#012: 林厚見さん: 株式会社スピーク共同代表 /「東京R不動産」ディレクター: コレクティブ、コーポラティブなデベロップメントの主導権、楽しい高齢化社会とサヨナラライブ



林厚見
株式会社スピーク共同代表 / 「東京R不動産」ディレクター。不動産サイト「東京R不動産」、リノベーション素材のEC/メーカー「toolbox」のマネジメントのほか、建築・不動産・地域等の開発・再生や新規事業のプロデュースを行う。東京大学工学部建築学科(建築意匠専攻)、コロンビア大学建築大学院不動産開発科修了。経営戦略コンサルティング会社マッキンゼー& カンパニー、国内の不動産 ディベロッパーを経て2004年より現職。
Facebook: @atsumi884


Key Words: 


エピソードを読む:
[中馬]
はいそれでは、明けましておめでとうございます。

[江良]
おめでとうございます。

[林]
おめでとうございます。

[中馬]
2023年1回目ということで、本日は林厚見さんのオフィスにお伺いしてお話を聞いております。

[江良]
はい、よろしくお願いします。

[中馬]
聞き手は、私、中馬剛仁と

[江良]
江良慶介でお送りいたします。

[中馬]
はい。よろしくお願いいたします。

[江良]
お願いいたします。いやでも、23年明けましたね。

[中馬]
明けましたね。

[江良]
今日はあの、ちょっとお屠蘇セットがありますので、ちょっとこれをあのかたちだけでも折角用意したんで、ちょっとこれはあの

[中馬]
素敵ですね。

[江良]
でも年少(の人)から飲むってWebから書いてあるのと、年長(の人)から飲むって書いてあるのと、二つあったんですけど

[中馬]
ありがとうございます。

[江良]
どっちが正しいのかあれですけど、じゃあ乾杯。

[中馬]
乾杯

[江良]
じゃちょっと、お屠蘇って何かあのハーブみたいだね、これね。なんかハーブの、ティーパックみたいなものを一晩浸ける方式でこの、高野山開運お屠蘇というのを使ったんですけど、Amazonで300円で買ったんですけど 笑

[中馬]
値段まで

[江良]
はい

[中馬]
すごい正月感ありますね。はい。ということで今日は林さんのオフィスにお伺いしてお話を聞いているんですけども。このオフィスは何か元々学校か何かですか。

[林]
そうですね元々何年ぐらいかな、多分50年とかそのぐらいだと思うんですけど、最初はここは教会の敷地で、聖書の学校というか、そういう学校としての校舎で使われて、その後、何か子役の演劇学校みたいになって、それで2年半ぐらい前に空いてたのを見つけて我々が入ったと。


[江良]
僕最初にお邪魔したときにも言ったんですけど、この窓から見えるこのマンションの7階で、小学校のときピアノ教室に通ってたぐらい。

[中馬]
確かに言われて思い出しましたけど 笑

[江良]
めちゃくちゃ地元で今日も寝巻きできちゃってすいませんみたいな 笑

[中馬]
すごいですね寝巻き、

[江良]
すいません、本当にいやでも本当にね。すごい僕にとっても、はい、思い出深い場所なんです。

[林]
結構いろんな人が実は目白に住んでたとか、この近くとか言う人意外と多いんですよ、なんかマイナーに聞こえるじゃないすか、目黒ばっかりじゃないすか。

[江良]
そうですね。

[林]
イメージとしてはだけど、何気にね結構いろんな人いますよね、目白。いいし落ちついていて。

[中馬]
でもここにここを選んだ理由って何かあるんですか。

[林]
前、原宿、神宮前とか

[中馬]
お伺いしたことあります、はい。

[林]
ちょっといろいろ分散したりして狭くなってきて、一緒になれるとこ探そうかってなって、我々営業部隊、不動産の営業部隊みたいなあるから、割とアクセスが山手線から徒歩やっぱりいいよねみたいなことがあって、北は目白が最北、南は大崎なのかみたいな、なんとなくの話があり、で、ガッツリひろ広めにここ300坪ぐらいあるんですけど、広めのスペースで家賃も安く我々になんとなく雰囲気的にフィットするようなものを探していたら、いい感じのものがあった。

[江良]
なるほど、でも建物がねなんかいい感じだし、1階にtoolboxのね、ショールームもありますけれどもあれだけやっぱりこれだけスペースがあってね、素敵ですよね。

[中馬]
必要ですよね。あれだけの細かいものがたくさん綺麗に陳列されてるっていうのは圧巻です。はい、ということでここからちょっと林厚見さんのプロフィールを紹介したいと思うんですけども、その前に今日僕と江良さんで今お話を聞いてるんですが、お互いの林さんとの関係性みたいなところを先にちょっとね、説明した上で入っていこうかなと思ってますが、よろしいですか。林さん、

[林]
はい。 笑

[江良]
なんか話しちゃまずいことでもあるんじゃ

[中馬]
ないんですよ、むしろいいことばかりです。あの僕は林さんと初めてお会いしたのは、共通の知人である春日井潤くんという男性がいて。

[江良]
ヒグマドーナッツの

[中馬]
そうですね。ヒグマドーナッツのオーナーがいるんですけども、その彼がやっている花見で初めてお会いしたのがおそらく10年以上前のだったかと思うんですけども、そこからいろいろ本当に仕事でのアドバイスをいただきに行ったりですとか、恋人のお話をしたりですとか 笑

[江良]
そんなどんな関係性なんですか、それは 笑

[中馬]
恋人についてのいろんなアドバイスをいただきながら、最終的に

[中馬]
花見もあれなんですね、別に一緒に花見に行ったわけじゃなくて、なんかほぼ何か近くに

[林]
そこで偶然あった

[林]
偶然なんか潤くんが乱入したみたいな、そんな

[中馬]
まあそんな感じでしたね。

[林]
共通の知り合いがたまたまいて、結果ちょっと合流したりして、その恋人の話は僕中馬くんの結婚の仲人みたいな感じに結果なったんですね。そういう関係です。

[中馬]
公私共々お世話になってい続けている

[江良]
無茶苦茶お世話になっているじゃないか 笑

[中馬]
そうなんです。お世話になりっぱなしなんで、必ずいつか恩返しをしたいと、思っております。

[江良]
僕はね中馬くんからご紹介していただいたんで、そのときにいろいろ僕仕事のことで相談したいことがあってね、紹介してもらったんだけども、ちょっと僕、ぜひあの今日林さんに会ったら、これは聞きたいこと、三つ、僕が三つ質問あるんですけど。そのうちの一番聞きたいところの一つが、やっぱりその時エコビレッジとかねそのとき世界のいろんなエコビレッジのディレクトリーがあってとか、あと映画もあれだよねリトルビックファーム、紹介いただいて、いろいろまず何か僕が知りたいことに対しての何か記憶のディレクトリーみたいなものがむちゃくちゃあって、で、その後2回目もお会いしたときも、なんかさらにそこがまた強化されて、とにかくこの人知識量半端ないなと思ったんすよね。で、それって多分、すごい普通の人(に比べて)本当本の読む量とか、なんかネットでいろいろ調べてる量とかすごいんだろうし、あと多分ね、そもそもな好奇心がちょっと普通の人とちょっと違うぐらいなんか好奇心量がすごいんじゃないかなみたいなふうに思うんですけど、そんなことないですか。

[林]
どうすかね。いやあ、世の中もっと本当にものすごいいろんなこと知ってる人とかたくさんいるんで、僕は特にそんなにいろんなことを知ってる人ではないはずなんですよ。ただ、多分ね、興味が似ているというか、分野が切り口違うんだけど、立ち位置が違うっていうか。ただ何か視点が近いというか、ていうことはありますよね。だからちょうどその今なんとなく興味を持っているような分野というか、ところが、なんかちょっとかぶりがあって、それで話してるときになんかそれを発見するといろんなものを引っ張ってきて、テーブルに載せまくったりしたんでしょうね。そんな感じだとは思いますけどね。

[江良]
でも新しい情報ってどっから入ってくるんですか。なんかやっぱ調べるんですか、興味検索していくとか

[林]
いやそんなに別に僕、特殊じゃ全然なくて読書量もものすごいわけでもないし、そんなに幅広くもないし、めっちゃなんか映画を月15本見るとか、100本見るとかいろんな人いるけど、全然少ないですし、人に会う量もそんなに多くないですよ。僕陰キャ内向系なので 笑、そんなにいろんな人と会いに行って喋ってっていうのもそんな多い方じゃないけど、ただね、ググってる量は多いんでしょうね。

[江良]
なんか多分でもそうおっしゃいますけど、僕がお会いした中でも、多分トップレベルに

[林]
本当ですか?

[江良]
ちゃんと自分の興味がまずやっぱはっきりしてるって絶対あると思うんですけど、そこに対する何か貪欲な好奇心と執着心みたいな、知識的なね、知識的なそこに対する執着心みたいなのは、この人はすごいな、っていう

[林]
ありがとうございます。

[江良]
感じが勝手ながら僕の印象でした。

[林]
でもね、あれですよ。昔僕はなんかコンサルティング会社みたいなところにいたじゃないですか。よくあの仕事を揶揄する言葉として、ああいう連中は一を聞いて十を理解するようにしてそれを百で喋るとか言われるわけですよ、

[江良]
まあそうでしょうね

[林]
あたかも百知ってるかのようで、実は知ってるのは一なんじゃないかなんて話もあるんで、もしかしたらその喋りで、なんか繋げて、あるテーマを掘っていろいろ情報を得るっていうことだから、一つそれをストーリー化して理解しようとしたり、広げてイメージを持とうとかそういう努力はね、割としてるかもしれないそうかも知れないです。

[江良]
そういう意味で言うとなんかすごいなんて説得されるというか、納得されるとか、、いやでもやっぱ知識いろんなことが多面的に何かDirectory的に整理されて格納されてるから、なんかそれをその整理のね、どのポイントのポイントでこの情報を繋いでるかとかいうことも含めて、やっぱねお話面白いなっていう、僕はそういう印象なんですけどね。

[林]
頑張ります。

[江良]
そんな林さんのプロフィールをね、

[中馬]
そうですね、

[江良]
幼少期から紐解いていくと、これが恒例のコーナー

[中馬]
これは恒例のやつなんで

[江良]
逃げも隠れもできないコーナーでございまして

[中馬]
はい。林厚見さんのプロフィールです。株式会社スピーク共同代表、東京R不動産のディレクター、不動産サイト「東京R不動産」リノベーション素材のECメーカー「toolbox」のマネジメントの他、建築、不動産、地域等の開発再生や新規事業のプロデュースを行っています。東京大学工学部建築学科建築意匠専攻、コロンビア大学建築大学院不動産開発科を修了されて、経営戦略コンサルティング会社マッキンゼーアンドカンパニー、国内の不動産デベロッパーを経て2004年より現職という形のプロフィールになっておりまして

[江良]
すごいプロフィールですね

[中馬]
そうですね、すごいプロフィールなんですよ

[江良]
ぜひ掘っていただいて

[江良]
そうですね、僕ちょっとやっぱりお聞きしたいところでいうとまず東京大学工学部建築学科ということで建築の方に進まれているんですけども。そもそも小さい頃から建築に興味があったんですか、それとも全然そんなこともなく。

[林]
全然違いますね、小さい頃は、全く普通の何かお勉強はまともにするけど、スポーツはそんないまいちの普通の少年で、なんか小説家になりたいとか思ってた子供時代はありましたけど

[中馬]
でも、全然建築ではないですね

[林]
ないですね。大学入るときも考えてなかったです。

[江良]
どんな小説を読んでたんですか?

[林]
いや全然あれですよ、夏目漱石とか。

[江良]
おー。おー、っていうことでも 笑

[中馬]
何が来てもオーって言おうとしてましたよね。

[林]
漫画家になろうと思った瞬間とかも何かあったかもしんないけど、覚えてないけどそんなの子供誰でも思うじゃないですか。野球選手とかサッカー選手と思わなかったけど、それでそのあとはあれです天文学者になりたかったのは中高みたいな。中学かな。星好きみたいな。

[江良]
ずっと埼玉の方のね、山に1人で通われてたっておっしゃってましたよね。

[林]
そういうキャラですよね。

[中馬]
確かどこかキャンプか何かにご一緒させてもらったときに、星めっちゃ詳しかったっすね。

[林]
天文部ですから。 笑

[中馬]
あれはあの星でとか、なんかすごい素敵なんですよ。でもなんで天文部に入ろうと思ったんですか。

[林]
いや別に。何か好きになっただけですけどね。小学校五、六年で、なんかみんな天体望遠鏡欲しいみたいに、なんかなるじゃないですか。僕はだからスポーツ少年になれなくて、文化系みたいな感じだったんで、なぜかそこに惹かれて、中学は割とそこにどっぷり行って、建築はだから本当に大学入ってからですね。

[江良]
大学入って、受かってから、選ぶって感じなんですか?

[江良]
そうです。理系の工学系のジャンルとして入って、何学科いくかそっから選ぶんだけど、1年。

[江良]
他にどういうのがあるんですか。

[林]
何か物理、数学、情報科学、何か材料工学とか理学部何々とか

[江良]
いろいろある中で建築にしようと

[林]
僕は受験とかは理系だったから、物理とかそういうのは得意だったんですけど、大学入ったらもうめちゃくちゃみんな理系のすごい奴みたいのがたくさんいたので、本当に好きそうなんで、なんとかシュレディンガー方程式超面白いねみたいな話とか 笑いや、わかんない 笑

[中馬]
今言われてもわかんないすけどね 笑

[林]
それでちょっとそっちはやっぱきついなと思って、何か青春を謳歌するじゃないすか、大学入ると。楽しくなんか当時チャラチャラするから、それでなんか

[江良]
バブルですよね。

[江良]
そうそうそう、バブルですよ。90年に入って。だからそうすると、なんか文系とか言った方が何かいろんなことできるかもなんて思ったりしたんだけど、それもなと思って悩んでるときに、いとこは、1個下のいとこのちょっと家庭教師みたいなことやってたら、彼が親が建築家だったので彼も芸大の建築学科を受けるっていうことで、そんな話を聞いたりしながら家庭教師しながらそこに置いてある建築の本とか読んでるうちに惹かれていって、でも家族の中では僕が建築なんて言い出すのは恥ずかしいわけですよ。つまりあんた絵心あるの、みたいな。明らかにないってことはもう共有されていたから。

[江良]
笑、なるほど

[林]
そのいとこが建築目指すのは極自然。お母さんもデザイナーだったりとか、お父さんの建築だから、それは自然なんだけど、あなたはどっちかっていうとなんかもう構造とかなんじゃないのみたいな感じで、だけどやっぱりすごい好きになっちゃったんで、もうどっぷり、それで留年して、半分はあえてなんですけど、あの2年の途中ぐらいにこう何ていうの、進学振り分けみたいなやつがあって、それまでの点数、


[江良]
専門を選ぶんですよね、一般教養からね

[林]
それまでの何かテストの点数みたいなやつで、建築学科66点なら入れるみたいな足切りみたいのがあるんだけど、大学入って、なんかヘラヘラしてたんで、あんまり点高くないんだけど、建築はめちゃくちゃそういう点が高いわけじゃなかったんだけど、ギリ落ちる感じで、そうすると1年は余裕ができて、遊べるじゃないすか。だからそこでバイトしてヨーロッパでも旅しようみたいな感じで、積極的に、イエーイみたいな感じで留年をし、1年生にまたちょっともうどんと、戻ると。で結果ね、結構そこで1年落ちるようなやつがその後、有名建築家になったりするんですけど、真面目に理系科目を勉強する人よりもね。そんな感じで、俺も行けんじゃないかみたいな感じで自信満々で建築学科に入ったのは20歳ぐらいとかそんな感じですよ。

[江良]
なるほど。

[中馬]
そこから建築を本格的に学んでいくってことですか?

[林]
どっぷりやってましたね。その頃はね。徹夜してなんか

[江良]
東大の建築といえばね、もうなんか日本のやっぱり総本山ですからね。

[林]
総本山か分かんないけど、何て言うの、60人ぐらいいて、3分の1ぐらいはやっぱりすごいデザインというか、設計っていうのにどっぷりいくメンバーで、いつも学校で止まってるようなのは20人ぐらいいて、あとはね、割とまっとうな、例えばエンジニアになってったりとか、国土交通省に行きますとか、いろんな歴史の研究するとか、いろんな人いるんだけど、僕は何かそのデザイン、設計の世界がやっぱりもう魅惑的だったから、アーキテクトでそれなりの、いっぱしのアーキテクトになるつもりはやっぱり正直、当時はあってゴリゴリ頑張ったんだけど、すぐにその才能のなさを露呈するみたいな。

[江良]
同期が、同期だか、あれなんだか、どなたがいらっしゃるんでしたっけ。

[林]
でもね、有名どころで言うと、留年しなければ同期だったんだけど、留年したから1個上に行ったのは、藤本壮介さんとか、世界的にも第一人者みたいな感じですよね、とかいましたね。

[中馬]
はい、で、そこを卒業されて、で、コロンビア大学の建築大学院不動産開発学科

[林]
あそれね、1回就職した後ですね。

[中馬]
あ、なるほど。1回就職したときは、建築の仕事?

[林]
マッキンゼーってやつです。

[中馬]
あそうかそうか、マッキンゼーに。マッキンゼーに行かれた理由ってのは何なんですか。

[林]
だからあの、一応ねモラトリアム的に大学院まで行ったんですけど、結論先延ばしで。それで、どうも自分は建築の設計というもの自体がものすごい好きというよりは、建築が好きなんだけど、設計がめちゃくちゃ好きというんでもなさそうだし、その才能もまあまあ一流にはなれんなと。であとねあれですね、要するに作品とかアートとしての建築っていうのももちろん好きだし面白いんだけど、周りと比べると僕はなんか普通の街の風景の方が気になっちゃうということに、やっぱり客観的にこう感じるわけですよ。俺はなんか街の風景、なんでこう、なんかつまらんマンションとか、ダサイビルとかがこんなにできちゃうんだろうみたいな。もうちょっと、よくできんじゃないのみたいな、なんでだ、なんでだ、みたいなことが気になっちゃって。その何でかをこう考えるみたいな、大学院生を送っていた感じがあって。その結果として、どうも金の話とか世の中の構造というのはもっとわからないと、何でこうつまらんことになっちゃうのか。その当時は単純に風景としてなんですけど。それでヨーロッパとか、なんかアジアとか、それぞれ旅行すると面白いなと思うわけじゃないですか。で東京、東京は東京で、後になってその面白さってのはいろいろ感じていくんだけど、当時はなんかぐちゃぐちゃだなとか、見にくいなみたいな印象を持ってていたので。それの理由を解明したうえで、何か自分にできることを探そうみたいなことで、そのためには、それが一つですね。その自分のテーマとして、多分日本の街をもうちょっと面白く、あるいは美しくというか、面白くしていくとか、かっこよくしていくとか、みたいなことに自分もこう関われる職能がよくわからないから。その構造を解明することと、その自分の職能がきっと、既存の職能じゃないかもしれないから、そこはね僕結構、なんかね、割とね、ませてたというかね、つまり森ビルとかはあったわけですよ。当時から。だけど自分が森ビルに加担するのもなみたいな、若気の至りでそういう感じだったから、住友不動産に加担するとかないよね、みたいな、まあ生意気だったんで。かといって建築家のアトリエっていうのは、ちょっとうーんってなって、だから自分の職能という、何かプロデューサー的な何かみたいなものがあんのかないのかよくわかんないから、職業を作る、自分なりの職業を設定したり作るみたいなことを、できるようになりたいから、だったら何かビジネスメイクみたいな事業を作ることを考えられるようになりたいみたいなこともちょっとあって、それだったらどうやら、何かそういう会社に行くと、早道らしいみたいな話を先輩たち、なんかいろんな業界の人に聞いたら、そんなことは見えてきたんで、っていう経緯でしたね。

[江良]
それでマッキンゼー行けちゃうのもなかなかですけどね。そんな簡単にいけないですからね。

[中馬]
あの、あれ、いま俺何を聞こうとしたんだっけな。あの、それで、マッキンゼーに行かれてっていう、そこでのお話もお聞きしたいんですけど、当時は無かったんですか、その。

[林]
結構、お屠蘇きますね。笑

[江良]
いやもう、新春なんで。すいません。

[中馬]
静かに皆さん飲みながら

[江良]
ちょっとハーブ酒みたいなね

[中馬]
スパイスがすごいんですよね。

[中馬]
当時、林さんが望んでいるような、仕事、ま今のこのお仕事に繋がっていくんでしょうけど、それはなかったんですか。何か建築というか、そういう設計の仕事とか。

[林]
それはその会社にってこと?

[中馬]
そうですそうです。

[林]
その会社の中にはないですよ全然。

[中馬]
あいやごめんなさい。マッキンゼーではなくって、世の中に。

[林]
いやあの個人レベルで何か、ちょっと面白いなと思う人たちっていうのはちょいちょいいたんですよ。つまり、当時の自分のテーマとしては、いわゆるあの時代なりのデザインみたいな話と、不動産事業みたいなものを、つまりビジネスとして建物を扱う世界と、審美的にとか、アーティスティックにみたいな意味でのデザイン、建築のデザインみたいなものが融合したような仕事というか。そいうものをやっている人は誰なんだろうとか、どんな仕事があるんだろうみたいなことは結構いろいろ観察をしていたので、その頃ね、だからちょうど会社に入って、社会人始めた97年からなんですけど、「ブルータス不動産」みたいなページができたりとかね。つまりねデザイン物件みたいなの走りの時代なんですよ。ちょうど。そうそうブルータスのね巻末にね、1ページ「ブルータス不動産」とかいって、いわゆるコンクリート打ちっ放しの当時のデザイン物件みたいなやつを毎号ね、1物件こう紹介されていて、お問い合わせで二つぐらいね、高木プランニングっていうとこと、リネアってところみたいな、割とそういうのを扱ったりプロデュースしたりしてるとこあって、そこに連絡して内見できるみたいな話になってんだけど、ブームになってたんですよね。なるほどと。そういう何か仕事があんのかと。つまり、何か地主さんに掛け合って、どうせなら普通のアパート屋さんとかじゃなくて、建築家といいものを作れば、将来的にもちゃんと価値が保たれんじゃないかみたいなことをこう提案をして、建築家と一緒にいけてる物件を作り、それを賃貸していくみたいなことをやってる人たちがいるんだなみたいなのをなんか見つけて話を聞きに行ってみたりとか。もうちょっと商業系の世界ってプロデューサーみたいな人いるじゃないすか、商業施設だったりとか。そういう商業プロデューサーみたいな人たち一体何を持って、こうどう動いて何でお金もらってんだろうみたいなことを聞きに行ったりとか、一方で不動産屋の現場、不動産会社Developerみたいな、三井不動産とか、そういうところの人っていうのは、一体どんな世界なのかとか、やっぱりあの仕事当時忙しかったけど、隙間を見てね、ヒアリングキャラバンをやってたんですよね。

[中馬]
個人的に。

[林]
そういう人たちはね、個人としては自分がおおっと思うような、昔でいうとそのファッション業界とか、エコロジーとも繋がってるけど、浜野安宏さんとかいたじゃないですか。ああいう人って僕にとってもやっぱりすごい影響を受けたりしたし、安藤忠雄さんの弟さんの、北山孝雄さんとか、あの辺の往年のプロデューサーみたいな人たちにも会いに行ったりとかしましたけど、それはやっぱあの頃、自分にとってのキャリア的な意味ではレファレンスだって感じですよね。

[江良]
なるほどね。

[中馬]
それはマッキンゼーにいながらやられてた。

[林]
やられて、やってたっていうか、時々そういうのを調べては、なんか見に行ったり会いに行ったり、話聞いたり。

[中馬]
なるほど。マッキンゼーの中では何をされてたんですか?

[林]
それはもうあれですよ。もう全然、今の仕事とかとは関係なくて、モバイルキャリアのデータ通信事業戦略を作っていくとか、なんか石油会社のサービスオペレーション作戦を作るとか、ショッピングモール会社の人事システムデザインをするとか。

[中馬]
全然違いますね。

[林]
あらゆる大企業の、大企業の金儲けの応援をする仕事ですからね。

[中馬]
でもそこにも、そういう、何かそういう意味での学びみたいのがやっぱ。

[林]
そりゃありますよ。いやだから自分の中では、とにかくその建築学科の世界っていうのは、いわゆるアートとしての建築の文脈が中心なので、面白いんだけど、ものすごく面白いし、そのクリエイティビティの源泉として、そういう大事なことを経験できるんだけれど、社会的に視野が広いみたいな感じの空気ではないから、経済のこととか世の中の世知辛さみたいなことっていうのは直面しないじゃないですか。で、真逆のあのキャピタリズムという、どうもあのタワマンとか作りまくる、なんか力学のあっち側を敵陣視察しに行こうっていう感じで行ったので、全然そのなんていうの、全く自分のやりたいこととストライクかどうかとかっていうのはその次でいいやっていう感じだったから。

[0:28:10 - 0:29:06]
ま、苦しかったけど、そうするとね、自分の中に完全に化学反応が起こるわけですよ。もう要するに、こっち側からか、あっち側、みたいなやつを両側から見れば、やっぱものって、見え方が全く変わるし、立体的に見えてくるから、どんどん何か、そういうこう何か、大企業の経営戦略とか何とかいうやつをいろいろ学んで、考えたりとか、そのためのリサーチをしたりとか、なんかやって、これ何なんだ一体みたいなことも、自分の中でいろいろ葛藤も最初はあったんだけど、意外となんだこっちの世界、有りじゃんというか、自分の中でだんだん、ほうほうと、こうやって世の中進化してきたのかみたいなこととか、仕事ってこうやって生まれていくのかとか、なるほど、っていうことはじゃあ自分の思うその街の風景の話っていうのも、反逆の仕方っていうのはこういうこととか、ああいうとことか、あっちからやればいいとかってのはどんどんアイディアに繋がるんですよ。そういう意味ではその学びだらけでしたね。

[中馬]
なるほど。で、その後にコロンビア大学の建築大学院不動産開発科に行かれる、ということなんですね。

[林]
そうです。

[中馬]
マッキンゼーの後に。

[林]
はい、宇多田ヒカルと同期。

[江良]
マジで。

[林]
向こうはアンダーグラッドなんですけど。僕はあのおじさんコースですね。

[江良]
会ったこと、あるんですか。

[林]
ありましたよ。

[江良]
本当に。

[林]
友達にはなれなかった。笑

[江良]
またそこで大学院に行くっていうのもねマッキンゼーだからね当然それなりに

[林]
それはね結構ね、ありがちななんですよ会社の中では。みんなMBAとか行くんだけど、僕はなんかMBAとかやっぱちょっとある意味修行のつもりだったんで、3年半とか働いてもうヘトヘトになったりもするし。大体3年ぐらいでみんな、次のステージに行く人が多いんだけど僕は学生の頃ニューヨークに行ったときに、もう俺は20代のうちに絶対ニューヨークに一度は住むとかって何か決めてて、チャンスはその28のときで、ここで行くしかないよねっていうんで、それでやっぱり行っっても和食屋で皿洗いするのもあれだし、仕事するって言ってもなかなか英語もあんまだったしっていうんで、留学とかはありだなと思って最初は都市計画みたいなのを調べたんだけど、都市計画っていうのはいわゆる、なんていうの、ルールを作る側の目線なわけですよ。つまり役所側の目線なんですよ。で、それもそれで大事なことなんだけども、自分としてはもうちょっとなんか当時はチャラチャラしてて、プロデューサーみたいなこと、みたいなテーマを決めてて、それは建築デザインスクールに行っちゃうとそれはもう昔やってたやつだし、見てたらリアルエステートデベロップメントプログラムマスターコースみたいなやつがあって、Real Estate、不動産だよなと思って、そこで、でも初めて、そのさっきの雑誌の不動産ページでもちょっと自分に影響はあったかもしれないけど、初めて中身見たら「これじゃん」と思って、コンセプトメイキング、資金調達、建築のプランニング、マーケティング、法規への対応、とかそういう、要するに不動産開発とか都市開発を仕掛けるディベロッパー基礎講座みたいなね。「俺なんかこれじゃん」と思って、それニューヨークだったら、当時はチェルシーとか、ソーホーとかがまだゲリラ的な動きが残ってた時代で、倉庫とかをいじって、みたいなホテルになってとか、そういうのもチラチラとやっぱあったから、何かそういうことって実はこの辺か、あ、不動産ね、これにしようみたいな感じで行ったんですよ。

[中馬]
なるほど

[林]
そんときに向こうにいた同級生的に向こうにいたのがライゾマの斉藤精一くんとか、あと1個下で豊田啓介くんが入ってきたりとかっていうのは、でもその2人はアーキテクチャルデザインっていうクールなね、コンピューテーショナルデザインをやってる、三階か二階にいるんだけど、不動産はちょっと地味な感じで地下に。

[中馬]
地下に 笑。階層が違うんですけど。地下って言われると地味。

[林]
インターンはトランプオーガニゼーションからインターン募集きてます。笑

[江良]
それ行ったら、今なれば相当ネタとしてはでかいですけどね。

[中馬]
そこでそういった、そのあたりの手法を学ぶってことですか。

[林]
そうですね。

[中馬]
で、日本に帰ってきて

[林]
そうだから、なんか半分金融ファンドとかね、投資家みたいなそういうのは建物をどういうふうに扱っていくのかみたいな、まったくもってその建築デザインの世界とは違う角度であり、分野が違うっちゃ違うんだけど、でも繋がってるんで、その辺の理屈というか仕事が一通り何か頭で学べると。で、あと結構ね、その向こうのイケてるディベロッパー兄さんみたいな人がレクチャーに来たりするんですよ。俺はここのチェルシーが何も倉庫しかなくて、ちょっとギャラリーができ始めた頃に買ったんだみたいな。それでがっつりリノベーションして、まずはレストラン、バーにしたとか言って。毎晩毎晩それは楽しかったぜ、みたいな話をして。 笑で、それをやがて、価値が上がってきたときに、ストリートにもう一つ、もう一つと、仕掛けていくとストリートのバリューが上がるんだよ、とかっていう感じの話をして、そこで俺はすかさず売り抜けて南の島へ行ったわけだ、みたいな。 笑

[中馬]
かっこいい笑。

[林]
そういう人に。そのときに今ゴールドマンサックスの何とかプレジデントをやってる彼がかなりリスクを取ってくれてね、みたいな。 笑

[中馬]
おお、なんか最前線。

[林]
日本の不動産ディベロッパーのおじさんとちょっと違うよなっていうのを見てそれはやっぱバックにある金融の仕組みとか何てのいろんなものがやっぱ違うんだっていうこととかやっぱり常識感覚が違ってヒップなビジネスマンみたいな人たちが結構いっぱいカルチャーを作ってるとかっていうのを目の当たりにした感じだったりそれはアメリカではやっぱりもう普通にその学問として確立してたって学問としてはマイナーですね元々それは学問的な話じゃなくてもうストリートの話というかビジネスの話だからそれを学問としてコースに取り入れてんのって西で一つ東で二つとかそのぐらいしかないです。あんま本来知的なものだとは扱われてないですよね。実業スクールだからね。


[中馬]
なるほど。でもそこでそういったことを学んで、日本に。

[林]
まあ半分遊んでましたけど。 笑

[江良]
ま、そりゃそうでしょうね。

[中馬]
半分ですね、そうですよね、半分遊んで。

[江良]
遊んでなかったら、それもそれでどういうこと、というか勿体なすぎる。

[林]
本当にこんな楽しくて良いんですかすいません、って 笑

[中馬]
こういう感じでして、じゃ、そっから日本に帰ってきました。でR不動産を立ち上げていく。

[林]
R不動産の前にね、1回ね、あれです、サラリーマンですね。

[中馬]
あ、ですね。国内の不動産デベロッパー。

[林]
スペースデザインっていうストレートの名前の会社があって、これはリクルートの創業者の江副浩正さんがプライベートで作っていた不動産デベロッパーで、180人とかそのぐらいの会社で、これね面白い会社だったんです。僕も帰ってきたときに、もう1回何か修行するのか、っていうかそれが、それこそ不動産ファンドみたいな世界に行った方が、自分としては、なんていうのかな人と違う強みになるかなんていうのも思ったこともあったし、でも一方でちょっと面白いストリートのプロデューサー的な兄さんみたいな人についてったりした方がやっぱり面白いかもしれないと思ったんだけど、でも結果的に選んだそこっていうのは、江副さんって人がやっぱりすごくやっぱ面白い人で、彼の書いた「この会社をしたいんだよね」みたいな30ページぐらいの冊子に結構やられて、「なんだよ」みたいな「これもう俺が考えてた通りじゃん」みたいなやつがポンと出てきて。それで入って、それでそこにいたのが今の相棒の吉里だったりとかするんですけどね。

[江良]
それはちなみにその30ページ、いろいろあると思うんですけど。

[林]
10ページ。

[江良]
10ページ、ここでやられたみたいな、どういうあれなんですか。

[林]
だからね。もう最初確かそのテキストはあの石工の話から始まるんですよ。なんだっけギリシャだっけ。パルテノン神殿作ってるみたいなような状況の中、2000年前とかのイメージで、要するに石を運んでいる人に、あなたは何を、これ有名な逸話ですね、何の仕事してるんですかって言って、石を積んでるんですと、1人目が言った。2人目は何だっけ。三人目が神殿を作ってるんですだったかな。なんだかとにかく目線の次元が上がっていくわけですよね。で、ディベロッパーというのは、本来三人目の目線なんだと。本当にディテールの仕事をしていてもそこを見てるんじゃないと、どんな世界を構築しようっていうビジョンがなかったら意味がないみたいなとこから始まって、ほうほうと。それで、この仕事は組織の仕事、組織はインフラを共有するだけのためにあって、個人がそれぞれ独立したプロデューサーとして組織インフラを生かしてプロジェクトを作り、稼ぐんだみたいな。これはだから普通の大企業とは根本的に構造が違う、みたいなこととかブワーっと書いてあって、なんか

[江良]
なるほど

[林]
なんかいけてるんですよ。

[江良]
なるほど

[林]
当時はまだだから、そういうことに心酔しちゃうような感じのノリだったんですね僕もね。なんか時代ですよね、そういうのって。今の30歳ぐらいの子たちからすると、そういうのかっこいいとか言うのってなんか、そういう時代あったっぽいっすねみたいな 笑

[江良]
確かにね

[林]
このalt-Tokyoのテーマ感の価値観とか空気感からしても、まあ往年の、っていう感じですよね。だから30まではそんなノリでしたよ。

[江良]
うん。でも、すごい共感できますけどね。

[中馬]
そうですね。非常に。

[林]
それでそこでまた何か僕はやりたいことにはまだたどり着けず、ジャンルは面白かった、そこで青木淳さんとかそういう有名な建築家とのコラボプロジェクトみたいのもあったりしたんだけど、基本的には外人向けのサービス付き賃貸みたいなものを開発してみたいなやつだったんで、そこでしかも資金調達とか、投資家に売るとか、やっぱ結構そういうね、お金周りというか、ビジネスマターばっかりやる役割だったりしたので、あんまりプロジェクトのコンセプトだとかあるいはデザインだとか、何かそういうことをじっくり考えるみたいなことではなかったんですよね、立ち位置が。だけどね、そこにいて初めて自分の好きな分野に入ったっていうときの興奮というのはやっぱすごくて、毎日なんかね、チャリンコで通いながらね、なんかね、ウォーみたいなシャウトしてるぐらいに、それまでは好きな分野ってのに初めて到達したから。

[中馬]
確かにそうですよね。マッキンゼーもそこに到達するためのっていうなるほど。

[林]
その頃でももうもはや、僕がアメリカで最後の戻ってくる手前でインターンしてたところのおじさんというか社長みたいな、向こうの会社のおじさんが、日本でも関係してる人で、その人が雑居ビルとかこれから2003年ぐらいに余るらしいからさあ、とか言って雑居ビル、ちっちゃいペンシルビルとかを住宅にコンバージョンするビジネス面白いと思うんだよね、とかって言って、それの企画ちょっと書いてくれよ、とか言われて、そういうのをやってたんですよ。なるほど、と。ニューヨークっていうのもそういうところを名付けてくるわけか、みたいな、確かにそうだなと。つまりロフト、いわゆるロストリビングみたいなものって倉庫を住居に変えるみたいなことってニューヨークとかロンドンとかベルリンとかでは結構あるじゃないですかそういうことを日本版だとどうなのかお前考えてみろよとか言って。そういうオーダー出してくるっていけてんじゃん、みたいな感じで、そのなんかね、時代はリノベーションだったんですよ。

[江良]
それは副業的に?

[林]
それはインターンですね。

[江良]
あ、インターンとして。

[中馬]
それ何年ぐらいですか?

[林]
それは2001年、だからテロ、911のとき僕はマンハッタンにいたので、2001年の秋に、911の直後に東京に戻ってきた。仕事どころじゃなくて。

[中馬]
なるほど。そしてそのスペースデザインを経て、立ち上げていくわけですか?

[林]
それで2年ぐらいいて、徐々にそこの仲間がいろいろ独立とかしてったりして、何か面白そうなことを始めようっていうなんか空気が周りにあったんで、いろんな何か同志というか、似たようなことを考えてるような連中と何かいろいろ飲みの場とかでどんどん繋がっていった、みたいな。そういう年頃じゃないすか。それで、だから同世代マフィアみたいな感覚になって楽しくて、夜な夜なそんな作戦会議みたいなことやったりしてるうちに、なんか俺もどうしようかなみたいになって。それで結果そうですね。それで吉里が一足先に辞めて馬場さんっていう。

[中馬]
はい

[林]
馬場正尊という建築家というかジャーナリスト的なキャラの、僕らの兄貴みたいな人が、R不動産の言い出しっぺ、みたいな感じなんですけど、彼と吉里は仲良しで何かいろいろと動き始めてて、それで僕は一歩遅れて会社を辞めてって感じで。やっとそこに至った。 笑

[江良]
それでも30?

[林]
32歳ぐらい。

[江良]
32歳。ついに一歩目を。

[中馬]
あの、R不動産のやっぱりサイトを拝見していると、文章もすごい素敵じゃないですか。

[林]
素敵っていうかプロの文章ではないですよね。素人がそのまんまお客さん目線的にというか、面白がって書く素人文章がシズル感になりうるみたいな、そういうやつですね。

[中馬]
これはもう最初っからそこを狙っていったんですか?

[林]
いやこれね、そこの何かトンマナというか、僕とかはむしろ作った立場ではなくて、むしろねあれですね、今もうコーヒー屋とかドーナツ屋とかやってますけどミカヤマっていうメンバーがいるんですけど、彼が学生の頃、馬場さんのところでインターンしてるときに、馬場さんが「何か日本橋のさ、この辺のさあ、空きビルとかリノベーションしたら面白そうな物件、どんどんWebに上げてこうぜ」みたいな感じで始まって、インターンのミカヤマ少年が、なんかね、変なやつというか、おもろいやつというか、独特の感性でこの物件はねなんかこんな感じでなんかいいんすよね、みたいな文章で紹介をつらつら書いてるうちになんかこのノリで行こうみたいになってったって感じです。

[中馬]
なるほど

[林]
そうすると新しく入ってくるメンバーって今でもそうなんですけど、何て言うの、別にプロのライターの技術を持ってるわけではないわけです。ないんだけど、なんとなくこのサイトを見てこの感じの雰囲気で書くっていうのは理解できるから、そうするとねちょこちょこチョットやってると、なんとなくそうなっていくっていう。なんか不思議なね、フォーマットです。

[江良]
でもすごいキャラクター立ってますよね、なんかR不動産の、こうね。

[林]
でも正直、初期の濃さからすると、今は薄まってると言わざるを得ない部分はありますよね。

[江良]
それは何ですか。皆さんが林さんとかかける時間みたいなことなんですか。?

[林]
いやいや、何ていうかな。だから当時はある種ゲリラ活動的な感覚に近い部分が強かったから、これは借りる人いないだろう、みたいなものだろうがなんだろうが、面白けれぶち込むみたいな感覚がやっぱり結構あって。でも時が過ぎると最初の二、三年というのはなるほどこういうあり方か、不動産屋としてとか、あるいはその物件の見方として、こういうのありなんだねみたいなのを割と面白がってもらえる、あるいはそれがメッセージたり得た、フロンティアメッセージたり得た時代っていうのは初期にあったとして、徐々にR不動産っぽいところを借りたいとか買いたいみたいなのは、ニーズとして市場とはいわないけど顕在化してくると、それに応えるっていう、ある種誠実なサービス事業的な面というのが当然強くなって、それは我々としてはなりわいでもあるので、マッチングする物件が割合として、マッチングするようにチューニングしてくるっていう、そういう変化はあったと思います。

[江良]
だから何だ、ちょっとやりすぎなエッジが立ちすぎてるみたいなものが、少なくなってきている

[林]
貯水槽とか貸してましたね。

[江良]
なんかすごい変なのありましたよね当時ね。

[林]
中入ったら貯水槽と、そのあまりのスペースしかなくて。 笑まずその入った若者の、なんかアーティストみたいな連中、人たちが、何かその解体で油まみれになって3ヶ月ぐらい解体してやり切ったらもう満足して 笑。本当に素晴らしかったですよね、そういうの。やっぱ人間こういうことに幸せが、というか面白さ、ワクワクがあるっていう。うん。だからちょっと我々はそっから今、新しくワクワクを発信、提示できるとしたらそれは何なのかっていうのはやっぱずっとテーマですよね。


[江良]
でも当然ね社員もいらっしゃってね、回していくというかね、オペレーションしてさっきおっしゃったサービス業としての質も上げていくとなってくるとどうしてもね。どうなんですかね、林さんがワクワクしてないだけで今でもこれを若い子たちが

[林]
いやワクワクしてますよ、一個一個のワクワクはあるの。一個一個のワクワクはあるんだけど、どういうふうにしていくかっていうテーマっていうのは、なんて言うの、面白がって大変では駄目で、それはそうですね何を投げかけていくのかみたいなのも一方で、常に課題意識としてはあるよっていうぐらいの、楽しい仕事。

[江良]
もちろんそうですよね。

[中馬]
いやでも、やっぱ一個一個見ると、今ちょっとね、僕(R不動産のサイトを)見てますけど。雪見 障子(44歳)と書いてあるわけですから 笑築44年のあの障子が素敵な物件なんだと思うんですけど。 笑

[江良]
なんかちょっと、ちょっとピンクっぽいですね。 笑

[中馬]
こういうのとかもなんかすごいなと、

[江良]
ワクワクというかドキドキしちゃいますね。

[中馬]
でそれがおすすめで出てくるっていう 笑なんかここの感じがちょっと文学的なんですよね。いや面白いなと思って見てますけど。これでも最初はその物件はどうやって探してたんですか。なんかもう検索した?

[林]
いや、本当の最初の最初は、道歩いてこれ面白いとか言って、ここのオーナーさん誰ですかね、みたいな感じとか、最上階で行くとオーナーの事務所があったとか、不動産屋でボロい物件で困ってる物件ないですかとか、最初はそんな感じで、もう道で見つけるみたいな世界で、でも徐々に、いわゆるそのなんていうの、ネット上に不動産業者専用の情報ネットワークみたいのがあったりもするから、そういうところから掘るみたいのもあれば、設計した人から情報をもらうとか、サイト見て、うちのなんとかなんないっすかねみたいな話が来るとか、まあいろいろです。

[中馬]
なるほど。そっからどんどん増えて。

[林]
どんどん増えてって言っても、別に今も規模拡大が目的では全くないので、少しずつ、ま売り上げはずっと少しずつ着実に増えて今に至ってはいるけれど、拡大しているとかいうことはないです。いわゆる。

[中馬]
でもやっぱり一定の割合でずっと物件って出てくる?

[林]
そうそう、意外とね、あるんですよ。つまり僕も最初1年、2年たった頃に、もしかして僕らがおわっと、何かぐっとくるような面白いいい感じの物件というのを、我々がサイトで埋めていっちゃったら、ね、時々2年3年で高回転はするかもしれないけど、いわゆるうちがサイトにで紹介した物件供給が尽きるんじゃないかってのが最大の恐れだったんだけどね。意外とね。ずっとそれなりにある。それなりにあるんだけど、今の載せている数、ぶっちゃけ少ないですよね、検索して条件絞ったりするとそんなにない。古い一つのもうなんか高円寺の古着屋みたいなもんなんで言ってみれば。50着しかありませんみたいな、もうちょっとあるけど100とか。でもそれを300にしようと思ったら、つまらない物件も入れないといけなくなっちゃうんです。

[江良]
そうでしょうね。

[林]
だから事業の規模感で言うと、面白いと思う一定の基準での物件がどのぐらい世の中に空き物件として出てくるか、みたいなところに依存する感じです。

[中馬]
なるほどね。それって。何か基準があるんですか、これはアリだなとか、ギリアリだな、とか。

[林]
まあ、みんなの感覚で。

[中馬]
なんとなく会議っていうか、ミーティングっていうか、これどうすかねみたいな。

[林]
みたいのはやっぱありますけど、言語化はいまだにしてないですけど、ただもう一つはね、あれです。これ載せて、うちのお客さん決めるのっていう。例えば何か面白いかもしれないけど、さすがにこの広さ家賃でこの何かバランスがまだちょっとそのままだとないよねとかいうのも、そういう現実的な話もあるけど、例えば何か駅前のちょっと綺麗で、ちょっとかっこつけてるけど、綺麗な普通のワンルームみたいなやつを出したところで駅前の不動産屋さんがぱっと決めるじゃないですか。結果うちのお客さんはそれを望んでないんで問い合わせ全然来ないみたいな。だからうちのお客さんが待ってる物件というのは、うちにとっても結果ディールになるわけだし、お客さんにとってもそれは何ていうの、意味のある情報だからっていう、うちで決まる物件を載せるっていう基準が実際にはあるんですね。

[中馬]
あーなるほど。それは割ともう言語化されてないけど、共有されてるみたいな、そういう感じですね。

[林]
そうですね。それをなんか段々緩めて何でもありみたいにしていくと、何でもありの世界になっていくんでしょうけど。

[中馬]
なるほど。そこから次に、toolboxに。

[林]
そうっすね。基本は、要するに僕らのこのオフィスっていうのはR不動産と、つまり物件マッチング的な仕事と、今はそのtoolboxと、いわゆる建築とか内装とかの設計とかと、諸々、僕の場合は個人プレー的な何かコンサル的なものだとか。なんていうのかな設計とか入る前にそもそもこの土地どうするとかこのビルどうするみたいなところの作戦練りみたいな企画みたいなやつとか、そういうのを含めていろいろあるんだけれど。toolboxっていうやつは2010年にプロジェクトスタートで、その前はだからR不動産とコンサルプロデュース業みたいな。設計と建築設計一級建築事務所としてのみたいな感じでそれは地道にずっとこうやってきてるけど、そうすね。2010年にそうそう、何かマテリアルをやっぱやりたいなっていうのと、あとは工務店とか職人とかの世界がもっと面白くなってないと、面白くしたいなみたいな話で始まったのがtoolbox。

[江良]
マテリアルっていうのは?



[林]
日本でね、内装や住宅とかのリフォームとかをしようとすると、大手のプロダクトってやっぱなんか丸っこかったりツルツルだったりして、クレームでなそうな万人問題なしプロダクトが

[江良]
選択肢がね、あんまないってことですよね。

[林]
選択肢はね、種類はいろいろあるんだけど、どれも、どれも、いまいちなんですよ、僕らにとっては。それでなんかちょっといい感じのものって、特注だったり職人さんに頼んでとか、なんか輸入して、遠くヨーロッパから入れなきゃとか、コスト上がるよねとか、それこそ元の空間をできるだけそのまま活かしてみたいなことをやる場合に合ってくる素材感のものとかがいちいちないわけですね。

[江良]
それは開発してるってことなんですか?

[林]
最初はセレクトっぽく面白い塗料を見つけたとか、そういう感じで最初の最初はそういうセレクトショップ型のECみたいなスタートだけど、コンセプトとしてはむしろプロダクトというのと同時に、その壁を木を貼って、塗装して、その後塗装の最終的な質感をちょっとラフにしていくみたいな、ある種の部分仕上げ、部分リノベみたいなやつのサービスをWebで提供するみたいな、のを結構やりたかったんですよ。職人サービスというか。確かに面白いなんていうの、塗装職人、アーティスティックな塗装職人がいて、光の受け止め方をすごく考えながらムラを作るみたいなとかを、家の一部だけやりたい、だったら何平米いくらでいきます、みたいなやつとか、そういう意味じゃマテリアルだけじゃないですけど。

[中馬]
確かになんか天井上げ集団とか

[中馬]
天井上げ軍団。

[中馬]
天井上げ軍団。

[林]
天井とにかく抜いて上に上げたい、みたいな。

[中馬]
それ見ました。そっか。そこからいろいろな物の方にも、開発が。

[林]
デザイナーの時代から、もうちょっと職人の時代に、みたいな。あんまりしっかりしたコンセプトで今言ってないけど。そういう感覚もあって、マイクロ工務店が面白いとか、何かそういう生態系を作るためのプラットフォームみたいな話だったり。

[中馬]
でもサイトを見てますと、こちらも非常に面白くて、IGTVとかを毎週配信してたりとか。

[林]
それはプロモーションとして真面目にやってます。

[中馬]
そうですね、いろんなオンライン相談がね。

[江良]
ぜひ皆さん、toolbox見たことない人がいれば。

[林]
ショールーム、ぜひ。

[中馬]
そうですねショールームでね、すごい量のものが見れますし。

[江良]
あそこ回っているとなんかね、このドアいいねとかね、こんなふうに変えてみたいね、とかね、実物あると、こうね、わかりやすいですよね。想像力が湧きますよね。

[中馬]
やっぱ個人の方が使われることが多いんですか?

[林]
個人が、あと、ちっちゃい店をやりたいみたいな方も多いですけど、個人住宅で家を買った、いじるみたいなことがやっぱ一番大きいニーズではありますけど、それで見に来て設計、プランナーさんとか設計者さんと一緒に見に来るみたいな場合もあるんですけど、結果その工事をする会社が手続き上は買うみたいになる場合もありますけど。今までは、内装っていうのは、住宅なんかだとこんな感じっていうのをプランナー的な人が提案して、いいですねと。で、その素材の最終的な指定は工務店がやったりするものが多かったんですよ、品番指定みたいな。だけどそれ、それは工務店のコスト構造とか利益構造とかにもよってもちょっとやっぱり揺らいでしまうから、その意味で施主が編集者になってるかっていうと、エンドユーザーが編集者になりきれているかというとそうでもないとか、建築家のエゴも入ることもあるじゃないすか。いろんなパターンがあって、僕らは徹底的にこのユーザー全部考えていくという、その別に完成度とか精度とかって結果、ちょっと僕が言うとチームから違うとか言われるかもしれないんだけど、そういう意味での完成度というよりも愛着価値を重視していいんじゃないかと。つまり自分が決めたんだから、ちょっと何かプロポーションがあれだとか、取り合わせが微妙とかって評論家に言われようと、俺はこうしたかったんだもんみたいなことが言えるっていうのは豊かなんじゃないかということで。グレードの価値でもなければ有名なデザイナーがやったというブランドでもなければ、自分が主体化したプロセスによって愛着の価値が宿ればっていう考え方。

[中馬]
でも何か確かにその何か選択肢のこう権利みたいなものを持たせるっていうか、なんか自分で選んで、それが結果ちょっと駄目だったら変えようかなみたいなことも含めて何かできるっていうのは面白いっすよね。

[林]
思想というかテーマとしてはそこが大きいですね。R不動産とかも、ある意味そうで、何ていうのかな。世の中が設定しているような価値軸ではなくて自分の価値軸で好きとかも、主観でもいいから、何か選んだりとか作ったりという自由さを拡張しようみたいなのは、真面目に言えばテーマとしてはやっぱあって、ただそのためには自分の価値基準がなきゃいけないし、そこにはね結構難易度があるんですよね、日本人の一般論としては、やっぱり選択肢はわかりやすくAとBぐらいに絞られて提示されたりした方が、松竹梅ぐらいの方が

[江良]
まあまあ好きですよね。

[中馬]
うん楽ですもんね。なんかそれはそれで。でもやっぱり何かこういうものがあってみて、最終的にはその選択肢になっちゃう可能性とかもあるのかもしんないすけど、見れるのは面白いし、カタログとかすごいですよね、やっぱ。

[林]
これは毎年厚くなってますね。

[中馬]
あれ今何ページあるんですか?すごい2センチぐらい厚さありますよねあれ 笑

[林]
あるね、厚くなってきたね。笑

[中馬]
あれを眺めてるだけでも相当やっぱり面白いなと思うし、やっぱり何かそういう選択肢があるのはいいなと。個人的にはすごい思ったりしています。

[林]
もっとでもあの世界もこの何か建材的な世界ももっと何かマニアックなガレージメーカーみたいな人たちもいるっちゃいるし、でもなんか流通があんまりなかったりもするんだけど、何かその辺に意外と盛り上がって、盛り上げていかなきゃいけないかもしれんけどさ、あまり見えてこないじゃないすか。そういう人をね何か発見してね、心が自分でちょっとスイッチをカスタマイズしたんだけど、これなんかもうちょっと売れたら面白いかなと思ってみたいな。持ち込み案件とか。いいっすねとかあるわけですよ。鉄の、なんかステンの曲げ職人みたいな人とか、鉄をいい感じで細いの溶接してみたいな人とかとプロダクト一緒に作るとか、なんだけど。

[中馬]
でも結構その見えてないってだけでいるにはいらっしゃるんすか?そういう人って。作ってるみたいな。

[林]
いるはいるんですよね。ただやっぱりプロダクトとして、そのクラフトバイク的なというか、何かそういう感じで何かこう、流れていく仕組みっていうのはあんまできてない。それはエンドユーザー側も扱えないっていう感じですよね。その部品だけ何か作る人がいても、自分でもう何かここちょっとさ、こういうの欲しいんだよねみたいなそれを面白い職人見つけて一緒に話して作っちゃったみたいな人って、たまにいるじゃないすか?その達人みたいなそういう人はやっぱ少ないから、なかなかいわゆるガレージマイクロメーカーみたいな世界、生態系っていうのはなんか、今話してて思ったけど、なんかもっと増えてきたら面白いのにぐらいの。

[中馬]
なるほど。

[林]
そういう人が流通としてtoolbox使ってくれればいいのにな、みたいな思いは当初、企画書でもありましたよ。

[中馬]
でも今後はそういう可能性も全然あるってことですよね。

[林]
もちろん。

[中馬]
それは結構楽しみですね。

[林]
だからデザイナーとかもそういうプロダクト、これはいいデザインアイディアだったら、そこ一発で終わらさずに、これはもしかしたら汎用化してもいいんじゃないか。みたいな人が増えても面白いよね。

[中馬]
確かになんかそういうなんかサービス、林さんの僕フェイスブックで

[林]
ちょっとねトライアルはしてますよ、スピンオフっていう。

[中馬]
あれってそういうことですか。

[林]
そうそう。だから村の東郷先生のこれみたいな、このディテールみたいな。窓枠の断面みたいな。なんか作品、アート作品っていうと一点性が大事ってことになるけど、デザイン、プロダクトのデザインの考え方によせるかよせないかっていう、いろんな考え方がありうるのでイームズ的な感じで工業化していくことの価値もあるよね。そういうぐらい我々は割り切ってるというか、アートじゃないのでやってることが、

[江良]
うん。そうですね、一貫してその街中とかね、そういう景色とかね、そういう日常にこう何か

[林]
ニッチな民主化みたいな感じです。

[中馬]
はい、ということでtoolboxに関してのお話、R不動産に関してのお話をお聞きしてました。その他の活動、林さんは結構いろんなことを今やられてると思うんですけど。そこで言うと最近はどんな活動をやられてる感じですか?

[林]
この5~6年というか、5、6年前ぐらいからは、次何をテーマにしようかってちょっとね、あの揺れた時期が結構あったんですよね。その前、割と地方都市とかに関わったりするようなこととか、あるいは自治体、行政ともそれまでは避けてたんだけど、1回ちょっと関わってみようかみたいなことで、行政の、地方の仕事みたいなことをやってみたりとか、その間に普通に何て言うの、リノベーションみたいなやつとか、あるいは新築の住宅を作るような話とかってのはやりつつも、なんとなく点から面へというか、建物から街へみたいなふうにやっぱり広げたいし、元々僕はあのそっちのテーマから入っていて。なのでよく考えたら、いろんな、何て言うんですかね、世の中では地域とか街をどうにかするとか、活性化するとか、盛り上げるとか、いろんなことをチャレンジしている人たちがいる中で、でも自分たちの周りの割とその空間から入ってるような人たちも、その辺に関してどんなことができるかっていう試行錯誤をやっているのを見ながら関わっていた5~6年があって、それを経て今も地域、地方の仕事みたいなのは多少はやってるんですけど、絞ってるというか、要するに中途半端に何かよそ者としてコンサル的に入っていくみたいなのはやっぱりどうしても限界があるというか。

[中馬]
限界っていうのは?



[林]
それはやっぱりね、何て言うんすかね。地域の仕事って、テクニカルアドバイザーとしてはいいんだと思うんですよ。だけど何ていうの、やっぱ答えがどこにあるかわからないみたいな状況で、何か役に立とうとしたら、主体性というか自分ごとに完全になっていかないと、やっぱり駄目だなみたいなところもあって、テクニカルアドバイザー的に役に立てるところはこれからもやるかもしんないすけどね。というようなことで、何て言うの、自分はめっちゃ都会人として生まれ育ってきちゃったこともあるから、いろんなその日本のどローカルとかに憧れはあるし、関わりを持ちたいけれども、プロフェッショナルとしてそのローカル論を展開するっていうのとはまたちょっと違うような自分の立ち位置は、ちょっとそれもまた違うものがあるのかな?なんて思ってるうちに、でも何か都市計画の勉強とか改めてやったりとかをしてきてた上で、あのね、ハワードの田園都市って知ってます?エベネザー・ハワードという人は100年以上前の人ですけど、田園都市っていうコンセプトを考えた、実際にそれはレッチワースってイギリスにあるんだけど、それが田園調布のモデルになったりしたんだけど。その本をなんか読み直してたらなんかね、それで有名なのは配置図だったりするんだけど別にその配置図がコンセプトというよりは、ガバナンスみたいな話で、街をどういうふうにルール設定していくことによってハッピーで、人間的な暮らしが持続してそこで仕事もうまく回っていくような進み方ができるのかみたいな一つのモデルなんだよね。それはもう完全にガバナンスの話なんだと、そういう、僕はなんかね残念ながら絵的な表現よりもガバナンス考える方が得意らしいっていうことがやっぱりわかって。それはもうしょうがない。 笑

[江良]
それはしょうがない、素晴らしい 笑

[林]
ちょっとそっちの目線で、日本の街のマネジメントみたいなこととか作られ方とかあるいは都市計画って、それこそ行政がつくるマスタープランのあり方とかね、いろんなその日本の街の作られ方で、今からできることの仕組みっていうのが、もうちょっとうまく再設計できるんだろうし、その辺ちょっとやっぱり考えていきたいなみたいなことだったりとかを、いろいろ考えるようになったと。それで一方で僕はあの家族が親が、親父がボケたり、母親が病気になって入院して、一人暮らしもできないしとかって、施設に入ってとかなって、子供も生まれてとかってなって、いろいろ変化があって、子供とじいさんばあさんが時々いい具合に共生すると、ものすごくお互いにいいんだみたいなことを目の当たりにしたりとか、なんかそういう福祉的な観点が入ってきたりとか、いろんなことがあってですね。そんな中から、結果たどり着いたのは、ディベロッパーというのを新しい形に塗り替えることをテーマにしようっていう感じなんですよ。つまりディベロッパーというのは、20世紀後半の業態の一つなんですよ。元々は大工が作ってたわけじゃないですが、家を街を。それこそ土木インフラをみんなで作ってたみたいなところから始まり、それが人口激増する近代化の中で、官が主導するという公団同潤会とか、そういうところがどんどん住宅を作りまくるみたいな時代が戦後しばらく続いたんだけど、戦前から戦後にかけて。それでも追いつかないからっていうんで民間がどんどんやるようにしてって、大京、ライオンズみたいなところがマンションみたいな。三井さんがとかっていって、民間のビルダーとかが戸建とかマンションをめちゃくちゃ作っていって、建てることがSDGsだった時代だったので、何とかみんなが持続可能な開発目標としてそれをやってたんですけど。で、その流れが、でもいきなりブレーキかけられても止められないので、社会システムが、経済はそれでまわしていく癖がついてるんで。新築誘導策みたいなものが続くわけなんですけど、みんな新しいの大好きだという日本はそれがずっと続いてる。っていうのが、でも何かちょっとそれは無理があるんですよね。社会システム全体のある種の無理感みたいのと同じように、街を作っていく力学や方法論自体がちょっと無理があって、もうとにかく田んぼも相続税あるから売らなきゃいけない、そしたらもう戸建てビルダーがやってきて、とにかく割りまくって建てまくって売りまくるみたいなことがフォーミュラとして合理性を持っちゃうっていうことんなるんで、これは何かちょっと悩ましいし夢がないなというので、それでね、なんとなくこの2年前ぐらいからおぼろげにこういう感じでの事業のやり方というか、作り方っていうのが一応供給側というか、オーガナイズ側というか、仕事として何かあるなっていうイメージがつかめてきたんですよ。それが何かカタカナで言うと、キーワードとしては、コレクティブとコーポラティブっていう2つがあって。コレクティブっていうのはアートコレクティブみたいな使われ方も最近流行ってるけど、元々なんていうの?ホリスティックというか全体で考えるというか、全体で解くみたいな、集合した何々みたいな意味じゃないですか。で、コレクティブハウスってのは、よく北欧とかでおじさんたちが自立しながら共有部分を持って、顔の見える関係で暮らすみたいな住宅があって、それもそれでいいなと思うんだけど、街自体をもうちょっと全体で良くするためのガバナンスが要るよね、というテーマで、例えばあの旧市街っていうか、中心市街地って地方行くとあるじゃないですか?駅があって目の前に再開発タワーで1階がサイゼリアで図書館入ってますみたいな。それを経て焼鳥屋街を抜けると、靴屋とか本屋とかがさ、寂れてんだけど、まもなく駐車場が4件向かい合ってます、みたいな。で、稼働率20%ですと。だったらもう3件まとめて稼動60%をひとつ作って、残りは緑、芝生にして公園にしてその周りにちっちゃな商業とか高齢者とか保育園とかをはり付けていったら、そこがウォーカブルな旧市街として経済価値としてはうまくスライドしていけるよねとか、そういう全体で考えるようになってないわけですよ、日本の街の制度が。日本というか現代の街の制度は単発最適で、単体の中で経済最適をする。しかも短期的な最適をするっていうロジックだけでどんどん塗り替えられていくし、留まっちゃったり状況が止まっゃったりとか。要するにみんなでみんなでこういうふうに握る方がお互いいいよねっていうコミュニティベネフィットみたいな世界を実現できないような仕組みに、元々なっていて、これは法制度的にもそうだけど、発想の貧困もあるだろうから、それをもうちょっとできるようにしていくことを、どう誘導していくかってのはコレクティブのテーマですね。もっと具体的な進め方としてのおばあちゃんと子育てっていう人たちはそんなに車いらなかったりする場面が日常は多かったりするならば、まぁ一緒に庭を介して向こう側にじいさんばあさんがいるぐらいの距離感だったら、わりとお互い助けあえていいじゃんとか、なんかそれもコレクティブの考え方として今の日本みたいのマンション、大都市みたいに、隣に住んでる人とかその隣に住んでる人っていう配列が全く意味の意味ない配列なわけじゃない。全く意味ない配列ってのはどうなのと。僕らみたいになんか20歳から50歳まではいいんですよ。60ぐらい。自立していくらでも作れるから、だけどその前後っていうのはそれじゃ解けないから、そこはやっぱコレクティブに考えなきゃいけないよねっていう。そのためのいろんな都市計画的な提案をしていかなきゃいけないし、実践をしなきゃいけないよねってのが一つと。

[江良]
コーポラティブ。

[林]
コーポラティブはこれは結構根本的な話で、コーポラティブという言葉は、ムッソリーニ的なふうに捉えるファシズム時代の言葉として捉える人もいると思うんですね、一部。それでだいぶ少数派かな。要するに全体主義的に捉えるみたいな言葉の起源はあるんだけど、現代においてコーポラティブってのはコ - オペラティブ、要するに一緒に運営するとか、みんなでつくるっていう概念で、コーポラティブハウスっていう住宅の名称の、形の名前があるんだけどそれは組合で作るんですよね。要するにみんなで俺たちでみんなでマンションを作ろうと。都心に住むためには戸建ては大変だから。でもマンションって、モデルルーム行って買うもんだといまいちだから。土地をみんなで探してみんなで作って、みんなで発注して、それぞれ自分の好きな部屋をカスタマイズで作ろうよという、それがコーポラティブハウスで、それがもう少しみんなで作り始めると大変だから、オーガナイズするプロがいて、でもカスタマイズできるよと。で、広告宣伝がなくて、土地情報とビジョンがあると。こういうプランでやろうよ、集まれーってやって、この指とまれをやると、集まった人たちで話し合いながら最終形を作っていくというのがコーポラティブ。で、その組合っていうのがポイントで、ヨーロッパとか行くと、ニューヨークでもそうだけど、組合を所有している、組合運営をしているマンションみたいなのが3分の1ぐらいあるんですよ。3分の2ぐらいがもう完全にバラバラ所有権。でお互いが元権利を全部、ここで誰が住もうと、持ってる人の勝手でしょっていうのが日本のマンション、アメリカのコンドミニアム。コーポラティブっていうのはここに誰が入るかみんなでちゃんと見て決めましょうっていう世界ですね。ていうふうに組合主義みたいな、生協ですよね。生協ってのはつまり、僕は真の第3セクターと言っていて、その官セクターと市場セクターとあったとして。組合で事業を作るとか組合で保育園をつくるとか。それは市民がつくると市民事業なので。それはだから日本の第3セクターというのは、こっち(官)とこっち(民)の共同出資って話だけど、本当の第三局は市民なんで、で、そういうもは欧米の方が早いっていうか、進んでるし、イタリアとか憲法に共同組合をつくれってのが入ってて、それは国にお金がないからっていう説ももちろんあるけど。そういうふうに日本もなって、なりつつあるというか、ただ、自治能力があんまり長けてない人が、(自治能力があまり長けて)ない国なんで、なかなか広がらないんだけど、でも僕らが例えば、今やりはじめているプロジェクトは郊外が多くて、多摩とか、あるいは町田だったりとか茨城なんかもありますけど、余裕があるわけですよ、土地に。東京とかも、なんか土地余裕ないし、もうことあるごとに容積をたくさん積んで、建物をマックス建てろ、家賃はめっちゃできるだけ上げないと、土地を高く買っちゃったから、信じられないような家賃だけど何とかしろみたいな。そういう過密のプログラムになってるんだけど、郊外の方ではコーポラティブな作り方で理想郷、理想郷とまでは言わないんだけど、ある種のこれからの田園都市みたいなものを作る方法論が成り立つのがやっぱ郊外で、それは今の時代の感覚としても、あるいはリモートとかコロナとかってことも踏まえて、何かチューニングが合ってくるというのが、ちょっとそれだけで言うと、わかりにくいんですけど。

[中馬]
こういうことってことですかね?ひとつパソコンで...。

[林]
ひとつこれちょっと絵が幼稚なんで恥ずかしいんですけど、いろんな今モデルを開発しているんだけれど、畑っていうのは、一つのあれですね、対象の場所。やっぱり畑今までどうなってたかっていうと、農家さんが続けられなくなったりとか、あるいは相続税で土地を売らないともたないってなったときに、郊外のビルダーたちが買って分譲したり、アパート建てたりとかやってくるんだけど、なんか分割して割っていくんで、風景としてはデザインされないんだけど、その畑に点在するように家を作っていくような方法をとることによって、相続税の問題と環境価値を上げるっていうことと、あるいは共生することによってそれがそこに住む人たちのセキュリティと喜びが上がるようにできるよねと。それもコーポラティブの仕組みを使ったりすることによって、誰かがリスクを、要する業者がリスクを取って販売するってなると、絶対大丈夫なプロダクトを作ろうとするし、利益が抜かれるんけど、みんなで作る方式だと、集まったらやればいいし、集まらなかったら別のやり方をすればいいっていう話になるので、そういうことを組み合わせてですね、そういう畑なんかも対応していったりとか、古い町で空き家が増えてったところっていうのを、どういうふうに少しずついじってたらうまくシフトしていけるかみたいなことをやっていく。つまり今までのようにリスクを張ってドカンみたいなことでのし上がっていくデベロッパーとかじゃない。

[江良]
誰かがでもリスクは張るわけですよね?それはデベロッパーがリスクを張るんですか?

[林]
それはね、張らないんです。最小限は張りますよ。例えばここちょっとなんか誰かが買っちゃうとシナリオ崩れちゃうから、ここ押さえとこうみたいなことのリスクを取ることはあるんだけど、要するに250坪とか1000坪の土地をどっかが買ってとかってなると、銀行からお金を借りて確実なプランを立てようとなっていくんだけど。いやここ、じゃここに住みたい人がこの値段だったら住みたいかも。なんかこんなの作れるのいいねみたいな人が25人集まったら、造成してみようかみたいなプロセスだったら、リスクないわけですよ。本来別に誰もリスク取らないで開拓していけばいいわけですよ。場所や街を。

[江良]
つまり東京だと、その資本主義的にもオポチュニティとして限られてるから、土地がね、それをもう押さえて、

[林]
そこは早くおさえないといけない 笑

[江良]
早くおさえて、そこでなんだ、市場原理での地上げとかもわかんないですけど、プライスが動いて、そこ入ってから計画があるけれども、郊外だと

[林]
入るときもキツキツの何かギリギリの計画を立てていかないといけない。そうしないと競争過多で、もうお金があり余ってるんで、何か古い建物とかでも、更地みたいな土地でも隙間とチャンスがあれば、もう不動産マネーがものすごい競合するわけですよ。

[江良]
それがその都市での何かディベロッピングの限界というか、現状だから

[林]
でもまあそこでweworkとかみたいにああやってソフトウェアでコミュニティバリューでみたいな感じで、バキバキにキャピタルマーケットで合わせてソフト事業を作っていくみたいな勝負っていうのも面白いし、それによって新しいワークスタイルできたりとかあるんで、都市ももちろん面白いと思うんですけど、僕もあの結構歳をとりまして、50歳とかになってくると

[江良]
疲れるなみたいな。

[林]
なんかそういうことでもないな。っていう感じに

[江良]
そこに時間を使いたくないなっていう感じですか?

[林]
なんか大変ですよね。家賃8万の飲食見つけてくれとか言われても、無理じゃん。 笑

[江良]
知るかと。

[林]
やり直せみたいな。

[中馬]
無理っすねそれは。  笑

[江良]
僕ちょっといくつか、なんかもう林さんのこのクァーという話の中で、もう質問のポイントがいくつもあったんすけど途中で結構忘れちゃったんですけど。まず田園都市のモデルとなるところで学んだのはまず一つ、ガバナンスだっていうことじゃないですか、そのイギリスのそこではその街のルールはどうやってこう決められているものなんですか?

[林]
でもね、そのイギリスのハワードの田園都市というのはのもう時代が全然違うので、産業革命時代みたいなノリなので、要は土地の所有と流通というものの制限とか、ここの場所の土地利用が拡張する場合にはこういう合意が必要だみたいな、そういうことだったりとか。でもそういうことが結構大事です。

[江良]
それは、ガバメントというかシティオフィスというかそういう行政みたいな立場、あるいはその領主みたいな?

[林]
組合的にお互いに合意するっていう世界感です。例えばポートランドあるじゃないですか。ポートランドのパールディストリクトの再生みたいなとき、あ、まぁポートランド自体が成長境界線ってのを引いたんですよね。こっから先は開発しないという境界線を引くということによって、ひたすらスプロールっつって郊外が広がっていくことを抑えて、街の真ん中というものを、こう豊かにまずしていこうよみたいなこととか。やっぱりルールがすごい大事で、それもガバナンスなんですよ。でもそれの現代バージョンっていうのはいろいろあって、前にも言ったかもしれないけど、例えば、アメリカのCobb Hill CoHousing、一種のエコビレッジ、意識、知的レベルの高いようなサステナブルコミュニティがありますけど、あれなんかもう、ものすごいその、なんていうのかな、ガバナンスデザインがすごいあるんですよね。

[中馬]
あれもコーポラティブなんですよね。

[林]
そうでしょうね。

[中馬]
うんうん。組合で、

[江良]
日本ってでもやっぱりそういう組合型っていうか、町内会みたいなものとかねもちろん自律的にある、どこでもあると思いますけども、あとやっぱり郊外いくとね、部落みたいなね、そういうしきたりみたいなね、水どうするとか草刈りどうするとか、そういうのはありますけど、

[林]
まだ里山管理の話ですよね

[江良]
なかなかそういう意味だとそういうやっぱそういう自治していくって、やっぱ日本人に極めて馴染みがないような

[林]
本来はあったんです。

[江良]
本来はあったんですか?

[林]
いやだからそれこそ入会地はどういうふうに、薪を、俺は薪を使って肥料を糞尿を濾してとかって、要するに山の使い方はみんなこう、やってたわけじゃないですか?

[江良]
何か僕が感覚的にはやっぱり例えば庄屋さんとか、なんかやっぱり豪族みたいなことも含めてある程度何かその土地の中でも、この人がリーダーシップあるみたいなものが血縁関係の中でその相続されていって、ある程度、何て言うのか。

[林]
それは当然ありましたよね。それヨーロッパの貴族とかいまだにそれで貴族が土地持ってるけど、なんかそれも当然ありますよね。

[江良]
それでいうと今のね日本の中でいうと、こういうそういうのが1回フラットにですかね。

[林]
戦後じゃないですかね。

[江良]
フラットになってる中でいうと、例えば茨城でも埼玉でも、いま林さんが例えば取り組まれようとしてるコーポラティブの中で、どういうふうに何か意思決定とかルールを決めるときにこのルールいい悪いみたいなことをどう意思決定していくかとか、その自治の、何て言うんすかね、意思決定の仕方みたいのってどういうような仕組みになってるのか。

[林]
それはね、研究途上で、いろんなヒントを持っている、知見を、いろんなタイプの知見を持ってる人に話を聞きながらこれから考えていくことではあるんですけど。やっぱり一定の価値をもって共有して集まるっていうことは当面は必要で、もう何て言うの、地縁でやってきたわけじゃないすか、元々その村っていうのは、そこにはルールがあって、そのルールというのは価値観がみんな必ずしも同じじゃないけど、もうここの村はこうなんだって言って、そこの押し付けが嫌で、若者が離れるっていう構造があって。一方で完全に自由な大都市に匿名的に住んでいくことのつらさもあって、じゃあ新たな答えなんなの?っていうのは、当面はある程度価値の揃う、揃うっていってもあんまり狭い意味じゃなくて、一定の握りができるようなところで実験というか、合意できることは何かっていうんで、お互いこうすればお互いに幸せになるんでやっていけるんじゃない?っていうのをやっぱ試していくっていうことなんだと思うんですけどね。

[江良]
多分最初にこうねさっきちょっと絵みたいのありましたけど、こういうような暮らしとか、幸せってこういう、ここで暮らす幸せってこういうものだよねみたいなビジョンを提示されて、そこに一緒にそれを共有したいっていう人をまず集めてくるっていうところから始まってそうですね。そうなってくると、まぁ

[林]
畑を囲んでビレッジにする場合に、その畑というものをどういうふうに捉えて使っていって、それを何て言うの誰が持ち、それを売るとか貸すとかっていうのは何だったらいいんだろうね?みたいなことって、それはもちろん変わっていいかもしんないけど、小さな国家みたいな話じゃないすか?

[江良]
そうですね。

[林]
それは変わっていって、結果、ぐちゃぐちゃになることも絶対ないとは言えないですよね?そんなの。

[江良]
わかんないですね。

[林]
だけど何の意味もない配列よりは、何かこう意味を求めたい時代じゃないかと。 笑

[江良]
まぁでもそうですよね。でもやっぱり僕はそういうの最近、それは多分、何ていうか、ディベロッパーみたいなね、ことでは全然ないですけど、土地はね、東京だと難しいかもしれないけども、この番組的にはalt-Tokyoっていうタイトルでして、やっぱこう東京の生活でどうオルタナティブなものを見つけていけるかみたいなことを言ったときに、もう少し東京の中でも、まぁマンションで何か自治みたいなものはあるかもしれないけど、何かもう少しみんなで、じゃあさっきおっしゃったけども小さい子供を育てることと、まあね、これから高齢化進んでてご老人がいらっしゃって、街としてやっぱりいろんな課題をね、目白もいろんな課題を内包している中で言ったときに、行政だけでもやっぱね、無理あるし、個人ベースでも無理あるし、何かそれをなんかじゃあ、ある程度、だからそれがガバメントというかね、パブリックでもプライベートを組合というか最近の(言葉で言うと)コモン的なことでもいいですけど、何かそういうところで何か解決してくっていうのは、何かねちょっと希望が持てる気はするけども、結局なんか、何の共有した文脈もない中で集まってくるとなかなか話がまとまらないだろうなと思っていて、どういうふうに何かね、していくといいのかなっていうのはなんか最近考えるんですよね。

[林]
いままであんまりそこにじゃあこういうふうに住もうぜみたいなのとかって、あんまりその設定されたマンションがあったわけじゃないし、街の作られ方としても、商店街をみんなで盛り上げるんだみたいなのはあっても、そこに何かある種の何を求めていくかっていうところの確認プロセスはなかったんで、でも今若い人たちとかのなんか極端なヒッピー的なのではない、ネオ集落志向みたいなのってすごい出てきてるんですよね。

[江良]
ネオ集落。ありますね。

[林]
そうそう。だからあの感じっていうのは、僕はなんか感覚としては、そうだなとそういうのを作り、持ちたくなるよなっていうのは、そういう共感もするし、自分も何か多分、同じようなことをやっぱり本能的にやってみたくなってるところあるんだけど、

[中馬]
それは今、林さんがおっしゃった、いわゆるコーポラティブな考え方みたいな。

[林]
発想としてはそうじゃないっすかね。だからそれがそもそもディベロッパーなのかって言われると、いや、ディベロッパーじゃないっすよねと過去の人からすればそうなるんだけど、いや新しいディベロップメントの主導権というのは、そういう共有された主体性自体が

[江良]
それが新しいわけですね。

[林]
そう、でもそれをオーガナイズ、リードしていくプロフェッショナルというのはやっぱり必要なので、現代においては。僕はだからそういうことが何か自分なりにできてやっていけたらなというのが思いとしてはある。



[江良]
でもそれはそれで新しいですよね、なんか。なんだろう、みんなで、まあね、そのさっき金銭的なリスクもそうですけど。例えば本当に誰か指し示して、具体的にね、進めていかないといけないから。

[林]
この場所だったら、こういうことができるんじゃないすか?このたまたまこの街にはこういう風土、歴史、資源があったりするし、こんな人いたから、こんなことできんじゃないですかとか?今、ワイナリーやってる人が持っている広い土地があって、そこでそのワインも、コーポラティブで開発していくようなことも何かできそうだよねとか、こんな住み方をここに、この日常的ニッチをこんなふうに混ぜたらみたいなのをいろいろ妄想してんだけど、あるいはお寺と一緒にそのお寺の周りをどういうふうな生態系ていうか街にしていくかみたいなのを、少しずつそれを作っていくプロセスをどうやっていくのかとか、何かそれはだから不動産事業っていう要素がそこにはちょいちょい入ってくるんだけど、何かもうちょっと大きい話として考えていくとすごい莫大に儲かるとかいう世界ではないんだけど、お金を作るのはそこそこ、そこかしこにポイントがあるので、ちゃんと経済的につじつま合わせていくことはそれなりにできるとは思っている。

[中馬]
でもなんかエリアの発展性とか、持続性とか、何かそういう意味でいうとなんかね、そっちの方がずっと遠くまでいけそうな気はちょっとしますけどね。

[林]
まだ模索しながらですけどね。

[江良]
そういうのってビジョンが出来上がってって地域の人と話して、みんながまずこの指とまれみたいなこのコレクティブを、コーポラティブのコレクティブを作っていくプロセスってどういう、こう、どういう感じでこの指とまれってやるんですか?

[林]
僕もそこまで何か突飛なアイディアを持ってるわけじゃなくて、普通にメッセージを出していくっていうか、

[江良]
でもねR不動産とかね、

[林]
うん、R不動産は一つのそのための

[江良]
メッセージの伝わり方を何かすごいコアにしてったから、なんかうまいやり方とかがあるのかなと思ったんですけども。

[林]
うん。やり方は、どうだろうね、ちょっとそれはね、何かあるかもしれないけど、そこまで今何かウォってていうものが

[江良]
でもあれかもしれないですね。何かこうR不動産もね、そういうブルータスの裏表紙みたいなところからね、なんかやっぱ時代がリノベも含めて何かがっとこうきた感じでいうとね、たぶん今、林さんの興味持たれてて、そういうことってみんな興味持ってますよね。だからちゃんと情報として1回立てば、いろんな人が集まってき得る。

[林]
考えかたの方向としては多分世の中そういう方向に共感度が上がっていくだろうと。ただ、そんな簡単じゃないというか、例えば東京首都圏ほど空き地がない、ゆとりのないものがひたすら幅広く広がっている大都市圏っていうのは、世界的にもないわけなんで。しかも日本の郊外の風景とかってやっぱり結構つらいものがあったりもするんで、状況として今後も。だからなんかそんなに何か簡単じゃないですよね。日本の都市の住処を豊かにするっていうのは。

[中馬]
それってでもなんか東京とかはもうそれは止まらないんですか、その今の状況はもう。

[林]
止まるってことはないですよね。いろいろ波はあると思うけど。あの、何ていうの、ハードウェアが積み上がっていくっていうのはまだ続きますよね。

[中馬]
よりなくなっていくっていうか、そういう空間っていうか、しばらく同じ空間が出来上がっていくっていうか。

[林]
っていうのがありますよね。とにかくだって古いものがそこにあっても、新しいものを作るっていうことは、みんなそれが欲しいし、そこに全額ローンがつくわけだし。ってなると、そうするとみんな喜ぶんですよ。それで経済がやばいってなると、容積率っていうのは割りますことによって、そうやってルールをどんどん建てる方向に向かうっていうのとか、総中流政策として相続税ってのはあるので、建物、アパート建てると大東さんとかレオパレスさんとかに頼んで借金をしてアパート建てると相続税が減るっていう仕組みっていうのはずっとあって、そういうのもね、そのうち、なんていうかな、そんなに建てること誘導しなくてもいいんじゃないっていう話は、出ては消え、出ては消えという感じというか、けっこうしぶといんですよ、やっぱ。それほどまでにやっぱり土建国家的な感じはやっぱり強いので、しばらくはやっぱりそんな止まるとかないでしょうね。海外のお金もめっちゃ入ってきますしね。あれですよ、まぁちょっと気持ち悪いです。今の東京の力学は。

[江良]
東京の力学はね。

[林]
いや僕好きですよ、町としては意外と心地よくて好きだけど、でもまぁ何か渋谷にしても大手町の方でも綺麗になってるんで、好きな人多いだろうなと、よくなったねっていう声は絶対あると思うんですけど。自分個人から言うと隙間なくなったよなぁ、最適化しまくってんなぁって。

[江良]
でもまあね、止まらないし、これ、わかんない100年とか200年なのか何百年なのかわかんないすけど、止まらないですよね、資本主義がね、オルタナティブというか、ないし、ただやっぱり二極化してる感じはしますよね、当然貧富の差みたいなこともそうだけども、価値観として、価値観としてだいぶ二極化してる

[林]
二極化というか、どっちかというと江良さんとか中馬さんのような価値観に向かってるんじゃないですか、世の中は全体的に。だけど、システムがそうさせてないだけで、それをなかなかこうね、多くの人には何かその価値観に沿って大きく自分の生き方をシフトするとかいうことが難しいということであって、価値観はそっちに。

[江良]
そうですね。だからその価値観と、やっぱり何かリアリティというか、実際の現実とのギャップとか、これどうしてもうまくいかない個人レベルでもうまくいかないよね。みたいなところに、そういうコレクティブとかコーポラティブみたいな、そういう思想で都市課題にアドレスしていくみたいのは、そのちょっと土地とかね、そういうお金がガッツリなんていうのかな、土地=お金の象徴的なものにね、どうしても東京はなっていくからあれですけど。何かそれをちょっと外れて考えてみると、なんかもちょっとそういうことかも、何かヒントはすごいあるんじゃないかなという気はしますよね。

[林]
なんかオーストリアとドイツに何年か前に、回って、ちっちゃい自治体とか、いろいろ行ったんですよ。あの環境共生型都市みたいな、都市いうか地域というか、向こうのなんていうのかな、エネルギーとか本当に自立させているようなエリアとかのガバナンスをまたいろいろ話を聞いたりとか、やっぱそれの影響はすごい受けたんだけど。やっぱりね、本当に気持ちいい風景の中に文化的な空間がポツンポツンとあって街の真ん中に幸せそうな高齢者の家があって、チーズ工場と木材は組合で運営してコーポラティブ的にこう何か市民協働運営の事業で地域内経済を回すみたいにしてるのがあの辺はフォアアールベルク州ってとこに集中してそのE5自治体というふうに認定をされている、その内部循環基準を満たしている自治体が集中してるのはフォアアールベルク州なんだけどそこはもうね、本当ねレベル高かったですね。

[江良]
それはもう歴史的にそういうとこなんですか?それともある程度国策的に?

[林]
移住が集まってるっていうとこもあるんだけど、なんか風土としてなんかあるんですかね。

[江良]
なんかそういうちょっとアメリカでいうヒッピー的な人たちが

[江良]
あのねぇ、ノリはヒッピー的ではなかった。どちらかというと生協をちゃんと誠実に作っているような人たちっていうか

[中馬]
もう本当組合って感じなんですか。組合で自治をしている。

[林]
あの組合っていうのは、日本だといろんなのがあるじゃない、その赤っぽいとかね言われたり。だけど、ああそうか、生協と言われるとさ、なんか真面目健全誠実なイメージあるでしょ、ない?

[中馬]
あります、あります。

[林]
それに近いところだと思うけど、全然何かハードコアな共産党とかそういう全くもちろんないですよ。市民としてこれをみんなで保育園を作ろうとか。このスーパーマーケットはみんなで回そうぜとかいうことを、チーズ工場せっかくだからみんなでこう。

[江良]
その成り立ちはすごい興味あります。なんでそんなことが、なんか日本だとやっぱりちょっと想像しづらい。

[林]
発電所とかね、日本、まぁ想像しづらいですね。だから思いっきりこう、何て言うの、一気に立ち直る戦後の中で、大システムを選択したので、

[江良]
昔からそうなんじゃないですかね?戦前からね。

[林]
そうなんですかね?そこはちょっと知的な人に話を聞きたい。

[江良]
何かやっぱり何かに依存しながらやっぱやる方向性がやっぱり強いような気がしますね。やっぱりその稲作とかそういうこととかもなんか含めてなかなかこう、自分の力で考えて自分たちで話し合って、自治していくって、すごい会社とかでも、やっぱねそういう組織というものでトップダウンの方が成功する確率が高いような気もするし。なかなか

[林]
まぁまぁビジネスはね、トップダウンの強みっていうのは絶対ある。

[江良]
なかなかこう、そういうね、何とおっしゃいましたかね。オーストリアの

[中馬]
フォアアールベルク州。

[林]
フォアアールベルク州。すごい勉強になりましたよ。

[江良]
すごい調べてみます。

[林]
世界は平和になるなって感じられる。

[中馬]
それはすごい希望があります。けど内部循環基準というのは何かちょっといま林さん

[林]
ちゃんと勉強、記憶しきれてないんだけど。だからエネルギー、経済、お金の循環も入っていたか、エネルギーだけだったか忘れちゃったんだけど。まぁ、エコ自治体の認定でE4、E5みたいな。

[中馬]
それでエネルギーってのは電力とかってことですか?

[林]
電力が一番大きいでしょうね。だから市役所とか図書館みたいなのもいろいろ考えて作ってるし、作る過程も含めていろんなことが考えられたりしていて、それがブランドになるんですよ、E5をとるっていうことは。E5を取るということは、E5を志向するような人がそこに移住もするし、関わりを持とうとする結果として、よりレベルの高い地域経済と環境が作られていくという、そういうブランディングレベルになっているようなところはありますね。そう政治もだからE5を取ってる自治体が、E5に反するようなことをやる町長候補とか選挙で選ばれようがないよねみたいな。

[江良]
でもやっぱりそういう、やっぱ住民の方がやっぱ何か選んでるんですよね。何か責任持ってね、何かをね。

[林]
思考の、自分で考える力がでもスイスとかね、高いよね。

[江良]
逆にその何ていうかこの資本主義のいわゆるキャピタルリズムのね、ダイナミズムみたいなものと、どっかバウンダリーというか境界線があって、何かここをエクスチェンジしているはずだと思うんですけど。

[林]
えぇとですね、フォアアルベルクのその街で皆さんの仕事は何ですかと、ある人は牧場やってますと、ある人は木材をやってますと、思うでしょ。半分ぐらいの人は某自動車部品の世界的メーカーに40分で通勤してますっていう、そういう話なわけです。

[江良]
ちょっとポートランドのナイキとか

[中馬]
インテルとか。

[林]
そこは相互依存性がないっていう世界までは無理じゃん。やっぱ結構な生活水準なので、だからやっぱり大きな世界的な構造の中で生まれる資本とは結びついて。

[江良]
でもそれは本当そういう意味だと、コレクティブでコーポラティブなのかもしれないですね。そこのあり方はね、なんかそういう価値観も含めて、仕事も含めて。

[林]
ウィーンだって超住みたい、住みやすい街と世界的に評価されていて、そのウィーンからまあ2時間とか行くと、別世界があって、そこをわりとイージーに選択できるわけじゃないですか。なんか悔しいなと思います。

[江良]
そうですね。でもちょっと確かなあ。

[林]
北欧にね、デンマークとか中心に北欧の、あとはドイツとか含めて、一部オランダとか含めて、そういう今言ったようなものを世界を実践している地域開発というか、不動産とか住宅とかっていうのを、ばあっと取材ツアーをやろうかなと、今年。ダーッと取材して、まとめようかな、本とかに。

[江良]
ぜひ、お供に 笑

[中馬]
ついていきますけど。笑

[林]
じいさんばあさんとかを、じいさんばあさんがさ、何か、要するにぶっちゃけ成長、ここから数十年の成長市場なわけですよね、子供と違って。子供が成長市場になってほしいけど、実際には高齢者市場がでかくなって、そこに対してクリエイティブもこれからどんどん入っていくと思うんだけど、まあ本当そんな最近までそこにクリエイティブも入ってこなかった。いわゆる僕らが言うところのかっこつけのクリエイティブですけど。やっぱり家のあり方とかも、やっぱり施設閉じ込め系みたいな方にやっぱりだいぶ行っちゃったんで、そこをこう解きほぐしながら、それもコレクティブの大きな何かテーマで、そこはしかもね、ビジネスチャンスなんです、やっぱ。そこにこういうたなんかこういうのがありなんだっていうのはいろいろ何か共生型でうまく何か作れたりしたら。



[江良]
そんなに何かこう、いろんなね、モデルが日本にも国内にもあるとは思いますけども。なんかまだまだいっぱいね、そのクリエイティブも含めて、まだまだ絶対ありますよね、なんか本当に、なんかちゃんと確立されてないというか、なんかちゃんと地域の中でこの役割があるというかね、何かそういうものが絶対ありそうですよね。はい。ちょっと林さんこれいつもあの恒例の質問になってるんですけども、僕たち今このリスナーの皆さんでね、都市に住んでらっしゃる方がいらっしゃるんで、僕たち都市に生きる僕たちが取れるアクションとか、何かもうちょっとこういうことを考えてみたらいいよねとか、何でもいいんですけども、何かアドバイスあればぜひお願いします。

[林]
アドバイスっていうのは言えないんですけど。僕はたぶん、もう2拠点、多拠点みたいなことも、もしかしたらあるかもしれないけど都市は好きなので東京にもいるかもしれない、ずっといるかもしれないんだけど、その前提でも、やっぱり結構年になりましてですね、50とかなると、言うてもまだ先かもしれないけど、20年ぐらいして、じいさんとかいい感じのじいさんにもなりたいじゃないですか。

[江良]
いい感じですよね。

[林]
いい感じのじいさんばあさんで楽しくいられるにはどうするかっていうことは、ちょっと考えたい。僕は長生きする気ないんで、死ぬときはデスパーティーっていう超楽しいライブパーティーをやって、その後に薬を飲んで死ぬっていうプランなんですけど、みんながいるときにじゃあ行くぜっつって、ゴクン。みたいな

[江良]
それ結構参加者的には迷惑ですね。笑

[林]
いやいやいや、それが幸せなんだぜっていうことを共有するんですけどね。

[江良]
ありがとう厚見さんって。

[林]
その手前でこう、何て言うのかな。ギターかき鳴らしてジャムりながらね、暮らす日々を過ごしたいわけですよ。

[中馬]
それはあれですか、林さん。バンド救国論。

[林]
バンド救国論にも書いてある。そうそうそうだから、要するに今ね、最近すごくいろんなクリエイターさんとかが、めちゃ楽しい老人ホームを考えたいとか、そういう人増えてきたじゃないですか。やっぱり当然ながらそういう時代になっていて、福祉にクリエイティブが入ってきた時代なわけで、そこは僕もやっぱり何て言うかな、一緒に妄想を皆さんとしたいよなっていうか、じいさんばあさんが生き生き楽しくしてコロッと死ねるっていう世界を自分は主に場所、家、空間みたいな方からのアプローチかもしれないけど、何か社会システムいろいろ変えていかなきゃいけなかったりするだろうし、何か楽しければ、早く死んでもいいじゃんと。ダラダラなんか生き過ぎなくたっていいじゃんっていうのが自分個人はそういうタイプだから、楽しくなかったらなんかしがみつきたくなるんで。ちょっとウキウキしてられるじいさんばあさんの世界というものはもっとイメージを広げましょう、一緒に。 笑

[中馬]
いやいや、でもすごい

[江良]
本当にそれはそうですよね。

[林]
なんかもっと若いメッセージは必要だけど、若者に任せる。

[江良]
でもそうだよねぇ。どういう、でも20年先とか、なかなかリアルに考えたことない。

[林]
でも僕今アコースティックギターを闇練してるのは、その20年後に歌声喫茶を気持ち良くやるために練習してる。

[江良]
すごい、あれですね。あのそれは虎視眈々というやつですね。笑

[中馬]
でも本当に、林さんのあの快楽サステナブルの中にある、この2019年9月19日の投稿ですけど、

[江良]
快楽サステナブルってボソッと言っても、多分あの、驚きしかないですね。笑

[中馬]
林厚見さんがやられている快楽サスティナブルというブログが

[林]
やっていたぐらいの勢いになってますが

[中馬]
でも今年も投稿ありますから、9月に投稿ありますんで、1年1~2投稿で

[江良]
すごいナイスタイトルですよね 笑

[林]
ブログとは言わないね、そもそも、もはやね。

[中馬]
いやでも非常に示唆に富んだいろんな導きがありますから。笑その中で出てくるバンド救国論という話に、おそらく今の林さんのお話は少し通じるものが。

[江良]
それWebサイトからね。快楽サステナブルのリンクを貼っておくのでぜひみなさん見てください。

[中馬]
お読みいただければ。はい、ということで、本日は2023年第1回目のゲスト、林厚見さんでお送りいたしました。

[林]
ありがとうございました。

[江良]
ありがとうございます。

[林]
お屠蘇のおかげでなんか気持ちよくなってまいりました、途中。笑

[江良]
でもちょっと、そのヨーロッパ旅行のお供はちょっと

[林]
旅行行きましょうよ、そろそろ。

[中馬]
行きたいですね。本当に行きたいですね、2023年。

[林]
海外収録とか

[江良]
海外収録いいですね。みんな、みんなハッピーなんですよね。でも本当にでもね海外とかで本当に進んでるというか日本にはない、

[林]
海外の広場とかでさ、街の真ん中のね、イタリアのトスカーナの山奥の街の広場とかで、ガヤガヤガヤガヤとか音がしてる中で収録するの

[江良]
僕、なんかちょっと今、ウルトラクイズのなんか、街の中で何かよくわからないのやってるじゃないですか 笑

[中馬]
なつかしい。 笑

[江良]
どうでもいい話ですいません。 笑

[中馬]
はい。では本日はありがとうございました。