#022: 葛西龍也さん: 一般財団法人PEACE BY PEACE COTTON 代表理事 : 永続する社会価値と企業、インドのコットン生産者支援活動、Grow Organic、私たちの豊かさ

 


葛西龍也

1976年生まれ。大阪大学卒。1999年株式会社フェリシモ入社。新規事業創出、事業提携、資本提携などを担当。コンサルティング子会社やEC子会社、物流子会社の代表などに従事。2024年フェリシモを退職し、株式会社showlightを設立。
事業活動を通じて社会課題を解決することをライフワークとしている。
綿花栽培にまつわるさまざまな人権課題や教育課題などを解決する方法として、有機農法の普及を支援し、農家子息の教育支援をすることを目的として一般財団法人PEACE BY PEACE COTTONを設立し、代表理事としても活動。(著書:セルフ・デベロップメント・ゴールズ 2021/2/9 双葉社)
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エピソードを読む:

[江良]

では本日のalt-Tokyoはゲストをお迎えしております。葛西龍也さん、一般財団法人PEACE BY PEACE COTTON 代表理事、株式会社ShowLight代表取締役でございます。葛西さん、今日はよろしくお願い致します。

 

[葛西]

よろしくお願いします。

 

[江良]

僕はいつも葛西君ってお呼びするんですけども、僕たち同い年で。

 

[葛西]

同い年です

 

[江良]

もう14,15年ぐらいのお付き合いになるのかな、13年か。あれですよね、東日本大震災がきっかけですもんね。

 

[葛西]

そうですね。ただグッドデザイン賞2010年の時に見に行ってて、江良さんのPOCが受賞されてて、PBPも同じ年の受賞だったんで、それを見て僕は一方的に知ってましたけどね笑。

 

[江良]

東北コットンってプロジェクトがあってそこをきっかけに知り合ったんですけども、最初あれでしたっけ、児島さん経由で紹介されたのかな?

 

[葛西]

いや違います。5月10日にコットンの日に。

 

[江良]

コットンの日だ、そうだそうだ。

 

[葛西]

東北コットンができる前夜みたいな。

 

[江良]

そうですね。東北コットンやろうという話になった時に、同じく登壇してたんだよね、じゃあね。

 

[葛西]

そうです、そうです。

 

[江良]

そうです、そうです。そうかそうか。だからそういう意味だと2011年の5月10日以来の仲間でございまして。

 

[葛西]

そうですね。 

 

[江良]

今日は色々お話を伺わせてもらいます。じゃあまずは葛西さんのプロフィールをですね、ご紹介させてもらいたいんですけど。葛西くんの方から、葛西くんの年表みたいなものを、経歴をシェアしてもらってるんですけども。まず大学卒業して僕と同じ99年卒業なわけですけども、フェリシモ、株式会社フェリシモに入社されます。で、入社されて2年後にですね、「LOVE&PEACE PROJECT」というのを立ち上げられる。これ、でも入社2年目で、24歳とか、そのぐらいの2年目でそういうプロジェクト立ち上げるなんて、結構なかなか早いな、というか。そういうのって、入社してすぐそういうプロジェクトを立ち上げられるのかな、と思うんですけども。これどんなプロジェクトで、どんな感じでやったプロジェクトなんですか。

 

[葛西]

まさに2年目は2001年でして。2001年の9月11日にニューヨーク同時多発テロが起きましたよね。で、その当時ファッションブランドを一つ立ち上げの手伝いをしていて、2年目なんで、ホームページ担当だったんですよ。ホームページに寄せられるお客様からのそのご注文とかご意見とかみたいなのを受けたまわる承る役回りだったんですけど、そこに毎日毎日繰り返されるあのテロの映像を見てて、心が痛いと。なので、何とかしてくれませんかっていうメッセージが来たんですよね。で何とかしてって言われてもなんかできることあるのかなって思ったんですけど、ファッションブランドだったんで、チャリティーティーシャツを作ろうという風に思い立って、社長室駆け込んでプロジェクトやらせてくれませんかって言ったって感じですかね。

 

[江良]

2年目でその社長室駆け込んでなんていうのは、ちょっと珍しい、会社でも珍しい存在だったんですか。

[葛西]

でもそういう距離の近い会社ではあったのと、まあその社員もみんな、僕らの世代ってほら戦争は知らない世代じゃないですか。で目の前で本当にテレビでね、映像が映されるっていうので、多分同じようにすごくみんな感じてたと思うんですけど。でそういう気持ちみたいなものを事業に活かしなさい、みたいなことがDNAとして流れてる会社だったんで普通でしたね。

 

[江良]

ああそうですか

 

[葛西]

はい

 

[江良]

そういう意味だとねフェリシモさんって、そういう、あのなんていうんですか。こうまあ金儲けだけじゃないよね、っていうか、こうね、なんかちゃんとこう社会的な今でSDGsみたいな社会的な企業の役割とか、そういうところがすごいあの強くDNAっていうか文化としてお持ちの会社だったんですよね。

 

[葛西]

そうですね、だからあの頃はまだSDGsという言葉はなくて、エコとかCSRとか、ソーシャルという言葉もなかったかな。CSRが出だしだったと思うんですけど、そのCSRも普通だったら、企業の社会的責任という、企業側がお金儲けばっかりしていて、社会に悪い影響しか与えていない前提で、CSR果たせ、みたいな動きが始まった頃だったんですけど割と初期からそのCとSとRに2つの意味を重ねてて、(Cは)コーポレートとかカンパニーとカスタマーですよね。企業には必ずお客さんがいるから「コーポレートwithカスタマー」というのと、Sが「サステナブル」と「ソサイエティ」だったかな。一過のものじゃなくて、永続的な社会。で「レスポンシビリティ」も責任だけじゃなくて、物事に対してどう対応するか、「レスポンシブネス」って言われてて。必ず企業、社会的責任と一緒に合わせてその企業のお客さんと一緒に一過性じゃなくて永続する社会価値を作っていくっていうことの責任と応答力というか、みたいなことを言われてたので、テロの時にもお客さんと一緒にどんなことができるだろうっていう風に考える教育を受けてましたね。

 

[江良]

じゃあもう本当にやっぱり会社、それはだいぶ今でもねSDGsをやろうっていう社会的に全ての会社がおそらくそういう方向を目指してるんだと思いますけども、相当根っこのところからそういうのを強く持って会社側がそれをエンカレッジするようなそういう環境だったんですね。

 

 

[葛西]

そうですね。なかなか難しいですけどね、現実は。ただそういうものを目指そうというか、本当にエンカレッジ、エンパワーメントするような風土でしたね。

 

[江良]

素晴らしいですね。じゃあ、そんな中でまず入社2年目で同時多発テロを契機に、何かそういうチャリティのTシャツのプロジェクトを始められて、で次出てくるのが2004年その3年後にhaco.という、これは雑誌ですよね。これを創刊される。

 

[葛西]

雑誌のようなカタログですね。カタログ通販の会社だったんで。

 

[江良]

うんうんうん。でもなんかコンビニで売ってたりとかもしましたよね、これね。

 

[葛西]

はい、もう一時すごくコンビニと書店で。

 

[江良]

うん、これはどういうような役割をされてたんですか。この創刊の時は。

 

[葛西]

いや、本当そのおかげさまでというか、入社2年目に立ち上げたブランドが9.11で結構会社を挙げてのプロジェクトになったので。で、お客様もすごくドーンって協力してくださって、さっきのTシャツは1年間で70,000人に買っていただいて。

 

[江良]

すごいですね。

 

[葛西]

はい、で1枚300円のチャリティをつけて、ニューヨークとアフガニスタンの親を失った子供のための支援をするっていうチャリティだったんですけど、なで、えっと2,100万円か。で、1,000万円ずつニューヨークとアフガニスタンに、っていうことをしてたんですけど。で、翌年にはその7万人も同じ T シャツ買ってくださったわけなので、日本中に7万人同士がいるってことじゃないですか。

 

[江良]

そうですね。

 

 

[葛西]

なので普通はね、ファッションって人と違う格好をするっていうもんですけど、7万人も同じものを着てるから、例えば街ですれ違った時に「あいつもチャリティー参加したんだ」ってなるっていうものだったので、写真集出したりしたんですよ。

 

[江良]

え、何の写真集ですか。アフガニスタンの?

 

[葛西]

いや、全員同じTシャツ着てる

 

[江良]

なるほど、へえ面白い

 

[葛西]

当時ね、まだ写メール出たて、みたいな。当然その画質は印刷に耐えうるものじゃなかったし、デジカメとかもそうかな。だからフィルムで写真撮ってもらって、会社に送ってもらってそれ全部スキャンして写真集出すみたいなことをしてたんですよ。

 

[江良]

へえ、面白い

 

[葛西]

はい。でそうこうしてたら、結構成長してくれてというか、認知も高まったので、その流れでその時のブランドを軸にした一冊のカタログっていうか、他にも別のコンセプトテイストのブランド集めたカタログを創刊しようってなって、それがhaco.ですね。

 

[江良]

なるほど。ちなみに、ちょっとごめんなさい、話戻っちゃうんですけど、このLOVE&PEACE PROJECT、9.11きっかけで作ってチャリティーやろう、で7万枚Tシャツ売って300円チャリティーして、そのチャリティーの行き先がさっき何とおっしゃいましたか。アフガニスタンとかの?

 

[葛西]

アフガニスタンとニューヨーク。当時同時多発テロでニューヨークのツインタワーに飛行機突っ込みまして、たくさんの方が亡くなりました。で報復云々でアフガニスタンの空爆が始まってっていう映像が毎日流れてたので、その時はですよ、ニューヨークとアフガニスタンの子供が、要は親の宗教対立とかいろんなことで生活が危ぶまれ、親殺されってなってたじゃないですか。なでチャリティーのメッセージもノットウォーとか喧嘩するなじゃなくて、子供たちにとって愛と平和を、みたいな感じだったんですよ。なかに「ノー」って言わずにね。で、その具体的に被害を受けていたニューヨークとアフガニスタンの子供たちでしたね、その最初は。

 

[江良]

でもやっぱりこうなんて言うんですか、まあ大きく言うとアメリカ資本主義のところに対するイスラム原理主義のテロじゃないですか。でも両方の立場の子供たちをなんか支援するっていうのは、すごい特徴的な、なんか当時いろいろな支援プロジェクトもあったと思うんですけど、ちょっと特徴があるなと思ったんですけども、そこら辺ってなんかどういう考えでそういう支援先を選ばれたんですか。

 

[葛西]

まずあの頃って江良さんも覚えてると思うけど、今いきなり飛行機突っ込みましたみたいなのもありえない事態が起きて。で、国際連合が多国籍軍っていうのを作って、どうやらアフガニスタンに潜伏してるらしいぞっていうのがあって、そこに空爆したっていう流れがあったんですけど。今言ってくださったようにアメリカを中心とする資本主義というか旧西側というか、みたいなもの対イスラム的価値観というかみたいな図式になってたけど、どうしてもその映像で映し出されるアフガニスタンの子供たちが悪に見えなかったんですよね。善も悪もないっていうか、子供たちからしたらお父さんお母さん家族と暮らしていたところに空爆されるわけだから。その時に単純に世論として、世界的な世論としてはイスラムが悪いみたいな感じに持っていってたんだけど、それに関してはどっちか分かんないっていうか、それを一民間企業がアメリカを応援しようっていうことでもないし、ずっと考えてて、子供の未来を奪う権利がないっていうことだけはね、確かだなと、大人に。その考え方はもうずっとその後も続いていくんだけど。大人が勝手に喧嘩する分には自分のお金と自分の体力でやってんだからいいとして、それによって子供の未来が奪われるようなことまで手を出しちゃいけないっていうのがベースにあったので、あの時は本当に何とかして空爆を受けた子供たちの緊急支援、自立支援をしなきゃいけなかったのと、合わせてアメリカ側ですよね。(アメリカ)にも親を失った子供たちがいてってなってたので、それに平等にやろうってことになりましたね。

 

[江良]

なるほど、ありがとうございます。いやでも本当にそのね、両方に対してっていうのは、今もパレスチナとイスラエルみたいなことで、

 

[葛西]

そう

 

[江良]

両方の立場をね、僕たちがなかなかねわからないというか、判断しづらいところもあるし、そういう意味でね両方だし、あとその中で子供にフォーカスされてるというのが、それは今も多分葛西君と話してても、すごい今でもね大事にされてるようなことだと思うので、この後もね、もう少し話を伺っていきたいとは思いますが、じゃああれですね、本当に最初にブランド会社入ってすぐブランド立ち上げられて、でLOVE&PEACE PROJECTでチャリティもやったりする中で、なんかそういう共感の輪が広がってきて、で一つhaco.っていうカタログ雑誌を創刊していくことになっていくと。それ2004年なんですけども、その後4年後ですね。2008年に、で、これから今日の本題にどんどん入っていくわけなんですけど、ピースバイピースコットンプロジェクトを発表されるという段階にきます。その後2010年に実際現地支援がスタート、と書いてあるんですけども。まずピースバイピースコットンって何なのかということと、この2008年から発表してから実際に支援が始まるまでのここら辺のストーリーを教えていただいてもいいでしょうか。

 

[葛西]

はい。2004年にhaco.が創刊してさっき江良さんもおっしゃってくださいましたけどおかげさまでコンビニエンスストアと本屋さんですごくカタログの方も買っていただきまして、順調に事業が成長していきましたと。LOVE&PEACEのプロジェクト自体は毎年9月11日っていうものを忘れないために続けていまして。2003年にイラク戦争っていうのが起きたんですけど、アフガニスタンとニューヨークの子どもたちだけっていう枠を超えて、どちらかというと戦争とか紛争とか、その後震災もあるから天変地異とかも含めてなんですけど、全般的な子どもたちの支援プロジェクトに変化していったんですよ。そんな中で2008年にhaco.が東京進出したのかな?何か一つの動きがあったんです。東京でメディアの方々にお呼びしてパーティーするみたいな時があって、その時に今まで蓄積してきたこのLOVE&PEACEのプロジェクトをもっとせっかくメディアの方に取り上げてもらうから広げていこうと。あの、カタログ屋さんって自分でメディア持っちゃってるんであんまりPR得意じゃないんですよね。

 

[江良]

そうですよね笑

 

[葛西]

印刷できる。そうそう。で、haco.、その時100万部刷ってたんで

 

[江良]

凄。

 

[葛西]

だから100万部に印刷してたらそれなりに広がっていくっていうことだったんですけど、こういうことってもっと広げたいっていうこともあって、せっかく東京の人たちとやるならっていうこともあって考えてたんですよ。でその時に、どうやろうかなあと思って、僕ら同い年だからいろいろな話が合うと思うんですけど、もともとストリートカルチャーみたいなものがガーッと伸びてきた時でもあってね。「dictionary」ってフリーペーパーあったじゃないですか。

 

[江良]

ありましたよね。

 

[葛西]

あるじゃないですか。

 

[江良]

はい。桑原さんね。

 

[葛西]

桑原さん、そうです、まさに。なので、カタログ、紙メディアがまだ強かった時だったから、各店舗・各カフェとかお店とかにフリーペーパーが置かれてるみたいな時で、なんか紙同士だし、dictionaryと何かできないかな、みたいな感じを思って。dictionaryでも「T-SHIRTS AS MEDIA」っていうプロジェクトやってたんですよ。

 

[江良]

ああ、ありましたね。

 

[葛西]

はい。で、これはすごく親和性もあるし、お話伺いに行こうと思って行って、。2008年の時点でねLOVE&PEACEのTシャツって20万枚売ってたんですよ。

 

[江良]

うんうん、すごい!

 

合計で。だから。

 

[江良]

すごい一大プロジェクトですね。

 

[葛西]

そうなんですよ。なんかチャリティだけでも6000万ぐらいになってて。イラク戦争の子供たちに対してもっていうのもあるし、いろいろその大きくなってきてどうしていくかっていう時でもあったんですよね。で多分僕はちょっと天狗になってたなと思うんですよ、入社2年目でそんなこと始めて、普通にhaco.100万部になっているし、って。でこのやり方にあんまり迷いを持ってなかったっていうか、お客さんと一緒になって社会の課題解決していくっていうのが利益出しながらできたらいいよねって思ってて、まだ若いしこの頃笑。

 

[江良]

そうですよね

 

[葛西]

はい茂一さんのとこに行って、プロジェクトの説明したら、黙って聞いてはって、「葛西さんTシャツ20万枚売ったって言ってるけどその20万枚もTシャツを売って、インドの農家何人死んだと思う」って言われたんですよ。

 

[江良]

えーちょっと衝撃的なコメントですね、それは。

 

[葛西]

そうなんですよ。で、誰かを殺してる覚えは全然ないわけですよ、むしろ死んじゃった人たちのサポートをしてると思ってたら、え、どういうことですか、って聞いたら、実はそのTシャツっていうものの原料になってるコットンというものが、非常に問題を孕んでいると。特にインドではその T シャツ、T シャツじゃないな、綿花を作ってる農家さんが年間たくさん自殺しているんだよ。その君のチャリティっていうのは一部では誰かのためになってるかもしれないけど、それを支えている原材料では、もしかしたら誰か殺してるかもしれないね、って言われて、どういうことなんですかっていうことから、で僕その知ったんですよ、インドの綿農家の困窮というか窮状をね。そもそもオーガニックコットンがどうこう、というプロジェクトじゃなくて、T シャツをたくさん作って販売して社会のためになってると思ってたら、実はそのサプライチェーン 全体で言うとマイナスが出たかもしれないっていうことの気づきだったんですよね。で2008年てもう一つ日本のアパレルの、ファッションの世界では、動きがあって、あのH&M原宿上陸の年なんですよ。

 

[江良]

そうですか、なるほど。ファストファッション。

 

[葛西]

ファストファッションがこれから出てくるというか、ファストファッションになるって言われてた時で、まあ言っても自分のプロジェクトはね、7年かけて20万枚とかなんで大きい規模の人からしたら1発注みたいな量でしかないけど、世界でファストファッション化が進むとね、お洋服の量が増えて値段が下がって生産効率化してってなってくるんだけど、原料の量って変わんないですよね。Tシャツ1枚に必要なコットンの量が減るわけじゃないっていうか。だからその時点で、いろんな諸説あるけど年間3万人の農家が自殺してますみたいな情報を見てて、これから加速度的に服の量増えてくぞってなった時に、大丈夫かこれ、みたいな。売れば売るほどその農家が死んでいくとかみたいな構造に加担してることになるじゃないですか。でもう完全にそのガーンって頭を砕かれて、間違ってたとは言わないけど、すごく視野が狭かったです、と。僕は小売りの立場だったんでメーカーさんにTシャツ作って納めてもらって売るっていうことだったから、その川上について知らなかったんですよね。なでいつしか、その東京進出がどうとか、メディアの皆さんとどうとかっていうのを、その瞬間忘れてしまい、結局そんなことがあるんですか、どうしたらいいのかなって考え始めて。お客さんに何がしかの商品を販売してチャリティをいただくって構造はLOVE&PEACEで培ってたんだけど、それは受け取った、お預かりしたお金を使って、NPOとか社会課題解決に向かい合ってる人に資金援助するっていうスキームだったんですけど、今回のケースってどういうことなのかな、って思ってね。でそのなぜ農家は自殺するんですかっていうのを聞いたときに、一つは農薬、化学肥料、遺伝子組み換えの種っていうのを買って農業するわけなんですけど、それを買うのに借金をしますと。借金してまでそれを買うんだけど、いざ使ってみると文字も読めない、その使い方も分からないとか、リテラシーの問題とかで原液のまま使っちゃうとか、その土地に合わないような化学肥料をわされるとか、種もそうですよね。結局、栽培失敗しますってなると、その土地は痛んでいる、収穫は得られない、借金だけ残っているっていうふうになり、で、それで現金収入も得られなくて、借金取りに追い詰められて死んじゃうと。死んじゃうと政府から保証が受けられるとかそういうこともあるみたいで、いろいろ根深すぎてそれは後から話すとして、とにかくどうやら栽培方法がケミカルというか、農薬と化学肥料と遺伝子組み替えの種っていうのがおおよその出費源で、それを使わなければ、そもそも借金するものを買わなくて済むし、って思ったんですよ。なので今使っている人がもう借金しなくて済むようにするために、有機農法への転換を支援したらいいんかと。その結果、今苦しんでる人が有機農法に転換していけばいくほど、この借金問題っていうのは減らしていけるのかと。それを稼ぐための原資はすでに有機栽培された綿を使えばいいのかと。で合わせてそのことを広めていけばいいのかと。っていうふうに、頭の中では思ったんですよ。なので、オーガニックコットン、インド産のオーガニックコットンでできた製品を開発するが一、でそれが増えれば比率が増えますと。それにチャリティーをつけて販売して、そのチャリティーを使って、今農薬を使っている人が使わないサポートをすると。できたやつ綿花はオーガニックコットンとして売られていくっていう循環が作れたら、少なくとも自分の範疇では、事業を続けば続けるほど、ちょっとずつでも課題解決につながるのかっていうのを頭で考えたのが2008年ですね。

 

 

[江良]

なるほどありがとうございます。じゃあ、それをやろうということで寄付金をまずLOVE&PEACE PROJECTと一緒でピースバイピース(PBP)コットンプロジェクトのチャリティー金額を含まれた、これもTシャツとか何かを発売されて、そこで寄付金を集めて、その寄付金で現地支援していこうということで2008年に発表されたと。こういうことをすればいいんだということが分かったと。

 

[葛西]

最初Tシャツ作るにしてもね、インド産オーガニックなんて触ったこともなくて、その頃インド産の有機綿を使ってTシャツ作るみたいなのができなかったんですよね、最初は。一番最初に作ったのが軍手だったんですよ。なので今でもPBPのマークは人が手をつないでる、握手したところから綿が生えてるんですけど。

 

[江良]

なんで軍手だったんですか?作りやすかったの?

 

[葛西]

それがこの前後するんですけどね、プロモーション的なグッズを作ろうと。東京進出していくから。これすごい同じ人間が言ってるとは思えないかもしれないけど、なるべく低原価率で粗利がでかい商品は何かないかなと思って笑、ホームセンターとかいろいろうろちょろしてたんですよ。でふと目に留まったのが軍手で、これ12個もセットで500円で売ってるわと思って。だから1セット50円ぐらいか、みたいなね。これ1000円で売れんなと思ったんですよ笑。そしたら原価率5%で95%粗利があるから、それで東京の家賃払おうとしたんですよね、最初。

 

[江良]

なるほど

 

[葛西]

軍手かっこよくできるかなと思って。プリントしたり色付けたりして。軍手を探してた時に茂一さんに出会ったんで、最初の象徴グッズはオーガニックコットンでできた軍手だったんですよ。

 

[江良]

へえ、面白いですね。

 

[葛西]

着地したんですけど、原価率は100%を超えましたね、最終的に笑

 

[江良]

笑。ダメじゃないですか笑。

 

[葛西]

そうそう。インドオーガニックの糸引いて、それをそれぞれの軍手の色に染めて、で日本で手捺染でプリントするっていうことをしたものですから笑

 

[江良]

目の付けどころはね、相当面白いと思うんですけど。

 

[葛西]

ちょっとね、すぐね、最初に思ってたこと忘れちゃうんですよね、大きい課題が降ってくると笑

 

[江良]

笑。いやいや、若気のいたり、ということで。。はい。

 

[葛西]

ということで軍手を作って1,000円か1,200円かで販売して、基金が200円ついてますよ、みたいな形でカタログで発表したのが2008年なんですよ。

 

[江良]

でもあれですよね、実際、でも現地をそのチャリティ金額をどういう風にお金を使っていくのかっていう、そこはどういう形で、最終的にはねインドの団体を通じていろいろそういうオーガニックへの移行支援をされることになっていくんだと思うんですけど、どういう風に、そのこの人たちにこういうことをしようってことに行き着いていったんですか。

 

[葛西]

本当そこも、もうお客さんに発表しちゃった後でね、考え方としてはこうですと。インド産オーガニックでできた製品を作って、お客さんたちは基金付きでご購入くださいと。その集まったお金で転換サポートするんでっていうことを言ったんですけど、最初またこれ最初またこれ若気の至りというか知識不足で、買う側だったからね、なんか売ってくれる人がいるんだし、相手は自殺するほど困ってんだからお金ありますって言って、このお金で転換してくださいって言えばいいかな、言えるだろうと思ったんですよ。最初軍手を作った時にもオーガニックコットンで軍手を作ってっていうのができたし、と思ったんですけど、問題はそんな簡単じゃなかったっていうのが次ですね。そのサプライチェーンの問題だったので、メーカーさんに言うと、いやいや我々は工場に発注しているので、その工場の人に指定した素材を使ってもらうことはできるけど、その先のことはよくわかりませんって言うんですよ。なのでじゃあ工場の人に、えっと生地屋さんにね言って、生地屋さんにその先何とかなりませんか、って言って。いやいや我々糸買ってるだけなんで糸屋さんに言ってください、って言うわけですよ。じゃあ糸屋さん紹介してもらって糸屋さんに言うと、いやいや我々綿買ってるだけなんで綿屋さんに言ってください、って言うわけですよ。で気づいたら2008年の10月にインドにいたっていうのが実態で笑。

 

[江良]

いたんですか。

 

[葛西]

行っいたんです。行ったこともないし、あんまり興味もなかったですね。その辺江良さんと対話してみたいんだけど、バックパッカーでもないし、あの元々そんなきっかけで始まってるんで。誰も何とかしてくれないから辿っていったら、じゃあ綿花商のとこ行こうって綿花商に行ったら綿を作ってる人に会えるみたいな感じになったんで、初めてインド視察に行ったんですけど。

 

[江良]

じゃあもうだいぶ見えてない状態で、飛び込んでみたいな感じですね。

 

[葛西]

見えてないことが分かってたら行かなかったかもなんですけど、その時見えてると思ってたんですよ笑。

 

[江良]

すごいエネルギッシュというか、いい意味の楽天的な形で、じゃあ飛び込んでいったんですね。

 

[葛西]

はいはい。で初めてインドに行って、綿農家の住んでるエリア行って、みたいなの見ながら、ただその綿花商がね、ちょっと今日いろいろそのサプライチェーンを案内するけど決して即断するな、と。後から理由を話してあげるって言われて、そのジン工場っていう綿の種を取る工場に視察に行って。で、そのジン工場の人がそういうプロジェクトやりたいんだったら俺に任せとけと。俺のとこに農家がいっぱい来るから、俺のとこにお金入れてくれたらサポートできるよって言ってくれたんですけど、今でも忘れないんですけど、そいつがサックスブルーのシャツ着てて、第3ボタンぐらいまで開けてて、首にじゃらじゃら金色のネックレスしてたんですよ。両手にも指輪してて、明らかにこいつは信用できないなと思ったんですよね。ミナミの帝王みたいなやつが、俺に任しておいたらなんとかなるって言って、そうなんですね、みたいな感じで帰って、その日の晩に、カサイ、と。この問題はもう少しだけ複雑で農家にお金を貸してるやつっていうのは、ああいうジン工場のやつだったりするんだよ、って言って。だからサプライチェーンの流れで言うと、農家が最弱の場所にいて、その人たちからだんだん買われていって、買われていって、最終アパレル小売を通じて、消費者生活者のところにものが届くんだけど、お金をもらってる人って払ってる人に逆らえないですよね、基本的に。

 

[江良]

まあそうですよね。

 

[葛西]

農家っていうのは現金収入を得る手段がジン工場に綿を渡してお金と変えてもらうっていう立場だったんで、そこに結構潜んでると。インド全体としても。なので僕は売ってくれる人を川上までたどっていって、その源流みたいな人にお金渡してサポートすればいいかと思ったんですけど、そいつらがお金を取っちゃうとすると、どうもならんなということにたどり着いて、自分でそういう法人を作るしかないよって言われたんですよね、その時。

 

[江良]

インド側で農家さんの支援をする団体を。なるほど。

 

[葛西]

ただその時も普通にサラリーマンですし、ちょっとそれこそどうしたらいいか分からんぞと。インドにそういう法人作って、農家の支援するなんてことは難しいじゃないですか。

 

[江良]

難しいと思いますね。

 

[葛西]

難しいじゃないですか。だから難しさだけが出張で残って。でそれも江良さん繋がりだけど、ムンバイの日本総領事館かなんかにも突撃して、こういうことしたいんだけどって言った時に担当してくれた女性がその後江良さんのプロジェクトの担当された女性だったりしてたんですけどね。

 

[江良]

鈴木さん?

 

[葛西]

そうそう。

 

[江良]

鈴木美穂さんだ。

 

[葛西]

そうそう。

 

[江良]

そうだね、彼女ムンバイの日本総領事館いらっしゃいましたもんね。

 

[葛西]

そうそう。その人にもこれは難しいですよ、ということを言ってもらったりして。で1日出張の日程が空いたけど何も得られるものがなく、どうしようかってなった時に、もう1日あるならってことで、デリーに飛んだんですよね。デリーでJICAの日本事務所に無理やりアポ入れて、もう行けるとこは全部行ってから帰ろうってなって、JICAの日本事務所の山田さんっていう人が応対してくださってで当然インドの社会課題だから認識はされていて、知ってますとその問題は知っていると。ただ当時はね、民間連携っていう言葉がなかった時で、国家機関と民間企業はすぐ癒着って疑われるんで、一緒にこのプロジェクトするっていう概念がなくて、今はすごいいっぱいあるけどね。で、なかなかダイレクトに支援はできないけれども、インドの課題のことだからJICAとしてもちょっと調査を進めて、ご協力できるとこがあったら一緒にやろうみたいなことになって帰ったんです、2008年は。

 

[江良]

なるほど。なかなかでもね、インドアタックして、色々回って、まだ何か確固たるね、もう発表もね、支援しますって発表してる割にはまだこう、まだ暗中模索が続く1回目のビジットだったわけですね。

 

[葛西]

そうです、そうです。だからさっき読み上げてくれた2010年の6月に実際の支援スタートするんですけど、この2年って結構地獄でしたよね。

 

[江良]

そうですよね、もう発表しちゃってるからね、で寄付金もチャリティも集めちゃってらっしゃるわけですもんね。

 

[葛西]

はい。

 

[江良]

え、ちょっとその続きをすごい伺うのが楽しみによりなってきましたけど。この追い詰められてる感じがどう、こう繋がっていったのかっていうと、どういう感じだったんですか。

 

[葛西]

帰国して、NPOを作るとかみたいな選択肢があったから、その現地の綿花商と。で作るっていう選択肢が一つと、作らずやっぱり引き続きパートナー探すっていうのがあったときに、自分がインド住んでね農家の支援ができるわけじゃないし、作るはないなーと思ってたし、当然会社からも反対されて、その時豊島さんっていう商社さんがね、全面協力してくれていて豊島さんと一緒にインド行ったりとかしてたんだけど、当然豊島さんの社内でもNPOを作るとかは無理だろうと。フェリシモでもそうだし。で無理だなーって思いながらなんとか色んな人紹介してもらったりして暗中模索してたんですよ。で俺ならできるよって言ってきた人もいたんですけど、手付金がまず1000万だなーとかって言ってきた人もいて。

 

[江良]

なるほど。怪しい。怪しいというか。

 

[葛西]

怪しかったのかは今でもわからないですけど、NPOの課題もすごい感じてね。誰かにお金もらわないと活動ができないっていう。で1,000万かかるって言われててチャリティーもそんなにもたまってないし。それも調査だけで1,000万かかるって言われたのかな。

 

[江良]

えーじゃあもう全然合わないというかね。

 

[葛西]

合わない。でもうやぶれかぶれじゃないけど、支援側の方は本当にしんどいなと思いながら。ただ一方商品開発の方はそれこそ最初軍手からだったけど、日本にオーガニックコットンの綿を入れて紡績してTシャツ作ったりっていうのがちょっとずつバリエーションが広がっていってて、でさっき言ったファストファッションの流れもすごくきてたから20089年ぐらいになると中国生産っていうのも結構普通になっていって、中国でオーガニックの糸構えたりとかもできるようになってたんで、その製品のバリエーションは結構全部自分のとこリスクでしたけど広げていきつつ。だからどうするか決まってないのにガンガン新製品出していったんですよ、Tシャツとかジーパンとか。

 

[江良]

なんかもうどんどん、どんどん追い込まれる感じはありますね。

 

[葛西]

もう、はい、しょうがないですね。

 

[江良]

しょうがない笑

 

[葛西]

しょうがない。で半年ぐらいした後かな。2009年ぐらいにJICAの方からレポートが出てきてね。

 

[江良]

はいはい。

 

[葛西]

インドにおける綿農家の現状とそれに対する対策みたいな。でそれ自体はもうインターネットに公開しますよ、と。別にうちからのなんかって言っただけじゃないから。ただ非常に有用な情報になると思うんでっていう風に出してくれて。そこですごく深く知ったんですよね、インドの綿花栽培の現状と。

 

[江良]

なるほど。

 

[葛西]

はい。で、それに対して活動している団体っていうのも調べてくださって。連絡取ったりしながらいくつかピックアップした中の一つが今パートナーシップ組んでるFFID、Chetnaってとこなんすけど。

 

[江良]

うん。じゃあそこはいくつかこうピックアップJICAさんの方でされてたところがあって、そこに対して実際に訪問されて、いくつかの団体を訪問した結果、今でも続いているFFIDで、アルンさんという方がディレクターをやられているんですけど、にたどり着いた、そういうような感じなんですか?

 

[葛西]

そうです。2009年の冬にもう一回インドに行くんですけど、その時にはJICAの方でも色々調べてくれていて、この2社がいいんじゃないかと。一つは企業としてのプロジェクトをしている団体と、もう一つが完全NPOで我々のパートナーのChetnaですけども、両方訪問して、企業の方が多分、今でも思うけど、選んでおいたら楽だったんですよね、その企業から笑、ワタ買えば、そのままその企業の使っているところの先を支援しているってプログラムだったし、場所としては左上のグジャラートの方で、ムンバイにも近くて、輸出とかもやりやすいよっていう。一応ビジネストークもできて、みたいな感じ。ただ、その企業との取引が前提となるっていうか。

 

[江良]

そこから綿買ってね、糸買ってね、という話になるってことですね。

 

[葛西]

そうそう。そういう話になるってことですね。もう一つが、オリッサっていう地で活動していたチェトナでしたと。

 

[江良]

うん。

 

[葛西]

で、より問題が深刻なのはどっちですか、みたいな流れの時に、オリッサの方はインドでも一二を争う貧困州と言われていて、その当時でも、子供が5ドルぐらいで売られてるとかみたいなのが普通に記事が出てきたりとか。女の子は12歳になると結婚させられるみたいな(ことが)まだ普通にある地域の農家の課題解決をしているチェトナと、割と綿の生産地のグジャラート州で、企業のCSRですよね、それこそ、一貫としてやってる活動っていうのが2個出てきて。ふと、俺がいなくてもできるのは企業側だなと思ったの。ほっといてもやっていくけど。オリッサの場合はもしかしたらこのプロジェクトが始まることで何か変化するかもしれないと思ったのが1個と、JICAの人と話してて、JICAですら入れない地域ですと、オリッサは。

 

[江良]

そうなんですか。

 

[葛西]

そう。

 

[江良]

それはなんですか。

 

[葛西]

うん。えっとね。マオ派っていう。毛沢東の毛の。マオ派っていう。うん。共産主義山賊っていうのがいて。旅行者を襲ったりする、夜になると。みたいなのが可能性があるエリアやって言ってて。だから少なくともJICAの職員が真っ当には行けないと。昼間にちゃんと護衛つけていかなきゃいけないみたいなのが近いエリアっていうのかな。で、要は国際協力の枠組みからも取り残されるエリアですって言われたときに、これまたね、どうせやるんだったらそういうことした方がって思っちゃったんですよね笑。

 

[江良]

葛西さんのこのロックな魂がそっちにこう惹かれていったわけですね。でもそれはすごいわかりますよね。自分がこうね、自分たちが、あとね、お金もお預かりしてるわけだから。何か本当にちゃんとしたこうね、いい方への変化にね、使われていくっていうことは、やっぱりそこはこう、グッとくるところですよね。

 

[葛西]

はい。あと、これもすごくその後SDGsに流れていく流れで、今では普通のことなんですけど、JICAに行ったときの僕は農家の自殺問題だけを課題として思ってたんですよ。だから自殺さえしなければいいやって思って行ってたんですけど、そのJICAに行ったときに、葛西さん、ちなみに親がそれだけ困窮しているということは、子どもは当然もっと困窮してるんですと。で、そういった地域の農家っていうのは、ほぼ例外なく子どもは児童労働させられていて、その親の手伝いっていう名目でね、教育を受けられずに。で、負が連鎖してますけど、子どもの環境についてはどう思うんですかって言われて、ほっといていいですかと、つまり。自殺さえなくなれば子どもは学校行ってなくてもいいですか、って言われて、その聞き方よ、と思いながらもね。いや、よくないですねって言って、知っちゃったからには、それはちょっともともと自分の経歴というかも、あるし。じゃあ、少なくともプロジェクトを参加する条件として、サポートはするけど、子ども学校に行かせろっていうのを絶対入れましょうっていう風になったんですよ。

 

[江良]

なるほど。

 

[葛西]

なんで、その時点でファーマーサポートとチルドレンサポートっていう2大ブロックができたんですけど。で、いざ入り込んでいくと、そこにジェンダーの問題とかね。当然インドなので身分制度の問題だったりとか。後から後から出てくるんですが。そういったその、なんかもう負の連鎖でマイナスの顔をしている場所でどんどんどんどん課題がつながって出てくるってところに、一個一個課題潰してても多分キリがないんで、もう少し俯瞰的にそのサポートをしながらも、よりこうハッピーな絵を共有していくしかないなっていうのもあって。うん。なのでただトレードとして、また買って、集まったお金を渡して、報告書もらってっていう。で、あくまで企業取引の一環としてっていう選択肢と、なんならもうその課題全体を全然違うアプローチで、取り組んでいくみたいなのが出てきて。で、こっち選んじゃったんですよね。

 

[江良]

うん。なるほど。なるほど。じゃあでもあれですよね。最初そのね、その茂一さんのところからこうね、こう、何も考えずにコットン使ってるってことは農家を殺してるに等しいぐらいなことを言われて、まあそれでやっぱオーガニックっていうことをね、あの農薬使わないってことが結構大きなこととしてあったけども、逆にもうその2000、それ9年ですか。そのJICAの人とかと話してる中で言うと、もうなんかすでにこう、まあオーガニックも大事なんだけども、それに付随するその貧困も含めた、あとね、まあ向こうの場合カーストとかいろんなことありますけども、なんかその農家のライフスタイル全般、まあ豊かさと言いますか、なんかもうオーガニックかどうかというよりも、なんかの全体のこの彼らのこう、生活の、もう諸々やっぱり全体的に改善していかないといけない。っていうようなこう、哲学というか方針にたどり着いてらっしゃったんですね。

 

[葛西]

たどり着いてはないけど、どっちか。どっちなのかってなった時に、そっちの方向で。

 

[江良]

企業とね。

 

[葛西]

はい。で、たまたま、JICAとしてもこのプロジェクトを調査したり進めていったりする中で、たまたまその人事異動というか、人の欠員が出るので、新たに人を採用するって時に、あくまでJICAのやってるプロジェクトの現地の企画調査員っていう役割で、えっと、採用された方っていうのが、これもたまたま、えっと、インドの1億3000万人いる仏教徒のトップは日本人のお坊さんなんですが、そのお坊さんの下について、インド中のその、まあ貧困仏教徒たちの生活なりを、追っかけてた人っていう経験のある人が、アサインされたんですよ。で、2009年にその現地調査してる時に、さっきみたいな、あのカーストのこととかもね、もう読んで見てるぐらいしか知らないけど、実際どうなんですよっていうのを教えてもらったり、特に女性なり子供なりが、どういう目にあっているのかっていうのをリアルに教えてもらったもんですから、かなりその根深いところの、その差別とか区別とか、貧困とかっていうことが、すごい解像度が上がったんですよね、その時に。

 

[江良]

うん。うん。それはそうですよね。

 

[葛西]

はい。っていうのもあって、じゃあどっちですかと、あのサラリーマンとしては多分一択で企業から買って、見て見ぬふりをすりゃよかったんですけど。

 

[江良]

まあ、効率というかね、さっきもおっしゃった、楽なのは本当に間違えない。

 

[葛西]

楽なのはそっちで。で、お客さんに対してもお預かりしてるお金をずっと預かってる話にはできないから、早くこうなりましたって言ってあげなきゃいけなかったんだけど、その最初に戻った時に、お客さんと企業が手を取り合って、社会課題に対してどうリアクションするのかっていうことで言うと、後者だったんですよ。実はそういうとこまであって、子供の未来とか考えた時にどうかっていうことを言うべきならこっちだなっていうふうになって、じゃあほぼチェトナだな、オリッサだなっていうことになり、翌年の4月、一番暑い時期に本当のオリッサ現地行って、サインしてきたっていう感じですね。

 

[江良]

いやもう、ねえもうフェリシモも入ってからまだ10年経ってないですけども、だいぶ。だいぶ。だいぶ深いところまで入ってきましたね。でも、まあこれをだから20代、30代前半ぐらいまでにやってたってことですよね。そうですね。うん。いやでもすごい行動力がね、なかなかもう。まあでもこういうもんですよね。なんかね、こう求めててこうノックしてたら、なんか繋がっていったみたいなね。そのJICAの方々との出会いもね、だいぶね、あの大きな話だったんでしょうしね。

[葛西]

そうですね。でも、江良さんもその2006年とか2007年とかからPOCやってるじゃないですか。

 

[江良]

そうですね。僕2007年がきっかけで。でもスタートしたのは支援というかな、その地域に対して入っていて、実際に綿を買い出したのは(200)8年からですね。僕の場合は、伊藤忠と一緒にやってたっていう、僕の場合最初綿を、綿の調達元を探してたというところがあるんで、どちらかというと寄付金先というよりも、どこから綿を買うかと。で綿を買うこと自体がそのオーガニックの移行期間の、ま、基本的にオーガニックを買ってたんですけども、オーガニックになる前の方が結構大変そうだね、というかね。その実際にオーガニックを転向してやれてる農家はまだ良いというか。だとしたらオーガニックにこうまあ移行期間3年間。3年間無農薬で育てないとオーガニックにはならないというですね、これもちょっと不思議な。不思議なというか。土に微生物がウンタラカンタラで有機栽培するには3年ぐらい1回農薬使っちゃうとやらなきゃいけないっていうのはわかるんですけど、農家の苦しさ的にはね、無農薬だったらオーガニックでいいのにと、何回も思ったんですが、まあ難しいんで、その移行期間(綿)を買いとるというサポートを始めたんだけど。ま、僕たちの場合本当に伊藤忠っていうね、インドで何十年もビジネスしててインドに合弁の会社が、資本が入っている会社があって、なんかこう明確なパートナーが伊藤忠経由であって、そこのインドの人たちが。だからどちらかっていうと、さっきで言う葛西さんが、その企業系のグジャラートとか、NPO系のオディーサか、っていうところで言うと、僕は多分その企業系のみたいなところから入っていってるんだと思うんですよね。だから伊藤忠がいつも合弁でやってる紡績、糸を作る会社に入って、そこが綿花商を探してそこから綿花商がじゃあそれをやってくれるジニングだったり、農家を探していくっていうですね、そういうこうある程度伊藤忠のビジネススケールだったり、こう信頼性みたいなところを辿って POC ってできているところなんで。そういう意味だと・・

 

[葛西]

その POCが生まれる前、そこはさあ多分その目的に対する選択の違いっていうか。なんでその問題にたどり着いたんですか?僕はほら茂一さんに言われてじゃないですか。

 

[江良]

まあ僕の場合はその当時もうすでに2005年にクルックっていう会社に入っていて、クルックっていうのはその衣食住で環境に良い地球にも優しいというか、より良い未来のためのライフスタイルってなんだろうということを提案、実験していくようなプロジェクトだという定義なんですけど、まあそれであの僕の場合はそれMr.Childrenとかap bank fesのコンサートグッズを環境対応するというプロジェクトをたまたまやることになって、でまあ環境対応するコンサートグッズ。コンサートグッズって Tシャツとかこうタオルとか、そういうのをすごいいっぱい作るんで、それでじゃあなんだろう。リサイクルコットン?なんか竹の素材?とか 当時まだリサイクルポリとかもなかったんで。まあそれで、まあそれも感覚的にもうオーガニックコットンだということで、オーガニックやったんですよ でもオーガニックってなんでいいのっていうところがよくわかんないっていうところがあって。でまあ最初中国のオーガニックだったんですけど、使ってたの。でも中国のオーガニックっていろいろ、人民軍がやってるとかですね、ちょっと色々遡るのにもう支障があるし、ちょっと怖いっていう。まあ今でこそもう新疆綿てあのね、皆さんすごい敬遠する企業に増えましたけど、まあいわゆる新疆で作ってるオーガニックコットンだったんですよね。なのでちょっとこれはオーガニックではあるけどもまずい、ということでインドにこう、まあインドその次にアジアで近いし、あとインドってコットン畑の平均面積が4エイカーって言われてて、サッカーコート1面(注:約2面ほどでした。訂正させていただきます)ぐらい、なんですごい中小規模の農家が多いっていう。まあそういうこともあってインドに行くんですよね。それで実際畑に行ったところ、まあいわゆるこう農薬をガンガン撒いて、なんかね、あの向こうの農薬の瓶ってなんかドクロマークとかついてるじゃないですか。ポイズンとか書いてあって。でももうみんな気にせず手で触ってバーッと撒いて、バーッと撒いた畑の隣に井戸があって子供がガブガブ水飲んでて、なんかたまにお腹痛くなるんだよねとかなんかこう聞いちゃった日には、これはまずいでしょみたいな。結構それはもう体感的に農薬がこれはちょっとやめた方がいいよねっていう風に結構思うところがあって。じゃあそれをじゃあどうやって。でもなんで。あと結構借金もね、あのさっきもジニングの人がお金貸してるって言ってましたけど、金利が向こう50%とか、担保ない分40%とか50%とかするじゃないですか。

 

[葛西]

そうなんや。

 

[江良]

だからあの本当に経費がすごくて、絶対オーガニックいうやったほうがいいのにと思うんですよね。でもやっぱりあのオーガニックやるにも売上は下がるんですよね、間違いなく。農薬使わないから肥料の問題とか、殺虫剤の問題で。で向こう年収が10万円とか20万円とかそういう地域だから。そうすると、で、あとね、コットンの事をキャッシュクロップって向こうでは言いますよね。 つまり綿イコール現金っていう、綿を紙幣と、同じような意味合いがあるので、取れる綿の量が減るって結構向こうにとってはインパクトあるんですよね。年収20万の人が年収16万になります、みたいな。いやちょっとそれが嫌なんだよね、みたいなことをみんな言うんですよね。だとしたら、最初の僕のやり始めたきっかけっていうのは、じゃあだったらその移行期間でちょっと収穫量減るっていう時に、オーガニックだとプレミアムが付くって、価格がちょっと上げられるっていう、あれがあるんですけど、プレミアムつけて高めに買い取ってあげれば、収穫量下がっても売り値ちょっと上げてあげれば、収入変わらないから、オーガニックやりたい人は、やりたければやれるようにしてあげればいいじゃないっていうような、こういう風に思うことになって、それでプレオーガニックコットンっていうプログラムにして、伊藤忠と一緒に(綿を)買って、日本のアパレルに紹介していくと。これが2008年から始まっていった。本当に同じタイミングで、また違ったアプローチで、入り方も全然違うっていうか、全然違う感じで、こうバーっと進んできた感じですよね。

[葛西]

なるほど。だからその、全然良い悪いとかそういう話ではなくて、アプローチが問題と出会ったきっかけによって変わるんだなって、すごい面白く聞いてました。だから僕からしたら、あの頃のPOCっていうのは、産地特定だったでしょ。

 

[江良]

そうですね。最初産地特定でしたね。

 

[葛西]

買う。で、その、なんていうのかな。そのこと自体をビジネスのスキームを作るっていうかさ、その場所で取れた綿を買うっていう。これ聞いてらっしゃる方、ぜひあれですけど、これをきっかけに認識を深めていただければと思うんですけど、綿を指定して買ってものを作るって、業界的にはあり得ないですもんね。

 

[江良]

うん。まあ、そうですよね。

 

[葛西]

その、糸にして生地にしてっていうところをね。

 

[江良]

やっぱり、難しいというか、効率が極端に悪いですよね。

 

[葛西]

悪い。うん。

 

[江良]

だから、まあね、綿なんて極端な話、混ざってしまえばわからない。それもまあね、やっぱりオーガニックとオーガニック以外って、極めて厳格に、農家が取った綿をじゃあどこに集めるかとか、その後の種を取る工程とか、糸を作る行程でも、明確なこのラインを分けて管理できて、しないといかないと、まあ、オーガニックかオーガニックじゃないかみたいなことでも、まあね、それなりに大変なのに、じゃあこれは、この綿は僕が買う綿ですみたいなことを、こう区切ってこう、管理していかなきゃいけないんで、まあ、それやっぱりすごい大変なんですよね。

 

[葛西]

ええ。

 

[江良]

だから、それは、あの、まあね最初は伊藤忠さんが、まあ、じゃあこのぐらい僕たち買うからみたいなことで、ある意味リスクを持ってもらって、で、じゃあこの、インドのこの村のこの農家みたいな農家のリストとともに、最初はやってたんですけどね。

 

[葛西]

うんうん。

 

[江良]

でも、一時期からこう、なんていうんですかね、こう、どんどんどんどんこう、あの、最初、1,000農家ぐらいをこう、一時期、伊藤忠さんがリスク持って、やると言ってた時があったんですけども、で、まあ、あの、ダメだったら通常綿で売ればいいとかですね、いろいろこう、あの、リスクヘッジはですね、伊藤忠さんなりにされてたんだけども、やっぱり、あの負担になってくる時があって、つまり綿から、何ていうのかな、綿からこう、リスクを持っていくみたいなことですよね。どうしても大変で。まあ、あとね、当然担当者さんとかもね、商社さんって変わったりとか。

 

[葛西]

変わるからね。

 

[江良]

まあ、する中で、あるタイミングから、農家を絶対限定するんじゃなくて、まあある意味、こう市場・マーケットの中で、あと、まあそこら辺ぐらいからこう、移行期間綿っていうカテゴリーが、多分ね、2008年の頃は、いわゆるそういうテキスタイルエクスチェンジ的な、そういう世界的な団体でも、あんま移行期間綿って、カテゴリーとしてもそこまで重要視されてなかったんですけども、まあ、徐々に、こう移行期間綿っていうね、コットンインコンバージョンっていう、その、移行期間綿が出てくるようになるんですよね。まあ、そういうのもあって、結構、マーケットで農家特定しないで、必要な時に、マーケットに出てくる、インコンバージョンの移行期間綿を買うっていうことにした方が、まあ、あの、商社として、ビジネスとして効率性が上がるという、ご判断がある時期にあって。

 

[葛西]

うん。

 

[江良]

まあ、そこから僕たち、最初は農家特定だったものが、農家を特定しないで、綿を調達していくことでの間接的な支援っていうのに、ちょっと性質が変わったんですよね。

 

[葛西]

うん。なるほど。

 

[江良]

そういう歴史を我々は持ってました。

 

[葛西]

いや、面白いですね。同じ期間に。で、社会のね、認識の方もそうやって変わってきて。で、そもそも、ほら、あの、オーガニックコットンって出来上がった後は、品質的な差は全くありません。検査しても分かりません、みたいな。

 

[江良]

そうですね。

 

[葛西]

味もなければ、その、すごい試される素材だよね。移行期間綿は、農法はオーガニックだけど、社会的にはオーガニックじゃないっていう風にするのはなぜか、みたいな。すごく難しいっていうか。

 

[江良]

うん。やっぱりね。物質的なというか、物理的な価値はね、一般綿と変わらないんで。あとね、こう、野菜とかね、口の中に入れるものでもないから、なんていうんだろう。そういうね、そういう価値もあまりないし。だから、本当にね、生産地の環境とか、生産者の収入とか生活とか、そこに対して価値があるっていうことなんで。

 

[葛西]

うん、うん。

 

[江良]

なかなかやっぱり、洋服を買うっていうときに、そこまでこうね、イマジネーションを豊かに想像しうるかっていうのは、なかなか難しいですよね。あとやっぱり、ブランドをやってた葛西君ですら、知らなかった、そのね、本当の川上の一番川上だから、視野が狭いというか、あれですよね。まあ、分かりようがなかなかない分野のものでもありますよね。

 

[葛西]

うん。

 

[江良]

いまだにやっぱりね、コットンって、動物の毛なの?とかいうような人がいてもね、全然おかしくない。

 

[葛西]

おかしくない。

 

[江良]

まあ、日本だとコットンって、ほぼやってないから。だから、そういう意味で言うと、どれだけこう、まあね、この価値をシェアしていくのかっていうのは、常に、それは2008年からずっと課題ではありますよね。

 

[葛西]

うん、そうですね。

 

[江良]

はい。いや、もう、だいぶいろいろ葛西君の経歴を聞いてきていまして。で、この今、ピースバイピースコットンプロジェクトは、フェリシモから、まあ、独立というのか、独り立ちして、まあ、一般財団法人に、2017年ですかね。はい。になっているということですね。

 

[葛西]

はい。

 

[江良]

で、一般財団法人になってですね。今、葛西さんは、代表理事に就任されて、で、これは今に至っているということですね。

 

[葛西]

はい。

 

[江良]

で、葛西さんご自身はいろいろとご活躍して、今年からですよね。今年から、株式会社Showlight独立されて、今ね。はい。じゃあ、いろいろこう、新しくいろんなこと考えてらっしゃるんだと思うんですけど。

 

[葛西]

はい。

 

[江良]

で、続いて、今日ね、なんで僕たちが2人で対談しているかみたいなところに、入っていきたいと思うんですけども。あれですよね、僕が、まあね、頻繁に、たまにこう、頻繁というわけでもないけど、こうね、年一とかでこう、いろいろこう、お互いの消息とかをやったり、まあ、あとね、Facebookとかでお互いのことをこう、追ったりする中で、まあ、去年のどのぐらいなんだろう。夏ぐらいですかね。僕が改めて、葛西君にお電話したのかな?ちょっと相談があるみたいなことで。

 

[葛西]

うん。折いってLINEかなんかがきて、あの、ZOOMかなんかで話してっていうか。そんなの初めてやったから。何があったみたいなことがありましたね、夏ぐらいに。

 

[江良]

そうですよね。で、それは、さっき僕が言った、僕がプレオーガニックコットンをやっててさっきも言ったように最初は農家を特定して、農家のリストがあって、この人たちから綿を買っているっていうことだったんですけど、ビジネス上の理由からそれを続けるのが難しくなって、マーケットからの調達で。そうなってくるとマーケットから綿を調達したときって、いわゆるオーガニックの綿って、基本的には2年目ぐらいの綿からだけども、サティフィケーションっていう認証の証明書っていうのがあって、この綿は、つまり、もちろん糸を買う、綿を買うとしたら、このジニングっていうのは種繰りを、綿と種を分離する工場から、これは買いましたっていうような、この綿の履歴が一応追えるようになっている。でも追えるようにはなっているんだけども、そのビジネス上そんなにものすごい大きなボリュームを買っているわけでもないんで、じゃあこの綿って、どこでジニングしたの?とか、じゃあジニングしたとこに行って、この証明書のこれって、どの農家から買って、その農家どんな感じなのとか、いうことを辿っていくのは、まあ、書類上できないことではないんですけど、やっぱりビジネス上そこのプライオリティをどうつけていくかとか、いろんな課題があって、やっぱり農家側とアクセスすることがやっぱり極めて難しいっていう状況がなってきたと。で、それがやっぱり問題になっていて、で、特に最近SDGsも含めてお客さんの意識というのも、知識も上がってきたり、ファッションでいうとね、本当にファッション業界ライフサイクル全般で、それこそ服を捨てる廃棄の問題とか、もう本当全般で環境負荷が高い業界だみたいなことをちゃんとわかってる人も増えてきたというような中で、僕たちプレオーガニックコットンで、これって農家を支援している、サポートしているコットンですと言うんだけども、やっぱり実際の構造としては、原理としてはそれは間違いないんだけど、何がどう良くなってるのかっていうのが、やっぱりちょっとつかめないから、やっぱりそれってお客さんに対して何が価値なのっていうところをちゃんと示しきれないなと、いうやっぱり本質的なことに戻ってきたわけなんですよね。それでもう一度始めた当初のように、ちゃんと農家さんを特定してやれるような仕組みに戻れないかなと。ただ、いろいろなロットの問題とかがあって、なかなかいいアイデアを見つけられなかった時に、待てよと。そういえば、ピースバイピースコットン、葛西君のプロジェクトは、いわゆる寄付金を現地のNPOさんにお渡しして、そのNPOさんから、そのコットンの農家さんのオーガニックへの移行支援、それはいろいろ種を提供するとか、こういう風にやったら農薬使わないでも、コットン取れますよといういろんな技術とか設備とか、そういったものを教えたりとか、あとはピースバイピースの場合は、じゃあお子さんというか、子供の教育、学校に行かせる資金とか、そういうのを支援されてるんだけど、これをこう、いわゆる寄付。だから僕はどちらかというと、こう、綿を買うことで農家を支援するんだけど、葛西君の場合は、どちらかというと、オーガニックのコットンの商品売って、そのお金で農家さんにちゃんと支援を回して、よりオーガニックコットンを作れる人を増やしていくと。なんかちょっとこう、僕は川上から持ってきてるんだけど、葛西君の場合はお金を川下で集めて、こう、貫流させてる。これを繋がせてもらったら、僕としてはちゃんとこう、よりこう、綿を買って、綿を売ったお金で、また、その綿を作った人に貫流させて、その地域に貫流させていくみたいな、こういうサイクルができると、これは僕のビジネス上のエゴですけどもね、僕がやりたいと思ってる、なんか価値を改めて提供できるし、面白いというかね、また新しくやれることが出てくるんじゃないかと、いうような思いでね、ご連絡させてもらったんですよね。

 

[葛西]

はい。

 

[江良]

そしたら、なんか、やろうよみたいな感じで、心よく言っていただけて。

 

[葛西]

喜んで。

 

[江良]

なんかね、でも前々からなんか一緒にやろうよみたいなね、話をたまに、ちょいちょい、まあ同じ、同い年だし、まあ結構趣味が近いところもあるし、同じような時期に、同じようなインドのところで、同じインドで支援を始めて、しかもまあ、オーガニックへのね、こう、転向、転換支援っていうところまで一緒だから、何か一緒にできるよねっていう話をずっと、させてもらってたんですよね。

 

[葛西]

いや、だからそれがもう、ドンズバのタイミングっていうか、やっぱり、インド通ってると、一回どころじゃなくて何回かね、インドの神様っていう存在を感じることがありませんか?

 

[江良]

笑。そうですね。

 

[葛西]

あるんですけど。そもそも呼ばれないと行けないって言われてて、呼ばれたからにはなんか、なんかをやれって言って呼ばれててっていう、そういう力を感じざるを得ない、タイミングが、何回もあるんですけど。

 

[江良]

うん。

 

[葛西]

ああ、また来たって感じでした。電話いただいた時はね。なので、今言っていただいたけど、僕の場合はあくまで出発点が自分の会社だったり、自分のブランドだったりっていう、そのブランドとお客さんとの関係性においてスタートして。なのでさっきメディア発信力も100万部あったから、そんなに、あの、なんていうか、PRというか、も、できなかったし。で、いう中で、やっぱ自分がサラリーマンなんで、異動とか、事業の変遷があって、haco.っていうカタログも、その2008年ってもう一つ事件があって、iPhoneが出たのかな、確か。

 

[江良]

はいはいはい。

 

[葛西]

急速にインターネットに置き換わっていきましたね、紙は。で、eコマースっていうのも、本当にZOZOTOWNが2004年ぐらいだと思うんですけど、その形になったのがもう。それこそ、すごく、うん。お洋服を買うっていうのは、お店で買うみたいなことから、インターネットで買うとかになっていて、インターネットで買うってことは、比較しながら買うとか、で。当然価格とかスピードとかも求められるようになるっていう中で、カタログとしてのhaco.事業っていうのが、なかなか難しくなっていて、実体の方ではECに専業化したりとか、売上規模というかは、利益とか効率性とかっていうのになっていったりとかしてる中で、やっぱ綿は量ですから。

 

[江良]

うんうんうん。

 

[葛西]

農家を増やしていくということは、何かの形で量というか、体重を増やしていかなきゃいけないっていう側面と、そもそも一社でやれることじゃないっていう、全農家のものを全部買い上げてやるほどやれるのって、もうそれこそユニクロとか無印とかでも、なかなかインド全部ってなると難しいだろうっていう、ね、ことがあったんで、まあ一つの、サイクルは作ったから、あとは農家とコミュニケーションを取る取り方とか、綿の使い方とかっていうのは、もっともっとバリエーションがあっていいはずなので、2017年に一般財団法人化するんですよ。で、なんかそのパートナーシップを増やしていって、そのみんなで綿使おうよっていう風な構造に持っていきたかったんですが、そんな簡単なことでもないっていうか。特に日本では、分業が進んでいて、ブランドさんの担当者さんが、この綿使ってくださいっていうのに潜む、こう、ステップの多さというか。

 

[江良]

うんうん。ほんとそうですよね。

 

[葛西]

ね、担当者、担当のメーカーさんと話して、展示会でじゃあこれをこう別注しますっていうやり方では、なかなか綿は変えらんないっていうか、そこはもう工場でセットになって、プライスラインも決まってたりとか。で、調達のサイクルも決まっていてっていう中で、なかなか。年1回ですかね。ね、とれる綿は。うん。そこ繋ぐの難しいなーってずーっと思ってて、ちょうどその世間がSDGsになったと思ったら、コロナで、みたいな。

 

[江良]

うんうんうん。

 

[葛西]

これで全体的に、その、社会を良くするタイプのファッションに溢れていくかなと思ったら、店頭全部ストップしてみたいな。ちょうどそういうタイミングでのご連絡でしたからやったーっていうのが、一言目と。

 

[江良]

ありがとうございます。

 

[葛西]

もう一つやっぱり僕のやつっていうのは農家を特定して支援をしてきてたので、農家から綿は買ってなかったんですよね。ずっとオーガニックになるサポートをするけどその後の市場原理っていうところは触れないというか、みたいな構造できていて。で、ただなんか、オーガニックコットンっていうことだけだと非常にまたそれがコモディティ化していってて、どの国で取れてたやつでもいいですとみたいなことになっていた中で循環型謳ってるんだったら取れた綿で物を作らなきゃダメだろうみたいな話が出始めて。ちょうど支援地で取れた綿を特定して買うみたいな動きが始まったタイミングでもあったんですよね。ただ非常に不安定で、すっごい手間が多くてコストも上がっていく割に、じゃあその綿を使ってものを作る人がどんどんそこにモチベーションを持ってくださらないと、買ったはいいけど買ってもらえない、みたいな。

 

[江良]

本当に面倒くさいって言ったらあれですけど、一応聴いてる方々にも分かるように言うと、さっき葛西くんも言った展示会みたいのがあって、じゃあ、僕が洋服の何かを作るブランドだとした時にいろんな生地があってとか、こういう製品があってみたいなことはこういうのいいなっていうのを選んでじゃあもっとこういう風に形変えてとか、そういうことをしてオーダーして、じゃあ3ヶ月後に店頭に届くみたいな、そういう仕組みがあるんですよね、アパレルの企業が洋服作って売るといった時に。でも今回は綿からやろうってことになると、まず今回も僕たちアーバンリサーチさんと綿を特定したものづくりをやっていただいたんですけども、そもそもやっぱりじゃあ商品を作る前にじゃあ90日くださいとか例えば普通言うとした時に、僕たちの場合その前に生地もそもそも作らなきゃいけないし、そもそも生地の前に糸も作らなきゃいけないし、その糸の前にそもそも綿を買って運んでこなきゃいけないみたいなことで言うと、だいぶやはりじゃあ綿今取れましたってところから洋服を作ってもらわないといけない、あとは形とかも商品の企画とかね、細かいの決まってないのに。綿買ってもらわなきゃいけない。つまり洋服見えてないんだけどざっくり綿だけ買ってくださいみたいな、普通で言うと何言ってんだ、お前は、みたいなそういうようなところからやっぱり商談が始まっていくんですよね。今回アーバンリサーチさんは社長をはじめですね皆さん、意義みたいなことに感じていただいて、現場の企画の方も含めて、よしじゃあやろうよ、って思ってくれたからいいんですけど。よっぽど思わないと普通やらないで。今おっしゃったようにちょっと高いというかね。高いと言えば、生産性が悪いと言いますかね、綿決めて、糸決めて、生地決めてっていう普段やらないようなことまでコミュニケーションとってやらなきゃいけないんで最終的に例えば仕入れる金額がそんな変わらなかったとしても、実際にかけてる手間みたいなものがやっぱりすごいあるので、その分気持ちとかね、ストーリーが込められてると、よく言えば言えますけど、やっぱり経済性と言いますか、効率で言うとやはり非常に手間をかけてやらないとできないですからね。

 

[葛西]

それがそこにやっぱり情熱を持ってその進めていく、しかも時間軸を持ってね。転換には3年かかるって言ってるのに1年だけやりますっていうこともすごく多かったし。だからこれはこれからねえ、我々の課題でもあるけど、ただそうしたいんだよね、そうすることでこういろいろ変わってくよね、っていうのを言えるパートナーが喉から手が出るほど欲しくって。江良さんがそういう人間だってことは知ってたけど、別のとこでやってるし、みたいなとこから、そこ一緒にやんないみたいなのが、じゃあいろいろやってることを変えてでもやります笑。

 

[江良]

いやいやいやいや、ありがとうございます。でもね本当に僕としても本当にね。そうやってちゃんとこうでもまあよくよく考えると確かに当たり前で、僕も今までこうねまあワタを買ってくると買ってくることの中に例えば移行期間綿の認証があるワタを買うということは、当然種は遺伝子組み換えしてない種を使っているということの証明だし、農法も含めてね当然オーガニックでやってるということの証明であるし、まあ当然その購入金額の中にねその支援の要素は当然含まれてるんだけど、確かに改めて、じゃあさらにこう洋服を売った金額から少しでもね、こう寄付をしていくと、少なくともやっぱ寄付すると寄付した先からこういうことを寄付しましたっていう説明責任というかね、こうそういったレポートが必ず来るものなんですけど、こういう寄付の仕組み使ってもっと明示的に農家と繋がるルートがあれば、更にいろいろなことができ得るなというのを、やっぱさらに特に去年葛西くんと話し始めて。であとここにあれですね。葛西くんが2008年からずっとパートナーでいるFFID、チェトナっていうプログラムをやっている、そこにアルンさんという方が出てくるんですけど、彼もすごいあの、(彼)と話していると。ちなみにちょっとアルンさんの話もしてもいいですか?話し飛んじゃいますけど。彼もすごい思いがあるというか、インドのオディシャっていう最も貧しいコットン生産エリアと言われているところで長年そういう本当に農家の開発というか、どういうふうにやっぱ農家の生活レベルを上げていくことができるのかっていう、思いがないとできない仕事だし、思いある上にその例えばね、そういうテキスタルエキスチェンジっていう世界的なそういう業界団体の理事をやられていた(注:理事職ではなかった。訂正させていただきます。)ことも含めて、極めてこう開明的というかあまりこうインドの特有の、、ごめんなさい、あまりいい言葉じゃないな、、インドの人と話していると混乱したりとか、よくあるタクシーでここに行ってくださいって言って、ok わかりましたって言うけど実はその場所が分かってなかったとか、ちょっとインド特有のコミュニケーションって日本人とだいぶギャップがある文化みたいなものがあって、それが面白くてインドにハマっていく人も多いですけど、ビジネスサイドで考えると結構そういうインド人のコミュニケーションの特徴って日本人からするとストレスだったりする時があるんだけども。アルンさんは結構西洋っぽいというか、英語も当然とても上手だし、考え方がすごい新しくて非常に逆に僕たちもすごいアイディアとか指導もいただけるんで、彼を見つけてきて、だから14年も一緒にやってらっしゃると思うんですけど、彼の存在というのは非常に大きいですよね。

 

[葛西]

そうですね。非常に本質的というか構造課題をどうしたら解決できるかと思っているなと思っていて、さっき江良さんも言ってくれたけど、スモールファーマー4エイカーとかインドの独特なスモールファーマーで農業するみたいなような生活全般に対して、どういうアプローチができるかって考えてるし、その国際的なオーガニックコットンなりの変化っていうか今プレファードコットンとかベターコットンとかって出てきているけど、農法としての有機農法が示すものと、よりその、なんていうか本質的なというか移行期間綿だって本質的には変わらないしみたいなこともずっと見ているのと、もう一つあれですよね、トレーサビリティというか農家を特定して意見を聞くっていうものがずっと大事だから、必ずプロジェクトも巻き込むんですよね、農家たちを。かわいそうな人たちにお金をボンと渡すとかじゃなくて、一緒に共同出資なり設立をしてとか農家組合もボードメンバーになってもらうとかみたいなことをしてなんとか構造として良くしていこうっていう考えがある人間ですよね。

 

[江良]

なんかやっぱり当然お金は運営していく上で大事なんだけども決してお金ファーストじゃないというか、農家ファーストだ、みたいなところは、僕はまだ1年もお付き合いないですけれども、だいぶ感じるところはあるんですけどもそこら辺はどうですか。

 

[葛西]

そうだから一番最初のジン工場のねサックスブルーのシャツのやつからスタートしてるじゃない僕。

 

[江良]

ナニワの帝王の笑。

 

[葛西]

ナニワの帝王みたいな笑。で正直さっきのインド人特有のコミュニケーションもだし、疑おうと思ったら簡単に疑えるんですよね。そのお金を自分の懐に入れてるんじゃないかっていうのは簡単だし。もちろんそうじゃないための担保っているけど、僕が彼をずっと見てて彼自身が自分でいい車を買うとか、いい服を着るとかみたいなのを見たことも感じたこともなくて、本当にお金は必要なものでスルーしていくし。例えば国際会議出るのに旅費はいるしとか、インターネットするにはシムカードいるしみたいなことっていうのはあるんだけども、自分が富を得るためにやってるみたいなことが全く感じられないっていうのがこの14年見ていて一つと、MacBookもまだ2014年の使ってて画面が割れただなんだ言ってるけど。でもお金はいると。農家の数が増えていくときに。そこで、なんていうんだろうな、難しい。ビジネスをするにはお金がいるっていうことがなかなか伝えにくいみたいな。入るお金と出るお金で長尻があっていくってことでそこも大事だし。要求はどんどん高まってますよね。一軒一軒の農家のトレースをするってことはそれに対して人もいるし、テクノロジーもいるし、スマートフォンがいるしみたいなこととか、があるんだけどその精神性というかで言うと、カースト制度って悪い悪いって言われるけど、本質的にそこもあまり良い悪いで見ないようにしていて、彼はバラモン階級で本当のバラモンっていうのは僧侶だから自分よりも全体が良くなりますようにって思う人たちのことを言うんだけど、そういう精神性みたいなのがありますよね。だから今思えば企業階級の人がやってるプロジェクトはカーストで言うと商人というか、(そういう)人がやってるのに対してバラモンがやってるやつっていうのは目的が下の階層の人たちの生活改善みたいなところがやっぱ出てくるなっていうのを感じますよね、ずっと。

 

[江良]

そうですね。なので僕の場合もそういう意味だと改めて葛西君と去年深く話させてもらってその中で一緒にアルンさんも入れて何度も3人と、あとアルンさん側のスタッフとかも含めて話させてもらって、何かやっぱり今まで移行期間の綿を買うことだけだったところがまたちょっと視野がだいぶ視座を広げてもらって、じゃあこういう人たちとならもっといろいろできるなっていうことを思うに至ったわけですよね。それで今回「Grow Organic」っていうですね、だからプレオーガニックのアップグレードなんだけども、どちらかというとプレオーガニック、プラスPBP、ピースバイピースとFFIDと、これがガッチャンコになって新しいリニューアルして出せるというような感じなんですよね。だから改めて農家さん、本当に今回僕たちもURBAN RESEARCH DOORSブランドで商品を発売するんですけどオディーシャの2つの村の28農家さんから綿を隔離して選んで運んできていると。

そういう完全なトランスパーレンシーというか、透過性みたいなことですよね。ちゃんとつながっているということもそうだし、あと特にこれはアルンさんのイニシアチブで、やっぱりこの農家の人たちが、農家を特定できているということは、この村の生活って本当どういう良くなっていくの、っていうことをちゃんと僕たちがそこにコミットしてこの人たちの生活、この地域の環境がどう良くなっていくかを見ていけるっていうことでもあるわけですよね。そこでアルンさんが本当に環境面で良くなっているのかとか、社会面、例えば女性がちゃんと活躍できているのかとか、あとは経済面、当然収入もそうなんだけれども、本当に彼らオーガニックの認証を渡すだけじゃなくて、もうちょっと裏庭にせっかくオーガニックでやって環境が良くなっているから、自分たちで野菜いろいろ育てて半自給自足みたいなことをやっていった方が、インドもすごいやっぱり人口増えてたりとか、日本でも食料安全保障みたいなこともありますけれども、やっぱり農家側にとっても食料の値段がバンと上がったときに、それこそ現金あんまり持ってない人たちだから、非常にやっぱり生活がバランス悪くなるから、そういう自給自足みたいなことのシステムもやろうとか、いろいろコンポストの肥料作りのところは女性のグループを作ってグラミン銀行とかがやっている、いわゆるマイクロファイナンスみたいなことも含めた、そういうような仕組みもうまく取り入れて、じゃあこれは女性がコンポストの設置とかをやって少しでもそこで収入を得ることで世帯収入が上がるというのもあるし、女性がより社会の中で活躍できるような仕組みをやっていこうとか。非常に多面的というかね、多様な。オーガニックの認証があるっていうのは大事なんですけど、そこだけじゃない、いろんな視点でこういうふうに村が変わっていくと良くなるはずだということで、農家さんと対話をしていくようになる。そういうようなことを僕たちも学びながら本当に僕たちが綿を買ってさらに寄付金をPBPを通じてお渡しさせてもらっている中で、本当に良くなっているのかということを見ていけるようになると、これが多分すごいPOCと、今まで僕がやってきたことと違うなということで、せっかく一緒にやるということで「Grow Organic」っていう、本当に一緒にオーガニック畑を、オーガニックな村をみんなで育てて本当に作っていこうっていうようなタイトルに変えて、今回始めさせてもらうことになったんですよね。

 

[葛西]

いい名前だよね、Grow Organic。光もあるし、育つもあるし、輝く。

 

[江良]

これちょっと雑談ですけど動詞が入ると結構タイトルに入るといいとアドバイスしてくれる友達がいてですね、一緒に参加してやろうっていうような、そういうような動詞を入れてみて。なんかでも本当に今回そういう意味では農家と消費者というかな消費者って言葉好きじゃないけど、買う人が一緒に参加して一緒に交流していくようなね、お互いをちゃんと存在を知ってリスペクトするとかまで言うと大げさなのかもしれないけど。やっぱり服って、コットンも農産物なんだけども、いわゆる野菜とかとも違って、あと工業製品の側面も洋服は当然持ってるから、なんか機械的にこうパコパコパコパコこうねやられて出てくるって、まあまあ思いがちだし、間違いでもないんですけども、ただねやっぱりこういろんな人たちが関わってできているから、なんかそういうのがね、そういうこうね、思いとかストーリーとか、なんかそういうことも伝えていけたりとか。まあ逆にそういうことを感じられる仕組みもまあ無いといえば無いのでね。なんかそれをこうね今までこう葛西さんがやってきて、積み重ねてきて、アルンさんも含めて積み重ねてきた、何かその僕が今回発見した面白さというか良さを、僕はそれを今のPOCにつけて一緒にお客さんたちに伝えていけるとすごいいいなと思ってるんですよね。

 

[葛西]

うんうん、いやほんとそうですね。なんかこうかわいそうな人がいて、そのかわいそうな人を救おうみたいなことのフェーズはもう終わっていて、それでは続かないっていうのかなあ。その富の移転みたいなこと。本当の豊かさみたいなことをシェアしていくっていうのが。なんか最近ね、話しながら見えてきてるところでそのトレーサビリティもどっちかというと疑いを晴らすためにあったっていうか、トレース可能ですので安心くださいみたいな。そっちが目的になると、なんかこうあんまり本質じゃないな。負荷だけ増える。コストだけ増えるけど。トレーサブルであるってことはさっきのね透明性があるっていうので言うと、目の前に作った人がいます、そいつは今日何食べたんでしょうかとか。目の前に作った人の子供がいてどんな文字を書いていて何になりたいと思っているっていうことが見えることの方が本質だなって気づかせてもらってて。まあたまたま僕らは(オーガニック)農家を増やそう、農家を増やして行ってっていう動きをしてきたけど、あくまで農業をしてもらって作るサポートをしてきたけど、改めて今回のGrow Organicでその人たちに視点を置いたときにさっきの井戸の話もそうだし、土の話もそうだし、土、みみず、牛みたいな全体がその環境としてある中で、その人たちがダイレクトに生活者とつながれるっていうのがやっぱすげえいいよな、っていうか。かわいそうな人とかそういう話じゃなくて、見えていてそこにジョインできて、みたいなチャレンジができるのかっていうことですごいワクワクしてますね。もはやこれはオーガニックコットンとかそういう話でもなく主題が人に移ってくれていて、農法として有機農法をします遺伝子組み替えじゃない種を使って農薬を使わずにっていうのをプロセス経てる人たちが見えるみたいなのが夢でもあり理想でもあったんですよ。だからいよいよ始まりますが楽しくってしょうがないですね。

 

[江良]

そうですよね。でも本当に、僕だから今回去年12月にオディーシャに行かしてもらって、でもあのすごいこれ葛西君とも話したんですけど、まあぶっちゃけやっぱり貧しいエリアだから、まあテレビもない、まあ僕が見れなかっただけもしれないけど、まあテレビもないとかキッチンももうね、本当に本当にちっちゃなカマド、家の中でね、こう燃やしてたりとかしてまあそれってなんか炭の一酸化炭素だか二酸化炭素だか、そういう中毒性が健康に悪いでしょうみたいな。なんかそういうのも含めて、まあ本当何もないんだけど、ただ結構僕1ヶ月2ヶ月いてもいいなって思った。ある意味こう素朴な、なんか日本のというか、なんかねこのアジア人としての原風景というか。多分時間の流れ方とかも、すごい多分僕たちみたいな、なんだろうな、こう何時に1日ミーティングが何個もあって、キチキチしてないとかね。でまあ、そういう、こう何もないんだけども、結構こう満たされてるようなところはすごいあるよなと思っていて。だから逆に向こうでね、こうどういうことをしてるんだろうなとかね、こういうことをしていくと、より彼らの生活がね、豊かになってくんだってことを、いわゆるKPIを数値的に出しながらみんなで見て、みんなでこうね、見守って考えていこうよってことですけども。多分本当にね、でももしかしたらこう人のね、幸せってどうやって測るのかってちょっとわからないですけども、もしかしたら今貧しくてね、例えば病気とかになったときに現金がなくて治療が受けられないとか、そういう貧しさというか、絶対解決しなきゃいけない問題はあるけども、東京で確かにこうね、ガンとかになったらこうなんとか治療はできるけれども、なんかこうちょっとね、生きづらさが、まあそれは(葛西さんの住む)大阪もそうだと思いますけども、やっぱり今国際的な競争力も下がってきて、いわゆる今のこれまでの競争原理だとね、やっぱりこう負けの方向に行っている。まああとはやっぱ経済規模で言えば当然人口減っていくから当然それは縮小していくわけなんだけども、ただそこの自分たちの持ってるね、価値観みたいなとこで行くと、やっぱどうしても豊かじゃないってなる僕たちにとっても、実はこうインドのね、でどういうのが豊かなんだろうって考えてることが、すごいこう僕たちのためにもなるんじゃないかなというかね、それはすごい思いましたね。あとちょっとついでにもう一つエピソードね、現地のエピソードを紹介させてもらうと、とはいえやっぱりこうさっき見たように、サプライチェーンの一番弱者だって話がね、さっき葛西君からしていただいたけども、やっぱりこの一番この弱者な人たちがオーガニックやる時ってこう一つICSってグループ作るんですけど、480農家のグループを作るんですよね。でこれをグループを作ることで、そのじゃあ買い叩かれたりとかなんか言ってたのは、(ワタを量る)重りをちょっとちょろまかされて、その仲買い人、英語で言うとミドルマンって。ミドルマンに色々騙されたりとか。やっぱりミドルマンってね、金貸しでもあるんで、そこに対してちょっと強く言えなくて。結局日本でいう下請けでこう辛くやられるとか、やっぱそういうことがあると。ただやっぱりオーガニックやろうってことで自然にこう認証を取らなきゃいけないとか、種をこうね、もらわなきゃいけないってことで、農家がもういわゆる協同組合を作るわけですよね。みんなでやるっていうことがすごい大事なのまあで、みんなでやる分、その弱者が少しずつ力を持って自立できるんだけど、結構これもまあめんどくさいと言えばめんどくさいというかね。まあ確かにすごいこう400人まとめてくるの大変なんで。でもこの今回僕がお会いしたその農家さんでまとめてる人とかは、すごいなんていうのかな、日本にはなかなかない。本当に地域とかね、自分たちで本当に生活を、本当に自分たちの力で本当に良くしていきたいんだって。そのなんかその自治みたいなところのマインドがすごいこうピュアで、なかなかこう今日本でこうなんだろう、なんかねこう僕たちみたいにインドのためとかそういうのでも逆になくて、自分たちの生活をみんなでこう集まってこの地域を本当に良く変えていくんだと。それはなんていうのかなお金のためは何のためなのっていうような質問をちょっと仕掛けたんだけどそうじゃなくて、本当に心からこう純粋にみんなを本当にみんなで幸せになっていきたいみたいな。あれは結構ね僕すごいグッと来てましてですね。なんかそういうことの、そういうことの中に、僕たちがマーケットとしてちゃんとつながることで、何か彼らの思いを買い支えてあげたりとか、まあ寄付で彼らが必要としているようなことの、何かこうね補助できたりとか、あとやっぱそういうような彼らの思いみたいなところに、僕はちょっとグッときたみたいなことを、日本ではなかなかそんな話聞けないから、いろんな日本の人たちがね、洋服着る人たちがそういう気持ちに触れて、なんかこう感じることがあったりとか。なんかいろいろこうやっぱり僕たちもすごい学ぶところが大きいプロジェクトになるといいなというのは思っているんですよね。

 

[葛西]

いやほんとそうですよね。あの実は僕2月いっぱいでね前職を辞めて、3月から4月の頭まで世界一周行っててその

 

[江良]

うらやましかった笑。

 

[葛西]

そうこんな時でもないといけないわと思って、それこそ出発インドにしてぐるっと西向きに一周して、一番感じたのがね、経済規模で言うとGDP何位だみたいなことあるけど、その円というか、お金を使うみたいなことで言うともう割と貧困国だなと思ったんですよね。為替もあるし、安いなと思って何かを払ったことは一回もなかったし、仕方ないなって感じで。だから認識を改めなきゃいけないなっていうのは日本が先進国でお金を持ってる国なのでそのお金を使うときに使い道考えようみたいなことではなくて、より豊かな方にお金を使うというか、ただ量安いものをたくさんということを否定もしないし肯定もしないけど、ただすごく豊かだなって思える方に使うっていうのが大事だなって思ったんですよ。もう一つがインドはもう来年、再来年にはGDP世界2位になるだろう3位になるだろうって言っていて、国としてはお金持ちになるよね。なんだけど、なんで3位の国が2位の国支援するんだみたいな、中国の時でも同じだったけどさ。物質的というか食料的というか今日食べることができませんっていうものの支援ってのは当然必要なんだけど、その先の豊かさっていうのは常に変わっていくもので、そういう意味では特に東北コットンプロジェクトを一緒にやらせてもらってたから日本の農家の人たちの今みたいなこととか、その先みたいなことには僕たち課題意識あるじゃない。改めて日本が失ってしまったものっていうのを知ってるって意味では、僕その先進国だと思ってるんですよ。移民を受け入れず、農村地帯から人を大量に都会に運び、農業を支える人を減らし、運び込まれた人たちがある種資本社会のルールで、なんていうの終身雇用とか、いろんな保障のもとで核家族化を進めていって、みたいな変遷を経たじゃない20世紀に。

 

[江良]

そうね

 

[葛西]

で、そのなんていうのかな、課題的には先進国で、移民を受け入れてこずに農業、一次産業、二次産業、三次産業とかってしていって、もう最近ではインターネットでお金を増やすみたいなとこまで行き着いた中で、失ったものをインドに行くと見ることができるよね。

 

[江良]

そうですね、本当そうだよね。

 

[葛西]

でじゃあ江良さんは東京出身だからあれだろうけど、僕とかはさ実家を離れたとこにあって親は年老いていってみたいなことで、妹とか兄弟とか親戚も離れて暮らしてるけど、インド行くとみんな同じとこにおって、で下手したらその男の人が働いてなくて女の人が一生懸命働いていて「コラー!」みたいなこととかもあるし、どこの子供か分かんない乳飲み子を抱っこしながら、その辺の子供たちがみんなで振りチンで走り回っててみたいなのは、貧困でしたっけと思うんですよね。めちゃくちゃ豊かに見えるっていうか。でこれをテクノロジー入れて、テレビ買わせて、電気してみたいなことをして、日本が見てきたものと同じ方に持っていくべきじゃないなっていうのだけは思っていて。ただそれを決めていくのはやっぱり本人たちが情報として知った上でより豊かだなって思ってもらえる方に行くのを横で見せてほしいなって。

 

[江良]

うんうん、それはすごいそう思いますね。

 

[葛西]

ちなみに日本はねって言ってそういうことすると食べるものを自分で作れなくなっちゃったよとかもあるし、親戚には基本的に会わないとかっていう風になったけどねって言ってどう思うっていう話をしたいなって。で、僕結構このプロジェクト14年やってて2回衝撃的なことがあって、その2個目が今回インド行った時にあった。1個目はそもそも学校に行ってませんっていう人が学校に行きました、子供が。その中で日本でいう義務教育は全員いかせようとするんだけど、能力がある人には高等教育に行ってもらうって奨学金をずっと渡してるんだけど、その子が大学に行って政治を勉強して、でオリッサ州政府の役人になるテストを受けて受かったと。あのすごい恥ずかしそうに、今度試験に通ったから僕はオリッサ州の役人になったと、担当は農業だっていうわけですよ。そうか、そういう可能性がなかった人がプロジェクトで、若い子が州政府の役人になって行ったりするとまた変わるものがあるよなって思ったんだけど。3月に行った時に女の子のグループとダンスしてたんですよ。ダンスしながらいろいろ喋ってたら、27歳の女の子がね、私は結婚してませんと。結婚して家庭に入ってっていうのが本当に正しいか分からないとかって言ってるインドの女の子がいて、それ自体はね、いろいろ見方があるだろうけど、そんなこと許されなかったわけ。12歳で売られてたわけ。親の決めた相手に嫁がされて最低5人子供を産めっていうのから外れる子が出てきていて、じゃあ2人ともさ、豊かとかどうかはちょっと分からないよね、経済的に豊かかとか、社会的に豊かかとか分からないけど、少なくとも選ぶ子たちが出てきてるなっていうのを、もっとそばで見て、どうだったって聞けるのが今回のプロジェクトで得られるものだなって。お前最近何してんのみたいなのが対話できて地域に残るって選択する子もいるだろうし、ムンバイに行って勉強するってやつもいるだろうし、分かんないけど。なんかその農村をただただ金銭的に豊かにして1,000ドルの生活を2,000ドルにしてテレビ買ってあげてみたいなことじゃない探求ができる場所になるのかと思って、オリッサがね。

 

[江良]

でもそういうことをしていけるといいですよね。

 

[葛西]

年間の自殺者、僕の場合はスタート自殺だったからその時の資料では年間3万人の農家自殺してるだったけど、日本の自殺者も3万人だからね。それが多分理由がインドの場合は本当に物質的な生活とかに対して、日本は精神的なものの方が多いのかなとか思うんですよ。生きづらいとか、このまま何のために生まれて何のために生きるんだろうとか何をしようっていうこととかに悩んでっていうことで言うと、それぞれすごい本質的な課題じゃないかと。その生きづらさが例えばオリッサではあんまり感じることがないというか、あんまり死のうかなとか思わないよね、あそこいると。

 

[江良]

そうだね。なんかそういうこうまあね、少なくとも僕たちは全然ないですよね。よっぽどなんか、なんかねやっぱお金にまつわる何かとか、まあそういう借金とかね、何かこう、まあただ強烈なムラ社会ではね、カーストも含めた日本と違うムラ社会ではある。まあさっきのねそのお嫁に行って子供を産めようみたいなこととかも含めたね、なんかそういうこう価値観との戦いというか、こうねなんか因習との闘いみたいなのはありそうだよね。

 

[葛西]

うんそれはそうだよね、日本でもそうだったからね 。

 

[江良]

でもまあ本当にあのおっしゃる通り東京にあるような日本にあるようななんかそういう精神的に追い込まれるようないうことはまあ少なくとも感じないし、何か僕たちもを取り戻すことがいいことなのかもわかんないけれど、参考にできることはあるから、交流をね、していけるといいですよね。僕たちはね、当然そもそもそういうことを好きだからやるんだけど、いろんな洋服着てくれる人とかもね、あと農家さんとかもね、含めてやれるといいですよね。

 

[葛西]

そうしたいね。そういう開かれたものでありたいっていうか、今回のGrow Organicでプロジェクト知ってくれた人が知って行きたいときに、行けるようにしたいとか、友達になってくれないかって現地の方と友達になったりとかできたらいいね。

 

[江良]

なんかまず向こうのそんなに多くは呼べないけどね、何人か農家の人をね今年お呼びしてそういう交流できるようなイベントできたらいいなみたいなのも話してるし、逆にね今言ったように向こうにね、そういうツアーみたいのもあってもいいし、もしかしたらね、そういう、今の本当に向こうの農家さんも必ず携帯持ってるしね、携帯持ってニューヨークの綿花の値段とか

 

[葛西]

そうなんだよね

 

[江良]

調べたりするから、まあそれはそれでね色々問題が問題が取引上、、それは今日はちょっと置いておきますが、でも携帯持ってるから、今僕ね、僕たちWhat’s upでね農家さんと繋がってね、今あの、今日土造りでどうのこうのとかね、種まきしてますとかね、なんかこう交流がちょっとずつできるようになってきてるから、

 

[葛西]

そうだよね

 

[江良]

こういうITのインフラを使ったこう交流の仕組みが、、もう少しこう企画は煮詰めないとだけど、なんかできてることもね十分に考えられますよね。

 

[葛西]

昨日も久しぶりにインスタをポチってなんかアップしたら、基本的にインド人だもんね、いいねしてくる笑。

 

[江良]

そう笑

 

[葛西]

ナイスナイスナイスとか言ってきたりするから。

 

[江良]

うんうんうん、いやでもね。じゃあぜひですね、この新しい取り組み、あとね僕もピースバイピースの末席にね、加えていただけることにも

 

[葛西]

そうなんですよ。

 

[江良]

なったみたいでありがとうございます。

 

[葛西]

理事になってくださいまして。

 

[江良]

いえいえいえ、代表理事のために、というかね、まあ一緒にね、本当に。

 

[葛西]

一緒に。

 

[江良]

本当に何がこう豊かさのまたやっぱ豊かさってなんなのみたいなことも含めてね、ただのオーガニック、オーガニックなのは大事だけどね。紙切れベースのオーガニックじゃなくてね、本当にインドの豊かさ、あと僕たちの豊かさみたいなことをどう考えていけるかみたいなことを、このプロジェクトを通じて一緒にやっていけると本当いいですよね。

 

[葛西]

ぜひお願いします。

 

[江良]

こちらこそ、ぜひお願いします。はい、じゃあすいません。今日は長い時間、お時間いただいてありがとうございました。

 

[葛西]

ありがとうございました。

 

[江良]

じゃあ、このあの番組恒例なんですけれども、この話をね、聞いていただいた方が何かこう日々に取り入れられるような何かこうアクションがあればですね、お伺いしているので何か聞いてる方々に何かありましたら、ぜひ教えてください。

 

[葛西]

えっとそのGrow Organicのローンチはもう間近に迫ってるんでしたっけ?

 

[江良]

7月、そうですね今日これをが7月のローンチが7月12日リリース予定なんで今あのURBAN RESEARCH DOORSのホームページとかあとGrow Organicのホームページも今日立ち上がるはずなんではいはい見ていただければ

 

[葛西]

まずURBAN RESEARCH DOORSのプロジェクトGrow Organicのホームページを見てくださいと。素敵なお洋服がこういうストーリーにも繋がってるっていうことになってると思うし、並々ならぬ苦労を経てお手元に届いてるはずですから。え、商品としては何種類ぐらい作ったんでしたっけ。

 

[江良] 

商品はえっとレディースが7種類。そのうちデニム商品が5種類、でミニ裏毛のカットソーが2種類。で、メンズは5種類で、ミニ裏系のカットソーが2つかなで、違う1つかな,

であとデニムのジャケットとパンツが2種類みたいな感じですね、はい。

 

[葛西]

デニム作るの本当に大変だったと思いますし、簡単にミニ裏毛って言ってますけど表と裏でいろいろ大変なので涙して着ていただきたいですね笑

 

[江良]

ありがとうございます。無理やり言わせたみたいになっちゃった。

 

[葛西]

いやいや本当にそういう別にねインド行って一緒に綿摘みしようぜまでは言いませんけれども、知って、あ、いいなって思って着てください。これには意味があるなと思って着て、買ってくださっただけでそれはそのままダイレクトにつながっているし、着てテンション上げてくださるとそれが次に良くて、人に伝えてくれるともっと良くて、ずっと気になるなって人は財団手伝ってください。

 

[江良]

そうですね。あのホームページだったりSNSとかGrow OrganicとかSNSも今日立ち上がっているはずなのでぜひフォローしていただいてピースバイピースでやってる寄付先でどういう活動してるのかみたいなことも含めて情報発信していきますのでぜひね皆さん気にしていただきたいですし、何かね農家が来るイベントとかあればね、ぜひ参加していただきたいですし、ぜひですね関心を持っていただけると嬉しいなという風に思っております。はいじゃあ葛西さん、ありがとうございました。今日はゲストは葛西龍也さんでございました。どうもありがとうございました。

 

[葛西]

ありがとうございました。