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#030 : 小野寺望さん : 自然の中の謙虚さと気持ちよさ、原発道路と移転、流域で捉える
小野寺望 1967年気仙沼市生まれ。宮城県猟友会石巻支部所属。「Antler Crafts(アントラークラフニホンジカの解体処理をはじめとした鹿肉や鴨肉の卸販売、自然との関わり方や食育に関するワークショップを行う「Antler Crafts(アントラークラフツ)」主宰として活動。2017年より「Reborn-Art Festival」に関わり、食肉処理場の運営を担う。捕獲した鳥獣を料理人の創造性にふさわしいジビエに仕立てるべく「食猟師」を名乗る。 Instagram : @nozomuonodera, @antler_crafts1    Antler Crafts クラウドファンディングご協力のお願い 石巻牡鹿半島のシカ猟師の拠点Antler Crafts。震災から15年を経て、女川原発再稼働に伴う避難道路建設で失われますが、新拠点での再生を目指しています。詳しくは本エピソード、並びにこちらクラウドファンディングサイトをご覧ください。2026年6月30日まで。   エピソードを読む: 2026.5.17 「Grow Organic Gathering」にて [江良] 今日はですね、あのAntler Craftsの主宰で、食猟師の小野寺望さんにお話を伺っていきたいと思います。 小野寺さんよろしくお願いします。  [小野寺] よろしくお願いします。 [江良] はい。 えっと、じゃあまず、あの小野寺さんのご紹介をさせていただければと思います。 じゃあ、まず小野寺さんから簡単にご紹介いただいて、僕の方からいろいろこう、それに重ねて質問をさせていただきたいと思うのですけれども、お願いしていいでしょうか?   [小野寺] はい。 皆さんこんにちは。 小野寺と申します。 宮城の石巻の方で、鹿の猟をしながら、それをお肉として販売しながら、まあ広い自然の中で、自然の成り物って言ったら言葉ではちょっとね、あれだけど、自然の山菜であったり、キノコとか、もう本当にその四季折々のものを取って食べて。 で、まあ、生業としてる鹿と一緒に豊かな人生って言ったらおかしいんですけどね、四季を楽しみながら生活をしております、小野寺と申します。  [江良] はい、ありがとうございます。狩猟はいつ頃からやってらっしゃるんですか? [小野寺] 狩猟はね、あの三十歳の時からしてますんで、大体二十九年になりますね。はい。 [江良] なんかきっかけはあったんですか? [小野寺] うん、単純にね、当時、料理--まあ若い頃料理やってまして。 で、自分で料理を作った時に、こう大切な仲間とか、、ご馳走したいなと思った時にね、食材を自分で採取したいなと思ったんですよ。 で、その時になんか日本って、野菜でも山菜でもキノコでも自分で魚でも取れるんだけど、狩猟、お肉だけはね、どうしても狩猟の免許を取らないと取れないから。 で、まあ狩猟免許を取って、まあ料理を作ろうかなと思ったっていうのが始まりです。  [江良] 最初はでもやっぱりこう、なんかこう、どういうところに-- なんかハマってっちゃったみたいな感じですよね。なんかどういうところにこう、魅力を感じられてたんですか? [小野寺] 野生動物があまりにも綺麗だったんですよね。 なんだろうね、四つ足しをやる前に最初にはまったのが、ヤマドリっていう、鳥なんですけども、キジと似てる形なんですけど、赤銅色、カッパー、銅のみたい-- 銅のね、鍋みたいな、ああいう赤鉄っていうかね、赤銅色した綺麗な鳥がいるんですよ。 で、尻尾がうんと長くて、まあオスしか狩猟できないんですけど、それが飛ぶと、ヒノドリみたいにこう尻尾が長いんで、わーっとグライダーみたく滑走していくんですよね。 で、なかなかね、取ろうと思っても俊敏で取れなくて、貴重性が高い鳥で。 で、面白いことにそれが、お肉も販売しちゃいけない、羽も販売しちゃいけないっていう、獲ったハンターしか食べちゃいけないっていう、なんか面白いルールがあるんですよ。  [江良] あ、なんか、なんつうの、禁じられてるんですね。 [小野寺] そうそうそう、うん。 [江良] 撃つのはOKなんだけども、販売しちゃいけないってことですね。 [小野寺] うん、そういうことですね。 [江良] でもそこがなんかこう、自然の綺麗さというか、美しさみたいなところにどんどん魅せられてったってことなんですね。 [小野寺] その時ですね、あの魚釣りと一緒ですよね。 渓流釣りとかでも、あのヤマメなんか、ちょうど今時分、よくもうちょっと前だと、えっとね、あの紫色したあのフジイロヤマメっていうんですけど、あの森でも渓流沿いでもいいんですけど、ヤマブキの花が咲いた頃に、パワーマークって言いまして、ヤマメの体の横にね、あの小判型のマーク出るんですけど、そこにね、淡い紫色のフジ色の模様がこう魚体に浮かぶんですね。 そういう綺麗さっていうのが、自然界にいっぱいあるんですよ。 あの魚類、あの鳥類、まあ本当にいろんなものがあるんですけど、それにやっぱり、あの美しさにはやっぱりハマって、なおかつ美味しいっていう、そこがやっぱりね、あの楽しい、あのハマった原因になりますよね。  [江良] ありがとうございます。なんか小野寺さんのことをどう紹介すると皆さんにこうね、一番伝わるのかというのが、こうすごい考えながらなんですけど、僕は、えっと、やっぱり2011年に、まあ牡鹿半島っていわゆる東日本大震災の、震源地から、一番近い陸地でして。で、小野寺さんはそこで、まあ狩猟のフィールドがそこになってると。 で、僕の方で、ap bankっていうところの活動で、こう入っていく中で、まあどういうふうなことで、あの復興のね、お手伝いができるんだというところで、そこで小野寺さんにね、出会うわけですね。 で、あのまあ一つはね、その本当に牡鹿半島から人がこう避難して内陸に行ってしまったから、まあ本当に人の数よりも、その当時は鹿の数がね、もう人よりも鹿の方が全然多いみたいな状況になってたっていうのもそうだし、あとは本当にいろいろこう防潮堤をこうドーンと大きく作るとかということよりも、やっぱりこう、まあ鹿をある程度駆除していかなきゃいけないんだけども、その、まあやっぱりあれだけのこう命のことを考えさせられた震災を経て、あのやっぱりそのね、動物、鹿だけども、やっぱそれも同じ命だから、その命を、まあ本当にこう殺すっていうことからだけじゃなくて、ちゃんとなんかその命がせめて、あのいただいていくというか、本当に命を大事にいただいていくっていうことを、やっていける。 まあそれはだからその当時は拠点がなかったんだよね。 まあいわゆる小野寺さんが、まあ形としては趣味として販売して、で、あの趣味としていろいろなレストランにお肉を共有してたと。  [小野寺]あ、ごめんなさい、これちょっと語弊あるんですけど、その当時ね、あのいただき-- えーと、ごめんなさい、えっと、「おいしい食べ物届けたい」って言って、被災地にね、あの都内、まあ全国の飲食店の方々が、えー食べ物を届けるっていう、あのNPO法人があったんですね。 その中の一環で炊き出しに来るシェフらがいたんですよ。 で、その人たちっていうのは、普段の営業、まあ震災の頃っていうのはなかなか自分のお店も大変だったんですけども、営業終わった後に仕込みをして、で、夜中に車で出発して、朝に、あの被災地に入って、そこからランチを提供して、で、食べたら片付けて、そのままもう、んー、パーっとかき込んで食べてすぐ帰っちゃうって、そういうことをしてた人たちがいっぱいいたんで。 で、自分はそこの被災地にいながら、わりかし被害は、まああの地域はもうめちゃくちゃだったですけど、私のところはまあほら、あのマンションに住んでたんで、あの自宅マンションの高層階に住んでるから、その、基礎は曲がっちゃって歪んじゃったんですけど、水道は出ない、ガスは出ない、一番最後に、まあ復旧した場所であるんですけど、それでも、他の人と比べれば、まあ自分の部屋があったかい布団があって、そういうとこで暮らしてる中で、やれることっつったら、もうその、両隣の人たちを、その炊き出しの場所まで、あのナビゲートするって言ったりとか、あとそこに行って場をつなぐとか、そういうことしてて。 で、そのシェフらがやっぱりその大変な思いしてきてるから、自分にできる返礼品っていうか、そんなにこう、あの他の人は大変だから、いろんなものを物資を受けてもいいと思うけど、俺はその中で自分が受けるのはおこがましいと思ってたんで、だったら俺も逆に自分で取ってきたものを、みんなもうその当時取ってきたのって食べないで捨ててましたんで、俺もう一頭でもいいから、もうあの自分で取ったものは口に入れなきゃ気が済まなかったから、それをね、手当てして、来たシェフらに「せめてこれ食べてください」って、お土産で渡してたんです。 それでなんかね、いろいろこうつながってったっていうか。 はい。  [江良] そうですよね、もう本当にまあそういうことをされてて、まあ僕もだから、あの小野寺さんを紹介されたのはね、目黒さんっていうまあシェフで、まあ今はワイナリーやってらっしゃる方なんだけども、まあそういう食の業界の中の、その復興支援活動の中で、小野寺さんがなんかそのね、一応そういう場所になって。 で、その後ただ、まあそれこそ、まあいろいろな、み-ね、例えば三つ星シェフ、まあレストランのシェフとかが小野寺さんのところに通うようになってくんですね。 これ不思議なんですけども、これは。でもちょっと小野寺さんの口からなんかちょっとこそばゆいかもしれないんですけど、なんでこう、いろいろな料理人たちが小野寺さんのところにこう通ったりとか、交流がこう続くようになってったのは、なんか彼らからしたら、小野寺さんの中に何を見つけたんだと思われてます?  [小野寺]えっとね、その当時っていうのが、多分まだ皆さんがこう今メジャーで食べてるものっていうのの中で、自然界でまだ知られてない食材がいっぱいあったんですよ。 ここ十年で変わっちゃいましたけど、食材ハンターじゃないんですが、まだその地域地域には昔から食べてて、郷土料理として食べてた食材があったりとかしたんですよね。 で、そういったものがこう、あの東京都内で、まあ東京都内とは言わず、もう全国でその大都市で流通しない、その食材があるじゃないですか、自然のもの。そういったものをいち早く、その方たちが来た時に「こういうもの食べれるんだよ、こういうものを食べれるんだよ」っていうのを、私はたまたま、老人からいっぱいそういうことを教えてもらってた機会が多かったんですよ。 猟友会に入ってハンティングしていく中で、あの古老からいっぱい学ぶべきことあるんですね。 まあ口うるさい、めんどくさい人もいっぱいいるんですけど、でもその持ってる知識っていうのは莫大だったんで、「今こんなの食べる人いないけど、昔はこういうのが食べれたんだよ」っていうのを教えてもらうと、僕もワクワクしちゃって、で、実際取って食べてみたくなりますよね。 大してうまくはないんだけど、でもなんかこう、「あれ、なんか、もしかしてこれ使えるんじゃないかな」っていう知識が入ったから、シェフらが来た時に一緒に山歩きをするんですよ。 で、鹿の住む森、あの鳥が住む森を、「こういうところのこの時間帯、こういう場所を好んでいるんだよ」っていうことを伝えながら、行く道すがら採取していくんですよ、いろいろ何でも。そうすると、「あ、これも使える、あれも使える」ってみんなびっくりするんですよね。 [江良] 本当に皆さん普通に歩いてて来て、「あ、あそこ」とか言って、まあね、例えばサンショウの実がそこにあるとか、「あ、この木の実もね、今これ、ちょっとこれ青いけど、これかじってみ」とか言って、「甘いでしょう」とか。 本当に自然の中にあるもの全てが、なんか、た-まあ当然ね、食べるものとつながってるわけで。で、僕たちがいわゆる本当にこう管理されてというか、畑で作られて出てくるもの以外のところから、それをほんと採取-- いや、ほんとすごいんです。  [小野寺] いや、すごい。 [江良] で、いや、でも本当に最初にね、一緒にあの山にね、牡鹿の山に行った時は、ちょっとここの、こう木が倒れてて、そこのこう木陰というか岩陰みたいな、「ちょっとここで座ってて」つって。 って言ってこう座らされて、「ちょっと今から来るから」みたいな。何来るんだろうと思ったら、そしたらそこの前の山肌のところから、鹿が二、三十頭ぐらいブワーって。「ほら来ただろ」みたいな。「どう-- なんでわかったんですか?」って。「それはね、なんか鹿の通り道がわかってるとか」、なんかそういくつか後から教えてもらって、まあ想像はつくんだろうなと思いつつ、いまだによくわかんないです。 なんでわかるのか。 だってそのタイミングが本当に、ちょっとこうじっとしてて、本当に二、三分ぐらいの話なんで。 [小野寺] まあそれもね、ちょっと俺、策士的なとこあるんですけど。やっぱね、その、いろんな人来るからいいとこ見せてあげたいじゃないですか。 [江良] もちろん。 [小野寺] 時間軸って、動物の時間軸っていうのを、普通の人よりかはちょっと知ってるわけですよ。 この時間には喉乾くだろう、この時間にはお腹空くだろう、この時間にはちょっと横になりたいだろうなっていうのをわかってんで、こういう箇所に寝てたら気持ちいいだろうな、ここにいれば安全だろうなってのはわかってるんで、そういうところにわざと時間帯に、そのね、江良さんとか、その都会に住む人たちを連れてってあげ-あげて、ほんのちょっとその、動物には悪いんですけど、人の気配を感じさせてあげると、もうすごいね、動物ってもう、警戒心がめちゃくちゃ、もうその、もうとんでもない、もう、なんだろう、アンテナって言ったらおかしいけど、レーダーで、もう、感知してるぐらいね、敏感なんで、ちょっと風に乗って人の匂いとか、この地を歩いたその響き方とかね、そういったものとか感じて、一頭逃げればその後をついてドドドドって行く。 草食動物のね、なんだろう、行動学とかわかれば、すぐこう出せるんですよ。 だから野生の獣みたく二十頭の群れとか、その後また三十頭ぐらいの群れとかって、四方からどんどんどんどん出てきて、江良さん目が点になっててね。 なんか驚いてたんだけど。  [江良] まあ間違いなく目は点になります。 いや、なりますよ、それは本当に皆さん絶対に。 でも本当に僕、小野寺さんのことを、あの紹介させていただくときに、僕の言い方としてはですね、まあ僕たち、まあ特に僕も東京生まれ東京育ちなんで、こう、すごいこう都市に住む私なんですけども、もしくは人間としての私みたいなのがあったときに、小野寺さんはもうその人間の世界っていうよりも、もうすでにこう野生の、自然な、まあ野生というか自然というかわかんないですけども、そっち側に行ける人なんですよね。 で、鹿の猟もね、コール猟とか、あのコール猟ってこう笛があって、鹿の鳴き声を真似できる笛があって、で、オスはこういう声で鳴くんだよみたいなのを、ピーみたいなのを真似して、で、まあメスの声も真似して、これ何かっていうと、だからメスの、な-- オスをこう呼ぶ声を笛で真似して、まあ騙すとかね。 あとオスのあれして、「こっちいるぞ」つってオスを警戒して、「俺の手元だからもう来い」とか言うとか、まあ、まあある意味こう、騙し合いというかね、こう、自然の中でそういうこうことをする。 で、さっき言ったその獣の時間軸とかも知ってらっしゃるみたいなことで、ちょっとなんかもうね、想像がちょっとつかないんですけども。 でも逆にそういうこう野生の世界に普段生息してるからこそ、本当にこういう都市とか、こっちのね、東京とか、もしくは人間の世界を見たときに、結構いろいろと思うことがあるんじゃないかなと思ってるんですけど。 まあ辛口甘口どっちでもいいんですけども、こういう僕たちの人間である僕たちを見て、なんかどういうふうに見えてるか。 まあ例えば今日東京に来て、東京どんなふうに見えてらっしゃるかみたいなことを、ちょっとこの猟師目線で教えていただいてもいいでしょうか。  [小野寺] いや、ちょ-ちょっと難しいこと言いますよね、なんか。俺も一応人間だから。街も大好きなんですよ、正直なところ。本当に。昔も本当に東京住んで。 [江良] そうですね、東京もね、もちろん住んでらっしゃったけども。 [小野寺] まあわりかしね、隣町に住んでましたから、わかるんですけど。 なんですかね、ちょっと、これもちょっとなんか勘違いはしてほしくないですけど、人に疲れるとか、いろんなとこに疲れちゃったときにね、ふと自分の体の-- 体とか身をね、自然に委ねるんですよ。そうしているとなんか見えてくるものがあって、いろんな人生ってこうつまずくこともあったりとか、喜びも悲しみもいっぱいそのある中で、自分でこう考えを-- 結論を出さなくちゃいけないこととか、考えなくちゃいけないことでも、結果がこうなかなかその出せないで悩んでる時ってあるじゃないですか。そういった時にね、助けられたんですよ、山で。 無になれたっていったらおかしいんだけど、本当にね、精神的にボロボロになって、「どうしようかな」とかいろんなこと考えて。で、こんな時に自分一人しか頼るものがなくて、誰の力も借りれなくて、ここで何かしれば人に迷惑がかかっちゃうから、事故も怪我もないように安全に帰って、でもここで居心地のいい自分を作って、何かしらいい結果、考えを求めていた時に彷徨って、森の中で。 そしてね、いつの間にか自分の気配っていうのか、存在っていうのがなんかちっぽけって言ったらおかしいんだけど、ここの中では誰も気にしていなくて。 で、逆に俺が周りにストレスを与える存在になってるわけなんですよ、その自然界の中でね、そう考えた時に。だからそうなった時に、いかに自分を謙虚になれるかっていう。自分がやっぱりね、謙虚じゃない自分がやっぱりいつの間にか現れるんですよね、人ってね。そういった時に、慎ましく、謙虚に、慎むっていうことを自然界に置いた時に、なんかこう、ある時ね、気持ちよかったんですよ、それが。  [江良] それはなんで、そういう。まあやっぱね、こう都市にいて、いろんな人間関係、仕事のこう関係性とか、友達でも何でも、やっぱそういうのって、どうしてもこうね、自分の自意識がどんどん膨らんでっちゃったりとか、やっぱなかなかそういう中で無になろうってきっかけってね、なかなかないと思うんですけども、その自然の中で、その謙虚になれてったっていうのは、何がこう、緑のヒーリングパワーみたいな、そういうことでも多分ないですよね。どういうような。  [小野寺] いや、あのね、本当に正直言って、絶望に近いものありましたね。 まあこんなことぶっちゃけ言うのもあれですけど、家庭崩壊して、自分の子供のこととかっていっぱい考えて、将来のこととか考えたりとかね。で、その後震災起きて、仕事もなくなるわけですよ。 で、自宅も手放さなきゃいけなくなっちゃってくるし、そういった中でね、生活をどうしていかなくちゃいけない、明日をどう設定していかなくちゃいけないとか、その中で自分は何ができるのかってった時に、すがるものは何もないんですよ。 そうなった時に、自分の体一つでできること、何をしてったらいいかって。ちょっと江良さんとこれ、なんか何年か前のね冬に喋った話で、自分が大変だった時期の話で、その中で自分を追い詰めて苦しめて、その中でもう本当に解放させるためにどうしたらいいかって時に、なんかね、もう、どうしようもなかったっていうかね、その中でのその自己責任、自己完結っていうものを考えながら、そしたらこう、あのー、自分ってこういうもんだっていうのをよくよく考えてみてね、ほんとしょうがねえなっていうか、  [江良] そこでその自然はこう何をこう教えてくれたのか。 [小野寺] うん。 [江良] なんでそこに自然が介在したから、そこに何かこう、安らぎというか、何かこう謙虚になるみたいなところにたどり着いたっていうのは、自然はどういうことを小野寺さんにしてくれたんですか? [小野寺] いや、もちろんね、そこでその自分の考えをこうシャープにしてくれるっていうところですよね。 [江良] あー。 [小野寺] 猟をしながらでの、そのあれですんで、それで生かすも殺すも自分の感覚で、全てのもの、たったあの引き金引く、私銃猟しかしないんですけど、引き金を引く二、三キロのほんの力で最強の凶器になるわけなんですけど、その咄嗟の判断なんですよね。そんで相手に情けかけるかかけないかだったりとかっていうのも、こう悩みながら考えながら、今これ取ってどうするか、これ食べたいか、それとも残しておこうかとかって、そういうこと考えながら、自然の、常にこう天気のいい、あの穏やかな日だけじゃないんですよね。雪の時もあれば、急に荒れてくる時もあったり、あとは、本当に突風が吹いてきたりとかする中で、そうなった時に自分ならどうする、自分ならどうするっていった時に、あ、自然ってこう何も言わないんだけど、じっと堪えながら解放wp待つっていうことをしていくじゃないですか。 なんかあの冬から春にこう芽吹くような、じっと、なんかいろんなものをこう溜め込んで溜め込んでって、その時に広げるパワーってのはすごい生命力なんですよね。そういったものをなんかね、自分も自然の中で、こうやっていろんなことを苦しんで考えて、悶え苦しんだ末に抱えてたものを解き放して、雪解け待とうかって、そういうところもあって、自分の中でこの自然というものと自分を教えてもらったか、照らし合わせるって言い方した方がいいかもしれないですよね。それで多分助かったような感じかもしれない。  [江良] なるほど。 なんかこうね、すごい全部があのもちろんわかれるわけじゃないんだけども、なんかすごい、そういう感覚はなんか分かるような気がします。なんか、ね、重ね合わせて、こう自然の。まあ、でも僕たちもこういう自然のリズムと当然つながってるわけですもんね、生き物としてはね。  [小野寺] なんかね、不思議とね、波長がその瞬間合う時ってあるんですよね。 [江良] うん。 [小野寺] で、なんか自分もなんかそのね、あの気配消してるわけでもないし、出してるわけでもないんだけど、警戒心の強いものが目の前に現れないとか、不通した時出てきたりとかするわけなんですよね。 だからそういう時って、もしかすると本当に無になってるのかなとかね。相手に警戒を与えないっていう。  [江良] うーん、なんかでもね、なんかそういう、仏教とかでそういう話は結構ありますよね。こう自分も自然も全部がこう、まあ一つになっていくというかね。 なんかそういうのは狩猟みたいな中では結構見えてくるのかもしれないですね。はい。 なんかこの話はね、このままいくと、もう、またこれで一晩いくんで。  [小野寺] ちょっと深いことまで言っちゃいそうになるからね。 [江良] はい、人となりを深掘っていこうと思ったら、ちょっとまたちょっと違う、いいんで、ちょっと今日、まあもう一つ、今日わざわざ東京に来ていただいたっていうのは、ちなみにこの、僕たち、そのさっきのあれでいうと、その震災の時にお会いして、で、僕が、運営してるというか、ap bankというところがあって、そこの復興支援金をどう使っていくかを、僕は被災地でこういろいろこうプロジェクト、お金の使い方を考えていくことを仕事にさせていただいてて。 で、その中で小野寺さんと会って、じゃあ小野寺さんがそのさっき言った趣味で取って、趣味という形で形式で取って、そのお世話になったシェフにお肉をこう共有してたというところから、じゃあその復興支援金を使って、石巻にあの処理場を作ろうと。で、処理場を作ると、法律的にその取った鹿肉を捌いて、で、それを販売できるようになるんですね、法律的にね。まあそれ食肉処理場といって、まあ全国にいろいろ今ジビエの処理場ってあるんですけども、で、それを石巻市に作った。 これがまあ十年前ぐらいですね。十年前ぐらいなんで、2016年ぐらいにそれを作りました。 で、えっとそこに、あと僕たちその当時にその石巻市で「リボーンアートフェスティバル」っていう、まあ食とアートと音楽のそういう総合祭みたいなものをやって、まあ本当に人が減っちゃった地域なんで、まあそこにこう、まあ一つはやっぱその、今で言う交流人口というか、いろんな人の、人が減った分、いろいろなこう交流を生み出していくことで、少しでもこう、まあ盛り上げていこうということですよね。 まああとやっぱりその本当にすごい土木的にすごいまあ宮城で防潮堤みたいなのとかドーンと作ったりとか、まあすごいこう地面かさ上げして街を作ろうとしたりとか、いろんな土木は、行政がやるんですけども、やっぱりその、まあ住んでる人たちのなんか、人のね、ソフト的になんかエネルギーになるようなことが、それはやっぱり行政はなかなかやれることでもないので、そういうことが必要なんじゃないかっていうことで、そういうイベント、まあイベントですよね。 で、とにかくあのアーティストをいろいろ送り込んでったんですね。 シェフとか、あの現代アートのそこにやってるサイドコアってアーティストが行ったりとか、あのいろんなジャンルのまあ音楽家が行ったりとか。で、その時には小野寺さんがなんか道先案内人みたいにね、またさっきのシェフと一緒で、やっぱりこう牡鹿のいろんなものに、自然の中に誘ってくれたと。で、それ、だから九年やってきたんですけども、まあ今日本題の一つで、そこは移転しなきゃいけなくなったんですね。で、まあここからいろいろ始まっていくんですけども、ちょっとじゃあその移転、移転についてですね。 で、ちょっとじゃあ僕の方からなんで移転に至ったのかということを話すと、えっと、牡鹿半島の北の方の付け根に女川原発っていうのがあるんですね。東北電力女川原発、発電所、原子力発電所か。で、ここがまあもうニュースでありましたけど、再稼働もうしてます。で、再稼働すると、あの原発ってなんかあれ法律なんですかね、あの。  [小野寺] 反対運動してる人たち。 [江良] そう、反対運動してる人たちがいて。で、そのまあ原子力規制委員会とかで、まあその近くに住んでる人はなんか四十分以内に、えー三十キロ?(注:正確には宮城県の避難計画にて放射性物質が出る前にすみやかに30km避難する計画になっている) [小野寺] 行けない。 [江良] うん。 三十キロを離れられるように道路を整備しますっていうことが、まあ推奨されてたりする。 で、それ反対派の人ももちろんいる。 だからまあその女川原発に近い人たちが、こうまあ街の方にこううまく逃げれるように道路を作りましょうっていう計画があると。で、僕たちそのこの鹿肉の処理場をあの作る時に、えっとまあ行政から土地を借りたんですね。 石巻市から土地を借りた、いわゆる公共地に建物が建てたということで、じゃあえっとまあここに鹿肉の処理場は鹿をさばける場所があるということと、ここに住んでる人たちが三十分、四十分以内に三十キロを逃げれるということと、まあひいては原発を再稼働するということと、どっちが公共性が高いのかというような議論になったわけです。 で、まあ僕たちとしては、なんかこうなんだ、そもそもの、まあ原発なんていらないんじゃないかとか、まあそういうちょっと個人的なこう信条はちょっと置いといて。でもまああのね、地域の地域貢献とか、さっき言ったように牡鹿半島で鹿増えすぎちゃった中で、少しでも命の循環を作ることが地域のためになる、復興のためになるんじゃないかって思いで始めてたことだから、やっぱり地域の住民の人たち、まあでも確かに道路ができるとね、当然あの安心、逃げれて安心だし、そもそもものすごく便利なことなので、街までね、その今まで一時間弱あったところが、30~40分で行くって言ったら、それはまあ本当にあの素晴らしいことなので。 なのでね、あの移転することになったっていう、まあ事実関係だけだとそういうことなんですけど、最初にでも、あのこの移転の話を聞かれた時の思いみたいなものとか、ちょっとそこら辺から話を小野寺さんからしていただいてもいいでしょうか。  [小野寺] はい。 結構ね、これなんかエピソードでちょっと長くなっちゃうけど、まあ、まあ、まあだまし討ちみたいな感じだったんですね、あの正直言うと、行政から。元々石巻市の方がその避難道路、住民悲願の道路っていう名前にしちゃったんですよね、正直ね。 住民はここを悲願の道路で早く石巻の方に、あの十分か十五分短縮できるから早くこの道路を開通したいっていう旨をずっと要望出てたのは事実です。でもルートは設定されてなかったんですよね。 で、それがこの原発再稼働になったことによって、宮城県がもう予算付けしちゃったんですよ。 で、もう市の事業から県の事業に変わった瞬間にごろっと変わって。 で、えーそのルートの方がなんかここを通るんじゃないかなって噂が聞こえてきたんですよ、周りから。 で、ちょっと不安になったので、あのー、まあ当時のリボーンアートフェスティバルの、えっと事務局長でしたっけ。  [江良] はい、松村豪太さん。 [小野寺] はい。 事務局長と二人で、県のその出先機関の方の、代表の方にちょっと、ご相談に行きますっていうことをアポ取って行ったんですね。 そしたらその日の朝、「じゃあ何時に来てください」っていうことで向かっていったんですよ。 そしたら、二人で朝、もう本当に早朝八時半ぐらいには待ち合わせて行って、会長と同時に入っていって、「じゃあ今日アポ取ってた、松村と小野寺です。 で、ナントカさんお願いします」って言ったら、出てきたのが、もう昨日今日入ったようなあんちゃん出てきたんですよ。 あんちゃん出てきて、「うちの親分いませんよ」みたいな。「急用出ましたので私が対応します」って。「あ、あれ?」ってなったんだけど、「まあいいです。って話通れば私どもはそれで納得できますんで」っていうことで、お話を、ちょっとこう、「聞いてください」ってことにしたんですね。 そしたら、「いや、まだ決定事項じゃないし、これから小野寺さんたちがやってることっていうのはとっても意味のあることだから、その意味のあることを私たちは邪魔する気もないし、これ応援したいことだから、まあ何かある、ことあるたびにご相談をしながら進めていきたいです」って話をもらったわけですよ。「あ、そうなんですね。 そしたら私たちもこうやって、皆さんからのいろんなこう、ご支援もらいながら、で、地域のためになるような事業として始めたことでし、この芸術祭もそうですから、いいものやっていきましょうね」って感じで、その時は別れたんですよ。 そしてそっから、まあしばらく音信不通っていうのは何もなかったんですけど、一年か二年ぐらい経った頃に、石巻市から借りてる土地って二千坪ぐらいあったんですね。 借りてる土地の。 その中で、で、その土地っていうのを、いろんな水害から、あとそれから、台風被害とかあったりとかして。  [江良] まあね、結構水が厳しいところで。 [小野寺] で、まあ、いろんな感じでもう荒れた原野だったところを、全国のその料理人であったりとか、いろんな有志のアーティストとか、みんなが来てくれて、本当に木を切ったり草刈りしたり、あとはその、もう土がね、もう本当にズプズプの粘土質みたいな、その水はけの悪いようなとこだったところを、もう土中環境まで変えて、空気入れて水の、流れも変えながら根付くものを作ろうぜみたいな感じで、いろんなことして、毛細血管のように全部こう掘って、あ、志賀理江子さんっていう世界的に有名なカメラマンの方いるんですけど、彼女はカメラマンなんだけど、私の話を聞いてくれて、「これはちょっとなんか一緒に何か違った作品を作る」って、写真じゃない作品をそこで芸術祭でも作ってくれて。 巨大ビオトープを、池っていうイメージじゃなくて、森全体、敷地全体を使ったビオトープ計画に切り替わってたんですよ。それでやってて作り上げて、「よしよし」って、どんどんどんどん良くなって、いろんな動植物が増えてって、結果がどんどんどんどん現れて、「ここから面白くなるな」って言ってた矢先にこの話になって。二、三年経って、ある日、なんかこう、ベストを着たヘルメット被ったおじさんたちが棒を持って敷地をうろうろしてるんですよね。 で、「何かしてんのかな」と思いながら、気になりながら測量してんですよ。「あれ、なんだこの人たちは?」と思いながら、「何かあんのかな?」と思って、入ってきても別に市の土地だから、「なんか、なんか行政がね、勝手にやってんだろうな」と思って気にもしてなかったんですけど。ご近所の人から、「なんかね、ここ道路通るみたいだよ」とかって急に言われたんですよね。「え、何それ?」っていう話になって、慌てて、みんなに連絡して、「どうなってんですか?」って言ったら、なんかここに道路が通ることになっててみたいな。 それも地域住民説明会もこの間やったみたいな話なんか聞いたんですよ。 それ、「え?」って。 だって一番肝心の俺らを抜いて、「なんでその地域の人たちで、地域住民説明会を開く必要があるんだ?」って言って、もう血管ブチブチブチブチって切れて。 それでもほら、江良さんとか、あとは事務局長とか声かけて、「一回これ話し合い持たないと納得できないよ」と。「どういう経緯でこうなったのか、事の顛末を伝えてください」っていうことを言って、江良さんは、Zoomか何かでね、リモートで入って、あとはもう、「話し合いしましょう」みたいなことになった時に、 「向こうの指定する場所こいつ」って言ったんですよ。 向こうが。「なんかふざけやがって」って。 こっちが言葉悪くて申し訳ないですけど、県の方がね。「ふざけんじゃねえよ。ってお前らが来るのが筋だろって。 現場来てもちゃんと俺に納得いくように話しいや、ほら」つってね、言葉悪いこといっぱい言っちゃったんですけど、「そのようにしてこっちに呼びなさい」と。「現場で話しないと俺話に乗らないよ」っていうことで話し合いをしたわけですよ。 そしたらもう、ね、俺も呆れかえちゃって。 なんか最終的には怒るのも嫌になっちゃったぐらい、もう呆れた会話がそこで、こう不毛な会話が続くんですけど、あってどうなったかっていうと、まあ、うちのその今度取り壊しになる場所に集まった行政の人たちと話し合いした時に、まず私たちが言うに、「こういう話し合いがあって、で、ここの場所がその肝心なルートに決定したんですか?」って問いを投げかけたんですね、行政の方に。 そしたらケロっと言いましたよね。「はい、そうです」って言われたのよ。 その瞬間、俺もうテーブル思いっきり叩いて、「なんだそれは」つって。「そんな話、俺ちゃんとね、何年前から言ってこう話をしてんのに、ただの一回も相談なんか来たことないでしょ、あんたたちは」って。「それだったらおかしいでしょ」って。「いいよ、俺そこまであんたたちそういうこと軽くケロって言うなら、俺もうここにもう身銭投じていいから、ここにもう、違法構造物でも何でも構わないから、建物建てて強制執行になったって構わないから体張って邪魔するぞ」とまで言ってね。 ちょっともう怒っちゃったんですよ。 で、まあ、そんでもまあ江良さんみたいな人立派な人いるからなだめてくれて、「まあまあ、じゃあちょっとこれで」って話になった時に、まあ、「地域住民の悲願の道路ですから」ってなっちゃったら、うちらは引くしかないんですよ。 要は地域の発展のため、うちらそこで阻害することもできないし、邪魔して皆さんの生活を脅かすため、利便性を邪魔する必要は全くないだけで。 だからそこは悔しいけど、全国の有志で作り上げてたビオトープであったり、私一人だけだったら簡単に「いいですよ」って言うんだけど、俺の手じゃなくて、いろんな人たちの手が加わってんですよ、そこに。 まあ今日会場にいらっしゃる皆さんが、例えばだけど、東京からわざわざ来てくれて、休みを、貴重な休みをそこで見ることもない、自分たちのね、見ることもない、今いらっしゃるお子さんの、またそのお子さんが大人になった時にどういう森ができてるかっていうのを楽しみに作り上げてった場所が、ことも簡単に「道路になりますよ」って言われた時に、ね。  [江良]まあね、本当にだから、なんかこう本当に不思議、不思議というか、なんですけど、例えば今日あのAntler CraftsのTシャツをそこで売ってて、それ描いてくれてるの、浅井裕介君っていうね、あのすごい、あのアーティストなんだけど。 なんか、あ、ありがとうございます。なんかね、小野寺さんところに行くと、みんな何かに感化されて、例えば浅井君なんかは、あの日本、まあ日本画か、そのいろいろなそこにある土とか岩とか、まあ顔料みたいなことで染料作って、あの絵描くんだけども、小野寺さんところに行って、小野寺さんの鹿のここを体験して、で、鹿の血から青いインクがね、なぜかできて、まあ青い染料でこの前岡本太郎美術館でそれ描いたりとか。 なんかね、そのさっきの志賀さんは、まあ志賀さんなんか本当にね、まあ、あの仙台にアトリエあったんだけど、なぜかまあ多分小野寺さんがいるっていうのは原因の一つで、アトリエが石巻になって、そこでやっぱり小野寺さんと一緒に鶏飼って、で、子供も含めて鶏を殺して一緒に食べるワークショップとか、何かこう、僕たちが普段こう、多分得られない何かが小野寺さんなり小野さんの周りにあって、みんななんか感化されて。 で、そのシェフもね、多分レフェルヴェソンスっていう有名な三つ星レストランですけど、そこのシェフのなんだ、ちょっと新人研修所みたいになってたりとかね。 で、来るとそれでその一緒にじゃあビオトープの整備したりとか、なんかいろんなことをやっぱ一緒にやってきた九年間があるんだよね。で、それをやっぱりまあ行政のロジックではやっぱどうやってもそこはもう掴めないから。 で、それでね、そこの部分を、まあこっちから見ると軽んじたというか、なんというかね、まあ見てもらえないから、それで小野寺さんは当然カッとなったんだけども、やっぱ「住民の悲願だ」って言葉の前にはね、引かざるを得ないっていう、まあそういうことで、まあ諦めたというかね、「しょうがないよね」っていうことで、えっと、一旦ここは諦め、まだあの建物あるんですけど。 で、これもね、大変なんですけど、かといって「じゃあここ空いてるんでどうぞ」って言ってくれるわけでも全然なくて、一から自分たちの場所を探さないといけないんですよね。 これもすごい、まあ今二千坪のとこでやってた中で、であとまあやっぱ鹿のね死骸を運んでくるんで、そんなにこう人里というかね、中でやると、まあそれは当然共生していくのも大変なんで。 まあその鹿肉の処理場と、あとはまあ僕本当に小野寺さんなり、ここを通じて、やっぱりその自然のこととちゃんとこう交われていくような、そういうインターフェイスの場所にしていきたいっていうこととか、あとそのいろんなアーティスト来るんで、アーティストの表現でもなんかプラスになっていく場にしていきたいとかね。 やっぱその機能は、やっぱその機能をなくしてね、それはないから。 まず場所が大変でしたね、最初ね。  [小野寺] ほんとおっしゃる通りでね、平地がないんですよ、本当に。 狭いとこですんでね。で、なおかつ、なんでこの場所っていうか、こう広いところが必要かっていうのが、元々の、あの原因っていうか、あの理由があるんですよ。 私、動物を殺める、殺す立場の人間なんですけども、駆除をしなくちゃいけないです。でも駆除するのが本意じゃないんですよね。 なんで駆除しなくちゃいけないのかっていう根本的な原因を改善しないまま、単純にトカゲの尻尾切りみたく目の前に現れてくる鹿を殺したり、イノシシ殺したり、クマを殺したりって、まあありますけど、問題発言になっても、ちょっとあるかもしれないけど、そういうね、まず目先のものを殺せっていうこと自体がすごく納得いかなかったんですよ。 で、そしたら、その根本的なことになるためには何をしなくちゃいけないかって言ったら、あの自分一人のその猟友会っていうちっぽけな存在のその団体だけがやっちゃいけないことなんですよ。 これっていうのは林業家も農家も、ね、あとは行政も、それから都会にいる一般の皆さんも巻き込んで、オールジャパンでこれやっていかないと改善されないのが害獣対策なんですよ。 っていうのは、皆さんがやる対策っていうのは経済なんですよ。 その林業でも、まあ荒れた森を作って、なんで荒れた森になったかって言えば、もうその木材を使わない、その経済できてしまった、消費をしない国になっちゃった。まあそれが国、政治が悪い、誰が悪いって人のせいにしちゃうのが人間だけど、そうじゃなくて、そういうのはみんなのマンパワーでなんとかするって改善して、少しでも意識あれば使って、その森林をただ今、あ、ただ植えて切ってチップにするだけで何の活用にもなってないわけじゃないですか。 それをちゃんと使う社会を皆さんがもう一回見直してくれて初めて、この鹿でもイノシシでも全部できくるわけですし、そういったことをね、ちゃんと議論する席がないし、席っていうか、そういう有志も集まらないし、まあ去年ね、江良さんと一緒に農地省行ってね、俺もいっぱいあの悪態ついてきましたけど、なんだろうね、そうそうたるメンバーとでね、言う話じゃなかったんですけど、すいません。 こういう性格なんでね、ああいうなんかあの変なこといっぱい言っちゃうんですけど。   [江良]うん、大丈夫です。だから、あれですね、例えばその牡鹿半島の山って、まあもうほとんど全部杉林で、なんで杉林かっていうと、あのね、昔はやっぱりその、みんなで杉を植えてハワイに行こうっていう標語があったぐらいなんですよね。 つまり杉を植えて、まあ日本がね、高度成長の中で、で、杉を生やして杉切って、それを売ればお金持ちになれるよっていう話なんです。 でも今やもう、ね、今、小野寺のとこちょっとまあ、もしかしてあの馴染みのない人もいるかもしれないから、ちょっと解説すると、今やもう材木は海外から買ってきているから、もう全然あのお金になんないわけですね。 だからそれが小野寺さんの言った経済だけの話だったんでして、だから山は放っておかれて、そうするともう間伐も何もされず、もうあの本当に死んだ-- まあ行けばわかりますけど、森入ればね、死んだようなこう、あの細い杉がバババババってあるだけで、まあ本当はそこはまあね、里山として人が手を入れてた。 今まで入れて、で、鹿も含めて、そこにまああのね、そのいろんな食べ物も含めて、そういう山がもうちょっとちゃんと豊かだったわけですね。 で、その山が豊かじゃないから、鹿も人里に下りてくるし、まあ熊もまあ全く同じだから。  [小野寺] ちょっと補足するとあれなんですけど、そのまあちょっと去年も問題になった米対策の話じゃないですけど、減反が始まって、あとはその第一次産業を日本はその自由化、農産物の自由化になって、減反政策をとって、それから貿易摩擦をね、緩和するために自動車産業の部分をやっぱ優先したじゃないですか。 やっぱ利鞘大きいし、海外からの外貨が-- あの得るためにね。 そういった第一次産業の衰退とともに、里山保全っていうものを忘れられた。 もう発展のそういう、なんて言うんですかね、便利さというか、そっちの方の方向に舵切っちゃったから、国が。 もう七十年代からのそういったものがベースにあるんで、荒れるのが当たり前だったんですよ。 今更それになって、それを議論することもないし、直すことも、今から棚田をもう一回再生計画とかいろんな素晴らしい計画もありますけど、そのことを今の現代のこの便利になった社会の人たちがどこまでそれを利用できるか、考えられるかって、ちょっと難しい話になってくるんですけど、それも含めての今の害獣問題なんですよね。 だから俺の中で悔しいから、この広い土地があれば、自分らのとこだけでもせめて、「鹿も住めない森じゃつまんないでしょ」って。「鹿もイノシシもいない森なんて森じゃないし」っていうとこあって、まあちょっと平場の草刈って柔らかい草生えてくるようにして鹿飼わしてあげたりとか、それ作るとその鹿だけじゃないんですよ。 あのちっちゃい小動物から昆虫からいろんなものがどんどんどんどん、十にも二十にも広がって、本当にちょっと手を加えたことで動物たちがもう活発に動ける場所になってくるから、それでね、その広い土地をどうしてもね、求めたくなったっていうのがこの話になっちゃうんですね。 はい。  [江良]はい、そうですね。 だからまあ僕たちとしてはまあ当然、あの鹿を処理して肉を出すっていう、まあことだけじゃなくてね、やっぱそういうことをあの提言していきたいし、提案していきたいし、まあその場所に来るとそう感じてもらえる場所を、それをまあ九年かけて作ってきたところで、また新しく作んなきゃいけなくなっちゃったっていうことなわけですね。で、ね、それで、でもまあ場所は見つかったんですよね。 あの本当にありがたいことにね。  [小野寺] いや、あの素晴らしい地権者の方がそこの土地を離れることになって、大切にしてた梅の木があったんですよ。 もう古木で、もうあんまりもう古すぎて枯れてきてるところもあるんだけど、その梅の実を守りたいから切らないでっていう約束で、本当に広い土地を格安でね、なんとか貧乏会社なんで、あの譲っていただけたんですよね。  [江良]いや、本当にそういう出会いが、いいところにあって。で、まあね、もう道路も作んなきゃいけないので、えっと建方を始めてですね、えっと建物としてはもう竣工して、  [小野寺] はい。 [江良]今月五月から。 [小野寺] はい。 [江良]まあまだね、あの引っ越しをしながらで、あの一番不便なのは小野寺さんに電話しても、あのドコモの電波塔がなくて、電話つながんなくて、会議もできないっていうところで、まだね、会議するときはこの古いところに行ってもらわなきゃいけないんですけども、それでやってはいますと。 で、ただちょっとね、今日まあこの話はもう、なんか、あんまね、僕たち二人で「お願い」っていうのもね、ちょっとあれなんだけども、まあ代表して。 あ、ちなみにさっき言ったかわからないですけど、僕このアントラークラフツっていうことのプロジェクトで、僕がなぜか代表取締役をさせていただいてましてですね、なぜか。  [小野寺] いや、社長お願いします。 [江良]ですね、はい、じゃあ僕から、させてもらうと、まあだからその、建物、まあ当然あの行政の都合で土地を移動するんで、移転に対しての補償金がこれは出ますと。 で、出ますと。 これ、まあ出る。 で、まあそれは出るんだけども、査定があって、じゃあこれ建物これでいくらですね。 で、土地ここら辺でやるとしたらいくらですね。 まあ当たり前、税金なんで、これは。 結構細かくこう出てくるわけですね。 で、これおいくら万円ですと。で、まあ一番結構あったのが、まあ最近の価格高騰でね、まあいろいろあって「それでも足りないね」とか、あと僕たちの、なんて言うのかな、この、えっと、この部分は移転するのは認められるんだけど、この部分は認められないみたいなことが結構あって。 で、それはとにかくそのさっき言ってたように、その鹿がちゃんとなんかできるように、こう地面に穴を掘って、そこをなんかこう「土壌改良しました」とかね、そういうのはもう区分がないんですよね、それってね。行政として補償の範囲に入らない。まあだけど動物、生き物系は軒並みダメでしたね。 その動物小屋、ニワトリ小屋も犬小屋も、あとそのビオトープみたいのも「これはなんと解釈するんだ」みたいなね。「アート作品なんですかね? アート作品かあ、みたいな。 まあつまりやっぱそういうものも含めて、まあ建物分-- まあ建物分もでも実際ちょっと足りなくてね。  [小野寺] はい。 [江良]で、それでこういう、あの獣害駆除に関しては、農林水産省で結構まあ全国的に問題になってることから、まあそこからもまあそこからもね、補助金をいただいて、まあ少しちょっとこう、こう水増しさせていただいて、予算を。やったんだけども、でもやっぱりその物価高騰と、あとやっぱその目に見えないというか、行政上区分にどうしても入らないことがあって。で、それでやっぱり元通りに-- 元通りのものを、何かその補償金なり行政のお金を使って、元通りに、今あった機能を全部こっちに持ってくるっていうことはできなかったってことなんですね。でも、やっぱり僕たちのやりたいことって、あの鹿肉を捌いて、えっと出すっていうことはもちろんやりたいんだけども、あのそれ以外に、その今言ったような鹿も含めた、そういうちゃんとこう自然の状態も含めて何か伝えていける場所にしようと思った時には、それはやっぱまだ一からなので。 で、そういうことで、ちょっとごめん、回りくどいんですけども、あのこのクラウドファンディングを始めて、応援をしてもらおうかということになりました。 で、まあこれやる際にはね、あのいろいろなまたやっぱこう手伝ってくれる方がいて、あのすごい、返礼品がね、こういうの。 まあ返礼品というか、どっちが先だったのかっていうと、あのどちらかというか鍋ができた方が先だったかな。  [小野寺] 先ですね、はい。取ってつけてなんかこうクラウドファンディングになっちゃったんですけど、はい。 [江良]まあだからなんかとにかくいずれにしろ資金を集めなきゃいけないんで。 基本的にはやっぱあの僕たち、鹿肉を売ったりとか、鹿肉からこうソーセージとかそういう加工品を作って売ったりするのがこの会社の生業なんで、なんか新しい新商品作って売ろうってことなんですね。  [小野寺] はい。 [江良]で、それが、まあ鍋なんですけど。 [小野寺] はい。 [江良]鍋なんですね。 [小野寺] 鍋ですね。 [江良]鍋なんですけど、こっから五分でまとめていくのも結構大変なんですけど。 まあ鍋もでも [小野寺] まあ流域ってそのえっとね、山の、その生態系の中で鹿が山のイメージとしたら、その山から流れてくるあの川の水に沿って、里のもの、あと海のものってなる中で、その中のものを、この今までは牡鹿半島っていう狭い部分で僕が表現してきたんですけど、去年ちょうどあの鳥取の大山の方に行って、大山さんの方に行って、いろんなこうあ、流域動態を感じるすごいあの素晴らしい出会いがあったんですね。 あのプラネタリーヘルスみたいな感じで、地域のものを食べながら整って、あれだけのその水量の、あの湧き水みたいながこんこんと何千年前から湧き出てて、で、ああいう、何ですか、たたら文化っていうか、鉄の製鉄してたところなのに、綺麗な清水が湧き出ているっていうのは何なのかっていう、それもね、不思議に思って、それをナビゲートしてくれた方からいろんなこととかこう含めて、こうあの歴史からその文化から教えてもらいながら、で、その生態系のことからいろんなことを教えてもらって、どんどんどんどんあの日本海のあの淀江っていう場所に最終的に行って、その淀江の海岸で、下の地下-っていうか伏流水がゴボゴボゴボゴボってもう、あの大山の水がね、すぐこう湧いてるその様を体現したんですよね。 で、最後それを釜で塩にして塩むすびに乗っけて食べた時のあの旨さが半端なかったので、これも東北じゃできるんじゃないかなと思った時に、あのスタジオジブリのなんかね、あのワンシーンじゃないんですけど、我々も東北、その蝦夷の文化で製鉄の文化と、あの鉱物資源が豊富だったんですよ。金、銀、銅が採掘されてる場所なんですよ。 で、向こうは向こうで、あの渡来人とかが入ってきて、向こうで製鉄、日本の大正時代までは日本の七十パーセント、作ってたって言いましたから、その製鉄してたっていう文化があるみたいですので、同じ北の方と、その西の-- あ、東と西の、北じゃなくて西と東ですよね。 その文化の民が結びついた、こういったものでなんかこう、協力ができないかってことで相談に乗って、私たちは逆に今度その東北のリアス山陸の流域で和えた鍋を作ろうということで作ってもらったんです。 はい、すいません長くなりました。  [江良]で、本当にずっと一緒にやってるあの仙台のこうめさんっていう、まあ日本料理ですかね、本当に美味しいところがあって。 まあでも本当にこうめさんたちももう、月に何回、小野寺さんとこにいるんだっていうぐらいずっと一緒にやってる仲間で。 で、そこのこうめ(佐々木)紗矢香さんっていうシェフが、その鹿と、あと海の牡蠣と-- 牡蠣としうり貝、しうり貝ってのはムール貝ですね。 まあそういったものをこう感じられる、まあ鍋は本当に美味しいです。なんだ、夏暑い時に鍋食べない人もいるかもしれないけれども、あのそういう暑い時にこそ食べてほしい鍋になっています。 で、本当にね、なんかどういうふうにこういう場所でお願いしていいのかちょっとよくわからないんですけども、まあ僕たちとしては、もう小野寺さんももう、まあいいお年ですったら失礼ですけど、まあ僕たち-  [小野寺] 還暦だからね。 [江良]... うん、還暦だから。 だから本当に、でもこの場所ができて、あの若者がここに来てね、ジョナサンっていう、まあ今は-- 二十? 二十三。 来た時十八で、今二十三で。 まあね、外国というか、そのね、日本語とかもまだあんまうまくなかった最初は。 でもようやく、あの猟銃とかやるのって結構あの筆記テストとかね、必要だから、ほんと日本語から、うまくなって、でもようやくね、免許も取って。で、猟に行ったら、「なんか簡単に三匹取ってきちゃいました」って言って。 なんかね、逆に今本当に命と、こうね、自分の一つの、引き金一つで命がここで失われる鹿がいるみたいな、なんかそういうところと。 まあでもね、ようやくそういうところに来てね、本当に、やっぱそういうやっぱ彼とかに、少しでもやっぱ受け継いでいくようなことが、まあ僕たちの目標なんですよね。 なので、まあ少しずつ僕たちも頑張っていくんだけども、ぜひここの場所、動くっていうこの機会に、ぜひなんか皆さんからもまあ「応援してください」というよりも、まあ「鍋食べてみてください」とか、ね、あとなんか、今週末-- あ、来週末か。 来週末もちょっとツアーをやったりするんで、ちょっと遊びに来てくださいとか。 なんて言うんですかね、まあ僕は少なくとも、都会、都市の中から、たまに小野寺さんとこ行ったりとか、小野寺さんから話聞くと、まあ一番最初に話したような、何かやっぱりこう、僕たちの生活では手に入れられない、ようなものを、小野寺さん並びに小野寺さんの周りにある自然から、こういただいてる感覚がすごいあるんで。 まあだからね、九年一緒に、お手伝い、お手伝いっていうのも、まあまあ一緒にやってるんですけど。  [小野寺] 助けてもらってるんですけど、しかして。 [江良]なんか、でもそれって、なんだろうね、なんかもう震災復興とかそういう文脈ではもうすでに僕としてはないというか、だから僕にとってもメリットがあるという言葉があれなんだけども、僕にとってもすごいありがたい話だっていうことで。なので僕としてはそのなんか、その関わりを、さっきのね、今野さんとかも、まあそうやっぱその関係性を、やっぱり、東京だと、あの自然とかそういうものとの関係性を作ってくのっていうのは、あの普通にやってたら難しいんで。 まあぜひなんかこういう話聞いていただく機会に、小野寺さん通じてね、僕たち通じて、何かその自然との関係性をなんか面白く作っていけるといいんじゃないかなっていうような提案になるのかな、僕からすると。 はい。  [小野寺] あとまあ公共性も出したいっていうんで、今までもうちょっとこう、閉鎖的って言ったらおかしいんですけど、か-限られた人しか来れなかった場所を、今度はもう、とにかく広いんですよ、敷地が。 もう本当にぶったまげるぐらい広いんで。もう休日にふらっと、まあちょっと牡鹿半島、石巻は遠いんですけど、宿を取っていただいて、そんで、もう見るとこも、本当に食べるとこも少ないんですが、お弁当持ってきて、うちのとこに来ていただいて、寝転がって、もう散策しながら動物たちと触れ合ったりとか。 あと一応飲食店許可も取りましたから、コーヒーぐらいは多分お出しできるかとも思いますし。 で、あとはその、今ちょっと本当におこがましいんですけど、クラウドファンディングのその返礼品のところで、このお鍋だと、本当にうちはそんなに、あの利ざやって言ったらおかしいんですけど、ちょっと一万二千円っていう金額のご寄付っていうか、ご支援なんですけど、返礼品の内容的には多分お得感がすごくあるものだと思うんですね。 そうやって鍋を食べてもらうことによって、流域の人たちにも利益が回ってくっていうことになるんで、私たちの鍋を食べることが。 で、確かに高額なものを本当にこう応援してもらうのは一番ありがたいですけど、でも、あのそれ以上にこっちの皆さんを知ってもらえることの方が、私たちにとって意味あることだと本当に思いますんで。 本当になんかもうおこがましい、本当に何回も言いますけど、本当にこう自分たちでできないからこういうことになってしまったんですが、お願いしたいっていうか、もう、皆さんにすがるしかないので、どうぞ本当によろしくお願いします。  [江良]よろしくお願いします、本当に。 はい。 じゃあ本当にぜひちょっとですね、パンフレットがあるので、ぜひ見ていただいて、もしご興味というか、ご関心持っていただけたら、鍋を食べていただいてですね。 であとは本当に今言ったように、拠点として開いていくので、ぜひ遊びにですね、来ていただけると一番、それが一番ですね。 ということで、我々からも皆さんにですねお願いになってしまって、本当にお忙しい中恐縮でございますが。 じゃあ本当に皆さん、あのご清聴いただきましてありがとうございます。 あの小野寺さんはまだね、引き続き、そこでコーヒー売ってるんでですね、皆さんコーヒーを入れてもらいながらですね、よりいろいろ話聞いていただければと思います。 はい。 じゃあ今日は、最後にまた小野寺さんに拍手をお願いいたします。 皆さんありがとうございました。  ------------- 2026.5.23 「山と私を和えるプロジェクトお披露目会 @ こうめ」にて [小野寺] 今回のこの、なんだろう、プロジェクトとクラファンの話を始めた時に、あの、話長くなっちゃうんだけど、俺の中でもう動物を殺すのがすごい辛くなってきた時もあったり、そういったことも含めながら、狭い世界でしかやってなかった、もしくは半島の狭いとこでしか自分も表現できてなかったんですよ。 で、それがたまたま去年縁あって、大山の方に行って、いろんなことを教えていただいて、学ぶこともあって。本当にスケール感が全然違ったんですよ。私が見てた世界と、彼ら、彼女らが見てたその大山のスケール感っていうのが、あまりにももう壮大で、で、歴史文化もすごい深すぎちゃって。 その中でこう、感じるところ、日本人として生まれて、ここで育って、この国で生まれ育った人間で、こういうことを、こういう人たち考えた人がいて、こういうとこで生きてきた。 で、その中では、この高いところから水が下に流れていくっていう自然の摂理の中で、こういう細かいことを省みながら生きてきた中で、出来上がった文化ってすごいなって感じたの。 ほんで、そしたらよくよく自分らも考えてみたら、東北だってこういう文化いっぱいいいのがあったんじゃない? で、同じように同じ日本人だし、例えばだけど、縄文人が弥生人だって色々あるかもしれないけど、でもこの国で、ね、生まれ育って、ここで暮らしていれば、ここの風土ってやっぱみんな自分もこう感じるものってあるじゃないですか。 そういったものを含めて、この東北での流域っていうものを含めながら、自分が見てた世界がもっともっとスケールを大きくして、もう本当に、川の上流、山の頂の方、ずっとはるか向こうの方まで持っていった時に、素晴らしい生産者さんとか、伝える人とか、そこで営みをしてきた人たちの文化とかも、なんか一緒にできるものをやっていこうよっていう話になったんでね。 もちろんそういう自分では思いつかないけど、周りにブレーンって、そういう、うちの代表も含めながら、今日ここで食事を作ってくださった、こうめさんご夫婦、ムネさんとか、さやちゃんとかも本当に協力していただいて。 で、その、山、川、海があって、里があった中での、その流域の味っていうのを東北でこういうふうに今回あえて作っていただいて、ね、山と私を和えるっていうことを含めて、最終的にはなんかこうね、もちろんこのうちのシカも入ってるんだけど、僕もちょっと少し離れたところで、みんなのこう、素晴らしい人たちをちょっとこう、後ろから押してあげたいし、自分もこう支えてもらってるから、お互いにこう、お互いに支え合いながら、いい形の鍋として、今回すごい良いものできたのかなと思ったの。だから一人でも多くの人にこれを食べてもらいたくて、このやってるプロジェクトを一人でも多くの方に知ってほしくて、今日は本当に皆さんに、大変な無理なんだけど、わざわざ、仙台石巻まで来ていただきまして、見ていただいた次第なんです。 本当に、自分で言うのもおかしいけど、さやちゃんが作ってるようなこの味っていうのが本当に染みます。 あの、なんだろう、この感動っていうか、食べ物でね、いろんな感動あるんだけど、この折りたたんでくる感動の波っていうのが不思議な感覚になると思うんですよ。これ今回の鍋のね、(食べる)順番ってわざわざこうなんかめんどくさいことかかってるんだけど、でもこれをやることによって、あ、すごいな、この人こういうことやってんだ、こういうこと作ってんだっていうこととか、さやちゃんがそこでこう織りなした、さやちゃんのその世界観っていうのをここにもあるし、そういうことも含めながら、もう人が見えてくる鍋になってますんで、ぜひ召し上がっていただいたら嬉しいと思います。 よろしくお願いします。 さやちゃん。 ありがとうございます。  [佐々木紗矢香] 普段からやっぱり小野寺さんのところ通わせてもらって、もちろん山も連れてってもらって、猟の同行させてもらったりとか、小野寺さんが今話してたようにとか、今回このお話いただいた時にも、本当すごく私たちやっぱ協力したいなと思ったし、本当に何か移転するってなって、前の場所で教えてもらったこともたくさんあって、繋いでもらったご縁も本当たくさんあって。 ね、まあ仕方ないことにしろ、やっぱみんなで作ってきたもの。ビオトープもみんなでね、重い土砂を詰めてさ、運んで運んで運んだりとか、なんかやっぱそういうのが思い出がたくさんあったから、やっぱ寂しい気持ちもありつつ、でもなんかこうやって小野寺さん本当移転の話になった時はすごいしょぼんとして、やっぱ落ち込んでた。もちろん私たちもショックだったけど、なんかその姿を見てて、移転決まって、だんだん前向きになってきて、みんなの思いもあって、なんか新しく始めるってことにすごい私たちもワクワクしてるんですね。 この鍋を作るってなった時も、やっぱたくさん山を一緒に連れてってもらった、歩いた山もそうだし、海もそうだし、普段扱ってる鹿の味、カキの味、なんかやっぱ素材の味、やっぱ普段から扱ってるからこそどう生かそうかって。 実際こうやって私が小野寺さんが今私を立ててくれて、私が作った鍋って言ってくれてますけど、実際試食会する時まで私も出汁ぐらいしか考えてなくて。その時みんないた皆さんで、本当どういう食べ方をどうしたらいいかとかね、鹿の一つどうするかとか、やっぱりいろいろそういう話し合いの中で出来上がった鍋だったから、ちょっと皆さんに喜んで食べてもらえれば、なんか一番ね。喜んで食べてもらえる、もちろん美味しいって言ってもらえば一番嬉しいですけど、それだけじゃなくて、せっかくならやっぱどんな場所なんだろう、どんな人なんだろうと思って、少しでも足を運んでもらったり、知ってもらえるきっかけになってもらえるのが一番嬉しいなと思う。そんな思いで作りました。  [小野寺] ありがとうございます。素晴らしい。さやちゃん、ありがとう。