは、僕も常々思ってるんすけど、別に誰が作ったとかもなくて、すごい共通してるのはもう本当に、面白い作品とか、面白い活動ができて、それが別に、誰にも知られなくても、続いていけば極端な話いいんですよ。別にそれがずっと続いてって、スタジオがあって制作できて、何か自分たちで展示できて、ま、たまに呼んでくれるのかわかんないけど、要は継続されて、それがずっと続いていけば別に本来、みんな問題ないんです。でも何かが歪んでしまって、有名にならなきゃいけないとか、たくさんお金を得ないといけないとかになってきてるから、それは僕すごい、それでいいんだなって、すごい常に思います。

[トーリー]
そうそう、まぁ実際にはね、結構やっぱりでもその経済とか資本の力ってめちゃくちゃ強いから、簡単に一概にはいえないというか、やっぱりその何か行動していたらそれに関係して、それとの関係性を築いて、いつのまにか自分はこんなことになってしまったということは多いと思うし、自分たちもやっぱ常にそれに晒されてるけど、根本的にはそういうこう、何か価値が見出されたりとか、そういう資本とか、権力に還元できないものでも、些細な行為だけど、めっちゃおもろいみたいなことに対して、おお、あれいいな、みたいなことをいい続けたり、それを提示したりとかしていけることができたらいいな。

[江良]
でもやっぱりその、ささやかな、多分そういう提案って、だからある意味すごい強い、SIDE COREすごい強く主張したりとか、あと排他的でも全然ないし、何かこう、でもささやかに、これいいよねって提案は、でもやっぱできるだけ多くの人にこう共有されていく、みたいな欲はあるんですか?

[トーリー]
そうですね。グラフィティの凄かったところって、世界中に落書きはあったけど、それをグラフィティと名付けて、名前を描きましょうとか、文字はこういう形でやりましょう、こういうところを使いましょう、みたいな提案が、今アメリカのニューヨークのほんと10代の子供たちが、60年代後半から70年代に始めて、それが世界中に、例えば、なんだ、アフリカ行っても、なんだったっけ、どこの国に行っても、グラフィティ的なものってあるんですよね。それってやっぱすごい、面白いことで、でも別にそれでお金を稼げる人ってのは、ほとんどいないわけで、でもそれだけで世界中に、ばあっと世界中の都市に、グラフィティが広まったみたいなところがあって。一つ面白い行為が、都市の在り方とか、社会、社会の中でそういうこう、視覚的に一つの面白い人が、出現するみたいな特別さから、自分たちの先は常にそれを目指してるわけじゃないけど、そういうふうに広がっていくみたいな夢はずっと持ってるよね。

[DIEGO]
そうっすね。まぁでも、ちゃんと伝わってほしいなと、すごくそう思ってて。何か自分たちの作品をわかってもらうために、その見る人たちに降りていくことは、ちょっと違うじゃないすか。わかりやすくするとか。やっぱそれじゃなくて、だから割と在廊したりとか、ちゃんと説明したりとか、説明する機会をすごい増やすというか、その人たちは分かってくれたら面白いってなったら次も来てくれて、実際にRebornとか17年に来て、そういう話をしたことによって19年に来て、もっと面白いってなって、なんか見る人のこう、知識度が上がったりとかして、逆にもう、くみ取ってくれるまでになっている人とかも、自分たちはこういう活動っていうの、わかっていて、SIDE COREはこういう活動だよねっていうのが、そういう人が増えていくことが、多分ポジティブな感じですね。

[江良]
そうですね。でもやっぱりその、何だ、まぁ一般的にですけど、そういうまあサラリーマン、サラリーマンとかやってってとか、ずっとそういう資本との論理の中で頑張ってらっしゃる人もいっぱいいる中で言うと、そんな簡単に、SIDE COREの、今の余白の話とか、ね、続けていけることが、とか、その話ってやっぱり、ある意味すごいアンチテーゼといえばアンチテーゼなんだと思うんですよね、こう都市で。多分100人、この年代で僕たち30代、40代で、こう生きてる人たちの中で、そういう生き方を、選んで、ま、資本と全く関わってないわけだね、なんかこうあの渋谷のあのでかいビルの屋上でエキシビジョンとかもやったりとかしてるから、もちろんねそういう感じで繋がっている場所はあるけれども、単純にそれをキープしてやれてるアーティストだったり、コレクティブだったり、どれだけいるんだっていうと、あんまいらっしゃらないと思うから、そういう意味で言うと、なんか、あの、よりこうその文脈とかは、何か広くこう伝わっていくと、何かこう自分たちの、その生活のまぁじゃあね、それを捉え直してその人たちがみんなそういうふうにやれるかっていうとやれないとは思うけど、なんかヒントにはなるのは間違いないと思いますけどね。

[トーリー]
基本的には別に、やって、参加してくれたら嬉しいけど、それを通して想像力を広げ、お互いに広げあうみたいなことができたらいいと思ってて、僕たちも例えばすごいディベロッパーだったり、行政だったり、そういうものは一概に、あいつは駄目で、ストリートはリアルだぜってタイプでもやっぱなくて、その形式主義が一番まずいと思ってて、例えばじゃ美術館でさっきグラフィティが描かれちゃいけないって話したじゃないすか。それってグラフィティが美術館にある、イコール、グラフィティの良さが失われている、 これは本質じゃない。みたいな結構議論があって。それも凄い形式的なんすよね。それ自体がテンプレート化してるっていうか。それが間違ってて。じゃそのときに何ができるかとかっていうのも重要だし。そういうディベロッパーの人とかとすごい喧嘩になったり、しちゃうこととか、喧嘩というか、まぁすごい嫌な関係になったこととかもあるけど、でも逆にすごい面白い提案が飛んできたりとかすることもあって、一緒に何かできたこと、することもあったりするんですよね。

[DIEGO]
あと話してね、そう知らない情報を教えてもらったりとか。話さなかったらわかんなかったことがいっぱいあるんで。そういう、結構なだから割とオープン、クローズ、オープンでもないか。オープンと言おうとしたけど、オープンじゃないかと思ったけど。

[トーリー]
個人と対話をするって感じですね。

[DIEGO]
興味があること、誰と話すとかじゃなくて、興味があることだったら、聞いてみたりすること多いですね。

[トーリー]
大きい分母で、人を集団として切ったりとかして、それとは関わりませんとか、そういう感じじゃないって感じです。

[トーリー]
別にサラリーマンだろうが、同じ共感するめっちゃ共感する人もいるかもしれないし、逆に言うとアーティストだけど、全然共感できない人もいるし笑

[江良]
全然スタイル違うみたいなね、それはあるよね。

[トーリー]
1人1人は人なんでね、やっぱね。

[DIEGO]
本当そうっすね。

[トーリー]
それがでもオルタナティブかなみたいな、

[DIEGO]
落とそうとしてますね。

[トーリー]
いやいや、そろそろ落ちてかないと。笑

[江良]
でもそういう意味だとね、なかなかこう傍目から見ると、どんどんこうね、SIDE COREの何て言うの、プレゼンスが上がってきてるような感じもするんだけども、何かこれからのこうSIDE COREの目指していくとことか、まあと、なんかね今回”音”みたいなことでやったけども、もっとこういうことをチャレンジしていきたいとか、その余白とか、こうね、ノイズとかひずみとかそういうものを表現として、やってみたいとか、こんな人とコラボしてみたら面白いのかもとか、今自分たちがこう表現しようと思ってるとこで、逆になんか、足りないものとか、何かすいません、ちょっと、これワーっと今言っちゃいましたけど、何かこう将来とか思ってることあります?

[トーリー]
多分基本的には、続けていく、例えばでもそういうこう、大人になっていくし、そういうふうに、アーティストとしての、権力が与えられたりとかすると思うんですけど 笑、やっぱりそういう、例えばそういう自分たちの視点をでもやっぱり無くさないようにするとか、常にそういう同じ行動をとっていけるってのが重要なんで。インデペンデントの活動とか、表現、たとえば、展覧会呼ばれるから出るだけじゃないような制作とか、自分たちに引き寄せた制作みたいなのできないといけないと思うし。どんどん、若い人とかで、すごい面白い人が出てきてて、TOKYO ZOMBIEとか、僕たちが結構去年ぐらいからコラボレーションさせてもらってるアートチームとかみんな10代で、もう中学生から、最初は小学生とかだったんですけど、うん自分たちでこう、何でもできるんですよ、アートも作れてグラフィティもやって音楽もやって、議論をして、政治活動も参加して、その組織の中で、組織っていうか、自分たちのコミュニティがやっぱ健全なものであろうということをすごいディスカッションしたりする。みんな外国籍の子だったりするんですけど、そういう人が出てきてて、一緒に動いて、彼らから学ぶことって言うか、学ぶっていうかなんかこう驚きを毎回貰うみたいなね。そう、だから、新しい人と出会うみたいな、ことは重要だよね。新しい価値観を持った。

[DIEGO]
でも若ければいいわけじゃないすけど、若い人は、僕はすごい好きですね。なんか最近気付いたのは、気づいたら、自分歳取ってて、若い子10代の子とかと僕が遊んでて、昔自分こういうことしてもらったな、みたいなことを凄い思うんですよね。やっぱ、こう洋服屋に行って凄い教えてもらってる人が、大体自分ぐらいの歳だったみたいな。で自分は10代でみたいな。こうそういうのを思うとこう、してあげたいなと思ったり、そのときと違うのは、彼らは情報とか、自分、個人個人がメディアになってて、発信力が全然ちがって、可能なことがすごい増えてて、若い子の。でも自分は経験してきていろいろ失敗してきて、これしない方がいいよとか思ったりするけど、でもそれもちょっと言いすぎるとあれだなとか、結局そういうふうに自分が若いときによくしてもらったんで、若い人をすごいよくしたりとか、若い人とやることについて僕はすごい興味あるすね。やっぱ未来はあるし、さっきトーリーさんが言ったように、もう全然理解できないことがいっぱいあって、でもそれは面白いっすね。理解できないことの方が面白いというか。

[トーリー]
そうですね。成長する子、成長したら成長したなりの責任とか、あとそこになったらできることとかがあって、自分の都合を全部考えていくと、例えば何かこう自分が結構目立ってるのに、人に、あのその目立った人の悪口はあるじゃないすか。それで怒っちゃうとかっていうのもやっぱおかしいなと思ってて、言われてもしょうがない部分もあったりとか。わかんない。この話は正しくないかもしれないけど、下の世代の人たちと関わる。でも同時にこう、自分がされて嫌だと思うことはしないようにしなくちゃいけないし、とか。自分の立場をわきまえて、気をつけなくちゃ、気をつけて関わらなくちゃいけない部分てやっぱあって。そういうこう自分が誰、どういう立場であるかとかを考えつつ、その人たちの迷惑にならないように、お互いこう刺激し合えるように、若い世代の人たちと関わるみたいなことは、もう続けたいなとは、思いますね。

[江良]
それはあれなんですかね。ある程度、SIDE COREの目に、例えばその、若い子たちで、グラフィティとかストリートとか、多分そういうSIDE COREの、そういうこうノイズみたいなものの感覚を、例えばエキシビジョンで見て、ああこのなんか面白いとか、思った子たちがいたら、なんかどういうふうにしたらSIDE COREチームと、こう関われるようになっていけるんですかね。

[トーリー]
でもやっぱり、権利、権力を持つ、例えば、歳を取っている男性である、権力を持っているって、構図は変えられないけど、でもすぐ権力を行使する仕事の立場じゃないんで。だから出会ったらいいなっていう。

[DIEGO]
あとはあれっすね。面白いって言って、SIDE COREとやりたいっていうよりは、やっぱ自分でやってほしい、自分でやって、僕たちが面白いねってなったほうが、一番スムーズですね。その人たちは、自分達で、TOKYO ZOMBIEはまさにそうなんですね。そういう僕たちの展覧会とか来たりしてたし、それで自分たちでやり出したんだよね。

[トーリー]
そうそう、でも別にずっと一緒で、最初からもう、こう若い子で才能ある、みたいな感じじゃ無くて、ジトーっと見てて、なんか面白くなってきたみたいな。僕らよりも先に注目して一緒にコラボレーションしたアーティストとかいるんで、第一人者じゃないですけど、すごい長く付き会えてるなと思ってね。年に1回なんとなく、目標じゃないけど、毎年、新しく次世代の人、1人ぐらい出会いたいよね、みたいな話は軽くはしている。数字で目標にしちゃいけないけど。

[江良]
でもじゃ、あれですよね。ある程度、自分たちが、もうそれ面白いとか、こういうことをいいなと思った人たちはまずやっぱ自分たちが一番最初の話に戻るけど、自分たちでまず動いてみるみたいなことがよくて、でもそれがやっぱりこうちゃんと続けていければ、なんかこう繋がっていくみたいな。なんかそういう、でもそういうことですよね。そりゃそうですよね。いやでも本当に若い子たち。未来ですからね、若い子たちがね。

[トーリー]
若くなくても、結構20代後半とか30歳とかでも、人に知られてなかったりとか、

[DIEGO]
それも何か言い方あれですよ、人に知られてなかったらみたいのは。だからやっぱこう。。

[江良]
嫌でもまあ機会がなくてね。

[DIEGO]
そうですね、

[トーリー]
そうだから、僕たちの活動っていうのは、その人たちをフィーチャーするとかじゃなくて、やっぱり全然本当そうじゃなくて、左にあったものを右に置くみたいなみたいな笑

[DIEGO]
ここに置いてもいいよねみたいな。

[トーリー]
そうそう見え方を変えること自体がやっぱ

[DIEGO]
作品はそうっすね。作品はまさにそうなんです。自分たちは作ってる作品はまさにそういうことです。

[江良]
それは本当にキュレーションってことですよね。でもね、そう言う意味では。

[トーリー]
そうですね。キュレーションだけど、別にキュレーションすることによって、大きい意味を与えようとかしてなくて、周りにやっぱ託してみるみたいなね。

[江良]
違うコンテクストをこう、がっと上部にハイコンテクストでつけるんじゃなくて、単純にこう右から見るんじゃなくて、左で見るみたいな。

[トーリー]
でもそれをするだけで、すごくおもしろいものとかっていうのが、まぁ多分めちゃくちゃ、例えば人に知られてなかったりとか、ちゃんと理解されてないものでたくさんあるんですよ。だからまだ、東京をその、オルタナティブな視点で見た東京ってのは、面白い可能性が、表現においての面白い可能性みたいなのってすごいあると思いますね。

[江良]
本当に、誰かがね、でもそれを指摘というかね、自分だとわかんないときも多々ありますからね。自分だけだと見えなくなるときだね。

[トーリー]
多分、都市、でもいい、都市だったら、とくに東京都市だったら、本当にその、自分の今聞いてる家の半径100m以内に絶対面白いものあるんすよ。そうでも、それに気づくのは難しいってね。

[江良]
でもそれはそうだよね。なんかじゃあ締めに、半径100m以内の何かこう、余白とか面白いものを見つけるっていうのは、こんなふうにしてみるといいんじゃないないですか?ワンポイントアドバイスコーナーっていうのをやってもいいですか?じゃあ、 DIEGOさん。

[DIEGO]
僕はあります。あのいつも通ってる道があったとしたら、知らない道を通って帰ることをしまくるというか、その周りの地図ができてくるんですよね。そしたら、大体何か変なものがあったりとかして、その地図ができて、マップができてくる。ここに何がある、ここに何があるとかすると。長く通ってる場所は無理だとしても、でも新しく引っ越した家があって、その時に一つのルートがあったとしたら、ルートを変えて帰ってみるとかしてたら、すごい面白くなることが多いですね。それは、僕が、スタジオに行きだしたころかな。自分達がスタジオに行き出したときに、自転車で行ってるときに、毎日同じ道を通っていたらつまんないから、いつもいろんな道で行ったんすね。それすごいあって、そこ面白いとか、あれ面白いとか。それは多分、ま、でもそれも視点が重要かもしれないけど、でもまよく目をこらしながら歩いてもらうとか。

[江良]
渋谷のなんだっけ、Skyでしたっけ、あそこで何かやってたときに、地図作ってましたね。あれおもしろかったですよね。

[トーリー]
渋谷のスクランブルスクエアの展覧会で、まず渋谷の地図っていうのを作って、でも渋谷に実際表には見えない、地下にある、その渋谷の暗渠になっている、渋谷川、宇多川とその隠田川があって、川が渋谷の街を流れて、渋谷川って川になるんですけど、それが全部暗渠になってて、そこ沿いに、暗渠沿いに歩いていくと、いろんな渋谷をストリートアートの視点でして見る、面白いものみたいなのを紹介されるガイドマップみたいなものを作って。であとやっぱり、その結構、まぁ調べてみる読んでみるみたいな結構基本だと思っていて、例えば石碑とかあったりとかしても読まないと思うし、例えば何か道にそういうこう、ガスとかなんか、道の道路の基準だろうなみたいな、例えば絶対敷石なんだろうこう、石の敷石みたいなとこあったりして、それは何なのかやっぱり調べないとじゃないですか。例えば配電盤、道路に配電盤がありますよね。でもあれが何のための配電盤かとか、みんなわかんないですよ。やっぱそういう、目の前に当たり前に見えてるものを調べる、読んでみる、聞いてみる、みたいなことは結構、まずやるべき作業ですかね。

[江良]
それはすごい思いますね。やっぱり都市の人はね、便利すぎて電気ならやっぱりスイッチポチだし、電気代なんか、引き落としされて、毎月とかね、なんかいろいろな中で、でもやっぱり、誰かがね、この街を作ってきたし、街のインフラを誰かが供給していたりとかするけども、そこに対してまぁ常に興味を持ってる必要はないかもしれないけど、何も知らな過ぎるというのはね。本当に何か、危ない形で何かに寄りかかっちゃってるような気はすごいしますよね。だからそういうのは地方くると、特にそう思いますよね。なんかこういう地方の、石巻の人に地方っていったら怒られるかもしれないけども、牡鹿半島とかね、そういう自然の中に行くと、東京では蛇口ひねるものがね、ないから、どういうふうにそれを手に入れるかみたいなことが、すごい対比されて感じられますよね。東京だといかに僕たちがサボってる、サボってるかっつったら怒られちゃうかもしれんけどね。

[DIEGO]
東京だと変化していくから、けど石巻とか、例えばあそこに置いたペットボトルは、次来た時もある可能性があると凄い思うけど笑

[江良]
目の前の車止めのところに水のペットボトルがポンと置いてあるんだけども、確かに1年後あっても不思議はないかもしれない。

[DIEGO]
それはそれで何か、また面白いっていうか。変わってく面白さと、変わらない面白さがあって。僕はそういうのは好きですね。だからなんか試しに、なんかポンとおいて帰ったりとか、で次来て、「あったあった」って、何が楽しいのかわかんないすけど。

[江良]
でも、なんか土地、土地が、場所が自分にとって意味を持つということだし、

[DIEGO]
あと誰も来てないんだなとか、なんか法律がゆるいんだなじゃないけど、

[江良]
それこそね、自分だけの場所というかね、そういうことですよね。それは確かに、本当に、何でもそうですよね、やっぱり、東京とかでも変わりすぎてとか。顔も物語も何も見えなかったら、また楽しくないですからね。

[DIEGO]
どっちも、どっちもいいっていうのがあんまよくないけど、どっちも面白いっちゃ、面白いですよね。

[トーリー]
そうだね、ある意味アート、アートの展覧会に呼んでもらえるようになって、いろんなそれまでいけなかった、地方というか地域みたいみたいなとこに行けるようになったらよかったね。

[DIEGO]
そういう考え方を持ち続けるのはいいと思った。それぐらいというか。

[江良]
はい。じゃ、すいません長い間。今日ね、撤収、終了の次の日でね、撤収の業者さんとかいらっしゃってるのに、ちょっとお邪魔しちゃって。ありがとうございました、お2人とも。

[トーリー、DIEGO]
ありがとうございます。

[江良]
またね、新しい作品を楽しみに、新しい展覧会も楽しみに待ってますんで。はい。

[トーリー、DIEGO]
江良さんも何か、呼んでください、僕たちね。遊びに行くんで。面白いのあったら。美味しいご飯とかあったら呼んでください笑。

[江良]
そうですね、普通にまた東京でも会いましょう。

[トーリー、DIEGO]
お願いします。

[江良]
はい、今日はどうもありがとうございました。SIDE COREからトーリーくんとDIEGOくんでした。どうもありがとうございました。

[トーリー、DIEGO]
失礼しますー。


SIDE COREですが、リボーンアートフェスティバルの展示は終了してしまいましたが、現在恵比寿のナディッフアパートにて個展「under pressure note」を11/20まで行っています。昨年に青森のACACで開催された、「under pressure」の記録集刊行記念展となります。「under pressure」はこの時代における循環をテーマに、青函トンネルなど東北の土木を題材とした展覧会でした。僕も青森の展示は見に行けなかったので、ぜひ見に行こうと思ってます。
また12/1から六本木の森美術館で行われる「六本木クロッシング」への参加も決まっています。森美術館のwebサイトにはリボーンアート・フェスティバル2017で作った作品の写真が出てます。

写真: 齋藤太一
著作権: Reborn-Art Festival