#009: 保良雄さん: アーティスト: 存在を存在として認めること
保良雄
テクノロジー、生物、無生物、人間を縦軸ではなく横軸で捉え、存在を存在として認めることを制作の目的としている。フランスと日本を拠点に活動。2018年ポートランドのアーティスト イン レジデンス「END OF SUMMER」に参加。2020年École nationale supérieure des beaux-arts修了。主な展覧会に、個展「聳え立つ糞」(Gallery TOH、2022年)、「Standing Ovation / 四肢の向かう先」(ATAMI ART GRANT、2021年)、「Le 65e Salon de Montrouge」(パリ、2021年)などがある。
Instagram : yasutakerara
Key Words:
アーティスト イン レジデンス「END OF SUMMER」, エコール デ ボザール(École nationale supérieure des beaux-arts), 「聳え立つ糞」(Gallery TOH、2022年), 「Standing Ovation / 四肢の向かう先」(ATAMI ART GRANT、2021年), 「Le 65e Salon de Montrouge」(パリ、2021年), 「This ground is still alive」, 和多利恵津子, 「fruiting body」, 網地島, ミミズコンポスト, パッタージュ(jardin partagé), エントロピーの法則
エピソードを読む:
[江良]
今日は保良雄さんにお越しいただいてます。今日はよろしくお願いします。
[保良]
よろしくお願いします。
[江良]
保良さんは今回のReborn-Art Festival2021-22後期に参加いただいた現代アートのアーティストさんです。今回二つ素晴らしい作品を作っていただいたんですけども、最初に簡単にプロフィールを僕の方から紹介させていただければと思うんですけれども、テクノロジー、生物、無生物、人間を縦軸ではなくて、横軸で捉えて、存在を存在として認めることを制作の目的とされています。フランスと日本を拠点に活動されていて、2018年ポートランドのArtist in Residence「エンド オブ サマー」に参加、で2020年エコール デ ボザール(フランス語: École des Beaux-Arts, ENSBA)、つまりフランスの国立の高等美術学校、芸大みたいなものですね、保良さん芸大も出られてますもんね。
[保良]
はい。
[江良]
修了されてます。えー主な展覧会に、これは「聳え立つ糞」(Gallery TOH、2022年)
[保良]
そうです。
[江良]
はい。あと「Standing Ovation / 四肢の向かう先」(ATAMI ART GRANT、2021年)これ熱海のやつですね。あと「Le 65e Salon de Montrouge」(パリ、2021年)などがございます。はい、よろしくお願いします。Rebornは今回初めて、ご参加いただいたんすけど、どうでした?これ今終わって次の次の日ですね。閉幕して2日後に収録させてもらってるんですけども、いかがだったですか?
[保良]
楽しかったですね、普通に。でも石巻に来るみたいなこと自体が今まで結構なかったというか、来れて仙台までで、震災後、被災の場所に行くっていうことが、なぜかちょっと遠いことだったりとか、あとはそこで起きていることみたいなのが、まだ捉えきれてなかったので、11年目っていうタイミングであったりとか、あとは本来違う場所、もうちょっと、なんすかね、もうちょっとハッピーな場所って言い方は変ですけど、もう少し震災の爪痕が少ない場所での展示だったので、そこから今回の展示の場所に変わったりとかした。自分の中で、ここと向き合うっていうことっていうのは、避けてきているわけではないんですけど当事者じゃないので、どこまでどう対話できるのかとか、あとはよそ者が中に入ってきたときに、実際こう自分は一体何ができるんだろうとか、あと美術って何か意味あるのかなとか、いろんなことを思いながら、考えるタイミングというか、考えなきゃいけないタイミングになったのかなっていうふうに思ってたんですよね。
[江良]
最初はね、さっきもうちょっとハッピーなっていうのは、網地島っていうね、離島でやっていただくはずが、コロナのもろもろの関係で、今回はふさわしいタイミングじゃないっていうことで、3月ぐらいかな、急遽、やっぱりできないっていうことになってしまう、やらない方がいいってことになって、今回保良さん、一つの作品は南浜っていう、いわゆる人も結構亡くなったし、津波の被害を石巻の中でも最も受けた地域の一つでやられたわけですけれども、今回そこでやっていただいた作品が、「This ground is still alive」っていう作品で、ちょっと簡単にどんな作品だったかみたいな、ちょっとあの写真とかはWebで皆さんにも見ていただきたいと思うんですけれども。
[江良]
今日は保良雄さんにお越しいただいてます。今日はよろしくお願いします。
[保良]
よろしくお願いします。
[江良]
保良さんは今回のReborn-Art Festival2021-22後期に参加いただいた現代アートのアーティストさんです。今回二つ素晴らしい作品を作っていただいたんですけども、最初に簡単にプロフィールを僕の方から紹介させていただければと思うんですけれども、テクノロジー、生物、無生物、人間を縦軸ではなくて、横軸で捉えて、存在を存在として認めることを制作の目的とされています。フランスと日本を拠点に活動されていて、2018年ポートランドのArtist in Residence「エンド オブ サマー」に参加、で2020年エコール デ ボザール(フランス語: École des Beaux-Arts, ENSBA)、つまりフランスの国立の高等美術学校、芸大みたいなものですね、保良さん芸大も出られてますもんね。
[保良]
はい。
[江良]
修了されてます。えー主な展覧会に、これは「聳え立つ糞」(Gallery TOH、2022年)
[保良]
そうです。
[江良]
はい。あと「Standing Ovation / 四肢の向かう先」(ATAMI ART GRANT、2021年)これ熱海のやつですね。あと「Le 65e Salon de Montrouge」(パリ、2021年)などがございます。はい、よろしくお願いします。Rebornは今回初めて、ご参加いただいたんすけど、どうでした?これ今終わって次の次の日ですね。閉幕して2日後に収録させてもらってるんですけども、いかがだったですか?
[保良]
楽しかったですね、普通に。でも石巻に来るみたいなこと自体が今まで結構なかったというか、来れて仙台までで、震災後、被災の場所に行くっていうことが、なぜかちょっと遠いことだったりとか、あとはそこで起きていることみたいなのが、まだ捉えきれてなかったので、11年目っていうタイミングであったりとか、あとは本来違う場所、もうちょっと、なんすかね、もうちょっとハッピーな場所って言い方は変ですけど、もう少し震災の爪痕が少ない場所での展示だったので、そこから今回の展示の場所に変わったりとかした。自分の中で、ここと向き合うっていうことっていうのは、避けてきているわけではないんですけど当事者じゃないので、どこまでどう対話できるのかとか、あとはよそ者が中に入ってきたときに、実際こう自分は一体何ができるんだろうとか、あと美術って何か意味あるのかなとか、いろんなことを思いながら、考えるタイミングというか、考えなきゃいけないタイミングになったのかなっていうふうに思ってたんですよね。
[江良]
最初はね、さっきもうちょっとハッピーなっていうのは、網地島っていうね、離島でやっていただくはずが、コロナのもろもろの関係で、今回はふさわしいタイミングじゃないっていうことで、3月ぐらいかな、急遽、やっぱりできないっていうことになってしまう、やらない方がいいってことになって、今回保良さん、一つの作品は南浜っていう、いわゆる人も結構亡くなったし、津波の被害を石巻の中でも最も受けた地域の一つでやられたわけですけれども、今回そこでやっていただいた作品が、「This ground is still alive」っていう作品で、ちょっと簡単にどんな作品だったかみたいな、ちょっとあの写真とかはWebで皆さんにも見ていただきたいと思うんですけれども。
[保良]
先ほどの何か話の続きだとすると、ここで出来る事って何なんだろうって。でも多分僕がやってきていることっていうのは結構、人間中心の話ではなくて、そこを取り巻く世界の話をわりと題材にしていたりとか、僕が興味を持っていることが多かったりするので、下見がほぼほぼ、もう網地島から(場所を)変えないといけないとなったときに、(石巻に)来れない状況がスケジュール的にもあって、なんとなくこう、使える場所ここだよみたいな。
[江良]
公園の、あの復興祈念公園という大きな公園があるんだけども、その前に、地主と話ができた土地があるっていう、今回キュレーターのね、ワタリさんたちから多分そういう、お達しが、通達があって。
[保良]
ここだって言われたときに、Google Mapがまだ変わってないんですよね、しかも写真に切り替えると、まだ前の状況で。
[江良]
前っていうのは、
[保良]
震災後なのかな
[江良]
震災後のこう、瓦礫とまでは言わないけど、まだ綺麗になってない状況ですね。
[保良]
今の、綺麗な公園みたいな状況にはなってなくて。今はこういう状況だっていうところを見て。要は更地になってるんですよね。元々人が住んでるところが。
[江良]
うん。
[保良]
そこを見たときに、他で畑をやるっていうプランをずっと立てていたんですけど、それを丸々こっちに持ってこようと。というのがまあ和多利さんとかの話で、決まっていって。で、そうなれば、僕はここでひたすら居ながら、ここでどういう営みがあった。なんだろうここにいるとどうなるんだろう?みたいな。
[江良]
うん。
[保良]
ということで、向き合うということですよね。あとはその向き合い方っていうのも、土地と向き合う、いわゆる自分たちは土の上だったりとか、大地の上、地球の上でいきているので、足元から考える。そこにはいろんなまた生命が住んでいるので、そこと対話していく。いわゆる土を作っていく。ということをやっていこうと、いうことですね。作品自体は、もう埋め立てられたというか、更地になったわけですね。震災後にいわゆる道路とかを、拡張する際に出てくる山土だったりとか、あと他のところで出た土だったりとかがあそこの場所に持ってこられて、埋め立てられている。全体からすると多分、いろんなタームで埋められてるんですよね。埋め立てが。なのでこう場所場所に、土の性質も違うし、出てくるものも、出てくる石とかも違うし、なんかそういうハードな環境というか、なんかあんまり植物にとってはハッピーじゃない状況の場所で、畑をしてみようと。いうふうになっていったんですよね。
[江良]
なんか和多利恵津子さんが、よく、これ2回ぐらい聞いたエピソードなんですけど、なんか普通ユンボとかでね、耕せば時間もないのに、耕せば、まずね土を耕していけばいいのに、保良さんはずっと、あのつるはしでコンコンコンコン、気が遠くなるような感じで、やってるのよね。ユンボ使えばいいじゃないって私言ったんだけども、それじゃ意味がないからって言って、黙々とやってらっしゃったって言ったんだけれども、これはやっぱりあれなんですか、その対話するとか、向き合っていくっていう、そういうことからすると、つるはしで自分自身が大地と、この場所と向き合っていくみたいな、行為みたいなことだったんですか。
[保良]
そうですね。もちろんそうユンボだったりとか、重機を使えば簡単なんですけど、それって何ら埋め立てる作業というか、資本的な動き方っていうか、その作り方をしてしまったら、多分何も感じれないなっていう。速さだけが重視されて、その、見ないといけないのっていうのは、すごいこう顕微鏡でのぞいくような世界というか、もう見えないものがうごめいている場所なので、なるべく身の、なんか人間のスケール感に合う、それでもやっぱ見えないものもたくさんあるし、ただ、でかくなればなるだけ、雑になってくると。もう1回で引っ掻いたらいろんなものが取れちゃうし、掘るのも楽は楽なんですけど。微生物の世界だったりとか、いわゆる菌の世界と今後対話をしていくってなった際には、やっぱフィジカルで当たっていくしかない。で、そこで自分が汗水流すことで、ふと座り込んで掘り返して、こんな土かとか、手で持ってとか。なんかそういう、さっき話した、場所場所で土が違うみたいな、もうユンボで掘り返したら、ぐちゃぐちゃになっちゃうんで、わかんなくなるんですけど、手で掘り返すとそれが見えてくるし、あと石も毎回、手に取る、ていうか石ががすごいたくさんあって、なんか普通に40キロとかあるような土が、石が、土の中から出てきたりとかして、それがつるはしに当たったときの衝撃は腕に伝わってきて、わぁ、すげえもんが土にあるぞ。なんかそういうところから、ですね。
[江良]
そうね、でも本当に、ですよね。でもその最初、一番最初おっしゃってたけど、何かこう石巻とかそういう被災地みたいなところからの、自分がよそ者、ストレンジャーみたいな感覚から、今回はでも本当に、延べ何日ぐらい滞在いただいたの?
[保良]
5月の後半から居て、3ヶ月、行ったり来たりずっと繰り返してますけど、もう多分2ヶ月以上は。
[江良]
二ヶ月以上ぐらいね、多分今回、有馬さんとか、こっちに住まれてるかたを除いたら一番長かったんじゃないかな。
[保良]
そうですよね。多分他のアーティストが全然、なんていうのかな、いつ来るのかなというぐらい、なんか思っていたけど、でも自分の中で、多分僕ができることっていうのは、多分何かそこに居続けながら、向き合うことが多分一番なのかなというふうに思っていたので。てか自分がそれをしないと何か、何か、何か違うものを持ってきて置くっていうことが、僕の場合はあまりしっくりこなかったので、なのでそこと、なるべくいることだったとかって感じですね。
[江良]
そういう意味だと一番最初に、こうね、なかなか、ま避けてたわけじゃないけど、今まで11年間距離があって、そういうね土みたいなところも含めてこの場所に向き合ってきて、何かそのStranger感みたいなものは、今は何かどういうふうに感じられてるんですか?
[保良]
今は、なんか不思議な感じになりましたね。この、「This ground is still alive」って、いわゆる土を育てる、土があれば人間って生きていける。土って何かっていうと、いわゆるいろんなものたちが、生息できる場所なんですよね。元々埋め立てられた場所は、限られた植物、いわゆる雑草っていう、その表現が悪いんですけど、数種類の植物しかそこに生息できてないし、土の中にもほとんど生命がいないような状況。あとは鳥が降り立つ場所でもなければ、蝶々もいなければ、っていう場所だったんですよね。僕は半島から腐葉土だったりとか、堆肥だったりとか、あと牡蠣殻だったりとかを、いただいてきて、分けていただいて、それを混ぜ込んで、で掘り返した土とミックスして、どんどんどんどん、土壌改良という言い方はあれですけど、何か土を良くする微生物が住みやすい環境にしていく。それとともに植物ができていくんですけど。そうすると、要は多分何日か目、1ヶ月目ぐらいとかに蝶がくるんですよ。
[江良]
なるほど。
[保良]
で蝶が来て、で植物が芽を出し始めると、今度は1匹の熊蜂がきて、でずっと受粉、受粉というか、花が咲いたら受粉をしてくれて、そいつがずっと住んでてとか。で、いろんなものが。いろんな、多分その後、蛾が来たりとか。てんとう虫が来たり、バッタが来て、で、鳥が来て、で、人が来たんですよ。
[保良]
この人っていうのは、その周り、関係者、飲食のシェフもそうだけど、元々そこに住んでた人たち、散歩コースでしてる人たちも何かやってるみたいな。いや要は僕は長くずっとそこにいるから、何かやってるぞ、みたいのがなんとなくこう、言って、あれ畑ですか?ということだったとかを言われるようになったりとか。で、ずっと長くいるからそこで話をかけてくれる人たちがいたりとかして、段々こうよそ者だったんだけど、なんかそこでやっているやつがいるみたいな。もちろん全員じゃないし、全ての人にポジティブに思われてるとは思わないんですけど、会期が進むにつれて、今まで南浜のエリアに足を踏み入れることを避けてた人たちが、いて、今回を機に来てくれて、そこからリピートしてずっと来てたみたいな兄弟の方とお話をすることができて。で、ちょうど南浜のエリアで被災されて、親族が亡くなって。やっぱもう、行きたくないというか、行けない状況だった。で、その、この作品があって、さっき話したような、いろんなものたちがまた住んでいて、人がいて、賑やかになってきて、なんかその風景を見たときに、ああ何か、なんだかな、なんて言ってたのかな、なんかすごいポジティブな意見を言ってくれたんですよね。
[江良]
うん。
[保良]
そのときにふと、やっぱ長くいて、こう感じてくれる人たちがいて、で自分がやった行為っていうのは、もしかすると少しでも何かに作用したのかなって思えて、単純に感動しましたね。ああよかったなみたいな。
[江良]
でも、その作用したということだと、本当に多くの人になんかね、作用したのは間違いないと思いますけどね。保良さんの作品、ねすごい、みんな、なんか印象に残ってるって人多いですけども。ちなみにもやっぱり作品、ちょっと意地悪な質問かもしれないですけど、作品レベルで、こういわゆる鑑賞者から見たときに、やっぱユンボと鶴橋だと、作品って変わるもんなんですかね。
[保良]
変わらないんじゃないですかね。
[江良]
見た目はね。見た目は変わらないよね。でもやっぱりそれは保良さんが、作品を何か作ってる、理由というか、そういうところになってくるんですかね。
[保良]
僕は多分、結構こういうものはアーカイブで見せたりもしないんですよ。もちろんその、ちゃんとアーカイブされて、見せることって、伝えるためにはすごく大事なことだと思うんですよね。ただ作家が、こうやってやりましたよとか。作家像って、あんま僕の場合は必要がないって思うことの方が多くて、作っているプロセスの中で、何に出会って、どう向き合っていくかっていうためにやっていることの方が多いので。自分がやっていることに、その、怠けるって言い方はあれだけど、手を抜こうと思えばいくらでも多分重機を使って、お金をかければもっと楽な方法ってのはたくさんあると思うんですけど、僕は向き合ったからこそ、見えてくるものだったりとかっていうのがあると思っていて。で、さきほど話したような、僕が見ている世界みたいのが、やっぱすごい小さい単位なので、そこを考えると、もしくは僕が重機使ってあれやってたら、多分仕上がりが全然違うんですよね。
[江良]
自分の作るものが変わってくる。
[保良]
そうですね。
[江良]
そうですか。でもその小さい単位を見てるっていうのは、常、あ、もう一つね、ごめんなさい今、「This ground is still alive」っていう作品が、一つその南浜っていうところにあって、もう一つ渡波っていうところに、元々水産工場の跡地があって、そこにも「fruiting body」という作品が、今回二つね、出品していただいたんですけども、「fruiting body」は、こっちの方は、簡単に、あれを簡単に説明できるのかちょっとわからないんだけど、僕も何て説明すればいいのかなという、ぱっと説明しづらいんですが、岩塩が一つ基調にあると思うんですけども、ちょっと言葉で伝えられないものだとは思うけども、ちょっと説明してもらってもいいですか。
[保良]
「fruiting body」は、最近になって発表した作品で、去年熱海で初めて出したんですけど、この作品自体は、いわゆるいろんな時間軸のものだったりとか、今を生きるものだったりとかっていうのを、段々繋ぎ合わせてくるもの、繋げる作品、なんですけど。説明するのが非常に難しいですね。
[江良]
いや無理に、無理にしなくてもいいけど、前、僕がでも保良さんから聞いたのは、岩塩ってすごい、長い時間をかけて作られるものだっていう。
[保良]
2億5000年から3億年前とかって。いわゆる人間の歴史より昔のものだったりしますね。地殻変動がたくさん起きる、元々海だったところが山になって、そこの中で、じっくりと作られてきているもので、僕の使っている岩塩というのはその中でも純度の高いクリスタル岩塩という透明度の高いものですね。よく流通してるものってのは、ピンク岩塩っていう結構量がとれるものなんですけど。岩塩の世界にもいろんな性質のものがあって。
[江良]
岩塩の世界、面白いですね。
[保良]
なんかしかも流行り廃りもあって。
[江良]
流行廃りがあるんですか?どの界隈で、流行って廃れるんですか?美術界隈?
[保良]
いや割とスピリチュアルなところで使われたりとか、あとヨガもそうだけど、バスソルト、一般的なとこに流れてくるんですけど、なんかこう、色とか、いわゆる中に入ってるものが違うんです。例えば、黒の岩塩ってのは鉄分が多かったりするんすけど、透明度のやつはすごいピュア度が高いというか。
[江良]
今回のクリスタル岩塩はどこから来てるんですか。
[保良]
あれはパキスタンかな?
[江良]
岩塩て、ごめんなさい、どういうプロセスを経て2億5000万年のこう、時を経てそこに。
[保良]
要は取り残されるんですよね。その地殻変動で海の水が。
[江良]
ああ海の水が取り残される。
[保良]
でそこで、要は凝固していくっていうイメージですよね。出来上がってくる。だから洞窟っていうか採掘場みたいなところからもうほぼ出てくる。
[江良]
昔海だったところが、どんどん海じゃなくなって、塩が固まって、何か残る。で発掘されてくる。今回も、なんかね、どうあれは渡波の海水ですか。
[保良]
今回は、作品自体、岩塩を空間に置いていて、そこに水滴を垂らしてますけど、その水滴自体は、今の、今僕が今回汲んできた太平洋沿いの石巻に入って行くまでの道で採取した海水を使ってるんですよね。だから1ヶ所、渡波の海水、というか南浜の海水は少し使ってるんですけど、でもいろんな場所の海水を使って、垂らしているような状況ですね。
[江良]
あの、このポッドキャストは、ちょっとさっきも話しましたけど、alt-Tokyoっていうタイトルでやってて、僕としてはalternativeな東京、都市の生活みたいなことを、もっと僕たちがこう、勉強、いろんな人の話聞きながら勉強をしていきたいっていう、そんな意味合いで、やってるんですけども、やっぱ僕も一つテーマとしてはこうプロダクションっていうのがあって、あの生活の、僕の見ているのは、多分保良さんの、何ていうのかな、スコープとはまた全然もうちょっと普通のリアルな、生活とか、ライフスタイルとか、そういうことでいったときに、やっぱりこう、都市、僕ずっと都市の中で、東京の中で生まれ育ってるんですけども、やっぱ特にこうね、石巻とか、地方とか、自然の中とか出てくると、やっぱりどれだけ東京で何も僕たちがプロダクションしてないのかという、自分たちの生活の中で必要なものをね。あとそのこと自体への無自覚というか、そういうものが、やはりこう僕がやってる環境問題とか、やっぱ全てに繋がっていて、お金があれば買えるっていう、その便利さの中で、なかなかそこから普通出れないというか、気付かずに、一生に暮らして行けるみたいなことに対して、課題感があるんですけども、さっきからちょっと保良さんにお伺いしたかったのは、保良さんの見てるものって、さっきもその畑で言うと、もっと細かい部分とかあと今の岩塩の話だと、もっと長い部分で、何かこうものが作られていくっていうものが、プロダクションされてるみたいなものがあって、でもなんか見てるものは多分ちょっと僕とは見てる視点が、スコープが違うんだろうなと思ってたんだけども、なんだろう、どういうこう、さっき言った通り小さいものを見てるとか、何か大きいものを見てるみたいなことで言うと、何を普段見てて、例えば他の人と、何が違うんだろうとか、どういうふうに思いますか。
[保良]
どうなんですかね。興味の指針は結構、人間が今便利に、便利に生活をしている、んですけど、その元となったとこですよね。なんかなんでこうなったんだろうとか、どういうふうになってこう変化していったんだろうみたいなことが、興味が、最初はあって、そこからどんどんどんどん、プリミティブなほうに入っていくんですけど。
[江良]
やっぱりその、便利なものに対して、ちょっとこうネガティブとまでは言わないけど、なんかこう、よりプリミティブな方向、の方に、興味が向くってことなんですか。
[保良]
便利っていうか、僕は身体障害というか、生まれつきの身体障害を持っていて、健常者と比べると不便なことが多い。
[江良]
うん。
[保良]
身体をうまく使わないと、結構こう、なんすかね、うまく制作できなければ、生活もできない中で、言い方が悪いんですけど、ちゃんと身体を使ってない人たちって多いなって思うんですよね。
[江良]
うん
[保良]
それって便利がゆえに、ちゃんと僕たちに与えられたものを使わなくても、生きていけるんですよ。
[江良]
なるほど。
[保良]
それはまあ悪いことではなくて、その人間がこうやって、いろんなことを、よくしていこうだったりとか、便利な世界というか、生きやすいような世界、人間にとって生きやすい世界を作ってきたから、こういうふうな便利なスマートフォンだったりとか、だったりとか、移動手段があるんですけど、それって元々何か違うもので、スマートフォンの代用は昔はあるわけではないと思うんですけど、でも何かあったんだろうなって思ったりとか、それが衣食住のところ、特に食べることだったりとか、住むことに対してはすごい、いろんな知恵を使ったり、いろんな向き合い方をして、これは食べれる、これは食べれないとか、こうしとけば住みやすいとかっていうのを、研究していったというか、みんな、いまでいう研究だけどその人たちの場合は研究ではなくて、何か知恵というか、何かそういうことをしてきているから、何かこういう見え方をしてるんですね。僕にとっては。
[江良]
これは結構、何て言うの、自分にとってこう、そもそもなんで表現してるかみたいなところはあるんだと思うんですけど、何かその、もっとこう、みんな、そこを取り戻してったらいいのに、とか、もっと気づき直していったらいいのにって、いうようなことは思うんですか。
[保良]
不便だっていう言葉を言う人だったりとか、例えば田舎、僕結構都市より、自然が多いところが好きなんですけど、そういう場所にいると不便だっていう方がいたり、何て言うんだろうな、不便という言葉ってのは何かと対比して出てくる言葉じゃないですか、便利ももちろんそうですけど。で、とはいえ多分そこで生きていけるだけのものって、通常あるんですよ。で、食べるものも、もちろん見分けがつかないとわからないですけど、季節によってはたくさんあって。なんかそれを、知ってるか知ってないか。見つけれるか見つけれないか。何かそこかなって。なんかそれを知ると世界って意外と、自分たちがその中に内在してるってことに気づけて。すごく美しいものだなってまた思えるんですよね。ここに、この瞬間に立ち会えること自体に。
[江良]
うん。そういう意味だとやっぱり、都市だと、そういう余白というか、都市で歩いて、食べ物を見つけるのって、やっぱとかね、何かそういうのを見つけるのって、やっぱ難しいですよね。
[保良]
そうっすよね。で、何か、かといって僕は都市がすごい駄目かとも、思ってはいないですけど、何か、どういうふうに、こういう些細な交換関係というか、が行われているかを見ていくか、見ていけるかみたいなのが、なんかそれができると、みんな何かそういうのを少しでも考えれると、例えば自分がどういうことに作用しているのかっていうのに、多分転換できるので、なんかそれがなんていうんだろうな、僕は別に何か、こうなってほしいとかっていうので作品を作ってるわけではなくて、循環の中というか、いろんなものの中に人間がいる、っていうふうに感じてもらえたらいいな、みたいなところが大きいですね。
[江良]
でもそれはそうですよね。畑とかももちろん。畑の方が、今回の二つの作品とわかりやすくそうだけども、やっぱりあっちの「fruiting body」ってその岩塩とか、いろんなものの、こうまた時間軸が、尺が全然違う作品の中でも、やっぱりこう、何だろう、ちょっと言い方あってるかわかんないけど、なんかぽっと自分が孤独になるというか、やっぱ都市とかだとね、やっぱまぁ人間が作った、人間のこう、もう見た目も仕組みも、全部自分たちが作ったものの中に、人間がね、だからある程度頭で計算できて、こうなったらこうなるみたいな常識みたいなものもあるけれども、やっぱりああいうこう、岩塩のこの、2億何千万年とか、そういうようなところの中にぽっとこう行くと、やっぱりそことね、自分たちはやっぱり繋がってないというかね、そういうこうふと不安になるようなこととかも、なんかあの作品はすごい、あった、ありましたよね。そういうこう、なんだ、いやでも本当に、何かね、でも本当に、人のどうなんでしょうね、なんかこう人が。
[保良]
なんか「fruiting body」で言えば、今回、鑑賞者の入場制限をすごい入れたり
[江良]
人数制限されてましたよね。
[保良]
あとスマートフォンでの撮影を禁止にしてるんですよ。で、ちょうど江良さんが今言われたような、スマホで何か取るみたいなのが当たり前、になっていって、みんなすぐ何か気になったらとるんですけど、これって、もう自分の目ではなくて、記憶に残る、脳ではなくて、外部記憶に残す、みたいな。やっぱり、今現代的な、多分行為の一つだと思っている。
[江良]
そうですね。写真をちゃんとシェアして、何かそこの承認欲求とか、何か、いろんなコミュニケーション上の何とかとか、そういう行為ですよね。なんかこうね、うん。
[保良]
それを禁止、というか駄目ですよってしたときに、やっぱ肉眼でしっかり見てもらうこと、自分の中で置いといてもらう、ということを大切にしたんですよ。で、今言われたように、自分がどことも繋がっていない、本当に電波とかね、切ってくださいとか言われたら、多分外と繋がりがなくなるんです。でも実際は繋がっていて。なんかその、ネット的なというか、電波的な繋がりではなくて、もっと地を這うような繋がりっていうところをもう一度見てほしいなっていうふうに思ったんで、あえてそういうふうなことにはしてはいるんですけど。でも何か、話はすごい変わっちゃうんですけど。
[江良]
どうぞ
[保良]
僕がフランスにいたときとかに、お世話になってた、僕はフランスのパリの学校にいたんですけど、パリから1時間ほど離れた、郊外に住んでたんですよ。そこは、知り合いのフランス人の方と、日本人のご夫婦のお家で、彼らは庭が、大きな庭がついてるお家が住んでて、庭ではリンゴがあったり、さくらんぼがあったりとかいろんなものができるんですけど、旦那さんが鳥が大好きで、鳥のための庭を作るひとだったんですよ。鳥が好きな花を植えたり、鳥が食べれるもの、いわゆるリンゴもそうですけど、なんで、もちろん農薬だったり、鳥に悪いことは絶対しないし、食べれるものも取れるけど、鳥が食べた後に、僕たちは食べます。
[江良]
結構すごいすごい徹底されてますね。
[保良]
こんなに、何百キロみたいな量のリンゴが取れるんで、人間は食べて大丈夫ですよ、みたいな、ていう風な方で、何か、発想とか、僕は元々こういう考え方をしたときに、その方にそこを知って出会ったじゃなくて、その2人の家に住まわさせてもらって、たまたまおやって思って、
[江良]
あれみたいな、
[保良]
これはなかなか面白いぞと思って。冬になると食べ物がないから、ひまわりの種を買ってきて、窓辺において、旦那さんはもうご飯食べながら、双眼鏡覗いて、あの鳥達は、みたいな。
[江良]
いいですね。
[保良]
すごい、すごい忙しく働いてるんすけど、ずっと動いてて、草を刈ったり、なんかしたり、鳥のための花を植えたりとか、木をまた新しく植えたりとか、この人もすごいなと思って。でかといえばなんか、僕は日本食レストランのところで、皿洗いとかいろんな調理のことを教えてもらってたんすけど、その日本人シェフは、フランスがすごい長い方なんですけど、その人はいわゆる自分がレストランで調理して出たくずとかを、ミミズコンポスト、フランス今どんどんミミズコンポストを家庭内普及させようとしたんですけど、フランスの地区、の中には、そのパッタージュと言われる、みんながシェアして使える畑ってのが存在するんですよ、公園の横。
[江良]
なんていう
[保良]
パッタージュ(jardin partagéの事)だったかな。
[江良]
コミュニティファームみたいなとこですね。
[保良]
そうですね。で登録した人が使えるんですけど、その中にコンポスト、大きなコンポストがあって、そこに野菜くずを持ってって、掘り返して、でもやっぱフランス人っていうのかな、なんていうのかな、フランス人がそうだというのがすごい変な話ですけど、それをきちんと管理ができていないから、その、絶対分解できないだろう、みたいなのが中から出てきたり、いわゆる人工的なものですね、
[江良]
プラスチックとか、
[保良]
とかが出てきて、そしたら取り除いたり、あと畑は結構適当だったりするんで、何かそういう雑に作られているものもあったりとかして、でも地区によってすごい、もうバラみたいな、いろいろあるんすけど、彼は何かそこの一部、お店の近くのところに元々住んでたので、そこのパッタージュのところに、自分が、自分のレストランに出た野菜くずだとかを持ってって入れて、今だとレストランの後ろに、そのミミズコンポストを置いて、それでミミズに食べさせた肥料とかを、近くの植木鉢に入れたりとか、あとはそのパッタージュのとか持ってたりとかして、種とかも自分で採取して、
[江良]
自家採種すごいですね。
[保良]
その人も似てはいるんすけど、食べるために育てるんじゃないですよね。これらが生食するための環境を作る人なので、街路樹あるじゃないすか。街路樹とか、あとはその公園、公園というか、ちょっとした花壇、みたいなゲリラ的に種蒔く人で自分がいつも歩いてくる道のところにそうやって、撒いていって、それがあそこの土だったらちょっと出たとか。
[江良]
そう、でも、それでも歓迎されるんですか?地域では。歓迎されるんだろうね。
[保良]
いや、なんか、結局そういうことをやってる人結構いるらしくて、その界隈では。あそこなんかできてて、いわゆるそろそろ取れそうだってなったら、次のタイミングは取られてるんですって。だからやっぱそれを見てる人はちゃんといて、でそろそろ食べどきだから採るみたいな。
[江良]
でもさっきのね、今回石巻でも、そのさっき、南浜で、作品のところで、そういうご兄弟との邂逅があったっていうのもありましたけど、やっぱそういう世界って何かこう、何か人と人、何か生きるものを育てていくとか、この前の前の回でパーマカルチャーデザイナーの四井さんっていう人に話を聞いてるんですけど、彼は一つ何か哲学みたいなのがあって、やっぱ人が生きるっていうことは、やっぱり命ってこう、命を命を集めてくるっていう原理があるみたいな、それで例えば何て言うの、エントロピーの法則みたいなことも全部含めてですけど、何か畑とかってこう、やっぱ人間が人間がいて、土があって微生物が出てきて、植物ができてきて、最後人が集まってきてみたいなことで言うと、なんか人と人をとか、命みたいなものも含めて繋いでいきやすい何かこう性質を持ってますよね。だし、土はやっぱり今やっぱり分解とかね、そういう単純に循環、物理的にいろいろ循環させるようなメディアっていうとちょっとあれですけども、媒体でもありますよね。なんかそういう繋がりみたいなものって、それはでも、フランスの郊外だと結構一般的な、一般的という、あるよねっていう話ですね。
[保良]
そうですね。僕はちょっと、たまたま特殊な人たちに。
[江良]
だったのかもしれませんし。
[保良]
ただコンポストに対する考え方だったりとかは、あの日本とは本当に比べ物にならないその、状況ですね。自分たちが出したものを、どうやって自然に返すか。でも西洋的な考え方なんで、もちろんあれですけど。
[江良]
でもフランスの場合は、そのゴミを収集したら、日本とかみたいに、燃やすんですか、埋め立てるんですか、燃やすのかな、やっぱね。
[保良]
生ゴミのほうは、今生ゴミ専用のゴミ箱があるんですよ。
[江良]
それ、行政というか、ゴミ収集的に。それはもう集めていって?
[保良]
僕ちょっとそこが追えてないんですけど、この間パリの、今年ですかね、行ったときに知り合いの家にステイしてたら、生ゴミ今、こうやってやるんだよねって、あ、じゃあ何かこれは何かに還元、還元されてんだろうなみたいな。
[江良]
でも本当に、あのね生ゴミ、コンポストにするだけで、ゴミ半分とか?うち5人家族なんで、やっぱ生ゴミ多いんで、コンポストとかするだけで、本当ゴミの袋の数が二つが一つになるとか、そういう世界になりますよね。
[保良]
そうっすね。
[江良]
やっぱ水分じゃないすか。東京の場合はもちろん全部燃やすんですけども。なんかね、水分燃やすのやっぱり無駄なエネルギーですからね。
[保良]
そうですね。
[江良]
そもそもやっぱりいろいろミネラルとかね、1回こう果実として、とかで集まったものを、また灰に戻していくっていうのも、何かプロセスとして本当にもったいないっていうのがありますよね。
[保良]
何かそこに対してどう、それこそ人間が、今回の、「This ground is still alive」もそうだけど、見たときに、たべもの、たべない、勿体ないって、繋げられますよね。で、これって人間的視点で、人間以外が食べてるわけで、その腐っていくことの工程の中で、その腐るっていうこと自体に対するネガティブなことがあるんですけど、でも畑の中で腐っていくっていうのは他の微生物がそこでいるわけで、種が落ちる、果実が下に落ちればその中でまた違う者たちがそれを食べていくわけで。まあ鳥がつつけば、その種が違うとこに持ってこられるし、何かそういう考え方と多分直結しているはずなんすよね。だから家庭内、家庭のゴミとかも、ゴミって考えるのか、それがまた違うものたちの餌のか、それをシェアして、僕たちは生きていくのか、単純に人間世界のゴミは、ゴミとして捉えていくのか、何かそこの考え方もあるのかなというふうには、思いますけどね。
[江良]
そうですね。本当に、本当ゴミは、実は結構ね人間の視点のゴミだけども、実はこう視点変えると本当に資源というかね。それは本当に、あのこれから本当にそうなっていくでしょうね。そうなってほしいということも含めてですね。
[保良]
ただそこには、多分大規模農業で、基準に満たすためには、いろんなものが使われているので、食べ物自体も。
[江良]
あそれは、農薬とかということですか?
[保良]
そうですね。うん。これが、また土壌に返していくと、その密度が上がっていっちゃって、そこの問題とまた今度はね、次のことが考えられると、対話していかないといけなくなってくるので、そもそもどうしていくのか、みたいなところにもあたって、人間にも地球にも負荷が少ないものが、生まれるようになるといいなとは思っておりますけど。
[江良]
そうですね。
[江良]
ちょっとあと、僕一つあの質問したかったことがあったんですけど。さっきのプロフィールの中で出てきましたけど、そもそも存在を存在として認めることを制作の目的、動機というかモチベーションみたいなことですよね。存在を存在として認めるっていうのは、なんとなく今多分皆さん保良さんがどういうようなかたで、何かどういうこう視点でとか、ある程度こう共有できたという中でいうと、どういうこう、ことなんでしょうか?
[保良]
さっきも、少し話をしたんですけど、自分が障害を持ってうまれてきたことって、結構なんか、人間として欠落しているっていうふうな捉え方もできて、自分の存在意義ってどこにあるんだろうっていうところを結構考える時期が多かったんですよね。
[江良]
それは結構でもやっぱり、小さい頃からずうっとやっぱりそういうのが。
[保良]
そうですね。先天性なので、いわゆる自分の自我が出る前っていうのは特に、何にも思わないんですけど、あるタイミングでそれに気づいて、そこからの葛藤というのが、ずっと続くんですけど。やはり、自分の存在意義って何なんだって考えたときに、結構いろんなものと比べてくるとか、そこが割とベースなんですけど。で存在を存在として認めると、結局のところ自分の存在って何なんだっていうところをもう1回考え直すために、やっていることももう一つあるんですけど。それとともに、さっきも話をした、結局今僕たちの周りにあるものってなんで存在してるんだろうっていうふうに、考えるんですよね。そこと繋がってっていって。
[江良]
自分はこうでこうだけども、じゃここにある、それこそ微生物からこの人から何から、それは相対的な視点で見ていくような、視点が出て、できてきて、できちゃうっていうか、そういう視点になってくるということね。
[保良]
そうですね。
[保良]
要はなんかやっぱ、当たり前のようにですね、いるものってのは存在として認められてなかったりとかするんですよね。例えば機械とかって、もちろん生命じゃないって言われるかもしれないけど、でも彼らがいなかったらできないことって意外とたくさんあったりとか、するので、ただそれって、いわゆる機心っていう、機械の心をちゃんと、何か考えないといけないだろうし。その、そこと対話しないと、やはり機械に操られてる人間なのか、機械と対話というか、なんですかね、機械と共同して何か教えるのかっていうのは、また別の話だと思うんですよね。何かそれが無生物もそうだと思うし、テクノロジーもそうだし、今後どんどんどんどん、僕たちの周りではいろんなものが生まれてくる。でそこに対して、果たして人間ってどういうことができたんだろうとか、人間の立ち位置って何なんだろうといったことだったり、あとはその微生物の働きがどういうことだったりとかっていうことをちゃんと認めていかないと、自分たちの立ち位置っていうのは、わかんなくなってくるのかなというふうには思ってきていて、何かそこですね。
[江良]
いや僕もすごい共感できますね。なんかやっぱり、いろいろそういうふうに、僕たちはいわゆる顔が見えるみたいなことすごい、やっぱ大事にしてるというか。隣にいる人とかもそうだし、もし隣にその機械とか、そういうことも無生物と生物も関係なく、やっぱり本当さっきから便利みたいなキーワードが出てきてますけども、便利に便利に、何かそういう機能として、何か一つのファンクションとして、その対話せずに、向き合わずに、ある意味自分の論理でこう組み上がっちゃうと、やっぱりもう本当にもう、この人の世界この人の世界この人の世界っていうのは、本当並行したパラレルなもので、同じ世界に生きてるのに、になってきちゃって。結局、何かちゃんと一つの世界を、みんなでシェアしていこうってさっきの保良さん言った全部があって、その中に人間がいてとか、自分がいてみたいな、そういうホールネス(wholeness)みたいなものが、なくなっちゃいますよね。もう完全に自分の中で完結できちゃうというか、お金があれば完結できなくないよね。それがやっぱり、危ないんだと思うんですよね。危ないし、本当に環境問題は何だとかいうときに、やっぱ戦うのはやっぱそういうところなんだろうなと思うんですよね。だから本当にちょっと全然僕とは、なんだ、もちろんいろんなモチベーションとかいろんなものが違うんですけど。何かそういう顔が見えないとか、何かみんながこう、のっぺらぼうなものみたいなものに囲まれてたりとか、そういうものに対してはもう本当に、何だろう、これからも、何かどんどん何かね、表現を何かしてってもらうと、すごい、ある意味こういう言い方は嫌かもしれないけど、すごい現代、今からの、何か今っぽいというか、そんな気もするんですけど。
[保良]
そうですね、僕の興味の指針というのはまたそういうところにあるので、今後多分少しずつまた変わってはいくとは思いますけど、でも何かそういうことをどうできるか、美術の中で。
[江良]
でもなんか、美術の中でこうやってくっていう中でいうとこう、何か自分の中でもっとこう、こういうことがまだ足りてないとか、もっとこう進化したいとか、もしくは何かこう、何か別の分野のこういうことも何か一緒にやりたいとか、何ていうんですか、美術でできる範囲っていうのはどういうところなのかとかどう思われます。
[保良]
どうですかね。僕そんなにたくさん何か思うことってないです。美術作ってるのって、自分の思ってることの表現するのに、僕は適していて、誤解は結構生むんですけど、いつも僕は展示することに興味がないんですよ。何か自分が見るために作っていたりとかするので、あれなんですけど。ちょうどこのRebornで今回、食と音楽と、ってあったときに
[江良]
すごい、いろんなイベントにね、いろんな場所に保良さん出没していただいてたよね。
[保良]
食はすごい興味が元々ある。消費する、対象、消費というか人間がすぐ、なんですかね、取り込める、食べれるっていうことってすごく本当はクリエイトなことだもっとクリエイティブなことだと思いますし、それは身体と作用してくることだと思うので、食べたものが体の一部になるし、それって髪の毛の先端だったり爪の先端だったりいろんなとこに肌のことだったりとかってそれを食べることで変わってくるわけだから。それが実際何と繋がってんだろうとか。感覚的なとこですよね。で、みんな何か説明を、最近求めたがる、がありすぎる。正解があるかどうかなんて、誰にもわからないのに、これはどういうことなんですかって自分が感じる前に、何か言語に落としたがるんですよねって僕は思っていて、なんかそうじゃないところに、もう一回誘えるのって、美術のあれだと思っていて。だから、感覚的に感じるみたいなことって、すごく大事だなって改めて思っていて。
[江良]
そうですね。
[保良]
漠然的に、ああ美しいとか、何か、何かそこがもっとできると、小難しいことっての多分いっぱいあるんですけど、でも単純に美しいから美しいと言えるような、何かいい、何かいいけど、何かわかんないって、なんかすごいいい言葉と僕は思っていて。なんかそこを結構目指したりはしますけど。
[江良]
でも本当にこう、なんだろうね。言葉で説明されて、その日本語の文脈をね、理解したところで、それこそ本当悪い意味で消費されて終わっちゃったりとかしますからね。でも本当に絶対的っていうとあれかもしれないけど、もうそこに美しいものとか、ここに感じられるものが、感じられるものってあるもの絶対的なものなんでね、その人にとってってこともありますけれども。やっぱり、アートができることってのは、やっぱりそういうことですよね。やっぱ、それでもやっぱりそういう強いですよね。なんかこう。
[保良]
その五感、ないしは六感ていうものに対して、全方位に直撃バーンってできるようなものがあると面白いと思いますし。でも今回のこのRebornの座組っていうのは、多分そのいろんなところから、本当はアタックされるから、美術だったりとか、食だったり、音楽だったり、とかってあれ五感に作用することがたくさんあるので。なんで僕はいろんなとこに出没しているっていうのは、多分そういう、いろんなところっていうか、いろんなフィルターからアタックしてみたらどうなるんだろうみたいなところも。
[江良]
ある意味Rebornのこともよく、保良さんなりに見ていただいて、何かある意味、面白く利用していただけたと。そういう意味だとすごいあの、でも今回本当楽しかったですよね。こんなにあのアートチームと食のチームが混ざるっていうのは過去なかったことなんで、やっぱり和多利さんたちと、今回のねフードディレクターたちが、やっぱり長い時間を経て、そこがそもそも仲良くなったみたいなこともあるし。保良さんなんか本当象徴的でしたよね。なんか畑っていう作品があったからってのがきっかけだったんでしょうけど。本当に。
[保良]
この後も荻浜(*注:食の拠点”はまさいさい”がある浜の名前)の清掃に顔出して、ちょっと手伝うんですけど。僕は僕をアーティスト然としては思ってなくて、やっぱ今回この中の一部に入れてもらえたので、自分がどう、なんていうのかな、自分の中で楽しめたら一番いいし、それがもちろんね、迷惑だと思われない程度に、何もできないんで、ただ行ってワーワー言ってるだけだから。
[江良]
いや、でも喜ぶでしょう、はまさいさいチームが。
[保良]
そんな感じなんで。あとはもうちょっと、音楽と何かできたら、自分にはないフィールドなんで、音楽っていうこと自体が、なんでそこは興味はありますけどね。
[江良]
でもクロージングの前の日か、クロージングの前の日にね、「fruiting body」の会場でパフォーマンスをされてたけど、まやっぱりああいうね、時間軸で、あれ30分のパフォーマンスの中で、保良さんがその光と、まあ、あの、あの音は何なんだ、このカチっていうのは、何かこうクリック音、音を使って、その時間みたいなものとかを、こういろいろ表現されてたけど、パフォーマンスされたんですけど。ねなんかああいう舞台とかパフォーマンスみたいのも、もっと何かいろいろできるかもしれないですね。
[保良]
そうっすね、今一番興味のあるところはそこなので、多分今後何かしら展開をしていくとは思うんですけど。自分の中で今回初めてパフォーマンスを、ずっと構想がある中で行って、こっからどう、考えていくか、どうやってあと、パフォーマンスの場合って結構即興性だったりとか、あとはさっき話したものと別なんすよね。自分の中で成立しないことがたくさんある。いろいろ他の人との共同性だったりとかっていうのは、その場でやっていかないといけないので、通常僕は作品と対話というか、その物と対話をずっとしてきたので、今度は人との対話になってくるんですよね。そこにあの内在してるものがあったりするので。ここがどうできるかなというのは、今ちょっと楽しみになっている部分ですね。
[江良]
うん。いやでもまたね、そういう相対的に世界とか、こう物とかを見るのとまたね、人とね、向き合っていくっていうのは、どっちも深い話です。でも本当にでも、そういう改めてね、保良さんと、それは作品を見た人もそうだし、多分スタッフとか、僕たちも含めてそうだけど、今回は保良さんの何かその世界というか、保良さんって人だよね、保良さんという存在と関わることで、なんかみんなそういうことを思えたんだと思いますね。本当に。いや本当に2ヶ月も滞在していただいて、本当に楽しかったからよかったですけどね。
[保良]
楽しかったですね。
[江良]
本当ありがとうございました。
[保良]
ありがとうございました。
[江良]
ぜひこれからの、また次は何かいろいろ仕込んでるんですか。
[保良]
いやもう、このあと展示入れてなくて。リサーチにまた戻りますね。僕、基本的には点々とリサーチをしていて、今月は北海道のほうの、また変わった人なんで、話をすると長くなっちゃうんですけど、一応アイヌの人が、旭川でご飯を作っていて、そこのところによく顔を出しに行って、で一緒に山に入って、山菜を採るんですけど、そういうところに行ってリサーチっていうリサーチじゃないですけど、ただ一緒に協働するとかっていうことで、またそこに行ったりとかしますね。
[江良]
いやでもなんか、楽しそうですね。
[保良]
そこは楽しいっすね。なんていうか、狂ってます。
[江良]
ちょっとじゃ次回というか、また別の機会に。
[保良]
そうですね。
[江良]
お酒飲みながらでも、聞かせてください、お話を。
[保良]
ありがとうございます。
[江良]
すいません、今日は保良雄さんにお話がございました。はいどうもありがとうございました。
[保良]
ありがとうございました。
写真: 齋藤太一
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