#015: drop around: デザインユニット: 洞爺湖への移住、得意なことで自給率をあげていくこと、地域のコミュニティと物技交換
drop around
北海道、洞爺湖を拠点に活動するデザインユニット。「紙の道具 布の道具」「はたらく服」をコンセプトとしたオリジナルのペーパープロダクトやワークウェアの企画、製造、販売を行う他、書籍デザイン、ショップツールの制作などのクライアントワークも多く手がける。何度かの移住を経て辿り着いた洞爺湖が見える小さな山で「つくる はたらく」をテーマとしたショップギャラリーM&Wを直売所として2023年に再オープン予定。
エピソードを読む:
[江良]
はい今回は、洞爺湖町のパン屋のラムヤートさんの、今日は定休日なんですけれども、そちらにdrop aroundのお二人をお呼びしています。青山吏枝さんと青山剛士さんのお二人です。今日はどうぞよろしくお願いします。
[青山吏枝+青山剛士]
よろしくお願いします。
[江良]
drop aroundさんは、北海道洞爺湖でオリジナルプロダクト、紙の道具と、ワークウェア、働く服を製造販売されているデザイナーユニットっていうご紹介であってるでしょうか?
[青山吏枝]
あっています!
[江良]
ありがとうございます。あの、今日、drop aroundの製品とか、装丁されている本とかね、持ってきていただいたんですけども。聴いていている方はウェブサイトで こちら写真で見ていただければと思いますけれども、結構こう、付箋とか、これ僕も買わせていただいたんですけれども、領収書とかこういう事務的な用品とか、
[青山吏枝]
そうですね事務用品だったり伝票類とかですね。
[江良]
あと箱とか。これはあれですよ、今の石鹸の箱があるんですけども、これはその石鹸屋さんがこの箱を
[青山吏枝]
中身を、そうですね、中の石鹸を作っていただいて、自分たちのプロダクトをパッケージにも利用してっていう商品ですね。
[江良]
これはでもお二人がデザインされたんですか?
[青山吏枝]
はい、そうです。
[江良]
お二人の中で何かこう、役割分担みたいなのってあるんですか?
[青山剛士]
そうですね。結構はっきりあって、割と。
[青山吏枝]
企画とか設計っぽいこと、発案は私が多くて、実際のグラフィックデザインとか、なんていうんですかね、ガワを作っていくのが夫っていう感じですね。
[江良]
何年ぐらいお二人このユニットは結成はどれぐらいなんですか?
[青山吏枝]
何年ぐらいですか?20、20年ぐらい。20年ぐらいです。
[江良]
だいぶ長い歴史がありますね。
[青山吏枝]
札幌出身なのに、なぜか大阪で結成したユニットで。
[江良]
ちょっとそこらへんのプロフィールは、これからいろいろ聞いていきたいんですけど、なんでこういう事務的なプロダクトとか、事務用品的なプロダクトとか、こういうものがデザインされて販売されてるのは、何か理由があるんですか?
[青山吏枝]
多分15年から17年ぐらい、このプロダクトは製造して販売し続けてるんですけれど、そもそもは自分たちが若い時からお店を自分たちでもやるようになってきていて、その時に使いたい事務用品が見渡してもなかったんですね。なので自分たちが心地よく使えるというか、見てて嫌じゃないものを作りたいなっていうので岡山の雑貨メーカーさんに相談をして、こういうものを作りたいし、自分たちがよく仕事をしている個人の人だったりとか、作家さんとかが多分使えるようになると思うので、というので声をかけて一緒に製造するようになって、もうずっとかれこれ製造し続けていますね。
[江良]
じゃあもうこれ15年。
[青山吏枝]
15年とか17年とかですね。なので初期から使い続けているお客さんとかは、すごく繁盛しているってことですね。ずっと使い続けてくださっているので。
[江良]
でも本当にね、領収書とか納品書とかあるんですけども、まあいわゆるね、いわゆる大手のね、事務用品屋さんが出してるやつ、やっぱり味気ないというかね、折角、大切ななんかね、商品と一緒にやるときに、お渡しするときにね、このぐらい、あのなんだろう、デザインがちゃんとされているものだとね、やっぱり僕さっき隣の、なんでしたっけ?
[青山吏枝+青山剛士]
toitaさん。
[江良]
雑貨屋とか、いろいろグロッサリー的な、いろいろこだわった食材とかを販売してるところで、この領収書を使われているのを見て、即買いさせていただきましたけれども。
[青山吏枝]
ありがとうございます。
[江良]
かわいいので。ぜひ皆さんも、ぜひ見ていただければなと思いますけれども。お二人は今、洞爺湖で移ってこられてどのぐらい経つんですか?
[青山吏枝]
今年で移住6年目ですね。その前に札幌で5年ほど過ごしていて、もともと札幌は地元なんですけれど、実家暮らしというわけではなくて、食住一体型の、お店がついた古い一軒家を改装して、1階がお店、庭がついてて、2階に居住しているというような形でお店をやってたんですよね。今はちょっと洞爺に越してきてからはお店がまだない状態なんですけれど、そうですね。移住して6年、あっという間ですね。
[江良]
元々札幌で、あと東京にも結構長くいらっしゃったって。
[青山吏枝]
長くいました。14,15年ですね。ちょうど札幌にまずこう、Uターンというか、帰ってきたのが、本当に震災の年だったんですよね。娘がいるんですけれど、ちょうど震災年生まれの子で、妊娠中に3月10日に札幌に帰ったんです。東京から。なので、もともとは2拠点の予定だったんですよね。東京と札幌っていうふうに考えてたんですけど、いろいろ考え直すして、思うところがあって札幌だけに絞って、東京は引き払って、実質Uターンという形になりましたね。
[江良]
東京に行かれたのは、学校とかそういうようなことがきっかけだったんですか?
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
いわゆる学校に行かれて、そのむこうでお仕事、結成はもうそこら辺からお二人で活動されてたんですか?
[青山吏枝]
はい。 東京で結成したのではなくて
[江良]
その前に?
[青山吏枝]
大阪に2年だけ行ってたんですよね。
[江良]
なるほど。
[青山吏枝]
その大阪に行ってる時に、Tシャツの路上販売をするっていうことをしていて、その時にブランド名が必要で、お客さんに尋ねられて、なんかないとダメなんだと思って、辞書でバラバラってめくって、ちょっと立ち寄るって意味の、drop aroundっていうのを屋号にして、なんとなくつけたにもかかわらず、もう20年ぐらい経ってしまった、みたいな感じですね。
[江良]
なるほど。でもずっと、ずっとそこから学生のときにご一緒で 一緒に東京で勉強して、その後、じゃあ一緒に大阪に行こうみたいな、そういう感じだったんですか?
[青山吏枝]
そうですね。私は面白半分でついていっただけです。なんか関西に、1,2年だけ住んでみたいなってその時から思っていて、私が行ってた学校が服飾の学校だったんですけど、当時すごい、なんていうんですかね、ターンが早すぎて。ファッションのファストファッション全盛の時代だったので、なんかその、服作りにちょっとめげるところがあってですね。
[江良]
うーん、そうですね。
[青山吏枝]
こう、このまま就職しても好きなこととかできないし、かといって、いきなり独立するには、何をすればいいかっていう感じで、卒業した後すぐは、ちょっと舞台衣装の仕事のお手伝いとかをする期間があったんですけど、舞台衣装って舞台が終わったら破棄されるんですよ。置いとくところがないので。なんかこう作ったものがすぐにこう捨て去られるのが、悲しくなってきて、ちょっとしばらく離れたんですよね。で、その時に、ドロップアラウンドが結成されたっていう感じでしたね。ファッションにめげたときに。
[江良]
剛士さんは、グラフィックのお勉強というかされてて、で、終わった後はもう結構独自に活動されていこうっていうふうに、フリーでやっていこうっていうふうに思ってやってらっしゃったの?
[青山剛士]
そうですね。すごくお世話になった Tシャツ屋さんがあって。そこと結構長いこと東京のときにはすごくやらせてもらったのがあって、そこでグラフィックを教わりながらという形でいろいろお世話になりながらやったという形でした。東京では。
[青山吏枝]
もともと別に大学がデザインとか美術とか、全く関係ない電気の学校だったんですよ。だから多分、なんでデザイン?って周りも思ってたと思います。
[江良]
じゃあTシャツ屋さんから、ちょっとこの人たちのロゴとか、Tシャツデザインが必要だから、ちょっと剛士さん手伝ってよみたいな。
[青山剛士]
いや、っていうよりは、もう本当自分がなんかそこのTシャツ屋さんの、なんかあれが、グラフィックが好きで、それでなんかこう憧れ的に始めたって感じだったんですよね。
[江良]
ああ、なるほど。なるほどなるほど。
[青山吏枝]
当時は珍しかったと思うんですけど、そのTシャツをなんかこう1メディアとして扱っていて、こうデザインTシャツを売ってるお店だったんですよね。なのでそのデザインされているものが、キャラクターとかそういうのではなくて、スイスとかドイツのタイポグラフィから影響を受けた、すごいかっこいいそのバウハウスっぽいとか、そういうなんか今までデザインとして触れたことがない、なんかこうデザインに衝撃を受けて、そこから結構、現代美術とかデザインとかが気になるようになって、自分たちも見よう見まねでやってみようというので、大阪では路上販売をして。
[江良]
drop aroundのオリジナルTシャツ販売ってことですね。
[青山吏枝]
ポストカードとか。その時できる精一杯で。
[青山剛士]
やっぱり、大阪がなかなか面白くて。個人の人だったり、ちょっとゆるさというか面白い街だったんですよね。でそこでね、なんかこうやっぱり個人がすごい小さい店をほんと街の隅っこでやってたり、なかなか濃い、なんかこう、ものを販売してて、この辺がなんかこう自分たちで全然体験したことがなくてそれがやっぱ面白いなって思って、ですね。そこからこう始めたっていうところがありました。
[青山吏枝]
大阪に行って、自分たちでもできるかもっていうことをちょっと思ったんですよね。ただの古ビルの一室をお店にしてるとか、住宅街のなんかポツンとした、なんていうかこう「え、これ車庫?」みたいなところを改装してたりとか、あと人気がなくなってしまった商店街の居抜き物件を上手に使ってカフェにしてるとか。都会だとすごい何千万何百万を用意してやっと店舗を出せるっていう感じじゃないですか。そういうなんか固定概念が自分たちもあったんですけど、なんか結構ガラガラと崩れていくような、個人の力でなんとなく始めてみたお店みたいなのがいっぱい当時出初めていた時で。自分で改装するとか、そういうお店を見て自分たちも こういうお店だったら、すぐにできるかもっていうので大阪に2年いた後東京に戻って、お店を始めてみるんですよね。自分たちでやってみるっていう。
[江良]
東京はどちらでやってらっしゃったの?
[青山吏枝]
恵比寿です。カッコいいでしょ?
[江良]
ど真ん中。Theトウキョー。
[青山吏枝]
そうです。今、メゾン マルタン マルジェラがある斜め向かいでやってました。
[江良]
あら。なんかちょっと今のなんだ、郊外で、というよりも、結構ど真ん中、まあまあお金も、でも当時はまだあそこの道が。
[青山吏枝]
だからサラリーマンしかいなかったですね。
[江良]
じゃあ。
[青山吏枝]
みんな代官山の方に行ってしまうので、通りがからないみたいな。
[江良]
そうか。でもそういう意味で言うと、あのエリアを開発した先駆けでもあるかもしれないですね。
[青山吏枝]
でも後からなんか、どんどんおしゃれになって、どうしたどうしたって。
[江良]
その当時から、この領収書とか納品書のシリーズがあって。
[青山吏枝]
まだなかったですね。
[江良]
まだ、やっぱTシャツとか、やってらっしゃった。
[青山吏枝]
あとは、えっと、旅費を作りたかったんです。もともとTシャツを販売し始めたのは。
[江良]
旅費?
[青山吏枝]
はい。旅が大好きで。なんかいろんな海外に行って、古いものとか、いいデザインとかが見たくて。旅費がいるじゃないですか。
[江良]
旅費が要りますね。
[青山吏枝]
そのために、そういう自分たちの作ったものを売ったり、海外に出かけていって。面白い骨董市とかの、蚤の市とか回っていいデザインのものとか、ちょっと古道具とかを集めてきて、それを売るっていう店でした。
[江良]
ちなみに僕も元バックパッカーなんですけど。
[青山吏枝]
そうなんですね!
[江良]
なんかおすすめというか、ここは楽しかったなみたいな、行ってよかったなみたいな場所あったら教えてくれませんか?
[青山吏枝]
当時あんまり情報がなかったんですけど、行ってみて面白かったのが風景がグラフィカルだったチェコが面白かったですね。なんか食文化とかも全く違いすぎてて。あと石畳があるので、すごい足が疲れたりするんですけど、なんか面白かったです、あっちの方が。
[江良]
グラフィカルにちょっとね特徴的な、なんかね、ありますよね。剛士さんどうですか。
[青山剛士]
そうですね。ドイツとかが、やっぱりフリーマーケットがすごいいっぱいあって、すごく自分的にはなんかこう面白かったですね。
[青山吏枝]
でもサインがまず綺麗なので、ドイツ。
[江良]
かっこいいですよね。
[青山吏枝]
かっこいいですね。なので、目で見てるだけで幸せというか。いいなあ いいなあって思いながら 見てましたね。で、その当時から海外に行って、そういう雑貨であったりとか、古道具を仕入れてる中でも多分無意識的に選んでたのが、そういう道具っぽいもの。をこっちで言う、シモジマさん、て名前出していいのかな、なんかこう梱包用品とか売ってるような、当時の現地の人がただのよろずやだと思ってるようなところに行って、めちゃめちゃこうジャバラでバーっとなった伝票を見て面白いなって思ったりとか、そういう外国のものは、なんかこんなに楽しくて、文字も文字組みとかも綺麗なのに、なんで日本にはこういうものがないんだろうなっていうので、ちょっと素地はできてたかもしれないですね。
[江良]
面白いですね。それで恵比寿でセレクトというか仕入れみたいなものもありつつ、お店をやってて、それはもう結構10何年やったってこと?
[青山吏枝]
ちょうど週末だけ開けるっていう形態で、atlier drop aroundっていう名前でやってたんですけど、週末の金土日だけ開けて、平日はそこでデザインの仕事をしているっていう二毛作店みたいな感じでやってたんですよね。それもただのビルの一室を探し出して、こう、たまたま見つけないと入れないみたいな。外階段を上がって、あの明かりなんだろうって思った人だけが 辿り着けるような。
[江良]
だいぶマニアックですね。
[青山吏枝]
そうですね。恵比寿といえどもですね。そういうお店をやっていて、なのでその頃から大きいところで、ドーンとめちゃくちゃ借金して出店するっていうのではなくて、今自分たちにできることをちょっと考えてみて、少し背伸びして物件を借りてみて、できないことはできないなりにやるっていうスタイルがちょっと身についてたかもしれないですね。そこはなんか飲食はダメだけど、週末だけ物販するんだったらいいよっていうので借りた、ただの事務所物件だったんですよね。
[江良]
ああ、そうなんですね。
[青山吏枝]
でもその中の内装を、もう変なカーペットとか全部剥がしたり、壁塗っていいかって聞いたらいいって言うから白く塗ったりとか、近所で古民家が壊されるって聞いたら行って「ドアください」とか。そういうやれることで作っていったお店で、大阪時代にいいなって思った、なんていうかお店をやっている人たちのマインドをちょっと真似っこして、その時できる精一杯で毎回お店をやっているっていう感じでした。
[江良]
そこからこう、さっきね。ちょっとお話ししたけど、札幌にお子様ができたタイミング、3月10日に移られて2拠点っていうのは、その、東京だといろんなデザインで10年やっていろいろお仕事があって、でも、その2拠点にそもそもしようと思ったのは、どういうきっかけだったんですか? やっぱりお子さんのことが大きかったんですか?
[青山剛士]
そうですね。やっぱりこっち(吏枝を指す)は戻るつもりでいたんですけど、まだ僕はやっぱり東京に未練タラタラじゃないけど、もうやっぱりデザインの仕事をしてたら、やっぱり東京じゃないと無理じゃないかっていうのもあったので、だからそれでちょっとこう二拠点かなっていうところがあったんですよね。
[江良]
なるほどね。
[青山吏枝]
弱気な選択でってことですね。最悪、札幌には実家があるから、転がり込めれば、2拠点の体裁を取れるなって。
[江良]
なるほどね。吏枝さん的には、その札幌でっていうのは何か理由あったんですか。
[青山吏枝]
高校の時から、東京で5年ぐらいお店をやったら、札幌に帰ってきて地元でお店をやりたいなっていうのは漠然と思ってたんですよね。それがなんか思いのほか早いスピードでかなったのと、あとはその2011年ですから、お店やり始めたのを考えるともっと前になるんですけど、やっぱりなんかこう仕事ばっかりになるしんどさがだんだん溜まって来ていて。なんか表面上は楽しいことをやってるんですけど、あとみんながこう出来そうで一歩踏み出せないようなスタイルでお店をやってたりとかもしたけれど、しかも恵比寿で。でもなんかこう、このままやっていけるのかなっていう漠然とした不安が、結構湧いてきたんですよね。体壊したりとかもして、なんか、こう、これがあと10年とか20年とか続く気がしなかったんですよね。というのも、当時はまだ生産をしてなかった。自分たちで作ることはあんまりしてなかったんですよね。
[江良]
基本的にはセレクト、バイイングしてきてってことなんですね。
[青山吏枝]
自分たちの旅の楽しさの中から見つけてきたものを売ったりだとか、そういうことはしてましたけど、自分たちで生産してないから、例えば今のちょっと前のコロナみたいに渡航を制限されたらどうするんだとか、あとはその行った先で何も見つからなかったらとか、考えるとその循環、この仕事の仕方は出来なくなるのではないかっていう漠然とした不安が出てきましたね。
[江良]
じゃあまあ海外にバイイングしていくっていうのは、すごい、そもそもそれが楽しくてやってたけども、ずっとそれが続いていくことの不安ですよね。
[青山吏枝]
そうですね。あと、もっとその物売りのプロとかは、そこにもっと集中してやっていらっしゃるわけじゃないですか。例えば本当に古道具屋さんとかアンティークショップとか。やっぱそこには、かなわないわけですよね。もちろんセレクトの軸が違ったら、ついてくるお客さんっていうのは一定数いて、やれないことはなかったと思うんですけど、なんかまず自分たちで作ってないことはどうなんだろうっていうのは、ちょっと感じ始めてたんですよね。あと多分単純に都会に疲れ始めてたのかもしれない。遊びに行く先がどんどん郊外になっていってて、ちょっと那須に行こう!とか。
[江良]
自然の方向に。
[青山吏枝]
そうですね、なんか(青春)18切符で、ちょっと岐阜に行こうとか。
[江良]
あら。
[青山吏枝]
どんどん郊外、郊外に。
[江良]
体がそっちを求めてたのかもしれない。
[青山吏枝]
求め始めてたんですね。
[江良]
うん、なるほど。
[青山吏枝]
で、その方が楽なんだっていうことにも、なんかだんだん気づき始めてきていて。そう、なんかこう最後の方では、なぜか広尾に住んで恵比寿のお店に出勤するっていう。
[江良]
すごい、The東京みたいな。
[青山吏枝]
The東京っていう感じだったんですけど、実情はそんなに華やかでもないし、夜遅くまで仕事してとか、なんなんだろう?と思い始めてきたところで。ちょうど妊娠もしたし、ちょっと働き方とか今後のこう、やっていき方を改めたいなっていうタイミングでもあったんですよね。で、そんな時にやっぱり震災が起きたり原発事故があったりとかしたので、「ああもうこれは、これはそうですよね」みたいな。
[江良]
「これはそうですよね」っていうことで。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
でもね、一方剛士さんは、こう東京のデザイン業界というかね、やっぱりまあね、どうしてもね、いろんな、あの、なんていうの、あの、企業の案件とかね、まあ、あとそもそもデザイナーさんのコミュニティもありますしね。そこにこう、まあさっき未練みたいな言葉も使われてらっしゃいましたけど、でもこう10日(3月10日)1回移ってみて、やっぱり、じゃあ札幌でちょっとこうなんだ、札幌でやっていこうって話になっていくわけですよね。それはどういう感じだったんですか。やっぱ原発とかそこら辺が大きかったですか。
[青山剛士]
札幌に行くのは、もうやっぱり震災がやっぱり大きくて。やっぱりこう行ったり来たりっていうのはまず自分の中ではなかなかできないなっていう状況になって、結構もう強制的に、もう札幌に行くことになって。自分にとってはそれが逆に良かったのかなと思ってはいるんですけど。
[江良]
でもね、やっぱりあのね、普段こう東京にいらっしゃる方で、もちろん地元に戻って仕事をするみたいなことっていうのは、そういう方いっぱいいらっしゃるけど、やっぱりこう、ちょっとやっぱね、仕事を、自分の仕事を持っていけるのかっていうのは、なんか一つ、一番こう悩ましいというかね。一番悩むポイントではありますよね。デザイナーっていう手に職がある方でも、やっぱりその踏ん切りって結構必要だったと思うんですけど、でも実際、札幌行ってみて、それはどういうふうに感じられました?仕事の面だと。
[青山剛士]
そこでちょっと思ったのが、自分たちがやってたことが、割とやっぱり個人の方とのやり取りがすごい多かったのもあって。逆に言うと、だからそれが札幌でもそのまま関係が続いてたり、札幌でその個人の方とつながれたりっていうのが、何かこう移りやすかったのかなっていうのはちょっと思いますね、そこが。
[江良]
結局自分は物理的に場所は動いたんだけども、関係性がもうできているから、ある意味それは物理的な距離を超えられた部分も結構あったということですね。
[青山剛士]
そうだと思いますね。
[青山吏枝]
逆に札幌っていうことで、遊びも兼ねて、わざわざ会いに来てくれるクライアントっていうのがすごい増えたんですよね、あの当時。なんかこう、都会にいて、ちょっとなんかやりづらさを感じてる人とかも、何となくプチリフレッシュも兼ねて来る人もいましたし。単純に自分が動けばいいんだったら行きますよっていう感じでフットワーク軽く来てくれる出版社さんとかもいらっしゃいましたし。彼も言ってましたけど、一緒に仕事をしている相手が結構個で動ける人が多かったおかげで、なんか自分たちから打ち合わせ行きますとかっていう気軽さは無くなったんですけど。かえって来てくれる人がね、すごい多かったから。「あれ?なんかトータルで見たら別に仕事減ってないな」みたいな感じになったのは逆に意外でした。もう彼は精神的に都落ち感が半端なかったので最初。「もう仕事は一切、デザインの仕事は無いであろう」みたいな超ネガティブでした。そんなネガティブな子育てやめてほしいっていうぐらい笑。
[江良]
いや、でも本当に思いますよね。怖いですよね。そうか、でもそれでもやっぱり編集とか、クライアントさんはそういうような方が多かったんですか?個人でやってる方っていうのはどういうようなデザインワーク?
[青山剛士]
自分たちの場合は、結構お店をやっててショップツールだったり、それこそホームページとかを作ったりとか、で、そこからまたお店ができ上がってきたら、また本を作るってなった時に 頼んでくれたりっていうことがあって。なんか少しずつそういう形で、そうですね 。
[青山吏枝]
帰ってきてくれるんだラッキーというので、札幌で独立したての人がお仕事を頼んでくれたり。あと出版社からのお仕事も、編集さんは別に動けるので、会社の経費で札幌行きます!とかっていうので、会いに来てくれたりとかっていうのがあって。結果そんなに、なんというか待ってるだけですいませんっていうのはありましたけど、代わりにおいしいお店一緒に行きましょうっていうので。
[江良]
でもいいですね
[青山吏枝]
わりとにこやかに。
[江良]
確かにそれありそうですね。なんかね、面白いな。
[青山吏枝]
そうですね。でも一個、自治体の仕事をするときに、東京にいるデザイナーだと思ってご依頼くださったんですけど、わざわざ。あれ札幌に?っていうところで、相手が、クライアントが五島列島だったんですよ。もっと離れてて、たどり着くのに丸1日かかるところと、結構ね6、7年ずっと仕事をするっていうこともあって、でもそれはやっぱりなんかこう関係性とか今までやってきたことを見て評価してくれて。遠いけどっていうので、旅費を出してくれたりとか、いろいろ工夫して関係性をつないでくださったクライアントさんが割と多くて、人に恵まれてるなぁと思っています。それは今もなんですけど。
[江良]
あとは札幌行かれてから、オリジナルのものを作り始められたんですか。
[青山吏枝]
そうですね。東京の最後ぐらいにプロダクトを作り始めてはいたんですよね。でもなんか病気とか妊娠とかと重なってしまったので、自分たちのお店とかではあまり売ることにはいたらず移住したっていう感じだったんですよね。で、自分たちで今度は生産を始めたから、それを見てもらえるショールーム兼、あとはこう、なんていうんですかね、衣服の自給に今度はチャレンジっていう感じで、札幌に移ってから服を作り始めましたね。
[江良]
これ、今着てらっしゃる服は。
[青山吏枝]
上から下までそうです。
[江良]
どういう感じで生産されるんですか。その、生地を買って。
[青山吏枝]
布を選びに行って、自分でパターンを引いて、自分で縫えるものは縫って、あとは縫製職人さんにシャツの一部はお願いしたりっていう、すごく、ごく少量生産でやっていますね。
[江良]
すごい自分で縫えるんですね。
[青山吏枝]
それは幸い学校に行ってたおかげで。ただなんかあの、札幌に帰ってその震災もあって、本当はなんていうかちゃんとした自給自足に取り組もうと思ったんですよ、一応私たちは。友達と畑を借りてとか、親戚の空いてる畑を借りて自分たちでもちゃんと食べ物を作っていかねばっていう志を持ってたんですけど、うまくいかなすぎて。
[江良]
それは、あの、ごめんなさい。やっぱり、震災とかそういうのがあって、そういう方向に進んだんですか。
[青山吏枝]
そうですね。あと、乳飲み子を抱えて、この子が安心して食べられるものは残っていくんだろうか、という、割とやっぱり切実な気持ちが当時はすごい強かったんですよね。札幌に移住した時点で、例えば東北でね直接被災された皆さんとかから比べたら、ずいぶん安全な場所にいたとは思うんですけどとはいえ、なんか自分たちは作ってるわけじゃないものを購入して、お金を出して買って生活するっていううえでは、ライフラインも食べ物も変わらないじゃないですか?どこにいても。だからちょっとでも自分たちの口に入れるものを自給しようっていうので結構奮い立ったんですけど、素人だからそんなにうまくいくわけはなくて。
[江良]
ご夫婦で畑をお借りになってっていう感じですかね。
[青山剛士]
そうですね。友達家族と一緒に。
[江良]
結構、札幌とかだと、お住まいのところから畑までってどのぐらいの距離だったんですか?
[青山剛士]
一番最初借りたところは親戚のばあちゃんのところで、結構1時間くらい離れたところ。
[江良]
あー。
[青山吏枝]
めげたよね。
[江良]
結構大変、結構大変ですよね。
[青山剛士]
で、その後札幌の中で、車で15分ぐらいのところで、友達家族と。
[青山吏枝]
それはどういう場所だったの?市民農園みたいなやつなのか、それとも普通に農地を農家さんからお借りになったの?
[青山吏枝]
なんか農地に近かったよね。なんかこう、農地って言うほど広くはないので、 農家さんが扱うような面積ではないんだけれど、すごい変な斜面だから、割と何人かで割り当てれば、耕せるっていうようなところを借りることができて。
[江良]
何が難しかったですか?
[青山吏枝]
やっぱり通うこととか、仕事が詰まってくると放置になっちゃう。
[江良]
もちろん農薬とかも使わずにやられたわけですよね。
[青山剛士]
肥料と完全に肥料もなしで、石がゴロゴロ湧くようなところで。
[江良]
自然栽培、しいて言えば。
[青山吏枝]
良く言えば。そうですね。
[青山剛士]
友達家族、何家族かで、畑やるんですけど、やっぱり自分たちのところはあんまりうまくいかないのに、やっぱりこうちゃんと来てる、手間暇かけてる、ちゃんと見つけてるところはちゃんとなるって、同じ畑でもこんな違うんだってのはちょっと。
[青山吏枝]
ムラが。
[青山剛士]
思いましたね。
[江良]
そうですよね。
[青山吏枝]
そうですね。でもそれを見て、まずそのいきなりこう、何のこう準備もしないで素人が手を出したからそうなるわなっていうのはあり。もうちょっと自分たちの得意分野に寄せた自給を始めようとして。それで服とかデザイン、こういうプロダクトで自給をしようってなったんですよね。その点はもしかしたら、その都市で暮らされている方と同じような心持ちかもしれないですね。いきなりそのベランダ飛び越していきなり畑はちょっと手に負えなかった、っていうのはすごくよくわかって。で、今もそれは続けてはいるんですけれど、やっぱりこうね、忙しくなると放置になったり、自分たちが旅行行ってる間になんか鹿に食べられてたりとか、いろんなことがありながら、そっちは楽しむ範囲でやって、自分たちの得意なことで自給していこうっていうようになりましたね、札幌では。
[江良]
いやいやいや、大変。まあでも本当にね、手をかけないとね。なかなか、特にそういうね、自然農法とか、ちょっと難しいところがね、あとまあコツみたいなところもね、ありますからね。そうですか。でもそれが、札幌で、まあちょっとね、その自給、食べ物の自給自足には、ちょっとこう難しいところはあったかもしれないけども、じゃあその洋服とか事務用品とか自分たちのお得意なところでプロダクト作って、徐々に多分色々広がっていかれたんだと思いますけども、そこからこう、地元だしね、ある程度親も近いとか色々ある中で、洞爺湖にこうたどり着くみたいなのは、またね、剛士さんの不安もさらに奥まって深まっていくようなことも頭よぎらなかったこともなかったと思うんですけど、なぜまたこっちに行こうっていう方向になったんですか。
[青山剛士]
札幌から洞爺の時はなぜかこう、自分の方が洞爺が。
[青山吏枝]
ノリノリでしたね。
[青山剛士]
洞爺に行きたいってなったのもあったんですよね。やっぱりそれは何でだったんだろう。ちょこちょこ札幌にいるときから、休みになったら洞爺に来てって、すごい気持ちいいところだなとも思ってたんですけど、やっぱり自分としては洞爺が何でだったのかなと思うんですけど、それこそ湖だったり自然も多いんですけど、自分にとってはそれよりも何か、それこそ作ってるというか、暮らしを作ってる人が多いっていうか、自分で作れる人がすごいいて、そこにちょっと憧れたのかなっていうのを思いましたね。何かそれこそ小屋作ってたり、何か建物を自分たちでやってっていうことを見てて、すごいなって。やっぱりそれをできるようになりたいっていうのがあったのかなと思いますね。
[青山吏枝]
生きる力をアップさせたいなっていうのが札幌時代からの思うところで、その試行錯誤として畑でなるべく自給力を上げたいとかっていうことがあったと思うんですけど、洞爺の方がやっぱりちょっと一歩踏み込んでるというか、例えば薪窯パン屋さんだったら絶対薪が必要じゃないですか。それを買うのではなく、地域のいらない間伐材をもらってきたりとか、もともと建ってた建物を使ってお店をやってるとか、そういうところもいいなって思いましたね。あとは、その今住んでいる山に出会ってしまったからっていうのが一番大きくて。あんまりこう、よく未来のことは考えられないけど、これはなんか面白いっていうのが直感的にあったんですよね、2人ともね。「最高に面白い物件が出た」って言われて、見に行ったら、もう割と帰りでは「アリだね」っていう感じでしたね。何の保証もなくてですよ、普通にお店も札幌で、なんか別にうまくいっていてというか、お客様にも恵まれてて。とくに札幌出る理由っていうのがそんなに見当たらなかったんですけど、なんかもっと面白いのを引き当てちゃった、どうしようやばいって、それでなんか。
[江良]
そりゃ行くしかないですね笑。それが何年前なんでしたっけ。
[青山吏枝]
それが5年前か。そうだね。
[江良]
ちなみに、お子様は今、いくつなんですか?
[青山吏枝]
11歳になりました。
[江良]
ちょうど小学校のタイミングですね。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
で、移ってきて、お店はまだやってるわけではないけども、いわゆるそのプロダクトを作って、もちろんあとデザインワークをしててっていうことで言うと、札幌から洞爺湖に移られて、仕事面では何か変化というか、どういうプラスなこと、もしかしたらマイナスなこととかあるのかわからないですけど、何か変化ってありました?
[青山吏枝]
どうですか?
[青山剛士]
デザインの方では割とそんなに差がなかったというか、割と本当にそれこそもう、ネットでのやりとりが結構もう慣れてきたところもあって、だからそうですね、札幌でも洞爺でもそんなにこう、違いが出なかったかなと思ってるんですけどね。
[青山吏枝]
ただ空港からめちゃくちゃ遠くなったんですよ、札幌から洞爺に引っ越してきて。だから、相手が会いに来てくれることもあれば、自分たちが行きたいから行くっていう仕事の現場もあったんですけど、それにちょっと行きづらくなったところはありますね。そこにコロナも重なりっていう感じで。
[江良]
でもあれですよね、結構この洞爺近辺での、例えばこの目の前のあの食堂さんのロゴとか、なんかこう地域の仕事を色々やられるようにはなってらっしゃるようにお見受けするんですけれども。
[青山吏枝]
そうですね。
[青山剛士]
そこは本当にありがたいというか、いろんな方が紹介していただいて、それでこうやっぱり個人でお店やるっていう時になんかこうちょっとこう声かけてくれたりっていうことが多くて。本当にありがたいですね。
[江良]
でもね、もともとそういうお店とかねそういうことがスペシャリティというかね、専門家というか、
[青山剛士]
いやいやいや。
[江良]
ご経験も実績も多大にあるわけだから、でも洞爺の方からするとラッキーっていう話だった。
[青山吏枝]
そう思ってもらえたらすごく嬉しいですね。他にデザイナーがいなくてよかったな、ってたまに思いますね 笑。
[江良]
それはありますよね、この狭い町の中で。
[青山吏枝]
先にすごい著名な方とかいたらやりづらいなって思いますけど 笑。
[江良]
著名じゃなくてもやりづらそうですよね。
[青山吏枝]
そうですね。いや、札幌では実はすごい有名なデザインチームとかデザイナーさんがいっぱいすぎて、うわーってちょっと思いましたね。
[江良]
うんうんうん、そうですよね。そういう意味で言うと、この地域に。もしかしたら、ちょっと欠けてたというかね、なんかこうピースとしては、必要なピースがふっとこうね、余ったから、なんかこう、いい物件があったら、もうね、二人呼ぼうよみたいな感じで、地域の方も声かけられたのかもしれないですよね。
[青山吏枝]
ね、ありがたいですね。
[江良]
だし、そうするとね、やっぱり地域の発信のイメージというか、変わってきたりすると、本当に地域にとって、やっぱりデザイン、本当に大事ですからね。
[青山吏枝]
できることが違うほうがすごくいいなと思っていて。この地域のコミュニティとしても。あの人はものすごいおいしいパンが焼ける、すごくおいしいご飯が作れる、なんかすごくこう 、あの、ちゃんと農産物を作っている生産者さんとつながっているとか、いろんなこう、それぞれの良さがあると思うんですけど、それが違えば違うほどいいなと思ってて。なんかさっきあの「違うピース」とデザイナーの私たちもカウントしてくださったと思うんですけど。それがすごく良かったなって思うところは大きいですね、洞爺に越してきて。なんかこう、よく結構、物技交換というか、することがあるんですけど、本当にちっちゃいことでもパソコン作業がそもそも全然得意じゃなくて、これたった1枚を出力するのに手こずっている人のお手伝いをして美味しいケーキもらうとか、めっちゃいいなと思ってて。
[江良]
いいですね。
[青山吏枝]
その人の手助けになれて、かつそのお返しがお金じゃないのもいいなと思っていて。それはなんか地域通貨をいっぱいとかそういう話ではなくて、自分たちができないことをできる人、自分たちができることを、その人の不得意なところに、それぞれが交換できる、対等に。そういう関係がいっぱいあるのがいいなって思ってますね。
[江良]
いいですね。なんか、最初に剛士さんが、いろいろね、こう、自力でいろいろ食べるものとか小屋とか、そういういろんなものを作れる人がいっぱいいらっしゃるようなイメージがあって、そもそもいろんな意味で自給自足とか、生きていく力をより高めていきたいみたいなことを、剛士さんもおっしゃってましたけど。実際移ってきてみて、それはこう、洞爺湖っていう町とか、ここの、ここで暮らしている人たちとか、6年経ってみて改めてどういうふうに 思われてます?
[青山剛士]
やっぱり、だんだん住めば住むほどというか、やっぱりすごい人たちがいるな、なんていうんですかね、本当、やっぱり関わる濃度が上がれば上がるほど、やっぱりなんか面白い人たちがいて。そうですね、何かそこにやっぱりこう憧れつつ、自分もやっぱり少しずつできるようになりたいなっていう気持ちはやっぱりこう強くなって。そうですね。そういう面でちゃんと自分も(自立、自給を)できるようになりたいっていうのを強く思っていますね。
[江良]
すごいっておっしゃるのはやはりバンと、さっきおっしゃったけどね。家の隣に鶏小屋をパッと作って、ラムヤートの今野さんがパッと作ってくれたとか、なんかそういう、こう、それこそやっぱり、おっしゃってた「生きる力」というか。こう作っていく、そういう力を すごいっていうふうに、こう考え感じてらっしゃるってことですかね。
[青山剛士]
そうですね。なんか、なので自分で言うとなんかこう、具体的に言うと、それこそ自分の住んでるところの薪を、今、それこそ、ラムヤートのスタッフのヒロちゃんっていう人に一緒に手伝ってもらって、山に入ってもらって、今、薪を自分のところから倒して、それを自分のところのエネルギー源に初めて去年出来て。なんかそれがすごい楽しくて、なんかすごいやってる実感がすごいあったんですよね。だから、そういうところから少しずつ山とかにも自分でちゃんと入って、エネルギーだったり、何かこうちょっと山の管理も少しできるようになりたいなっていうのはすごく思いましたね。
[江良]
なるほどね。
[青山吏枝]
興味の範囲がちょっと、その環境とか、洞爺っていうフィールドっていう感じで、大きすぎず 小さすぎずぐらいの範囲に、なんか気持ちが向くようになったのかなと思っていて。
[江良]
札幌の時とか、東京とかと比べて。
[青山吏枝]
あの東京で色々網羅するってなんかまぁ無理じゃないですか。一つの街が濃すぎてとか、あとはまぁ人数が、対人数が圧倒的に多くてとか。なんか洞爺はこのサイズ感がちょうどいいなと思っていて、外から見たら多分観光の街なんだと思うんですけど、暮らして見るとやっぱり生産者さんの多い、農地も結構多い土壌なので、海も湖もあって、あと畑も多くて、田んぼもあるからお米も取れてとかって。で温泉があってとか、すごくこうフィールドに恵まれてるなっていうのがあって、なんかそれで、その中でこう自分たちのできることを探しながらとか、ちょっともう一歩できることを増やしたりっていうのが、今なんかこうだんだん楽しくなってきたっていう感じですね。
[江良]
なんか吏枝さんの方からも具体的に、何かこうさっきの薪みたいに自分たちのこう視野が開かったこととか、生きる力がちょっと、こういうことが学べたみたいな具体的なエピソードみたいなのあります?
[青山吏枝]
あの、水が出ないんですよ、うちの山。
[江良]
水が出ない。まあ上水が来てないっていうことですね。
[青山吏枝]
そうですね。近隣のおじいちゃんおばあちゃん、 昔から住んでる方たちは、山のお水をひいて、それで生活をしていて。でも、ちょっとその事情があって、限界量があるからうちはちょっと使わせてもらえないことになって、ちょっとこぼれ水みたいなのだけ使えてるっていう状況なんですけど。
[江良]
なるほど。
[青山吏枝]
で、タンクに汲んで生活をしてるってことなんですけど、その、キャンプの拡張みたいな。
[江良]
どういう、どれぐらいそれこそ水を汲みに行くんですか。どのぐらいの距離に。
[青山吏枝]
あ そう。それが、なんかこう見える化するのが面白いなって思っていて。自分たちが使う絶対量がそのタンク数でわかるわけなんですよね。なんか都会で、都会に限らず普通に蛇口ひねったら水出る状態だったら、あんまり節水とか考えないだろうな、みたいな。
[江良]
いや、考えない。
[青山吏枝]
蛇口ひねったら出ちゃうので、どれだけ自分が顔洗ってる時に何リットル使ってるとか、あんまり意識しないじゃないですか。
[江良]
そうですね。出しっぱなしにしちゃったりとかね。
[青山吏枝]
ね。なんかこうお湯が出るのも当たり前とか、全部当たり前じゃないんですよ 笑。だからそれがわかったのがかえって面白いなと思っていて。飲み水は真狩っていう羊蹄の美味しい水を汲みに行って、めちゃめちゃ美味しい水を飲んでるんですけど私達。笑。で、生活用水はそのお隣のおばあちゃんのところから、なんかこう余分にオーバーフローみたいに出てる水を汲ませてもらうとか、冬に1回ちょっと止まってしまったので、今はもう一個借りてる町営住宅の方で汲んでタンク行き来したり。。そのめちゃくちゃ面倒な手間があるんですけど、でも自分たちが生活にどれだけのエネルギーを使ってるかっていうのが、やっぱりこう、明らかになるんですよね。その時になんかその、一般的なライフラインに対する、すげーなって思う気持ちもあるし、なんか運ぶのめんどくさいから、なるべく少なく使おうとか。自然にそれは湧いてくるんですよね、見えてると。だからこういろんなことが見えていくといいなって思って生活してますね。そのように。もちろん便利に越したことはないので、水が出たらいいなとは思うんですけど。
[江良]
なんていうか そういうことでじゃあ、ちょっとね、使う水少なくしようとか、なんかそういう工夫っていうんですか、そういうのって、一見面倒くさいみたいなふうに思う人はいるんだと思いますけれども、そこはやっぱり結構楽しいっていうふうに感じられるところなんですかね。
[青山吏枝]
慣れもあるかもしれないですね。そうするしかないから、みたいな。人はなんか順応していくなって思うんですけど。特に娘とかは、引っ越してきた時はトイレもまだつけてなかったのでトイレしたくなったら自分でスコップ持って外でしたりとか、あとは仮で木で便器を作って穴掘ってしてたりとか、すごいたくましいなって思って。そこからやっぱり徐々に、徐々にですね。少しずつなんか順応していくって、「あ、そんなことできるんだ」とか。
[江良]
でもね、子どもがそういう、そもそもの原理と言いますかね、そこを理解した上で便利な蛇口使うのと、最初から蛇口使うのは、そこにやっぱ大きな差が絶対あると思いますよね。
[青山吏枝]
そうですね。そんなの体験しなくていいっちゃいいかもしれないですけど。
[江良]
でもね、こういろいろ見えるようにできるだけしたいっていうのは、やっぱり面白いというか興味をすごいやっていくと、多分いやなんか僕は面白そうだなぁと思いますけどね。
[青山吏枝]
だから娘は今11歳なんですけど、すごいゴミとかに対しても私たちなんかよりよっぽどすごく厳しいので。
[江良]
どう厳しいんですか。
[青山吏枝]
なんかただ包まれてたそれをすぐに捨てるのか?とか、めちゃくちゃ厳しいんですよ。だから1回再利用してから捨てろとか。なんか、そもそもこんな、めちゃめちゃ過剰包装されているものを買うな!とか、ちゃんとリユースできるものを選べとか、やっぱ次世代は意識が違いますね。サスティナブルに対する根本的な理解がやっぱり早い。
[江良]
そう生まれた時から、しかもね、そういう環境で当たり前のようにねそこら辺を見ながらやってると、あと山だとね。じゃあ何が分解して何が分解しないとか、なんかね。ここじゃあゴミもねじゃあ燃やして捨てるにしよう、エネルギーが余計にかかって薪がねうんぬんかんぬんとか、やっぱ全部そこが見えてると、子供としては当たり前に考えてそうなるのかもしれないですよね。
[青山吏枝]
そうですね。それはこう面白いなって逆に思いますね。大人の側が学べるというか。そういうことを考えるんだというか、そうですね。あと、鶏を飼っていることで、最近起きてた鳥インフルエンザで殺処分が何万羽もとかで、すごい心を痛めて泣いてたりとか。やっぱりなんかその、触れてる情報がなんていうかこう、都会にっていうなんか対比はあまり良くないなと思うんですけど、普通になんか守られて、守られすぎている中で触れる情報とは、多分違う情報に彼女はアクセスしていると思うんですよね。それがなんか面白いなぁと思って。その、興味の方向が、生活から結構彼女は来てるなぁと思っていて。娘は絵本を書いたりとか漫画を描いたりとかしてるんですけど、やっぱり山に暮らす題材が選ばれてたりとか。なんかこう動物とすごく友好的に暮らしているビジョンが描かれてたりとか。あったらいいなって思うのが私たちの実生活にも必要そうなものが書かれてたりとか、、そういうのを見るとすごく面白いなって、すごく感激しますね。
[江良]
そうですね。守られてるっておっしゃいましたけど、やっぱりねどうしても普通はこう、もう見えないというかね。そのね、だから見えるってさっきからおっしゃってますけど、生活の中で水がどっから来てね、その熱が熱エネルギーがどっから来てとか、食べ物とかね、じゃあトイレはね排泄物はどこに行ってとか、そういうものが周りにあるから、本当にいろいろ考えられるんですよね。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
そういうの、本当楽しみですね、そういう子どもが何をやりたいというふうに選んでいかれるのかね。
[青山吏枝]
そうですね。楽しみでもありますね、それが。
[江良]
逆にここに住んでて不安になることとか、やっぱり札幌の方がとか東京の方が、これが良かったかなとか、なんかそういうふうに思うことってあります?
[青山吏枝]
なんだろうね。
[江良]
特に。
[青山剛士]
いや。なんか今リアルになんて言うんですかね、もともとここに高校があったんですよね。でそれがやっぱり人口が減って高校もなくなってきて、結構その子どもたちが高校の選択肢がやっぱり少しずつこう減ってきているのもあって。
[江良]
全国どこでもそうですけど、ここだと高校はどこまで行くのが一番近いんですか。
[青山吏枝]
隣町、隣町というか同じ町内の隣のエリアにあるにはあるんですけど、同じ町内であるにもかかわらず、すごく行きにくかったりとか、アクセスが悪かったりとか。
[江良]
通えるんですか。公共的にバスとかで。
[青山吏枝]
あとは親が送り迎えしてるとか。
[青山剛士]
そういうのもすごい、結構負担があるんだろうなと思うと、なんかもうちょっと子どもたちが少し選択肢が増えたらいいなっていうのはすごい思いますね。
[青山吏枝]
何かこう、人材っていう見方をすると、子どもたちも人材であるわけだと思うんですけど、貴重な人材がやっぱり高校大学進学したい子は、ごそっといなくなるしかないんですよね。その、選べないので。隣町に通えてそれで満足する子はいいと思うんですけど、やっぱりすごく勉強が好きで、なんか大きい専門の大学に行きたいとかってなったら、もう出るしかなくなるので。通えないとかですね。
[江良]
高校からやっぱり例えば、札幌でられているとか。
[青山吏枝]
そういう子もいますね。寮に入る子もいれば、母子だけとか、逆に父子だけで都会に出るとかやっぱり普通に今もあるので。そういうのを聞くと数年間は空白ができるわけですよね。別に地域に愛着があっても、やっぱり進学問題でこう抜けてしまう穴っていうのはちょっと大きいなとは思いますね。
[江良]
なかなか重いというかね、なかなかこうパッと解決策がね、なんかもう難しいですね。
[青山吏枝]
寺小屋ではちょっと。
[江良]
そうですよね。
[江良]
はい。
[江良]
はい。じゃあ、これalt-Tokyoというポッドキャストなんですけども、最後に、これを聞いていただいている方々に、何かお二人からこういうことをしてみたらどうかとか、こういうようなこといいですよとか、何か日々の生活だったり、これからの生活に何かちょっとプラスになるような アクションってなんか、なんかありませんかね?っていうのをいつも最後に皆さんにおうかがいしてるんですけれども、drop aroundのお二人から何かおすすめしたいことって何かありますか。
[青山吏枝]
なんだろう、、。でも得意なことの自給率を上げていくと、まずなんかこう気持ちが健やかですよね。あと楽しいから続くとか。なんかそういう無理のないあり方がいいかなと思っているのと、なんかこう、個が強くなっていったり、自立していくといいなと思うんですよね。なんかこう個が集まってギャザリングしていく強さとかもあると思うんですけど、そもそも個がそれぞれに楽しんでたりとか、できることをきちんと全うできる力がないと、それって成り立たないと思うので。うちはまだ集まって何かするってよりかは、自分たちのできることを増やしたり、強くしたいなっていう気持ちがあるので。なんかそういうふうに思う人が増えると 自分たちが生きやすくなるなって思いますね。
[江良]
うんうんうん、そうね。いやでも本当にそうですね。得意なところで自分で作ってみるとか、まあそれで見える世界をこう広げていくとかね。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
やっぱりなんか自分で作ってた方が楽しいですよね。
[青山吏枝]
そうですね。それが何であっても楽しいことって続くじゃないですか。そのために時間を割こうとすると思うし、あれやってみたいって思った時の熱量があまり減らないので。
[江良]
どうでもいい話ですけど、僕からすみが好きなんですけど。
[青山吏枝]
そうなんですね!
[江良]
この前からすみ作ったんですけど、そんなんでいいんですかね?
[青山吏枝]
いいですね。すごくいいと思います。
[江良]
そう言ったらある友達にはボラを釣るところからはじめないとダメだって言われたんですけど。そんなようなことですよね。無理なくっていうのはね。
[青山吏枝]
そうですね。別に好きな市場、お気に入りの市場で買うとかで全然いいと思うんですよね。でも、そこを調理することでめちゃくちゃなんかもう人生が変わって、漁船買うとかいう人もいたりするじゃないですか。
[江良]
いたりする、いますよね。
[青山吏枝]
いますよね。もしくはその漁船を持っている人と友達になるとか。
[江良]
友達になっていくとかね。
[青山吏枝]
多分いろんなルートが増えると思うんですよね。なにかダンジョンがあっても。そういうので洞爺も、もっと違うことが得意な人が集まったらいいなと思いますし。なんかありますか?(剛士に)
[青山剛士]
そうですね。自分もなんかこう、小さくても何かこう作ってみるというか、もうどうにかハードルを下げて、自分で何かこう試しにいろいろやっていこうと。何かハードルを下げて自分で何か試しにいろいろ作ってみるっていうのがいいなと思いますね。なんか自分もなかなかついついハードルを上げてしまうんですけど、なるべくハードルを下げて手を出すというか、身の回りのものを何か手を動かして作っていけるようになりたいですね。
[青山吏枝]
何かに熱中しているとね、意外と助けてくれる人も周りにいたりして、あの人あれできるんだよ、えー!みたいなことが、やっぱりこの界隈ですらあるので。きっとね、都市が大きくなりつれ、かける100ぐらいの規模で。
[江良]
本当はいっぱいいそうですよね。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
だからでも、やっぱりね、東京とかはなかなかやっぱね、周り見えづらいっていうのもあるかもしれないけど、どうしてもお金で交換しちゃう癖というかね、そういう文化というか、文化でもないのかな、あるんでね。もう少しここまでは自分で作ってみるとか、今言ったように漁師さんと仲良くなってみるとか、農家さんと仲良くなってみるとか、作り手さんとコミュニケーションを取ってみるとか、どうやって物ができてきているかとか、エネルギーがきているかとか、そのプロセスを、興味があるところをより知っていくと、楽しいし、それでその個が強くなっていくこと、その方の個が強くなっていくことにもね。つながっていくから、何か生きる役に役立つかもしれない。
[青山吏枝]
あとその、自分ができないことに対する純粋な感謝とか尊敬も湧くじゃないですか。
[江良]
そうね。
[青山吏枝]
その水が出ないので、水道管すげえっていつも思ってますね笑。あんなにひねったら出るなんて夢のようだな!みたいな。思いますね。
[江良]
そうね。本当、それを知ってると知ってないとでは、確実に違うこと、違いますよね。
[青山吏枝]
そうですね。
[江良]
世の中の見方がね。
[江良]
はい。ありがとうございます。
[青山吏枝]
いえ、こちらこそ。
[江良]
じゃあ最後に、あれですよね。このdrop around、札幌にあったのは M&Wっていうお店だそうですけど。
[青山吏枝]
「つくる はたらく」っていう、マニファクチャー&ワークっていうのが元々の店名で。長いので M&W としてるんですけど
[江良]
なるほど。このお店を復活させる計画があるとかさっきちょっとお伺いしましたけど、ちょっと伺ってもいいですか?
[青山吏枝]
あの洞爺湖の、結構山のどん詰まりに今暮らしていまして。
[江良]
その例の水が出ないところですね。
[青山吏枝]
水が出ない、そうですね。山の中で暮らしてるんですけど。そこは単純に山なので、この辺(湖畔)とはまた違った面白さがあって。その環境込みで遊びに来てもらえる場を開きたいなって思い始めたんですよね。お店やってないと純粋に知ってる人としか会えないんですよ、やっぱり。今まで意識してなかったんですけど、お店をやってることで誰でも来れるじゃないですか。お店はもうこっちから開いてる場なので。でも今は特定の仕事相手とか近所の人とかしか来れないので、ちょっと少しセミクローズドなというか、辿り着ける人だけが来れるお店として直売所のような形のお店をちょっと開きたいなと思っていて。それが一応2023年中の目標なので、開いたら遊びに来てほしいです。
[江良]
そうですね。でも本当にお二人がね見えているものというかね、普段感じられているようなこと多分この今日のお話を聞いて、興味持った方もたくさんいらっしゃると思うので。
[青山吏枝]
本当ですか 笑。
[江良]
実際にね、現場というかリアルに体験できるような、感じられるような場所があったらね。ぜひ行ってみたいと思いますよね。僕たちはこの収録終わったらちょっと見に行かせていただけるので、だからちょっと写真ぐらいは今日ちょっと見ていただいて。じゃああれですよね、Instagramのアカウントがあって、ウェブサイトから見ていただけるんで、インスタフォローしていただいて、オープンしたらオープンの情報を見たらぜひ洞爺湖の、お店の名前はM&Wになるんですか?
[青山吏枝]
そうですね。その予定です。
[江良]
新しいM&Wにぜひ遊びに行っていただきたいと思います。はい。今日はdrop aroundの青山吏枝さんと青山剛士さんのお二人にお話しをうかがいました。どうもありがとうございました。
[青山吏枝+青山剛士]
ありがとうございました。