#013: 堀田真代さん: NacreArc 創業者兼CEO: イスラエル、岐阜、東京の三拠点生活、キブツと個人主義、コミュニティ主義




Mayo_Hotta_profile

堀田真代

NacreArc創業者兼CEO  岐阜県出身。1998年に高校留学で渡米し、その後6年間、アメリカのオレゴン州とカリフォルニア州で過ごす。 2004年にソフトバンクグループでキャリアをスタート。12年間にわたる在籍中、アリババ、ボーダフォンジャパン、Bio Fund、China & India Fund、MySpaceなど、IT企業約100社の買収や投資、ジョイントベンチャー設立に関わり実績を上げる。 また、2011年の東日本大震災後は社長室で復興支援活動に取り組み、1,000人の高校生にアメリカでの学びの機会を提供。 2017年にイスラエルに転居した後、日本企業にイスラエルの最先端の技術を紹介し、日本へのローカライズに取り組む。2022年以降はイスラエル人のパートナーとNacreArc社を起業し、引き続き会社として事業の架け橋を担う。 専門領域はサイバーセキュリティ、サイバーインフルエンス、ブロックチェーン、A.I.など。
Linkedin: mayo-hotta


Key Words: 
NacreArc, ソフトバンク (SoftBank), アリババ (Alibaba), ボーダフォンジャパン (Vodafone Japan), Bio Fund, China and India Fund, 孫正義, MySpace, サイバーセキュリティ, サイバーインフルエンス, ブロックチェーン, A.I. (Artificial Inteligence), キャリアフォーラム, ヤフー (Yahoo!), ソフトバンクモバイル (SoftBank Mobile), TOMODACHI プロジェクト, 荒井優, ルース大使, トルコ シリア地震, U.C. Berkeley (U.C. Berkeley)1,2イスラエル (Israel)1,2, イスラエル建国時の国連投票で賛成した国: Australia, Belgium, Bolivia, Brazil, Byelorussian S.S.R., Canada, Costa Rica, Czechoslovakia, Denmark, Dominican Republic, Ecuador, France, Guatemala, Haiti, Iceland, Liberia, Luxemburg, Netherlands, New Zealand, Nicaragua, Norway, Panama, Paraguay, Peru, Philippines, Poland, Sweden, Ukrainian S.S.R., Union of South Africa, U.S.A., U.S.S.R., Uruguay, Venezuela., パレスチナ, テルアビブ (Tel Aviv), エルサレム (Jerusalem), キブツ (kibbutz)1,2,3,4, 点滴農業, テヌバ (Tnuva)


エピソードを読む:
[江良]
今日はNacreArc創業者兼CEOの堀田真代さんをお迎えしてお送りしたいと思います。よろしくお願いします堀田さん。

[堀田]
お願いします。

[江良]
今堀田さんはどちらにいらっしゃるんでしたっけ。

[堀田]
普段はイスラエルに住んでるんですが、今日この時点では岐阜の実家におります。

[江良]
はい。今日は僕は東京の自宅から、堀田さんは岐阜のご実家から、オンラインで繋いで収録させていただいております。ちょっとまず、僕の方から簡単に堀田さんのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。

[江良]
堀田さんは岐阜県のご出身で1998年に高校留学で渡米されて、その後6年間、アメリカのオレゴン州とカリフォルニア州でお過ごしになられました。

[江良]
その後2004年にソフトバンクグループでキャリアをスタート、12年間にわたるご在籍中にアリババ (Alibaba)、ボーダフォンジャパン、Bio Fund、China and Indiaファンド、MySpaceなどIT企業約100社の買収や投資、ジョイントベンチャーの設立に関わられ、ご実績を上げられました。また2011年の東日本大震災後は、社長室で復興支援活動に取り組まれ、1,000人の高校生にアメリカでの学びの機会をご提供されました。その後、2017年にイスラエルにご転居された後、日本企業にイスラエルの最先端の技術をご紹介され、日本へのローカライズの事業に取り組まれました。その後2022年以降、イスラエル人の事業パートナーと一緒にNacreArc社をご起業されて、引き続き会社としての事業の架け橋を担われています。ご専門の領域はサイバーセキュリティ、サイバーインフルエンス、ブロックチェーン、AIなどでございます。

[堀田]
はい。

[江良]
なかなか、インパクトあるプロフィールでいらっしゃいますけれども。最初でも、岐阜にいられてから、ちょっと恒例でちょっと、生い立ちというかプロフィールを、いろいろ質問させていただいてるんですけども、岐阜に最初、高校留学ということは、中学生から高校になるときにもう留学されたってことですか。

[堀田]
高校の途中ですね。高校の途中で高校3年生最後の年に行きました。なので留学高校留学は1年だけです。

[江良]
はい。何かアメリカに行きたいって思ったモチベーションはどういうものでいらっしゃったんですか。

[堀田]
まずその前に、中学校1年生のときに叔父がドイツでちょっと仕事をしてた関係もあって家族でヨーロッパ旅行に行く機会があって、そのときに全く英語が話せない自分っていうのもあったのと、プラス人種のるつぼと呼ばれるパリとかに行って、黒人からアジア人から白人からいろんな人に会って、世界って広いなっていう。岐阜の中でも特に私田舎に住んでいて、今人口3万人以下ぐらいの、そんな街なんですけど、で実家は今もキュウリ農家で、なのでもう見渡す限りここから見える景色は田んぼっていうそんな田舎で育ったもので、そもそも都会または、この岐阜じゃない世界への憧れっていうのが非常に強かったですね。

[江良]
うーんなるほど。

[堀田]
そんな中で、こんなちっちゃいところにいたら、自分の未来は閉ざされるっていうすごい強い思いがあって、とりあえず海外へいこう、みたいな感じで、その当時、90年代で海外っていうとアメリカがみんなの頭にぱっと思い浮かぶような場所だったっていうのもあって、アメリカにしましたね。

[江良]
で、まぁ1年間高校留学されて、その後もう大学も向こう出ちゃうってことになったんですね?大学ではどんなメジャー、専攻でいらっしゃったんですか?

[堀田]
ちょっとお恥ずかしいんですけど、最初1年目はシアターアートっというので、芸術みたいなものを学び始めて、実は女優みたいになりたいなんて思ったことがあったんですよね。でも英語で芝居なんてやるのはなかなかハードルが高くて、これじゃちょっと留学費用を出してくれている親に申し訳ないなと思って、そこから経済とか会計の勉強をして卒業しました。

[江良]
なるほど、じゃあ最初1年ぐらい、シアターアーツ、やってた。

[堀田]
やってましたね、はい。

[江良]
今でも演劇とかはご覧になるんですか?

[堀田]
あまり機会はないんですけど、機会があれば好きですね。ブロードウェイとかも観に行くのは好きですね。

[江良]
うん、そうですか。それでソフトバンクグループ、これは日本採用というか、日本に戻られてきてから、採用されたんですか?

[堀田]
アメリカに留学してる日本人向け、または日本語話せるコミュニティ向けに、サンフランシスコキャリアフォーラムとか、ボストンキャリアフォーラムとか、そういうものがあって、私はサンフランシスコキャリアフォーラムでソフトバンクに出会いました。

[江良]
堀田さんはもう最初からその、なんていうんですか、投資とか、そういうジョイントベンチャーとか、そういうどちらかというと投資部門のほうをずっとやってらっしゃったっていう感じなんですか?

[堀田]
そうですね。ただ1年目、入社したばかりのときは、会社の配慮もあって、まずは主力の事業を見て来いっというので、ソフトバンクBBの経営企画を1年やっていて、その後に本社の投資部門、ポートフォリオを見てるような部分に戻されて、そこから投資ポートフォリオを管理みたいな、またジョイントベンチャー設立みたいなのがキャリアとしてスタートしました。

[江良]
なるほど、何人ぐらいの、当時は何人ぐらいのチームでそういう、やられてたんですか?

[堀田]
その当時ソフトバンクの本社、上場している本社ですね、今はソフトバンクグループという会社名になっいてますけど、そこ自体50人ぐらいしかいなかったんですよね。で基本全て管理部門で、財務がいたりとか経理がいたりとか、IRがいたりとか、そんなような部署でしたね。私自体がいた部署は、当時10人いないぐらいの部署でしたね。ただ私は実はソフトバンクのことをあまり知らずに入って、特に海外にいたので、モデムを道で配ってるような、そんな会社だとはあまり知らずに、何か本社機能で採用してもらえるっていうのが面白いなと思って入ったっていう感じですね。ていうのは、外資で日本、東京オフィスで本社ってないですし、何か本社に行ったら面白いことできそうだな、みたいなそんな期待とともに入りました。

[江良]
うん、なるほど。当時、本社ってどこですか、水天宮?その時は違う、もう有明?

[堀田]
あのときは、ソフトバンクの本体は茅場町にあって、ソフトバンクのBBですね、事業部はまさに水天宮、T-CATって呼ばれる建物の真横にありましたね。

[江良]
うん。いやあ、そうですか。でも日々どういう、ごめんなさいちょっと、僕あんまりこう、ちなみにあの堀田さんの専門領域のサイバーセキュリティとかも含めて、あとまぁこの投資とかも含めて、僕どちらかともいわずとも、専門領域じゃなくて、いまいちこう、今日は自分とちょっとこうね、自分とは違うことをされてる方にお話をうかがって、楽しみなのと、そうだ、あと一応今日は、初めてこのalt-TokyoってPodcastで女性のゲストを

[堀田]
そうなんですね、ありがとうございます。

[江良]
お招きさせていただいてて、この時代に男性ばっかりっていうことでですね、ご批判というか、何かあったんですけれども、あの、今日楽しみにしてたんですけれども。

[江良]
どんな、そのポートフォリオの管理とか、そういう投資のやつってどういうようなお仕事なんですか?日々のこう、その12年のうちで多分ステージは変わられた、いろいろなことをやられたと思うんですけども、具体的なお仕事って何をするお仕事なんですか。

[堀田]
そうですね。基本ソフトバンクみたいな会社って持ち株会社なんで、全てが投資先なんですよね。それは大きな会社でいうと、ヤフーも投資家先の一つですし、有名どころのホークスも投資先の一つですし、あとさっき話にあったBBですね。今はソフトバンクモバイルと一緒になっていますけど、そういう通信会社、通信サービスを提供している会社も子会社で、なので全てが投資先の管理という業務の中に入ってくるもので、チームを決めてじゃああなたはこの担当ね、みたいな感じでしていて、特に私はあのアメリカの大学卒業していたっていうのもあって、海外のポートフォリオの担当っていうふうになって、その当時だとアリババ、先ほどのあの話にあったアリババであったりとか、そういった会社が私の担当でした。

[堀田]
特に2004年ぐらいは、アジア系の投資を盛んにし始めていて、なので事業もそうなんですけど、事業を成功させるための事業投資っていうものをアジアにちょこちょこし始めていて、なので日帰りで韓国行って、新しい投資先に会ったりとか、あとは株主総会や取締役会とか参加したりとか、中国に行ったりとか、そんな感じの出張が非常に多かったですね。そういうポートフォリオ、投資した先と、東京でやってる主力事業をどうやってがっちゃんこできるのか、主力事業の売り上げをどうやって上げることができるのか、そんなことを考えていく、みたいなそんな感じですね。

[江良]
それを考えて、投資家さん、投資先の事業会社さんと、こういうふうに連携ししてくれとか、何かそういうことをやっていくんですか?

[堀田]
はい。投資先、お金なくなるなんてこともあるので、そういうときはお金の工面をしたりもありますし、短期的なローンを出すっていう判断をすることもあるし、あとは人も採用しなきゃいけないときもあるんで、そういうのを何とか工面してきたりとか、あとはそれなりに日本でも、事業として成功しそうだっていう会社に関しては、ソフトバンクはジョイントベンチャーを設立するのが大好きなので、いまだにアリババ ジョイントベンチャーっていうのはアリババとソフトバンクのジョイントベンチャーですし、あのヤフーも当時ね、ヤフーとソフトバンクのジョイントベンチャーとして日本に持ってきた会社の一つですし、そんな感じで日本に会社を作って、そうすると事業計画作って、そこに人をつけて、社長さんつけて、そんなことも会社が軌道に乗るまで面倒見るっていうのをやってました。

[江良]
なるほど。それでこの、震災の後の復興支援活動っていうのは、これはあれなんですか、いわゆる投資部門での業務と並行されて復興支援活動されたんですか?それとも、一旦もうこれは一大事だっていうことで、もう震災の復興支援をご専任としてやられてたんですか?

[堀田]
専任とやってしてやっていました。ただし、もう本当にあのぐちゃぐちゃになってるような状況で、当時、日本にCSR、Corporate Social Responsibility、こういう社会貢献の部署もほとんどないような状態で、会社の組織としてもどうやってオフィシャルに東北をサポートするのかっていうのが体系としてできてなかったので、当時社長室にいた私の仲間が、こんな話ちょっと孫さんとしてたりするんだけど、面白そうでしょ?とか言って、面白そうだね、って言って、ちょっと大使館来ないっていって、アメリカ大使館に行って、あの当時のルース大使とかに会ったりして、そうやって、ちょこちょこ日々の業務とは違うところで抜け出してやり始めたら、それが本当にフルタイムでやらなきゃいけないレベルになって、すいませんこっちに仕事を転換させて、異動させてくださいって話をして、上司に許可もらってやり始めたっていう感じですね。でもそういうのが許されるような会社でした。

[江良]
でも本当、堀田さんまず個人のご興味としてはね、大学のときからね、会計とかそういう系みたいなことを学ばれてきて、孫さんの近くでいろいろね、本当にいろんな大きな投資案件を動かしてるっていう中で、その、あれですね、それってあれですか、荒井さんとかそういう?

[堀田]
そうです、荒井さんです。まさに荒井さんです、私を誘ったのは。

[江良]
そうですね、だから、あの今ね、衆議院議員になられた荒井優さんという、僕もあの震災とき、いろいろお世話に、まぁあの人と関わった人は結構多いと思いますけれども。荒井さんに誘われてルース大使に会われてみたいなから、なんかこっちの方に、結局、多分個人的な興味というか、なんかそっちの方に向いてむいてしまったというようなことだと思うんですけど、何かどういう気づきというか、どういう思いでいらっしゃったんですか。

[堀田]
そうですね、今思い出してみるあのときの私は不安もたくさんあったんですが、ただすごく人生の中で重要なディシジョンメイキングをしたなっていうふうに思えるぐらい、大切なキャリアの中の展開だったなっていうふうに思ってます。

[堀田]
そもそも2011年、東京にいて、3月11日東京にいて、歩いて帰って、それなりに東京にいる人たち自身もインパクトを感じながら、今トルコの地震で、ちょうど今日の朝、日本の震災の死者数を抜いてしまった、みたいなことが発表されていましたけど、それもあってあのときも寒い日だったな、トルコも寒いな、とかいろいろ思いながらやっているんですけど、考えてるところなんですが。あの、なんですかね、それまでは完全に資本主義の中にどっぷり浸かっている私のキャリアが、いきなりこの2021年の災害によって、もうちょっとこう心を打たれるような、資本主義だけじゃない自分の時間の使い方、キャリアの目指し方っていうものを学んで、ただし資本主義っていうものは非常に強いので、そこからだ脱落してしまう自分に対しての不安もありましたし、もしかして、また投資とかには戻れないのかなっていうそんな不安もありながらだったんですが、ただもう、やるしかない、みたいな感じでやり始めて、そしたらもう本当に、毎週何回新幹線に乗ったことかっていうぐらい東北を訪問し、いろんな高校を校長先生を訪問し、親御さんに会っていろんな人生ストーリーを聞いていく中で、何か震災というものは私は経験はしていないけど、東北にいる、特に女の子たちっていうのは高校時代にフラストレーションを感じていた自分と一緒だなっていうふうに思って、そこが自分自身のモチベーションに繋がっていきましたね。

[江良]
なるほど。さっきプロフィールでも、1,000人の高校生にアメリカでの学びの機会を提供ってこれTOMODACHIプロジェクトっていうんですよね、僕もちょっと、なんかちょっとだけ関わったりとか、あるんですけども、ねソフトバンクっていう会社でいろいろ、やれる、フォーカスの取りようもいろいろあったと思うんですけども、この高校生に対して学びの機会を提供するっていうこのTOMODACHIプロジェクト、やろうっていうふうになってたのは、今堀田さんの多分個人的な、岐阜での高校のときの思いと重なったっていうところも多分一つ大きな理由だと思いますけども、なぜ携帯会社が、とかですね、そういうネットの会社が、その高校生の教育、しかも海外での学びっていうところをやろうということになってたかっていうと、どういうようなプロセスでそうなっていったのか教えていただけます?

[堀田]
そうですね孫さんも17歳でアメリカに留学、16歳だったかな、アメリカに留学していてそれ行ったのがサンフランシスコだったんですよね。その中でアメリカに行くことによってこんなにカリフォルニアの空は青いんだ、何でもつかめる可能性があるんだ。っていうことを16歳、17歳の孫正義さんは感じたらしくて、その後にUCバークレーを卒業されて、その間にも起業しながら、その後ソフトバンクを立ち上げてっていうのが孫正義さんの人生なんですけど、そんなあの海外に行く、あの普段の生活とは違うところに飛び立つことによって何か新しいものがつかめる。それは家をなくした、親を亡くした苦労っていうところで止まるんじゃなくって、もうちょっと先を見るために、何かソフトバンクとしてまた孫正義としてできることがないかっていうことを考えてとった決断でしたね。それ自体が本当にちっぽけな私ですけど、私自身の経験とも非常に何かかぶるような気がして。それがセンスオブオーナーシップっていう言葉を、その当時すごくよく使ってたのを思い出すんですけど、自分自身のこととして捉えられる、そんなプロジェクトになっていきましたね。高校生をアメリカにっていうところで、実はあのUCバークレー、孫さんの母校に全員連れてったんです。

[江良]
いやでもなんか、そう聞くとすごい素敵なプロジェクトですし、

[江良]
ちなみに、やっぱりあのこれちょっと話ずれちゃうかもしれないですけど、僕もあの高校生と、あと中学生と、小学生の子供が3人いるんですけども、やっぱり海外は高校生とかの、どのタイミングで、海外はね、なんか旅行でも何でも見させた方がいいと思いますけども、やっぱ高校って連れて行くには結構いいタイミングなんですかね?

[堀田]
私はほぼ確実にそう思っていて、大学留学だと遅いんじゃないのかなっていう思いが強いですね。特に日本でも成人年齢が18歳に引き下げられましたけど、あの当時はまぁ私自身まだ20代っていうときですね。だから結構こう日本だと20歳ぐらいまで守られるみたいな、親に守られるみたいな環境だった気がしますけど、欧米に行くと18歳になったら家から出てきなさいよっていう、そんな感じで大人としてのステータスを与えられる、そうなったときに18歳、高校卒業の年齢までが唯一社会の中で子供として見てもらえる、イコールいろんなサポートを得られながら留学できる唯一のチャンスなんじゃないのかなというふうに思って。で、なので私はホームステイしてたんですけど、向こうのお父さん、お母さんがいて、たくさんのサポートを得られて、だからこそ文化理解も進みましたし、あと温かさに、普通にもう文化として、また人としての温かさに触れることもできましたし、向こうも私を子供として扱ってくれるので、それはそれで心地よくて、全て自分がやらなくていいし。何か非常に良かった。ていうのは、留学っていうのは言語を学ぶだけではなくって、文化であったり人であったり社会を学ぶっていうことがないと意味がないと思うのでそういう意味では高校留学っていうのは良かったなと思いますね。

[江良]
そうですか、勉強になりました。ありがとうございます。はい。

[江良]
ちょっとごめんなさい話を戻して、でそれでソフトバンクさんは、何年まで在籍されたんだ、12年間ということは、2016年まで、

[堀田]
2016年までいました。

[江良]
2017年にイスラエルにお引っ越しされるわけですね。ここら辺はどういうことだったのかもう少し詳しく教えていただけますか?

[堀田]
すごくシンプルに言うと、この東北の震災支援でイスラエル人の夫に出会いまして、2014年に結婚しまして、なのでイスラエルに行くなんて思ってもなかったんですけど、ていうか、私の中でイスラエルっていうのは、行こうと思ってる地図のマップの中に入ってないぐらいの国だったので、なので私が今イスラエルに住んでるのはかなり自分でも意外だと思っているんですけど、

[江良]
でも、それね、震災の復興の現場で、イスラエルの旦那に出会うってまたちょっと、なんかちょっとすごいレアというか、ユニークですよね。なんで旦那さんは東北にいらっしゃったんですか?

[堀田]
彼自身は、ちょっとこの後、話として出てくると思うんですけど、軍隊、兵役中から社会貢献みたいなことをやっていて、その関係もあってずっとこうネパールのNGOで働いていたりとか、そんなことをしていたんですよね。で当時日本の災害が起きたときは、ネパールでの仕事が終わってイスラエルに戻って、次、何しようかなっと思っていたときで、呼び出されてちょっと行ってくれないかって知り合いの団体に言われて初めて日本に来てっというので、震災の4日後に来たっていうふうに彼は言っていて。1週間2週間来る予定が、3年間仙台に住んでいて、大きな団体の、日本の支社というか、立ち上げてっていうそういう感じなんですけど。TOMODACHIプログラムでいうと、高校生がたくさんいたので、その子たちの面倒を地元で見てくれる人が必要で、あの仙台のメンターみたいな感じで、助けてくれていましたね。プラス、あのルース大使、当時の大使が、これは重要かどうかわかんないですけど、ユダヤ人大使、初のユダヤ人大使っていうのもあったりしてそれもあってか分かんないんですけど、彼を最初に私に紹介してくれたのはルース大使でしたね。

[江良]
そうなんですか。でもその2014年にご結婚されて、またね日本で、でもやっぱり旦那様が何かやっぱりイスラエルに帰ってお仕事するとか何かそういうような、あの旦那様のお仕事の関係があって、動かれることになったんですか?それとも何か堀田さんご自身がイスラエルに対する興味が、地図になかったところが、何か興味を持ってきたとか?

[堀田]
そうですね。2014年からちょこちょこイスラエルを訪問するようになって、で非常に面白い国だなっていうのは印象としてありましたね。みんな生き生きしているし、なんか成長を目の当たりにできる国だな、珍しい国だなというふうに思いましたね。ていうのは、欧米のほとんどは一定の経済成長を終えちゃった国が多いので、そういう意味でこの国面白いなぁ、まだまだ力が、余力がたくさんある国だなっていう印象を受けていて、でプラス夫の仕事も仙台で3年住んで、日本だけじゃなくて、どんどんどんどんその後も災害、自然災害、Man made、人的災害、たくさん起こっていたので、そろそろ日本じゃないところに行こうかっていう話になって、どっか行くんだったら私はイスラエルに行きたいっと言ってイスラエルに引っ越すことになりました。

[江良]
どっか行くならイスラエルに行きたいっていうのはやはりか活力とか、何かそういうところが、ね例えばあのヨーロッパのどっかの国とかなんかそういうんじゃなくて、イスラエル、っていうふうにそのタイミング決められたのは、何かあったんですか。

[堀田]
具体的にはその当時アメリカとイスラエルが最終候補地になっていて、アメリカは私住んだことがありまし、なんとなく雰囲気わかるし、どんな生活になるのかも想像ができたので、想像ができない国に行きたいなと思ってイスラエルを選びましたね。

[江良]
でもお子様もいらっしゃるじゃないですか。お子様はどのタイミングでご出産されてらっしゃるのですか?

[堀田]
子供はイスラエルに引っ越してからで、そうなんですよ、すぐに子供できなかったんですよ。なので21017年に引っ越して、イスラエルの体外受精の技術を使い、2019年に双子が産まれました。

[江良]
そうなんだ。いやいやでもね、なんかすごいチャレンジ精神が、堀田さん尽きない感じでこうねやられてるのが素晴らしいなと思いますけども、ちょっと、行かれて、今のお仕事ねNacre Arcのお仕事に繋がるまでの、あの今どういうお仕事されてるのかというのを、素人の僕もわかるようにで恐縮ですけれども、概要的にちょっとご紹介いただけまうかね?

[堀田]
はい、そうですね、2017年からイスラエルに行ってるんで、約6年、あの5年、6年たったところで、ちょうど永住権も取得できて、私はイスラエルでは自由の身になったっていう感じなんですけど、それまではビザを持ちながら、仕事する権利はあったので自由に仕事はできて、スタートアップ、イスラエルってハイテク業界、特にスタートアップのイノベーションが盛んな場所なので、ちょっと地元企業でも働いてみようかなって思って働く時期があったりとか、あとはソフトバンク辞めた直後には、会社員やってたからちょっと会社員じゃない人生を、形成したいと思ってフリーランスで仕事をしたりとか、そんな感じで仕事していました。その中で出会ったイスラエル人の仲間たちと一緒に、NacreArcっていうのを立ち上げて、今会社にしたわけなんですけど、非常に日本からのイスラエルに対する興味関心もこの5年6年で高まっていて、日本企業による買収、企業買収または事業提携っていうのはどんどんどんどん増えているので、ただイスラエルの会社と付き合うのって簡単ではなかったりするので、その文化的なギャップであったりとか、あの能力的なギャップ、そんなとこを埋めたいなと思って、NacreArcを設立して、今架け橋をやっています。

[江良]
うん、何か差し支えない限りで、どういう分野の架け橋を、やっぱこうテクノロジーとかそういうサイバー系とかブロックチェーン系とかAI系とか、差し支えない範囲でいうと、やっぱりでもそういうIT系になってくるんですか?

[堀田]
そうですね、私自身もソフトバンクの経験からしてサービスであったりとかIT的なそういった領域が強いので、例えばものを売るとか、例えば化粧品を日本に輸入するとか、そういうのではなくて、私自身の興味関心プラス強みというところでIT系のサービスです。特にイスラエルが強いのはサイバーセキュリティ技術だったりするので、そういう技術を日本に持ってきて、国または民間に対して売り先を探したりとか、あとは売るまでのカスタマイズ、そんなところを一緒に手がけたりとか、そんなことをしています。

[堀田]
あとは最近、面白い分野でいうと、最近じゃなくてもう6年間ずっと関わってるんですけど、サイバーインフルエンスっていう分野もあって、これはソーシャルメディア上でプロパガンダを作るみたいな、そんなものもイスラエルの技術として非常に優れていて、例えば日本ですと、これ事実としてあるのが、沖縄の知事選のときに、おそらく中国だと思うんですけど、中国っぽいインフルエンサーの人たちが反アメリカ的な、なので米軍基地を排除させるような、そんなコメントをたくさんソーシャルメディアでばらまいていたりとかあるんですけど、そんな感じのことが多数起こっていて、あのヨーロッパの方ですと、ロシア、ウクライナの戦争でもそんなのが使われたり、それが企業のレベルでも使われたりして、企業のブランドを落とすってことになっていたりするので、そんなノウハウであったりとか、リサーチの技術だったり、そういうのを日本に持ってきたりもしています。

[江良]
なるほど。やっぱりそれはイスラエルという国がね、やっぱり何て言うの、パレスチナとの関係とかアラブの関係も含めて、そういう軍事みたいなものが非常に重きをなしている、予算とかそういう意味も含めて、だからそういうセキュリティとか、そういうネット上でのね、いろんなアラブのいろんなことも、やっぱSNSとかでね、いろんな状況が起きてるみたいですから、やっぱりそういう軍事的ないろいろなこう、優位性みたいなものを国として確立していないと危ないからっていうことで、やっぱそういった技術が発展してらっしゃるんですかね。

[堀田]
そうですね。兵役の話になるんですけど、男女ともに兵役があって、男子は基本3年、女子は基本2年っていうのがあって、Officerであったり高いレベルに到達するにはもっと長くいたりするわけなんですけど、こういう人たちが民間の中に出てきているんですよね。なので、軍事技術の民間転用というのが非常に一般化されていて、なので軍もそれを止めないですし、それが産業の柱になっていたりするので、そうですね、はい。

[江良]
うん、なるほど、わかりました。ちょっとですね、本当いろいろそういうサイバーなことも深堀していけるといいんですけど、またちょっと僕がもう少し勉強させていただいて、ちょっとここからはイスラエルについてちょっとおうかがいさせていただきたいと思うんですけども、まずその、国民性というか、イスラエルって本当に特殊な歴史を持った国だと思いますけれども、あと民族だと思いますけれども、一番ご結婚されて、あとねご結婚された後、向こうのご家族とか、あと近くに今ビジネスパートナーもね、イスラエルの方ということと思いますけど、日本と比べて何か似てるところとか、もしくはとてもさっきも文化的、能力的なギャップを架け橋されてるということでいうと、本当に違いも、違いの方が大きいのかもしれないですけども。どういう国民性なんでしょうかね。イスラエルの方々は。

[堀田]
そうですね。日本人とイスラエル人は結構真逆な性格かなっていう思うぐらい、違う人種性格かなって思います。よくこういう言い方するんですよね、あの日本人は橋を渡るときに渡っていいか、壊れてないか、何回も叩いて、叩きすぎて橋がなくなってしまうみたいなとこがあって、イスラエル人は叩くか叩かないか、1回ぐらい、1回ぐらいコンって叩いてみるかもしれないんですけど、とりあえず渡ってしまうと、そうなったときにこれってイノベーションの話に繋がってくるんですけど、日本人は結局叩きすぎて渡るっていう選択肢さえ失ってしまってしまうかもしれないけど、イスラエル人は橋ごと落ちていく確率も非常に高いけど、ラッキーに向こう側に渡れる確率もちょいちょいあるというそんな感じの人種かなというふうに思ってます。

[江良]
面白いですね。ちなみにそういう橋落ちちゃったときって、どんな感じになるの、日本って結構やっぱり落ちると、なんていうのかな、結構立ち直れないみたいな、それもちょっと変わりつつあるとこあるかもしれないけども、結構立ち直れないリスクが大きすぎるみたいなイメージありますけれども、イスラエルってどうなんですか?

[堀田]
これは本当にイスラエルから学ぶべきだと思うんですけど、イスラエル人は失敗こそが人生の資産だというふうに思ってるので失敗の自慢をしますし、もちろん成功の自慢もしますけど、失敗の自慢もするし、それだけ経験値になっているっていうふうに捉えられて社会の中でマイナスにならないんですよね。

[江良]
でも失敗がね、自慢するってなんかすごい素敵なカルチャーというかね。失敗話とか、何ていうの、変な意味じゃなくて面白いし、それを本当に痛みを持ってね、失敗しているからこそ、なんかね次の成功というかね、少なくともその人の経験上は非常に大きなものありますよね、それ絶対ね。

[堀田]
本当そうだと思います。トライアンドエラーの数がもう半端ないですね。

[江良]
だからまぁ、資本的な裏付けとか、何だその資本的な流動性とかね、そういったところがあるんであれば、まあねお金出す側も、たくさんの経験をして、いろんなね失敗されてる方の方が、なんか打率とかも高そうな感じもしますしね。

[堀田]
はい。

[江良]
そうですよね。なんかそれはあれなんですかね、なんなんだろう。イスラエルの、までも、とにかくやってみようよっていうことになるってことですよね。

[江良]
そうなんですよね。うん、なんで日本人はやってみようよってならないと思われます?特にやっぱりね、そういう岐阜で農家さんのね、娘さん、農家さんの娘さんっていうのもあれですけど、そういうこう、いわゆる地域のね、なんか最近も福井の何か池田町ってところで、見ました?都会から移住する人たちに対して、何かその村の区長さんたちの区長会みたいのが、なんか7か条、こういうことをこう、何かあの都会から移住してくる際にはこういうことを気をつけてくださいっていうのを、何か文書を出して、ちょっと話題になってたんですけど。

[堀田]
へぇ、知らなかったです。

[江良]
なんか都会、まず都会から来たら、ちょっと品定めされるけど、それはしょうがないです、とか、何かちょっとあの、僕はあの、そういうあの、一理あるっていうか、そうだろうなと思ったんすけども、ちょっと批判とかもいろいろ出たりしたんすけど、ちょっと置いといたとして、やっぱりこう日本っていろいろこう、和を持っていうか、いろんな人たちの目があって、何かいろんな人たちの立場があって、それをこう全体的になんかふんわりとこう、よしとするみたいな。だから結局誰かがこうやろうと思っても、必ず誰か足引っ張ってたりするじゃないですか。だから結局こう集団として、かといって集団で意思決定していくのが得意でもないし、そういう意味だと、なんかね、そういう、やろうと思ったら、ぱっとやっちゃうみたいのって、やっぱり日本の特に地域とかと、なんかねそういう伝統的な何かコミュニティの中にいると、なかなかこう想像すらつかないような気がしてきちゃいますね。

[堀田]
そうですね、何かこれに関してはいろんな方向で、もうなんか2時間でも3時間でも語れるぐらいの話題なのかもしれないんですけど、ちょっとシンプルに2つにすると、1つはかなりサバイビングしてる国なんですよね。私が2017年にイスラエルに渡ってからも2回戦争が起きていてミサイル飛んできてっていうことがあって。なので、なんか平凡に平和主義の中で生きてるわけじゃなくって日々何が起こるかわからない中で生きてる、だから毎日大切に生きてる、っていうなんかそんな特異な状況はあるのかなと。日本で同じことを作り出すのも難しいですし、作り出す必要もないと思うんですけど、あの特異性っていうのは人々を強くしているし、あのディシジョンメイキングをさせる、またはぼーっと生きないようにさせる、というか、そんなところを作り出してるのかなと。あとは、この国、結局は1948年に作られた世界の中でも非常に新しい国なんですよね。まだ70年ぐらいしか経っていなくって、何が起こってるかというと、だいたいじいちゃん、ばあちゃんの世代までかさかのぼるとみんな移民だったっていうところで、なので空気読めないっていうものはそもそも通じなくって、いろんな言語から来た人たちと社会の中で一つの国として成り立たせなきゃいけなかったので、分かち合うまたは議論する、こういうものが文化的に出来上がってるのかなと。あの人もそうだよねとか、そういう話じゃなく、あとは足を引っ張り合うってこともなくはないんですけど、だから何なのって。足が引っ張られてもこっちは生きるために必死なんだから、っていうのであんまり気にしないっていうのがあるんでしょうね。

[江良]
なるほどね。いやでも、そういう、やっぱりその生きることに対して、どうしても真摯にいろいろ軍事的、その周りの環境も含めて、なんかもう真摯に緊張感というか、張り合い持って、やらざるを得ないというかね、なんかそういうような環境は日本のこの、なんていうか、そういう豊かさと言っていいのかわかんないですけども、ある程度島国の中である程度海に守られて、本当に長い間定住しながらやってる。動いている人もいますけど定住して、この水田とこう共に生きてるみたいな、そういう人たちとはやっぱりそういうところで反対になってるのかもしれないですよね。

[堀田]
そうですね。

[江良]
うん。いやでも本当に日本とイスラエル、全然価値観が違う中ですけれども、今イスラエルってのはどのぐらいの人口とか、ちょっとマクロ的に比較してみると、人口とか、あとは面積とか、ちょっとどのぐらいのことを聞けるのかあれですけれども、どのぐらいの人口なんですかねイスラエルって。

[堀田]
人口なんですけど900万人です。ただ私が引っ越した2017年は800万人って言ってたので、全体の人数としては日本に比べては大した人数じゃないんですけど、非常に成長率が激しいですね。もうちょっとしたら1,000万人にリーチするっていうような、そんな状況です。900万人の人口なんですけど、移民も多少あります。移民っていうのはユダヤ人であることを証明できれば誰でも国民にしてくれるっていう、そういう場所なので、最近とか実はヨーロッパ、ロシア人の移民とかもどんどん来てるような状況です。ウクライナ人もあるんですけど、ロシア人からロシアのユダヤ人の移民も来てるような状況です。ただしこの数年に関しては、移民でっていうよりも、単純に子供の数ですね。特殊出生率って言えばいいんでしたっけ、女性1人あたりが人生で産む子供の数、日本だと確か1.36人とかそんなんだと思うんですけど、イスラエルは3人いるんですよね。なのでOECDの中でダントツにナンバーワンの国です。

[江良]
そのさっきユダヤ人であることを証明できれば、移民できるっておっしゃいましたけど、どうやって証明するんですか?DNAとかやるんですか?

[堀田]
何かドキュメントがあるらしいんですよね。ユダヤ人って結局、あんまり混ざらずに、いろんなヨーロッパであったりとか中東であったりとか、2000年旅をしてたって言われていますけど、国を持てずに。なので何かあの、シナゴクに登録されていた何かであったりとか、何か証明する術はあるらしいですよ。私もあんまり深くは知らないんですが。

[堀田]
土地としては四国ぐらいの大きさなので、非常にちっちゃな場所です。ただしその中に砂漠があったりとか、実はちょっとだけ雪が降るようなスキーできるところがあったりとか、いろんな、あの場所があって、中でもあの死海とか、結構観光地として有名な場所もあったりとかして、なのでいろんな景色がある、楽しめる、四国の中に凝縮された、そんな場所です。

[江良]
その堀田さんは、どこら辺というか、どちらにお住まいなんですか?

[堀田]
私はあの経済都市と言われているテルアビブっていうところで、地中海に面した非常に綺麗な街です。

[江良]
テルアビブってのは、ほぼほぼでも、首都、首都はねもちろんエルサレムなんだと思いますけれども、実質、経済、政治も、政治はテルアビブじゃないんですか?

[堀田]
じゃないです。これまたちょっとややこしいんですけど、エルサレムというのは国連が認めていない首都になっているので、ただしイスラエル人にとって首都は当然エルサレムで、なので国会議事堂みたいなものであったりとか首相が住んでいる場所、こんなものは全てエルサレムにあります。省庁機関も全てエルサレムにあります。なのでテルアビブは完全に経済都市ですね。

[江良]
なるほど。

[堀田]
ただし、多くの、あの大使館はご存知の通りテルアビブにまだあるような状態で、アメリカは大使館をエルサレムに移動しましたけど、日本大使館はテルアビブにあります。

[江良]
なるほど。結構、高層、なんて何かこう質問としていいかわからないですけど、何かマンションみたいなところに住まれてる方が多いんですか。

[堀田]
そうですね。もう本当に四国みたいなところにどんどんどんどん人口が増える。プラス砂漠も多いので、そんなに全て住みやすい場所とも言いづらくって、もう都市人口というか、都市がどんどん左右、北南にも東南にも、どんどん拡大してってる。場所がないからどんどんどんどん高層化してるっていうそんな状態ですね。

[江良]
やっぱり、都市に住む人の人口比率がすごい高い国なんですかね?

[堀田]
高いですけど、田舎の方、結局本当に四国ぐらいの場所しかないので、例えばちょっと田舎の方に住みながら、テルアビブに通いながら仕事してる人もいますし、なので都市に一極集中という感じでもないです。田舎の方から通ってる人たちもいます。

[江良]
というのはあれですね、前1回ねブリーフィングでお話させていただいたとき、すごいそのイスラエルって食料自給率がすごい高いっていうふうにうかがたんですけども、どれぐらいあるんでしたっけ?

[堀田]
ほぼ100%ですね。肉以外はなんですか、野菜とかで言えば100%です。

[江良]
でも砂漠地帯も多いみたいな中で、すごい、やっぱりある意味工業的に、あとはすごい計画的にやってらっしゃるんですかね。

[堀田]
そうですね。やっぱり周りが全て、大陸の中の国ではあるんですけど、認識としては島国なんですよね。そういう意味では日本と同じだってよく言われることがあるんですけど、周りは敵ばっかりで、ちょっと北に行けばレバノン、シリア、南に行けばエジプト、でちょっと東の方に行けばヨルダン。で平和条約が結ばれてるところもあるんですけど、アラブの国なので完全に平和かというとそうではなかったりするので、なので自分たちで国を守らなきゃいけない。せっかく1948年にやっと国を持ってたから、守らなきゃいけないそのためには食料自給率を高める必要がある。そのためには子供たちを産む必要がある。こんな生きる力を非常に持ってる国ですね。

[江良]
でもそれは、国家としてのなんていうんですか、プライドというか、国家としてのアイデンティティがすごい強い国なんですよね、多分ね。

[堀田]
そうですね。

[江良]
やっぱり、こうなんだ、当然与党と野党と、つまりライトウイング、レフトウイングみたいのでね、政権は変わるでしょうけど、やっぱりこうイスラエルっていう国を作ってるんだというかね、この国を大事にするんだみたいな、それは本当国民の皆みんなが心強く思ってる思いなんでしょうね。1940、何年とおっしゃいました?

[堀田]
1948年ですね。

[江良]
1948年ですね。だから本当に何か自分たちで国を勝ち取ったというかね、2000年の放浪の末に勝ち取って、これからやっぱりこう、でね、それもまだ不安定だから、みんなでどうにかしていこうっていうのは強くあるんでしょうね。

[堀田]
はい。

[江良]
はい。じゃちょっとそんな中で、あと今日ね、一番堀田さんと話したかった話に、キブツっていうものが、イスラエルには、その独特の、その入植のときからの、いろんなシステムがあって、これがすごい興味深いシステムなので、このシェアをしていただこうというのがですね、今日一番メインのトピックに入っていくんですけども、多分キブツって聞いたことない人の方が多いよと思うんですけども、まずキブツっていうのが何かを、ちょっと堀田さんから簡単にブリーフィングをしていただいて、その後いろいろ質問させていただく形でいいでしょうか?

[堀田]
はいキブツっていうのは、イスラエルってヘブライ語っていう言語を使ってるんですけど、これは旧約聖書が書かれた言語だったり、非常に古い言語なんですけど、このキブツを直訳すると、グループっていう意味なんですよね。なのでグループで住む。グループというものを大切にして、生活を成り立たせるっていうものが、キブツというもので、実際20世紀初めぐらい、なので建国よりも初めから、こういう人たちっていうのがヨーロッパから特に移民として来て、仲間で一緒に住み始めてっていうものが、当時イギリスの領地下であったイスラエルの土地、その時はパレスチナと呼ばれていた土地で起こっていたという感じです。特に2000年放浪していた、まあ放浪ではないですけどユダヤ人は、基本的にヨーロッパの方で土地を持たせてもらえなかったんですよね。なので、持てるものっていうのは、頭の中のノウハウだけだっていうところもあったりして、非常に勤勉だって、ユダヤ人は一般的に言われてることなんですけど、それと同時に逆を言うと土地を持たせてもらえなかったから、非常に悲しい思いをした。やっと土地を持てるようになったら、自分たちで土地を耕してそこに芽を吹かせてっていう、そこがすごく重要だったっていう、そんなところです。なので、キブツ自体、20世紀初めぐらいからたくさんでき始めたんですけど、大体が農業を主体とするグループっていう感じで、大体100人とか多いところだと1,000人ぐらいの家族が住んでいる、人数が住んでいるようなキブツがポコポコあちこちにあります。場所に関しても、都会っていうよりも、基本的には田舎の方に作って、土地があるところで土地を耕して暮らす。で全てをシェアするっていう状況で、当時私の年齢よりもちょっと上ぐらいになるんですけど、本当に全てをシェアされていたので、赤ちゃんは赤ちゃんの家に住んで、なので親と一緒に住まずに、親はみんな労働者としていろんな役割を持たせられて労働して、家でご飯食べるのではなくって、カフェテリアでみんなご飯食べて、収入は全て分け与えるから、みんなイコールで、大学に子供を行かせたいんだったら、そのグループの許可を取って、申請制でお金を出してもらうみたいな、そんなことをしていたっていうのがキブツです。

[江良]
もう私有財産がないってことはないけど、もう完全に、でも完全な、いわゆる共産主義みたいなものですよね。

[堀田]
そうですね。

[江良]
うん。でも完全に、それって何か平等性みたいなものはどうですか?いわゆる社会主義とか共産主義だと、なんかこう、共産党の書記長みたいなものが偉いみたいな感じでちょっと、中国とかだと、こう専制制っぽくなっていくじゃないですか。でもキブツは結構その、平等というか、結構あれですよね、民主的な意思決定をすごいしてくっていうふうにいってましたよね。

[堀田]
そうなんです。なので、あの一般的な社会主義みたいな考え方とは違って、例えば中国とかロシアとはおそらく大きく違って、その中に民主主義が存在していたというところです。なので全てをシェアするという共産主義的、社会主義的なところは、あのイコールかもしれないんですけど、民主主義っていうものがそこに乗っかっていて、ていうそういう感じです。なので何か決めようと思ったら、みんなで投票制になっていて、みんなで決めて本当に細かいことから全てみんなで決めるというそういう主体になっていたというふうに聞いてます。

[江良]
うん。あとジェンダーのギャップもあまりなく、そこでは女性も投票できたりするし。

[堀田]
当然ですね、はい。

[江良]
さっきもね、兵役も男性も女性も、3年と2年の違いはあるにしろ、両方あるっていうようなこともおっしゃってましたけども、何かこうやっぱりキブツもしくは、イスラエル全般なのかもしれないですけど、ジェンダーの平等性みたいなところは非常に強くあるんですかね。

[堀田]
そうですね、あの、結局国を、ちょっと北朝鮮も今そうかもしれないんですけど、国を盛り立てようと思ったときに、男女関係なく、みんなが1人1人自分の責任を果たす必要がある。だとしたら女性だってできることがあるし、男性だってできることがあるし、そんな考え方のもと、特にキブツの中では、女性主義的な人も多かったというふうに聞いてますね。なので、男女関係なく力があり、やるべきことをやる、あの勤めたっていうところですね。

[江良]
これはちょっと、想像というか、想像の範囲のお答えになるかもしれないんですけど、最初のその入植いくみたいなときに、そういうこう完全にその財産を共有して、その子供も共有するみたいな、食べ物も共有する、あと洋服もなんかみんな同じもの着てたみたいな、とか。で同じような建物を建てて、本当にキブツの、グループ、グループっていう意味だとおっしゃいました、このグループが1人の、1つの個で、個人個人をそのキブツを構成する、一つの要素というかね、構成する部分だっていうような、そういうような考え方だと思うんですけど、やっぱりこれ効率が良かったんですかね?それとも何かこうユダヤ教の宗教上、何かそういうシステムがなにか効率的とか、なんでね、アメリカとか多分ある程度オーナーみたいなのがいて、なんか奴隷みたいなの引っ張ってきて、ワーッて作って、開拓が広がっていくっていうような、なんとなくそういうイメージありますけれども、何でこういう非常に民主的で、しかも何かこう共産的なこういう仕組みが、開拓のときに広まっていったんだと思われます。

[堀田]
これすごく重要なのが、個人主義っていうところをこの人たちは重要視しなかったんですよね。個人主義を悪だと思った。悪っていうのはちょっと強すぎる言い方なんですけど、それは欧米とかで始まっていた、個人主義的なところに対しての反発でもあったんだと思います。で、イスラエルっていう場所を持ったときに、みんなでこの国を良くしよう、みんなで社会を良くしよう、そんなあの非常に強い思いがあってやっていて、実はこの個人主義っていう考え方、個人主義を排除した考え方というのはキブツの今の考え方にもなっていて、もう100年ぐらいの歴史があるので、キブツもいろんなかんじに変わりつつある。社会から資本主義の影響を受けたりして、破壊されていったキブツもあったりもするんですが、最近また若者の中でアーバンキブツ、都会の中のキブツみたいなのも生まれていたりして、これはもう完全に農業ベースではなかったりするんですよね。でも、テルアビブにも、3つそういう都市型キブツがあったりして、大体これ作られているのは、ちょっと貧乏なエリア、一番イケイケの例えば銀座の中心に作るとか、渋谷の中心に作るっていうことはなくって、もうちょっと廃れた感じのところに作って、それも20人ぐらいの、小規模で作って、ここでも重要なのはその地域を良くしたいとか、その周りを良くしたいっていう、個人主義じゃなくって、コミュニティをあのコミューンみたいな言い方をしますけど、コミュニティを良くしたいっていう思いがあってやってる、あそこのキブツというところは、100年たっても個人主義じゃないっていうところがずっと続いてるなっていうふうに思ってます。

[江良]
それはどこから来るんですかね?つまりねユダヤ人ってね、いわゆる海外でもそれこそロックフェラーとかもそうですけど、やっぱり土地がない分ね、財産をつかさどるような人種と思われてね、それでいろんなコンフリクトとかもあのあるように思いますけれども、何でそのイスラエルという、その約束の地みたいなものを得るときに、そういう非常に理想主義ですよね、それって個人じゃなく、コミュニティの集団の利益を優先していこうっていう。それがちゃんとその理想主義の中でこう進んでこれたっていうのは何か宗教上の理由なのか、何かこう特別なものがあるのか、何か逆に日本でも頑張れば取り入れられるような何かそういうモチベーションなのかとか、そこら辺って何か想像できることあるでしょうか?

[堀田]
そういう意味では宗教ではないと思ってます。ていうのは、ユダヤ人っていうのは大体イスラエルに住んでるユダヤ人が全体、大体1,500万人ぐらいって言われてますけど、もう半分ぐらいで、それ以外のユダヤ人は海外に住んでるんですよね。アメリカであったりアルゼンチン、ブラジルのあたりであったりあとヨーロッパであったり。なのでユダヤ人はこんなに海外にいるのに、他にはキブツはないので、イスラエルにしかないので、なので宗教的な何か本質をとらえてこれをやるとか、そういう話ではないのかなっていうふうに思ってます。じゃあ何でこの個人主義みたいのを排除したような考え方が持続できるのかっていうと、持続できてるのかっていうと、正直、キブツの数って減ってきてますし、この思想に合意してる人たちは年々減ってきてはいる。なので、これが主流、一般的な考え方だとは思ってもないです。ただし、人口の2.数%、3%弱ぐらいが、キブツとして住んでいて、このぐらいの人たちは個人主義に対しての批判、あの社会を良くしようっていうマインドを自然に持っているっていうのは、まぁ日本でもあり得る、一般的な考え方かなと思います。それをさせる仕組みがたまたまヨーロッパからの移民によって国をあの土地をもね、持てなかった人たちがキブツというものを作り上げて、今にも継続してるっていうそんなことなのかなと思います。

[江良]
何か例えば、テルアビブに住まれてる、例えばテルアビブ、銀座的な、ある程度あのキブツにはもちろん、あの属してないんだけども、何かキブツって、イスラエルの他の方にとっても、何かこうアイデンティティにある意味ポジティブな意味でね、何かをプライドを持って考えられるような、何かそういうような一つ何か考え方だっていうようなことを、ちょっとなんか読んだようなこともある気がするんですけど、そのほかのまぁキブツに属してない方は、そういうキブツのことをどういうふうに見てらっしゃるんですかね。

[堀田]
そうですね。先ほど言ったみたいに、人口的に3%弱ぐらいなので非常にキブツの人に日常的に会うことが珍しいぐらいの状況には今なっているんですけど、なのでキブツに住んでる、へぇなるほどっていう感じで、それが一つのアイデンティティになることは間違いないです。ただそれがポジティブなのかネガティブなのかっていうと、別に何かキブツに住んでんだっていう感じで、私達がイスラエル人と会話をする中で、特段、何かそれが重要なことでもなければ、特異で、珍しがられることでもなければ、そうなんだっていうそのぐらいのもんですね。

[江良]
うん、うん、うん、なるほど。いやなんかでもね、今はね、少しずつこう数が減ってきてるっておっしゃいましたけども、やっぱりそのそういう個人主義だったり、ある意味、共産主義というよりも資本主義の、何かそういったものを一回廃して、本当に集団の利益を優先してね、コミュニティを作って、ちゃんと自分たちの土地を、もしくは自分たち自身を豊かにしていこうっていうのって、本当になんだろう、少なくとも日本、日本でも、そういう試みって、どうなんですかね、なんかいろいろあったのはあったんでしょうけどね。なんか、ここまで何かシステマチックに、少なくとも日本の人口の3%が、コミュニティベースで生きてますとか、なんかそういう話ってあんまりね日本だと聞いたことないですもんね。アメリカでもあんまり、エコビレッジみたいなものなんですかね。そういうのはね、点々とあるかもしれませんけどね。大分ユニークなものですよね。

[堀田]
そうですね。ただ岐阜の田舎とかにいると、そんなに何かかけ離れてないなっていう気もしたりして。特に私が育ってきた80年代90年代っていうのは、まだあの戦後生き延びたじいちゃん、ばあちゃん、私のじいちゃん、ばあちゃんの世代ですね、があのコミュニティっていうものを非常に大切にしていて、戦後生まれのうちの両親は、もうそういうマインドがなくなっちゃってるような気がするんですけど、でもあの80年代90年代のこの田舎っていうのは、大体私のこの村というか町、30世帯ぐらいあって、そこにお寺があって、神社があって、みんなで守って、収入をシェアするっていうところではないんですけど、コミュニティを守るためのお金っていうものをみんなで募ってシェアして、寄り合いと呼ばれる、町のなんですかね、お父さんたちが行く飲み会があったりして、町をどうしたらよくできるのかって話し合いをしてっていうものがあったりしたので、何かそんなにかけ離れていないのかなと。ただし、このおじいちゃん、おばあちゃんの時代からうちの両親の時代になって、私達の時代になって、何がやっぱ違うのかっていうと、個人主義っていうものがどんどんどんどん強くなってるっていうところが違うのかなと。それはキブツにとっても同じなんだろうなと。

[江良]
そうですね。そこは堀田さんご自身としては、例えばね、また今、今日は岐阜にいらっしゃいますけれども、個人主義、とそのなんだ、ね当然個人主義の良さというかね、便利さみたいなものとか、ポジティブな部分もある反面、やっぱりねちょっとどのぐらいのあれかわからないすけど、神社の世話誰がするんだとか、草刈どうすんだとか、水の管理云々とか、やっぱりその、そのコミュニティ、そのグループで、その地域で必ずやらなきゃいけない、というかやらないと、あの不便というかね、あの不利益になっていくことってたくさんあるっていう意味で言うとやっぱコミュニティ大事だと思うんですけれども、そういう意味だと、そのなんていうのかな、バランスを、今例えばこういうふうに危惧してることとか、何かもうちょっと、こうなったらいいのになとか、何かそのどういうふうに岐阜のケースでいうと、どういうふうにご覧になってます。

[堀田]
例えば今、私が今岐阜にいる理由っていうのは、子供を日本の教育にも入れたくて、数ヶ月間、日本の保育園に送ってるんですが、今双子の子供を3歳の子供がいて、私の時代とか、その辺の道歩いてたら、マヨちゃん、マヨちゃん車に乗りな、これからお買い物行くからっと言って、なんかおばあちゃんが放課後どっか連れてってくれたりとか、何かもっと周りの人たちが、互いの子供であったりとか、家庭を気にしながら、あそこなんか今喧嘩してるからちょっと仲介に行かなきゃいけないみたいな、そのぐらい個人じゃなくてかなり何かズケズケとね、入り込んでいたような気がして、意外と私嫌いではなかったのかなと。ただ、高校留学した目的がそういう、それさえもややこしい、厄介だと思って、逃げ出したわけなんですけど、今思ってみたらなんて恵まれた場所だったんだろうなって思いますね。必ず近所の人たちは正面玄関から来ることはなくて、裏から、裏口っていうのがあるので、裏口から必ず来るんですよね。パジャマでいようと何でいようと、あー、みたいな感じでいきなりお茶飲んでるおばあちゃんもいたりするわけですけど、そういうのって良かったなと。そうやってコミュニケーションしていると、うちちょっとね白菜の出来が悪いのって言ったら、白菜が翌日には、ダダダンって届いていたりとか、そんな感じでシェアという意味では、食べ物のシェアもあったし、時間のシェアもあったし、考え方のシェアもあったし、なんか唯一なかったのが経済的シェアっていうところだけだったのかなっていう気はしますね。

[江良]
なるほどね。でもそれ多分キブツとも、確かにそういわれると、何か似た、似た状況はあるんでしょうね。でもそういう意味で言うと、やっぱりいまはあれなんですか、お子さんと散歩してたりとかして、ちょっと乗ってく?みたいな

[堀田]
ないですよね。それもう、誘拐になっちゃいますね。

[堀田]
まず、そもそもお互いが、お互い、なんていうの、信頼感あるコミュニケーションが、もう集落全員の顔がわかるみたいなことでもうなくなってきてるし、そうですよね。

[江良]
いやでもある意味、なんなんだろう。でもごめんなさい、もう1回確認すると、堀田さんがでもその中でも、これはもう世界に飛び出していきたいと思ったのは、今から思うと何が足りなかった、足りないっていうか、なんかこうあの何があのやっぱりこうこの場所じゃなくて、違う場所ってこうさせたのは。

[堀田]
2つあって、1つはそういう何か、周りが干渉してくる。マヨちゃんはこういう子に育つべきだっていう、何か周りからのプレッシャーみたいな。

[江良]
干渉は高いですよね、それはね。

[堀田]
そうなんですよ、周りの人たちが思う価値観から離れていたら、マヨちゃんは変な子になってしまうので、この何だろう、周りの思うような価値観通り生きなきゃいけないっていう苦しさと、あとはラッキーなことに、ヨーロッパに中学校一年生に行ったときに、実は世界は広いって知ってしまった、この二つなんでしょうね。

[江良]
そうですね。でもそういう意味で言うと、ちょっと僕もちょっと抽象的な質問であれかもしれないですけど、そういう個人主義というの、そういうなんて言えばいいのこっちは、共産主義じゃないけど、その共同体のコミュニティの、コミュニティ主義と仮に言うとすると、このバランスっていうのはどこら辺にこう、今現代とかこれから多分こう考えていく中でいうと、どこら辺がバランスが良さそうだなって思われます?

[堀田]
これは非常に難しくて、なんか簡単にこうですって言いづらいんですけど、今私は子育てをしている環境においては、まあ互いに、例えば子供を預かってくれる、または放課後の時間を一緒に共にできるような家族と近くに住んでいたいなと思いますし、仲良くしたいなと思う。ただ、これは何か、かなり個人主義をよしとする、または資本主義をよしとする私の価値観でしかなくって、もうちょっとキブツの話に戻すと、アーバンキブツと呼ばれるあの都市型のキブツって大体20ファミリーぐらいしか住んでないんですよね。で、大体1棟ぐらい貸し切ったりとか、また買い取ったりして、みんなで住んでいるっていうような、そんなマンション型だったりするんですけど、この人たち何をして生活してるかっていうと、多くの人が何て言うんでしたっけ、ソーシャルワーカー、みたいなことをしていたりして、社会をよくするみたいな感じで、なので仕事も農業ではないんですけどでもみんなが似たような仕事をしていて、その中で財を共有して、時間を共有してっていうことをしていて、このぐらい何か仕事の価値観が合うであったりとか、それなりの何か向かってる方向が合う人同士じゃないと、なかなかキブツ的なコミュニティを作るのは難しいんだろうなとは思いますね。

[江良]
うん。つまり個々人の価値観とか、個人の、そうですね、ある程度何が心地よくて、何が心地よくなくてみたいな。何かある程度軸というかがないと、なかなか人が集まってっていうのは、そうですよね、なんか心地よさがなくなってくるとなかなか難しいとこありますね。

[堀田]
そうですね、特にキブツがいくつかのキブツが崩壊したっていうのは、それは社会主義的な、あの社会の動きもそうなんですけど、大きくなりすぎたっていうのも一つに言われていて、だからこそ最近できたキブツはちっちゃく、小規模小規模っていうふうな

[江良]
大っきくていうのは構成員が大きくなりすぎた。

[堀田]
構成員が。はい。例えば1,000人とかになってしまったときに、みんなが同じものを目指せるのかって言ったら多分そうではなくなってきている。そこで民主主義が成立するのかっていうと、そうではなくなってきている。それが問題だったみたいです。

[江良]
なるほどね。でもそうですよね。なるほど、小さく、小さくというか、やっぱり同じ、やっぱり財産まで共有するとなると、本当に同じものを見ないといけないですよね。何かビジョンをね。

[堀田]
なのかな。そうしていれば成功例はあるけど、そうじゃない人達が、違うコミュニティを作るっていう難しさは、もうこれも実証されてるっていうところですね。

[江良]
確かに。そうだよね。なるほど。アーバンキブツとか、あのね、そのスタートアップをキブツの中に、なんだこれ招致するみたいなことなんですかね、もしくはキブツの中でスタートアップを始めるとか。何かそういうような、なんだこれはでも、あれですよね、何かそのビジネスを持ってきたりとか、そういうソーシャルワークみたいな、何かこう共通のその都市課題に対する解決とか、何かそういうオブジェクティブをはっきりさせる中で、何かこう、キブツの何かこう共同での利益を追求していくっていう、その基本的な思想が現在でもまだすごい有効に機能しうる、もしくは何かその方がうまくいく、合理的っていうようなケースがまだ現代でも多々あるっていうような理解でいいんですかね。

[堀田]
そうですね。キブツ、この100年ぐらいの中で、それなりに貧乏キブツと、裕福キブツが出てきたわけですね。あのユダヤ人、勤勉っていうのもあったりして、キブツでただ単に土地を肥やしてるだけではなくって、その中で生まれてきた開発、インベンションとしては、ミニトマトがあったりとか、例えば日本でも使っている点滴農業って言って、最低限の水で農業をさせる技術であったりとか、あとはハウス栽培の中で、基本蜂って使えなかったんですけど、ハウスの中でも生き残れる授粉できる蜂を作ったりとか、そんな感じにたくさんの技術開発がされて、そうなってくるとその開発ができなかった、ただ耕してるだけのキブツっていうのは、やっぱり貧乏キブツになっていて、経済的に資本主義の世界からはちょっと脱落していったわけですよね。当然お金がなくなってくると、みんななんか、あんまりハッピーじゃないですよね。その中で、無いお金をどうやって分け分け与えようみたいになると、ますます喧嘩であったりとか、又は個人主義的な人が出てきたりとか、そういうことが起こったりして。で、なので今成功しているキブツは二つのパターンで、一つは資本主義的に稼ぐ能力がある、もう一つは、一定のところはもうシェアするのやめましょう、例えば収入は個々人でやりましょう。ただ教育であったりとか、得られるメリット、社会的メリットは一緒に共有しましょうね、っていう感じになったキブツもあったりして、なんかこんなふうになってます。または本当の最近のトレンドである都市型キブツみたいなもう超ちっちゃい、20人ぐらいとかそのぐらいでしか住まないような、そんなキブツがあるっていうところになってます。で資本主義的なキブツにおいては結局、なんか財があるので、売るものがあったり、売る技術とかがあったりするのでそれを、その財をどうやって運営していくのかみたいな、そういう面白い会社的な感じになってたりして、一つのキブツにおいては、テゥヌゥーバーっていう、イスラエルって乳製品作ってる大きな会社が2社3社ぐらいしかないんですけど、そん中の一つもキブツのもので、乳製品、牛乳とか売っている会社は、最近イスラエルってベジタリアンだとかビーガンとかすごく多いので、ミルク、牛から作るミルクじゃなくって、食物から作るミルクを開発するようなスタートアップに投資をする、みたいな。なので、ミルク産業が落ち込んだときにも、何か次に続く続くような、経済的な合理性を持った投資をするみたいなのもあったりして、もう会社ですねこうなったら。

[江良]
でも会社で、普通にね会社でやるっていうよりも、何かそのキブツでそういうビジネスをやっていくっていうことの方が何かメリットがある点ってあると思います。

[堀田]
もうこれは、本当に生き方の違いだなと思っていて、私がそのキブツにいきなりジョインして、またそもそもジョインさせてもらえないと思うんですけど、かなり審査もあったりするので、キブツ出身者じゃなきゃ入れないとかそういうふうになったりもするので。なので、そもそもこれは入れる入れないっていうところもあるので、みんなに与えられて与えられた機会だというふうには思っていないです。なので、企業のようにあのアプリケーションを送って採用されれば採用みたいなそういう話ではない。そんな中でキブツでやるメリットがあるのか、もうこれはなんかキブツだからのメリットっていうよりも、組織として、Aという会社とBという会社が取ってる戦略っていう、そういうふうに私は捉えてます。

[江良]
うん、うん、そうですね。なんか本当に、もしかしたらなんかすごい価値観も含めて強固な、なんとそのチーミングとして何かね、すごい強い何かチームとして、何かビジネスもできるし、何か普段の生活も運営できるし、みたいなこともあるかもしれないですよね。

[堀田]
そうですね。ただ結局、住民っていうのが株主みたいなもんじゃないですか。ネタフィンっていう会社があるんですけど、これがまさに点滴農業っていって水を、水の技術を、提供した非常に世界的にも知られた会社ですけど、そこは結局は売られちゃったんですよね。

[江良]
まあね。住民の方々が、もう本当に、全員が平等に投票権があるんだとすれば、非常にガバナンスという意味では非常に、確かに、リーダー確実にいるでしょうから、非常に難しいでしょうね。その経営としては不安定、一般的な経営という感覚で言うと、非常に不安定だし、まあねどこまで配慮しなきゃいけないんだっていうことは確かにあるでしょうね。はい。まだまだキブツについては、なんかね、いろいろイギリスの前のボリス ジョンソン首相とかね、バーニーサンダースとか、なんかキブツでボランティアをしてるっていうの、なんか堀田さんの送ってくれたYouTubeで見ましたけど、その堀田さんにいくつかいただいたキブツの資料は、kurkku alternativeのWebサイトで見れるようにしたいと思いますけれども、まだまだおうかがいしたいんですけども、ちょっとお時間も来てしまったんで、最後に皆さん、インタビューさせていただくゲストの方に必ずちょっとお伺いしているご質問があって、僕たちこれ聞いてる人、ま基本的には、たまに何か海外とかもいらっしゃるんですけども、一応都市生活をしてるような、あの人たちに向けて、なんか僕たちが、日常に僕の日常に何か取り入れていけるような、こうするとよりいいんじゃないかという何かアクションがあったら教えていただきたいっていう質問ですね、最後にさせていただいてるんですけども、何か堀田さんの方でアクションのご提案ありましたらぜひお聞かせください。

[堀田]
そうですね。今私は、子育てをしていて、バイリンガルというかトライリンガルの子供を育ててるんですけど、3歳ながら英語と日本語をうまく話せるようになって、もうちょっとしたら、ヘブライ語も勉強しなきゃいけないんですけど、なんかそんな感じで、今後生きる人たちっていうのは、日本だけじゃなくって、必ず世界を向く必要があるんだろうなと。そうなったときに、言語って非常に最低限必要なもんだなと。英語話せるだけで会える人ずいぶん変わりますし、この英語教育っていうのはすごく重要。これみんな知ってはいるけどなかなかできていないから、じゃどうやってやればいいっていう話が次が来るのかもしれないんですけど、でも英語ってすごい重要なもんだなっていうのは思います。で、これがあるからこそイスラエルに行っても会社を作ることができたし、イスラエル人とコミュニケーションすることができたし、まあ喧嘩することもできたし、高校時代に培った英語っていうのは私にとってすごく柱になってるなと思うのでぜひ英語教育、お子さんの英語教育か、自分の英語教育か、いろいろ力を入れていただくといいなと。で、なかなか安い国ではないんですけど、そしたらイスラエルにもぜひ来ていただきたい。特に都会のイスラエル人は、英語がものすごい上手なんで、英語が話せたら困ることはないんでぜひ来てください。

[江良]
はい、ありがとうございます。何か例えば、僕が子供に、何かおすすめの英語勉強法みたいなの何かあります?

[堀田]
まぁ非常に難しいですね。でもこれ使うしかないんで、使わせる機会作るってどうすればいいんでしょうね。でも英語を話せる人を周りに置いとくってことなんでしょうね。

[江良]
そうですよね。でも子供であればなおさら、聞かせて話させて、なんかね、それしかないですもんね。

[堀田]
3歳でもちゃんと英語を話す人には英語で話して、日本語を話す人には日本語で切り替えて話してますし、何か非常にフレキシブルなんで子供の頭は、私達と違って。

[江良]
うんそうですね。はい。

[江良]
でも本当に。世界はね、本当に広く繋がっていくっていうのは、これから欠かせないですからね。

[堀田]
そうですね。イスラエルにいて幸せだと思うのは、今ちょっと日本、私は日本大好きなんで、ちょこちょこ日本に帰ってくるんですけど、それでもやっぱり世界の平均かと言ったら日本は世界の平均ではなくなってきてると思うので、イスラエルの方が世界の平均に近いなと思って、この二重生活ができてるのは私にとって幸せですね。

[江良]
うん。はい。あとね堀田さん、女性としてね、高校から海外出てからね、もうすごいキャリアを積まれてますけれども、今回初めての女性のゲストということも含めて、何かあの、今ね活躍されてる女性とか、あと今子育て中の女性とか、いろんな女性の方、聞いていただいてると思うんで、何かメッセージがあればぜひお願いします。

[堀田]
そうですね。これもまたありがたいことに、イスラエルに行って、私も学ばせてもらったんですけど、イスラエルの女性、先ほどの兵役の話だけじゃなくって、すごい強いんですよね。イスラエル男子が、イスラエル人の女性は怖いから怖いからってよく言うんですけど、そのぐらい結構イスラエル人女性は強くって、で、その分、キャリアも子供も、さっきの出生率3人とか言ってますけど、もうなんか何も諦めることなく、やりきってる女性だなと。どうやってやりきってるかっていうと、非常にこうサポートをいろいろ使いながらやってるんですよね。それは両親のサポート、ベビーシッターのサポート。私、子供が生まれたときに、親戚のおばちゃんがくれてびっくりしたのが、1ヶ月分のベビーシッター代をくれたんですよ。ちょっと裕福なおばちゃんなんですけど、なんかそのぐらい助けは使いなさいっていうそれがメッセージだったわけで、あとは義理の両親ですね。夫の両親も助けを使ってる?大丈夫?大丈夫?っていつも聞いてくれて。自分が手を出すだけじゃなくて、ベビーシッターを使いなさいねって、自分が全て助けてくれるわけではなかったりはするんですけど、でもそのぐらい、自分で全て抱えないようにって、すごく言ってくれて、でもそれをあの生まれた瞬間から言われていたので、生まれた瞬間からベビーシッターつけたりとか。経済的にも、そんなに簡単なものではないんですけど、あのそういうことに慣れて、子供たちもいろんな人に見てもらうことには慣れて、これは一つ学びだなと。それがないことには自分のキャリア自分の時間っていうのはなかなか自由にならないですし。そうやって生き生きしてる母を見てる子供もいいのかなと思いながら、私は子育てしてます。

[江良]
いや本当に、あの穴があったら入りたい、日本の男性その1ぐらいな感じです。でも無理ですよなんか本当にサポートがないとね特に。

[堀田]
そうですね、イスラエル男性すごい、子煩悩なんですよね。例えば離婚率もそんな低くないんですよ。だから離婚する人も結構いるんですけど、でも男性も必ず離婚しても半分は責任取りますね。なので半分はお父さんの家行って、半分はお母さんの家行って、子供が育てられますね。

[江良]
いやでも本当に、日本でも何か異次元の子育て政策とか言ってますけど、本当に何か、社会全体でね、子供を育てていくっていう、さっきのねコミュニティが機能したときはそうだったのかもしれないですけれどもね、やっぱり今特に都市とかはやっぱりどうしてもそういうことはさらに難しいから、本当に何かそういうのはみんなでそういう世の中に作っていかないといけないですよね。

[江良]
うん、はい。すいません、まだ聞きたいことが山ほどありますけれども、またぜひ、お忙しいと思いますけれども、機会あればまたお話聞かせてください。あとね岐阜にもお伺いするチャンスをね。

[堀田]
是非是非、来てください。はい新幹線ですぐです。

[江良]
はい。はい。じゃあ今日は堀田真代さんにお話を伺いました。どうもありがとうございました。

[堀田]
ありがとうございました。またよろしくお願いします。